12. 2019年9月10日 18:08:53 : ax2YsaoJB0 : ZXJGZnNtZEcvVnM=[1]
政治活動と選挙運動の意味は表と裏ほどもちがう。
しかし、言葉は権力者によって都合よく使用されている。
日本の子どもたちは英語よりも日本語を学ぶ必要性がここにある。
言語は公平に機能する人間がもつ大切な道具であるにもかかわらずだ。
何故、こんな無法なことが日本国憲法下において起きているのか?
あれもこれも、すべて、憲法が保障する自分たちの権力を、結果的に放棄してきた結果だ。具体的には無関心と投票権の放棄である。
香港の若者は普通選挙権獲得のために命をかけて戦っているが、一方、
日本の若者は、その大切な権利である一票を捨てている。
一票を捨てている日本国民が施政者になめられても自業自得ということだ。
教育の論理(文部省廃止論)著者の羽仁五郎が言っています。古い本だが良本である。二か所だけ引用しておく。
文部省は立法権の乱用/文部省がなければ、日本の社会は一刻も成り立たないかというと、そんなことはないのだ。現に、世界の多くの国には、日本のような文部省などというものはぜんぜんないのである(p23)。
文部省の関心は管理監督取り締まり/文部省の本質は教育警察にあり、敗戦後廃止された内務省は秘密のうちに文部省と自治省との内部に復活していたのである(P38)
http://www.asyura2.com/19/senkyo265/msg/411.html#c12