4. 銀の荼毘[55] i@KCzOS2lPk 2024年6月02日 13:43:16 : j5dBz8iXtg : Z1dmRHd4Qm55N0E=[1]
日本国憲法を誰が作った?
これに対する答えは,2つある。
すなわち,(9条)と(それ以外)に分けて論じねば,正しい答えに至らない。
もともとマッカーサーは,日本に持たせる憲法として,(ウイルソンドクトリンに則った憲法の制定を命ぜよ)との厳命を下していて,日本国憲法とはウイルソンドクトリン🟰ニューリベラリズムとウイルソン本人がそう命名した政治イデオロギーの踏襲を目的として制定されている。
GHQ草案は,憲法前文がそのままに近い形で引用されていて,もっとも重要な前文🟰宣言目的がGHQなので,(GHQが作ったと言う方が正しい)との見解が一般的である。
ただし,日本国憲法を語る場合,日本の政治家・マスコミが最も重要視するのは9条であり,9条がどのような成立過程であるかについては,GHQの承認を得たものの,実は日本人の手で草案されたと言っても良いレベルだ。
絶対に間違ってはならない真実は,
日本はGHQの施政下において,この憲法を制定するという,
当時の日本政府の権限の及ぶ範囲を間違えてはならないということ。
占領軍に主権があり,
日本政府には外交権すら無い。
憲法は,
(その憲法に違反した国内法の制定ができない)
そういう意味であるので,
日本国憲法が存在する限り,GHQの主権に反する立法が不可能ということである。
日本国憲法は改正されていないので,
今日現在,日本国憲法は(GHQに当たる何者か?)の意思に反する法律は立法不可能なのだ。
これが,
GHQ撤収以降,
(GHQの残した暫定統治機構)として,日本官僚が独裁を続ける本当の理由である。
まあ本トピックスでは,
それは関係ないので,
9条の制定について,↓の経緯を紹介しておこう。
https://book.asahi.com/jinbun/article/14894673
(要旨抜粋)
転載開始
四六年三月七日の朝の各新聞は第一面に、「主権在民、戦争放棄」の大見出しで、「憲法改正草案要綱」を掲載し、この要綱とともに昭和天皇の勅語、幣原喜重郎総理大臣談話、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサー元帥の全面的支持声明が掲載された。本書でいう「当事者」とは、勅語を出した昭和天皇、談話を発表した幣原首相、支持を声明したマッカーサー元帥の三人である。この三人のなかに憲法九条の発案者がおり、同意者と承認者がいるのであるが、さらにはこの三人がいなければ、日本国憲法は作成されなかったといえる。
当時、「三人の当事者」が憲法九条発案に関する証言を公的な場では発言できず、また公式記録を残すことができなかったため、これまで発案者が「謎」とされてきたのである。ただし、マッカーサーだけは、日本国憲法が公布されて以後、公的な場での証言や演説、回想録のなかで「憲法九条の発案者は幣原首相であった」ことを述べている。
(中略)
天皇とマッカーサーとの間で以下のような会話が交わされた。
陛下:今回憲法が成立し民主的新日本建設の基礎が確立せられた事は、喜びに堪えない所であります。この憲法成立に際し貴将軍に於て一方ならぬ御指導を与えられた事に感謝いたします。
元帥:陛下の御蔭にて憲法は出来上ったのであります(微笑しながら)。陛下なくんば憲法も無かったでありましょう。
陛下:戦争放棄の大理想を掲げた新憲法に日本は何処までも忠実でありましょう。世界の国際情勢を注視しますと、この理想よりは未だに遠い様であります。その国際情勢の下に、戦争放棄を決意実行する日本が危険にさらさせる事のない様な世界の到来を、一日も早く見られる様に念願せずに居れません。
元帥:最も驚く可きことは世界の人々が、戦争は世界を破滅に導くという事を、充分認識して居らぬことであります。戦争は最早不可能であります。戦争を無くするには、戦争を放棄する以外には方法はありませぬ。それを日本が実行されました。五十年後に於て、私は予言致します。日本が道徳的に勇敢且賢明であった事が立証されましょう。百年後に日本は世界の道徳的指導者となったことが悟られるでありましょう。世界も米国も未だに日本に対して復讐的気分が濃厚でありますから、この憲法も受く可き賞賛を受けないのでありますが、凡ては歴史が証明するでありましょう。
会見記録の最後に「寺崎御用掛謹記」と記され、通訳をした寺崎英成が「付記」として「元帥は終始慇懃を極め且最も打解けたる態度を持せられたる点特記すべく、御会見の状は正に尊敬と親愛の交流にして、戦敗国の元首と戦勝国の将軍との会談とは察し難き状況なり」と書いているように、天皇がマッカーサーに日本国憲法草案の作成を感謝し、マッカーサーも天皇が全面的に受け入れ、大日本帝国憲法改正の手順を踏んでくれたことを喜んでいたのである。天皇は憲法九条も遵守することを約束している。この会見から、昭和天皇にとっては、改憲論者が主張するような、憲法九条ならびに日本国憲法はマッカーサーとGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)からの「押しつけ論」とは無縁であったことが理解されよう。
(中略)
幣原は以下のように答えている。
僕は天皇陛下は実に偉い人だと今もしみじみと思っている。マッカーサーの草案を持って天皇の御意見を伺いに行った時、実は陛下に反対されたらどうしようかと内心不安でならなかった。しかし心配は無用だった。陛下は言下に、徹底した改革案を作れ、その結果天皇がどうなってもかまわぬ、と言われた。この英断で閣議も納まった。
正直に言って憲法は天皇と元帥の聡明と勇断によって出来たと言ってよい。たとえ象徴とは言え、天皇と元帥が一致しなかったら天皇制は存続しなかったろう。危機一髪であったと言えるが、結果において僕は満足し喜んでいる。
先のマッカーサーの発言と重なるが、昭和天皇はGHQ民政局が作成した日本国憲法草案を、憲法九条もふくめて積極的に受け入れようとしたことが知れる。
(中略)
侍従次長であった木下道雄の『側近日誌』の解説を書いた高橋紘は、天皇とマッカーサーが会見の内容を秘密にして公開しないことを約束した理由の一つを、「GHQが『天皇は実際政治より分離して存続せしむ』と方針を決め、憲法で『象徴』としておきながら、二人ともこれを無視し、戦前のように『統治権の総攬』者として会談をし続け」、記録を見ることができる前述の第三回の会談(四六年一〇月一六日)では、「憲法改正、食糧確保、外地からの引き揚げ、ストライキ批判など」が話され、二人の間では、政治、外交、軍事問題などが「かなり頻繁に話題になっており、『憲法の条規』を逸脱した発言があった」からではないか、と推測している。
転載終了
日本国政府の最終草案をGHQに提出した,幣原自身が語っているように,
(幣原はGHQより手渡された,9条の書かれた日本国憲法要旨)を持参して,昭和天皇にその受け入れの可否を尋ねている。
そして幣原は,GHQが幣原に返した(9条を記載した草案)について,
これを天皇に示すかどうか逡巡し,意を決して,そのまま天皇に是を諮ったことは疑いようはない。
幣原が,GHQに提出した草案に9条が書かれていたとしたら,
GHQから返ってきた9条記載の内容を見て,幣原が思い悩むわけがない。
要するに,
9条を記載したのは幣原及び幣原の部下として草案をまとめた者たちではない。
残る候補は2人しかいない。
昭和天皇か? マッカーサーか?
9条は,アメリカ軍の永遠の駐留を可能にするため,マッカーサーの草案に無かったのだが,
(アメリカ軍の,永遠の駐留を望みます)と,そうマッカーサーに話した昭和天皇により,
憲法に記述されることになったのだ。