54. 2019年8月26日 16:57:28 : cmd8GjPVf6 : ZTU1TnJOVkpYMlU=[1]
民主主義の根幹は、健全なジャーナリズム活動と公正な選挙の実現である。
その根幹である選挙に疑義が生じている。だから数多くの裁判が提訴されてきたわけだ。
しかし、支持率は捏造だとか、ムサシ、不正選挙、不正選挙裁判についての書き込みがあると必死になって「ネトウヨだ、バカだ、カルトだ」とかの書き込み部隊が現れる。しかし問題の本質は、公正な選挙が行なわれているか否かである。それを問うているのに、「書き込むな」「削除しろ」と管理人に訴えているのだ。
つまり、「選挙の不正を疑うな、選挙は公正であると信じろ!」との強い願望であり、指示であり、命令であり、言論の弾圧・言論の封殺である。これほど理不尽な書き込みを続ける理由は何なのか? こんなんでは、益々選挙の公正を疑わざるを得ないだろう。
ネットの片隅に下記のような書き込みを見つけた。今までの安倍自民党の悪政と不自然極まりない選挙結果を振り返れば、不正が行われてきたとしか思えてならない。そもそも、安倍のような馬鹿でなく、小沢一郎のような人物が総理になれなければ民主主義国家ではなく、選挙は正常に機能していないと考えるべきだろう。
>不正選挙、開票不正は「必要悪」である。
http://open.mixi.jp/user/8712738/diary/1943969682
不正選挙、開票不正は「必要悪」である。すべて公正に選挙民の投票に任せることは危険な側面を持つ。早いはなし、「消費税ゼロ、医療費ゼロ、年金倍増」と公約する候補者に簡単に票が集まってしまうだろう。知名度があれば演歌歌手やAKBやサッカー選手やお笑い芸人ばかり当選してしまうだろう。国民はバカ、有権者はバカといわれるが専門知識がないのは当たり前でその意味では確かにバカであり、国家、社会の利益より自分の利益を第一に考えるエゴイストだ。このエゴイストの投票に国家社会の将来を任せることは危険すぎてできない。民主主義、公正選挙というのは耳障りのよい子守歌であり、政治も選挙も適正適度な「操作、コントロール、管理」が必要であり、実際に陰で行われてきた。適正適度が担保されるかぎり選挙不正も管理選挙も「必要悪」であることを選挙民は認めなくてはいけないし寛容な精神で一票を投じることだ。