★阿修羅♪ > ペンネームごとのコメント > stix c3RpeA
 
g検索 c3RpeA g検索 CWDPek5e8lCZQ
 
stix c3RpeA 全コメント
[原発・フッ素45] 二人の女子学生が突然死。水耕栽培でも汚染は防げない。福島高専教員鴨下さんの意見陳述
【九州玄海訴訟 第16回口頭弁論期日の報告】鴨下祐也さんの意見陳述

1 はじめに
私は,2011年3月11日,福島県いわき市で妻,息子2人の家族4人で暮ら
していました。私は東京理科大学大学院を卒業後,福島高専に15年間勤務しま
した。事故前は,生徒4人と野菜の水耕栽培で「美味しい野菜の作り方」の研究,
実用化に取り組んでいました。私は,大学時代,微生物の研究に没頭し,DNA
を調べる実験で放射性物質を扱っていました。管理区域に指定された実験室内で
線量計を付け,遮蔽板を挟んで実験していました。私の先輩の話ですが,先輩が
トイレに行くため実験室を出ようとすると,センサーが反応し外に出られないこ
とがありました。汚染した手を何度洗ってもセンサーが反応し,トイレに行けず,
最後には,汚染していない学生の手をセンサーにかざしロックを解除しトイレに
駆け込んだことがありました。転じて,いまの福島の汚染状況を考えると,管理
された実験室内の方が安全と感じます。福島と実験室とを比べても,実験室内の
方が厳重に管理されている状況です。

2 原発の危険性を意識し始めたきっかけ
私は,大学時代から実験を通じて放射性物質の危険性を意識し,その危険性が原
発と結びついたのはチェルノブイリの事故が起きた時でした。その後,日本で中
越沖地震が起き,柏崎刈羽原発が設計を大幅に上回る揺れに襲われつつも,奇跡
的に止まったとの報道に触れ,自分の住んでいる福島県内の10基の原発の稼働
状況を日々意識するようになりました。

3 震災後,事故後の様子
震災の日,中学生らがいわきから約20キロ離れた自宅に歩いて戻ろうとしてい
たので,私は彼女らを家まで送ることにしました。主要な道路は,封鎖された影
響でひどく渋滞し,私が自宅に戻ったのは夜の12時でした。車の中ではラジオ
から福島第一原発から3キロ圏内の住民に対し,「放射性物質が漏れてはいない
が,念のため口や鼻を覆って避難するように」と避難指示が出ていました。私は,
福島第一原発は冷却に失敗していると確信し危機感を募らせました。私達家族は,
被ばくを避けるため,その日のうちに妻の実家である横浜に一時避難することを
決めました。翌日,原発は水素爆発を起こし,危険は現実化しました。

その後,私たちは,多くの福島県民が避難する東京の赤坂プリンスホテルに身を
寄せることにしました。その避難所では,避難指示区域内の人を優先的に受け入
れており,後から入った避難指示が出ていない区域の避難者に対し,「いわきは
放射能ねえべ。けえれ(帰れ)。」「いわきは国が大丈夫と言ってんだろ。俺ん
とこは,けえりたくてもけえれねえんだ(帰りたくても帰れないんだ)。」と避
難指示区域内の人から苦しみの声が上がり,避難指示区域外とされた私達に疎外
感を感じさせるものでした。このことは,いまでも私の妻のトラウマとなってい
ます。

4 学校の再開
私は,学校再開のため4月上旬にいわきに戻ることにしました。その頃,高専に
は,文科省からの圧力で早期の再開が指示されていました。教員らで汚染,生徒
たちの被ばくについて議論をしましたが,教員約80名中,私を含む約1割が再
開に反対するのみで,多勢に無勢でした。学校はGW明けに再開となりました。

再開後,私は,研究指導生徒4名に対し,水耕栽培の研究を実施するか否か問う
てみました。私は,生徒たちに,たとえ水耕栽培であっても放射性物質を含む野
菜しかできないこと,私は実験を継続しない方がよいと思うことを説明しました。
しかし,高専の生徒たちは,人生最後の研究の続行を希望しました。ある農家の
息子である生徒は「自分が作ったものは必ず食べる。捨てたりしない。」と言い,
他の女子生徒3名は,「政府が安全と言っているのであれば,基準値の500ベ
クレル以内であれば食べても構わない。」と言いました。

その後,検知器で収穫できた野菜の放射能量(ベクレル)を計測する日々が始ま
りました。野菜の放射能量は一桁台で,土で栽培するよりも低い値でした。生徒
達もその野菜を食べ,周囲に配ることもできていました。しかし,事故と同じ年
の12月ころから放射能量が徐々に20,30,40と上がり始めました。この
上昇する数値を見た時,水耕栽培でも汚染は防げない現実を突き付けられました。
生徒たちは野菜を食べなくなりました。「野菜は捨てない」と言っていた農家の
息子でさえもです。後に,国は,2011年の12月から翌年1月にかけて,セ
シウムの降下物の量が増大していることを公表しました。

5 いわきを離れることを決めたきっかけ
  事故直後の5月,寮に住む一人の女子学生が心不全で突然死しました。部屋
に行くと女子学生には反応がなく,私は必死に横たわる女子学生に心肺蘇生を施
しましたが,もう手遅れでした。前日まで元気だった彼女は帰らぬ人となったの
です。また,同じ年の12月,また一人,女子生徒が突然亡くなりました。

私は高専に15年間勤務しましたが生徒の突然死など経験したことがありません
でした。5月に亡くなった生徒は実家が浪江町にあり,震災で学校が閉鎖された
後,実家の浪江町に戻り,放射性物質の流れる方に向かって避難していた一人で
した。もう一人の生徒はホットスポットとなっている郡山に実家がありました。
私は,この二人の女子学生の突然死について,放射性物質の危険性,被ばくの影
響を疑わずにはいられませんでした。

私は,妻と子どもたちが避難している東京といわきを往復する生活に,体力的な
限界を,放射性物質の拡散を止められず,放射性物質が至る所に浮遊している福
島での生活への不安,家族と一緒に暮らせない毎日に精神的にも限界を感じ,い
わきを離れることにしました。

6 脱原発に取り組む思い
今,私は東京で避難生活を送っています。政府は,福島県知事に圧力をかけ避難
住宅の提供を2017年3月で打ち切ると決めました。政府の帰還政策を容認せ
ざるを得ない状況を作り出し,挙句の果てには「福島県民にいま必要なのは心の
除染」と宣伝しています。

私が,事故後,脱原発に取り組んできたのは,低線量被曝の危険性を認識し,実
感したからです。私は,事故後5年間,放射線被ばくに関して知識を深めてきま
した。そこで得た確信は低線量被曝の危険性が確実にあるということです。

一方,政府は,低線量被曝の危険性や放射能の影響について正確な情報を国民に
流さず,むしろ電力会社やマスコミも一緒になって情報を巧みに隠蔽しています。
私の妻のトラウマとなった区域内避難者からの言葉は,被ばくの危険性に関する
情報の不足,隠蔽がもたらすものです。人間の命,特に子ども達の命に影響を及
ぼすことがわかっているにもかかわらず,専門的な知識もない市民,母親たちに
被ばくのリスクを決定させています。この政府の無責任さに対して,私は憤って
います。今の福島は安心して帰れる場所ではありません。「福島県民に必要なの
は心の除染」などといわば洗脳のような,非合理的なことでこの問題を収束させ
てはなりません。未曽有の原発事故を経験した私達は,原発の危険性について,
正確な理解を深め,合理的な判断をする必要があります。その判断のためには,
原発や放射性物質の危険性に関する正確な理解が必要です。さらには,チェルノ
ブイリでもそうであったように,福島原発で生じた被害の実態,福島県民同士が
分断される実態,福島の人々がふるさとを失い,コミュニティが破壊されるとい
う原発事故に特有かつ不可避の被害の実態を正確に理解する必要があります。私
は,福島第一原発事故の被害者として,二度とあのような事故を起こさないよう
にすること,玄海原発を含む全国の原発が止まり,原発を廃炉にすることが,こ
の事故を体験した私の,そして日本の大人たちの使命であると同時に,事実を探
求する裁判所の使命です。

国も行政も地方自治さえも,不都合なことに目を背けようとするとき,それを正
しい方向へ導き直す。その裁判所の使命を全うしてください。以上

http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/350.html

[議論31] 日本独自のエートス・バージョン
近代共和制を実現した諸国民と日本国民との間には、社会的背景意識に明瞭な違いがある。

一例を上げるなら、日本の派遣や過労死に至る労働者が経験してきた抑圧は、この国特有のものだ。
ワタミの経営者らは徴兵制支持者だが、その理由を、人に上下があることを教えるためと明言している。

この国の庶民から権力者までが暗黙の前提としている意識の基底には、歴史的な民族の形成過程で、常に漬されてきた世襲的階級制があるが、今日の共和制は、その克服の上で成立してきている。

諸国民は雇用関係を単なる契約と考え、雇用者と被雇用者の双方が、階級的前提を意識に付帯することはない。
そのため、一歩契約関係から出れば、人間関係にその延長を持ち込む事を許さないのが市民社会だ。

だが、日本国民は異なる。
此処でも「上級国民」という語が平然と使われているが、そこには個人の限定性を超えた恒常的社会前提が見て取れる。
その構造的原因を、階級制を『統合の象徴』とし、その古さを自賛している民族的特殊性に求めることができるだろう。

雇用、教育、家庭生活の隅々に至るまで、他の諸国民にはない階級意識が生命を抑圧してきているのだが、

今、注目すべきは、放射能汚染の蔓延に、この民族的宿痾が如何に作用するかということだ。

勿論、その前線は福島の地域社会となるが、民族体質である暗黙の階級的抑圧と統制がエートス政策に重層する時、
それがよりグロテスクに変容するすることを予想するのは難しくない。

すなわち、世界の他にはない、賃労働者が過労死する日本的力学とメンタリティーのエートス・バージョンだ。

食べて応援も、『国民統合』の正に発露と認識すべきで、それ故にこそ、外国人には理解不能なのだ。

既に、上の予兆は、福島から日本全土に染み出してきている。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/371.html

[原発・フッ素45] 日本という国が何かを正確に把握する方法
1945年と2045年の1世紀を直線で結ぶ。
その間の事は、全て虚妄に過ぎないから無視すれば良い。

これが、わずか100年で一つの国と国民を理解できる簡便な方法だ。

このスレは、可塑性のない放射能被曝の国策推進の経過を観察することを目的にしており、
それが明らかになる2045年を自覚できるから、以下に言及する。

国是であり民族精神の本幹である「長い物に巻かれろ!」の意味するところは、
支配的な力を持つ者に媚び、その下で利己的な利益を貪り、その階梯の下位者を踏み台にする。

1945年以前は、植民帝国英国の下、次に一番強そうなナチスの下で、
1945年以降は、アメリカの下で漁夫の利を漁る。

敗戦後発揮された日本民族の特異性は、「原爆落とされて、尻尾振る!」に集約される。

それが、「今日の繁栄」をもたらしたのであり、
もし「原爆落とされたから、末代まで抵抗する!」だったなら、それは無かったことを国民は良く自覚している!

日米安保条約・地位協定と、それにしがみ付く歴代政府・外務省・財界の米軍基地誘致を国民が黙認する理由だ。

その体質の犠牲となった朝鮮・中華両民族が批判するのは当然のことだが、それにケチを付けたところで、
それは天に唾するに等しく、2045年の結果が、何が事実かを証明してくれることだろう。

http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/734.html

[原発・フッ素46] 東京に降り注いだ放射性セシウムはガラス質微粒子に蓄積
大気中に浮遊している放射性物質の大半が、非常に凝集度の高い水溶性ナノ粒子となっているため、
人体に吸引されるセシウムの吸引線量に関しても評価方法を変更する必要がある。
これは、従来想定されていた吸引線量よりも日本のケースは深刻であることを意味している。

ゴールドシュミット2016国際会議 
東京に降り注いだ放射性セシウムはガラス質微粒子に蓄積
Radioactivecesium fallout on Tokyo from Fukushima concentrated in glass microparticles
http://besobernow-yuima.blogspot.jp/2016/06/2016.html?spref=tw

フクシマ事故の数日後に東京都の都心部に降り注いだ放射性降下物の大半は、
不溶性のガラス質微粒子に凝集されて蓄積していることがわかった。
これは、放射性物質の大半が雨や流水に溶けないで、物理的に除去されたりするまで、
環境中に残留していることを示している。

・福島第一核発電所事故の際に起こった事象を解明できた。

1)放射性セシウムが放出され、セシウムの空中浮遊ナノ粒子になった。
2)絶対温度2200度以上の核燃料が反応炉圧力容器を溶かし、容器を破損させた。
3)セシウムナノ粒子は、鉄・亜鉛ナノ粒子および溶融コンクリートのガスと共に凝結し、
  シリコン酸化物のナノ粒子を形成した。

そして、拡散した。

2011年3月15日に東京で収集したエアフィルタを分析した結果、全放射能の89%が、
当初に予想されていた水溶性のセシウムではなく、シリコン酸化物のナノ粒子の形で存在していることがわかった。

微粒子中のセシウム成分比が高く、放射能量は最大4.4×1011 Bq/gに達しており、
これはフクシマで一般的な土壌に含まれるセシウムの単位質量よりも107倍ないし108倍も高い。

発表者の宇都宮聡博士(九州大学)
「放射性セシウムは微粒子のなかに封じ込められていますので、極めて局地的で集中的なレベルで、
放射性降下物は予想以上に大いに(または多少なりとも)蓄積されていることになります。
このため、健康に対する影響に関して、われわれの考えを改めなければならないのかもしれません。」

バウント・グラムボウ教授(フランス、スバテック研究所長、日原研・先端基礎研究センター、界面反応場化学研究リーダー)
「ここに提示されているナノ科学施設による最先端研究は、極めて重要であります。
それは、フクシマの反応炉事故による放射性セシウムの東京への長距離にわたる大気中大量移動に関して、
われわれの理解に変更を迫るかもしれませんが、
人体に吸引されるセシウム微粒子による吸引線量に関しても、われわれの評価方法に変更を迫るかもしれません。
実際、不溶性セシウム粒子の生物学的半減期は、可溶性セシウムの生物学的半減期よりも大幅に長いのかもしれないのです。」

http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/239.html

[原発・フッ素46] 東京に降り注いだ放射性セシウムはガラス質微粒子に蓄積 stix
1. stix[1] c3RpeA 2016年7月31日 19:32:40 : 8hoNl2VIyY : hfPobn8O6_4[39]
冒頭部訂正 水溶性ナノ粒子>不溶性ナノ粒子
http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/239.html#c1
[原発・フッ素46] 疾病統計について
疾病や平均寿命(新生児の人口動態統計上の余命期待値)などの公表値は、
例外なく適正化が施されている。
当局の意向に沿って都合良く加工されており、生のデータではないということだ。

だから医療統計は、統計管理者のいない民間機関データの寄せ集めが
正確に現状を反映しているといえる。

疾病数の上昇などを厚労省がそのまま公表することはないが、
診療・治療実績(退院患者数)なら、どの民間医療機関にも宣伝材料となる。

したがって、疾病の実態を知りたいなら
民間の診療データを利用して、疾病数の変化を把握することが可能だ。

【最新年度データ】

DPC(診断群分類包括評価制度)対象病院実績
https://caloo.jp/achievements/

全病名治療実績一覧
https://caloo.jp/dpc/lists

経年変化は、これを記録しておけばよい。

【過去三年間データ】

治療・手術実績ランキング
http://www.senmon-i.com/select_dpc.html

集計は、各自で。


http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/265.html

[政治・選挙・NHK214] 「高江・ヘリパッド建設」を「大歓迎」した翁長氏
「高江・ヘリパッド建設」を「大歓迎」した翁長氏
アリの一言 2016年10月10日
http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/ea5a45defbe5632296197f4ebb69f145   

 翁長雄志沖縄県知事は8日の菅義偉官房長官との会談で、安倍政権が強行している高江・ヘリパッド建設に対し、「大変歓迎」と述べました。
 翁長氏はこれまでヘリパッド建設に対しては容認しながら、態度を明確にしないでごまかしてきましたが、この日の発言はこれまでの枠を超えたものといえます。翁長氏にとって、また翁長氏を支持する「オール沖縄」の議員・会派、市民にとっても大きな節目です。

 会談で菅氏は、「米軍北部訓練場の年内返還」の意向を示し、翁長氏はこれに対し、「大変歓迎をしながら返還については承った」(会談後の記者会見、9日付琉球新報)と述べました。ヘリパッド建設には直接言及しなかったといいます。
 しかし、翁長氏のこの発言は、ヘリパッド建設を「大変歓迎」すると言ったことにほかなりません。なぜそうなのか。

 菅氏は会談後の記者会見で、「北部訓練場の年内返還」と「ヘリパッド建設」の関係について聞かれ、こう答えました。
 「完成の見通し、進捗状況が順調だときょう確認できたので、米軍に対しても、年内返還という形で交渉していきたい」(9日付琉球新報)」
 「完成」とは高江に新たに造るヘリパッドのことです。「訓練場の年内返還」と「ヘリパッドの年内完成」は一体だと菅氏は言明したのです。
 しかも菅氏は、そのことを会談で翁長氏に直接説明したと言います。
 「翁長知事と両副知事と4人で、非常にいい雰囲気の中で会食した。私から沖縄を視察した状況、特に北部訓練場において過半の約4千fについて年内に返還をすることで交渉している、工事も順調であることを報告した」(同)

 翁長氏はこの「工事も順調」、すなわちヘリパッドは年内に完成する見通しだとの菅氏の「報告」を聞いて、「大変歓迎」だと答えたのです。翁長氏の「大変歓迎」の中に「訓練場の返還」と一体の「ヘリパッド完成」も含まれていることは否定しようがありません。

 翁長氏はまた、菅氏との会談で、最高裁に上告した辺野古新基地建設問題や前日(7日)再開を強行した米海兵隊攻撃機ハリアー問題については、一言も触れませんでした。その理由を会見で聞かれた翁長氏はこう答えました。

 「理由は何もない。間合いというか。普通にいう要望事項だと10も20もあるが。話の成り行きというかストーリーが今回何もないので」「ケース・バイ・ケースというのがある。…今日は時間の範囲もありそういう話でとどまった」(9日付琉球新報)

 あきれた珍答弁です。「間合い」?「成り行き」?「ストーリー」?「時間がなかった」というのは翁長氏の言い訳の常とう句ですが、今回は、「最後に5分間残っていたから、安慶田副知事が八重山のトゥバラーマを三線で演奏して終わった」(同)と自ら言うに至っては、開いた口がふさがりません。菅氏に三線を聞かせることが「辺野古」より大事なのか!

 こうした翁長氏の対応に対しては、さすがに与党県議からも、「(辺野古ー引用者)裁判に臨む知事と、菅氏と会う知事が別人格に見える」(10日付琉球新報)との声が出ています。
 しかし翁長氏の「裁判」(県民世論)と「菅氏」ら(政府・自民党)に対する態度の使い分けは、今回に限ったことではありません。記者会見などでは「強硬姿勢」を見せても、菅氏や安倍首相、二階自民党幹事長らとの直接会談では言うべきことを何も言わないのが翁長氏の通常です。「別人格」ではなく、政府・自民党に対する姿勢こそ翁長氏の「人格」なのです。

 今回の「菅・翁長会談」にも、実は伏線がありました。2日前の6日、東京の自民党本部で沖縄物産展が行われ、翁長氏はわざわざ上京してこれに出席、二階氏らと歓談しました(写真右=琉球新報より)。そしてその場で、「翁長知事は菅官房長官と別室で約5分間面談した」(8日付琉球新報)のです。事前の打ち合わせであったことは明白です。
 しかも翁長氏は物産展の開会式でこう述べました。「自民党のますますの発展と関係者のご健勝を心から祈念申し上げる」(10日付沖縄タイムス)。あまりの賛辞に自民党本部でも「驚く人もちらほら」(同)だったとか。

 翁長氏の顔が、高江や辺野古の新基地に反対している住民・県民ではなく、古巣の自民党の方へ向いていることは明らかです。

 それでもまだ県政与党は、「戸惑い」(琉球新報)、「違和感」(沖縄タイムス)のレベルにとどまっています。一刻も早く「翁長タブー」から脱却し、翁長氏に対して必要な批判を強めていくことが、「オール沖縄」各党・会派、市民、そしてメディアの責任ではないでしょうか。
 
http://www.asyura2.com/16/senkyo214/msg/236.html

[原発・フッ素46] 労働者の被曝を闇に葬る、電力業界の「ブラックな手口」
労働者の被曝を闇に葬る、電力業界の「ブラックな手口」
http://hbol.jp/116480 (HARBOR BUSINESS OnLine)

今年4月、原発内の労働で被曝して放射線障害を発症したとして労災認定を争っていた裁判で、福岡地裁は原告敗訴を言い渡した。原告の梅田隆亮さん(81歳)は控訴し、上級審で争っている。

○ブラックな勧誘、ブラックな労働

1979年。高度経済成長期も終わりを告げるころ、製鉄業で栄えた北九州市にも不況の波が押し寄せた。同年2月、配管工として働いていた梅田さんは、つきあいのあった工事会社社長から「いい仕事があるから来ないか」と誘われる。渡された切符の行き先は島根。駅から車に乗せられ、何の説明もなくすぐに現場の「大きな工場」に連れていかれた。

 作業は単純なものだった。巨大なプラントの中で、網の目のように広がる配管の補修個所を、鉛を溶かして塞ぐ。「実質労働時間は1時間ていど。これで3食ついて日給1万円はいい仕事だ」と思った。

 作業を始めてすぐ、現場に入るときに渡された機械から耳障りなアラーム音が鳴った。うるさくて作業に集中できない。すると、同僚が「現場の外にいる人に預ければいい」と教えてくれた。
“預け”と言われる、被曝線量の計測値を下げる手口だ。

○作業服もマスクもつけずに原発内部で作業

3日後、突如激しい腹痛に襲われる。会社専属の医者は「尿管結石の疑い」と診断したが、あらためて病院にかかっても結石など見つからない。3月も作業を続けたが体調は回復せず、結局汽車の切符を渡されて帰宅した。

 その後も原因不明のめまいや鼻血、倦怠感などの症状が続いたが、同年5月に同じ工事会社の社長から再び配管工事の依頼を受ける。体調不良のため仕事ができず収入がなかった梅田さんは、食いぶちを稼ぐためにその話を受けた。

 そこではじめて梅田さんは、次の現場が敦賀原発であり、前の現場が島根原発だったことを知らされる。どちらも定期点検の作業だった。しかも現場は格納容器の中、炉心に極めて近い場所だ。島根原発では放射線を遮蔽する作業服はおろかマスクすらつけず、敦賀原発では圧力容器の蓋を開けて内部の清掃もした。配管から漏出した高濃度の放射能汚染水をひしゃくで汲み出すという極めて原始的で危険な作業までやっていたのだ。

○杜撰な安全管理、ブラックなもみ消し

「安全教育?作業前に簡単な説明はあったけど、放射能のことなんて何も聞かなかったよ」と梅田さんは述懐する。

「安全教育をまともにやると、2割くらいの人は作業に同意せずに帰ってしまう。すると、工期が2倍に伸びる。会社はそれを嫌がるんだね」

 不十分な安全教育もあって、梅田さんは短期間に高線量の被曝をしたのだった。敦賀原発での作業後、長崎大学のホールボディカウンターで内部被曝検査を受ける。当時のカルテを後日精査したところ、梅田さんの体内から放射性のマンガン、鉄、セシウムなどが検出された。

 九州大学病院にも診てもらって症状を訴えたが、「被曝との因果関係は明らかではない」という診断書を出された。

「その間、元請け会社である日立プラントの総務課長が同病院を訪れていることが後にわかったのですが、一体何をしに行ったのでしょうか」

 全身の倦怠感など、被曝によるものと思われる症状に悩まされた梅田さんは、労災認定を申請しようとした。その途端、見知らぬ人から「おたく、息子がおるんやろ?」などと脅迫めいた電話がかかってくるようになる。ヤクザ風の男にもつきまとわれ恐怖を覚えた梅田さんは、労災の申請を諦めざるを得なくなった。

 2000年に急性心筋梗塞を発症したことで、梅田さんはついに労災申請に踏み切ったが、2010年に不採択となった。再審査請求も棄却されたため、労災認定を求めて国を相手に訴訟を起こしたのだ。

○国の陰に隠れる電力業界

国は電力会社や工事会社の報告をもとに、梅田さんの総被曝線量を8.6mSvと算定。被告弁護団は、梅田さんは最大200mSv以上被曝していると主張している。線量計の“預け”だけでなく、被曝数値の管理表も改ざん可能な鉛筆書きだったり、被曝線量が多いときは少なめに数値を申告させられたりと、ずさんすぎる線量管理が行われていたことは当時の証言などから明らかだ。

 電力会社や定期点検作業を受注した会社は国の後ろに隠れ、労働基準監督署は労災を認可しない。裁判所も国の主張を鵜呑みにした判決をくだす。原発での作業以外由来が考えられない以上、第一に労働者を守るべきなのは原発定期点検の受注企業であり、それを発注する電力会社だ。守られなかった場合に労働者を救済すべき労働基準監督署も労働環境を精査したとは言えず、裁判所も同様である。

 梅田さんのケースは氷山の一角だ。原発関連の被曝による労災認定の総数は通算20件もない。原発労働者の総数から考えると、泣き寝入りしている人々がその背後に数知れず存在することは確実だ。

 今日も福島第一原発の事故処理で、大量に被曝しながら作業を続けている人たちが大勢いる。今後も長年にわたって被曝労働が必要とされるだろう。梅田さんのようなケースを繰り返さないためにも、「原発ブラック労働」問題に今こそ向き合うべきなのではないか。

<取材・文・撮影/足立力也>

http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/776.html

[原発・フッ素46] (九州玄海訴訟 第19回口頭弁論)作家水上勉の遺児 窪島誠一郎氏の意見陳述
【第19回口頭弁論】戦没画学生慰霊美術館「無言館」館主・窪島誠一郎さんの意見陳述

1 小生は当年七十五歳、現在長野県上田市で日中戦争、太平洋戦争に出征し戦死した画学生の遺作、遺品を展示する「無言館」という美術館を経営している者です。本日、日頃より玄海原発の再稼働について考えるところをもつ小生に、このような場をあたえてくださり心より感謝しております。
2 小生は現在では、かつての大戦によって絵描きになる夢を絶たれた若者たちの遺作を全国から収集し、それを展示する施設を営むという、一見平和運動の一端を担うかのような仕事をしておりますが、太平洋戦争開戦の昭和十六年に生まれた小生は、戦争を知っているようで知らない世代、物心ついた十代の後半頃には、わが国はすでに敗戦の対価としての高度経済成長時代に突入しておりました。

小生は高校卒業後いくつかの勤め先を転々としたあと、東京郊外で小さな酒場商売をはじめ、折からの「東京オリンピック」の招聘にわく経済成長の波にのり、その商売が思いがけず当ったことで、現在の生活の基礎を築くことができました。
そして、わが国に初めて原子力発電所なる施設が登場したのも、その昭和三十年代終りから四十年代初めにかけてのことだったと記憶しています。

当時、若かった小生は自らの生活の経済的向上のみに魂を奪われ、朝早くから深夜までシェイカーをふりフライパンをゆする毎日のなかで、自分が消費している電力の先に地方に乱立する原発の存在があることなど、これっぽっちも考えたことも意識したこともありませんでした。電気料を払えば電気は点く、ただそれだけのことでした。ただひたすら貧乏からの脱出を夢み、生活向上への欲望で頭をいっぱいにしていた二十代半ばのバーテン男には、その後わが国の原発政策がどのように進行し、その結果私たち庶民の生活にどのような影響をもたらすか、そうしたことを考える余裕も知識もなかったのです。

3 そんなノーテンキな経済成長の申し子のような男が、否応なく「原発とは何か」を考えるようになったきっかけは、戦時中の混乱期に生き別れし、戦後三十余年経って奇跡的に再会した父親である、作家の水上勉が口グセのように「故郷福井県の若狭に建つ原発に恐怖を感じる」「過ちばかりの人間世界に、絶対安全神話などというものがあるだろうか」と語り、数多くの著作のなかで「チェルノブイリやスリーマイル島での悲劇を忘れたのか」と、原発の稼働について疑問を呈していたことからでした。恥かしながら、不肖の息子は三十四歳でめぐり会った父親の言葉から、これまでの自分がいかに「原発」に対して無知であり、無防備な態度で接してきたかを自問するようになったのです。

同時に、私たちが「原発」の存在をもう一度考えるということは、これまで私たちがあるいてきた経済効率と利便性のみを金料玉条とする生活の形そのものを見直すことであるようにも思えてきました。人間の幸福の何もかもが、経済の繁栄や物質的な充足によってみたされるという幻覚、私たちはそろそろそこから脱却せねばならないときなのではないか。「原発」を稼働するかしないかは、そうした私たちの「生き方」そのものを改革するかしないかという問いかけでもあるのではないかと考えるようになったのです。

4 そんな思いを決定的にしたのは、やはり二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災、それによってもたらされた福島第一原子力発電所の爆発事故でした。
このいわゆる「3.11」とよばれる未曽有の凶事は、多くの日本国民に「これまでの生き方でよかったのか」を問うものでした。私の知る多くの画家や作家、音楽家たちのなかにも、この「3.11」を境に、人間の力では抗しがたい自然の脅威と、いつのまにか私たちが陥っていた「文明」への過剰な依存を自戒し、その思いを芸術表現に反映させようと努める者が現れはじめました。父水上勉は、幸か不幸か、この事故を知らぬまま世を去りましたが、まさしく福島の原発爆発事故は、「人間の営みに絶対安全などという神話はない」といっていた父の予言通りの悪夢の到来でした。

何より恐ろしいのは、研究者や地震学者が指摘するように、わが国は世界有数の地震国であり、日本列島ぜんぶが大地震発生の可能性をもつ環境にあることです。
じっさい、東日本大震災の復興がまだ半ばにも達していないこの時期に、熊本、鳥取と立てつづけにマグニチュード六以上の大地震が発生しました。この国に櫛比する五十基の「原発」は、つねにそうした砂上の楼閣といってもいい脆弱な地盤の上にあるといえるでしょう。

福島第一原子力発電所の爆発によってメルトダウンがおこり、放射能に住む場所を追われた人々がまだ十何万人もいます。加えて今も、原発から流れ出る汚染水や汚染土、核のゴミといわれるプルトニウムの保管場所を、国内で「盥回し」にしているというのが現状です。政府は、二コトめには「万一事故があればクニが責任をもつ」といっていますが、五年前の福島の後始末さえできていない政府が、今後おこるかもしれない事故に対してどう責任をとるというのでしょう。

一度事故をおこせば、だれにも責任のとれない壊滅的な被害をもたらすのが「ゲンパツ」であることを、私たちは福島の事故でイヤというほど学んだはずではないですか。今後もし、このような事故が日本のどこかでおこったときでは、いくら政府や為政者の人々が土下座をして謝ったとしても、もう手遅れなのです。

5 リアス式の美しい玄海灘の海岸は、訪れるだれの心をもなぐさめる南国の海景色であり、小生に「無言館」建設のきっかけをあたえてくれた福岡在住の、本年九十六歳、戦争で多くの仲間を失った喪失感を作品にしつづける野見山暁治画伯の愛する風景でもあります。昭和五十年値賀崎に九州最初の玄海原子力発電所が設けられていらい、この美しい海岸が放射能に侵される日だけはむかえてならない、と祈りつづけて参りました。本日の、このつなたい意見陳述が、私たちの「新しい明日の日本」を築く一助になってくれればと念じるばかりです。


■九州玄海訴訟今後の予定■
第21回提訴12月26日(月)
第20回期日 1月27日(金)
第21回期日 4月14日(金)
 
*申込み用紙はコチラ→ http://no-genpatsu.main.jp/download.html#genkoku
2015年11月、1万人突破!原発を止めるためにはまだまだ原告が必要です。
私たちと一緒に、ぜひこの歴史的な取組みにご参加ください。原告を広げてください。

【数で勝負!とにかく書こう、出そう!パブリックコメントに参加し、意見表明しよう!】
玄海原発3・4号機の審査書案に対するパブリックコメントが11月10日から始まっています。

書きたいけど、どうやって書いたらいいの?どこに送ればいいの?と言う方は九州玄海訴訟のホームページをご覧ください。文例や送り先を掲載しています。

パブコメの書き方、送り先→ http://no-genpatsu.main.jp/news/index.php/view/293

パブコメの文例(ロングバージョン)→ http://no-genpatsu.main.jp/news/index.php/view/294


期間は12/9までの1か月間です。(12/9必着)

【署名にご協力ください】
★ストップ川内原発! 3.11鹿児島実行委員会では、新知事誕生以来最大の山場を迎える11月、緊急全国署名をお願いすることに決定いたしました。

「三反園鹿児島県知事は『脱原発』の公約を守り、定期検査で停止中の川内原発を絶対に動かさないでください。」と題するものです。

いま、川内原発1号機は、10月6日に停止し定期検査がおこなわれ、12月8日が稼働予定とされています。

先の県知事選挙において、三反園知事は「原発に関する諸問題を検討する『原子力問題検討委員会(仮称)』を県庁内に恒久的に設置し、答申された諸問題についての見解をもとに県としての対応を確立していくこと」を表明しました。

これに基づいて、下記3点を、要請事項として列記しています。
1. 公約通り、早急に「原子力問題検討委員会(仮称)」を立ち上げていただくこと。
2. 川内原発1号機および2号機の定検後の再稼働にあたっては、上記検討委の見解(結論)を尊重すること。
3. 上記検討委の設置が遅れ、検討委の見解(結論)が出ていない場合は、九州電力に対し、定期点検後の川内原発1号機および2号機は絶対に稼働させないよう、強く申し入れること。

11月30日1次集約、必着で設定しています。何卒、宜しくお願いします。

ストップ川内原発! 3.11鹿児島実行委員会
事務局 向原祥隆
〒892-0873 鹿児島市下田町292-1 
TEL099-248-5455 FAX:099-248-5457
info@nanpou.com

署名用紙はコチラから→ http://no-genpatsu.main.jp/offer/saikadousosi.pdf

★佐賀県知事に再稼働不同意を求める署名の取り組みのお願い
署名用紙はこちら⇒http://tinyurl.com/jp5tuc3

玄海原発再稼働に向けての動きが急迫しています。その動きをSTOP!させるために、山口祥義(やまぐちよしのり)佐賀県知事に、玄海原発再稼働への不同意を求める署名を取り組んでいます。この署名の特徴は、とりわけ佐賀県外に住む者の立場に重点を置いて、「佐賀県だけの問題ではありません!事故の放射能は佐賀県外にも甚大な被害をもたらします!」と主張しているところにあります。
九州各県を中心として55の団体が参加する署名実行委員会が署名運動を進めていますが、さらに多くの団体・個人のみなさまにこの署名に取り組んでいただきますようお願い申し上げます。
要請事項は以下の通りです。「福島原発事故と同様な事故を起こした場合、佐賀県はもとより佐賀県外へも甚大な放射能被害をもたらしかねない玄海原発3,4号機について、その再稼働に同意しないことを貴職に求めます。」

【呼びかけ】 佐賀県知事へ玄海原発再稼働に不同意を求める!署名実行委員会

【連絡先】 080-8353-5792  戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会・工藤

署名集約先:「〒814-0199 福岡市城南郵便局留 戦争と原発のない社会をめざす福岡市民の会」宛に送付ください。

署名締め切り:第一次締め切り2016年12月25日(日) 、最終締め切り 2017年01月31日(火)必着で郵送願います。


【地域原告団イベントのご案内】各地域原告団のイベントはホームページにも掲載しています→ http://no-genpatsu.main.jp/news/
◆第27回原発ゼロCafe'
11月26日(土)10時〜12時@神野公民館

今回は原子力ムラ連合のたくらみ、佐賀市からの回答書の検討、東島弁護士からの今後の運動の提起ともりだくさんです。

主催/原発ゼロ佐賀市の会
連絡先…佐賀市中央本町1-10ニュー寺元ビル3F 佐賀中央法律事務所 TEL 0952-25-3121

◆イスラエルから来たダニーさんに聞く戦争のある国と戦争のない国〜武器を持てば平和になるの?
イスラエル出身のダニーさんは、徴兵でイスラエル空軍に従軍後アジアを旅し、現在は秩父で木工房を営んでいます。イスラエル軍のガザ地区攻撃をきっかけに、母国イスラエルに対する疑問を抱き、埼玉県秩父で木工房「ナガリ家」で家具職人をしながら、平和、脱原発の活動をしています。

ユダヤ人虐殺、そしてガザ地区で行われている虐殺。戦争の加害と被害。原発の構造的利権を貪る政治家や企業など、世界が抱える矛盾に正面から立ち向かい、子どもに笑顔の未来を残すために全国を回っています。

11月25日にダニーさんが福岡に来ます。ぜひおこしください。

日時 11月25日(金)18:30
場所 ふくふくプラザ
会費 500円
主催 ダニー・ネフセタイを福岡によびたい★ゆかいな仲間たち
共催 原発なくそう!中央区の会、中央区九条の会、terra cafe kenpou

◆「福島原発事故5年半から見えてくるもの〜シリーズ2・裁判の状況」
講師:池永修弁護士
日時:11月26日(土)14時〜
会場:フレアス甘木研修室A
参加費無料

この間の様々な裁判の状況について主に以下の点を中心に講演してもらいます。
・運転差止訴訟
・福島生業訴訟
・損害賠償〜被害者の補償すら裁判なくしては進まない
・東電株主代表訴訟
・原発賠償期限を2018年3月に設定
・運転差止仮処分
・大津地裁が高浜原発の差止を見問える仮処分決定
・刑事責任

問題提起後は自由な討論をと考えています。奮って参加ください。多くの質問や意見で活発な討論を行い、これからの運動の展望を見出したいと思います。

主催:脱原発・自然エネルギーを求める朝倉住民の会
*連絡先:朝倉市堤1095-7 TEL:0946-23-1875 桑野恭彰

◆映画「無念」上映会のご案内
映画「無念」上映会&「関東からの避難者の話」

講師:森音広夢氏
日時:12月11日(日)14時〜
会場:フレアス甘木 多目的ホール

原発事故により、命があることを知りながら救助活動を中断し、避難せざるをえなかった浪江町消防団。福島の「浪江まち物語伝え隊」と広島の「まち物語制作委員会」が、その時の様子・心情を伝えるために制作したのが「無念」です。20人の被災者が集い、声優を務めた手作りの自主映画です。

上映会の後は関東からの避難者の話を聞きます。原発事故当時の話から避難先での生活、避難者訴訟に関わった経過、帰るに帰れない現状や思いなどを聞かせてもらいたいと思うところです。原発事故から5年9か月、もう一度福島原発事故の現実から学びとる必要を痛切に感じるところです。是非一人でも多くの方々に見ていただき、聞いていただきたいと思うところです。

主催:脱原発・自然エネルギーを求める朝倉住民の会 原発なくそう!九州玄海訴訟朝倉地区原告の会
連絡先:弁護士法人 奔流 法律事務所 朝倉オフィス TEL 0946-23-9933

◆小出裕章さん講演会「なぜ、私が原発に反対するのか」
ちっごの会企画第14弾 講演会のお知らせ

日時:2017年1月15日(日)午後6時30分〜8時30分(開場:午後6時)
場所:久留米シティプラザ5階 大会議室(久留米市六ツ門町8-1)
資料代:500円

《講師の紹介》小出裕章氏
工学者、元京都大学原子炉実験所助教。1949年8月29日生(67歳)。
現在に至るまで一貫して、「原子力をやめることに役に立つ研究」を行っている。
2015年3月に京都大学原子炉実験所を定年退職後は、長野県で生活しており、「敵地(原子力を推進する人たちとの論争の場など)」「現地(福島や原発を立地されてしまった地域など)」「若い人(これからの未来を担わざるを得ない人たち、及び、子どもたちに関わりのある人たち)」を対象とした講演等を全国で行っている。
著書に、「原発のウソ(扶桑社)」など多数。

問合せ先 久留米第一法律事務所(事務局:古田)
住所:久留米市東町1-20大和ビル2階
電話:0942-38-8050 FAX:0942-38-0850

【その他、原発関連イベント】
●福島原発事故避難者訴訟 次回裁判のご案内
裁判日時 2017年2月1日(水) 午後2時〜

門前集会を午後1時30分より行います。
集合場所 福岡地方裁判所玄関(福岡市中央区城内1丁目1−1)
当日の流れ
午後1時30分 門前集会→法廷へ移動
午後2時 口頭弁論開始
午後2時30分ころ終了  その後,報告集会。
(弁護団の一部は,裁判所との進行協議後,報告集会へ合流。)
午後4時ころ終了

*傍聴のみの参加もOKです。

【問い合わせ先】
福岡第一法律事務所 弁護士近藤・八木
電話 092-721-1211

【玄海訴訟を支える会のご案内】】
支える会にぜひ、ご加入ください。原告の皆さまが原告に加わったときにご負担いただいた印紙代5000円は原告団などの活動費はおろか「弁護団活動費」さえ賄うものではありません。このことをご勘案くださいまして「支える会」のご支援もよろしくお願いします。

☆支える会は正会員(年会費3000円)と維持会員(年会費1万円)の2種類の会員があります。

申込み書は弁護団のホームページからダウンロードできます→
http://no-genpatsu.main.jp/img/download/mousikomi2.pdf
このメールにご住所・お電話番号をご記入の上ご送金いただいてもかまいません。

年会費送金先は下記のとおりです。
☆ゆうちょ銀行間の振込
口座記号番号 01760-6-90732(ゲンカイゲンパツソショウヲササエルカイ)
☆他銀行からの振込み
店名 一七九店(179)当座 口座番号 0090732

※支える会の会費は現在、会報の作成・郵送や専従事務局の人件費などに使っています。

※原告のみなさまへお願い
転居された方はご連絡をお願いします。このメールに返信してください。よろしくお願いいたします。

◎「原発なくそう!原告1万人記念フェスティバル」での城南信用金庫・吉原毅さんの講演はコチラから→ https://www.youtube.com/watch?=nMd2j5ilVAk

・・・・・・・・・・
「原発なくそう!九州玄海訴訟」原告団・弁護団 
URL:http://no-genpatsu.main.jp/
〒840-0825 佐賀市中央本町1-10ニュー寺元ビル3階 
佐賀中央法律事務所気付
TEL0952-25-3121/FAX0952-25-3123
Facebook:https://www.facebook.com/nogenkaigenpatu twitter もあります

http://www.asyura2.com/16/genpatu46/msg/822.html

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > ペンネームごとのコメント > c3RpeA  g検索 c3RpeA

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。