55. 2022年3月31日 11:05:25 : lEriz4wtnw : Z0NwS09BNEpiTlk=[1]
結局、ロシアは現代に生きることが不得手であったのだ。ロシア革命で社会主義体制を打ち立てたが、資本主義の持つ大切な側面を享受出来ないまま、社会主義社会の大切な原点になるデモクラシーも確立することが出来なかった。そのまま近年まできてしまった。市民生活を根本豊かにするための種々のインフラの充実を、資本を回すことで可能にする方法を学んでこなかったし、只単に、資本は搾取の原点であるとの思い込みは、これを某か自由な形にする方法を編み出せなかった。その漬けが今日まで続いてきているのだ。重厚長大な産業と云えば、殆ど全てが、戦後ドイツから掠め取った航空宇宙産業を柱とした軍備に関わることに終始してきたことで、市民生活に重要な脚となる自動車産業等も確立できなかったのである。現在では、第一次産業での穀類の輸出と、大埋蔵量地下資源に頼る経済だけである。後は、航空宇宙産業からの派生である武器の輸出とその経済力は、大国ながら疲弊の一途を辿っている。
その武器輸出産業を担っていたのが、何処あろうウクライナであったわけだ。ある意味遅れているロシア地域の政治体制の中で、資本主義との対峙の前線にあったのがウクライナであった。ソビエト連邦崩壊の後、分散した分家国家は、その自活を強いられて来たわけで、未完成のままの中古空母を中国に売却するなどの方法を摂らねばならなかった。そのウクライナがこともあろうに、NATOに近づいていった。ウクライナにしてみれば、資本主義の魔力に惹かれないはずはなかった。西欧に1000km足らず近く、種々の影響下にあることも事実であったし、西欧に先鞭をつけられていたデモクラシーもひたひたと彼等に近寄ってきたのだ。閉塞状況にあったソ連邦での諸々をかなぐりすて、新たな羽に乗せて飛び立ちたかったに違いないのだ。ところが親戚だと思っていた家が、裏切りを始めている、ロシアにとっては許しがたいことであったのだろう。しかし、未だにロシアは、協調性も無く、現政権に新しい世界感をを再構築することが出来ないでいる。挙げ句の果てに逆行することを選んでいるようでもある。このことが無ければ,ある意味ウクライナと共に、現代を生きていくことが出来たであろうと思うのだ。いずれにしても、自分が変わらずに武力をもって、親戚に踏み込む事など言語道断のことである。