http://www.asyura2.com/acat/z/zn/znu/ZnUvMmdiRnpuSU0=/100000.html
26. TondaMonta[2265] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年7月27日 19:57:36 : 8WcofCqk0U : ZnUvMmdiRnpuSU0=[1]
ちょうど1ヶ月前の、6月24日の,都の新規コロナ感染者数55という数字をみて「第2波」が来たと月光仮面は言い放った。幾何級数とか等差数列といった言葉はブログ上にいくつか載っていたがイタリアの数学者フィボナッチ氏が発見したフィボナッチ数列を挙げる人はいなかった。これは高校数学Vで習うらしい。第0〜21項の値は次の通りである: 0, 1, 1, 2, 3, 5, 8, 13, 21, 34, 55, 89, 144, 233, 377, 610, 987, 1597, 2584, 4181, 6765, 10946,・・
日本のPCR検査は厚生技官によって抑えつけられ多くの標本が得られない。福祉保健センタ−が安倍首相の国会答弁に反しても技官通達に従っている。不思議の国の逆さのアリス。
第2波は来ていない。第1波の延長に過ぎないという人も少なからずいる。確かにそうだ。政府や東京都が早期に緊急事態を解除したからである。コロナ菌は変異して人から人へ移るので第1波が半永久に続くわけである。つまり第2波も第3波も来ない。しかし例えば、海の波などは波が次々に来るが,波は1つであって2つ以上ないということになる。それでいいのかしら。また高波を防ぐ防波堤があるから小さな波は波ではないというのも変な話である。谷が2つ山が1つある形を模して波というのが自然ではないだろうか。
3・4月から5月にかけて波が来て谷底が見えたのを第1波とすれば、その谷から山が現れたら第2波と呼ぶのが一般の方々の見方ではないのだろうか。そこで55人という数字を見て小生は或る数列を思い出したのである。もちろん30数年前に習った数字55を覚えていたわけではない。しかし55という数字は印象に残る数字である。山本五十六とか21(トランプ)あるいは3.14とかいう数字も印象に残る数字である。そうしてもう一度コロナ感染者数を見てみると,フィボナッチ数列を適応するとうまく説明できると考えたのである。
しかしすでに述べたように,保健センターの検査数は抑制されていて実態を反映しない。しかし3−4日あるいは4−5日の陽性数を1つの数字とみることが出来る。そこで検査数が報告されて多くなる木曜,金曜の数字を見てみることにした。55の次は89、そして144である。144前後の数は3,4日続いた。したがって次は89+144=243である。見事,その通りになった240台である。そうして,3,4日続いた、それでもまだ第2波は来ていないという方もおられたが、130+240=370をみて第2波が来たと確信を深めた。すると次は610である。これを予想されたのはT教授ただ一人。
小生はナウマン通りとパスカル通りの交わった所に住み、医学とは無縁であるが高校で習った数列が役に立っていると感じた。もし政府や東京都が何も手を打たなければ、987, 1597, 2584, ・・・に至るのは,多少の誤差を考慮しても明らかであろう。コロナ禍の中にあってフィボナッチ氏を思い出すのは小生だけではあるまい。あのピサの斜塔で数列を考えているフィボナッチ氏って暇なんですね。いやいや,暇こそが偉大な発見を促す??
http://www.asyura2.com/20/senkyo274/msg/489.html#c26
54. TondaMonta[2266] gnOCj4KOgoSCgYJsgo@CjoKUgoE 2020年7月27日 22:26:08 : 8WcofCqk0U : ZnUvMmdiRnpuSU0=[2]
植草先生よ。話を誤魔化してはいけない。
>それは、れいわ新選組の主張の根幹と対立するものであり、自己の主張を維持する大西氏がれいわ新選組を除籍されるのは極めて順当なことであると判断される。<
植草氏の言う「主張の根幹」とは何か。それはいつできたのか。
1年前、参院選があった。最初にれいわ公認候補者として蓮池透氏が発表された。しかし順次発表される中で告示日間際に発表された方もいた。渡辺てる子氏は十分に「主張の根幹」を理解され合意されて公認されたのかどうか。
大西氏発言を擁護するつもりはない。大西氏の完結したその命の選別論は3分の一正しく、3分の一正しくなく、3分の一想定外の事態がありそれについてまだ未熟である、からである(例えばコロナ禍の中で陽性になっても無自覚・軽微な症状の若者が増え、弱者や高齢者を危険な目に陥らせている。若者が2025年になる前に彼らを全て殺してしまうかもしれない。これは世界的傾向であり、GoToキャンペ-ンでもあろう)。
さて大西氏が公認されたのはいつなのか。参院選告示前の1週間であったと思うが、大西氏が7月17日の会見で言うには党是「生きているだけで価値があるんだ」は公認時はなかったという。またたとえ大西氏が認識していなかったとしてもそれを許した山本代表の責任は免れない。大西除籍なら山本代表辞任があってしかるべき。
れいわ立ち上げの記者会見(4月10日)で山本氏は「生きているだけで価値があるんだ」が党是であることをハッキリ述べたのであろうか。
消費税0%などの『8つの緊急政策』は2の次だったのであるのか。しかしもしそうならワタチは支持しなかったであろう。あれだけ街宣でMMTや政府補償を説きながら、誰でも行きる価値があるんだというのが党是であることを主張されてはいなかったと思う。
党是を実現するために『8つの緊急政策』を実行したい、というのであれば、れいわへの見方もだいぶ異なっていたように思う。少なくともワタチは応援しなかった。公明党池田派の考えと何も違わないだろう。
しかしながら、党是に反すると除籍なのかどうか。これは別の話であろう。すでに述べたように「れいわ新選組」の主張の根幹がいつ公認候補者に徹底周知されたのかハッキリさせるべきであろう。俗にいわゆる”周知または入党条件Lecture”があったのであろうか。
またさらに、木村英子氏らの”K-Lecture”が本当に適切であったのか。大西氏を説得できなかったのはなぜか。根本的に考える必要があろう。党代表の責任は重い。
上の投稿1と2の組み合わせは、相当頭がいい方が考えた配とう列である。党是をれいわの根幹とすり替えた上で、拡大解釈しないでくれという主張を援護している。しかしそれを言うなら、高齢者の話について命の選別発言をしたのであって障碍者については1ミリたりとも発言していないという反論も認めなければならない。
いずれにしても植草氏は党是がいつできたかを明らかにせず、党是を「れいわの根幹にかかわる」とすり替えた。れいわの根幹って何なのか。山本代表は党是といったのである。党是に反すると発言したのである。党是はいつできたのか。未だにその返事はない。
上戸万作氏られいわの知恵袋が平和と共生・オールジャパンで植草氏らと共に作り上げた『8つの緊急政策』。それゆえに彼はAll-Japanは全力を挙げてれいわを応援したと書いた。それはそれで結構。個人・組織の自由。しかし贔屓してみれば、植草氏の文章は上戸氏や「れいわ新選組」を応援した文章になっている。彼は時に間違える。
いつできたのかもハッキリしない党是に反したことで適切とは限らない「レク」を受けさせられた大西氏。拡大解釈されて党是に反するとされた大西発言。次に「保証はない」という命題文について論じる。
「高齢者の話が弱者や身体障碍者の話にならない保証はない!」ならば「絶対になる」という保証を示すべきだろう。大西氏が将来のいつか高齢者の枠を広げて障碍者などに適応する発言をするなら、除籍とされても仕方ない面もあろう。しかし彼はポカンとしていたに違いない。彼の発言は高齢者に限られていたからである。
あるいは大西氏が突然死となる場合もある。交通事故かもしれない。将来のことは分からない。しかし拡大解釈されることに大西氏は違和感を相当覚えたに違いない。言葉は仏文学者桑原武夫の『第二芸術論』を待つまでもなく、社会的なものである。他人を拡大解釈し、自分の場合は拡大解釈してくれるなというのは、虫のいい話ではないだろうか。夏が近づいた。窓の外でりんり、りんり、りんりと倫理の時間に鈴虫が鳴く。
次に木村英子感情論について論じよう。人間誰もが感情を持っているから発言は感情を伴う。しかるに木村感情論が間違いだというのはどういう意味なのであろうか。
K-Lectureだけでなく、イタリアの現場医師などのLectureも会ってもよかったのではないだろうか。距離的・時間的に難しいが命の選別をしなければな籟場合もあることを木村英子氏にもする必要があった。それが平等というものだ。れいわには平等主義はないのか。
話を戻すと、木村氏が当選した後のある会見で「私は施設に戻りたくありません」という発言をしていた。大西氏とは無関係の発言である。施設に戻りたくない?それはそうだろう。牢獄以下の待遇を再び味わうことは嫌だろう。しかしそういう恐怖心は初めからあったのである。その発言が大西除籍の主たる原因である。つまり恐怖心が除籍を決定づけたのである。感情論といわれる原因である。しかしそれだけではない。
コメント1(植草氏)と2を出すとれいわ離れをした支持者の多くは戻ってくるのかどうか。ポスターも剥がされている、という。つまりれいわという組織は市民の党と連帯UNIONが支える党になったのではないだろうか。しかも野原善正氏が離党した。櫛の歯がボロボロ欠けるようにれいわ元祖5人が離党するかもしれない。つまり感情論ではなく、組織論からして、支持者一般からして除籍は正しい選択であったのであろうか。組織論からすれば木村英子氏のレク発言は感情論過ぎる。
れいわは弱小党である。だから党紀で山本代表の権限が強いことは明らかである。自民党や立憲ではこのような規約は通用しないだろう。立ち上がったばかりの党だからいろいろ大目に見て来たのである(ワタチは党規約があることさえ知らなかった)。
山本独裁を今後どうするのか楽しみだが、拡大解釈すればどうなるのであろうか。山本太郎首相待望論や辻村環境大臣、安富文部大臣、大西財務大臣など待望論がでた。しかしもし山本氏が首相になった場合、独裁者にならないという保証はない。何故なら現在独裁者だからだ(植草発言は山本独裁者に関する点を論じていない)。
ワタチなら独裁者が造った党是や党規約や根幹に迎合した大西氏を支持しない。元祖10人も支持しない。党是の前に、日本国憲法の理想に反している。「恐怖と欠乏から逃れる」という憲法前文があったはずである。むしろ大西発言は憲法の理想を実現するためになされた一つの小石だと思えば、党是違反が即除籍にはならない。2025年以降、避けて通れない問題であるから、時期が悪かったと言えばいえる。そういう観点から除籍は考えられていない。ゆえに大西除籍に反対する。
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