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[雑談・Story41] 劣等感を超えた先にある枠組み 序文 金十字架
12. 2019年9月13日 17:35:18 : AI0bj7Nps6 : Z09ybUdVLzQvNi4=[1]
無知であることそのものは罪に非ず。
しかしその無知で人が傷つけられることがある。

その責任と反省はいずれ必要となる。それは正しい知識を得た時に。

無知を良い事に勝手知ったような放言をするなどということは、無知であろうと無かろうと、いずれの時点でも気をつけなければならない、と気付き、反省し、感情に任せて度を超すような事にはならないよう自分の本心とその願いによくよく気付いてなければならないだろう。

自己弁護に駆られたとき程、自己内部の本心をよく見つめなければならない。

無知は罪、反省無き所業は罪。
そして反省は活かし切るよう思考と努力の常重ねが必要となる。ここに生まれる経験や知恵は役立てられねばなら無い。それが何より反省する者の願望だからだ。そこに正しさがある。傷つくものが居る中から人が救われる知識が生まれる。

愛情とは何か。
相手への思いやりとは何か。それを考えるものは愛情も思いやりも求めていては仕方ない。むしろそんな甘い考えは棄てるべきだ。でなければ自己弁護の応酬となる。

正しい事とは何か。
もし正しい事をしたいのであれば、誰であろうと責め立ててはなら無い。相手の考えを力づくで変える事は出来ない。しかし反省する環境を与えてやることはできる。ただ相手をいたずらに追いつめるだけでは、苦しんでいるものを余計に苦しませるだけだ。

だから安易な差別は謹まなければなら無い。中立かつ人の立場からから言葉を発する事が出来なければなら無い。それは善意にかこつけた高みから浴びせる正論でもない。自己に対しても中立さを。誰に対しても謙虚さが必要だ。

誰もが心から願う理想や願望とは、誰も傷つけずに住む世界だ。多くの事を知らずとも、人が無知であっても、人が傷つかないしくみが必要だ。多くのコンプレックス、悩みから解放される必要がある。
何よりも高く理想をもってそれを貫くことが人が果たすべき願望だ。それが例え夢でもそれは美しく、思っている間その人は倖せである。

それは誰も見捨てられることの無い理想の国家を実現する事。そこでは誰も慰められる必要は無い。何故なら、一定に満たされてあるからだ。

その実現の為にできることを自分ひとりからでもはじめる。それにはまず心から。美しく響く自然ま音に意識を合わせ、そこに揺るがない心の姿勢が必要だ。
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