61. 2021年7月01日 12:50:52 : ieU4IWGwlk : ZVdYWDFIY0pFekE=[1]
東日本大震災の津波で、宮城県女川町、志津川町、歌津町並びに岩手県陸前高田市の戸籍の全てが、消滅した。
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/54765?page=5
大災害のときに、だれかの奸計による、戸籍の偽装や成りすましの余地を残している。(警鐘を鳴らすブログも多数に上る。)
バーガミニよれば、晋三の祖父、岸信介は、佐藤家に生まれながら、岸家の養子になった。
同じように、岸信介の父親、佐藤秀助は、岸家に生まれながら、佐藤家の養子になった。
佐藤家と岸家は、養子のやり取りをするほど、密接な関係にあった。
> Kishi was born a Sato and adopted by the Kishi family. His father, conversely, had been born a Kishi and adopted by the Sato family.
晋三の父親安倍晋太郎の出自を求めて、ウィキを探ると、矛盾する記述があることに気づく。
> 安倍寛、静子夫妻の長男として東京市四谷区に生まれる。寛とは、誕生日が同じである。生後間もなく郷里の山口に戻り幼少期を過ごす。・・・・晋太郎が生まれて80日後に両親が離婚した。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E6%99%8B%E5%A4%AA%E9%83%8E
晋太郎の父親、安倍寛は、27歳のときに東京帝大を卒業し、自転車製造業を営んでいたが、1923年9月1日に、関東大震災にあっている。
安倍晋太郎の誕生日は、昭和天皇裕仁と同じ、1924年4月29日である。
少なくとも、安倍寛と晋太郎の母親、本堂静子の結婚は、1923年7月以前と見なされるが、ウィキの記述は、素っ気ない。
> 東京に移ったのちに本堂静子と結婚し長男晋太郎を儲けるが、直後に離婚し以降は独身で暮らした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E5%80%8D%E5%AF%9B
安倍家は、当地の名家とは言え、郷里の山口県長門市に送られた、乳飲み子の晋太郎を、だれが、どのように育てたのか?
晋太郎の回想には、育ての親のことが、消えている。
ウィキには、以下のようにあるが、本堂静子の父親、本堂恒次郎は、陸軍軍医監や近衛師団軍医部長の要職に就いた名士で、母親の捜索は、当時でも簡単だったはずだ。
https://kotobank.jp/word/%E6%9C%AC%E5%A0%82%20%E6%81%92%E6%AC%A1%E9%83%8E-1654721
> 旧制山口中学校(現・山口県立山口高等学校)に進学。母親の再婚を知り、上京して居所を探すも、再会は叶わなかった。
これに、晋太郎が行った朝鮮人発言を重ね合せると、朝鮮の李氏の出自が疑われる所以である。
http://www.asyura2.com/21/senkyo281/msg/673.html#c61