13. 中川隆[-10490] koaQ7Jey 2024年5月26日 05:34:26 : 6oIs20yaA6 : Z2ljUEt4dXdzd3c=[1]
外向的な人間ばかりのアメリカ人はドストエフスキーを探偵小説として読んでいます、川端康成の雪国を純愛小説だと思って読んでいます、タルコフスキーの惑星ソラリスをSF映画として見ています。ヨーロッパ人と同じものを鑑賞しても捉え方が全然違っています。アメリカ人には文学も美術も音楽も映画も演劇も建築も料理も全く理解できないのです。
アメリカにもエドガー・アラン・ポーやエジソンの様な内向的性格の著名人は居ましたが、内向的性格の子供の殆どは発達障害者と判断されて学校で落ち毀れてしまいます。
戦時中にナチスの迫害を逃れて、バルトーク、シェーンベルク、ストラヴィンスキー、ハイフェッツ、エルマン、アドルフ・ブッシュ、ブルーノ・ワルター、クレンペラー、ホロヴィッツの様なヨーロッパで最高の人気を誇った音楽家がアメリカに移住しましたが、アメリカ人から全く理解されず全員駄目になっています。芸術や文学や思想は内向的な人間が作ったものなので、外向的な人間ばかりのアメリカ人には理解できないのです。
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アメリカ人には音楽の陰影や音色が理解できない
音楽は音色がすべてで、ベートーヴェンはベートーヴェンの音、モーツァルトはモーツァルトの音で鳴らないと全く別の音楽になってしまうのですね。アメリカ人にはベートーヴェンの音とモーツァルトの音の違いが全くわからないのです。
オーディオ談義〜フルレンジSPユニットの聴き比べ〜 - 「音楽&オーディオ」の小部屋
・リチャードアレン(写真右側)とアルテック403A(写真左側)から試聴。
アルテックの方をはじめに鳴らしてみた。
音を目方で表現するのも何だが、実に軽快そのものの音には驚いた。スカッと抜けきっていて、単純明快で隠し事のない音。人生バラ色、悩みなんて一切ありませんという印象がしてまさに典型的に陽気なアメリカ人を思わせる。
これはこれでいいんだろうが、もっと陰影が欲しい気もする。好き嫌いがはっきり分かれそうな音だ。
・これに比べるとリチャードアレンはまったく正反対でひとひねりも、ふたひねりもした音。音に適度の湿り気があって陰影がそこはかとなく漂ってくる。
人生を慎み深く、そして思慮深く生きていくイギリス人という感じ。
ヨーロッパの装置で聴けるクラシックというのは、アメリカの装置で聴くクラシックとは何かが違っている。ほとんど苦労しないで、ちゃんとクラシックが聴けるというところで、最初から全くレベルが違う。
前に、ムジークフェラインの1階のど真ん中で聴いたときに、ずいぶんと物足りなさを感じた。
ああ、実際は、こんな音だったんだ・・・と思ったのを覚えている。
どこから音がとんできているのか、さっぱりわからないくらいに、音がブレンドされまくっていて、その響きがまさにムジークフェラインのホールの特質というか、美点というのか、だろう。
アメリカのオーディオメーカーのウェスタン・エレクトリック、アルテック、 JBL、マランツ やマッキントッシュに聴く セパレーションの良い生々しい音 なんて、全くのウソっぱちだった。
フルトヴェングラーと戦中のベルリン・フィルハーモニーの音がベートーヴェンの音
ベートーヴェン 交響曲第5番
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1947年5月27日
https://www.youtube.com/watch?v=xQuFOfEaWzI
ベートーヴェン 交響曲第7番
ヴィルヘルム・フルトヴェングラー ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1943年10月31日
https://www.youtube.com/watch?v=FoshA2Q5EzU
フルトヴェングラーの演奏は解像度の低い音、つまり『音がだんごになって』聴こえることが重要だ。
フルトヴェングラーの求めていたサウンドは、解析可能な音ではなくて分離不能な有機的な音、いわばオーケストラのすべての楽器が溶け合って、一つの音の塊りとなって聴こえる、いわばドイツの森のような鬱蒼としたサウンドだ。したがって彼にはSP時代の音質が合っている。
ブルーノ・ワルターと戦前のウィーン・フィルハーモニーの音がモーツァルトの音
モーツァルト:セレナード第13番 ト長調 K.525 《アイネ・クライネ・ナハトムジーク》
ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 1936年12月17日
https://www.youtube.com/watch?v=bbkIVTfoaW8
https://www.youtube.com/watch?v=k3YtR_2G3hY
ウェスタン・エレクトリックの音がアメリカの音
今まで沢山のウェスタンサウンドを聴いてきましたがどのサウンドも一つの共通点がありました、
ウェスタンの音は一言で云うなら音にコクと味が少なくしかも奥に展開するサウンドにはならない、
聴いていると味のない食パンを食べているようなサウンドだ。
ウェスタンのシステムを採用した劇場を調べますとピンク映画館が多いのがわかった、なぜならピンク映画館の女性の声は生々しく聞こえないとしらけますね、ウェスタンで聴かされる大事な場面での彼女達の声に色気があった。
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外向的思考型 (extraverted thinking)
このタイプの人の特徴
自分の生活を知性の与える結論に従わせようと努めています。そして、その考えの方向づけは客観的な外的事実によってなされます。つまり、外向思考型の人は客観的な事実に基づき筋道を立てて考える人です。複雑な状況にあってもすぐにポイントを発見して対処することができます。その状況判断はとても筋が通っていて正しい場合が多いです。
このような人は、周囲の人々の考えを基にしたり、取り入れたりしている場合が多いです。内的なことや哲学や宗教を問題にしていることはあまりありません。
新しい独創的な考え方よりも、一般に受け入れられる考えの図式を作り上げ、例外を許さない態度により、これを守ろうとします。これがうまく行われるとき、実際的な問題について、よい組織を作り上げたり、社会に役立つ理論を提供する人となります。
http://rinnsyou.com/archives/327
外向的感覚型 (extraverted sensation)
外向的感覚型のひとはリアリストです。客観的事実を、事実そのままに受け取って、その経験を集積していきます。
このタイプの人は、思考や感情の助けが加わらないときは、気楽な、そのときその場の現実の享受者となります。あちこちの料理店の場所や味をよく覚えて仲間で飲みにいこうというときは、適当な場所に連れていき、愉快に楽しむことのできる人です。これが低級化すると、粗野な享楽主義者となり、異性を感覚で楽しませる対象としてしか考えられなくなったりします。
一方で、思考や感情の助けが加わった場合は、洗練された芸術家、職人、研究者となります。感情機能と適当に結びついて、音楽や絵画の才能として現われたり、思考機能の助けを借りて、的確にして膨大な資料の蓄積を得意とする学者にもなりえるのです。
http://rinnsyou.com/archives/339
外向的直観型 (extraverted intuition)
ジャーナリストは大抵このタイプです。 頭が良い、仕事ができる、と言われている女性もこのタイプです:
外向的直観型の人は、外的なものに対して、すべての人が認めている現実の価値ではなく、可能性を求めて行動します。
良い思いつきで特許をとろうとする人、相場、仲買、あるいは対人関係においては隠れている情報を嗅ぎつけたり、未完の大器を掘り出したりすることに情熱を傾ける人などがそうです。
この直観が思考や感情の判断によって補助されていないときは、この型は種はまくが、収穫は得られない人になる危険性が高くなります。つまり、一つの可能性を見出しても、その仕事が完成しない前に、彼は次の新たな可能性に気をとられて、そちらに行ってしまい、ひとところに腰をおちつけて仕事の成果を楽しむことができないのです。
http://rinnsyou.com/archives/345
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/762.html#c13