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久保木修身回顧録「愛天 愛国 愛人」
立正佼成会から統一教会へ
http://moo.malsm.info/private/aitenaikokuaijin/aitenaikokuaijin_04.html
庭野会長のためらい〜久保木修身佼成会脱会、統一教会入信
庭野会長には、佼成会の会長という越えられない壁がありました。自分が統一原理を学び、それを受け入れるということは、自分が作った教団を潰し、全国の会員を見捨てることになると思っていたのです。それに、法華経で宗教統一を行うために、これまで苦労してきたのに、急にキリスト教に変わることができるはずがないという気持ちだったのです。
少年のように、純真な心を持っておられた会長でしたが、最後の大きな壁を越えることができませんでした。統一原理を受け入れることが、教団の現状の問題点を打開し、さらなる跳躍への大きなステップになるのだということがどうしても理解できなかったのです。
私は、住み慣れた佼成会を辞めざるをえなくなりました。「会長先生、長い間お世話になりました。これまでの御恩は決して忘れません」。こう会長に言い残して、十三年間私を育ててくれた佼成会を去ることになったのです。
国際勝共連合の設立に携わった人々
笹川良一先生の思い出
昭和四十三(一九六八)年の四月一日に国際勝共連合が設立され、私が勝共連合の会長となりました。発起人には、笹川良一先生や児玉誉士夫先生、岸信介元首相らに加わっていただきました。とりわけ、笹川先生には大変なご尽力をいただきました。私が名誉会長の就任をお願いしたときも快く引き受けていただいたのです。
思い起こせば、笹川先生との出会いも劇的でした。六〇年代の初めごろ、私が佼成会を辞め、統一教会に専従し始めた直後だったと思います。廃品回収と路傍伝道に明け暮れる日々。そのころ徐々に教会員が増え始め、開拓伝道を開始することになりました。第一期の夏季四十日間開拓伝道です。単身かもしくは二人で、行きの電車賃だけを持って、任地におもむき伝道を行うのです。
その時、徳島に配置されたのが阿部公子(旧姓一色)という女性でした。彼女は徳島の駅前で毎日路傍伝道をしていました。旗を立てて群衆に向かって演説をして、その後一人一人に話しかけていきます。彼女のそういう姿を物陰から毎日見ていた老人がいました。珍しい人がいるものだと感心しながら眺めていたそうです。
ある大雨の日、今日はやらないだろうと思っていたら、何とずぶぬれになりながら、いつものように演説をしています。それを見て老人はびっくりしてしまいました。敗戦後の日本にもこんな若者がいる。これはすごい。老人は本当に感動したのです。
戦時中、笹川先生は国粋大衆党の総裁でした。そして徳島のこの老人がその顧問をしていましたので、東京に出てきたときに笹川先生に偉い奴がいるということで話したのです。それを聞いた笹川先生は絶句して、「わしがいっぺん行ってみよう」ということになりました。これが笹川先生と我々との最初の出会いです。
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