15. 2023年4月20日 13:53:18 : VyZ1JFWgWo : ZGlsd1JHWHdiZnM=[1]
今年78歳になる老婆ですが、10歳の頃の社会科で、受持ちの先生の授業でしたが、「原油はあと20年で枯渇する」と、教えられました。
でも20年後どころかあれから70年近く経った今も、全く原油が枯渇することもなく、その先生の言ったことは「嘘」だったのか?或いはその先生の「無知」だったのかと思っています。
性格の良くない先生で、若い男の先生で、教師になり立てでしたが、家庭訪問時の付け届けによって分け隔てするような先生でした。
でも、表向きは人気取りで日曜ごとにクラスの全員をどこかへ連れて行ってくれたりしていました。
ある日、私が鉄棒で逆上がりをして鉄棒の上に今まさにせり上がり座ろうとしたとき、二人の同級生の男子が、後ろからそっとしゃがんで近づいて、ぶら下がった私の足を二人して引っ張り続け、いくら「放して!危ないから放して!落ちちゃうよ!」と言っても、結局落とすまで引っ張り続けました。
私は、両手は鉄棒にしがみついていましたが、結局顔面から地面に落ちて鼻血が出ました。
私が泣きながら校庭を横切っていたら、6年生の二人の女子が私を教室の先生の所へ連れて行ってくれました。
鼻血は先生が水道の所で洗って、鼻の上部を抑えて、止めてくれましたが。
その後先生は「この事は家に行って家族に話すなよ!」と言ったのです。
私はまだ4年生くらいでしたから「はい」と言いましたが、帰宅後、母が私の鼻のふちに僅かに鼻血の跡を見つけて「どうした!その鼻!」というので、私は本当のことを話しました。
母は怒って、その母親の所へ電話をしました。
そして翌日その先生が私に何と言ったと思いますか?
「○○!お前母親に昨日のことを話したのか!話すなと言ったのに!」です。
私は小学校4年生にしては結構おませだったのでしょうか?
24〜5歳のその男の先生に「私は被害者です!何で私の足を引っ張って鉄棒から落とした○○等を、私が母に嘘を言ってまでかばってやらないといけないんですか!!!!!!!!!」と、っ喰ってかかりました。
以来卒業するまで、私はずっとその先生からは、睨まれていたと思います。
その後ナイフ事件もありました。
クラスの女の子が私の鉛筆削りのカミソリ状の子供のナイフを「貸して」と言って持っていきました。
「良いよ」と言って貸しましたが、私が鉛筆が丸くなって「ナイフを返して」というと「嫌だよ!これは、私のよ!」と言うのです。
私は、かまわないでいたのですが、クラスの子が「何だかナイフの事で喧嘩してるみたい」と先生に言ってしまったのです。
すると先生は、「あのナイフは、お前のか?」と私にいうので、「そうです、でもプラスチックの取っ手の角が少し割れているから、頂戴と言われれば、上げたのに・・・・ただ、貸して!と言っておきながら、私のだと言うから、私がまるであの人のナイフを欲しがっているように思われるから、あれはあなたに貸したけど私のだよ」と言いました。
というと。
その時その先生は何と言ったと思いますか?
「お前のだと言う証拠があるのか?」と言ったのです。
私は、「あります!取っ手のプラスチックの複雑な模様の中に私の○○という名前をコンパスの先で隠し彫りしてあります」と言ったら、確かめたようで先生は。
その生徒に「これは確かに○○のだ、お前のじゃない、先生が新しいのを買ってあげるから、それは○○に返しなさい」と言って返してきました。
あのオヘイキ先生はもう死んだかな?
私より13〜4歳上だから、生きてたら、91歳か92歳かな?
まぁ、戦後10年くらいで小学校の教師だから、金金金で暮らしてたんだろうがね。
みっともない教師の話でした。
それでも、結構お面は良い顔してたから、引っ越していく女の子なんか、「あの先生と別れたくない」と言って泣きじゃくっていた子がいたけど。
オヘイキ組だったのかな?
私は覚めて見てたけど。
でも中学校へ行ったら、小学校と打って変わって、学校中の先生がみんな味方に見えた。
楽しい中学校生活でした。