2. 前河[8999] kU@JzQ 2023年12月19日 23:01:40 : DXXnwtr2mQ : ZjF4ZWlDSmplaTY=[1]
職務中の行為で損害を与えたとは何ぞや?
それは、プールの監視員が子供が溺れるのを見逃したとか業務上の過失の事ではないのか?
筆者が言ってるように、故意に悪質な犯罪を犯しても「職務中の行為で損害を与えた」という範疇に押し込めていいものなのか?
例えばだが、市役所の職員が業務時間内に来客した一般人が気に入らないといきなりナイフで刺したら、刑事事件として立件されるのは当然の事として、刺された遺族はその個人に損害賠償請求できるのではないか?
できないのか? できないとすれば、全く筋の通らない間違った法律という事になり、被害者の人権は守られないという事になるな。
要は、過失ではなく、意図的な犯罪行為までも公務員は国に守られるという事になるぞ。公務員の特権か?
憲法の法の下の平等に反する憲法違反となる。憲法にそぐわない法律は変えるべき。
このような突っ込みに対する裁判所の逃げ口上としては、「佐川が刑事事件で起訴されず、無罪となっているので、意図的な犯罪ではない」と言い訳をするだろうな。
しかし、検察の判断は絶対的なものではない。逆に憲法の精神は絶対的なものである。
検察の間違った判断を裁判所の独自判断でくつがえしても言い訳だ。
そのための三権分立だろうに。
検察には確かに形式的には司法的役割を含むという事にはなってはいるが、それは、運営上スムーズに事件を処理するためであり(ゆえに主に行政として機能してる)、大事な場面では意見が対立してもいいはずだが、日本は検察と裁判所があまりに近すぎる点が以前から問題となっている。
つまり、司法と行政がなあなあの仲間関係になっていて、健全な三権分立になっていない。一体化してはならないのだよ。フェアな判断ができなくなるからだ。
企業と政治家だけでなく、ここにも日本の村社会的なあなあ癒着関係と疑われる事象が発生していると感じる。
日本は組織の独立性が希薄なのだよ。日本の汚点だな。
全ては大阪地検の検察官が(今は北海道に行ったか?)、佐川のとんでもない犯罪を不起訴にしたという完全な間違いのせいだ という言い方もあるかもしれない。
確かにそうだと思うが、しかし、司法判断というのは権力のチェック機能でもあるのだから、ひとつの判断だけではなく、様々なチェック体制が必要だ。
裁判所は独自判断で公文書改竄は明らかな犯罪性があると認定するか、捜査のやり直しを呼び掛けてもいいのだと思う。(権限はなくとも呼び掛ける)
少なくとも佐川を呼び事情を訊くべきだろう。
でなければ、「検察の行政面での判断は絶対的に正しく冤罪やその逆は有り得ない神の判断だ」 という事になってしまうだろう。
再起訴を審査会が検討し、佐川の再捜査をすべきだと思う。検察に正義感というものがあるというのなら。
公文書を何百箇所も命令し改竄した人間を起訴しない(罪に問わない)とは異常な判断である。
民主主義国家の公文書は、国民共有の財産であり、公務員が勝手に変えていいものではない。
そんな民主主義国家はどこにもないだろう。
反グローバルリズムも大概にして欲しい。独裁国家にでもなりたいのだろうか?