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おどろき gqiCx4Lrgqs 全コメント
[雑談・Story41] あたらしい じょうもんと やよいの かんけいを つくる
https://hirakehibike.wordpress.com/

ろしあの ぐんじ ぎじゅつが あめりかを
あっとう しているようだ
あめりかの じだいが おわったことが
まねー の めんでも みりたりー の めんでも
はっきりと めに みえるように なってきたんだ

にほんも これで じゆうに なれる はずだ
ほんとうは そうなんだけど
にほんを しはいする あるいは
しはい しようとする がいこくと
いっしょに なって あまい しるを
すいつづけてきた れんじゅうが
また あらたな うごきを はじめるんだろうな

だけど れきしの おおきな ながれは
そんな れんじゅうの みっともない うごきを
もう これいじょう ゆるさないんじゃ ないかな

いままで がいこくの しはいに あまんじてきた
おおくの にほんじんが めを さます ときが
きたんだ

がいこく といっても たんじゅんじゃ ないんだ
ふるく さかのぼれば
じょうもんから やよいに かけての できごとから
にほんと がいこく との もんだいは
はじまってる

だけど この じょうもんと やよいの もんだいは
なんとか うまく おさまりを つけることが
できたんだ
ながい れきしを かけた あとで
えどじだいの ゆたかな しゃかいを
つくる ことに つながったわけだ

めいじから あとの にほんは
にほんと がいこくの もんだいが
むりやりに おしつけられ
にほん こくないに おおきな ゆがみを
もたらした

がいこくが かげに かくれながらも
じっさいは むきだしの しはいを およぼし
むりに かさぶたを はがすような いたみを
にほんじんの こころの おくに
あたえて きているんだよな

だけど にほんじんは
げんきに がんばって きた
いびつな せいじ けいざいの もとで
がいこくの しはい さくしゅと なれあいながら
あまい しるを すいつづける れんじゅうを
しりめに
そんな れんじゅうの すがたを
まともに みないように しながら
たくさんの にほんじんが がんばって きた
そして いまも がんばっている

その おかげで いまや にほんじんは
ふつうの にほんじんは
せかいの きぼうに なっている
せかいじゅうの ひとびとに きぼうを
かんじさせて いるんだ

(だからこそ にほんを しはいし さくしゅ
しようとする がいこくは やたらと ねっしんに
わるだくみを しかけて くるんだけどね)

―――――
まねー でも みりたりー でも
せかいは さまがわり してる
あめりかが ぼつらくし ろしあが でてきてる
そして にほんは がいこくの しはいから
じゆうに なる かのうせいが でてきてる

えども めいじからの れきしも おわったんだ
にほんと がいこくの かんけいが さまがわりした
あらたな にほんと せかいが かのうに なってる

じょうもんと やよいの かんけいを
うまく おさめて えどの こころ ゆたかな
せかいを つくった みたいに
あらたな にほんと がいこくの かんけいを
つくりだす ときなんだ

これは ひとり ひとりの もんだい なんだ
どんな にほんじんの なかにも
がいこくじんの こころや かんがえかたが
はいりこんで きている

だけど だれもが じゆうに なったんだ
いままでと ちがって
じぶんの なかに ある にほんと がいこくの
かんけいを じゆうに じぶんの なかで
つくりだせるんだ
いままでの ように がいこくが すべてでは
なくなる

ということは どうしたって
いままで おさえつけられてきた
にほんの こころ
じょうもんの こころを
まともに おもてだって とりもどすことを
まず はじめに やらなくちゃ ならない
ひとり ひとりが

そして さらに いえば
えどの ゆたかさを つくるために
ひつようだった だろう
さこく という ことを
あらためて じぶんの こと として
かんがえる とき なんじゃ ないかな

じょうもんの ひとたちは たいへいようを
またいで じゆうに うごきながら
あいと ぼうけんの ものがたりを
おもう ぞんぶんに やっていたんだ

たいへいようの しまじまの ひとたち
とうなん あじあの ひとたち
なんぼくの あめりかの もともとの ひとたち
その ひとたちへの したしみは
にほんじんの おおくに ある
じょうもんの なごり なんだ

その かんけいを その おもいを
せかいじゅうに ひろげる
それが これからの われわれの やること
なんじゃ ないか

えどの ゆたかさを つくった
ときとは はんたいに
これからの ゆたかさは せかいに ひろがる
ことで つくられるんじゃ ないかな

というような ことも かんがえに いれながら
これからの じぶんの せかいを
これから じぶんは どう うごこうと するのかを
かんがえて いきたいよな

―――――
……ひらがな にほんごで ものを かんがえ かくのは おもしろいなあ。ひとあじ ちがった かんがえかたが できそうで やめられないよな……

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/289.html

[雑談・Story41] じんせいは ものがたりだ おれの すきに やってみようじゃないか

くえば へる
ねむれば さむる
よのなかに
ちと めずらしく
しぬも なぐさみ

えどじだいの さむらいで こんな うたを
よんで しんでいった ひとが あるらしい

くったり ねたりの くりかえしの まいにちに
たいくつ していたけど さいごに
しぬ という めずらしい たいけんを
するのが おもしろい
という わけだけど

いまの にほんでは
ふくしまの ほうしゃのうの せいだろうけど
とつぜんに わかくして しんでしまう ひとが
ひどく ふえて いる らしい
かんとう ちほう では
かそうばも こんざつして だいぶ またされる
という

しんで このよに おさらば するのも
くって ねて の くりかえし から
ぬけでる おもしろい たいけんには
ちがいないんだろう

いきようと しのうと そんな ことは
どっちでも いい
というのが ほんとうの ところ なんだろうな
しんだら あのよで また あたらしい じんせいを
はじめる わけだからね

にんげんの いのちは しぬって いうことが
ないんだよな
どこかでは つねに いきつづけて いるわけだ
このよか あのよか あるいは
じげんの ちがう べつの せかい かで

むらかみ はるきの しょうせつ では
べつ せかい は くらく おもくるしい もの
みたいに かかれているけど
そうとは かぎらない はずだよな
いろんな せかいが あるはず なんだ

そんな なかから ひとつの せかいを えらんで
その つどの じんせいを やっているんだよな

だから いま この ちきゅうの うえで
にほんじん として じんせいを やっているのも
なにかの めぐりあわせ なのか
わざわざ えらんで そうしているのか
とにかく いっときの こと なんだ

そして しんだら また べつの せかいで
いきて いかなくちゃ ならない
しんだら おしまい という ことには
ならないんだよ
つねに どこかで いきつづけなくちゃ ならない

おわることの ない ものがたりを
そのつど すがたを かえながら やりつづけるのが
それぞれの いのち という ものなんだ

そう おもって いまの にほんじん としての
じんせいを やっていけば ずいぶんと
きが らくになる

ふくしまの ほうしゃのうで たくさんの ひとが
しぬ
あるいは ふくしまの ほうしゃのうの ふりをした
べつの ほうしゃのうで ひとが しぬ
なんていう はなしを きいても
じりじり するような あせりを かんじなくて
すむ

とにかく いのちは すがたを かえながら
おわること なく
いろいろな ものがたりを やりつづけなければ
ならないんだ

にほんじん として いきる ものがたり にも
いろいろ あるのは もちろん だから
ほうしゃのうで しぬ という ものがたりも
あれば
じりじり するような あせりの なかで
いきる という ものがたりも
あるわけだ

あるいは ひとは しぬときは しぬんだ なんて
おもって
いきている あいだの じぶんの ものがたりを
じぶんの おもうとおりに やって みよう
なんていう いきかたも あるわけだ

―――――
いままで なんじゅうねんも いきてきた
おれも
ひとつの ものがたりを ずっと やってきた
わけだけど
ひょうめんの いしきでは わけも わからず
ただ ながされて きた みたいな かんじだな

だけど いま あらためて かんがえて みると
おれの ものがたりが なんとなく みえてきた
かんじも する

そして これからの ものがたりの すすむ
ほうこうを
ひょうめんの いしきで じぶんの すきな
ほうこうに もって いける ような
きがしてきてる

やっぱり おれの みている この よのなかが
ものすごい へんかを はじめてる
というのが おおきいよな
この ものすごい へんかが あまりにも
ぶっとんだ へんかに みえて
まるで まんがを みてる みたいだ なんて
おもっちゃう
それに つられて おれの じんせいも
ぶっとんだ ものに みえて きちゃう わけだ

じんせいは ものがたりだ
なんて おもうのも そういう ことなんだ
よのなかの へんかが まんが みたいに みえる
という ことは おれの じんせいも
まんがの ような ものがたり なんだと
しぜんに おもえて きちゃう わけだよ

それなら その ものがたりを おれの すきに
やってみよう じゃないか
という きになるのは とうぜん だよな

いままで わけも わからず やってきた
ものがたり だけど じぶんの おもいどおりに
もって いけるんだ

ねんずれば はなひらく
おもえば かなう
じぶんの だす はどうは おなじ はどうを
ひきよせ ひびきあう
なんていう おしえは じぶんの ものがたりを
じぶんの このみの ほうこうに もっていく
ための おしえ だったんだよな

いま そんな かんじで いるんだけどね
とにかく これで いってみよう
なんか おもしろそうじゃ ないか
なんて おもってる わけだ

―――――
…ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
http://hirakehibike.wordpress.com/ぽんせん堂主人のくらし/
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/291.html

[雑談・Story41] うろたえるな おたおたするな、 かんじろ そして かんがえろ

きのうの ひるまは くもりがち だったので
じぶんの へやに ひっこんで しずかに
している つもり だったんだ

だけど せかい けいざいが ひどいことに
なっている ようすを ねっと きじで みて
つい つい うかうかと
こころを くらく おもくるしく してしまった

なぜ おれが ふるい せかいの こわれていく
ようすを みて
こころを くらく しなきゃないんだ
なんて おもいながら
いちにちじゅう おもくるしい きもちのまま
すごして しまった

あたらしい げんじつ かんかくが まだ できて
いないから なんだろうな
だから ふるい げんじつ かんかくが
こわれていく すがたを みて
おたおた しちゃうんだ

うろたえるな おたおたするな
うらを かけ

という ことばを なにかの ほんの
きゃっち こぴーで みたことが あるけど
こわれていく せかいの ほうに ばかり
きを とられてないで
おおきな ながれを みないと
うらを かく
なんて ことは できないよな
たしかに この きゃっち こぴーの
いうとおり なんだ

あいての ぺーすに のらない
という ことが たいせつ なんだよな
そして じぶんの ぺーすを つかむ

もんだいは ここ なんだ
じぶんの ぺーすを つかまなくちゃ いけない
だけど まだ じぶんの ぺーすを つかめない
それで きのうは ずっと
おたおたと うろたえた まま
すごして しまった わけだ

じぶんの きもちを きりかえることが できれば
あんがい かんたんに じぶんの ぺーすを
つかめるんじゃないか とは おもうんだけど
どうも あいての ぺーすに
のみこまれちゃうんだよ

かんがえるな かんじろ
ということ なんだなあ
どんな げーむを やっていても
いちいち かんがえてたんじゃ
あいての ぺーす というか
そのばの ぺーすから ぬけだせない
ふるい げんじつ かんかく から ぬけだせない

だから あたらしい げんじつ かんかく という
じぶんの ぺーすを つかむ ためには
かんがえてる だけじゃ だめで
かんがえを ちょっかんに まで
そだてなくちゃ いけないんだ

というより ちょっかんに したがって
かんがえる という こと なんだよな

だけど ここで また もんだい なんだけど
かんがえる ことと ちょっかんを たいせつに
すること とが
みずと あぶら みたいに なってて
まじりあわないんだよな
ほんらいは そんなこと ないんだろうけど
いままでの せかいでは そうだったんだ
おれも すっかり それに そまっちゃってるんだ

―――――
けっきょく きのうの おれの
おたおたと うろたえてた すがたを のりこえる
ために ひつようなのは

ちょっかんと かんがえる こととを つなげて
じぶんの ぺーすを つかむ

という ことに なりそうだな

それで まずは
ちょっかんと かんがえる こととを
みずと あぶら みたいに べつものに している
というより ちょっかんを てっていてきに
ばかにしている
いままでの ふるい せかいの やりかたかを
ぶちこわす ことが ひつようで そのために
「かんがえるな かんじろ」
という おしえが たいせつに なるわけだ

まずは ちょっかんに したがう
ということ だよな
これが できないから
うろたえて おたおたして いちにちを
すごして しまうんだ

でも いくら ちょっかんが あっても
なかなか すなおに したがえないんだよな
いままでの ふるい せかいで いきて きちゃった
ひとは だいたいが そうじゃ ないかな
おれだけじゃ なくて

だから かんがえる しか ないんだ
ただし ちょっかんに したがって かんがえる
という ことだけどね

しっかり かんがえて ちょっかん どおりに
うごけるように なる
そうすることが ひつよう なんだよな

( けつろん )
うろたえるな おたおたするな
かんじろ そして かんがえろ

……
ああ これで きのうの おもくるしい きぶんから
ぬけだせた みたいだな
ああ よかった
きょうは かろやかな きぶんで すごしたいよな


―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
…ぽんせん堂主人
http://hirakehibike.wordpress.com/about/
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/292.html

[雑談・Story41] 人生は ものがたり そして ひらがな日本語
https://hirakehibike.wordpress.com/

2−1−−−−−−

人生は ものがたり
自分でつくっていく ものがたりだと 思うんだ

そして オレは いま
ぽんせん堂主人として暮らす という ものがたりを
やってる わけなんだ
なるべく おもしろ おかしく なんて 思いながら

世の中の 動きが 自分の ものがたりの
舞台背景に なるわけだけど
とくに 今年に なってから 世の中の
様変わりが ハッキリしてきたね

金融は崩壊 軍事はロシアがアメリカを圧倒
天候はますますおかしい
そして やっぱり 気になるのが 原発の放射能

でも こんな舞台背景は 気にしていても
しょうがないんだよな

肝腎なのは 自分の毎日の暮らしだもんな
自分の暮らしを中心に 世界も宇宙も まわってる
それが ものがたり という ものなんだ

だから ぽんせん堂主人の暮らし というのが
なにより 肝腎
なにしろ これを 中心に 世界を 宇宙を
回していこう というわけなんだから

なにより肝腎と言ったって べつに むずかしいことじゃない
シンプルに わかりやすく というのが オレの 好みなんだ

そして この わかりやすい ものがたりに
ムーフリークラブ じょうもん楽座 というのを
どう組み込もうか というのが いまの オレの
たのしみ ということなんだよな

さて どう なるんだろうな
どんなふうに できるんだろうな

まあ 先を 急いでも しょうがない
なるべく のんびりと いこう

2−2−−−−−−
まあ 先を 急いでも しょうがない
なるべく のんびりと いこう

という つもりで
ぽんせん堂主人の暮らし というのを
なるべく シンプルに やり続けるのが
いま オレの やることなんだよな

それは 結局 ひとりごとを いいつづける
ということに なっちゃうんだ

なにしろ ポンせんを焼きながら
ひとりごとを いいつづけてるんだからなあ

ポンせんを焼いてるときには
ひとりごと というより
祈りことば というか アファメーションというか
一枚 焼くごとに 文字数にして 20文字程度の
ことばを ふつぶつと 口に出してるんだよ
それで 一枚ごとの焼く時間を 調整してるんだ
もう 何年も そうしてる

きょうは どんな コトバを
ぶつぶつと 言おうかな なんて思うのが
ポンせんを焼き始めるときの
楽しみだったりするんだよな

20文字に 不足するときは ゆっくりと
20文字を 超えちゃうときは 早口で
なんて 思って ちょっと 練習したりしてね
そして 唱えてるうちに もうろうとして
わけが分からなくなってくることが 多いから
その時のために 紙にコトバを書いて
目の前に 貼り付けておくんだ

やってることは ホント シンプルなんだ
それが 気持ちが いいんだけどね

ポンせんを焼くのは 月に数日だけど
焼いてるとき以外は ひらがな日本語を
万年筆や パソコンで 書いて
遊んでるわけなんだ
ひとりごとのような ことを 書きながらね

2−3−−−−−−
結局 いま オレの やってる ものがたりは
ひとりごとを 言い続ける
いろんな 思いを めぐらせ続ける
という人生なんだな

すべては ものがたりだ なんて ことも
自分のなかで 思いを めぐらせるときの
お好みの テーマなんだけど
パラレルワールド とか 引き寄せの法則とか
いろんな ことを 結びつけながら
あれこれと 思いをめぐらしているって わけ
そして それを ひらがな だけで
メモ書きにしたり ブログにしたりしてるんだ

それだけ なんだ オレのやってるのは
できるだけ シンプルに
そして 軽やかな おおらかな 心に なって
なんて 思いながらね

だけど ものすごく こだわってる ことが あるんだ
それは ひらがな日本語を使うということ
ひらがな だけで書く日本語で
ものを 思い 考える ということなんだよな
ブログや 万年筆やパソコンで書くメモ書きは
ひらがな だけで 書いてるんだ
それが ホントに おもしろくて やめられない

ムー文明 じょうもん文明の よみがえり には
日本語が 大きな はたらきを すると 思うんだけど
それは 漢字コトバを つかう 日本語じゃなくて
ひらがなで書く 日本語のはずだ
なんて 思ってるんだよな

オレの人生ものがたりを おもしろ おかしく
するのは やっぱり どう考えたって
ひらがな日本語と 遊ぶことなんだなあ
ムー文明 じょうもん文明のことを おもいながら

万年筆を使いすぎたのかも知れないな
ペンだこが ウオノメに なっちゃったよ
いちおう 取り除いたんだけど 完全じゃないのか
これが けっこう 痛くてね

2−4−−−−−−
オレの場合 人生ものがたりを おもしろくするのは
ひらがな日本語で 遊ぶこと なんだけど
ひと それぞれに おもしろい 人生をつくる
それぞれの ものがたりが あるんだよな

その いろんな ものがたりを 見ながら
にぎやかな 色とりどりの ながめを 楽しむのも
人生のおもしろさ なんだろうな

それを オレは 期待してるんだろうな
ムー フリー クラブ じょうもん楽座に

みんなが 元気で にぎやか というのが
やっぱり 一番だよ

だれかが 始めれば 世界に ひろがり
世界は 変わるんだ

日本人が 始めるんだよな
ムー文明 じょうもん文明の 記憶を
持っている 日本人が始めるんだよな
どうしたって

おもしろい 動きが これから どんどん
出てくるんじゃないかなあ

ムー フリー クラブ じょうもん楽座
なんて言う 名前を持っている グループの
人たちが 日本人の なかでも いち早く
動くんだろうな
それぞれの人が 色とりどりに

楽しみだよな どんな動きが 出てくるのか
それに ひらけ ひびけ で
みんなが それぞれに 動きだすんだ
おもしろいよなあ

こんな 楽しみを 持って 生きるのが
じつは オレの ものがたりの
いちばんの ハイライト なんだろうな
いよいよ その時が 来たんだ
ホントに 楽しみだよ

2−5−−−−−−
ムー文明 じょうもん文明は
それぞれの イノチが 色とりどりに にぎやかに
動いている文明だと思うんだけど

そんな ながめを 楽しみながら オレは
ひらがな ばかりで 書く 日本語で遊んでいたい
ということだよな
これが オレの ものがたり なんだ

直観として感じることを コトバにしていく
ひらがな日本語にしていく
という 遊びだよね

そして それを 語りかけたいんだよな
色とりどりの 世界に向かって ニッコリ
笑いかける みたいな感じで

いま 世の中は あれこれと 騒がしいけど
その 向こう側に あたらしい 文明があって
その文明に向かって動こうとする 世界に向かって
ニッコリ笑いかけるのは どうしても
ひらがな日本語でなくちゃ なんて
思いながらね

いま こうして 漢字交じりで 書いてるけど
あたまの なかは ひらがな日本語で
思いが めぐってると 思うんだ

それを どんどん やってみたいんだよな

やっぱり 世界に向かって ニッコリ笑いかけるには
ひらがな日本語だよ


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/294.html

[雑談・Story41] 日本人は 心を ちぢこまらせ アングロサクソンは 心を ふさぎ
https://hirakehibike.wordpress.com/

ムー文明 じょうもん文明の よみがえった あたらしい
文明のなかで オレは どんなふうに 生きるのか
どんな ものがたりを つくって いくのか
という ことだよな いま オレが 考えたいのは

オレの 身の回りを 埋め尽くしている すべての イノチは
それぞれに おのずと 動いてる
おのずからの 動きを 持っている
それらと ひびきあう おもしろさの なかで
ものがたりを 進める
というのが あたらしい 文明での やりかた なんだろう

だけど それだけじゃ ないんだよな

イノチを 爆発させなくちゃ
ひびきあって そして 爆発させなくちゃ

いままでの 日本を 覆ってきた 俗説は
とくに 仏教の 俗説が そうだと思うけど
身の回りの いろいろな イノチの 動きに 溶け込むことを
言いながら
実際の はたらきとしては
ひとり ひとりの イノチの 動きを 押さえ込み
小さな ところに ちぢこまらせて きたんだ

そうじゃ ないんだよ
身の回りの イノチの おのずからなる 動きに
溶け込む ひびきあう というのは
自分を ちぢこまらせるんじゃなくて
その反対に 自分の イノチの 動きを
のびのびと 自由にさせ 爆発させる ことなんだ

ムー文明 じょうもん文明の持っている ロマンを
自分の ロマンとして 心を 燃やすんだ
愛と 冒険の ロマン だよな
それを 取り戻し
自分の 心を 世界に ひらき 世界と ひびかせ
ロマンの 世界に 入っていくんだ

いままでの 日本人は 狭いところに 押し込められ
押さえ込まれて きちゃったんだよ

はなしは ちょっと 変わるけど
アングロサクソンが リードしてきた いままでの 文明は
ビジネス文明と 言っていいと 思うけど
辞書を見たら ビジネスという コトバは
手がふさがっている というのが もともとの 意味らしい
ビジー(いそがしい)も 同じだという

だけど 本当は 手がふさがっているんじゃ なくて
心が ふさがっているんじゃ ないのかな

身の回りの イノチの おのずからなる 動きに
心を ふさぐ
それが ビジネス文明の やりかた だったんだ

日本人は 自分の 心を ちぢこまらせて
世界を 狭くして
アングロサクソンは 心を ふさいで
世界を 狭くして
ということで いままでの 文明を やってきたんだ

そうじゃ ないんだよな
世界に ひらけ 世界と ひびけを
どこまでも 徹底して やっていくのが
これからの 文明なんだ

とにかく おもしろ おかしく
自分の イノチを 燃やして そして 爆発させて

そんな ものがたりを つくって いきたいよな
自分の イノチ じぶんの こころを よろこばせる
ものがたりに してやりたいよな

いままで ずっと オレの イノチも こころも
古い 世界の なかで
抑えつけられ 目隠しをされてきたような ものだよな
精いっぱい オレなりに 反乱を 試みてきたんだけどね
やっと ここにきて 世の中の 流れが
目に見えて 変わってきた
もう だいじょうぶだ
よかったよなあと 思うよ ほんとうに


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/297.html

[雑談・Story41] お爺さんの ものがたり
https://hirakehibike.wordpress.com/


(お爺さんの ものがたり)
あるところに お爺さんが 住んでいました
ある時 気がついたんです
… ああ オレは 人から お爺さんと 言われる 年に なったんだ
… それじゃあ そろそろ オレも お爺さんの 役を やってもいいな

なんで そんな ことを 思ったかと いうと
ずっと 以前 まだ 貸しビデオ屋が はやっていたころ
となりのトトロ 千と千尋の神隠し など ジブリのアニメを
何本か 借りてきて 見たからなんです
どれも 小さな 女の子の ものがたりです
そして 思ったんです

昔なつかしい記憶が よみがえる 気持ちよさを 感じるなあ
だけど どうして 小さな おんなのこの ものがたりじゃなきゃ
いけないのかなあ
たしかに おじさん おばさんじゃあ ものがたりに ならないよな
そして 小さな 男の子を 主人公にしても やっぱり
ものがたりには なりそうもないよなあ

昔なつかしい記憶と 小さな女の子 このふたつが
ピッタリ 結びつくのは たしかに 不思議ですけど
この お爺さん 若いころから 思っていたのは

小さな 男の子でもなく お兄さん おねえさん でも なく
おじさん おばさん でもなく お婆さんでもなく
小さな 女の子の ちょうど 反対側に いるのが お爺さん

だから 昔なつかしい記憶と 小さな女の子が
ぴったり 結びつくなら
ちょうど 反対側にいる お爺さんは
未来の記憶 みたいなものと ぴったり 結びつく
ことが できるんじゃ ないか
そして おもしろ おかしい ものがたりに なるんじゃないか

そんなことを この お爺さん
若いころから 思っていたんですね
だから
… それじゃあ そろそろ オレも お爺さんの 役を やってもいいな
なんて ことを 思ったんでしょうね
未来の記憶と ぴったり むすびつく ものがたりを
自分を 主人公として おもしろおかしく やってみたいんだ そうです

おもしろい アニメを 作れなくたって
おもしろい お爺さんを やることは できそうだ
なんて 言ってます
(おわり)


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/298.html

[雑談・Story41] Re: お爺さんの ものがたり… 男ってのは そういう ものなんだ
お爺さんの ものがたり… 男ってのは そういう ものなんだ

ある時 お爺さんは 思いました

小さな 女の子の ものがたりが
昔なつかしい記憶の世界に 入っていく ものがたり なら
お爺さんの ものがたりは
未来の 記憶を この世界に 引きずり出してくる ものがたり

ということに すれば いいんだ
そうすれば おもしろ おかしく なりそうだぞ

昔なつかしい 記憶と 言っても
未来の 記憶と 言っても
じつは 同じような もの なんでしょうね

それで お爺さんが 思ったのは
その世界に 入って行くんじゃ なくて
その世界の ものを この世に 引きずり出してくる
こうすれば 小さな 女の子とは 違った
お爺さんらしい ものがたりに なる

この 違いは 女と 男の ちがいに
ねっこが あるんでしょうね
女は スルリと なつかしい世界に 入っていける
男は こだわりが あるから その世界に 入っていけない

男は 自分の 世界というか 自分の ロマンというか
それへの こだわりの なかで 生きているんでしょうね
だから 未来の記憶みたいな なつかしい 思いに
とり囲まれたとき
そのなかに 自分の ロマンと つながるものを 見つけようとする
そして 自分の 世界に 引きずり出して 来ようと する

そんな こだわりの なかの ものがたりを
おもしろ おかしく やって みたいんでしょう

お爺さんは こんなことを 言ってます

自分の イノチを 爆発させたい
自分の ロマンを 爆発させたい
この気持ちは 女には なかなか わかって もらえないだろうなあ
だけど やっぱり 女の 視線が 気になるんだよな
小さな 女の子の 輝く目
お姉さん おばさん お婆さんの 暖かな 包みこむ目
そんな 目を 予想しながらじゃ なくちゃ
爆発の エネルギーなんて つづかない
こだわりの 世界で 爆発する 男たちを
かがやく目で あたたかな目で それとなく 見ていて欲しいんだよな
男ってのは そういう ものなんだ


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/299.html

[雑談・Story41] ふるさとの ひびきに みちびかれて ぽんせんどう しゅじんの ものがたり
https://hirakehibike.wordpress.com/

ぽんせんどう しゅじんの ものがたり と
いうとき ここで わざわざ
しゅじん という ことばを つけるのは
じぶんが じぶんの しゅじんに なる
という わけだよな

じぶんで つくる じぶんの ための
ものがたりを やりたい ということ なんだ

じぶんの ものがたりを つくる というのは
あたまで かんがえて つくるんじゃ なく
じぶんの なかから うまれて くる
おのずからの ながれに みを まかす
という こと

おのずからの ながれ というのは
ふるさとの ひびきと ひびきあい ながら
うまれて くる ものなんだよな

じぶん ひとりじゃ ないんだ
ふるさとの ひびきと いっしょ なんだ
そして ふるさとと
いっしょに なった ところから
うまれでて くるのが おのずからの ながれ
という もの なんだよ

いままで ふるさとと きりはなされたような
ふあんていな かんじで いたんだけど
じつは ふるさと との つながりは
じぶんの こころの なかに いきて いたんだ
そして それが じぶんの ものがたりの
おのずからの ながれを つくってるんだ

そう きづいた ときは うれしかったなあ
よし そう おもうことに しよう
それで いこう
なんて おもってね

じぶんを とりまく いろいろな せかい
・にんげんの こころの せかい
・しぜんの つくりだす せかい
・ひらがな にほんごの せかい
などと ひびきあい ながら
じぶんの せかいを つくって いこう
そして その せかいを たびしよう
それが おれの ものがたり
という こと だよな

その ねっこに ふるさと との
ひびきあいが あるんだよな
これで あんしんだ
あんしんして じぶんの たびを つづけられる

ふるさとの ひびきに みちびかれて
ぽんせんどう しゅじんの ものがたり
おもしろ おかしく やって いきたいね

―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
―――――

―――――
はじめての 注文を もらっちゃったぞ
―――――
アシュタール さくやさんの ブログを
読ませて もらっていて
へんな 妥協のない ハラのすわった かろやかな ことばに
いつも すがすがしい 気持ちに させてもらってるんだけど
ホント ありがたいと 思ってる

その アシュタール さくやさん たちが やってる
ムーフリークラブに オレも 参加して
会員の みなさんと ゆるやかに つながれたら
おもしろいだろうなと まえまえから 思ってた

そして この 正月に 発作的に
よし やろう という 気になっちゃって
ネット販売の ホームページを つくったり
商品 発送用の 箱を 注文したり
代金引換も できるよう 申込をしたり
いっきに やってきたんだ

そして きのう 最初の 注文を
もらっちゃって
やっぱり うれしいんだよな
にこにこ顔に なってるんだと 思う

生活を かぎりなく シンプルにして
シンプルで あることの ゆたかさを
あじわいたいと いつも 思ってるんだけど
それが だんだんと 本気に なってくるのが
自分でも わかるのが うれしいんだよね

ふやすな へらせ
ためるな すてろ
というのが お気に入りの ことば なので
ムーフリークラブに 出店する というのは
あらたな 仕事を 増やす みたいで
気には なるんだけど
そんな ことより
あたらしい 世界 あたらしい 文明を
ともに できそうな ひとたちと ゆるく
つながる ことの おもしろさを
あじわいたい という 気持ちが
何倍も 強いんだよな

クラブの みなさんと さわやかに
つながりたいよな
ぽんせん堂という なりわいを 持ってて
ポンせんを つうじて つながれる というのは
ほんとうに よかったなあ なんて 思うよ

だけど それと 同時に
ぽんせん堂主人 なんて なのりながら
このよを わたっている オレの すがたを
丸ごと みんなに 見せちゃいたい
という 思いも 強いんだよな

それで この 掲示板を かりて
あれこれと ひとりごとを
いわせて もらえれば なんて 思うんだ

ということで こんごとも どうぞ よろしく
お願いします
―――――


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/303.html

[雑談・Story41] しんぽ はってん じゃなく かろみ つらねで じぶんを ひろげる
しんぽ はってん じゃなく かろみ つらねで じぶんを ひろげる

かろみ つらね という ことばが
おれは すきなんだよな

えど じだいの まつお ばしょう などが
めざしてた こと なんだと おもうけど
はっきりした ことは おぼえてなくて
じぶん かってな おもいを のっけて
この ことばを いめーじ してるんだけどね

じぶんを みがるに して
じぶんの まわりの せかいと つながっていく
というような ことなんだろうな 

この ことばに いままで ちょっと
ひっかかりを かんじて いたのは
じぶんの しゅたいせいを
あけわたして しまう みたいな
じぶんを ちいさく おさえこんじゃう みたいな
いめーじを かんじてたから なんだけど
いまは その ぎゃくの いめーじを
かんじてるんだ

かろみ
 … じぶんを みがるに して
つらね
 … じぶんの まわりの せかいと つながる

というのは

・じぶんを じぶんの わくを こえて
おおきく ひろげて いく
・じぶんの かんかくで せかいを
ひとつに つなげて みせる

という せっきょくてきな はたらきかけが
あるように おもうんだ

どちらも いまの じだいに ぴったりな
うごき だよな
すべてが とけだし ながれだしてる
いまの じだいに ね

だから かろみ つらね というのが
これからの あたらしい ぶんめいを ひらく
きーわーどに なると おもう くらいだ

あるがままの おのずからの ながれに
したがう という にほんの ふるくからの
かんがえも
おなじような ことだよな

じぶんを ちいさく ちぢこまらせるんじゃなく
その はんたいに
いままでの わくぐみ から じぶんを
じゆうに して
じぶんを おおきな せかいと つなげて いく
じぶんを ひろげて いく
せっきょくてきな うごき なんだ

そして そのときに うまれでてくる ながれが
おのずからの ながれ
という ものじゃ ないのかなあ

おのずからの ながれ というのは
どこか べつの ところに あらかじめ
ようい されてる ものじゃ なくて
じぶんを ひろげていくたびに そのつど
できてくる あらたな ながれ なんだよ

いまの じだいは
どだいが くずれて
すべてが とけて ながれて いってるんだけど
そんな ときには
いままでの どだいに しがみついてる
わけには いかない

じぶんを ひろげて いかなくちゃ いけない
じぶんが しゅじんこうに なって
じぶんを ひろげていくんだ

その ときの きーわーどが
かろみ つらね であり
おのずからの ながれに ゆだねる
という こと なんだよな

いままでとは ぎゃく なんだ
いままでは どこかに あるだろう
ただひとつの ただしい ものに むけて
じぶんを とじこめようと してきたんじゃ
ないかな

しんぽする はってんする といえば
きこえは いいけど
じつは じぶんを せまい ところに
おしこめる はたらきを してたんだ

そうじゃ ないんだ
しんぽ はってん じゃなく
かろみ つらね おのずからの ながれで
じぶんを ひろげ
そして いままで おもいも よらなかった
ひろがりを じぶんの せかいに もたらす
という こと なんだ

じぶんが かぜに なって
そして すべてを かぜに まかせて
じぶんの せかいを ひとつに つなげて いく

そこに ゆたかさが あるんだよな
むげんの ゆたかさと つながり
むげんの ゆたかさを じぶんの ものと
していく うごき
それが じぶんを ひろげていく うごき
そして ぜかいを つなげていく うごき なんだ

―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/305.html

[雑談・Story41] しんぽ はってん じゃなく かろみ つらねで じぶんを ひろげる おどろき
1. おどろき[1] gqiCx4Lrgqs 2016年3月02日 09:12:04 : fpRMtdP2Bk : hy8YJQA7EvI[1]
おれの ものがたりが はじまったんだ
2016-03-02 https://hirakehibike.wordpress.com/

せかいは すべて
じぶんで つくる ものがたりだと おもうんだけど
その かんがえで わりきって
おれの これからの ものがたりを
おもしろ おかしく やって みよう
それが おれの ぽんせんどう ものがたり
という わけだよな

ひとから おじいさんと よばれるような
としに なったので
もう えんりょ せず
おもいきった じぶんの ものがたりを
やっても いいんだ

あらかじめ すじがきを きめるんじゃ なく
そのば そのばの かぜの ふく まま
かぜに まかせて やって みたいんだ

けっこう おもしろい ものがたりに
なるんだと おもう

その まいにちの くらしを
ひとりごと として ぶろぐに していくのも
また おもしろいんじゃ ないかな

というより
ひとりごと として くちに だした ことを
じぶんの ものがたりで じっさいに やってみる
じっさいに ためして みる
そんな ことを
じつは やりたいんだろうな

かぜの ふく まま きの むく ままに
じゆうに おもいを めぐらし
その おもいを えんりょ なく
じぶんの ものがたり として
やって みたいんだ

じんせいは めいど までの ひまつぶし
なんて いってる ひとも いるけど
その ひまつぶしを たのしんじゃいんだ

くえば へる
ねむれば さめる
よのなかで
ちと めずらしく
しぬも なぐさみ

というような うたを じぶんが しぬ ときに
うたった えどじだいの さむらいが
いる みたい だけど
たいくつで どうしようも ない じんせいを
ぬけだすのに
しぬのは たしかに めずらしく おもしろい
たいけん なんだろうな

だけど しぬ まえに ひとつ おもしろい
ものがたりを えんりょなく やってみる
というのも いいんじゃ ないかな

えどじだいの さむらい じゃ
えんりょ なしに じゆうに
じぶんの ものがたりを つくって あそぶ
なんて ことは できなかったんだろうな

いまの この ものすごい へんかの じだいは
だれでも それが できるし
だれもが それを やらなくちゃ ならない
じだい なんだろうな
おもしろい じだい だよな

というような わけで
じゆうに ものがたりを やってみたい わけだけど
あらかじめ すとーりーを つくる ひつようは
ないんだ

すとーりー というと じかんの ながれが
もんだいに なりそうに なっちゃうけど
じつは じかんの ながれは
ものがたりの ほんしつ じゃ ないんだよな

なにかの けっかを もとめて ものがたりを
やる ときには じかんの ながれも
かんけい してくるんだろうけど
ものがたり というのは なにかの けっかを
もとめる だけの せまくるしい ものじゃ
ないんだ

じぶんの なかから わきあがってくる
おのずからの うごきを たのしむ
その ひろがりと いろんな せかい との
ひびきあいを たのしむ
そういう ものだと おもうんだよな ものがたり
というのは

かろみ つらねを たのしむ
ひらけ ひびけを たのしむ
じぶんを そうやって ひろげていくのが
ものがたりの ほんとうの たのしみ
なんじゃ ないかなあ

いままでの ぶんめいは せまくるしいんだよ
これからの ぶんめいは ひろびろと のびやかに
じぶんの なかから でてくる ものを
たのしんで いく ぶんめい なんだ

にほんの ぶんめいは もともと
そういう ものだったんだよな

せかいじゅうの すべての ぶんめいも
ちょっと まえ までは
そうだったんじゃ ないかな

という ことで
すとーりーを あらかじめ かんがえず
そのば そのばで わきだす
じぶんの おのずからの ながれで
やっていくのが
おれの ぽんせんどう ものがたり
という ことに なるんだな

どんな ふうに ながれて いくかを
あらかじめ きに するんじゃ なくて
どんな ふうに いまを たのしんで いくか
という こと なんだろうな
それが ほんとうの ゆたかさを
つかみとる こと なんだ
ゆたかさを つかみとりたいよなあ
この てで つかんで みたいよなあ

まあ こんな ことを おもいながら
かぜに まかせた たびを つづける
そんな ものがたりを
おれは これから やることに なるんだ

のんびり した きぶんで
かろやかに おおらかに やりたいよな

―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/305.html#c1

[雑談・Story41] にこにこ顔で いる 練習
にこにこ顔で いる 練習
http://wp.me/p74DhJ-3n

どうで あれば シンプルである ことの
ゆたかさを 感じられるのか
という テーマを もらっちゃったんだけど

にこにこ顔で いれば いいんだと
おれは 思うんだよな

なにかを 求めて 必死に なってたり すると
にこにこ顔も してられないけど
求めることを やめちゃえば いいんだ

求めるって いうことは
なにかが 不足してると 思ってる わけだけど
その 不足してるって いう 思いは
ほんとう なのかなあ

世の中の 常識に あわせて
そう お思っちゃうんだけど
ほんとうは 必要ない ものが ほとんど
なんじゃ ないかなあ

学歴とか 美人の おくさん とか
豪邸とか フェラーリの新車 とか

その 常識から はなれるって いう ことが
シンプルを もとめる 気持ちなんだろうな

不足してるのは
よのなかの 常識から はなれる きもち
シンプルを もとめる 気持ち なんだよな

シンプルで ある ことの きもちよさは
だれでも わかってるんだけど
なにかを 求める きもちを
いつも いつも 刺激されっぱなしに なってて
いつも いつも 必死に なってなきゃ いけない
というのが 悲しい現実に
なっちゃってるんだ

だから シンプルを 求める のは
けっこう たいへん なんだよな

だけど ものすごい うまい 手が あるんだ
それが にこにこ顔で いること
にこにこ顔で いれば
必死には なれないからね

そして 必死になにかを もとめる
思いこみ から はなれることが できる
そうすれば シンプルの きもちよさを 思いだせる
という わけなんだよ

いま おれは にこにこ顔で いる
練習中 なんだけど
こころから にこにこに なれなくても
顔つき だけは にこにこ顔に してよう
なんてね

シンプルで いることの きもちよさは
だれでも 知ってるんだけど
それは つまるところ
自分を みがるに すれば
無限のゆたかさと つながることが できる
という ことなんじゃ ないかな

ためるな すてろ
ふやすな へらせ
と よく 言われるけど
身のまわりに いろいろ ためこんじゃうと
もっと もっと ためないと 不安に なり
ためこんだ ものを 守る ために また ふあんに なり
という ことで 中毒症状みたいに
なって にっちも さっちも いかなくなる

シンプルで いれば
じぶんを みがるに していれば
まわりの世界の ゆたかさが 見えてくるんだ
そして その ゆたかさと つながることが できる
その つもりで いれば ね

昭和の初めころ までは
日本中のひとたちが
シンプルに 暮らして
まわりの 世界の ゆたかさを
我がことのようにして 楽しんでいたんだと
思うんだ
そして にこにこ顔で いたんだと 思うんだよな

そんな ことを 思いながら
にこにこ顔で いる 練習を してるんだよ

世界は 無限の ゆたかさで 満ちている
その 無限の ゆたかさを 見ようとすれば
いまの おれたちにも 見えるんじゃ ないかなあ

それを やって みたいんだよな おれは
無限の ゆたかさと つながって みたいんだ
それが シンプルって いうこと
たぶん できるんだと 思う おれなりに ね
あんがい 簡単かも しれない
まずは にこにこ顔で いることから
なんて 思ってるんだよな
−−−−−−

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/308.html

[雑談・Story41] 自分だけを頼りに するって いうのは もう 時代遅れなんだよ
花粉症の 季節だね
天気予報の ページで
花粉が でまわるから 注意しろ
なんて さかんに 言ってる

おれは 何年か まえ から
花粉症を おさえる ために
たばこを すうように なったんだけど
たしかに 効き目が ある みたいだ
知り合いにも たばこを すう ひとで
花粉症に なってる ひとは いないんだよ

という わけで 冬の はじまる ころ から
夏の はじまる ころ まで
まいにち たばこを すってる

たばこを すう のが
だんだん くせに なって くるのかと
思ったけど そうでも ないな

きせる みたいな 小さなパイプに
ちょっと ずつ つめて すうんだけど
二回か三回すうと おわっちゃう
くらいに ちょっと ずつ ね

それを 一時間に 一回か二回
すってる
たばこが 目の前に あると
やっぱり すいたく なるんだよな

なんで たばこの話 なんか するのかと いうと

身のまわりの いろいろな 世界と つながって
その いろいろな 世界の 無限の ゆたかさと
ひびきあいたい
そんな くらしを したい
その ために
シンプルに くらして
にこにこ顔で いると いい

なんて 思ってる わけだけど

たばこの話は にこにこ顔で いる
練習と つながって くるんだ

たいした 練習じゃ ないんだけど
からだの 力を ぬき
意識を からっぽに する
そんな イメージを 気のつく たびに くりかえし
思い うかべる
という 練習 なんだ

おれは 瞑想とか 呼吸法とかが
にがてで ちっとも できないんだけど
この にこにこ顔 練習は できそうだ
だけど すぐに わすれちゃって
練習が おもったように すすまないんだよな

そこで たばこの 出番に なるんだけど
たばこが 目のまえに あると
ふしぎと わすれずに たばこを すってる
それなら たばこを すうときに いっしょに
にこにこ顔 練習を しちゃえば いい と
思ったんだ

いままでは ほとんど 無意識に すってたのを
さあ にこにこ顔 練習を はじめよう
という 意識に なって すえば いいんだ

たばこを パイプに つめる
オイルライターを かしゃっと やって 火を つける
おもむろに いっぷく にふく ゆっくり すう
そして のこった 灰を かきだす

そんな 動作に あわせて
からだの 力を ぬく
意識を からっぽに する
という イメージ練習を
やったら いいんじゃ ないかなあ

いまの ところ たばこを すっちゃってから
あ いけね にこにこ顔 練習を わすれてた
なんて ことが 多いんだけどね

まあ という ような ばかな ことを
あれこれ 思いついては やってみて
まいにち 遊んでるんだ

ひま だから こんなことを やってられるんだけど
ありがたい こと だよな
この ありがたさを ちゃんと 味わいたいよなあ

そして からだも 意識も かろやかに して
まわりの いろいろな 世界と ひびきあって
いたいと おもうよ

いままでは 自分が がんばらなくちゃ だめなんだ
自分が 動かなくちゃ 世界は うごかない
なんて おもって
自分を 爆発させろ
つきぬけろ 突破しろ
なんて こと ばかり 自分に いいきかせて
いたんだからなあ

世界は 変わったんだ
あたらしい 世界が はじまってる

自分だけを たよりに するって いうのは
もう 時代遅れなんだよ

自分を みがるに して
まわりの いろいろな 世界と ひびきあう
そこに ゆたかさも たのしさも ある
自分 ひとりじゃ ないんだ

自分が つくって 自分が 演じている
人生の ものがたりでも
その ものがたりに 出てきて くれる
もろもろの 世界
・いろんな ひとたちの こころ
・天地自然
・おおいなる 宇宙
と ひびきあって ものがたりは 進んでいるんだ
自分 ひとりで がんばるんじゃ ないんだ
それじゃ ものがたりに ならない からなあ

ということで そろそろ たばこを いっぷく
すいたく なったなあ

(この 記事は ひらがな だけで 書いた
文章を 漢字まじりに 書き直したものです。
https://hirakehibike.wordpress.com/
に 原文があります。)
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
   にこにこ にこざえもん
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/309.html

[雑談・Story41] ポンせん食べて 応援 (○○ちゃん への メール)
(○○ちゃん への メール)

ポンせん食べて 応援 という
販売ページに リンクする
キャッチフレーズを
おれの ブログページの
めだつところに 貼りつけてみた

そして ブログ記事の それぞれの
しっぽの ところにも 貼りつける ことに
したんだけど

こんな ことを 思いついて やってみては
よろこんで あそんで いるんだよな おれは

現実の せかいと 遊びの せかいを
ごちゃまぜに してるみたいで
へんな 感じ だけど
とにかく のりかかった ふね だから
とことん やって あそんじゃおう
という ことなんだな

こんな 宣伝の キャッチフレーズを
しっぽに つける となると
ブログの記事も もっと しっかり
かきたく なるよな

いま ブログ記事を
おかねを とって かく ひとが ふえてるけど
おれの この ポンせん食べて おうえんも
その 一種 なんだろうな

はりきって ブログ記事を かくことに しよう
なんて おもうよ
本腰を いれて かいて みたく なってる
んだな

じつは これが ねらいで
たべて おうえん の リンクを 貼りつけることを
思いついたんじゃ ないか
なんて おもうけどね

よのなか どんどん さわがしく なってるけど
おれは もう ぜんぜん 気に ならなく なっちゃった
気に していても どうしようも ないしね

それよりも 自分の つぎの 現実を
あそびの なかから つくって いきたいよな

そんな ふうにして
気がついたら 現実が あたらしく なっていた
なんて ことに なると いいんだけどなあ

ひと それぞれに それぞれの 現実を
つくって 生きている
なんて いわれるけど
○○ちゃんは どんな 現実を
つくるのかなあ
なんて おもってるよ

自分で つくる 現実だけど
まわりの ひと とか まわりの いろんな
世界と ひびきあい ながら
つくって いくんだよな

○○ちゃんが どんな 世界を つくって
いくのか おれも たのしみ だよ

それじゃあ


―――――
●● ポンせん食べて 応援 ●●
http://ponsendou.wordpress.com/
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
…   にこにこ にこざえもん

(原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/311.html

[雑談・Story41] 一直線イデオロギーを ぶっとばし  いろとりどりの 動きと ひびきあうんだ
ぽんせん堂 主人 にこにこ にこざえもん
として 徹底して あそんじゃおう
というのが おれの いまの 方針なんだ

いま だけじゃ なく いつまで たっても
そうして いたいんだけどね

とにかく あそんでたいんだ
おなじ 考えるに しても
なるべく 気楽に おもしろ おかしく
考えて いたいんだよな

おれの もともとの すがたは
遊び人間 なんだよな
それが いままで ずっと
まじめに やりすぎちゃった みたいだ

正しい 道が あって
それを 誰もが おいかけなくちゃ ならない
なんていう ばかな はなしを
やってたんだ
まじめに なっちゃって ね

この 何千年かの ひとびとの 苦しみは
この ばかな はなし から 始まってるんだ

キリスト教 イスラム教
そして 仏教だって にたような ものに
なっちゃって
ひとびとを ながいこと 苦しみの なかに
とじこめて きたんじゃ ないのかなあ

すべてを 単純な ものさしで はかって
これは よい これは わるい
なんて
一直線に ならべて
その なかで 誰が より す進んでるか
なんて 競争させてたんだよな
そして ひとびとの こころを 貧しく
させて きたんだ

まじめ人間 ほど
これに やられちゃう
そして どうしても 他人に 冷たくなる

まあ いままでの 古い文明の ことは
もう どうでも いいんだ
これからの ことを 考えよう

これからは いろとりどりの うごきが
たがいに ひびきあい ながら
それぞれの 道を すすむ
という ことに なるんだろうなあ

誰が 誰よりも 進んでる
なんて ことは 関係ないんだ
だれもが それぞれの 道を
いろとりどりに おもい おもいに
歩くんだ

誰にも 共通の
進歩 進化 なんていう 考えは
ひとびとを くるしめる だけの
いびつな 考え方 なんだよ
いびつな 一直線イデオロギー なんだ

ああ いままでの ことは
もう どうでも よかったんだな
いろとりどりの 動きが たがいに ひびきあう
その おもしろさを 考えるんだった

あかんぼうが そこに いる だけで
そして ときどき にっこり 笑ったり
あるいは 無心になにかを していたり する
姿を みれば
見も知らぬ あかんぼう だって
だれでも なにかを 感じて あったかな 気持ちに
なれる はずだ
まあ 虫の いどころが わるければ
こんちくしょう と はらが たつときも
あるのが 当然だけど
文明 全体として 冷たい こころが
さきに たつのが あたりまえ
なんていう ことなら
それは いびつな 文明なんだよ
そして ある ときが くれば
当然のごとく こわれて いく 文明なんだ
そんな 文明から 逃げだす ときが
来たんだよな

あかんぼう だけじゃ ない
どんな ひと からも
あるいは 山や 川や 草木や 動物の
どんな すがたからも
いろんな ひびきあいを 感じながら いきていく
それが おもしろいんじゃ ないかな

その ひびきあいの なかで
それぞれが いろとりどりに 自分の 道を すすむ
それが 本来の ひとの すがた
本来の いきる おもしろさ
なんじゃ ないかなあ

ひびきあいの おもしろさ とは どんな ものだ
なんて 言われると 困っちゃうんだけどね

それを おもいだすのが いまの おれの
目指す ところ なんだと 思うんだよ

ふるさとの ひびき みたいな ものが
かすかに きこえて くるような 気が するんだけど
その ひびきが たぶん おれを みちびいて くれる
なんて 思いたい ところ だよな

その ふるさの ひびき みたいな もの から
つたわって くるのが

身のまわりの いろいろな うごきと
ひびきあい ながら 生きていく ことに
おもしろさが あるんだ
という こと なんだよな

そうに ちがいない と はらの そこから
おもうんだ

そして やっぱり 遊ぶことが 肝腎だと
おもうんだ

まじめに なって 一直線イデオロギーの
文明に はいって いくのは やめて
ひびきあいの おもしろさを 感じられる ように
あそぶ
このさい 徹底してあそんじゃうのが いい
そして いつまでも あそんで いるのが
本来の いきる たのしみ
という ふうに 思ってるんだよな

という ことで どうしたって
にこにこ にこざえもんの 出番だよな

―――――
●● ポンせん食べて 応援 ●●
http://ponsendou.wordpress.com/
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
…  にこにこ にこざえもん

(原文は、ひらがなにほんごです)
―――――


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/312.html

[雑談・Story41] 天国をつくるのか 地獄をつくるのか
預金封鎖とか ハイパーインフレとか
ひとを 不安に させる はなしが あふれてるけど
なにかが おこらなくちゃ ならないのは
今となっては 確かなんだろうと 思うしかないよな

預金とか 株とかが
消えてなくなってしまうのは 避けられない
という ことに なる

たとえ ゴールドや ダイヤモンドなどに
しておいても そんな ものを 隠し持っているのは
非国民だ なんて ことに なって
売ろうとしても どこにも 買い手が いない
なんて ことに なるのは 目に見えてる

預金封鎖みたいな ことを やるいじょう
とうぜん ゴールドなどに たいする 徹底的な
管理は あるはずだよ

土地や建物を もってれば
資産税みたいな もので ひどいめに あう

ということは ほんの わずかな 数えるほどの
人間を のぞいて
だれもが みな 裸に される という わけだ

そんな ことも 考えて おく 必要が
でてきた みたいだな

みなが はだかに なって 助けあうか
あるいは はだか どうしが たがいに 奪い合うか
助け合えば 天国
奪い合えば 地獄
という ことに なるんだよな

助け合えば ほんとうに 天国が 実現しそうだ
今までは 実現できなかった
ほんとうの 天国を 手にできるんじゃないかな

日本人の おおくは たぶん 天国行きだよ
そんな ひとたちが そろってる

こう 思えるのが ほんとに ありがたいよな

だから 日本人は ねらわれてるんだ
近ごろの教育は どうだ
日本人の 天国を 実現させる こころを
なんとしても めちゃくちゃに しようと
ねらいを さだめて 教育など すべてが
おこなわれて きているんだ

でも まだまだ 大丈夫だ
ここまで いろいろと 見えてくれば
日本人の こころが よみがえってくる
日本人の ひとり ひとりの なかの
ほんらいの こころが
まだまだ 生き残っていて よみがって くる

だからこそ 実際に 預金封鎖などを 
する まえに
そんな ことは いつでも できるんるんだけど
実際に そうする まえに
たっぷりと 不安を あおって おいて
ひとり ひとりを ばらばらに して
日本人の ほんらいの こころが よみがえるのを
じゃま しようと しているんだ

かれらが 欲しいのは 地獄なんだよ
ばらばらに なった 人間が たがいに
奪い合う地獄を かれらは のぞんでるんだ

かれらは 地獄の住民 なんだよ
だから 地球を 地獄に しようと してる
そして 日本人本来の こころを
目のかたきに している

世界中の ひとが
日本人も ふくめて はだかに される
というのは かなり たしかなんじゃ ないかな
その 時期が きてるんだよ

問題は その あと
ひとびとは 天国を つくるのか
地獄を つくるのか という ことなんだ
じっさいに 動くのは ひとり ひとりの
人間なんだ
かれらは 陰から 影響を及ぼしてるだけ

日本人の こころを よみがえらせるか
日本人の こころを だめにするか
その 競争が いま おこなわれているんだよ
その 大詰めに 近づいてるんじゃ ないかなあ

よみがららせる ちからが いま どんどん
わき上がって きてるんじゃ ないかな
そんな 動きが あちこちに 見えてきてる

それを たのしみに おれも がんばろう なんて
思っちゃうよな

これも ゲームの 一種なんだ
手に あせを にぎる おもしろい ゲームなんだ
日本人は この ゲームの かんじん かなめの
ところに いるんだよな
まさに 主役だよ

おもしろいぞ
だれもが それぞれの 持ち場で
この ゲームに 参加してるんだ

あとあとの 語りぐさに するため
このさい 思い切って のびのびと
思う存分 動いたら いいんだ

そんな とき なんだよな いまは

●●●●
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ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせんどう しゅじん
…  にこにこ にこざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/320.html

[雑談・Story41] 天国をつくるのか 地獄をつくるのか おどろき
1. おどろき[2] gqiCx4Lrgqs 2016年3月25日 06:17:12 : yPXkb2ZAZQ : mGS_3b7LILk[1]
道路標識の看板持って 道ばたに 立ってたいなあ


ずいぶん むかしの 歌で
天国よいとこ いちどは おいで
酒は うまいし ねえちゃんは きれいだ
なんてのが あったけど

そんな 歌を もごもごと くちづさみながら
天国行きは こちらの 方向です
と 書いた 道路標識の 看板を 持って
人通りの ある ところに 立っていたい
なんて 気がしたり するんだよな

もちろん 天国行きの 道は
ひと それぞれに べつ なんだ

だけど いままで 歩きなれてきた 道は
けっして 天国には 通じていない
というのは だれにとっても たしかなんだよな
そういう 世界 なんだよ いまの 世界は

看板 持って 立ってる なんて ことより
自分の 天国に さっさと 行けば
いいんじゃ ないか なんて 気も するんだけどね

そこで ふと 思ったんだけど
看板 持って 立ってる というのが
じつは おれの 天国 なのかも しれない

通りすぎる ひとたちの こころの なかに ある
なにかと ひびきあう 瞬間を
感じるのが おれの のぞみなのかも しれない
なんて ね

いろんな ひびきあいかたが あるんだと 思うけど
それらを 感じ取るのが おもしろいんだよな

まあ とにかく ゆったり のんびり しながら
看板 持って 立ってたい というのが
いまの おれの のぞんでる こと みたいだ

そして ひらがな にほんご なんだけど
そんな 看板を 書くには
ひらがな にほんごで なくちゃなあ
なんて 気持ちは ゆるぎないよなあ

なにか ことば ぜんたいに ひびきが 出てきて
その ひびきが ひとと ひととを つなげてくれる
みたいな 感じが あるんだよ

そんな ひびきが 出てきたときは うれしいよなあ
看板 持って 立ってたい というのは
その ことばの ひびきを つたえたい
という 気持ちが だいぶ 含まれてるんだろうな

天国行きの ことばの ひびき
地獄行きの ことばの ひびき
なんて いうのが ひょっとすると
あるのかも しれないぞ

そんな ことばの ひびきを もった 看板を
もって 道ばたに 立ってる
そんな すがたを イメージ すると
これは ほんとうに おれの 天国 かもしれない
なんて 思っちゃうよな

通りすぎる ひとたちと
この ことばの ひびきを とおして
一瞬の つながりを 作って ひびきあいたい
というのが やっぱり おれの のぞみ なんだ

それには どうしたって ひらがな にほんごだよ
天国に つうじる ことばの ひびき
という 感じが しちゃうんだ

というわけで
ひらがな にほんごで 遊びながら
天国よいとこ いちどは おいで
酒は うまいし ねえちゃんは きれいだ
なんて むかしの 歌を もごもご くちの なかで
うたいながら
そして 酒の うまさ ねえちゃんの きれいさは
地獄と 天国で どんな ふうに ちがうのか
なんてことに 思いを めぐらしながら
天国行きは こちらの 方向です という
看板 持って 道ばたに たってる

つまりは これを にこにこ にこざえもんの
まいにちの すがたに しよう
ということに なる わけなんだ

いっそのこと おれの 商売の ポンせんの
いちまい いちまいを この 看板に しちゃおう
なんて 思えれば じょうでき なんだけどね

ポンせんを やくときは いつも
その ときどきに 気にいった ことばを
もごもごと となえては いるんだけど
看板 持って 道ばたに 立ってる という
イメージのほうが おもしろそうだよなあ
やっぱり 商売とは べつに しなくちゃ
いけないか
ポンせんには また ちがった
やりかたが あるはずだしな
それを 見つければ いまよりも もっと おもしろく
ポンやきが できるんだ

なんて ことを さけかすを 食いたいだけ 食って
いい気分に なって 考えてるんだよな
いまの おれは

まあ しあわせ なんだろう
よかった よかった

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…  にこにこ にこざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
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http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/320.html#c1

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http://www.asyura2.com/13/nametoroku7/msg/582.html
[雑談・Story41] 乗っ取られた文明を とりもどすには 自分の からだを とりもどせ
このところ よく 眠れる
居眠りも 多いのが こまっちゃうけど
これは これで いいのか なんて 気も する

たぶん 花粉症の 軽い やつ なんだろうな
たばこの おかげだと 思うけど
あたまが いたく なったり 目が かゆく なったり
しないのが ありがたい

はんぶん 居眠りしながら ぼーっとしているのを
いままで 悪いことだと ばっかり 思ってたけど
そうじゃ なくて あんがい おもしろい ことかも
しれないよな

あたまだけで ものを 考えるんじゃなくて
あし こし はら むね あたま の
からだ 全体で ものを 思い 考える
からだ 全体から でてくる
おのずからの うごきの なかで
ものを 思い 考える

というような ことを はじめの うちは
居眠り みたいな ぼーっと した 感じとして
うけとめてるのかも しれないよな

すっきり さわやかな 感じで いたいんだけど
それを あたま だけが はたらいてる
すがたじゃ なくて
からだ 全体の おのずからの うごき
からだ 全体を めぐる 意識の ながれが
すっきり さわやかに なってる
そんな ふうに 自分を からだ 全体に ひろげて
その ひろがった すがたが すっきり さわやか
なんて ことに なると おもしろいんだけどね

いままでの 文明は あたまで 考える こと
ばっかりに かたよってたんじゃ ないかなあ
あたま というのは 外の 世界からの
情報の 受信機だ なんて 言われるけど
そとの 世界に あわせて ものを 考えるのが
あたまの はたらき なのかもな

だけど 外の 世界 といっても
いろいろ あるからなあ
おばけ みたいなのが うようよ してそうだ

ヨーロッパ哲学は ゆがんでる
だから あたりまえの 日本人は
ゆがんだ 哲学を とても 理解できないのは
当然だ
なんて 言ってる 哲学者が いたけど
そんな 感じは するよな

あるとき どこかで おばけに
乗っ取られたんじゃないかなあ
それで いびつに なっちゃった
哲学 だけじゃ なくて 文明全体が
そうなんだ

宗教で
わたしは ねたむ ものである
わたし だけを あがめ たてまつれ
なんて 言っているのが
文明全体を 乗っ取ってる おばけと
おなじもの なんだろうな

その おばけが 言ってるように
その 文明には おわりの ときが 来る
それが ちょうど いま という こと なんだよな

まあ ともかく
あたま というのは おばけでも なんでも
外から やってくる 情報に したがって
その わくの なかで 動くことしか
できないんだなあ

そして 簡単に イデオロギー中毒に
なっちゃう
だから 人間の あたまを 乗っ取るのは
あんがい 簡単 なんだよ
へんな イデオロギーを ふきこめば いいんだ

という わけで あたま だけで 突っ走るのを
やめなきゃ いけない
それには あし こし はら むね あたま
全体を はたらかせる という
人間本来の うごきを 取りもどす
という ことなんだろうな

これが さかしら ことあげを 嫌う
日本 本来の うごきなんだよな
そして この うごきが これからの 世界文明を
つくって いくんだ

そんな ことを 考えてみると
居眠り していても
あんがい からだの なかで
からだ 全体を つなげ むすびつけるような
動きが おこっているのかも しれない
そうだったら おもしろいんだけどなあ
なんて 思っちゃうよ

こんな 時代 だから
そんな ことも あるかも しれないよなあ

だけど 困るのは それを 確かめることが
できない こと なんだよな

でも 考えて みたら
確かめる 必要 なんて ないんだ
自分が そのつもりで いれば
おのずと そう なるんだ

自分の からだ 全体 から でてくる
おのずからの 動きを じゃま しなければ
おのずと すがたを あらわして くる
そんな 文明を おれは 望んで いるんだよな

それこそが ほんとうの 文明だと 思うんだよ
あたまを 中毒に させるような
イデオロギーが 文明を つくるんじゃ なくて
からだ 全体が ひとつになった
人間の うごきが
文明と なって あらわれるんだ
よく 言われる フラクタル という やつだよな

べつに 確かめる 必要 なんて ないんだ
おのずと そうなるように なってる

居眠り したければ さからわずに 居眠りしてる
それが 文明を よみがえらす
なんて 思ってれば いいんじゃ ないかなあ
居眠り してるのも あんがい
クリエイティブ なのかも しれないぞ

そう いえば なんという SF映画 だったか
何人もの ひとが
電線を 何本も あたまに つないで
居眠り してるみたいな 感じで
椅子に すわっている
それが なにか クリエイティブな ことを
しているらしい
というような 場面が あったけど
そんな すがたを 思いだしちゃうな

自分の うちがわの クリエイティブな 動きを
電線で そとに 流してる ということ 
なんだろうけど
ほんとは 電線 なんて なくても
ちゃんと 伝わるんだろうけどね

そういう わけで 居眠り することに
いぜん みたいな 罪悪感が なくなったのかも
知れないなあ
花粉症から 来るらしい 居眠りを そうやって
いいわけ してる だけかも しれないけどね
ごくろうさん


… ぽんせん堂 主人
…  にこにこ にこざえもん

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/324.html

[雑談・Story41] ハイパーインフレに続く ベーシックインカム という シナリオ
ハイパーインフレに 続いて
ベーシックインカムが 実現する
という シナリオに ついて
ほんの ちょっとだけ
考えて みたく なった

ハイパーインフレ みたいな ことで
世界中の通貨が めちゃくちゃに なる
そして だれもが 新しい ものを
受け入れざるを えなくなる

その 新しいもの として
ベーシックインカム みたいな ものが
実現する

という シナリオ なんだけど
いま ちょっとだけ 考えて みたいのは
それを 実現させる 条件に ついて なんだ

おかねの ために しかたなしに いやいや 仕事を
している
という 職場からは ひとが いなく なるだろうな
だから しばらくは 混乱が つづく

そのとき 必要な 仕事を 誰かが 買って出る
という 助けあいが はじまるか どうかが
この シナリオの いちばんの ポイント だよな

台風や地震 みたいな 災害の とき
貧乏人も 金持ちも くべつなく
そのときに 困っている ひとを 助けようとする
という 本能的な うごきが
日本では つよく 残っていて
それが 世界中の ひとたちに おどろきを
あたえて いるんだけど

この シナリオが なりたつ ためには
日本人の この本能が 表に出てくる
それを 世界中の ひとが まねる
ということが どうしても 必要 なんだろうな

これは たぶん 大丈夫だ
世界の すべてを 巻き込む ハイパーインフレ
という 災害を 目のまえに すれば
そして 必要な 仕事を 目の前に すれば
たぶん 大丈夫だ

なにしろ 災害の ときには
どろぼうは どろぼうを やめる
暴力団は こまっている ひとたちに 水を
くばる
そして 助けあいが はじまる
そして それが 世界中の ネット あるいは
マスコミで つたえられる
というのが 神戸でも 福島でも
実現 してるんだからね

ベーシックインカムで だれもが ボランティア として
いくらでも 活動 できるように なれば
助けあいの うごきは いくらでも ひろがるだろうな

それぞれが 思い思いに うごき
まとめ 役が あちこちで 思い思いに うごく
ということが 実際に おこってるんだよな
だれかが 中心に なって 全体を みちびく
なんて ことは 必要 なくてね

これは 世界を 混乱 させようと する
連中に とっては おおいに 困った こと
なんだろうけどね
だからといって 日本人の やりかたを
だめに しようとして あからさまな 手を
打ってくれば 逆効果に なるだろうしね
というか 神戸や 福島は 日本人を
だめに するための 手段に しようと
してたのかも しれないけど
逆効果 だったんじゃ ないかなあ

ということで この シナリオの 第一の
ポイントは 大丈夫 という ことだと 思う

そこで つぎの ポイント だけど
これも おれは 楽観的 なんだよな

ベーシックインカムで だれもが
かねの ために 働く必要が ない
という あたらしい 世界で
われわれは 生きる 楽しみを どこに 見つけ出すか
という ことなんだ

これは 江戸時代の 庶民の くらしぶりが
参考に なるんだろうな
江戸時代の ひとびとの くらしが
いかに すばらしいもので あったかを
外国人が おどろきの 目で 語っている
本が たくさん ある みたいだ

世界中の ひとが あこがれるような くらしが
あったんだ
それを ベーシックインカムで よみがえらせる ことが
できるか どうか
という ことに なるんだよな

ジャパン クール なんて 言われる いまの 日本の
うごきを みても 楽観的で いて
いいんじゃ ないかなあ

それぞれが 勝手に おもしろいことを はじめるのが
日本の おいえげい なんだよな

日本人の 欠点 として
おかみに よわい
官僚組織に 簡単に 支配される
という ことが 言われるけど
ベーシックインカムが ほんとうに 安定 したら
その 欠点は きえちゃうんじゃ ないかな

だから いまの 世界を 支配している
連中は
ベーシックインカムを なんとか 骨抜きに したい
なんて 思ってるに ちがいない

日本人が 簡単に 支配を うけいれ
そして たがいに いがみあい 奪いあうように
しむける しかけを もぐりこませて おきたいと
思ってる はずだ

ここだよな 第二の ポイントは
ベーシックインカムの 骨抜きを ゆるさない
という つよい 態度が とれるか どうか

ひとり ひとりに がんばって ほしい ところだよな
たぶん 大丈夫だと 思うけどね

ということで ほんとうに ちょっとだけ
この シナリオに ついて
考えて みたんだけど
楽観的に なって つよい 態度で
シナリオの 実現を のぞむ
という ひとり ひとりの 思いを
表に 出してくる ことが
シナリオの 実現の ためにも
実現した あとの 世界を つくる ためにも
肝腎なんじゃ ないかなあ
そんな 気が するんだよな

… ぽんせん堂 主人
…  にこにこ にこざえもん
http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/325.html

[雑談・Story41] 日本人は暴力とむさぼりの権力を 骨抜きにする
中国人 朝鮮人の 動きをを
ものすごく いやな 感じで みている
日本人が おどろくほど 増えてる みたいだね

アメリカに 占領されてから 70年
中国人 朝鮮人に 対する
罪悪感を うえつけられて きたんだけど
それが やっと 弱まって きたのかな

かれらの 動きに たいする いやな 感じを
罪悪感で おさえこむことが
もう できなくなって きているのかも しれない

アメリカの おもわくが いまは 逆に なって
罪悪感を うえつけるより
かれらに たいする いやな 感じを あおるように
なったからだ
という はなしも あるけど
それだけじゃ ないと 思うんだよ

この いやな 感じ というのは
もともと 日本人の なかに
おお昔から あったんだ

聖徳太子が ペルシャで うまれた ひとだった
という はなしが ある くらいに
いろんな ひとたちが 日本に ながれて きてたんだ
とくに 中国 朝鮮からは
おおかったんだろうな

ながれこんできた というのは
もともと 東のはての くに
日本に あこがれ 目ざしていたのか
あるいは 皆殺しの 暴力から
にげだして きたのか
ともかく
中国 朝鮮には いばしょが なかったか
あるいは いやな 思い しか ない
ひとたちだったんだ

そんな ひとたちが もともとの 縄文の
ひとたちと とけこみ まざりあって できてきたのが
いまの 日本 なんだろうな

だから 中国に 住む ひとたちの もっている
皆殺しの 暴力から 日本を まもる
というのが
日本人の こころの おくそこに あるのは
当然 なんだよ

いまの 中国人は
何千年の ふるい 文明を わがもの顔に してるけど
その 文明を つくったのは
じつは いまの 中国人じゃ ないんだよな
だから いまの 中国人は
ふるい 文明とは かんけいない
生き方しか できてない
暴力と むさぼりの なかに いきてるんじゃ ないかな
そんな 気が しちゃうよ

朝鮮 だって おなじだよな
いまの 朝鮮に ふるい 文明の なにかが
残ってるなら いまのようには なってない はずだ

という わけで 日本人は
おお昔から 中国 などに たいする
いやな 感じを こころの おくふかくに
もって きてるんだ
聖徳太子の 時代だって そうだったんだ

そして 日本を まもらなきゃ かれらと
おなじに なっちゃう
という 感じを つよく もっているんだよな

だから アメリカに 占領されて 70年
いま いやな 感じが おもてに でてきてるのは
根が 深い ものが よみがえって きてる
という こと なんだよ

そこで おれは 思うんだけど
この 根が深い ものは
じつは もうひとつの おおきな 性格を もっている
ということ

それは 日本人が どんな 顔を 権力に
たいして 向けているか ということ なんだけどね

日本人の 欠点 として
権力に よわい
権力に かんたんに へつらう
という ことが 言われるけど

これは 日本人 本来の 性質じゃ
ないんじゃ ないかなあ
明治から 150年
アメリカの 占領から 70年
この あいだ だけに この 欠点は
目立ったんだけど
本来は ちがうんじゃ ないかなあ

江戸時代 あるいは その ちょっと まえの
日本人は そんな 欠点とは
ぜんぜん 関係 なく
のびのびと 自由に うごいてたんだ

江戸時代 日本人は 権力に
ひれふしてた
なんて インチキを 宣伝 してきたけど
じつは 農民一揆 なども
かなり 本格的で はげしかった ようだし
町民 たちも 権力なんか 目にもくれず
自由に くらしを 楽しんで いたんだ

徳川幕府は こんな 日本人の くらしを
まもる という 役割を はたすことで
300年 つづいてきたんだよ

のぶなが ひでよし いえやす
という ひとたちの ながれに したがって
江戸幕府は うまく やってきたんだけど
それは 日本人の くらしを まもる
という ことに つながって いたんだ

だけど 明治から こっちの 150年
ある 意味で 日本人の くらしは
結果的に まもられて きた
だけど その いっぽう
日本人の くらしを ぶちこわす
露骨な うごきを 権力は やってきてる

江戸幕府とは ぜんぜん ちがうよな
どうも なにか べつの 勢力が でてきて
権力を にぎったんだなあ

外国の 暴力を バックに
じぶん だけの 利益を むさぼる
そんな すがたを さらして きてる

この じぶん だりの 利益を むさぼる
というのは 日本人の いちばん きらう
中国 朝鮮の やりかた なんだ
日本人の ねっこに ある
むかしからの 感覚が 目を さますことに
ならざるを えない

いま きゅうに わきあがっている
中国人 朝鮮人に たいする
いやな 感じは
じつは いまの 日本の 権力に たいする
いやな 感じと つながるんじゃ ないかな

日本人の くらしを まもらず
はんたいに 露骨に ぶちこわそうと している
権力に たいして
日本人が じぶんの ねっこにある 感覚を
おもいだして どう 動きだすんだろうなあ

日本人の やりかた というのが あるんだろうな
暴力と むさぼりに たいして
別世界を つくって そこに ひっこす
という ことなんじゃ ないかな

おおむかし 東の はての くに 日本に
あこがれたり または 逃げ込むように
ひっこして きた ひとたちを 受け入れながら
集団と なってきた 日本人は
こんどは ぎゃくに 権力を 追い出す
という ことに なるんだろうな

その やりかたは
あたかも 自分たちが 逃げる ひっこす
みたいな かたちを とりながら
じつは 権力を 骨抜きに する
という ことを やるんじゃ ないかなあ

じぶんたちの 別世界を つくって
そこに 逃げる ひっこす
というのは
権力を ほねぬきに するには
いちばんだよな

そして 自分だけの 利益を
暴力と むさぼりで 実現するような
やりかたから
じぶんたちを まもろうとする 思いを
じぶんの ねっこ として さらに 育てて いくんだ

江戸時代の 日本人 みたいに
じぶんたちの ちからを ちゃんと わきまえた うえで
元気に 自由に おもうぞんぶんに 生きていく

そんな うごきが いま はじまったんじゃ
ないかなあ


―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
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(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
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[雑談・Story41] シナリオなし マニュアルなしで 即興劇を やっていく文明
http://hirakehibike.wordpress.com/

おれの 望んでいる 文明 というのは
シナリオなしの 文明
だれもが 自分の即興劇を やっていく文明
という ものだと 思うんだよな

自分の 周囲と ひびきあい ながら
あるいは 自分の理想 みたいな ものと
ひそかに ひびきあいながら
即興劇を それぞれに たのしむ
だれかが 書いたシナリオを なぞるんじゃ なくてね

どんどん こわれて いってる いままでの 文明に
最後まで つきあってる 必要は ないんだよな

もう ここらで 自分の ものがたり
自分の 世界を つくって
そこに ひっこしても いいんだ

自分の ものがたりは どうしたって
即興劇に なるよなあ
自分の 感覚を フルに はたらかせて
自分の 思うとおりに うごく
それが おもしろいんだ

即興劇 というのは どうしても
悲劇じゃなくて 喜劇になる
と言うんだけど
どうして なんだろう

人間 というのは 自由に うごけば
喜劇を やるように できて いるんだろうか

いままでの 文明 では
だれかの 書いたシナリオに したがって
悲劇も 演じてきた わけだけどね

宗教的な おしえ とか
世間の 常識 とか
学校で おしえるような こと とか
マスコミが ひとびとに おしつけてる こと とか
そんな ものの なかで
悲劇を 演じて きちゃったんだよな いままでは

そして 世界が いま どんどん こわれてる
という ことは
ひとり ひとりに おしつけられた シナリオが
こわれてる という ことなんだ

これからは ひとり ひとりが
即興劇を やるしか ないよな
それは どうしたって 悲劇じゃ なく
喜劇に なるって 言うんだから
うれしく なっちゃうよ

おれは どう 考えたって
ちょっと ほろにがい ような
喜劇を 演じるように できてるんだよ
おもしろ おかしく 生きて いきたいんだ

自由に なって
自分の 感覚を はたらかせて
自分を ひろげて
自分の まわりと ひびきあって
ひらけ ひびけ という ブログの タイトル どおりの
人生 ものがたりを やって いきたいんだよなあ

即興劇を ネットで
しらべて みたら

・よく 聞く
・自信を もつ
・わかりやすく 表現する
・考えないで 演技する

というのが 演技を おもしろく やるのに
かんじんな スキル なんだそうだ

こんなことを スキルに しちゃうのは
いかにも アメリカ うまれの
即興劇 思想 だけど
でも このさいだから
スキル という ことで おれも
受けとめて みようかな

・よく 聞く ための スキル
… これは 自分の まわりと ひびきあう スキル
自分の 内面と ひびきあう スキル
ということに なるんだろうけど
この スキルを 自分の からだに しみこませて
スキル そのものは わすれて しまう
という ところまで いけば いいんだよな

・自信を もつ ための スキル
… 自分の 感覚に したがって うごくのを
当然 あたりまえの こととして
なんの 疑問も もたない
という こと なんだろうな

練習を かさねて 自分で つかんでいくしか
ない ものだと 思うんだけど
スキル として そとから あたえられちゃうと
マニュアル みたいに ことば として あたまだけで
受け取られちゃうんじゃ ないかなあ
これが アメリカの やりかた という ことなんだなあ

・わかりやすく 表現する ための スキル
・考えないで 演技する ための スキル
… 考えずに 自分の 感覚で のびのび
やってれば おのずと つたわるものが ある
わかりやすく しようと しなくても おのずと
つたわるんだ
なんて おれは おもっちゃうんだよな
学校や セミナーで おしえられる スキルが
どのていど 実際に やくに たつんだろうな

おのずと つたわる なんて いうと
わけの わからない ことを 言ってる みたいに
受け取られちゃうけど
それを のりこえると たからものが
手に はいると 思うんだよな

という ことで おれは どうも スキル というのが
マニュアルを あたえられちゃう みたいで
やっぱり すきに なれなんだ

この 感覚は 日本人の おおくが もってると
おもうんだけどね

即興劇は シナリオ なしで
そして どうじに マニュアルも なしで
自分を はだかに して
自分を みがるに して
ぶつかって いくのが おもしろいんだよな
そうしてこそ いろんな ひびきあいが でてくるんだ

じつは これこそが あたらしい 文明の やりかた
なんて 気が しちゃう

文明 という ものの なかで
おのずからの うごきを ひきだす なにかが
いきいきと はたらいてる

そんな 文明 だよな
これからの 文明は
そして ひとり ひとりが 自分の
即興劇を やっていくんだ
おもしろそうだよなあ
元気に にぎやかに やっていけるんじゃ
ないかなあ

―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  にこにこ にこざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/327.html

[雑談・Story41] 即興劇というのは どうしても 喜劇になるんだ
http://hirakehibike.wordpress.com/

ふくしまの ことを 思ってたら つい 感情が
たかぶって
逃げろ 逃げるんだ そして 自分の 世界を
つくるんだ
なんて さけびごえを あげたく なっちゃった

おしつけられた 悲劇の シナリオを すてるんだ
そうすれば 世界は ちがって 見える
そして 自分の 即興劇を はじめれば いい

おしつけられた シナリオが これから どう
変化 していくか なんて ことを
待ってれば いつまでも この シナリオから
ぬけだせない
そうじゃ なくて 自分の 即興劇を
すぐにも はじめるんだ
そうすることは できるんだ

なんて 感じで さけびたく なっちゃったんだよな
だけど ちょっと 落ちついたら
自分の 世界を つくる
自分の 即興劇を はじめる とは
どういう ことなのか
考えて みたく なってきた

共同体と つながる 安心感 とか
神々と つながる 安心感 とかに
たよれない ような 気分に なって
たよれるのは 自分 ひとり
そんな 感じに なっちゃいそうなのが 気になるんだ

そんな 感じの まま
自分 ひとりの 世界を つくらなくちゃ いけない
なんて 思わなきゃ いけないのかなあ なんて ね

ある 意味で そうなんだろうな
だけど 自分と いっても いろいろ あるからなあ

どの 自分を おもてに だしてくれば いいのか
という ことだよな

おぼれかけてる こどもを みたら
なにを さておいても 助ける
そんな 気持ちも たしかに おれの なかに ある

あとさきを 考えない その 瞬間の
自分が たしかに おれの なかに あるんだよな

その 瞬間の 自分 というのは
稼ぎを もうすこし ふやそうと 思ってる
自分でも なければ
共同体と つながる 自分でも ないし
神々と つながる 自分でも ない
そうじゃ なくて
あかんぼうの ままの
いのち そのものの 自分が
瞬間的に 顔を だしてきてる みたいな
感じだよな

いろんな 自分が とっかえ ひっかえ
顔を だしながら おれの ものがたりは
すすんでるんだろうな

即興劇を やると なっても
いろんな 自分が 顔を だして くるんだろうけど
でも ものがたりを すすめる いちばんの パワーは
あかんぼうの ままの 自分 なんじゃ ないかな
そんな 気が するんだけどね

いろんな 文明が あるから
あかんぼうを まるで イヌでも しこむ みたいに
きびしく わくに はめこもうとする 文明も
あるんだよな

日本は もちろん そんなことは ない
あかんぼうを あかんぼうの ままで
あたたかく 見守る
あかんぼうの 動きの ひとつひとつを
おもしろがり いっしょになって よろこんでる

そんな 文明の なかでは
あかんぼうも 安心して のびのびと くらせる
おとなに なっても あかんぼうの ままの 自分を
おもてに だしても 問題は ない

ありがたいことに そんな 世界が のこってるんだ
だれの こころの おくそこにも ね

ワンパターンの 悲劇の シナリオを
すべての ひとに おしつけようと する
露骨な うごきが はげしい けど
まだまだ 大丈夫だ
いざとなれば こころの おくそこの ものが
うごきだす
そんな 日本は ほんとうに 不思議な 国 だよな

たよれるのは 自分 ひとり
そう 思う とき
この あかんぼうの ままの 自分が
うごきだすと いいんだよな

あかんぼうは 自分 ひとりで いきてる
だけど まわりと つながってる ひびきあってる
おおきな よろこびを まわりに 与えている

これこそが 即興劇の 極意
自分も たのしい まわりも たのしい
にこにこ顔が ひろがる

人為的に おこされた ふくしまの 悲劇
人為的に おしつけられている 悲劇の シナリオ
そこから ぬけだすには 自分も
人為的な うごきを する 必要が あるんだ

自分の やっている ものがたりを
即興劇に とりかえようとする
人為的な うごきを おこす ことだよな

まわりの ひとたちの こころの おくそこに ある
あったかいものを 引き出しながら
ひらけ ひびけを やっていくのが いいんだ

もし それが だめだと わかったら
そのときは ほんとうに 自分 ひとりの 世界に
ひきこもれば いい

おおむかし 中国に たくさんの
隠遁者 まわりの 世界と 関係を 絶って
ひとりで 生きていく ひとたちが いたらしいけど
自分の ことしか 考えない 皆殺しの 勢力が
どこからか はいりこんできて
中国 という 国を めちゃくちゃに
したんだろうな
だから 隠遁するしか なかったんだ

日本が そんなことに なるなら
その ひとたちの こころを 思って
その ひとたちの こころと つながって
おれは 生きていけば いい
なんて おもうんだ

だけど あちこちで ふきだしてる うごきを 見てると
日本は だいじょうぶだ
世界を 救える
世界は 日本に 期待している
なんて おもっちゃうんだよな
ほんとうに

そして おれの 即興劇を
おもしろ おかしく やっていこう
なんて 思うよ

即興劇 というのは どうしても
喜劇に なる というのは
そうだろうなあ と
みょうに 納得 できるんだよ

人間 というのは もともと
そういうふうに できてるんだろうなあ
ありがたいねえ


―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  にこにこ にこざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/328.html

[雑談・Story41] ベーシック インカム 実現に すこしは役に立つかも知れないから
せっかく ベーシック インカムの ことを
考えるんだったら いままで どおりの
常識を おもいきって はなれて 考ええなきゃ
おもしろく ないよなあ
常識の わくを 突きぬけて 自由に
のびのびと 動きたいよなあ

経済の はなしに 限らないけど
世界が ひっくりかえる おおきな 変化が
おこって いることを ひしひしと 感じて
いるくせに
いままでの わくに はまった ままで
ものを 考えようとする ひとが おおいんだよな

とくに 専門家 みたいな ひとが だめだなあ
いままでどおりの わくぐみの なかに
なんとか はなしを 押し込めようと して
むりを しちゃうから どこかに ごまかしが
はいって くるんだ

それを やってる ひとは 自分でも わけが
わからなく なって 来るもんだから
自分の あたまで 考えることを やめちゃって
どこか 外国の 有名な ひとの
言ってることを 引っ張りだして 来たりして
自分を ごまかし そして 他人も ごまかす
そんな ことを やってるんじゃ ないかなあ

専門家 みたいな ひとたちより
ふつうの 庶民の ほうが
自分の 感覚で ものを 考えるし
そして むりに ごまかそうとも しないから
ちゃんと 見るべきものを 見ることが できるんだよな

人間の 直感 というのは
ものごとの 本質を 見抜いて いるんだよな
だから 本質を どこかで ごまかしてるような
はなしを わけがわからない はなしだと
ちゃんと わかるんだ

だから 専門家が わけの わからないことを
言っても 気にしないほうが いいんだ

いままでの 世界は
はだかの おおさまの ごまかしの うえに
できてたから
その ごまかしに のっかって 動くのが
かしこい ひとだ という ことに なってたんだけどね
だから いかにも かしこそうな
わかり やすすぎる はなしも だめなんだよな

学者を やってて そのあと
政府の 責任 ある ポストに ついて
そして いまは ある 人材派遣会社の
役員
なんて ひとは ひとびとを ごまかすのが
うまかったんだろうな
だけど その ひとが ほんとうに しあわせか どうか
わかったもんじゃ ないよな

そんな 世界は おわったんだよ
ごまかしの 世界が おわって
あたらしい 世界を
みんなで つくっていく とき なんだ

というより それぞれの ひとが
思い 思いに それぞれに 動けば
おのずと あたらしい 世界が みえてくる
という こと なんだろうな

だれもが 自分の のぞんでいることを
自分の 直感に したがって それぞれに
実現させようとする
そんな 動きを ささえるのが
ベーシック インカム なんだから
そんな 誰もの 動きが なければ
ベーシック インカムは ちゃんと はたらけない

だれもが それぞれに 思い 思いに 動くことが
ベーシック インカムの ほんらいの はたらきを
引き出すために ひつようなんだ

そうで なければ
ベーシック インカムは 必要ない
なんて ことに なっちゃう

二人三脚 みたいにして
ひとり ひとりの それぞれの 自由な 動きと
ベーシック インカムは
ふたつ そろって うまく はたらくんじゃ ないかなあ

そして しばらく すれば
おカネは あっても なくても おなじことだ
という ことに なってきて
ベーシック インカムは 役割を おえて
消えて いくかも しれない
もちろん そのときは おカネ というものが
すべて 世界から 消えていくんだけどね

そして のこるのは
ひとり ひとりの 自由な 動きと
助けあい
という ことに なりそうだよな
そして あたらしい 世界が うごきだす

だから おれが 思うのは
ベーシック インカムを 望む こと
そして あたらしい 世界を 望む こと
この 望みは
ひとり ひとりが 自分の 自由な うごきを
実現 させることで もたらされる
という ことなんだ

という ことで おれも がんばって
自由に のびのび しなくちゃ
なんて 思うんだよな

ベーシック インカム 実現に すこしは
役に たつかも しれないから
このさい はめを はずして おおいに やってみよう
なんて ね

―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  にこにこ にこざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/330.html

[雑談・Story41] 文明をよみがえらせる台風
このところ のんびり すごす 日が つづいてる
世界は あいかわらず いろんな ニュースで
さわがしいけど ほとんど 気に ならない

そして おれ 自身も
ああしなくちゃ こうしなくちゃ
というような 思いが きえちゃった みたいで
世界も おれも しずかな 毎日が つづいてる
そんな 感じに なって きてるんだよな

おれも 世界も ものすごい 変化を しているのは
まちがい ないんだろうけどね

その 変化が しずかに ゆっくりと 進んでる
みたいな 感じが してきたんだよな

台風が とおりすぎる とき
がたぴし する 家の なかで じっと しながら
みょうに しずかな 感じで いるときが あるけど
そんな 感じ かなあ
のんびり しずかに してるときの おれは

台風も 日本人の こころに
天地自然との つながりを たいせつに する
すばらしい ものを つけくわえて くれて
いたんだろうな

いまは 台風を 勝手に つくったり
すすむ 方向を きめたり
人間が できるように なっていて
日本人を こまらせる ために
そんな ことを やってる 連中が
いる みたいだけど
かれらには とても 理解 できないんだろうな

台風や 自然災害は
日本人に とって 悪いこと ばっかりじゃ ない
日本人の こころを 育て 守る ものでも ある
という ことが ね

ふくしまも ずいぶん たくさんの 被害者を だし
これからも たくさんの ひとに 苦しい おもいを
させるのかも しれないけど
その ひとたちの おもいを いきのこった
日本人が どう うけとめるか
そして どう 動くか
ということ なんだよな たいせつなのは
死んだ ひとたちは 手に あせを にぎって
いきのこった ひとたちの 動きを みてるんだろうな

ねがいは ひとつ なんじゃ ないかな
日本に つたわる 人間 本来の 文明を
よみがえらせ 世界を すくう
なんて いうと ことば だけが うわついてる
感じに なっちゃうけど
だけど ほんとに そういう こと なんじゃ ないかな
死んだひとも いきてるひとも ねがう ことは

台風が とおりすぎる 夜の じかんを
みょうに しずかな 気持ちで すごしていた
こどもの ころの ことを 思いだしながら
そんな ふうに 思うんだけどね

この なんにちかで おれが 感じるのは
つまりは そういう ことなんだ
だから いまの ものすごい 変化
太陽系 全体を まきこむ ものすごい
変化が
しずかな ゆっくりとした
だけど けっして 後もどり しない 動き
みたいに みえて きてるんじゃ ないかな

そして この 動きは ひとり ひとりの ひとの
こころの なかに おおきな いのちを ふきこんでる
なんて 気が しちゃうんだよな

宇宙から ふきこまれる おおきな いのちの
なかで それぞれが それぞれに いきていく
ということが 人間 本来の 文明を
よみがえらせる なんてね

生きるか 死ぬか それは 問題じゃ ない
それぞれに それぞれの
いきているときは いきている ときの いきかたを
死んだときは 死んでからの いきかたを
すればいい
という ことなんだよな

生きても 死んでも いまの 日本人は
人間 本来の 文明を よみがえらせる
という やくわりを はたすように
おのずと なってるんじゃ ないかな

という ことで おれも
こどもの ときの 台風を やりすごす
しずかな 夜を 思いだしたり しながら
しずかな こころに なって
自分なりに 自分の おもう とおりに
いきても しんでも やってれば
文明の よみがえりに
おのずと 協力 してることに
なるんだよな

という ような ことを
この なんにちか いねむり しながら
思ってたのかも しれないな


―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  かろみ つらねざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――



http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/333.html

[雑談・Story41] いのちの おのずからの 動きが つくる プリズム文明
http://hirakehibike.wordpress.com/

ここ なんにちか プリズム文明論
プリズム人生論 みたいな ことを
考えては よろこんでるんだ

いままでの 文明が
進化・発展を たいせつに する
人間の 思想に
ねっこが あったと すれば

これからの 文明は
それぞれの カラーを たいせつに する
いのちの おのずからの 動きが
ねっこに なるんじゃ ないかと 思うんだよ

それぞれの カラー というのは
それぞれの いのちが もっている 生まれつきの
特徴 なんだけど

いのち というのは
宇宙に みちている 無色透明の ひかりを いろづけ して
それぞれの カラーとして 世界に おくりだす
そんな はたらきを してるんじゃ ないかなあ

ちょうど 太陽の ひかりを プリズムに
あてると いろいろの カラーが でてくる みたいに

だから いのちは プリズム なんだ
プリズムと ちがうのは
いのちの 場合は それぞれに 受け持ちの
カラーが ある ということだよね

ガラスで できた プリズムは 総花的で
いのちの プリズムは 個性的
という ことなんだ

この 個性 というものを どう とらえるかが
ふるい 文明と これからの 文明の
ちがい なんだよな

ふるい 文明 では
一直線に ならんだ 進歩 発展の
すじみちの どこに いるかが ひとの 個性の
ねっこに あって
ひとより すすんでる とか おくれてる とかが
問題に なるんだけど

これからの 文明 では
そんな ことは 関係 ないんだ
あか あお きいろ むらさき みどり
そして それらが 混ざった 微妙な いろどり
それぞれの カラーが いろとりどりに
世界を にぎやかに していく
そんな 文明 なんだ

それぞれの いのちは 自分の カラーを
どんどん おもてに 出して いくこと
そして べつの カラーと ひびきあいながら
自分の カラーを 変えていくこと
そんな ことを やってるんじゃ ないかな
それが いのちの はたらき というもの なんだ

自分の カラーを だすことに
そして ひびきあいの たのしみを
深くしたり 広くしたり することに
それぞれに 努力 目標が あったとしても
いままでの 進歩 発展 主義 みたいに
だれにも 共通の ただひとつの すじみち
なんて ものは ないんだよな
だから ひとより すすんでる おくれてる なんて
ことは まるで 関係が ないんだ

そして ここが かんじんだと 思うんだけど
正しい みちと まちがった みち
かしこい みちと おろかな みち
というのが あって
自分は 正しく かしこい みちを
あるいて いるか どうか
いつも いつも 気にしてる 必要は ない
という ことなんだ

正しい とか かしこい とかを 決める
ものさしが
自分の ものじゃ なくて 外から
おしつけられた もの だったから
いつも 不安 だったんだよな

どうも ここが いまだに おれの ひっかかってる
ところ なんだなあ
不安が おしよせて くる という ことが
なくなった としても
なんだか ちゅうぶらりんの 感じで 落ち着かない

自分の ものさしを しっかり つかんで ない
ということ かなあ
自分の カラーを だしていくのを
そして 世界に みちている いろとりどりの
カラーと ひびきあって いくのを
落ちついて ゆったりと やりたいんだけどね

自分の ものさし というのは 自分の うちがわ
から でてくるんだよな
自分の うちがわ には
おのずからの 動き みたいな ものが あって
それを しっかり つかむことが できれば
ゆったりと おちついて いられるんだろうな

いままでの 文明 では
自分の なかに おのずからの 動きが ある
なんていう ことから 目を そらして
あたまで 考え 感じたこと だけで
やってきてたんだ

だけど あたまで なにを 考え 感じようと
自分の なかに
おのずからの 動きが あるのは たしかなんだ

それは おれの いのち から でてくる
おのずからの 動き なんだろうな

これを しっかり つかむ ことが
自分の カラーを しっかり つかんで
そして あたらしい 文明を たのしむ
という ことに なるんだろうな

カラーは それぞれの いのちの おのずからの
動き なんだ
そして
世界が いろとりどりの カラーで みちている
ということは それぞれの いのちごとの
おのずからの 動きで 世界は みちている
という こと なんだ

これからの 文明は
イデオロギー みたいな もので じゃまされないで
さかしら ことあげに じゃまされないで
それぞれの いのちの おのずからの 動き
それぞれの カラーが
のびのびと おもてに でてくる 文明
という こと なんだよな

プリズム文明論 プリズム人生論
というのは こういう ことを 言いたいんだよ

それぞれの おのずからの 動きが
それぞれの プリズム なんだ

宇宙を みたしている 無色透明な
智恵と エネルギー から
プリズムは それぞれに カラーを ひきだして
くるんだ

色即是空 空即是色
という おしえは このことを いってるんだよな

それぞれの プリズムが
無限の ゆたかさを もつ 空間から
カラーを とりだしている
という わけだよね

それぞれの プリズムを はたらかせて
あたらしい 文明を たのしんでくれ
という おしえ なんだよな
色即是空 空即是色の おしえは

これを プリズム文明論 プリズム人生論
なんて 言って よろこんでるのが
おれの たのしみ なんだなあ

あたらしい 文明は
ほんとうに はじまって いるんだ
なんて おもうと ほんとに うれしいよなあ

―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  かろみ つらねざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――



http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/343.html

[雑談・Story41] 縄文が よみがえる 世界に
https://hirakehibike.wordpress.com/

縄文から 弥生への 変化と
反対の 変化が
いま おこってるんじゃ ないか
なんて 気が するんだよな

権力 というものが
でてきたのが 縄文から 弥生への 変化
そして いま
権力が こわれて 弥生の 世界が おわる
そんな 感じが するんだよ

天地自然の ゆたかな めぐみを
自分の まわりに かこいこもうと することが
権力を うんだんだ
あるいは ぎゃくかも しれない
権力 という ものが でてきて
天地自然の ゆたかな めぐみを
かこいこむ ことが はじまったのかも しれない

たぶん 権力が やってきたのが さき
なんだろうな
そして かこいこみの 意識が うまれ
かしこく たちまわる ことが 必要に なった

天地自然の ゆたかさから 自分を
ひきはなして じぶんで じぶんを 守る ことが
必要に なった わけだ

もっとも ひとの こころの なかには
権力 とか かこいみ とかとは 関係なく
だれの ものでも ない 天地自然の ゆたかさを
あじわい たのしもうとする
意識は まだまだ しっかりと いきているんだ
日本人には とくに そうだと おもうけどね

台風などの おおきな 災害の ときに
でてくる 日本人の たすけあい 意識は
縄文の 意識が かおを だしてるんだろうな
それを 世界中の ひとたちが
すばらしい ことだと 感激 してくれているのは
世界は まだまだ だいじょうぶ
縄文の 意識が 世界を すくう
そんな あかるい 希望を もたせて くれるよな

だから 権力が こわれ
かこいこみの 意識が こわれれば
おのずと 天地自然の だれの ものでもない
ゆたかさを あじわい たのしもうとする
人間の 意識が おもてに でてくると
思っていて いいんじゃ ないかなあ

世界中で いろいろな 権力が
こわれつつ あるのを 見ながら
そして かこいこみの 意識が こわれざるを
えない ことを 感じながら
いまの 時代を いきている われわれに とって
キーワードに なるのは
・考えるな 感じろ
・ふやすな へらせ
という もの じゃないかな

考えるな というのは じぶんを 守る ために
かしこく たちまわる ことを 考えるな
その 必要は もう ないんだ
感じろ というのは それよりも 無限の
ゆたかさを もつ 天地自然の めぐみを
うけとれ ということ なんだよな

ふやすな へらせ というのも おなじで
へらす ことで 自分を まもろうと する
意識を よわめる ことが できるし
天地自然の ゆたかさを うけとりやすく なる
という こと なんだ

日本人が 台風 などの 災害の ときに
思いだす たすけあいは たしかに
考えるな 感じろ
ふやすな へらせ
という 感覚で やってるんだよな

これを 災害の とき だけじゃ なく
いつもの まいにちの くらしの なかで やっていく
という ことが いまの 日本人の
がんばり どころ なんじゃないかなあ

それで おれも せっせと 考えるな 感じろ
ふやすな へらせを やろうと 思うんだけど
どうも この ことばには ひっかかるんで
・守るな 無限の ゆたかさに とけこめ
・すっきりと シンプルに していろ
という ことばに かえて
あたらしい 世界に むかう おれの キーワードに
しようかと おもってるんだ

そして もうひとつ 思うのは つぎのような
ことなんだ
守る というのは 変化を おそれる という
ことでも あるけど
そうじゃ なくて 変化の なかに こそ 無限の
ゆたかさが あると 思うんだよ
変化を おそれてちゃ だめなんだ

諸行無常 なんて ことばは
守ろうと しても どうしても 守れない
という ことで 世界の むなしさを
いってるんだと 思うけど
じつは 無限の ゆたかさを あじわい たのしむ
ことを おしえている ことば なんじゃ ないかと
思うんだよ
むなしさ じゃなくて ね

たとえ どんな かたちで 変化が おこっても
その 変化の なかに 無限の ゆたかさが
あるんだ
そう 思わなくちゃ いまの こんな 世界を
いきて いけないよな

おおきな 災害の ときに
日本人の こころに よみがえってくる
たすけあいの こころを おもうと
日本人の おおくは こころの おくそこでは
そう 思ってるに ちがいないんだ

諸行無常 という ことばは
日本人の こころの おくそこでは
無限の ゆたかさを うけとる よろこびの
ことば だったんだけど
それを だれかが 反対の ほうこうに
ねじまげたんだ
なんて 思いたく なるよな

ついでに いっちゃうと
色即是空 空即是色
なんて ことばも
ほんとうは ひと それぞれの カラーを
だれもが のびやかに たのしめ
という ことば だと 思うんだ

空 というのは 宇宙の 無限の ゆたかさが
すなわち 無限の エネルギーと 智恵とが
空間に かくれてる という ことだけど
その 無限の ゆたかさから
ひと それぞれに 自分の カラーを
ひきだしている
いくらでも おもうぞんぶんに ひきだせる
だから ひと それぞれの カラーは
無限の ゆたかさと おなじだけの
ゆたかさを もっている
その ゆたかさを たのしんでくれ
というのが ほんとうの 意味 なんじゃ ないかなあ

やっぱり これも だれかが 反対向きに
意味を ねじまげちゃってるんだ

変化の なかに
じぶんの カラーの なかに
無限の ゆたかさが ある
そう おもって あたらしい 時代に
はいって いこう なんて 思うんだよな

縄文の 意識が はればれと よみがえる
あかるく おおらかな 世界に
はいって いこう なんて ね

●●手作り玄米ポンせん 食べてみませんか●●
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  ひら かなざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/345.html

[雑談・Story41] 縄文 よみがえりに シナリオは いらない
https://hirakehibike.wordpress.com/

やっぱり おれの やりたいのは
即興劇 なんだ
そのとき そのときの 即興劇が
つみかさなって
縄文 よみがえりの ひとつながりの
ものがたりに なっていく

そんな つもりで そのときどきの
即興劇を やって いきたいんだよな
つまりは ブログを 書く ということ だけどね

シナリオも マニュアルも なしで
その ときどきの おれを ブログ という
舞台に のせる
そして ひとりで おどりつづける
そんな 感じ かなあ

即興劇の 芸人に なったつもりで
芸を みがく
なんていうのも おもしろそうだよな

じぶんを シンプルに していく
そして じぶんの カラーを 押し出していく
そんな 芸人の すがたを
お客さんは みているんだ

即興劇は ストーリー よりも
体当たりで やってる 芸人の すがたが
おもしろいんだよな
そして
舞台と 客席の あいだに うまれる
その 瞬間 ごとの ひびきあいが
おもしろいんだ

そんな 芸人を めざしたい なんて
本気で おもっちゃうよな
ブログ 芸人 だね

縄文の よみがえりは
ひとり ひとりの こころの なかで おこるんだ
そうした ひとり ひとりの 動きと
ひびきあっていく
というのが やっぱり おれの たのしみ なんだろうな

即興劇の 芸人を めざす
これは いいことを 思いついた
これで 決まりだな

ああ よかった これで ひと安心 すっきりしたよ
ほんとうに のんびりして いままでの つかれを
とることが できそうだ
そして シンプルに なって 宇宙の 無限と
つながって
なんて 思っちゃうよな

おれは ふと 思うんだけど
いままで 世界を 支配 してきた
はだかの おおさまは やぶれかぶれに なって
かれらに とって いちばん めざわりな
日本 という 国を ぶちこわす ことに
いよいよ 最後の 手を つけはじめた
中国 あたりを つかって
というような ことが あるのかも しれないよな

はだかの おおさまの そんな 最後の
むちゃくちゃに うっかり つきあっちゃ いけない
そんな 気が するんだよ

そんなものに まきこまれないで 知らんふりを して
じぶんの なかの 縄文の こころを
よみがえらせる
それが いちばんだ

縄文の こころ というのは
たすけあいと それぞれの カラーを たいせつにする
という ふたつだと 思うけど
これを どうやって おもてに だしてくるか
という ことだよな

やっぱり おおきな 変化が ひつようなんだ
その 変化の なかで
ひとり ひとりの こころの なかで
よみがえって くるんだ

だから はだかの おおさまの 最後の
めちゃくちゃは
のるか そるかの おおばくち なんだ

かれらに とっては もっと 時間が
ほしかったんだろうな
たっぷりと 時間を つかって
日本人を もっと もっと
ほねぬきに したかった はずだ

いままでも ずいぶん やってきたけど
まだ まだ 日本人の こころの おくそこに
たっぷりと 縄文の こころが のこってる
こうべ ふくしま での 日本人の うごきを
みて かれらは もっと もっと 時間が ほしいと
おもってる はずなんだ

それを いま はじめちゃう というのは
かれらに とって 危険な かけ だよな
ぎゃくに われわれに とっては チャンス なんだ

というような ことを 感じながら
だけど そんな ことは わすれて
即興劇を たのしんでいたいよな

縄文は おおくの ひとの こころの なかに
いきのこってるんだ
それが ひびきあいながら
それぞれの なかで よみがえる

シナリオ とか マニュアルも すっとばして
いままでの 宗教や 科学の 理屈も
すっとばして
それぞれの 縄文の こころが 直接に
その 瞬間 ごとに ひびきあう
これが それぞれの 縄文の こころを
よみがえらせるんじゃ ないかなあ
考えるな 感じろ だよな

縄文 よみがえりに シナリオも 理屈も
いらないんだ
かえって じゃまに なる
どんな 理屈を こねたって
それが まともな 理屈なら
そんなことは 誰もが 直感で
わかってるんだ

だから 理屈を こねようと すると
どうしても 直感とは あいいれない
理屈の ための 理屈に なる
そして ゆがんだ いびつな 理屈を
こねることに なる
それが いままでの 哲学
いままでの 文明 なんだ

いびつを いびつだと 思っちゃ いけない
口に 出したりしたら 死刑だ
というのが はだかの おおさまの 世界の
ルール だったんだ
ほんとうに そんな ルールで やってたんだよ

そんな 話は どうでも いいんだけど
とにかく シナリオも 理屈も 抜きにして
いきいきとした 即興劇を たのしむ
おたがいの ひびきあいを たのしむ
これが ひとり ひとりの こころの なかで
縄文 よみがえりを もたらす
という ことなんじゃ ないかなあ

世界の 99% の ひとは
縄文を よろこんで うけいれる はずだ
こう 思えるのが ほんとうに うれしいよな
ほんとうに ありがたい

それが はだかの おおさまにも 見えてくれば
かれらの おおばくちは
しりきれとんぼで 終わるんだ
いつもの パターン だよ

とにかく 即興劇を たのしもう
それが いちばん


●●手作り玄米ポンせん 食べてみませんか●●
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  ひら かなざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/349.html

[雑談・Story41] チェルノブイリ
チェルノブイリで ひとの 住まなくなった 地域に
たくさんの 種類の 動物が どんどん ふえて
パラダイスの ように なってる という

うれしい はなしだなあ
ごたごたした にんげんの 世界を はなれて
パラダイスの ような チェルノブイリに
ひっこしたく なっちゃう

たくさんの 種類の 動物たちと ともに
のびのび くらす なんて
どんなに たのしい だろうと 思っちゃうよなあ

天地自然の いのちの おおきな 流れの
なかで その ゆたかさと ともに
いまを いきていく
そこに みちたりた よろこびが あるんだよな
いのちの よろこびだよな

自分が 生きるとか 死ぬとかを こえて
いきても しんでも ひとつづきの
いのちの よろこび というものが あるんだ

やっぱり 人間の やってきた 文明は
決定的に まちがってたんだ

世界は 戦いじゃ ないんだよ
いきのこり 競争じゃ ないんだよ

にんげんの そんな ゆがんだ おもいこみで
進化論 なんて ものを でっちあげ
動物 植物の すべてを その ゆがんだ
ものがたりの なかで 見てしまっている

だけど そんな ゆがんだ おもいこみは
にんげん ほんらいの ものじゃ ないんだよな
だから ゆがんでるって ことは
だれにでも わかってる

にんげんを ゆがんだ おもいこみに とじこめる
ための 殺し文句が
にんげんは パラダイスから 追放された
罪ぶかい ものだ
という おしえこみ なんだ

おおくの ひとたちが こんな 殺し文句に
やられちゃってる みたいだけど
日本人は そうでも ないのが ありがたいよな
だから にほんじんの なかで
せかいは たたかいだ
せかいは いきのこり 競争だ
という ような 考えが ひろがって きても
まだ まだ うわっつら なんだ
ねっこには ゆがんだものを ゆがんでると 感じる
あたりまえの 感覚が のこってる

その あたりまえの 感覚を のびのび させれば
ひとは だれでも パラダイスに
いま すぐに はいって いけるんじゃ ないかなあ
べつに チェルノブイリに ひっこさなくても ね

いのちの よろこび という パラダイスは
じぶんの みのまわりに あるんだろうな
ひとを だまし とじこめる ための
でっちあげや 教えこみから はなれれば
見えて くるんだ

そして にんげん ほんらいの 文明
縄文の 文明が
あっちでも こっちでも よみがえる
という はなしに なるんだよな

おれの ばあいは ぽんせんどう しゅじん
ひら かなざえもんの 暮らし
という ものがたりを やることで
縄文 文明の よみがえりを
体験したい という こと なんだろうな

チェルノブイリで ゆたかな いのちの つながりが
よみがえった みたいに
おれの みのまわりでも ゆたかな つながりを
見つけだして いきたいよな

チェルノブイリの はなしを きいて
うれしかったのは
せかいの おおきな いのちの ながれに
じぶんの いのちを とけこませ ひとつに していく
よろこびを 感じた から なんだろうけど

もうひとつ よろこびが あると 思うんだ
それは じぶんの カラーを だしていく
こと なんだ

たとえば チェルノブイリに ひっこしたと して
そこで おれは どんな カラーを だして いくのか
あるいは ぽんせん堂 ひら かなざえもん として
どんな カラーを だして いくのか

じぶんの なかから わきだしてくる
おのずからの うごきで やっていくしか
ないんだけど
その おのずからの うごきを のびのびと
させたいよな

あかく さくのは けしの はな
しろく さくのは ゆりの はな
どう さきゃ いいのさ この わたし

だったっけ そんな うたが あったけど
じぶんの なかの おのずからの うごきを
のびのび させる ことで
どう さきゃ いいのかが 見えて くるし
じっさいに 花が さきはじめるんだ

それには じぶんの まわりの
おおきな いのちと つながり ひとつになる
よろこびが かんじん なんだろうな
この よろこびの なかで おれの なかの
おのずからの うごきが
のびのび するんじゃないかなあ

せかいは 競争だ 戦いだ なんて
思ってるのとは まるで 反対 だよな
進化論も そうなんだ
戦いの なかに 進化が ある
なんて いうのは まるで うそっぱち なんだ

たたかいも しんかも そんな ものは うそなんだ
たたかい じゃ なくて
せかいと つながり とけあうことで
しんか じゃ なくて
それぞれの カラーを だしていく
というのが ほんらいの 文明 なんだ

―――――
書いて いるうちに こんな はなしに
なっちゃうけど
ほんとうは ふるい ものは わすれて
あたらしい せかいに はいって いって
そこで どう さきゃ いいのさ このわたし
という ことで
じぶんの カラーを おもいっきり
おもてに だして いければ いいんだけどね

いま おれは あまり のびのび してないんだと
思うんだ
ふるい ものに しばられてるし
まだ まだ 疲れが のこってる

だから チェルノブイリの はなし なんかを
聞くと ふるい世界を わすれて 今すぐ
ひっこしたく なっちゃったり するんだよな

こんな ところから ぬけだして
ほんとうに のびのび したいよなあ
そうすれば おれの パラダイスが みえてくる
おれの カラーが みえてくる
おれの チェルノブイリが みえてくる
なんて おもうんだけどね


●●手作り玄米ポンせん 食べてみませんか●●
―――――
ひらがな にほんごで
ものを かんがえ かくのは
おもしろいなあ
ひとあじ ちがった かんがえかたが
できそうで やめられないよな
… ぽんせん堂 主人
…  ひら かなざえもん

(この記事の原文は、ひらがなにほんごです)
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/355.html

[雑談・Story41] すたすた あるきの たび

あたらしい せかいを すたすた あるきまわりたいよな
ふるい せかいの いろんな おもいこみとは
もう おさらば して さっぱりした きもちでね

そとから つたわってくる はなしは ふるい せかいの
はなし ばっかり なんだけど
もう こりゃ だめだ という はなし ばっかり だよな

どうしたって あたらしい べつの せかいを ひきよせなくちゃ
いけない

あたらしい せかい というのは にんげんの きおくの
なかに あるんだ
とおい ふるさとの きおく
にんげんの いでんしに かきこまれた きおく

そんな きおくを たどって
すたすた あるきまわりたい という ことなんだ
いま おれが おもってるのは

けいかくや よていを たてても いみが ない
そうじゃ なくて ふるさとの きおくに みちびかれて
じぶんの ちょっかんに したがって
あちこち あるきまわるんだ
すたすたと

ひらがな にほんごで
この すたすた あるきの ようすを
かきとめて みたいよな

にんげんが ものを かんがえようと するときの
じぶんを しばり せいげんする いろんな
じゃまものの かたまり なんだよ ふつうの ことばは

だから ことばに たよろうと すると ふるさとの こえは
きこえなくなってしまう

だけど ひらがな にほんごは そうではない つかいかたが
できるように おもうんだ
おもいを しばるんじゃ なくて
おもいを ひろげる ような つかいかたが

だから すたすた あるきの ようすを かきとめるには
ひらがな にほんごに かぎる という わけ なんだけど
これを じっさいに やってみたいんだ

かろやかに すばやく かきとめる
この かろやかさと すばやさが ちょっかんを しげきして
いろんな おもいが わきだしてくる

とおくから かすかに きこえる ふるさとの こえは
いろんな ちょっかんとして すがたを あらしたがってる
そんな きが するんだ
ひらがな にほんごが その こえに
こたえて くれるんじゃ ないかなあ
ちょっかんが ひらがな にほんご として
すがたを あらわすんだ

まあ とにかく
じぶんの ちょっかんに みちびかれて
ぼちぼち やってみると しよう


http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/395.html

[雑談・Story41] ふるさとの こえと つながる
https://hirakehibike.wordpress.com/

いまの せかいは もう どうしようも ないね
こんな ときは だれもが ふるさとの きおくに
かえろうと するんだろうな

われわれは あのよと このよの あいだを
うまれかわり ながら いったり きたり してる
というのが ふるくから しんじられてきていること だよね

という ことは われわれの ふるさとは あのよ なんだ

このよ に うまれ おちるときには
ふるさと での きおくは ほとんど きえてしまうようだけど
だけど いま みたいな ものすごい へんかの ときには
すこしずつ おもいだす ひとが おおく なってるんじゃ
ないかな

だから いきている うちに あのよ の ことを
あるていど おもいだしちゃうんだ

とは いっても このよ と あのよ との ちがいが
おおきすぎる から だろうけど
おもいだす といっても とおくから なんとなく
きこえてくる ふるさとの こえ みたいな かんじで
すべてが はっきり しない

だけど ものすごく きになるんだよな

しんでから かえって いく はずの あのよ に
いきている うちに つながっていく
という ことだから そう かんたんに いろいろの ことが
みえてくるとは おもわないけど

それにしても すこしでも みとおしを よくしたいよな

このよ が ぶっこわれる という ものすごい じだい
だから こそ
このよ で いきていながら あのよの きおくが
もどってきてるんだ
こんな ことは いままでは まったく なかった ことだよな
いきている ときは このよ の ことばっかり しか
あたまに うかばない
そして しぬことの ふあんに なやまされ つづける
それが にんげんの ふつうの すがた だったんだ

びょうきを しちゃった せいか
おれも じぶんが しぬ ということが ちらりと
あたまを よぎって ふあんを かんじるような
ことが はじまってるんだけど
あんまり きぶんが いいものじゃ ないよな

そんな ことに つきあって ないで
かすかに きこえてくる ふるさとの きおくと
つながることを ほんきで やってみるのが
よっぽど いい

ちょっかんで つながって いくしか ないんだ
そして どうしても ことばに したくなる ときが
あるだろうから そのときは ひらがな にほんごで
という わけだよね

なにを どうして よいか わからないまま
とにかく ふるさとの こえを おいかけて みる
それしか ないよな

ひらがな にほんごで あそびながら
なるべく かろやかな こころで ちょっかんを
はたらかせ ながら やりたいな
―――――

http://www.asyura2.com/14/idletalk41/msg/398.html

[雑談・Story41] かたりかけたいんだ
https://hirakehibike.wordpress.com/

かすかに きこえる ふるさとの こえを
おいかけて いきたい なんて
きのうは かいちゃった けど
ことばが すべって そんなふうに かいちゃったんだ

ことばが かってに そんな ほうこうに
はなしを もっていっちゃうんだよな
ほんとうは おいかけて いきたい なんて
おもってないんだけどね

ひらがな にほんごで かいていても
そんな うそを かいちゃうんだ

だから ことばに したことは すべて
これは ほんものじゃない
うそが まじってる と よくよく きもに めいじて
おかなくちゃ いけないわけだよな
とくに ちょっかんで かんじる ことを かくときが
むずかしい

ぎゃくに いえば きれいごと きまりごと などの
うそを ふくめずに
じぶんの ちょっかんの ままの しょうじきな ところを
いかに ぶんしょうに するかが
かく という ことの いちばんの かんじんな
そして おもしろい ところなんだ
ひらがな にほんごの でばん だよな

そこで あらためて ふるさとの かすかに きこえる こえ
から おれは なにを かんじているのかを
かいてみたく なる

あらためて かいても また うそが どこかに
まじるんだろうな
だけど うそ だけじゃ なくて あらたな はっけんも
たくさん みつかるから ぷらす まいなす すると
やっぱり かきつづけたいんだよ

かく という おれの ほんのうてきな よろこびを
つづける ためには
まいなす めんを かばー できる くらいの ぷらす めんを
なんとか がんばって つかみとる のが ぜったいに
ひつような こと なんだ

まあ かたいことは いわず なるべく きがるに どんどん
かくのが いいんだろうけどね
かろやかに おおらかにを あいことばに して

という ことで ふるさとの かすかな こえを みみにして
おれは なにを かんじているのかを かいて みたくなる

その かすかな こえを おいかけるんじゃ なく
かすかな こえの なかに じぶんを うめこんで いきたい
みたいな かんじ かな

そして そこで かんじる ことを かたりかけて いきたい
という こと なんだろうなあ
おれが いちばん おもう のは

いまの この じだいを ともに いきる ひとたちに
かたり かけて いきたい
それぞれに いろとりどりに かがやこうと している
ひとたちに したしみを かんじながら

わずかに かんじる ふるさとの ひびきを うけとめ
その ひびきに あわせて かたりかけを やりたい
いまの この じだいを ともに いきている ことの
よろこびを ことばに したい

そして まいにちの ちいさな つみかさねの うごきに
この よろこびを つけくわえて いきたい

そんな かんじ かな

いままで じぶんが とじこもって きた
じぶん という わくぐみが とけて きえていく ような
ひろがりが
ふるさとの ひびきに あわせた かたりかけを する
ことで すこしずつ じつげん していくような
きが するよな

この ひろがりを じぶんの まいにちの くらしの
なかに しっかりと うめこんで いければ いいんだろうな

だから かたりかけは じぶんの くらしから
いっぽも はなれず そして ひとつ ひとつ ていねいに
つみかさねて いけば いいんだ
とにかく じぶんの くらしに うめこんで いくんだからね

そうすれば じぶんに みっちゃく させた かたりかけが
ぎゃくに じぶんの わくぐみを けしさって
じぶんを ひろげて くれるんだ

そんな かんじが してるんだ
―――――

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