みだれ髪をバラエティー番組で熱唱する藤圭子
簡易な踊りだけども美しいと思った。この振り付けから藤圭子は曲への感情移入を果たし、視聴する私はここで藤圭子の虜となってしまう。そして、藤圭子の熱唱を聴いて私は涙してしまうのである。
この動画の時代には藤圭子は深夜特急に乗った後だろうか。アメリカに渡り、寄生虫極道の宇多田某に貯金を全部食いつぶされてしまった後だろうか。
そんなことも分からない私が藤圭子の人生を書きます。
自らが招いた事とは言え、藤圭子の不運な人生と感動の歌声がオーバーラップして何度でも泣けてしまう藤圭子熱唱のみだれ髪です。
心奪われる、藤圭子のみだれ髪熱唱
にしきのあきらが司会者の様に映るバラエティー番組で美空ひばりのみだれ髪を熱唱する藤圭子です。この動画をネット上で初めて見た時はその歌唱力の凄まじさに心を奪われて連続して10回聞いてしまいました。画面に映る藤圭子もそれは興味深く見たのです。何より驚くのはその美貌です。この時代に藤圭子は何やら、美しくなる要素を手に入れた様です。引退を2年で撤回して再起を図るそのキャンペーンでのバラエティー出演でしょうか。スターダムから転落した経験を持つにしきのあきらが番組出演を取り持ってくれたのでしょうか。ともかくも相も変わらぬ大迫力の歌唱力でスタジオを総立ちにさせた藤圭子なのです。藤圭子の境遇を推察
着ているものが演歌歌手としてはあり得ない程質素なものであることから、稼いだ金の全てを寄生虫の宇多田某にしゃぶられ尽くされて無一文となって帰国して、カネの為生活の為に再デビュー活動をする藤圭子なのであると推察されます。
それにしてもこの質素な出で立ちを見るにつけ引退したことが悔やまれてならない藤圭子ですが、藤圭子本人としたら、歌があるから自信があるから逆境にあっても平気で引退を悔やむ事も無かったのかも知れません。
藤圭子の人生
藤圭子の育った時代
藤圭子はジャムパン1つ買ってもらえなかった貧乏な家庭で育つが、当時の日本は丸ごと貧乏で、藤圭子一家の貧乏はさほど目立たなかったものと思われる。
一家は浪曲一座を率いる父親に連れられて、北海道旭川の暮らしとなるのです。そしてテレビの普及とともに仕事を奪われた両親は娘の歌の才能で食って行こうと思い立ち、上の2人の兄妹は旭川に残して、藤圭子1人連れて東京暮らしを始めるのです。
デビュー当時の貴重な写真
曲が売れてスターとなった藤圭子の家を取材に訪れて貴重な写真を残したのは歌本雑誌の明星に違いない。いや、平凡かもしれないが、そんなことはともかくも、デビュー曲の新宿の女が売れて足の速い雑誌編集者が新人シンデレラガールの藤圭子の自宅を取材に訪れて、両親にもインタビューして、家族写真を撮ったものと思われる。テーブルに置かれる果物類などは、演出の為に編集者が買って来て配置したものと思われる。
大金が入って来る前の、まだ貧乏なままの藤圭子の家庭を写す貴重な写真。この東京の四畳半アパートに両親と暮らしながら十五十六十七と、夜の飲屋街を流しで歌い歩き日銭を稼いで一家の生活を1人で支えた藤圭子。
現在ではあり得ない、十五才の少女の夜の飲屋街での流しも、この写真に写る藤圭子を見れば、当時の日本では普通の光景としてあったのかもしれないと思えて来るから不思議です。
石坂まさを
演歌歌手藤圭子にとって、石坂まさをとの出会いが全てなのでしょうか。石坂まさをとの出会いは母親の澄子によって成されるのです。経緯は分かりませんが、母親の澄子が娘の歌の才能を作詞家の石坂まさをに猛烈に売り込んだことが全ての始まりの様です。石坂まさをの著書を読めばこの辺りの事も詳しく書かれている筈です。
この出会いは間違いなく運命でもありました。この出会いにより、藤圭子は後に運命の曲、新宿の女を歌う事になるのです。そしてこの石坂まさをの精神が少し歪んでいた事から藤圭子の洋々たる前途に暗い影が落とされているのを未だに誰も気付きもしません。石坂まさをが女性に対して普通の男であったのなら、自分の気持ちに素直にしたがって藤圭子を真正面で受け止めて愛してやる事が出来た筈です。しかしそれは人間の運命を担当する神様が許しませんでした。
それもこれもあれもこれも、大きな事象も鼻くその様な取るに足らない様な事もなんもかもひっくるめて、全ては運命の新宿の女へとつながって行くのです。
デビュー曲、新宿の女
藤圭子のデビューにあたっては、既に圭子の夢は夜開くも、女のブルースもこの時点で出来上がっていて、戦略的に新宿の女をデビュー曲にしたということです。その新宿の女を歌ってデビューした藤圭子は新宿の女の歌詞の通りに悪い男に騙される女となって生きて、新宿の女となって自殺してしまいます。
藤圭子は七回も宇多田某めに騙されたのです。七回結婚して七回離婚するのです。八回目はありません。娘の宇多田ヒカリからしゃぶれる様になったから、用済みの藤圭子に寄生虫の宇多田某が寄生する事は二度とありませんでした。
楽曲としての新宿の女はえも言われぬ歌詞とコード進行になっている、名曲中の名曲です。この歌が作られた経緯については未だに知る事の出来ない私ですが、謎は謎のまま残しておいた方が良い事もたくさんあるので、あえて追っては行かないでいます。
日本人なら誰もが歌えた、圭子の夢は夜開く
藤圭子の5年遅れで人生を歩く私が当時この曲を聴いた時はまだ、園まりの夢は夜開くが耳に残っていましたが、そんなものは十五十六十七と私の人生暗かったの一節を聞いて一気に吹き飛んでしまいました。このもの凄いインパクトをともなう藤圭子の歌声を最初に聞いたのはTVで、当時大ブレイクしていた笑福亭仁鶴の番組でした。その会場が熱狂する映像を半世紀経つ今も忘れていません。
ビートルズ世代
藤圭子の失敗
前川清との結婚の失敗
藤圭子と前川清との結婚はセンセーショナルなものでしたが、当時中学生の私の目にもそれは危うい結婚に見えました。それは前川清がまだ子供に見えたからです。結局は多くの人が予想した通りに1年で離婚となりました。藤圭子の失敗は前川清と結婚した事ではなくて、前川清と離婚した事が失敗でした。後の前川清の発言から推察するに、離婚の原因は藤圭子が股を開かなかったことにあります。初夜の時に前川清が痛い思いをさせて、そのことがトラウマとなってセックス恐怖症となった様です。男勝りの藤圭子は初夜以来、断固としてセックスを拒絶したのです。
せっかく掴んだ幸せも、十五十六十七と、女の修行が無かったばっかりに簡単に手放してしまう藤圭子です。幸せを逃したらそしたらもう不幸が待っているだけの新宿の女の人生となってしまう藤圭子なのでした。
引退の失敗
何で歌手を引退なんかしちゃったのでしょうか。ピーナッツが引退してキャンディーズが人気絶頂のその時に引退して以来、日本の女性歌手には引退と云う概念が植え付けられてしまいました。引退はキャンディーズ以来セレモニーになってしまいました。新たな人生を見つけて歌うのに疲れたら休めば良いだけなのに、ケジメは付けなければならない様な風潮に巻き込まれたのでしょうか。藤圭子はあっさりと引退してしまいます。歌に逃げられたら自分の方から追いかけて行くと言っていた、その大切な大切な歌をあっさりと手放してしまいます。幻の愛が不幸の始まり
お待たせしました。深夜特急の発車時刻となりました。偽善者の沢木耕太郎の登場です。沢木耕太郎が頑強な藤圭子の股をこじ開けてセックスしてしまったこの事実を知った時私は驚愕したのです。ほんの半月前です。沢木耕太郎の深夜特急に感化されて香港に一週間ですが、貧乏旅行をした私です。
それは無いだろーと思ったのは沢木耕太郎がその時妻帯者だったからではありません。それは無いだろーと言うのは、藤圭子との浮気は仕様がないけども、夢を枕元で言うことは無いだろう。実行出来もしない約束をすることはないじゃないかと言うことです。沢木耕太郎は、偽善者故に藤圭子との約束を破ってしまいます。偽善者では無い私には理解出来ない事です。
そしてアメリカへ
藤圭子は歌を捨てて愛に走ってしまいます。真実は知りませんが、そう見えます。痛快事ではありますが、深夜特急に席を取ったのが運の尽きでした。15才から歌1つで家族を支えて大金を稼いだ女の演歌ドリームが終焉を迎えるのです。
ニューヨークまでの足取
アメリカのコロンビア大学に留学すると言う偽善者の沢木耕太郎の嘘を真に受けて、歌手を辞めてアメリカに渡る藤圭子が最初に降り立つのはハワイです。芸能人として馴染みのある土地であり、ファンも居る事から挨拶も兼ねてハワイに降り立ったものと思われます。ここで早速英語のスクールに通い出す藤圭子。高校に行けなかった事から学歴コンプレックスのある藤圭子はキット学ぶ事が、教わる事が大好きだったものと思われます。最終目的地のニューヨークに行っても、最初に始めるのは英会話スクール通いです。
そしてロサンゼルスに立ち寄った後に、寄生虫宇多田某の棲むニューヨークへと運命のままに吸い寄せられて行く藤圭子でした。
深夜特急とは、インタビュー作家の沢木耕太郎の代表作のタイトル名で、沢木耕太郎のことを皮肉って言ったものです。沢木耕太郎こそが藤圭子転落人生のその始まりの張本人です。
みだれ髪とは、美空ひばりが作らせた歌謡曲の頂点に立つ曲です。死の病を凌いだ美空ひばりのその一瞬の生命の期間に、1人の男が設計して美空ひばりの再起を信じて、日本を代表する2人の天才作詞家、作曲家に依頼して作らせた、わが国歌謡界珠玉の名曲です。作詞の星野哲郎も、作曲の船村徹も、もしかしたらこの任務を果たす為だけにこの世に生を受けたのかも知れません。