9. 2019年10月15日 10:40:26 : NrhQbnqPzk : Z0lGTkpPNDVua1k=[1]
親は産もうとする意思を赤ちゃんに込められるが、赤ちゃんには誕生の選択の意思を持つチャンスはない。
しかしその見返りに赤ちゃんには親から絶対的な愛情が注がれる。
ところが、この仕組みが崩れてきている。
今まであった、絶対的な愛情が欠落してきているわけだ。
その象徴が日本国の意思に表れている。
国家が先か?人心が先か?ともかく、日本で「情」が薄れつつある。
だからこそ自己防衛が必要とされるような、国家不要の世の中になってきている。
私たちが生まれて来るときには、国との雇用関係のような同意があって生まれてくる訳ではない。
にもかかわらず、生まれたときから親は稼ぎの数割を国に税金で持っていかれ、やがては自分も将来は税金という名目の搾取をされる。
そもそも国とは、我々個人があって初めて存在しうるものであり、国があるおかげで私たちは生まれてきたわけではない。その点で親子関係とは全然違う。愛情が薄れた国家など存在しなくても一向に構わないのだ。
国家とは、我々個人個人の円滑な交流のためにこそあるのであって、私たちの存在・尊厳が国に脅かされることなど本末転倒だ。
私たちは国家や企業のために生を受けたのではないということを忘れてはいけない。
税金という搾取を国家に許すのなら、同時に国家をまともに機能させるように努力しよう。
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