95. 2021年12月30日 06:24:13 : iclWvNEpzo : ZDBHS05jN2xGdEk=[1]
自民党は石破も河野も総裁にしなかった。石破は憲法9条改正派だし河野は原発政策転換派だ。
この両者とも従来自民党路線からの転換を志向する政治家である。
しかしそれゆえに自民党総裁となれず、首相とはなれなかったのである。
小沢一郎はまさに彼らの先達であって自民党を出てその外部から従来自民党政治からの転換を図ろうとした政治家なのである。
そのために彼のしたことが55年体制を終わらせ選挙制度を中選挙区から小選挙区に変えることだったのである。
55年体制とは自民党と社会党が表面上の対立関係とは裏腹に両者の談合によって政治が決められていた体制のことであり、中選挙区制というのは集団利益代表者が当選しやすい選挙制度であり、小選挙区制度は責任政党を国民が選ぶ選挙制度である。
前者は従来大企業などと密着度が高い自民党政治家が有利となるが、後者、小選挙区制では新しい政党でも責任政党となる可能性が出てくるのである。これは民主党政権誕生で証明された。
しかし戦前、戦後からの守旧勢力は民主党政権を短命に終わらせ、小沢一郎をトップの座から引き降ろすことに成功したのである。
日本経済の凋落は日本の政治的転換が不首尾に終わったことがその大本となっているのである。
小沢が危惧するのは55年体制の再来、つまり、変わることができない日本である。
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