18. オニクタラム[1] g0mDaoNOg16DiYOA 2020年4月23日 15:49:05 : z6WxoS1CRQ : OUVCVnhhZ1FCSFU=[1]
今日の朝早く、グーブログ記事を投稿しました。以下の記事です。植草さんと同じ気持ちです。もしよろしければ、〈日本の「政治」の「可能性」と「方向性」について考える〉の私の記事もご一読ください。
「県政」や「国政」の下で、粛々と進められていく「見殺し」の常態化
「県民」の命と暮らしを守れない「県政」など不要ではないのか。「国民」の命と暮らしを守れない「国政」に、はたして存続理由などあるはずはない。
それにしても、悔しいの一語だ。私たちはもう、慣れきってしまったのか。毎日、毎日、県民や国民が死んでいく。死ななくてもよかった人たちではなかったのか。埼玉県に住む50代の男性が自宅待機の果てに死んでしまった。コロナ検査で陽性と判定されたものの、「軽症」との理由から、入院もできず無念の死を遂げたのである。
県によると、入院患者を収容する病床が全く不足している旨の記者会見であったが、そんな釈明で「見殺し」にしてしまった「作為」が許されるのならば、何のための県政なのか、と言わざるをえない。おかしいだろう。県政は誰のためにあるのか。そもそも記者会見自体がおかしすぎるのだ。記者は何も質問しないのか。何も怒らないような記者も要らないのではないか。とにかくどうにかなっている。県民のためにマスクを確保することもできない公務員など不要ではないのか。
同じことは、国政に関しても該当する。どうして国は率先垂範して県を助けなかったのか。これまでの経緯を見てもおかしすぎるのだ。マスクの手配もできない国がどうして安全保障の問題など語れようか。外務省も防衛省も総務省も、厚生労働省も要らない。いや、すべての省庁が不要なのだ。国民の命と暮らしを守るどころか、その逆の働きしかできていないのではあるまいか。
安倍内閣はもう「消滅」すべきなのだ。どうにもならない人間集団が右往左往しているだけであり、まったく動きが見えてこない。そもそも国民の命を守ろうとする覚悟などありはしない。情けない限りだ。
長崎県に入港したイタリア船籍のクルーズ船、一体だれが入港を許可したのか。2月20の頃は、もうコロナ問題が浮上していた、そんなときに三菱重工という企業が自らの「金もうけ」のために、今後、はかり知れない長崎県民の命を奪いかねない「大失態」をやらかしてしまった。とても失態と言うことでは済まされない重大問題ではあるまいか。長崎県と三菱重工と、国の関係者は、一体どのような責任を取るのだろうか。いや、とても負うことのできない責任ではあるまいか。
私は、横浜のクルーズ船の寄稿の際にも、このままでは日本人の命は危ないと危惧したのだが、今後は、長崎に相当な被害をもたらすのは必至であろう。県も、国も、大企業には甘すぎるのだ。こんなざまでは、どうして営業自粛を、中小企業に求められようか。これから先、長崎県民の命と暮らしが甚大な被害を受けることになった時、私はまた断腸の思いで、言わなければならなくなるだろう。
本来ならば、死ななくてもよかった県民や国民が死んでいく。そして、そうした「見殺し」の常態化が、県政や国政の下で、粛々と進行しているのだ。同じ構図ではあるまいか。東京電力福島原発事故も、大企業と県政と国政が癒着した中で、引き起こされたのではないか。そしてその後も、放射性物質の被害に苦しむ人々が福島県をはじめとして、日本国中に生み出されているではないか。
それにしても、思うのだ。私たちは、何度同じことを繰り返しているのだろうか、と。