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更年期オバチャン jViUTor6g0mDb4Ngg4ODkw 全コメント
[政治・選挙・NHK201] 「国費を出してるんだから君が代を歌え」という馳浩文科大臣を見て、大学の同級生を思い出した。(菅野完)
noiehoie on tumblr

http://noiehoie.tumblr.com/post/139893308816/25%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%88

25セント

「国費を出してるんだから君が代を歌え」という馳浩文科大臣を見て、大学の同級生を思い出した。
 
彼はネイティブアメリカン。社会学専攻してて、イタリアのなんとかいう島の風俗を研究してた。すごい勉強家で「なんでそんなにがんばるねん」って聞いたら「親父みたいになりたくない」という。
 
彼の実家は、ネバダにあって、ネイティブアメリカンの多い町らしい。それを目当てに来る観光客相手の商売を彼の親父さんはしていた。

親父さんの仕事の内容は、彼の表現によると「白人たちが『おい。インディアンの踊り見せろよ』と25セント硬貨を投げる。親父はそれを拾って、5分間歌って踊る」というものらしい。ただ、彼はそれが気に入らない。「何千年と受け継がれてきた部族の誇りとか、先祖の誇りとか、文化とかを25セント硬貨に換金してる。許せない」という。一方で、「貧乏で勉強できなかった親父にはあれしかない」とも言う。 だから彼は勉強するのだと。
 
聞くところによると、馳浩が槍玉にあげる岐阜大は、未だに旧制高校の時代の校歌を歌っているらしい。立派じゃないか。素晴らしいじゃないか。戦前の歌を未だに歌ってるなんて。学校の伝統と諸先輩に対する敬意をちゃんと表しとる。


その岐阜大に向かって、「国費を出してんだから君が代を歌え」という馳浩は、25セント硬貨を投げつけて「踊って見せろよ」という白人観光客の姿に、重なって見える。


2月 24, 2016
http://www.asyura2.com/16/senkyo201/msg/777.html

[政治・選挙・NHK202] 「詳細な事実説明」官邸が事前指示 国連委での慰安婦報道言及 (朝日新聞デジタル)
http://digital.asahi.com/articles/DA3S12242101.html?_requesturl=articles%2FDA3S12242101.html&rm=150 


「詳細な事実説明」官邸が事前指示 国連委での慰安婦報道言及

2016年3月5日05時00分


国連女子差別撤廃委員会で議題となった慰安婦問題について、首相官邸が「詳細な事実説明」を外務省に指示していたことが分かった。外務省は一時、昨年末の日韓合意を踏まえて詳細な回答を避ける方針だったが、指示を受け、委員会で杉山晋輔外務審議官は、旧日本軍による強制連行が確認できなかった趣旨を約15分間にわたログイン前の続きって説明した。

 政府関係者によると、日韓両政府が昨年末、国連などで慰安婦問題で互いに非難・批判を控えると合意したことを受け、外務省は1月中旬までに、委員会に対し詳細な回答を避ける方針を固めていた。

 これに対し、安倍晋三首相に近い衛藤晟一首相補佐官が「外務省が事実を明らかにしないことが問題をこじらせてきた」と反発。菅義偉官房長官らの了解を得て、方針転換を指示した。また、外務省関係者は「首相からも指示があった」と語る。

 首相は1月18日の参院予算委員会で慰安婦問題に関し「海外のプレスを含め正しくない事実による誹謗(ひぼう)中傷があるのは事実」「性奴隷あるいは20万人といった事実はない」と答弁した。衛藤氏は朝日新聞の取材に「外務省に『なぜ総理の援護射撃をしないのか』と指摘した」と語った。

 調整の結果、同省は(1)事前提出する答弁書で政府調査では軍や官憲による強制連行は確認できなかったと説明する(2)杉山氏が委員会に出席して「慰安婦20万人」「性奴隷」は事実に反すると説明する、と決めた。その際、日韓合意に影響を与えないため「韓国」には一切言及せず、朝日新聞の過去の報道が大きな影響を与えたとすることなどを申し合わせたという。

 委員会は日本政府に「慰安婦の強制的な連行」についてのコメントを求めていた。杉山氏の発言は、この問いに対する日本政府の回答の一環だった。国連の会議で日本政府代表は英語で説明することが多いが、杉山氏は「明確に話すため」として説明の大半を日本語で行った。

 杉山氏は2月16日の委員会で、朝日新聞の過去の報道などに触れ、「国際社会に大きな影響を与えた」などと述べた。また、慰安婦の人数について「20万人との数字のもとになったのは、通常の戦時労働に動員された女子挺身(ていしん)隊と、ここでいう慰安婦を誤って混同したことにあると(朝日新聞が)自ら認めている」などと発言した。

 これらの点について、朝日新聞社は2月18日、外務省に対し、「根拠を示さない発言」「20万人という数字について、女子挺身隊と慰安婦の混同がもとになったとは報じておりません」などとして遺憾であると文書で申し入れている。

 委員会は3月7日、慰安婦問題を含む日本の女性の地位改善の取り組みに関して最終見解を出す。

 (武田肇、冨名腰隆)

*****

おまけで菅野完氏のTweet貼り付けます↓

https://twitter.com/noiehoie/status/705924484931321856?lang=ja

3月5日

首相の靖国神社公式参拝もそうですよ。諸外国からの反発とかどうでもいい。無視できるっちゃ無視できる。無視したって法的な問題は起こらない。でも、憲法第20条の「 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」規定は、無視できない。ここが彼らの最終的な焦点

3月5日

「日本会議界隈にとって、慰安婦問題は、「韓国」でも「歴史認識」でもなく、「朝日新聞問題」でしかない」

「とんでもないところに本音がある」という彼らのこの思考方法は、どの分野でも一緒です。改憲もそうです。彼らの改憲目標は、憲法9条でも緊急自体条項でもなく、「家族」と「宗教」です。

3月4日

あの5人だけで、慰安婦問題をやっとる。
外務省もあの5人だけに押し切られとる。

3月4日

つーか、朝日は、一面トップで、「朝日新聞 編集者会議で、安倍政権断固支持を決議!!」とか書いたらどうだろ。安倍ちゃん、下野するかもよw

3月4日

少なくとも、朝日新聞に関することで(安倍政権は慰安婦問題を外交問題とは一切思っていないので)は、我が国の現政権は、極めて幼稚であることは間違いない。「朝日が言うならその反対をやってやる」ぐらいのレベルでしかない。唾棄すべき幼稚さだ。

3月4日

日韓合意が出た直後に書いたこと、そのまんまだった。。。ってことだ。
怖いよもう。。。なんでこんなことになるんだよ。
菅野完(@noiehoie)/「日韓合意」の検索結果 - Twilog http://twilog.org/noiehoie/search?word=%E6%97%A5%E9%9F%93%E5%90%88%E6%84%8F&ao=a

3月4日

これまでの歴史修正主義者界隈からすれば、「日韓合意」は受け入れがたいはずなのに、みんな案外静かなのは、「日韓合意」で(形式的に)韓国に頭下げても「朝日新聞がダメだ」という論拠は崩れてないからだ。。。って以前から申し上げてましたでしょ? やっぱりその通り。

3月4日

以前より「ネトウヨ界隈の総本山・日本会議にとって「慰安婦問題」は「韓国」の問題ではなく「朝日新聞問題」でしかない」と申し上げてましたが、やっぱりこの仮説、ガチだったようです。 / “「詳細な事実説明」官邸が事前指示 国連委での慰…” http://htn.to/hAFJd5

3月4日

やっぱり衛藤晟一 かよ!!! これ大スクープじゃん。/「詳細な事実説明」官邸が事前指示 国連委での慰安婦報道言及:朝日新聞デジタル http://www.asahi.com/articles/DA3S12242101.html


http://www.asyura2.com/16/senkyo202/msg/455.html

[政治・選挙・NHK205] 憲法改正が現実味を帯びる今、なぜ「日本会議」に注目すべきなのか?(菅野完)幻冬舎Plus
http://www.gentosha.jp/articles/-/5403
あのニュースのホントのところ

「日本会議」という名前を聞いたことがありますか? 最近、メディアで取り上げられる機会が増えた、日本最大の保守系市民団体です。なぜ今、この団体の存在に注目が集まっているのか? 扶桑社新書から『日本会議の研究』を刊行した著述家・菅野完さんが解説します。

* * *


2016.04.30

憲法改正が現実味を帯びる今、なぜ「日本会議」に注目すべきなのか?  菅野 完

 熊本・大分の地震がおさまらない。

 軽微になりつつあるとはいえ、未だに余震は続いている。余震を恐れる被災者たちは、避難所や車中での困難な生活を強いられている。すでに発生から半月を過ぎたにもかかわらず、復興作業にさえ着手できない。そもそも被害の全容さえまだ判明していない。

 そんななか、政府は激甚災害指定を出すことを躊躇した。東日本大震災に対する激甚災害指定が地震発生から中1日で出されたことに比べると、極めて遅い対応だと言わざるをえないだろう。今回の震災では何かにつけ政府の対応の遅れが目立つ。だが1点だけ、政府首脳が極めて迅速に対応した案件がある。――そう憲法改正だ。

 菅官房長官は4月15日の記者会見で、熊本地震に関し、災害発生時などの非常事態に際し首相に権限を集中させる「緊急事態条項」を憲法改正の上、新設することについて「極めて重く大切な課題だ」と述べた。この発言は記者からの質問に答える形で出されたものだが、なぜかその時、菅官房長官は事前に用意されていた答弁用紙を読み上げていたという。熊本地震の発生は4月14日夜半。その直後に行われた記者会見に、官房長官は「憲法改正」について言及する答弁用紙を用意して臨んだことになる。激甚災害指定があそこまで遅れたことに比べると、なんとも手まわしの良い話だ。

 ここまで改憲にこだわる姿勢は、安倍政権の特徴とも言える。当時もあまり話題にならず、またその後に起こった地震で霞んでしまったが、今国会の特徴は、安倍首相から重ねて「憲法改正への意欲」が語られた点にある。3月2日の参院予算委員会で安倍首相は、民主党(当時)・大塚耕平議員の質問に、「(憲法改正は)私の在任中に成し遂げたいと考えている」と明確に述べた。安倍政権は、改憲に本気だ。

 改憲に本気だからこそ、「災害対策基本法」などの既存の法律で対応可能な災害緊急事態の布告や激甚災害の指定などより先に、「憲法を改正して、緊急事態条項を新設するべきだ」という一足飛びな話が菅官房長官からも飛び出したと見るべきだろう。

「緊急事態条項」こそが改憲の目玉だという議論は何も与党や政権内部だけで主張されているわけではない。昨年11月、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」と称する団体が、武道館で「今こそ憲法改正を!1万人大会」なる集会を開いた。

 この集会で挨拶に立った同会共同代表の櫻井よしこは、現憲法の問題点を羅列した上で、「大規模な自然災害に対しても、緊急事態条項さえない現行憲法では守り通すことは困難です」と述べた。約15分に渡る長い挨拶のなかで櫻井が触れた具体的な改憲項目は、「緊急事態条項」と「家族条項」の2点のみ。「改憲」議論にはつきものの「憲法9条」については、日本を取り巻く安全保障状況の変化を述べるにとどまり、具体的な言及はなかった。

 どうもこの団体の主張内容と、政府・与党の改憲に関する主張内容は似ているように思える。現にこの集会には、安倍首相からのビデオメッセージが寄せられている。また、自由民主党の国会議員も多数出席した。「美しい日本の憲法をつくる国民の会」と政権側は、密接な関係を持っていると見ていいだろう。

 同会の共同代表は3名。先述の櫻井よしこのほか、田久保忠衛(杏林大学名誉教授)、三好達(元最高裁判所長官)の2名が務める。この両名には、ここ最近メディアがその名前を伝える事例が増えた保守系市民団体「日本会議」の会長職を務めたという共通点がある(田久保は現会長、三好は名誉会長)。田久保と三好だけではなく、その他の役員メンバーを見ると、事務局長の椛島有三(日本会議事務総長・日本青年協議会会長)、幹事長の百地章(日本大学教授・日本会議政策委員)など、日本会議関係者によって要職が占められているのが見て取れる。

 この事実からもわかるように、「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、日本会議が改憲運動のために作ったフロント団体に過ぎない。同会の本体は、「日本会議」そのものだ。

 日本会議はこれまで、改憲運動のみならず、夫婦別姓反対、ジェンダーフリー反対、閣僚・政治家による靖国神社参拝推進、慰安婦問題での朝日新聞への攻撃、教育基本法への「愛国心条項」の追加、教科書採択運動などなどと、ここ20年ほどの間に立ち現れたありとあらゆる「右傾化」路線を支える圧力団体として活動してきた。

 彼らの運動は、ここ最近始まったわけではなく、70年代安保の時代にまでさかのぼることができる。実に40年以上の歴史を誇る「市民団体」なのだ。そしてその40年以上に渡る運動の最後の仕上げとして、今、安倍政権とともに、「改憲」という彼らの宿願を果たそうとしている。

 今夏の参院選まで、残すところわずか数ヶ月。安倍政権がこの選挙を「改憲への布石」と位置付けてくることは明らかだ。安倍政権の改憲路線に多大な影響を与える日本会議の動静に、今後ますます、注目していく必要があるだろう。

* * *

 日本最大の保守系市民団体の実像を、膨大な資料と関係者への取材から明らかにした菅野さんの新刊『日本会議の研究』。社会学者の宮台真司さんは「社会の劣化による必然と歴史の偶然が織りなす綾を、見事に描いた」と推薦文を寄せ、政治学者の中島岳志さんも「現時点における最も詳細な日本会議論」(2016年4月26日東京新聞夕刊「論壇時評」)と、高く評価しています。
 読み物としても大変スリリングで圧巻の1冊。幻冬舎plus編集部(こ)からもお勧めです。

http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/594.html

[政治・選挙・NHK205] 《菅野完氏より警告》 サヨクって本当にダメだなぁと思った件。 (noiehoie on tumblr)
日本会議の研究を世に問うた菅野完(すがの・たもつ)氏のTwitter より転載

先日の「クロ現」の感動がまだ治らないので、起き抜けながら一文書いてみた。かなり深刻な話だと、僕は思う。/サヨクって本当にダメだなぁと思った件。 -...
https://tmblr.co/Z2pCTy261ZNJo

***

日本会議の発表するところによると、彼らがこれまで集めた「改憲署名」は700万筆にのぼると言う(5月3日現在)。彼らの改憲運動用フロント団体 「美しい日本の憲法をつくる国民の会」の通称が「1000万人ネットワーク」であることからわかるように、署名活動の目標は1000万筆の獲得だ。
 
SNSを見渡すと、この数字を受け、9条の会周囲の人々が「だからこそ我々の2000万筆目標護憲署名が重要だ!」と息巻いておられる。
 
僕はここが「日本会議の凄さ・左翼のダメさ」だと思う。
  
日本会議はあの署名を、国会なり何なりに請願するためだけに集めているのではない。
 
彼らの1000万筆獲得という目標は達成されるだろう(しかしこれまでの彼らの運動での獲得ペースからいうと極めて低調であることは付言しておくが)。そして、そうして獲得した署名用紙を、武道館に山積みにした演壇をつくり、今秋には決起集会をやりもするだろう。そしてその様子をいよいよ日本会議に注目し出したメディアは驚きをもって伝えるだろう。その決起集会で気勢を上げ、そのまま国会に請願するだろう
 
しかし彼らの目的。。。というか彼らにとっての「署名の用途」はそこで止まらない。
 
彼らはその次を見越している。
 
彼らはあの署名用紙をそのまま「名簿」として利用する。何も組織勧誘や集金のために使うわけではない。国会で改憲が発議された後、いよいよ国民投票となった場合の「投票呼びかけ」名簿にするのだ。あの署名用紙で集めた個人名や電話番号のデータはそのまま「改憲の国民投票で賛成投票に回る蓋然性が高い人たちのリスト」になる。その人々に向けて、投票を呼びかけ、票固めする。
 
なんたる真面目さ! なんたる周到さ!!!
 
もうね、見事というほかない。ある意味、市民運動のお手本と言ってもいい。
 
そしてこれは、そうした作業を遂行するだけの事務処理能力を日本会議が有していることも示している。
 
翻って。。。。
 
「だから2000万筆署名が重要」と息巻く9条の会の周りはどうか? 2000万筆という獲得目標について、日本会議のように、適宜中間報告をし、定量的にその経過を明示し、運動員の奮起を促すことをやっているか? 関連諸団体と事務局責任者がいわゆる「ボス交」を繰り返し、組織目標を設定し、組織の中で、ギリギリと締め上げて数字を獲得しているか? はたまた、国会請願後に署名を名簿として活用するために、適宜署名をデジタル化しているか?あるいは、国会発議が今夏の参院選の後行われた場合、早ければ来春には予定される国民投票に向け、電話かけ要員の確保や、電話回線の用意は出来ているか?予算は獲得したか?備品の整理は出来ているか。。。。?
 
こうした、「社会人としてのスキル」こそが問題なのだ。
 
残念ながら2016年にもなって、澤地久枝や落合恵子や大江健三郎などの老人たちをスターとして崇め、集会開いて歌うたって終わってるだけの人々からそうした社会人としてのスキルは感じられない。
 
先日の「クローズアップ現代」で少し映った「護憲署名を集める団体の事務所」はそこいらにダンボールが散乱し、街宣で使うであろうのぼりがそのまま立てかけられており、ホワイトボードは斜めに成っていた。肝心の署名用紙は、フロアーにそのまま裸積みされる始末。あの一シーンからは、「だらしなさ」を強烈に感じた。どうも「社会人としてのスキル」を感じられないのだ。「護憲署名に戦死者戦没者の名前を書く人が多い」などという美談で涙する前に、やることがあろう。
 
日本会議と比べたら大人と子供の喧嘩だ。勝てるはずがない。
 
日本会議が強いわけでも巨大なわけでもない。他が情けないだけなのだ。
 
勝負はもうついているようにさえ見える。



http://www.asyura2.com/16/senkyo205/msg/596.html

[政治・選挙・NHK207] [書評]『日本会議の研究』 ―戦慄を覚えるエポックメイキングな書― (三省堂書店×WEBRONZA 神保町の匠)

[書評]『日本会議の研究』 菅野完 著

http://webronza.asahi.com/culture/articles/2016052600005.html

  大槻慎二 (編集者・田畑書店社主)             2016年06月02日

―戦慄を覚えるエポックメイキングな書―  

 おおかたの人々と同様、「日本会議」という組織の存在を知ったのはごくごく最近のことだった。おそらくは2015年4月、大阪の十三で「翼賛体制に抗する会」のオフ会に参加した際、中沢けいさんから聞いたのだったと思う。

 そのときにこの著者の名前と、本書刊行の元となったウェブマガジンでの連載のことも知り、ことあるごとに覗いていたのだが、今回こういう形で改めて全体を見渡してみると、新たな発見も多々あって驚かされた。

 まず最初に結語めいたことを言ってしまえば、本書は間違いなく、出版ジャーナリズムの歴史に大きなエポックを刻むことになるだろう。

 それは図らずもまとってしまった話題性(発売日に当の日本会議から版元に出版差し止めの申し入れがあったとか、客注を断る書店があったとか)や、すでに大ベストセラーの兆候が見えることなどによるのではなく、この本がどのようにして世に出たか、ひとえにその特異性と新しさによる。

 「はじめに」によれば、著者は一般企業のサラリーマン(しかも「右翼であり保守だと自認」する)だったが、2008年ごろ「変な奴らが世の中で暴れ出しているぞ」と思ったことがきっかけで、ヘイトスピーチやネトウヨのウォッチングを始める。

 そして現場に足を運ぶうちに、彼らの情報源となっているのがごく一部の保守論壇誌だと気づき、以後それらの雑誌を読み漁る。結果行き着いたところが「日本会議」という存在だった。そうして取材の成果をツイッターで呟いていたところ、それが扶桑社の編集者の目に止まり、先のウェブマガジンでの連載となった。

 つまり従来のマスコミやジャーナリズムの手垢が一切ついていない場所で、いわば「普通の市民感覚」から端を発し、どの大手メディアや既存のジャーナリストも為し得ないことをやってしまったのだ。

 その取材方法や分析の手法にも特別なことはない。企業に勤める有能な社会人であれば(誰もと言えば語弊があるが)決して手が届かない距離にあるものではない。

 ただし普通と違うのは、その「あたりまえのこと」を「あたりまえ」として、驚くべき持続力をもってたゆまず続けてきたこと、(そしてこれが最も重要なことだが)取材の結果を十全に読者に伝えうる筆力を、著者が具えていたことである。

 実際、安倍政権の生みの親とも言われ、安倍の有力なブレーンとして知られる日本政策研究センター代表・伊藤哲夫が、30年前には新興宗教集団〈生長の家〉の青年会の幹部であり、「中央教育宣伝部長」という何やら胡乱(うろん)な肩書きで活動していたことや、集団的自衛権が違憲ではないというアリバイ作りのため、政権が推したたった3人の憲法学者のうちのひとり、百地章が日本会議の中枢を担っているだけでなく、その前身である「全日本学生文化会議」という組織の幹部として、これもやはり〈生長の家〉に深くつながる人物であることを暴いていく著者の筆の迫力は、息を呑むばかりだ。

 それにしても、現安倍内閣の閣僚19名のうち、実に16名が属する日本会議という組織のルーツが、全共闘時代に長崎大学で起こった左派と右派の小競り合いにまで遡り、その活動の源泉にあるのは、〈生長の家〉を母体とする右派学生の、左翼に対するルサンチマンだったとは!

 地方を束ねる驚くべき組織力と、動員における事務能力の高さを誇る日本会議。その事務局である日本青年協議会の会長を務める椛島有三が本書を貫くキーマンとなっているが、読みながらこの人は一体どんな人物なのだろう、あるいは仮にこの運動体の中に身を置いたとしたら、その人物にどんな感じを抱くだろうと想像してみた。

 これはある世代にしか通じない譬えかもしれないが、そこにあるのはもしかして、本宮ひろ志の「男一匹ガキ大将」の世界だろうか?

 この漫画、大雑把にいうと、海辺の田舎町から出てきた戸川万吉という不良少年が、全国の悪ガキを束ね、最終的には富士の裾野で天下分け目の大闘争を企てるという筋である。

 果たして村山内閣の「戦後50年決議」で揉めに揉めたとき、「参院のドン」の異名を持つ同志、村上正邦のネクタイを掴んで怒鳴り散らした椛島の頭には、「おんどりゃ〜!」というワッペンのような吹き出しが浮かんでいただろうか。

 否、そうではない。そう思い直したのは、本書の中でも圧巻の第6章「淵源」を読み進めていく途上でのことだった。

 椛島でもない、伊藤でも百地でもない。長年にわたってこの運動体を牽引していくには、マグマのようなエネルギーを秘めたカリスマ的存在が不可欠なはずだと考え、追求した著者がとうとう行き着いた安東巖という人物。〈生長の家〉の天皇である谷口雅春から、唯一その神秘体験を取り上げてベタ褒めされた安東こそが、そのマグマの中心である、という下りを読んで、「これはもう戸川万吉どころではない、カルトの世界ではないか」と戦慄を覚えた。

 実に当時、同じ右派学生のヒーローだった鈴木邦男に“ハニートラップ”を仕掛け、“暗殺”(社会的に、だが)を企てる安東には、まさにカルトとしか言いようのない深い闇を感じてしまうのだ。

 加えて戸川万吉の世界と大きく隔たるのは、日本会議を構成する人々の平均年齢だ。2015年11月に日本会議が主導して武道館で行われた「今こそ憲法改正を! 武道館1万人大会」と称する集会の詳細なレポートが文中出てくるが、きっちり1万人を動員する事務局のマネージメント能力の高さに驚かされる一方、瞠目したのはそこに集った人たちの構成年齢が、ほぼ60代後半から70代前半であるということである。

 つまり、まぎれもなく現政権を動かしているのは「背広を着た老齢なカルトたち」であり、彼らが目指す改憲によって出現するのは、格差に苦しむ貧乏な若者たちが、戦場に駆り出されて殺し殺されるという悲惨な社会なのである。

 想像してみるがいい。

 無惨な姿で戻ってきた若い自衛官の棺をとり囲み、「粛々と」悼んでみせる1万人の老人たちの醜悪さを。彼らのほとんどは戦後生まれの、「戦争を知らない子供たち」だったのである。

 そんな日が来るのは、もしかしたらそう遠くはない、とリアルに感じさせるという意味においても、この本は実にエポックメイキングなのである。


http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/229.html

[政治・選挙・NHK207] 「宗教」と「愛国心」は似ている - 鈴木邦男 --- 自由のない自主憲法よりは、自由がある押し付け憲法を 
マガジン9              2016年05月25日 12:26

「宗教」と「愛国心」は似ている - 鈴木邦男 (BLOGOS)

http://blogos.com/article/176797/

この一週間は旅から旅の一週間だった。政治的な集会が中心だが、何故か〈宗教〉を考えさせられた一週間だった。

 5月15日(日)は、岐阜の護国神社で「大夢館」建設50周年記念大会に出た。5・15事件の三上卓さんに師事した花房東洋氏が三上さんの遺志を継いで「大夢館」をつくり、毎年ここ岐阜でお祭りをやっている。この花房氏とは、僕は50年以上も前からの知り合いだ。共に「生長の家」の活動家だったからだ。
 
 僕は早大生で、赤坂乃木坂にある「生長の家学生道場」にいた。花房氏は飛田給にある「生長の家練成道場」の長期練修生だった。日本の革命を阻止するために宗教者も立ち上がれ、と言われ、一緒に街頭演説、デモなどをした。一緒に勉強会もしたし、訓練もした。その頃、一緒に運動をした「生長の家」の学生が中心になり、ずっと後になって「日本会議」が出来る。菅野完さんの『日本会議の研究』(扶桑社新書)にその辺のことは詳しく書かれている。あまりに詳しいので、日本会議は扶桑社に「回収しろ」と言って、訴訟している。あまりに売れていて、今、どこの本屋にもない。古本屋では10倍の値段がついているという。

 花房氏とは、そんな話もした。今の「生長の家」本部は、政治の世界からは一切、手をひいた。「70年安保」を前にした時代は、世の中が「革命近し」と騒然としていた時代だった。日本という国自体が病んでいる。だから「生長の家」も政治に進出し、「生政連(生長の家政治連合)」をつくり、玉置和郎さんや村上正邦さんなどの政治家を政界に送った。しかし今は、あの騒乱の時代が去って、世の中は落ち着き、平和な時代になった。だから、宗教も元の宗教活動に戻るべきだ。「生長の家」本部では、そう考えて政治の世界からは一切手をひいた。だが、政治的な活動をやり、愛国心に基づいた運動をやってきた人には、もの足りない。それで、「生長の家」創始者・谷口雅春先生の教えに帰ろう、という運動があり、その大会もある。又、各地で「雅春先生の教えに戻ろう」という勉強会も行われている。

 「生長の家」では「70年の危機」を前にし、全国の学生を集めて「全国学協(全国学生自治体連絡協議会)」をつくった。「生長の家」の学生を中心にしながらも、右派的・民族派的な学生を集めて、左翼学生と闘おうとしたのだ。初代の委員長は僕だ。前からこの運動にかかわってきたし、「生長の家学生道場」という35名の実戦部隊を持っている。それと、一番年長だった。そんな理由だけで委員長に選ばれたようだ。だが、この頃はもう左翼学生も壊滅的な打撃を受けていて、ほとんどいなかった。全国学協は左翼と闘うことよりも、他の「似たような」「まぎらわしい」右派学生運動と闘うことが多くなった。さらには全国学協内部でも内ゲバが起きた。その中で、人徳もなく、指導力もない僕は追放された。僕は運動をやりたいが、場がない。郷里の仙台に帰り、本屋の店員をしていた。その時、縁があって産経新聞に入れてくれる人がいた。1970年の春から、再び東京に戻り、新聞社勤務をした。ところが、この年の11月25日、三島事件が起こり、再び運動の世界に引き戻された。昔の運動仲間が集まって新しい運動をやろうと話し合った。僕らは2年後に一水会をつくった。

 三島事件の前からやっていた全国学協は、僕が追放された後も活動を続けていた。「反憲学連(反憲法学生委員会全国連合)」という学生組織が生まれ、「日本青年協議会」という組織も生まれた。全国学協のさらに上の組織だ。そこに残った人々が政治の世界に出て、国会議員や地方議員になり、又、「日本会議」の中の中核メンバーとなる。今、安倍政権を支え、憲法改正への推進役になっているのは、彼らだ。「生長の家」の学生運動をやった仲間、その後輩たちだ。

 岐阜の花房氏は、飛田給を出てからは、5・15事件を主導した三上卓さんに師事する。そして「大夢館」をつくり、それから50年が経ったわけだ。花房氏は精神的にもとても強い人だ。「それは生長の家の教えに触れたからですよ」と言う。普段は、5・15事件や政治の話しかしないが、僕と会うと、50年前の「生長の家」の活動家だった頃に戻る。そんな話ばかりしていた。

 岐阜に行った2日後、5月17日(火)は札幌に行った。札幌時計台ホールで、2カ月に一度、講演とシンポジウムをやっている。この日のゲストは麻原彰晃・三女の松本麗華さんだ。アーチャリーと呼ばれていた。去年、『止まった時計』(講談社)という本を出して、オウム真理教の中で暮らした日々のこと、父のこと、事件のことなどを公開し、書いた。それから、マスコミの取材にも応じているし、トークもしている。しかし、100人以上の人を前にしての講演は初めてだという。「とても1時間なんて話せない」と言う。でも、その場になったら、実に堂々と話している。聞いている人々の心を直につかんで離さない。皆、感動して聞いていた。一緒に来たお姉さんも「うまい、初めて聞いたけど、すごい」と言っていた。

 いろんな場所に出て、考え、努力し、それを乗り越えていく。無限の可能性を持つ人だと思う。それに、生まれた時からオウムにいたし、暴走する教団の中にあって、よく今まで無事だったと思う。その極限の、地獄の体験を今、語る。又、なぜオウムは暴走したのかを考える。さらに、暴走は止められなかったのか。これから宗教はどうあるべきか、などについて話す。僕も感動して、次の一時間はそんな話をした。〈宗教〉はどうあるべきかについて話しながら、宗教は愛国心と似ていると思った。両方とも、心の問題だ。心にしまっておけばいい、その上で、どう行動するかだ。それなのに、今は両方とも、ひけらかし、見せびらかす。又、「この宗教でなければ救われない」「この宗教だけが正しい」と言う。愛国者もそうだ。他人を批判し、他国を罵倒し、そのことによって「俺は愛国者だ!」と豪語する。ちがうだろうと思う。

 そして、5月21日(土)は仙台に行った。高校の同窓会だ。東北学院榴ヶ岡高校だ。僕は一回生だが、今は54回生なんている。学院にいる時は随分と反抗したり、教師と喧嘩した。でも、今になるとキリスト教を勉強できてよかったと思う。世界の文学、音楽、絵画などを理解するには、キリスト教の理解が必要だ。「今はとても感謝しています」と挨拶した。

 翌、5月22日(日)は会津若松に行く。僕を呼んでくれた人たちは、キリスト教に入信している人が多い。それに憲法24条を書いたベアテ・シロタ・ゴードンさんを好きで、会津若松にも2回、来てもらったと言う。だから、ベアテさんつながりで講演した。ベアテさんが来日した時、僕は何度も会っているし、随分と話を聞いた。又、ニューヨークに呼んでもらい、一緒に憲法を考えるシンポジウムに出た。ゆっくり時間をとって話をし、それを本にしましょう、と言っていた。ところが、亡くなられた。残念だ。

 ベアテさんに教わったことは多い。マッカーサーの指示のもと、占領軍のスタッフが日本国憲法の骨子を作った。しかし、アメリカでもできない世界一進んだ、民主的な憲法だったという。又、第二次世界大戦は「最終戦争」だ。もう戦争はない。だから、軍隊のない国をつくるべきだ。その信念で日本の非武装の9条が出来たという。

 いくらいいことをしても、占領中の日本に憲法を押し付けたんじゃないか、と初めは反撥した。しかし、彼らの夢や理想や情熱の一端は分かった。それに比べたら、安倍政権の改憲をしようという人たちには、占領軍のような夢や理想や情熱もない。「昔に戻ろう」という後ろ向きの姿勢だけだ。そのことを会津若松では講演した。愛国心は必要だ。でも「必要だ」「当然だ」という思いだけが強くなると、「じゃ、学校でも教えよう」「教科書にも書こう」「憲法にも書こう」という動きになる。「形」をつくろうとするのが政治家だからだ。でもそうなると、日本人一人ひとりをしばることになる。「心」は心として、心の中で思っていればいい。それを基にして話す、行動するのはいい。だが、宗教や愛国心を正面に出して闘うと、危なくなる。「言論の自由」もおびやかされる。

 「立派な憲法」が出来、愛国心に満ちた国家になっても、個人の自由や人権がおかされるのでは、本末転倒だ。「自由のない自主憲法よりは、自由がある押し付け憲法を」と思うわけだ。

http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/271.html

[政治・選挙・NHK207] 『日本会議の研究』について … 『生長の家』総裁・谷口雅宣氏のブログ「唐松模様」より

コメントも興味深いのでそれぞれのリンクを参照されたし

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http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016/06/post-1b99.html
2016年6月 1日 (水)

『日本会議の研究』について

 5月29日に大阪で行われた生長の家講習会で、私は「運動の変化」について話した。この話題は、講習会のテキストに使っている拙著『宗教はなぜ都会を離れるか?−−世界平和実現のために』(2014年11月刊)の第1章のタイトルと同じである。この本が世に出てからすでに1年半になるから、読者の多くはきっと内容をご存じであろう。生長の家の運動が、創始者、谷口雅春先生の時代から変わってきていることと、その理由について解説しているのが、この第1章である。同じ趣旨の解説は、私が監修した『歴史から何を学ぶか−−平成15年度生長の家教修会の記録』(2004年刊)の中にも書いてあるが、こちらの本は講師を対象にした硬い内容のものなので、あまり多くの人は読んでいられないだろう。 

 生長の家の講習会には、私たちの運動について予備知識をあまりもたない人も参加しているから、普通の場合は、ことさら「運動の変化」を語る必要はないかもしれない。しかし、平成の年号も28年を重ね、運動熱心な幹部の中にも、昭和50年代の後半まで教団を挙げて行われていた激しい政治運動のことを知らない人が増えたことを考えると、宗教と政治の関係の難しさや、両者が密着することの弊害について、生長の家の経験を通してきちんと説明するべき時期に来ていると、私は感じていた。 

『宗教はなぜ……』の第1章は、「宗教運動は時代の制約下にある」という事実を、戦後の44年にわたる“東西冷戦”の時代と、それ以後の変化を対比させながら明らかにした。これは言わば、マクロの(大局的な)視点からの解説だから、どうしても抽象的になった。その主旨をここで概括的に言えば「世界情勢の変化が宗教運動の方向を変えた」ということである。しかし、宗教は日常的には「人の心」というミクロの問題を扱うのである。だから、このミクロの視点からも、宗教と政治が密着することの問題について、私はどこかで具体的に述べる必要を感じていた。 

 もちろん上掲書が、この“ミクロの問題”にまったく触れていないわけではない。例えば、同書の20ページには、政治運動と宗教運動の両立の難しさが、次のように書かれている−− 

「とにかく、生長の家は、このような考えにもとづいて“大日本帝国憲法復元改正”を最終的な目標として、生長の家政治連合(生政連)を結成(1964年)し、政治活動を展開した。しかし、この運動は、生長の家の代表をできるだけ多く政治の舞台に送り出すのが目的だから、日本のどこかで選挙があるたびに、生長の家の信徒は政治運動に駆り出され、真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回ることになる。そのためには新たな資金も人材も時間も必要となり、宗教活動はしだいに政治活動に従属していったのである。そして、国会において生長の家が進めていた優生保護法改正がかなわず、加えて参院選でも生長の家代表候補が落選したことを受けて、1983年7月、生政連の活動は停止され、“今後は教勢拡大にむけて全力をそそぐこと”が決定された。もう30年近くも前のことではあるが、私たちの運動史の中のこの“政治の季節”に体験した高揚感などが忘れられず、その頃の運動に帰りたいと思う人々は、少数だがまだいるようである。」 

 ここにある「真理や信仰を伝えるのではなく、政治目標を説いて回る」という意味は、政治目標達成や選挙運動に力を入れるあまり、何が正しく、何が真理であるかという判断や、個人が抱える苦悩の救済が二の次に回されてしまったという意味である。また、「宗教活動はしだいに政治活動に従属していった」という意味は、教団の組織的活動において、宗教的なもののが後退する一方、政治的なものが優先されるようになったということだ。これは、「政治目標達成のために宗教的情熱が利用される」と表現してもいいかもしれない。宗教運動にとってこのような傾向は決して好ましくないため、第二代総裁の谷口清超先生は、昭和58年に生政連の活動停止を決断されたのだった。 

 ところが、この決定を好ましく思わない人、納得しない人、さらには反対する人も教団内には少なからずいた。それらの人々の中には、自らが好む政治活動に注力するために、潔く教団から離れた人もいた。が、その他の多くの人々の中には、表面は本部の方針に従う振りをしながら、陰では従来通りの政治活動をしたり、政治運動との接触を続けていた者もいたのである。教区の講師の代表である教化部長や、本部の理事(現在は参議)の中にも、このようにして本心を隠したり、“二股を掛ける”生き方を続けてきた人がいたことは、誠に残念である。なぜなら、宗教運動とは信仰運動であり、信仰には誠実さが何よりも必要であるのに、これらの人々は、表と裏を使い分ける不誠実な生き方を長年にわたって続けてきたからである。 

Nihonkaigi  そういう人々が具体的にどんな種類の人であり、宗教の陰でどんな政治活動を続け、何を目標としてきたかは、本部の側からは判然としなかった。ところが最近、生長の家の信仰者ではない一人の著述家が、独自の調査によって、これらを解明する本を出版した。菅野完(すがの・たもつ)氏が書いた『日本会議の研究』(扶桑社新書)が、それである。この本には、かつて生長の家の幹部活動をしていて、今は日本会議が進める政治運動の中枢にいる人が、何人も実名で出てくる。私より年齢が高く、かつ当時の生長の家の運動に関わっていた人々にとっては“懐かしい”話も出てくるが、当時隠されていた“驚くべき”話もある。とにかく、最初は門外漢であったはずの著者が、ここまでよく調べ、よく書いたと感心する。 

 つまり、この本には、私が『宗教はなぜ……』の本でカバーできなかったミクロの事実の多くが解説されている。書かれた内容−−特に教義に関すること−−のすべてが正しいとは言えないが、大きな流れは事実に沿っていると思う。そういう理由もあり、私は大阪で行われた生長の家講習会では、菅野氏の著書を紹介し、興味ある参加者に一読を勧めたのだった。本欄の読者にも、同じことをお勧めする。 

 谷口 雅宣

http://masanobutaniguchi.cocolog-nifty.com/monologue2/2016/06/2-1512.html

2016年6月 9日 (木)

『日本会議の研究』について (2)

 表題の著書を本欄で私が推薦した理由は、もう一つある。それは、7月の参院選に臨んで、現在の安倍晋三首相が率いる強権政治の裏に、何が隠されているかを読者に知ってほしいからだ。もっと端的に言えば、私の伝えたいメッセージは「今回の参院選では、与党に投票しないでほしい」ということである。その理由は、すでに生長の家の公式サイトに掲載された声明文にやや詳しく書かれているから、読者はそれを読んでほしい。 

 が、ここでごく簡単に言えば、これまでの安倍晋三氏の言動から判断すると、彼は私たちの運命を左右する絶大な権力を委託されている一国の長として、信用できないからだ。さらに、表題の書が警鐘を鳴らすように、安倍氏の言動の淵源が日本会議を牛耳る元生長の家の政治運動家の思想にあるとしたならば、安倍氏の個人的資質に加えて、彼の政治基盤そのものが信用できないからだ。 

 私は、安倍晋三氏個人に対して恨みや敵対心などもっていない。だから、彼が日本国の首相ではなく、大臣でもなく、何の役職もない自民党の一政治家であったり、政治評論家であったり、ジャーナリストである場合には、このような文章を公表することはなかっただろう。しかし、現在の安倍氏は、日本国最大の権力者として、国会における単独過半数の議席の勢いを得て、あってはならない憲法の“解釈改憲”を実際に行い、政治の監視役であるジャーナリズムに圧力を加え、日本の将来を担う青少年の価値観を左右する教科書の選定に介入してきた。このような言動の原因が、冷戦時代に生長の家が掲げた政治思想に頑なにしがみつく元幹部の“功績”にあるとしたならば、私は現在の生長の家の責任者として、「その道は、宗教的にも政治的にも間違っている」と声を大にして訴える責任を感じるのである。 

 日本は自由主義、民主主義の政体を選んで1世紀以上たち、その間には多少の紆余曲折はあったにせよ、これらの価値観と理想から退くのではなく、その実現に向かって前進する方向に歩み続け、今日にいたっている。この現代史の歩みの中では、わが国のみならず、世界中の多くの人々が、政治権力による弾圧や拷問、自由の剥奪、民族浄化、そして戦争などの犠牲になって死んでいった。また、自由主義・民主主義を採用していない一部の国家や地域では、現在も政治権力による弾圧や拷問、自由の剥奪、民族浄化などが行われている。人類全体が、多大な犠牲を払い、痛恨の念とともに歩んできたこの歴史の道程を軽視し、表面は美辞麗句を並べて国民を欺きながら、本心では自分たちの都合に合わせて歴史逆転を図る種類の人物がもし存在し、その人物が今の政権中枢に存在するというならば、私はこれまでの“政治への寡黙”を排して、言うべきことは言おうと思う。 

 読者に改めて問いかけよう。安倍首相とその側近の人々は、まず「誠実」であるだろうか? 政治家が「誠実」と言われるためには、言行一致が必要である。民主主義の制度下では、政治は議会(国会)を通じて行われる。議会は、様々な考えの人々が国民の代表として集まり、「言葉」を使って議論を戦わせる。だから、政治家の誠実さの指標としては、まず彼らの口から出る言葉が、事実を述べ、隠し立てがなく、論理的に整合しているかを見る必要がある。 

 この点について、6月3日の『朝日新聞』の投書欄から引用する−− 

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 「新しい判断」? 言葉軽すぎる 

 安倍晋三首相は、消費増税の再延期を発表しました。延期の是非は別として、“新しい判断”を理由に以前の約束をほごにすることなど、子どもでもしないでしょう。一国の首相の言葉がこんなに軽くていいのでしょうか。 

 ここ数年、安倍首相の言葉を聞くたびに不信感が募ります。 

  例えば、2013年の五輪招致のプレゼンテーションでは、福島第一原発の汚染水について「アンダー・コントロール」と言い切りました。しかし、コントロールにはほど遠い現状です。 

  14年11月には、消費増税について「再び延期することはないと断言する。確実に引き上げていく」と述べていました。 

 一方、安倍首相は昨年の国会で、テロ対策に関連して「国民の命、安全を守ることは政府の責任であり、その最高責任者は私だ」と語りました。私は自分の命と安全を預けることはできません。 

  間もなく参院選。私たちは、政治家の言葉に、より一層、耳を傾けます。首相の言葉の空しさを反面教師として、真実が語られているのか、ごまかされていないか、国民のための言葉なのかを聞き分けていきたいと思います。 

                     主婦 清水芳枝 (神奈川県、65) 

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 世の中には、「政治家は必ずしも誠実でなくていい」という考えの人も少なくないことを、私は知っている。現在の中国や北朝鮮には、誠実でない政治家はいくらでもいるだろう。また、戦前の日本にもそんな政治家は沢山いたであろう。しかし、民主主義という政治の仕組みを真面目に考えるならば、政治家の基本的資質として「誠実さ」が求められることは、当然である。逆に言えば、国民の代表として選挙で選ばれた政治家がウソつきであった場合、彼または彼女はどうやって「民主」を実現するのだろうか? もちろん、選挙前の公約が、選挙後に守られないことは珍しくない。しかしそれは、政治家が初めからやる気がないことを公約したというよりは、実行困難なことを知りながらも、自分の政治家としての目標や、実現したい政策を述べたと考えるべきだろう。だから、選挙で議員となった政治家は、選挙前の公約と逆方向の政策を自ら推進することはできないはずだ。(もちろん、例外的な人もいるが、その人は「政治家」の名に値しない。) 

 しかし、安倍首相には、そういう民主主義下の政治家としてのあるべき資質が、欠けているように見受けられる。自らの権力維持と政策実現のためには、国家の財政破綻や社会保障費の不足はやむを得ないと考えているフシがある。消費増税の延期をいとも簡単に、しかも薄弱な根拠のもとに宣言してしまった。10%への消費増税は、政党間の正式合意であり、法律にも定められた政策である。これを、「リーマンショック並の経済危機が来ないかぎり実施する」と言っていたかと思うと、G7の首脳会議で賛同を得たという口実を使って「リーマンショック並の経済危機が来ないように延期する」と、あっさり掌を返してしまったのである。この2つの言葉をよく読み比べてほしい。後者では、「前者の条件にならないように増税しない」と言っているのだから、今現在は、日本経済は前者の条件が満たされていないことを自ら認めているのである。これが安倍首相の言う“新しい判断”であるから、その内実はウソでなければ、いったい何をウソと言うべきだろうか? 

 このように簡単に国民を欺く人物が、わが国の首相であることを私は容認することができない。この人物が、日本の陸・海・空の自衛隊の最高司令官であることを思い起こすとき、戦前・戦中の軍部の独走の結果が脳裏をよぎり、日本国の将来――いや、今現在の日本の外交・防衛政策の危機が来ていると考えざるをえないのである。 

 谷口 雅宣


http://www.asyura2.com/16/senkyo207/msg/607.html

[政治・選挙・NHK208] 日本会議は「肉まん」のような二重構造!:べストセラー『日本会議の研究』著者に聞く その怖さと強さの秘密 (しらべぇ)

ベストセラー『日本会議の研究』著者に聞く その怖さと強さの秘密
http://sirabee.com/2016/07/06/140133/

2016/07/06/ 06:00

「日本会議」という団体をご存知だろうか?

安倍政権の閣僚のうちおよそ8割がその影響下にあるだけでなく、「日本会議議員懇談会」という議員連盟を通じて与野党を問わず300名近い政治家に食い込む「日本最大の右翼団体」だ。

しかし、一部の週刊誌などをのぞき、その活動や実態が大手メディアに取り上げられることは多くない。


■その実態に迫るルポルタージュが話題に

そんな中、今年4月に出版された新書『日本会議の研究』が、話題を呼んでいる。すでに5刷、14万6千部を出版するベストセラーだ。

著者である菅野完氏(42)は、2013年に著書『保守の本分』を上梓し、自ら保守派・右翼を自認する。一方で、かつてはヘイトスピーチへのカウンター勢力「しばき隊」としても活動を行なっていた。

「日本最大の右翼団体」とはいえ、会員数は3万8千人ほどの組織が、なぜ政権や議員たちに強い影響力を持っているのか。しらべぇ取材班は、菅野氏に話を聞いた。

■日本会議は「肉まん」のような二重構造

菅野:日本会議、その中核である日本青年協議会や安倍政権のブレーンでもある伊藤哲夫氏が率いる日本政策研究センターは、1960〜70年代に名を馳せた、新興宗教「生長の家」学生運動を源流としています。

生長の家はGHQによる占領期が終わった後あたりから、活発な政治運動を展開します。その過程で、70年安保の時代に勃興した左翼学生運動に対抗すべく「生長の家学生運動」が組織されます。

玉置和郎や村上正邦など、有力な政治家を輩出するまでになった生長の家の政治運動ですが、その絶頂期とも言える1983年に教団の路線変更から、突如、終焉を迎えます。

しかし、教団の意に反し、その後も「生長の家政治運動」を諦めなかった分派がいた。その人たちが今の日本会議の中心的なメンバーです。

この集団は、昭和憲法を否定するあまり「改憲」ではなく「反憲」をテーゼとしているだけでなく、個人崇拝の傾向があるなど、かなりカルト的な性質を持っている。

これが肉まんでいう「肉」だとすると、そのまわりに佛所護念会教団や崇教真光、神道政治連盟などが集まって「餡」となっています。


菅野:「肉」の部分は過去50年変わっていない、もしくは若干縮小しているくらい。餡を取り巻く「皮」の部分が、いわゆるネトウヨ(ネット右翼)など有象無象の人たち。

メディアの責任もありますが、拡大しているのはこの皮のところ。ネトウヨだけでなく、ごく常識的に見える普通のおじさん・おばさんも含まれている。

■思想の左右より「おっさんメンタリティ」が強さの秘密

菅野:日本会議が展開してきた活動は、大きく分けて、「天皇陛下御在位20年奉祝運動」や「海上自衛隊掃海艇部隊激励運動」などの「奉祝運動」と、何らかの法律や条例を作ろうという「法制化運動」の2つに分けられます。

後者の「法制化運動」で彼らが今でも「成功事例」として固執するのは79年に法制化を実現した「元号法制化運動」です。しかし、それ以降の法制化運動はむしろ「自分たちの主張と反する内容の法制化運動に反対する」ものばかり。

その対象を見てみると、男女共同参画社会や選択的夫婦別姓、子供の権利条約といった、いわゆる「女子供の権利拡大」への反対なんです。つまり、「女や子供は黙ってろ」というミソジニー(女性嫌悪)やマチズモ(男性優位主義)が根底にある。

こうした、「権利を主張する女性への嫌悪」や「女子供は黙ってろ」という態度は、「日本のおっさん」のメンタリティそのもの。これは思想的陣営にかかわらず、日本社会に根深く浸透しています。メディアもその例外ではありません。

日本会議が打ち出すテーゼは、日本人の心に深く根ざしているものを、代表してしまっているんですね。

■初当選から日本会議べったりの安倍首相

菅野:安倍首相の著書といえば、2006年に出された『美しい国へ』がよく知られていますが、じつはその元となった初の著書が1996年、安倍氏にとって2回目となる総選挙の公示日に出版されています。

    栗本慎一郎氏、そして、「日本青年協議会」の幹部でもある衛藤晟一参院議員と    の共著で、『保守革命宣言〜アンチリベラルへの選択』。

この本の奥付には、先述した「日本政策研究センター」の名が記されている。安倍首相の議員人生には、ずっと日本会議周囲の人脈が併走していると言っていい。

こんな総理大臣は、これまでにいません。自民党が野党時代の2012年に発表した「憲法改正草案」も、日本会議の主張そのものです。


■ミソジニーとマチズモが憲法草案の怖さを他人ごとにする

菅野:日本会議が「9条改訂」よりも優先しているのは、自民党草案でいう99条「緊急事態条項」と24条「家族条項の追加」です。

これには、「非常時には女子供は黙ってろ」「自立した男女の意思ではなく家族が優先だ」といった女性嫌悪の思想が垣間見える。

日本国憲法で規定されている「国民の義務」は、勤労・納税・教育の3つ。しかし、自民党草案には30以上の義務が記されていて「憲法は国民が権力を縛るためのもの」という立憲主義に反しています。

米国やドイツの憲法は、たしかに何度も改正・修正されていますが、「権力の制限と権利の拡大」という方向性は一貫している。

自らの権利が抑制される危険性があるにもかかわらず、ネトウヨや普通のおじさん・おばさんが自民党憲法草案やその背景にある日本会議の憲法観を恐れないのは、「権利を主張する女子供を黙らせられるなら大歓迎だ」というミソジニーとマチズモがあるからではないでしょうか。

また、「改憲と言えば9条を狙ってくるに違いない」と思い込んでいる頑迷な左派陣営も同じです。思い込みを排除して自民党や日本会議の言ってることを見れば、9条が狙いじゃないのがわかるはず。

しかし「女性の権利が脅かされようとしている」「連中が狙っているのは人権そのもの」という点にいつまでも気付けないのは、左派も頑迷なまでにミソジニーとマチズモに染まっているためでしょう。

■国民は「改憲」とどう向き合うべきか?

菅野:今度の選挙によって与党を中心とした改憲勢力が参議院の2/3を占めた場合、衆議院ではすでに2/3を確保しているので、憲法改正の発議をすることができます。

その結果、おそらく日本会議の影響が強い自民党草案を中心とした議論になる。

それをよしとしない人たちが立ち向かうとしたら、もはや「路上での反抗」しか手段がないと思う。「路上がいい」んじゃない。メディアがこの問題を正面から取り上げないので、「最後のメディア」が「路上」だ、ということです。

・合わせて読みたい→漫画雑誌スピリッツ「日本国憲法」を付録を読んでみた

・参考:『日本会議の研究』(扶桑社新書)

(取材・文/しらべぇ編集部・盛山盛夫)



http://www.asyura2.com/16/senkyo208/msg/920.html

[政治・選挙・NHK209] いとしこいし的2016参議院選挙 (菅野完 個人サイト)
いとしこいし的2016参議院選挙 http://www.sugano.ne.jp/2016/7/6

「あのぉこないだ孫の敬老会に行ったんやけどね」
「孫の敬老会ちゅうようなもんが、あるんかい」
「いやあの、敬老会やなしに、戦友会」
「物騒な話になったな 孫が戦争に行ったんかい」
「ああ。戦友会やのうて、運動会」
「すっと言え!すっと!」
「で、運動会でね、うちの孫がね、都構想を走っとりましたんや」
「えらいもんやな。あんなもん、走るんか」
「いや、都構想やのうて、徒競走ね」
「君は一回なんか挟まんといかんのか」
「そしたら孫が、ゴールの手間でこけましてな」
「おうおう。かわいそうに」
「みたら、もう、膝すりむいて、血がドーッと出て」
「あらあらかわいそうに」
「傷口みたらグチュチグちゅや。」
「えらいこっちゃがな」
「傷口がグチュグチュしてるので思い出したけどね」
「なんや?」
「君とこの奥さん、元気かいな?」
「アホなこといいな!」
「まあそやけどね。運動会ってのはええもんですな」
「そやね。赤勝て!白勝て!ってね。僕ら子供の頃はえらい盛り上がった」
「家族が総出で盛り上がってね」
「弁当持ってね。むしろ引いて」
「最近の運動会、あない盛り上がりませんねん」
「なんでや?」
「子供の数が少ない」
「なるほどな」
「子供の数が少ないから競争にならんのです」
「君、たまにはまともなことを言うな。盛り上がらんと言えば、今の選挙も盛り上がらんね」
「あれ?今、選挙してますのん?」
「何いうとんねん君。アベノミックスや 経済や、テレビで言うとるやろ」
「アベノミックスてなんですのん?」
「アベノミックスちゅうのんはぁ。。。あのなぁ ちゃんと新聞読め。安倍総理の、経済政策や」
「ああ。あれ経済政策ですか。私また、阿倍野の駅前でミックスジュース飲むことかとおもてました」
「アホなこといいな!その経済政策が今、選挙でとわれとるわけや」
「へぇ。経済政策ね」
「そやで。何をしようとするにしても、まずは、経済やらんとな。安倍さんはそこらへんがしっかりしとる。いつでも経済優先や」
「そやけど、今朝の新聞読んだら、憲法改正憲法改正って書いてありましたで?」
「そや、憲法改正も大事な話や」
「誰が言うてはりますのん?憲法改正って?」
「安倍さんが言うてはるんや。憲法変えるって」
「ちょっと待って」
「なんや?」
「君さっき、『安倍さんは経済優先や!』言うてましたな?」
「うん。言うた」
「そやけど、憲法改正もしますんやろ?」
「そやで?」
「そしたら、どっちが先ですのん?経済?憲法?」
「。。。。」
「いや、わからんからお尋ねしてますのよ」
「そ、そりゃ、経済やがな」
「そしたら、経済政策のついでに、憲法やりますのん?」
「そういうことになるな」
「ほな憲法は、ついでですか?」
「ついでっちゅーこともないけどな」
「ほな憲法がついでやなかったら、経済がついでですか?」
「いや、経済が優先や」
「やっぱり憲法はついでや。ついでで憲法改正して、暇なときに憲法の話ししまんのんか?そんなもんでええんでっか?」
「いや、そりゃ君、物は言い様やないか」
「あきません。そこははっきりしてもらわな困る」
「珍しい。えらいはっきりと話するようになったな」
「そりゃそうでんがな。憲法やるんか経済やるんか、はっきりしてもらわんと」
「なんでそない困るや?」
「ついでついでのええ加減な気持ちで、憲法改正なんかやられると」
「どないなんねん?」

「孫の戦友会いかんといかんようになる」

http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/220.html

[政治・選挙・NHK209] 若い頃、選挙に行かなかったことを後悔する (平野啓一郎 ) ポリタス
『若い頃、選挙に行かなかったことを後悔する』

2016年7月10日
http://politas.jp/features/10/article/514

若者に、選挙に行けと促す中高年の少なからぬ人たちが――私も含めて――自分の過去は棚に上げている。大学生だった頃、お前たちは、言うほどそんなに投票所に足を運んでいたのか?

正直に告白すると、私は、否、だった。

理由は非常にお粗末なもので、面倒くさいだとか、無関心だとか、政治不信、政治家不信など、大体、そんなようなことだった。私だけでなく、選挙に毎回行ってるなどという友人は、今の言葉で言うなら「意識高い」系の、どちらかというと変わり者扱いだった。

私はそのことを反省しつつ、どうしてそうなのだろうかと、最近よく考える。言いわけのためではなく、その背景にある問題を放置していては、結局、いつまで経っても、若者の投票率は上がらないからである。

そもそも、東京にいると、国会議事堂も目に見えて存在しており、テレビや新聞を通じて知る政治というものを、身近に感じる機会もあるが、十代まで地方で育つと、なかなかそうはいかない。

私は、北九州の出身だが、政治家というのは、地元の盆踊りだの、運動会だのといった集いに顔を出しては、エラそうなような、腰が低いような、愛想がいいような、笑顔が強張っているような、独特の態度で、支援者たちと挨拶を交わしている人、という程度の印象だった。

小中学校、高校と、それぞれに政治家の子供や親戚、あるいは、親がどこそこの政治家と親しいという友人たちがいたが、一体どこの党で、何をしている人なのかといった話は、ほとんど出なかった。あまり詳しく訊くべきではないという雰囲気も、幾分あったように思う。

選挙で目にするのも、連日大声で名前を連呼する選挙カーくらいで、政策云々についてはまったく無知だった。テレビで見るような政治家が応援演説に来れば、「有名人」が来た、というような感覚で、握手してくれれば、「有名人」が握手してくれた、という体験となった。

私の家族は、選挙には必ず行っていて、特に戦争世代の祖母は「国民の権利」として、決して棄権しなかった。それでも、普段から、食卓で頻繁に政治問題について議論を交わすというような家庭ではなかった。

大学に進学して京都に転居してからは、法学部だっただけに、さすがにもっと政治に関心のある友人もいたが、今度は地元でないだけに、話が政策的な問題へと一気に飛躍し、政党については詳しくなったものの、個々の政治家となると、むしろ、地元にいた頃より遠くなってしまった。あの人は信用出来る、出来ない、といった土地の人間ならではの会話から、京都で選挙権を得た私は、切り離されていた。積極的に聞こうともしていなかった。私だけでなく、極端な話、今でも投票所に行くまで、支持政党は決めていても、候補者の名前は知らないという有権者も、少なからずいることだろう。

人ではなく、政策で選ぶべきだというのは、二大政党制が目指されていた時期には、随分と語られたが、その後、選挙の度に出現する何とかチルドレンを見ていると、やはり、人を見ないことには話にならないと強く思う。

学生の政治意識が高まらないのは、ひとつには、消費税以外の税金を多くの者が納めていないからだろう。

有権者になる年齢とは、なるほど、他方では就職を考える年齢でもある。しかし、たとえ社会に対してありあまるほど不満があり、自分の生活に苦しさを感じていても、そういう年齢でまず考えることは、仕事を通じて世の中を変えたい、自己表現したい、あるいは生活の苦境を脱したいということであり、政治に期待するというのは、どこか、雲を掴むような話である。その仕事をするということこそが、実のところ、政治とは切っても切れない関係にあるということに気がつくのは、もう「若者」とも呼べない年齢になってからだろう。尤も、それに気づかないままの人もいて、例えば、現在のSEALDsの活動に対しても、そんなことしている暇があるなら、自分の仕事の心配でもしろと、揶揄する向きもあるが。

私の経験した十代の頃とは時代も違えば、選挙制度も違う。しかし、今の若者の低投票率の背景を想像してみるに、状況的には似たり寄ったりではないかと思う。政治への無関心もさることながら、政治家への無関心も同様に根深い。この二つは、切り離しては語ることが出来ないだろう。そして、普段からこの状況を改善する取り組みが行われていなければ、選挙の度に唐突に政治に関心を持てと言っても、効果は限定的に違いない。

18歳から選挙権が与えられることになった今、学校教育でどのように政治を教えていくべきか? しばしば話題に上る話だが、私の時代にも添え物的な扱いだった「倫理・政経」のような科目の時間を増やして、憲法や政治を思想史的な根本のところからもっと学ばせるべきだと思う。ホッブズやロックが考えた「自然状態」とはどんなものだったのか、という想像は、近代の政治システムを考える上で、やはり不可欠ではないか。その上で、やはり、政治的な問題を討論する時間を作り、発言を求め、思考を促すべきだろう。テーマは、夫婦別姓や原発再稼働の是非、政治権力と表現の自由、差別、経済格差、少子高齢化など、出来るだけ「大問題」を論じた方がいい。そうしたテーマは、教室に一種の対立をもたらす可能性があるが、議論は議論として、感情的なしこりを残さずに行う術を学ぶ必要もある。さもなくば、ネットで匿名の罵声を浴びせるくらいしか、意見表明の術を知らない人間になってしまう。それこそ、「学校に政治を持ち込むな!」と、クレームを言ってくる父母もいるだろうし、政治の圧力もあるだろうが、選挙権を得れば、現に国政に影響を及ぼすことになる未成年に対しては、必要な教育であると、明快に説明すべきだろう。

重要なのは、テーマとなっている問題についてよく調べ、自分の頭でよく考え、相手の意見に耳を傾けることである。

今日では、私の十代の頃とは違って、ネット上にも玉成混淆ながら豊富な情報がある。SNSなどを活用している人は、社会問題などについて、気負わず発言した方がいいだろう。いつもそんな話ばかりでは疲れるだろうが、昼食で食べたウマいトンカツの写真と、基本的人権さえ否定するような政治家を批判するツイートとが、混ざり合ってTLに上がってくるのが、普通の大人であってほしい。

もしそうして、普段から自分の今いる社会について考える機会が与えられていれば、個々の政策を通じて政治にアクセスすることが可能になる。地元の候補者のうち、自分は一体、誰と考えが近いのか? ツイッターやラインだったら、誰をフォローしたいと思うか。ネット上には、候補者と自分の考えとのマッチングをサポートしてくれるようなサイトもある。

投票は、世の中を変えるだけでなく、自らを、政治的に主体化する経験でもある。それなくしては、自分に対しても他人に対しても、政治への口出しは説得力を欠くだろう。いずれにせよ、我々は民主主義国家の国民であるのだから。

その上で、やはり、今回の参議院選挙には、どうしても投票所に足を運んでもらいたい。幾つかある選挙のどれかに行かなかったというのではなく、この選挙に行かなかったということが、将来、非常に大きな後悔となることが目に見えているからである。

今回の選挙でまず見るべきは、経済から安全保障に至るまでの現政権の実績だろう。そのために行ってきた政府による報道機関への圧力など、投票の際の判断の根拠は幾つもあり、私の評価は非常に低いが、それと併せて重要なのは、首相自らがこれまで何度も明言していて、この選挙ではひたすら隠蔽している「現政権下での改憲」の是非である。これに賛同出来ないのであれば、野党に投票するより他はない。野党を積極的に支持できないとしても、阻止するためには、そうする以外に方法はないのである。

少し昔話になるが、1997年の終戦記念日に、まだ故筑紫哲也氏がキャスターを務めていた「ニュース23」で、「ぼくたちの戦争'97」と題する企画が持たれ、高校生がスタジオで討論をしていた。その時、参加者の一人が、こんな疑問を口にした。


「なぜ人を殺してはいけないんですか?」

この問いに、スタジオにいた者たちは絶句し、うまく答えることが出来ず、そのことまでをも含めて、その後大きな話題となった。私にとっても非常に印象的な放送で、後に拙著『決壊』には、これを模した場面を挿入した。

この少年の発した問いは、恒常的なニヒリズムに見舞われている今日の我々には、痛烈なところがあり、その後、多くの者が、これに対して倫理的、思想的、あるいは宗教的な見地から、応答しようと試みていた。しかし、そのいずれもが、万人に納得のゆくものではなく、たとえば、「自分が殺されることを想像してみろ。」という、最も常識的な答えでさえ、むしろ死刑になりたいがために通り魔殺人を犯したり、自爆テロを行うような人間に対しては、無力だとの印象を禁じ得ない。

この時もし、「そんなの、法律で禁じられてるからに決まっているだろう!」と言った人がいたとしたなら、恐らくはその浅さの故に、あまり感心はされなかっただろう。ところが、我々が今日、考えてみるべきは、まさにそのことなのである。

法律は勿論、憲法に基づいて制定されている。一体、憲法は、我々全員が殺人の禁止に合意しているからこそ、基本的人権の尊重を定めているのだろうか? それとも、いかなる理由を持ち出そうとも、全員が合意するということは不可能であるが故に、敢えてこれを定めているのだろうか?

日常というものは、私たちになかなか、法秩序の存在を意識させない。とりわけ、十代の若者にとっては、万引きだとか、ケンカだとか、あるいは原付バイクのスピードの出し過ぎだとか、そんなようなことで、法律違反をした時にだけ、わずかにその一端に触れた感触をもたらすだけである。

しかし、実のところ、ふと思い立ってコンビニに向かう途中で、誰からも殺されなかったという日常は、人間性にまつわる思想的、宗教的理由もさることながら、最低限のところでは、やはり、立憲主義に基づく法秩序が安定的に実現しているのである。そして、その法秩序を維持してきたのは、過去から現在に至るまでの有権者たちである。自発的に信号待ちするのも、その間に、突然、警察から不当に逮捕されたり、撃たれたりすることがなかったのも同様である。もしそうした事態が生じた時に、個々人の人権を尊重してくれるのもまた法秩序である。

シリアやイラク、あるいは南スーダンなどでは、実際に、そんな日常が全く保証されていない場所が存在している。日本の自衛隊とて、国連PKOとして派遣され、「戦時国際法/国際人道法上、合法的な紛争の当事者」となれば、当然に殺し、殺されるわけで、しかもその際に、戦闘員ならばまだしも、自衛隊員が民間人を殺してしまえば、現在の日本では、刑法の国外犯規定により、個人的な殺人として裁かれることになる、というのが、伊勢ア賢治さんが熱心に議論している問題である。

この時、「なぜ人を殺してはいけないんですか?」「法律で禁じられているからに決まっているだろう!」という浅いやりとりは、この問題の核心に於いて議論されることとなる。

私たちは、この国の法秩序をどのようなものであると考えるべきなのか? それは、私たちの日常がどうあってほしいか、ということに直結している。

政治には、なるほど、正負両面がある。政府は、政治権力を正しく用い、悪用してはならない。決して、正しいこともするから、負の面も我慢しろであってはならないのである。立憲主義とは、そうした権力の乱用を防ぐための前提である。

自民党の改憲草案にもう一度、目を通して欲しい。その危険性の解説は、既に様々な論者によって指摘されている。取り分け、真っ先に取り組む予定であるとされる「緊急事態条項」は必見である。

自分はなぜ今、こんな日常を生きているのか? その実存的な問いから、政治と法について考え、是非、投票所に足を運んでもらいたい。

著者プロフィール

平野啓一郎
ひらの・けいいちろう

小説家

1975年愛知県生。京都大学法学部卒。1999年在学中に文芸誌「新潮」に投稿した『日蝕』により第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、各国で翻訳紹介されている。著書は『葬送』、『滴り落ちる時計たちの波紋』、『決壊』、『ド-ン』、『かたちだけの愛』、『空白を満たしなさい』、『モノローグ(エッセイ集)』、『ディアローグ(対談集)』、新書『私とは何か 「個人」から「分人」へ』など。近著は、作品集『透明な迷宮』、エッセイ&対談集『「生命力」の行方〜変わりゆく世界と分人主義』。
ブログ:http://keiichirohirano.hatenablog.com/
Twitter:@hiranok


http://www.asyura2.com/16/senkyo209/msg/282.html

[政治・選挙・NHK209] ツイッターフォロワー数候補者中ダントツ1位! 〈都知事選2016〉上杉隆候補 街頭演説第一声 書き起こし (ポリタス)

【都知事選2016】上杉隆候補 街頭演説第一声 書き起こし

http://politas.jp/features/10/article/524

ポリタス編集部
2016年7月15日


7月14日に高田馬場で行われた上杉隆候補の街頭演説第一声の書き起こしです。

ニコニコ生放送:http://live.nicovideo.jp/watch/lv269530356#13:44


高田馬場に帰ってまいりました、東京都知事候補の上杉隆です。

あんまり、大きい声でやるのは趣味ではないので、声を張り上げるのはやめようと思っていたんですが、雨で聞こえないのでやらせていただきます。

東京都知事に立候補して、この場に最初に第一声としてやらせていただくということで、天候にも恵まれ、みなさんもとても心地よい気分で、これから私の東京への思いを聞いてもらえると、思うと感無量です。

地元高田馬場、新宿で育ち、そして、いまこのようなかたちで自分の地元の故郷・東京のために、何かできるかということでやってまいりました。

私は新宿に引っ越してきたのは、小学校3年生の時。父が病気で、それまで住んでいた杉並区の家に住むほどのお金もなくなり、都営アパート、こっからもう2キロくらいですかね、新宿の都営アパートに家族揃って引っ越してきました。それでも病気になった父は……聞こえませんねぇ。病気になった父は、会社を休まざるを得なくなり、その後生活保護を受けるというところまで家計は厳しくなりました。そのときに、陳情というのも変ですけど、助けていただいたのは実は、共産党の議員の先生です。それで、中学校3年行きまして、妹弟もいますが、中学校を出て、父の方針でもあるんですが、家を出され、生活費をアルバイトで稼ぎながら、この高田馬場でいろいろ仕事をしたり、アルバイトをしたりして、生きてきました。

高校は東京都立広尾高校に行くのですが、当然ながら授業料も払えない。自ら生活費をアルバイトで――無くなったかな?あそこのカラオケ屋もそうですが、さまざまなところで働き、そして、都の奨学金を頂戴して、いま、それを卒業し、大学に行くということができたわけです。

いろんな偉そうなことを、その後いろいろ言っていますが、この故郷高田馬場がなくて、そして、東京都がなければ、いまの私はいないわけです。ですから、その東京への思いというのは誰よりも強く、いつか機会があったら恩返しをしようかと、こういうふうに思ってました。その恩返しの場と、どういうものがあるのか、ということを考えて、その後、17年に渡るジャーナリスト生活を送ってきました。地元、文京区、隣ですけど、今度は東京の選出の鳩山邦夫さんの事務所に入り、秘書として働き始めたのが、若いころです。20代後半。

そのなかでさまざまなことを学び、国会などの仕事をしている最中に、その父が亡くなりました。母も含めて、妹弟と、長い生活を、病気の生活もありましたが、父が亡くなった時に葬式を出していただいたのが、鳩山邦夫さんと、鳩山家と、そして、いまこの地元高田馬場のマルシメ文具店のオーナーの杉森さん。そしてその地元の仲間たちが葬式を出し、最後父を見送ってくれた。その鳩山さんが、東京都知事選に99年に出て、少しばかり時代の早かった環境政策を打ち立て、東京都知事選に東京ビジョンとして出馬をしたのですが、石原慎太郎さんに接戦で敗れ、負けました。そのときの政策というのは、いま考えてみると、本当に東京がいい街で生きるにあたっては、多様性を持った大事な政策だった。チョウチョが跳ぶような都市、これは馬鹿にされたんですがいま考えてみると、いま考えると生態系のビオトープの発想、そういうこともあります。その夢を、先々月、政治の師である鳩山さんが、命を落とし、亡くなり、家族、鳩山家のみなさんと一緒に寝ずの番をしたり、あるいは、棺を担いだりしながら、ジャーナリストとしてやってきた17年間、これはもう十分お返ししただろうと。さまざまな形で多様性のある言論空間を提供すると、いうことで、私自身やってきたことはもう十分お返ししたということを判断して、次は何ができるのか。次に自分がやることは何だ。父は60で亡くなりました。鳩山さんは67。私自身48ですが、60代まで生きたとしても、あと数十年間で何ができるか。これを考えたときに東京都知事選というのが、ちょうど始まるかたちでした。

これまで都知事選には7回、取材記者として、あるいは秘書として、あるいは選対の設置者として関わってきました。今回も準備をしているなか、さまざまな候補の名前が上がっては消え、上がっては消え、また上がっては消え、やっているなか、どの候補も本当に東京のことを思っているのか。本当に心から東京を知っていて、問題点を把握しているのか。そして、その東京をきちんと解決するための、問題点を解決するための方法論を持っているのか。見渡したところ、あまり見当たりませんでした。ならば、このお世話になった東京、この東京に、恩返しをするのはいまじゃないか。

もう東京都知事選の選考を見ていても、やれ自民党の公認は誰だ、やれ統一候補は誰だ、やれ野党は誰だ。政策1つも答えられないで、政策を1つも語らずに、単なる、東京ではなくて、知名度という、そういうものだけで選んでいる姿を見て、疑問に思ったわけです。東京は自民党のものではない。民進党のものでもない。公明党のものでもなければ、共産党のものでもない。ましてや、そういった組織や団体のものでもなく、あるいは、日々流れているテレビ局の選考で決められるものでもない。東京は、皆さん都民のものです。なんで都民のものの東京を、一部の組織や、一部の利害関係で、勝手にそのトップを決めるのか。それはおかしいじゃないか。

かつての都知事選は違いました。99年、お師匠さんの鳩山邦夫さんが出たとき、石原慎太郎さんと舛添要一さん、三上満さん、ミツマンですね、柿澤弘治さん、そういう人達が出たときは、財政再建団体転落寸前の東京をなんとか救おうと思って、みんな朝から晩まで議論を交わし、そして、石原慎太郎さんを選んだわけです、都民は。その後もそうです。さまざまな東京の問題が起こるたびに、真剣に話して考えた。石原さんの前は青島さんでした。その前は鈴木俊一さん、そしてその前は美濃部亮吉さん、その前は東竜太郎さん、そして初代安井誠一郎さん。みんな東京を、トップを決めるときにまともな政策論議をして、何をすべきか、この人と一緒にどういうチームを組むか、と話したのに、今回の都知事選は、なんですかこれは。自民がどうのこうの、野党がどうのこうの、繰り返すように、東京は政党のものでもなければ、メディアのものでもない。都民のものです。そうした時に私自身は、ちょっとおかしいんじゃないか、ちゃんと真面目にやろうよ、そういうふうに考えたんです。

もともと政策を持っていました。たくさんの知恵あります。17年間での取材経験などを活かして、財源の在りか、そして何かの問題があるか、その問題点の解決方法というのをすぐに提示できます。これを話しだすと、この雨のなか、みなさんはあと5時間くらい立ってなくちゃいけない。5時間くらい。大丈夫ですか、ダメですか。

簡単に言うと、財源はどこだ、3200億円の財源。これ年間3200億円が東京都民の皆さんが払った税金が地方に流れるんです。そういうのを、一回、オリンピックまで凍結するとかするとか、さまざまなアイデアがあります。

そして、喫緊の課題があるんです、東京は。まず、今後30年間で70%の確率で起こる直下型地震。これは、必ず起こる。そして、東京湾北部でマグニチュード7以上で起これば、死者が9700人。これは東京都が算出したおそらく一番少ない数字です。9700人の命が奪われることを前提に政治行政が――政治行政がですよ、都民が死ぬことを前提に統計出すのはおかしいでしょう。ゼロっていうのが普通なんです。私はゼロにする方法を少なくとも、ある程度知っています。単純ではないです、自然災害ですから。ただ、そのゼロ。たとえば、昨年舛添知事が配った東京災害という黄色いパックありますよね。東京都660万戸全戸配布で20億円です。そして、みなさん、たとえば、防災グッズ、買われているのはありますが、あれもヘルメットやら、水やら、さまざまなものがはいって、それを660万の世帯全部に配っても、500億ちょっとで出せるんです。老朽した都営住宅、木密地域――木造建物が密集した地域。それも都市計画で十分にやれば、1000億円ぐらいの規模でまず初年度入れれば、変わることができます。

そういうような喫緊の都民の命を守るようなものをやらなくてはいけないのに、なぜ政党の支持が、そして誰が降りるかどうか、こんなことが重要なのか。まったく意味がわからない。まったく意味がわからない。テレビや新聞のすばらしい人たちも、ぜひ、政策、誰の候補でも構いません。名前はA、B、Cでもいいから、政策論争をする。報道取り上げて、本当の東京の危機を考えるのがいまじゃないか。

老人問題、月400人以上が養護老人ホームへの待機者がいます。いま入れば、まだまだなんとかなるのに、孤独死やそういうような不幸なことを待っている。わずか110億円の予算で解決できる。これは基本的にはマンパワーの問題。

さらに待機児童――よく言われますが、解決方法はいくらでもあります。というか1つもうあるんです。7000人以上が今現在、東京の待機児童としています。だが、それも、簡単に解決します。まず、練馬方式。練馬の区長が前川さんが、元、都の福祉局長でしたけど、彼がやった幼保一元化。つまり、建物が余っているのは幼稚園。保育園は足りない。幼稚園のなかに保育園を作るという、認証こども園(発言ママ)を作ることによって、練馬は解決した。来年はゼロになります。

ところが、東京都はやらない。東京もやればいいじゃないですか。東京がやったらいい。認証こども園をやれば、練馬方式で、たった2年で、予算500億円強で、一挙に解決します。それでも予算があるんだったら、保育園を無料化して、全部無料化です。さらに、それでも予算が余れば、3000億円ありますから、1年間で。そしてオリンピックの当初4500円案を2兆円となっていますが、圧縮すれば、もっと上がります。だったら、保育園無料化どころか小学校まで、あるいは中学校まで教育を無料にする。私自身、やはり高校で東京都からお金をお借りして、そして学んできたことが、いまなんといってもありがたかった。学ぶ権利を、持っていない子どもたちもいます。

そういうことで、とにかく今できることをやらないという怠慢をなんとかしなくちゃいけないというのに、何度も言うように、何をやっているんですか、今回都知事選は。自民や共産や民進や公明、どうでもいいこんなものは。組織じゃないんだ。とにかく東京がいま何が必要か。それを政策で言えばいいだけの話だと。まあ、こうやって言うとですね、またテレビに出れなくなるんですけど、テレビ局の皆さんおねがいしますよ。もう、私の顔を映さなくていいから、とにかく政策だけでも、政策だけでも、他の候補の話すように伝えてください。私いなくてもいいから、いまの言ったこと。

そして、そういうことをやって、人にお願いしている以上は、自分の立場考えて、私自身がみなさんに最初にお約束できることがあります。それは、それはですね、東京都知事として仕事をするにあたって、うんざりするような政治とカネの問題を解決するためにも、知事給与を全額返上して0円で働きます。知事給与はいりません。いま1ヶ月、知事の給与は145万6000円ですよ。かける12。そして4ヶ月のボーナス手当も含めると、年間で2600万円。1期4年です、知事は。そうすると1億円。更に辞めるたびに約4000万円の退職金。こんなものを1人の知事がそんなにいらないでしょう。東京都民が働くのに。私はこれを返上します。

幸い、平成28年4月の条例改正で、知事の給与に関しては、条例案で変えられることができました。確認しました。0円できます。都庁の優秀な職員に聞いたところ、できるということがわかりました。このようなかたちで言いながらも、0円では厳しい。結構お金ありません。こんな選挙やってるんだから見ればわかりますよね。都知事候補がビール瓶? ビール? これ(註:瓶ビールのケース)の上に上がって、やるという第一声はあまりないと思います。だけど、私はできます。それまでやってきましたから。だいたい貧乏な生活は慣れてます。お金持ちの生活もしたいけど。でも、できるんです。

それで、もし1期目、いま言ったようなことたくさんやります。政策を推進しました、これやって、「おう上杉やったじゃん、よくやったじゃん、上杉隆言うだけじゃなくてきちんと東京のために働いたな」といったときに初めて、2期目に給与をいただきたい。それまではいらない。つまり成果報酬、後払い。都知事として仕事をしてから、皆さんに自分の給与をいただきたい。政治団体は持っていません。政治資金管理団体を私は持っていません。もともと出るつもりなかったからです。他の候補はみんな持ってます。このまま作んなくていいんじゃないか、そういうふうに思っています。

とにかく、なぜかというと、自分自身をここまで育ててくれた東京都へ恩返ししたい。都営アパートに住んで、生活保護を受け、そして、中卒で、高校に自腹で通いながらやってきた仲間たちに返すと、いつも言ってますけど、そういうことの恩返しというのは、それくらいの覚悟でやらないとできないんじゃないか。ということで、もう、繰り返すように、もはや東京は、政党や組織などで一回一回争っている時期ではありません。東京は自民のものでもない、民進のものでもない、共産のものでもないし公明のものでもない。政党のものでもなく、メディアのものでもなく、東京は都民のものです。都民のもの、都民の東京です。もうくだらない争いはやめましょう。もう本当にくだらない争いはやめましょう。

<傘をたたむ>

降ってる? 止んでます(笑)。ということで、皆さん、東京はもう、ほんとうに今まだ間に合うんです。オリンピックまで4年。もう間に合う時期です。演説も間に合います。間に合うんです。ぜひそういう意味で、この、いま言っている約束、上杉信じられると思ったら、入れてください。こいつ嘘つくなと思ったらいいです。東京を変えたいと思う人は入れてください。東京を変えずに、このまま党利党略、そして組織、そういう都政をまだ続けたいと思う人は、絶対に私にいれないでください。絶対に私にいれないでください。絶対にいれないでください。(注:カメラに向かって)ここだけ使わないでください(笑)。

とにかく変えましょう。とにかく変えて、そして、みんなが笑いがあって、多様な意見や、多様な人たち、差別もなくし、そういうような東京を作っていきましょう。ありがとうございました。終わり!

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