アメリカ政府は、フランクリン・ルーズベルトを最後に、国民国家の権力であることを止め、国際資本の一機関として存在してきた。当然のように政府の代表である大統領・国務長官もシオニストの駒として選定され、その戦略の実行者の役割を担わされている。
現在の国際資本グループ・シオニスト連合の世界戦略は、「各国主権の消滅」だが、これは特に70年代後半から顕著になった構造的な利潤逓減(単位資本当り利潤額の低化)進行への対応、即ち、資本の再生産領域の維持を目的に、必然的に帰結したもので、TPP、TTIPなどのパートナーシップと呼ばれる貿易・投資協定と、ISやヌスラなどのテロリストの養成と支援も、同一の「主権消滅」を目的に実行されてきている。注1)
ここでシオニストと呼称しているのは、現在の国際経済の諸制度の歴史的制定者のことで、世銀、IMF、かつてのGATT、WTO、ハーグ(国際司法機関)などの国際機関から、近代ローマ法制である全ての国際法、更に、世界金融・資本市場と関連諸制度を形成してきた主体を意味している。(国連も総体的に見ればシオニスト機関の一つ。)
その第一次制度的権力の現行の世界戦略が「各国の主権消滅」と、資本の再生産に寄与しない「非有効労働人口の削減」であり、そのための一機関としてアメリカ合衆国政府は、70年以上前から機能してきたということになる。注2)
トランプが例外なのは、彼が「国民国家の代表」を目指しているからだ。現時点までの彼は、シオニストの駒として用意された者ではないことは明らかなようだ。
可能性を端的に表現すれば、アメリカの空爆と軍事侵略、意図して引き起こされる紛争の犠牲者を減らすこと、アメリカ国内の不均衡の是正、ロシアや中国に対する工作活動の減少、国際的な緊張緩和の推進などが上げられる。
既にシオニスト傘下の日本や、EC議会の傀儡連中には、不利になる点はあるだろうが、世界全体にとっては、概ね正常化に繋がる利点が多いことになる。特に、独立国であるロシア・中国・イラン・北朝鮮と130カ国を超える非同盟諸国、ユネスコなどシオニストの圧力の対象となってきた国連機関にも朗報ということ。
問題は、彼が大統領になったとしても、ホワイトハウスの閣僚に適切な人物が存在できるか、もし、シオニストの取り込みに最後まで抵抗すれば、暗殺の可能性があるということだろう。
彼が「国民国家の代表」として生き残る方法は少ないが、そのための一歩として必須なのは、できる限り速やかに軍とFBIの支持を取り付け、政府と議会内の傀儡勢力を一掃すること。それには、現行法による収賄・汚職摘発を厳格に実行すれば可能だ。退役軍人会は既に彼を支持しており、司法長官の指名・罷免権もあるのだから不可能ではない。
注1)
シオニストの「主権消滅」計画は、「カオス戦略」とも表すことができる。
政治的空白が資本に対する社会の防衛力を失わせ、市場に際限なき自由を与える。それによって、最大利潤が実現するという意味なのだが、かつての植民地統治から続く傀儡政権の維持が、コストが嵩む割りに利益が少ないことからの方針変更であることを押さえておく必要がある。
所謂、グローバリズムの意味は、「政治社会から権力を剥奪し、市場に自由を!」であり、カオス戦略の入り口となっている。
シオニスト機関であるアメリカ政府の行動様式は、所謂「国益」の追求ではなく、世界経済体制の維持=国際資本の利益の確保と支配権の強化を目的としている。アメリカ国民の利益を含んでいないのは自明だが、それが99対1の対立に見えるのは、国民収奪以前に、初めから国民が毀損されている結果なのだ。
これに対し、世界の殆どの国々と人々は原理的に世界経済を必要とはしていない。人類の大半は主体ではなく、世界全体を収奪対象としている国際資本の客体の地位しか与えられていない。
このことは重要で、世界を収奪対象にしない限り、世界経済体制と諸制度は不要なのだという前提を確認しておく必要がある。
注2)
「主権消滅」と資本に寄与しない「非有効労働人口の削減」とは密接に関連している。
市場経済において国家の役割は、「労働市場の再生産」に他ならないが、それには、熟練労働力の生産=労働力の高度化、即ち、国民教育の運営と維持のための基底条件である「民生水準の維持」が担わされている。
それにも関わらず、「主権消滅」によってその権限を縮小する事は、そのまま民生のダンピング、将来世代の育成・教育の放棄に直結しており、「非有効労働人口の削減」のみらならず、全ての労働人口の劣化を招来し、労働市場自体の崩壊に繋がっていく。
これは、資本から見れば、労働市場の再生産のための民生の維持は、経済外行為であると看做されることに起因しているが、労働力を安く買うことのみを追求し、その再生産コストの負担を避け、法人課税等を回避したいとの無責任が内包されている。
一見して破綻が約束されているのだが、それこそが利潤追求の本質で、命の商品化の意味するところは、今を優先して未来を犠牲にすることにある。
したがって、人間らしく生きることを望むなら、資本に政治的発言権を与えてはならない。市場と財界が政治を評価する風潮は、低い民度、資本主義が末期を迎えていることを示している。
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