http://www.asyura2.com/acat/y/yv/yvv/YVVvWFhQOFlsdUk=/100000.html
37. 2019年3月04日 16:53:01 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[1]
>18
安倍晋三スピーチ局だよ
ASSだ
http://www.asyura2.com/19/senkyo258/msg/139.html#c37
15. 中川隆[-12888] koaQ7Jey 2020年4月28日 09:34:27 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[2]
【コロナ研究】新型コロナ、サージカルマスクの内側では4日後まで、外側(表面)では7日間以上感染力を示す
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200417-57932411-gooday-hlth
新型コロナウイルスはさまざまな物質の表面で高い安定性を示し、サージカルマスクの内側に付着した場合は少なくとも4日後、
外側(表面)では7日後まで感染力を持つことが、香港大学の研究者が行った実験(*1)で明らかになりました。
一方で、一般的な消毒方法はいずれも、感染力を失わせる効果を持っていることも確認されました。
●物質表面からの「接触感染」、どれくらいの期間注意が必要か
日本では現在、東京などの大都市を中心に、感染経路が不明な新型コロナウイルス感染症(COVID-19)患者が増えています。
誰かと濃厚接触した覚えがなく、どこで、どうやってウイルスを取り込んだのかが分からない人の感染は、おそらく、身の回りの物の表面に存在していたウイルスが
手指を介して、目、鼻、口の粘膜に到達すること(接触感染)によって生じていると考えられます。
それゆえ、「感染者の飛沫と共に飛び散ったこのウイルスが、さまざまな物の表面に付着してからどれくらい長く感染力を維持しているのか」、
そして、「そうした表面や手指をどのような方法で消毒すれば感染を防げるのか」について知ることは極めて重要です。
今回香港大学のAlex W H Chin氏らは、新型コロナウイルスを様々な環境下に置いて、感染力を維持している期間を検討しました。
以下の実験はすべて、1条件につき3つずつ標本を用意し、感染価(*2)を求めて平均値を算出しています。
● 「温度」と感染力の関係:ウイルスは22℃でも7日後まで安定
新型コロナウイルスを含むウイルス輸送液(現在、PCR検査を行うために綿棒を使って採取した標本は、この液に綿棒ごと浸した状態で
検査施設まで輸送されている)を密閉容器に入れて、4℃、22℃、37℃、56℃、70℃の環境下で最長14日間保管しました。
それぞれ、1分後、5分後、10分後、30分後、1時間後、3時間後、6時間後、12時間後、1日後、2日後、4日後、7日後、14日後の時点で、感染価を測定しました。
その結果、新型コロナウイルスは、4℃では高い安定性を示し、感染価は14日後までほとんど変化しませんでした。
22℃では7日後まで、37℃では24時間後まで感染力を維持していましたが、56℃では30分後、70℃では5分後には、感染性のあるウイルスが検出できなくなりました。
*1 Chin AWH, et al. Lancet Microbe. published online April 2, 2020.
*2 感染価は、ウイルスの感染力を示すもので、回収したウイルスが含まれている培養液を段階的に希釈し、どこまで希釈すると、
培養細胞の50%を変性させられなくなるかに基づいて評価する。
■ウイルスはサージカルマスクの表面で最も安定
新型コロナウイルスを含む液体を、様々な表面(コピー用紙、ティッシュペーパー、紙幣、サージカルマスク、ステンレス、プラスチックなど)に5µL垂らして、
室温22℃、湿度65%の環境下に置きました。一定時間(0分、30分、3時間、6時間、1日、2日、4日、7日)が経過した後に、
滴下点の上からウイルス輸送液200μLを追加してウイルスを回収し、感染価を調べました。
その結果、コピー用紙とティッシュペーパーの表面からは、30分後まで感染力を持つウイルスが検出されましたが、3時間後には検出できなくなっていました。
紙幣の表面では2日後まで(4日後には陰性化)、ステンレス表面とプラスチック表面では4日後まで(7日後には陰性化)、
感染性のあるウイルスが検出されました(【表1 新型コロナウイルスが各種表面で感染力を維持している時間】)。
一方、驚くべきことに、サージカルマスクの内側では4日後まで、外側(表面)では7日後まで、感染力を持つウイルスが検出されました。
内側のウイルスは7日後には陰性化していましたが、外側については、8日後以降は追跡しなかったため、ウイルスが実際に何日間感染力を持っていたのかは不明です。
●「消毒薬」の効果:一般的な消毒薬はおおむね有効
続いて消毒薬(家庭用漂白剤や消毒用エタノールなど)の効果を検討しました。
室温22℃で、新型コロナウイルスを含む液15μLに、通常使用する濃度に希釈したさまざまな消毒薬135μLを加えて、5分後、15分後、30分後にウイルスの感染価を調べました。
その結果、ハンドソープ液のみ、5分後に感染力のあるウイルスが残っていましたが、それ以外の条件ではウイルスは感染性を失っていました。
※続きはソースで
https://gooday.nikkei.co.jp/atcl/report/14/091100031/041700679/zu1.jpg
6. 2020年4月28日 09:47:43 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[3]
スイスの人口史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/977.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/610.html#c6
10. 中川隆[-12887] koaQ7Jey 2020年4月28日 10:41:55 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[4]
【天皇賞・春 連覇の証言(1)】メジロ牧場の信念が生んだメジロマックイーン史上初の偉業 2020/4/28
92年の天皇賞・春で初の連覇を決めたメジロマックイーン。23歳の武豊は馬上でV2を示した
◆第161回天皇賞・春G1(5月3日・芝3200メートル、京都競馬場)
昨年の覇者フィエールマンが史上5頭目の連覇を狙う今年の天皇賞・春。過去4頭の連覇はどのように達成されたのか。快挙を成し遂げた名馬の関係者の言葉で当時を振り返る。第1回は92年に春の盾での初の連覇を決めたメジロマックイーン。
春秋を含めて今回で161回目。長い歴史を誇る天皇賞だが、1980年までは勝ち抜け制度があったため、一度勝った馬は次回以降は出走できず、連覇は平成の時代までなかった。史上初の春の天皇賞連覇となったのは、92年のメジロマックイーンだった。
前年の91年に皐月賞、ダービーを制し、無傷7連勝で春の盾に臨んだトウカイテイオーとの激突は“TM対決”と話題になった。Tが先に来るのはテイオー優位という下馬評の表れで、菊花賞制覇から守り続けた1番人気を9戦ぶりに譲る形になった。だが、キャリアの差を見せつける形で、5歳のマックイーンの圧勝。好位から進めて2周目の坂の下りで先頭に立つと、4歳のライバルを置き去りに。直線では“独り舞台”で、連覇のゴールへと飛び込んだ。
「強がるわけではなく、(テイオーのことは)気にしていませんでした。有馬記念が終わってから、ずっと今日のこの日を待っていました」と話したのは当時23歳だった武豊で、渇望していた勝利だった。91年は天皇賞を制したあと、宝塚記念はメジロライアンの前に2着に敗れ、春秋連覇を狙った天皇賞・秋は1位入線しながら悪夢の降着(18着)に。ジャパンC(4着)、有馬(2着)も敗れ、1年ぶりの勝利で威信を取り戻した。
父メジロティターン、その父のメジロアサマも天皇賞を勝っており、父子3代の盾制覇。84年にこの世を去ったメジロ牧場の創設者である北野豊吉氏は「私たちの年代の人間には天皇賞を勝つことが一番の名誉。父子三代、天皇賞を勝ちたい」と遺言を残しており、その思いに応えた武豊は口取り式で遺影を掲げた。
3連覇の快挙に挑んだ93年はライスシャワーの前に2着に終わったが、管理した元調教師の池江泰郎さんはこう振り返る。「私の調教師人生の真ん中あたりで出合えた名馬。あれから28年もたったんですね。こういった素晴らしい馬を管理できて、本当に幸せでした」。ディープインパクトも管理した名伯楽にとって、思い出深い連覇だった。(内尾 篤嗣)
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200428-04270190-sph-horse
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/403.html#c10
38. 中川隆[-12886] koaQ7Jey 2020年4月28日 10:52:31 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[5]
新型コロナウイルスが脳にまで影響を与えるという可能性 - GIGAZINE https://t.co/3pMImduqYD
— 報道されないコロナ情報 (@JPYlTqpLzb65rdX) April 27, 2020
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c38
53. 中川隆[-12885] koaQ7Jey 2020年4月28日 10:54:12 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[6]
新型コロナウイルスが脳にまで影響を与えるという可能性 - GIGAZINE https://t.co/3pMImduqYD
— 報道されないコロナ情報 (@JPYlTqpLzb65rdX) April 27, 2020
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c53
54. 中川隆[-12884] koaQ7Jey 2020年4月28日 10:55:34 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[7]
要約
— 報道されないコロナ情報 (@JPYlTqpLzb65rdX) April 27, 2020
急性虚血性脳卒中や見当識障害、注意力喪失、運動障害などが見られ、これらの症状は新型コロナから回復した後も残る
アメリカでは30代などの患者に前触れのない脳卒中が見られるという報告が相次いでいる
新型コロナウイルスが脳幹から発見された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c54
39. 中川隆[-12883] koaQ7Jey 2020年4月28日 10:56:46 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[8]
要約
— 報道されないコロナ情報 (@JPYlTqpLzb65rdX) April 27, 2020
急性虚血性脳卒中や見当識障害、注意力喪失、運動障害などが見られ、これらの症状は新型コロナから回復した後も残る
アメリカでは30代などの患者に前触れのない脳卒中が見られるという報告が相次いでいる
新型コロナウイルスが脳幹から発見された
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c39
6. 中川隆[-12882] koaQ7Jey 2020年4月28日 11:49:09 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[9]
岡村隆史「コロナ明けたら可愛い人が風俗嬢」発言が浮き彫りにした貧困女性の地獄=鈴木傾城 2020年4月28日
https://www.mag2.com/p/money/915225
岡村隆史という芸人が「コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります」と述べて批判を受けている。実のところ、今の状況下ではこの男が言ったことは「現実に起こり得る話」である。そして、今のところ誰も「そうした女性がいるなら救済しようじゃないか」と声を上げる人はいない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
ほぼすべての業界が苦境に落ちた
中国発コロナウイルスによって緊急事態宣言に入った日本は、それによって多くの企業が休業に追い込まれて資金繰りが悪化している。
すでに2月末から3月にかけて自粛が起き始めていた飲食業界が次々と事業停止や破産に追い込まれていき、ホテル業界・民泊業界も4月に入って次々と経営破綻が起きている。
WBFホテル&リゾーツも負債160億で経営破綻に追い込まれ、カプセルホテルを全国展開する「ファーストキャビン」も経営破綻した。
他にも、小売業、食品製造業、アパレル、出版、卸売、製造、イベント葬祭業、ケータリングサービスなど、日本のほぼすべての業界が苦境に落ちた。
上場企業も無事ではなく、100社以上が業績の見通しを引き下げている。
ステイホームで63兆円の経済損失
中国発コロナウイルスの感染者を減らすためには、自粛・休業・ステイホームの徹底は重要なのだが、それを厳格にすればするほど経済に与えるダメージは巨大化するばかりだ。
関西大学名誉教授で経済学者の宮本勝浩氏は、日本全体で約63兆円の経済損失が出るのではないかと予測している。しかし、全世界の経済を破壊している中国発コロナウイルスが「いつ収束するのか」は不明なので、63兆円で済むのかは分からない。
一時的に収束させたとしても、場合によっては第二波の感染拡大が起きたりすることもあり得る。感染拡大が抑え込めたとしても、自粛や休業が今後も長く続くようであれば、63兆円以上の経済損失が発生してもおかしくない。
まさに未曾有の事態が目の前で起きている。
こうした中で、吉本興業所属の岡村隆史という49歳の芸人が「コロナ明けたら、可愛い人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります」と述べ、「今我慢して風俗に行くお金をためとき」と述べて顰蹙(ひんしゅく)を買っている。
経済苦に落ちた女性を手ぐすね引いて待ち望む発言
この発言は、「コロナの影響で、今後しばらくは風俗に行けない」というリスナーからの悩みの回答として述べられたもので、岡村隆史という芸人はこのように言い放っていた。
『今面白くなかったとしても、コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります』
その理由はこうだ。
『なぜかというと、やっぱり稼がないと苦しいですから』『3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます。それで、それなりの生活に戻ったらパッとやめます』
そして岡村隆史はこのように結んだ。
『え、こんな子入ってた?っていう子たちが絶対入ってきますから。だから今我慢しましょう。今我慢して風俗に行くお金をためとき、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その3カ月のためにがんばって、今、歯を食いしばって踏ん張りましょう』『僕はそれを信じて今、頑張ってます』
この発言は4月23日に生放送されたのだが、当然のことながら、経済苦に落ちた女性を手ぐすね引いて待ち望むような発言に批判が起きた。
ニッポン放送は3日後の4月27日に公式ホームページ上で『放送をお聴きになって不快に感じられた皆様、関係の皆様にお詫び申し上げます。弊社番組に関わる全ての制作スタッフには、迅速に、より一層の教育を図ってまいります』として謝罪している。
20代女性の貧困率が15%を超えている日本社会
中国発コロナウイルスによって経済が壊滅的ダメージを受ける前から日本の女性たちは貧困で苦しんできた。独身女性の貧困は日本社会においては特に深刻だった。
その理由は、彼女たちの多くは非正規雇用者として雇用されるからである。
女性の非正規雇用者の割合は男性よりも圧倒的に多い。男女共同参画局が2019年に発効した「男女共同参画白書 令和元年年版」によると、女性の非正規雇用の割合がいかに多いのかが見て取れる。
15〜24歳:男性45.7% 女性52.3%
25〜34歳:男性16.4% 女性41.4%
35〜44歳:男性9.2% 女性54.8%
45〜54歳:男性9.0% 女性59.2%
55〜64歳:男性32.5% 女性67.5%
24歳から34歳までの女性については40%台に入っているのだが、その他の年代はほぼすべて50%を超える割合になっているのが分かる。
つまり、日本社会では働いている女性の半分は非正規雇用なのである。
「非正規雇用」に落とし込まれた女性たち
非正規雇用は、日本経済がバブル崩壊の後遺症で苦しむようになった1990年代後半から増えてきた雇用形態だ。
この雇用は従業員を「低賃金で雇えて」「景気が悪くなればいつでも解雇できて」「長く働かせても昇進させなくてもいい」というものだった。
2000年代に入ってからこの雇用形態は「派遣の規制緩和」によって拡大していくことになるのだが、その形態に落とし込まれたのが女性たちだったのだ。
女性は正規雇用で働いても結婚・出産によって正規雇用に転じることが多い。それは中小企業・小規模事業者では働けない社員に賃金を出す余裕がなく、必然的に「出産=退職」という流れを女性に強いてしまう環境もある。
また現在では3組に1組が結婚しても離婚に追いやられるのだが、シングルマザーもフルタイムで働きにくく、パートやアルバイトで働くしかなくなる。
だから、女性たちは『20代女性の貧困率は15%を超えた』『一部の非正規雇用の中でも収入の低い一部の女性が貧困層』と男女共同参画局が述べるような状況に陥っている。
【関連】なぜ日本のシングルマザーは地獄なのか?約123万2,000世帯の半数が貧困=鈴木傾城
https://www.mag2.com/p/money/760115
ちなみにシングルマザーの貧困率は50%を超えている。
女性の生活破綻を待ち望む男もいるという現実
中国発コロナウイルスによって経済に大ダメージを受ける前から、日本の女性たちは社会のあり方によって貧困を余儀なくされていた。2019年10月には消費税が10%に引き上げられて、女性たちはますます切り詰めなければならないような状況に追い込まれていた。
非正規雇用の女性の中でも特に収入の低い女性の中には、もう住所すらも持つことができずにネットカフェなどを渡り歩くしかないような生活をしている女性も大勢いるのである。ネットカフェに泊まるカネも尽きると、彼女たちは山手線に乗って、死んだように眠りながらグルグルと回っていたりしている。
【関連】日本で急増する「住所を喪失」した人たち〜車上生活、漂流女子、8050問題が行き着く地獄=鈴木傾城
https://www.mag2.com/p/money/750924
何とか住所を維持している女性も、貧困の中で「明日はどうやって生きたらいいのだろうか」と不安と恐怖にさいなまれ、どうしても這い上がれない生活の中で涙しながら生きている。
2020年2月から日本でも中国発コロナウイルスが蔓延していくようになって3月には自粛が広がっていき、4月に入ってからは緊急事態宣言が出されて日本経済は一気にストップした。
大企業も、中小企業・小規模事業者も、すべてが壊滅的ダメージを受けて多くの従業員を切り捨てたり、賃金を削減したり、無給の一時休業したりしている。コロナショックはいつ収束するのか先が読めず、体力のない企業は次々と潰れている。水商売も風俗もみんな停止している。
女性たちは生きるか死ぬかのギリギリの瀬戸際にまで追い込まれる。すでに一部の女性はそうなっている。5月、6月になれば困窮して餓死や自殺に追い込まれる女性も出てくるだろう。
こうした状況の中、岡村隆史という49歳の芸人は「絶対面白いことあるんですよ」と言って「集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます」とか「今我慢して風俗に行くお金をためとき」とか言っている。
女性の生活破綻を待ち望み、女性が困窮して苦しむ中で風俗に落ちていく女性を「面白いことあるから準備しておけ」と言っている。
この男が言う「面白いこと」というのは、パンデミックという災害で女性が経済苦に落ちて風俗に流れ落ちることなのである。困窮して落ちてくる女性をカネを貯めて待つ。別に発言を切り取っているわけではない。そのような主旨になっている。
当然、この男は批判されている。女性が貧困で風俗に落ちるのを「絶対面白いことあるんです」というのだから、顰蹙(ひんしゅく)を買うのは分かっていて言ったのだろう。
誰も救済しようとしない現実
しかし、私自身はこの男の発言よりも、この男が浮き彫りにした女性のことをずっと考えている。実のところ、今の状況下ではこの男が言ったことは「現実に起こり得る話」だからである。
しかし、今のところ誰も「そうした女性がいるなら救済しようじゃないか」と声を上げる人はいない。日本社会はずっとそうだ。貧困に落ちやすい女性の境遇に思いを馳せる人はほとんどいないのだ。
今回のコロナショックの中でも女性は見捨てられてしまうのだろう。私にはそちらの方がずっと気がかりだ。
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/204.html#c6
45. 中川隆[-12881] koaQ7Jey 2020年4月28日 11:50:13 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[10]
岡村隆史「コロナ明けたら可愛い人が風俗嬢」発言が浮き彫りにした貧困女性の地獄=鈴木傾城 2020年4月28日
https://www.mag2.com/p/money/915225
岡村隆史という芸人が「コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります」と述べて批判を受けている。実のところ、今の状況下ではこの男が言ったことは「現実に起こり得る話」である。そして、今のところ誰も「そうした女性がいるなら救済しようじゃないか」と声を上げる人はいない。(『鈴木傾城の「ダークネス」メルマガ編』)
ほぼすべての業界が苦境に落ちた
中国発コロナウイルスによって緊急事態宣言に入った日本は、それによって多くの企業が休業に追い込まれて資金繰りが悪化している。
すでに2月末から3月にかけて自粛が起き始めていた飲食業界が次々と事業停止や破産に追い込まれていき、ホテル業界・民泊業界も4月に入って次々と経営破綻が起きている。
WBFホテル&リゾーツも負債160億で経営破綻に追い込まれ、カプセルホテルを全国展開する「ファーストキャビン」も経営破綻した。
他にも、小売業、食品製造業、アパレル、出版、卸売、製造、イベント葬祭業、ケータリングサービスなど、日本のほぼすべての業界が苦境に落ちた。
上場企業も無事ではなく、100社以上が業績の見通しを引き下げている。
ステイホームで63兆円の経済損失
中国発コロナウイルスの感染者を減らすためには、自粛・休業・ステイホームの徹底は重要なのだが、それを厳格にすればするほど経済に与えるダメージは巨大化するばかりだ。
関西大学名誉教授で経済学者の宮本勝浩氏は、日本全体で約63兆円の経済損失が出るのではないかと予測している。しかし、全世界の経済を破壊している中国発コロナウイルスが「いつ収束するのか」は不明なので、63兆円で済むのかは分からない。
一時的に収束させたとしても、場合によっては第二波の感染拡大が起きたりすることもあり得る。感染拡大が抑え込めたとしても、自粛や休業が今後も長く続くようであれば、63兆円以上の経済損失が発生してもおかしくない。
まさに未曾有の事態が目の前で起きている。
こうした中で、吉本興業所属の岡村隆史という49歳の芸人が「コロナ明けたら、可愛い人が短期間ですけれども、お嬢(風俗嬢)やります」と述べ、「今我慢して風俗に行くお金をためとき」と述べて顰蹙(ひんしゅく)を買っている。
経済苦に落ちた女性を手ぐすね引いて待ち望む発言
この発言は、「コロナの影響で、今後しばらくは風俗に行けない」というリスナーからの悩みの回答として述べられたもので、岡村隆史という芸人はこのように言い放っていた。
『今面白くなかったとしても、コロナが収束したら、もう絶対面白いことあるんですよ。コロナ明けたら、短期間ですけれども、美人さんがお嬢(風俗嬢)やります』
その理由はこうだ。
『なぜかというと、やっぱり稼がないと苦しいですから』『3カ月の間、集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます。それで、それなりの生活に戻ったらパッとやめます』
そして岡村隆史はこのように結んだ。
『え、こんな子入ってた?っていう子たちが絶対入ってきますから。だから今我慢しましょう。今我慢して風俗に行くお金をためとき、仕事ない人も切り詰めて切り詰めて、その3カ月のためにがんばって、今、歯を食いしばって踏ん張りましょう』『僕はそれを信じて今、頑張ってます』
この発言は4月23日に生放送されたのだが、当然のことながら、経済苦に落ちた女性を手ぐすね引いて待ち望むような発言に批判が起きた。
ニッポン放送は3日後の4月27日に公式ホームページ上で『放送をお聴きになって不快に感じられた皆様、関係の皆様にお詫び申し上げます。弊社番組に関わる全ての制作スタッフには、迅速に、より一層の教育を図ってまいります』として謝罪している。
20代女性の貧困率が15%を超えている日本社会
中国発コロナウイルスによって経済が壊滅的ダメージを受ける前から日本の女性たちは貧困で苦しんできた。独身女性の貧困は日本社会においては特に深刻だった。
その理由は、彼女たちの多くは非正規雇用者として雇用されるからである。
女性の非正規雇用者の割合は男性よりも圧倒的に多い。男女共同参画局が2019年に発効した「男女共同参画白書 令和元年年版」によると、女性の非正規雇用の割合がいかに多いのかが見て取れる。
15〜24歳:男性45.7% 女性52.3%
25〜34歳:男性16.4% 女性41.4%
35〜44歳:男性9.2% 女性54.8%
45〜54歳:男性9.0% 女性59.2%
55〜64歳:男性32.5% 女性67.5%
24歳から34歳までの女性については40%台に入っているのだが、その他の年代はほぼすべて50%を超える割合になっているのが分かる。
つまり、日本社会では働いている女性の半分は非正規雇用なのである。
「非正規雇用」に落とし込まれた女性たち
非正規雇用は、日本経済がバブル崩壊の後遺症で苦しむようになった1990年代後半から増えてきた雇用形態だ。
この雇用は従業員を「低賃金で雇えて」「景気が悪くなればいつでも解雇できて」「長く働かせても昇進させなくてもいい」というものだった。
2000年代に入ってからこの雇用形態は「派遣の規制緩和」によって拡大していくことになるのだが、その形態に落とし込まれたのが女性たちだったのだ。
女性は正規雇用で働いても結婚・出産によって正規雇用に転じることが多い。それは中小企業・小規模事業者では働けない社員に賃金を出す余裕がなく、必然的に「出産=退職」という流れを女性に強いてしまう環境もある。
また現在では3組に1組が結婚しても離婚に追いやられるのだが、シングルマザーもフルタイムで働きにくく、パートやアルバイトで働くしかなくなる。
だから、女性たちは『20代女性の貧困率は15%を超えた』『一部の非正規雇用の中でも収入の低い一部の女性が貧困層』と男女共同参画局が述べるような状況に陥っている。
【関連】なぜ日本のシングルマザーは地獄なのか?約123万2,000世帯の半数が貧困=鈴木傾城
https://www.mag2.com/p/money/760115
ちなみにシングルマザーの貧困率は50%を超えている。
女性の生活破綻を待ち望む男もいるという現実
中国発コロナウイルスによって経済に大ダメージを受ける前から、日本の女性たちは社会のあり方によって貧困を余儀なくされていた。2019年10月には消費税が10%に引き上げられて、女性たちはますます切り詰めなければならないような状況に追い込まれていた。
非正規雇用の女性の中でも特に収入の低い女性の中には、もう住所すらも持つことができずにネットカフェなどを渡り歩くしかないような生活をしている女性も大勢いるのである。ネットカフェに泊まるカネも尽きると、彼女たちは山手線に乗って、死んだように眠りながらグルグルと回っていたりしている。
【関連】日本で急増する「住所を喪失」した人たち〜車上生活、漂流女子、8050問題が行き着く地獄=鈴木傾城
https://www.mag2.com/p/money/750924
何とか住所を維持している女性も、貧困の中で「明日はどうやって生きたらいいのだろうか」と不安と恐怖にさいなまれ、どうしても這い上がれない生活の中で涙しながら生きている。
2020年2月から日本でも中国発コロナウイルスが蔓延していくようになって3月には自粛が広がっていき、4月に入ってからは緊急事態宣言が出されて日本経済は一気にストップした。
大企業も、中小企業・小規模事業者も、すべてが壊滅的ダメージを受けて多くの従業員を切り捨てたり、賃金を削減したり、無給の一時休業したりしている。コロナショックはいつ収束するのか先が読めず、体力のない企業は次々と潰れている。水商売も風俗もみんな停止している。
女性たちは生きるか死ぬかのギリギリの瀬戸際にまで追い込まれる。すでに一部の女性はそうなっている。5月、6月になれば困窮して餓死や自殺に追い込まれる女性も出てくるだろう。
こうした状況の中、岡村隆史という49歳の芸人は「絶対面白いことあるんですよ」と言って「集中的にかわいい子がそういうところでパッと働きます」とか「今我慢して風俗に行くお金をためとき」とか言っている。
女性の生活破綻を待ち望み、女性が困窮して苦しむ中で風俗に落ちていく女性を「面白いことあるから準備しておけ」と言っている。
この男が言う「面白いこと」というのは、パンデミックという災害で女性が経済苦に落ちて風俗に流れ落ちることなのである。困窮して落ちてくる女性をカネを貯めて待つ。別に発言を切り取っているわけではない。そのような主旨になっている。
当然、この男は批判されている。女性が貧困で風俗に落ちるのを「絶対面白いことあるんです」というのだから、顰蹙(ひんしゅく)を買うのは分かっていて言ったのだろう。
誰も救済しようとしない現実
しかし、私自身はこの男の発言よりも、この男が浮き彫りにした女性のことをずっと考えている。実のところ、今の状況下ではこの男が言ったことは「現実に起こり得る話」だからである。
しかし、今のところ誰も「そうした女性がいるなら救済しようじゃないか」と声を上げる人はいない。日本社会はずっとそうだ。貧困に落ちやすい女性の境遇に思いを馳せる人はほとんどいないのだ。
今回のコロナショックの中でも女性は見捨てられてしまうのだろう。私にはそちらの方がずっと気がかりだ。
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/286.html#c45
19. 2020年4月28日 13:53:06 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[11]
EMI盤のバイロイトの第九だけがフルヴェンの第九では飛び抜けて凄いよ
それがわからないのがアホ
1942年の第九は浅いんだ
1954年のバイロイトの第九は更に凄いけど、音が悪い
ルツェルンはオケが酷過ぎる
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/337.html#c19
1. 中川隆[-12880] koaQ7Jey 2020年4月28日 14:34:08 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[12]
レムデシビルはまもなく承認=官房長官
2020/04/28
[東京 28日 ロイター] - 菅義偉官房長官は28日閣議後の会見で、抗ウイルス薬「レムデシビル」を新型コロナウイルスの治療薬として「まもなく」承認する見込みだと述べた。緊急時に国内の審査を簡略化できる「特例承認」制度を適用し、できるだけ迅速に国民に届けることができるよう、可及的速やかに審査を行うとした。
安倍首相は27日の衆院本会議ですでに同様の発言をしている。
同長官は「特例承認」は海外で販売が認められ、一定条件を満たすものが対象であり、「アビガン」についてはこの制度の適用は困難で、現在国内で治験中だと説明した。
一方レムデシビルは、日米を中心に国際共同治験を行ってきており、まもなく承認される見込みだとした。
承認されれば、国内で初めて一般的に利用できる新型コロナウイルス治療薬となる。政府は、重症者向けに使用することを想定しているという。
同薬は米製薬ギリアド・サイエンシズがエボラ出血熱の治療薬として開発した。
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/827.html#c1
142. 中川隆[-12879] koaQ7Jey 2020年4月28日 15:36:31 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[13]
隣組と攻撃性 - 内田樹の研究室 2020-04-27
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html
市民たちの相互監視が始まっている。
GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。
嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)
いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。こういうことをする人たちは人間が条件が整うとどれほど攻撃的になるのか、その機会を待ち望んでいるのかということを知らない。あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったのである。市民の相互監視させ、攻撃性をリリースすることを統治手段に使おうとする政治家はきわめて危険な存在である。みなさんが思っているよりはるかに危険な存在である。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html#c142
68. 中川隆[-12878] koaQ7Jey 2020年4月28日 15:37:47 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[14]
隣組と攻撃性 - 内田樹の研究室 2020-04-27
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html
市民たちの相互監視が始まっている。
GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。
嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)
いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。こういうことをする人たちは人間が条件が整うとどれほど攻撃的になるのか、その機会を待ち望んでいるのかということを知らない。あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったのである。市民の相互監視させ、攻撃性をリリースすることを統治手段に使おうとする政治家はきわめて危険な存在である。みなさんが思っているよりはるかに危険な存在である。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html#c68
19. 中川隆[-12877] koaQ7Jey 2020年4月28日 15:38:17 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[15]
隣組と攻撃性 - 内田樹の研究室 2020-04-27
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html
市民たちの相互監視が始まっている。
GWの外出自粛を受けて、県外の車を煽ったり、傷をつけたりする事例が出ている。休業要請に従わず開業している店舗に落書きをしたり、備品に傷をつけたりする人も出て来た。
「こういうこと」ができるのは、「そういうことをしても許される社会的な空気」を彼らが感知しているからである。いまなら「そういうこと」をしても処罰されない、少なくとも「私は市民として当然の怒りに駆られたやったのだ」という自己正当化ができると知ると「そういうこと」をする人たちがいる。
私はそういう人たちをこれまで何度も見て来た。前にも書いたが今度も繰り返す。
私たちの社会は「自分がふるう暴力が正当化できると思うと、攻撃性を抑制できない人間」を一定数含んでいる。彼らがそのような人間であるのは、彼らの責任ではない。一種の病気である。
人間は「今なら何をしても処罰されない」という条件を与えられたときにどのようにふるまうかで正味の人間性が知れる。これは私の経験的確信である。前に嫌韓言説について書いたときに私はこう書いた。読んだことがある人もいると思うが、大切なことなので再録する。
嫌韓言説の一番奥にあるほんとうの動機は「おのれの反社会的な攻撃性・暴力性を解発して、誰かを深く傷つけたい」という本源的な攻撃性である。「ふだんなら決して許されないふるまいが今だけは許される」という条件を与えられると、いきなり暴力的・破壊的になってしまう人間がこの世の中には一定数いる。ふだんは法律や常識や人の目や「お天道さま」の監視を意識して、抑制しているけれども、ある種の「無法状態」に置かれると、暴力性を発動することを抑制できない人間がいる。
私たちの親の世代の戦中派の人々は戦争のときにそれを知った。ふだんは気のいいおじさんや内気な若者が「今は何をしても処罰されない」という環境に投じられると、略奪し、強姦し、殺すことをためらわないという実例を見たのである。戦中派の人たちは、人間は時にとてつもなく暴力的で残酷になれるということを経験的に知っていた。
私も60年代の終わりから70年代の初めに、はるかに小さなスケールだが似たことを経験したことがある。大学当局の管理が及ばない、あるいは警察が入ってこないという保証があるときに、一部の学生たちがどれほど破壊的・暴力的になれるのか、私はこの目で見た。
最初は三里塚の空港反対闘争に参加したときに、学生たちが無賃乗車したのを見たことである。数百人が一気に改札口を通ったのだから、駅員には阻止しようがない。切符を買っていた私が驚いていたら、年長の活動家が笑いながら、「資本主義企業だから階級的鉄槌を下されて当然だ」という政治的言い訳を口にした。
しかし、降りた千葉の小さな駅で、屋台のおでん屋のおでんを学生たちが勝手に食べ出したのには驚いた。「やめろよ」と私は制止したが、学生たちはげらげら笑って立ち去った。おでん屋は別に鉄槌を下すべき資本家ではない。ただの貧しい労働者である。その生計を脅かす権利は誰にもない。でも、学生たちは「衆を恃んで」別に食べたくもないおでんを盗んだ。今なら盗みをしても処罰されないという条件が与えられると、盗む人間がいる。それもたくさんいる、ということをそのとき知った。
学生運動の渦中で多くの者が傷つき、殺されたが、手を下した学生たちにも、その人を傷つけなければならない特段の事情があったわけではない。ただ、政治的な大義名分(「反革命に鉄槌を下す」)があり、今なら処罰されないという保証があったので、見知らぬ学生の頭を鉄パイプで殴りつけたり、太ももに五寸釘を打ち込んだりしたのである。その学生たちはそののち大学を出て、ふつうのサラリーマンになった。今ごろはもう年金生活者だろう。
私はこういう人たちを心底「怖い」と思っている。こういう人たちを「大義名分があり、何をしても処罰されない」という環境に決して置くべきではないと思っている。だから、できるだけ法律や常識や世間の目が働いていて、「何をしても処罰されない」という環境が出現しないように久しく気配りしてきたのである。(ここまで)
いま、コロナウィルスの感染が広がる中で、行政が明確な休業指令を出さず、民間の「自粛」の委ねてしまったせいで、「自粛に従わないものには市民が処罰を下してもよい」という口実で暴力行使の正当化をする人たちが出て来た。
これは嫌韓言説に乗じて、市民生活の中では決して許容されないような卑劣で醜悪な攻撃性を発揮していた人たちと「同類」の人々である。「自粛」というあいまいな行政指導は市民たちの相互監視を督励する。そして、それは単なる監視にとどまらず、「自粛しない市民を攻撃しても処罰されない」という心証をかたちづくった。
彼らはちゃんと法律が機能し、常識が有効であり、「世間の目」が光っているときなら、そんなことはしない人たちである。でも、少しでもその規制が緩むと、自分の中の攻撃性を抑制することができなくなる。
そのことは例えばSNSで激しい攻撃的な言葉を書き送る人たちの多くが匿名であることから知れる。彼らは「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・自分の言動が処罰されない保証があると知れると、過剰に暴力的になる人間」である。そして、たぶん彼らは「あらゆる人間はそうだ」と思っている。でも、それは違う。世の中には、「自分が誰であるかを特定される気づかいがない時・処罰されるリスクがない時」でも、「お天道様」が見ているという自制を失わず、常識的に、ジェントルに、節度をもってふるまう人がいるからである。この人たちは「あらゆる人間が自分と同じだ」とはたぶん思っていない。でも、自分はそういう人間であり続けようと思っている。
この二種類の人たちはいずれも少数派である。おそらくそれぞれ集団の10%内外だと思う(この辺の数字は私の経験知であるので、厳密ではない)。残りの80%はこのどちらが優勢であるかによってふるまい方を変える。
「どんなことがあっても穏やかに、市民的にふるまう人」はいつも同じようにふるまう。平時でも非常時でも変わらない。一方、「処罰するリスクがないときに過剰に暴力的になる人」は「処罰のリスク」という可変的な条件に従って、ふるまい方をがらりと変える。まったく違う人間に見えるほど変える。人が変わったように変わる。それが可視化されるかどうかは「処罰のリスク」というごく散文的な条件によるのである。
「外出自粛」は行政が明確な基準も、それに対するペナルティも示さなかったことによって、この人たちのうちに「今なら人を攻撃しても処罰されない」という確信を醸成した。
いま、あちこちで罵声が聞こえる。スーパーの店員にどなりつけたり、ATMの列でどなりつけたりしている人たちは全員が「自分は社会的な正義を執行している」と思ってそうしているのである。今なら、どれほど暴力的になっても、それを正当化するロジックがあると思ってそうしているのである。だから、止められない。彼らを止める方法は一つしかない。 法律が機能し、常識が機能し、「世間の目」が機能するようにしておくことである。
大阪では休業要請に従わない店名を公表するということが行われた。これは「この店に対してはどのような攻撃的なことをしても処罰されない」という保証を間接的に与えるものである。少なくともそういう解釈の余地を与えた。こういうことをする人たちは人間が条件が整うとどれほど攻撃的になるのか、その機会を待ち望んでいるのかということを知らない。あるいは知っているが知らないふりをしているのだと思う。市民が相互に監視し合い、相互に告発し合い、相互に攻撃し合う社会はおそらくある種の人々にとっては「管理コストが非常に安く上がる」社会に見えるのだろう。
ゲシュタポはきわめて効率的に反政府的な人々を逮捕していったが、それは彼らの捜査能力が高かったからではない。逮捕者のほとんどは隣人の密告によるものだったのである。市民の相互監視させ、攻撃性をリリースすることを統治手段に使おうとする政治家はきわめて危険な存在である。みなさんが思っているよりはるかに危険な存在である。
http://blog.tatsuru.com/2020/04/27_1819.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/300.html#c19
5. 中川隆[-12876] koaQ7Jey 2020年4月28日 15:49:36 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[16]
現状分析と展望 - 内田樹の研究室 2020-04-28
http://blog.tatsuru.com/2020/04/28_0932.html
ある媒体からメールでQ&Aで現状についてのコメントを求められた。字数が制限されていたので、ロング・ヴァージョンを再録しておく。
1)いま、「こんな社会でいいのか」と多くの国民が思っています。コロナ危機が告発、可視化しているように見える安倍政治の無能ぶり、「新自由主義」の害悪について、どうお考えですか。
安倍政権の無能無策は首相個人の属人的な欠点というのにとどまらず、この政権とその支持層が奉じている「新自由主義」イデオロギーの欠陥が致命的なしかたで露呈したものだと思います。
「新自由主義」イデオロギーの際立った特徴は資源の「選択と集中」にあります。利益の上がりそうなセクターに資源を集中的に投入し、採算の合わない部門は切り捨てる。効率、生産性、費用対効果・・・そういう配慮を最優先させる。けれども、コロナ禍でわかったのは、「選択と集中」戦略はパンデミックのような社会的に危機に対してはまったく役に立たないという事実です。
危機管理の要諦は「リスクヘッジ」です。これは「最も楽観的なもの」から「最も悲観的なもの」までいくつかのシナリオを用意して、それぞれについて対策案を立てておくということです。どれかのシナリオ通りの危機が起きた場合には適切に対応できますが、それ以外のすべてのシナリオは「外れ」たわけですから、そこに投じた資源はすべて「無駄」になります。この「無駄・余裕・遊び(slack)」は危機管理上の当然のコストなわけですけれども、「選択と集中」論者にはこのコストに耐えることができない。このコストを認めることは、彼らのイデオロギーの根幹部分を否定することになるからです。
危機管理というのは集団全体を救うために集団全体が主体となって行うことですけれども、「選択と集中」論者は、集団をいくつかの単位に分断して、「優先的に資源分配するセクター」と「生産性が低いので切り捨てるセクター」を数値的基準に基づいて差異化するということが主務ですので、「集団全体を救う」ために「全体が主体となる」という発想そのものがありません。だから、新自由主義者には「危機管理」ということができないのです。彼らが危機に臨んで頭を使うのは、いつもと同じように「生き残るものと見捨てるものをどうやって差別化するか」という問題だけです。
感染症はですから新自由主義と相性がひどく悪い。というのは感染症は「いつ来るかわからない」からです。いつくるかわからない未知の感染症のために、医師看護師を雇用し、医療資源を備蓄し、病床を確保しておかなくてはいけない。パンデミックが起こらなければ、それはまったく「無駄」だったということになる。実際に2002〜3年に世界に広がったSARSは日本では感染者がほとんど出ませんでした。このときに予算を投じて行ったSARS対策はすべて「無駄」だったとも言えます。2009年の新型インフルエンザのあと当時の民主党政権は感染症用のシステム改善と医療資源の備蓄を始めましたが、安倍政権になってから立ち消えになりました。「予算の無駄づかい」に見えたのでしょう。
今回、危機対応が遅れたのは、政府も都も「東京五輪の予定通り開催」というシナリオしか用意していなかったからです。せめて2月段階で「五輪が開催できないほどの規模で感染が広まった場合」についての「最悪のシナリオ」も用意して、とりあえずマスクや検査キットや人工呼吸器や防護服の備蓄・医療体制の整備を始めているべきでした。たしかにその用意は、感染が手際よく「水際」で止められていたらすべて無駄になるわけですけれども、市中感染が始まった場合には適切に対応できた。危機管理というのは「無駄を覚悟で」すべきことですけれど、国も都もその覚悟がなかった。
2)、国民にも考え直さなければならない問題が突き付けられているように思いますが、いかがでしょうか。(安倍政治や新自由主義を「受け入れてきた」背景について。その仕掛け、メディアのあり方、文化・国民性等々も含めた、いわば支配の構図・構造について)
これまで繰り返し言ってきたことですけれど、日本人には「最悪の事態に備える」という発想そのものが希薄です。これが教育のせいなのか、民族の文化なのか、よくわかりません。とにかく「最悪の事態を想定すると、最悪の事態を招き寄せる」という呪術的な信仰が日本人にはあります。ですから、うっかり「最悪の事態に備えて・・・」と口にすると「縁起でもない」と叱られる。場合によっては「それは敗北主義だ」「そういう悲観論を語るな」と罵倒されることさえある。
『戦陣訓』は「百戦百勝の伝統」を謳い、「勝たずば断じて已むべからず」と教えました。実際には戦闘レベルでは負けることがあるのは当たり前です。その場合に、どうやって「負け幅」を小さくとどめ、被害を最小化するかというのがプラグマティックな軍人の知恵の使い方のはずですけれど、日本軍では「そういうこと」を考えること自体が禁じられた。「そういうことを」を考えることはたいせつだという文化があれば、『戦陣訓』のような空疎な文書が書かれることはなかったでしょう。
「負け幅」や「被害」を最小化するためにどうすればいいかということを日本人は考えません。「勝つ」ことしか考えない。今回の「水際作戦」でも、「厚労省がリスクを過小評価していたら?」と想定すること自体が心理的に禁圧されていた。それは僕が知る限りでは、医療現場でもそうでした。それは厚労省は無謬であると医療関係者が信じていたからではありません(これまであれほど失敗を重ねてきた省庁に対してい、専門家がそのような評価を下すことはあり得ません)。そうではなくて、「最悪の事態」を想定すると、全国民が一気に悲観論に落ち込んで、頭が働かなくなり、何もできなくなり、結果的に最悪の時代を呼び込んでしまう・・・と広く信じられていたからです。だから、そんなことを考えるよりは「すべてがうまくいったバラ色の未来」を想像して多幸感に浸っている方がましだ、と。そう考えた。そして、運悪く、予想外の危機的状況に際会したら、みんな一緒に肝をつぶして、一緒に被害をわかちあって、一緒に懺悔しよう・・・。誰の責任だというような野暮なことを言うのは止めて、「絆」でもう一度復興しようじゃないか・・・
そういうことを日本人は久しく繰り返してきました。この病的傾向は「日本人には危機管理能力がない」という冷厳な事実をまっすぐに見つめない限り決して改善することはないと思います。
3)では、コロナ危機を克服して「より良い社会」をつくるためにどうするか。展望、活路についてお話ください
日本の統治機構は制度としてはみごとに設計されていると思います。ですから問題は制度ではなく、それを動かしている人間にあります。システムを管理運営している人間の質が劣化している。どんな立派な制度でも、それを扱う人間のできが悪ければ、どうにもならない。問題は統治機構を管理運営する要路にどうやって「市民的常識を具えた、まともな大人」を配するかということです。差しあたりできることは、選挙で議員を選ぶときに、メディアでの知名度や派手なパフォーマンスではなく、人としての良識と市民的な成熟を基準にすることです。それだけでも、社会は少しずつ変わると思いますけれど・・・
http://blog.tatsuru.com/2020/04/28_0932.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html#c5
40. 中川隆[-12875] koaQ7Jey 2020年4月28日 16:20:36 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[17]
新型コロナは「第2のエイズウイルス」なのか 衝撃の論文が
2020年04月25日
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/272409
新型コロナウイルスは部分的にエイズウイルスに似ているといわれているが、あくまで構造上のものであった。しかし、現実的な可能性を物語る論文が発表され、世界中の医療関係者に衝撃を与えている。「Cellular and Molecular Immunology」に今月掲載された論文で、執筆者は中国・上海在住の研究者と米国の研究者だ。一体どんな内容なのか? 「弘邦医院」(東京・葛西)の林雅之院長に聞いた。
論文によると、新型コロナウイルスは、リンパ球の一種で細胞免疫をつかさどるT細胞に感染するという。事実、新型コロナ感染症の重症患者はリンパ球が減ることが確認されている。リンパ球がほとんどなくなり、免疫システムがかなり破壊されている死亡例も報告しているのだ。これは新型コロナウイルスがエイズを発症させるHIV免疫不全ウイルスのように免疫システムを破壊しうる可能性を物語っている。
「T細胞とは免疫の司令官のような役割をする細胞です。ウイルスが体内に侵入すると、まず体中をパトロールしている食細胞・マクロファージや樹状細胞がウイルスの情報を集めて司令官役のT細胞に報告します。情報を受け取ったT細胞は、インターフェロンやサイトカインを分泌して“殺し屋”のキラーT細胞を活性化させ、ウイルスに感染した細胞を探して破壊するよう促すのです」
その一方でT細胞はB細胞に抗体を作るように指示。指示を受けたB細胞は、そのウイルスに対抗する大量の抗体を作り、この抗体もウイルスの細胞への感染を防ぐ。
ところが、エイズウイルスは免疫の司令官役のT細胞やお掃除・情報屋のマクロファージなどの免疫細胞に感染し殺してしまう。免疫を失った体はさまざまなウイルスや細菌に侵されて死んでしまうのだ。新型コロナウイルスはエイズウイルスと同じように免疫細胞に感染するというのだ。
「新型コロナウイルス感染症では、肺炎のほかに下痢、脳炎、心筋炎、多臓器不全など全身の臓器に感染症が見られますが、重症の人ではリンパ球の減少もよく見られます。そこで新型コロナウイルスに対するT細胞の感受性試験を行ったところ、新型コロナは遺伝子的に8割同じである重症急性呼吸器症候群(SARS)よりも有意に感受性が高いことがわかったというのです」
■リンパ球に感染し免疫を破壊
SARSと新型コロナは体内の細胞に侵入するための入り口としてACE2タンパクを利用することがわかっている。ヒトT細胞にはそれがほとんどないとされているので、新型コロナウイルスがACE2タンパク以外の入り口を利用して細胞内に侵入するのは大いに考えられることだ。
「これは衝撃的な内容です。すでに今年2月に中国の免疫研究の研究者が高齢者や集中治療室が必要な重症の新型コロナウイルスの患者でT細胞(リンパ球)の数が大幅に減少していることを報告しています。重症化すると殺菌作用のある好中球が増えてリンパ球が減ることは世界中の患者で確認されています」
中国では新型コロナウイルス感染症で亡くなった20人以上の遺体を解剖して、ウイルスの感染により免疫組織が完全に破壊されていたことが確認されたという報道もあるらしい。
「もちろん、重症になる主たる原因は免疫反応の暴走であるサイトカインストーム(インターロイキン6などのサイトカインが大量に放出され、強い炎症が起こる)に間違いありません。ただ、リンパ球減少の原因のひとつにウイルスのリンパ球への感染による可能性が出てきたということです」
この仕組みのナゾを解くカギはウイルスの突起を形成しているスパイクタンパク質(Sタンパク質)かもしれない。感染先の細胞表面にある受容体と結合してウイルス外膜と細胞膜の融合を媒介する役割がある。ほんの少しこの構成を変えるだけで働きが大きく変わることが知られている。
実際、長年動物ウイルスを研究している学者に聞くと、動物によっては感染するウイルスのSタンパク質の一部欠損や構造変化により、肝炎疾患が脳炎に変化したり、腸炎疾患が呼吸器疾患に変化したりする例が報告されているという。つまり、新型コロナウイルスのSタンパク質の構造が少し変わるだけでヒトのリンパ球に感染できるようになり、エイズと同じように免疫不全症候群を発症させる可能性があるという話は決して荒唐無稽ではないのだ。
「ただし、リンパ球減少は重症患者に起きていることであって、HIVのようにこの免疫細胞への影響力が簡単に他の人に感染したという報告はありません。新型コロナの感染はあくまでも呼吸器を介したものであり、現時点では心配する必要はないと考えます」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/768.html#c40
55. 中川隆[-12874] koaQ7Jey 2020年4月28日 16:21:03 : JsOWMf57GI : YVVvWFhQOFlsdUk=[18]
新型コロナは「第2のエイズウイルス」なのか 衝撃の論文が
2020年04月25日
https://hc.nikkan-gendai.com/articles/272409
新型コロナウイルスは部分的にエイズウイルスに似ているといわれているが、あくまで構造上のものであった。しかし、現実的な可能性を物語る論文が発表され、世界中の医療関係者に衝撃を与えている。「Cellular and Molecular Immunology」に今月掲載された論文で、執筆者は中国・上海在住の研究者と米国の研究者だ。一体どんな内容なのか? 「弘邦医院」(東京・葛西)の林雅之院長に聞いた。
論文によると、新型コロナウイルスは、リンパ球の一種で細胞免疫をつかさどるT細胞に感染するという。事実、新型コロナ感染症の重症患者はリンパ球が減ることが確認されている。リンパ球がほとんどなくなり、免疫システムがかなり破壊されている死亡例も報告しているのだ。これは新型コロナウイルスがエイズを発症させるHIV免疫不全ウイルスのように免疫システムを破壊しうる可能性を物語っている。
「T細胞とは免疫の司令官のような役割をする細胞です。ウイルスが体内に侵入すると、まず体中をパトロールしている食細胞・マクロファージや樹状細胞がウイルスの情報を集めて司令官役のT細胞に報告します。情報を受け取ったT細胞は、インターフェロンやサイトカインを分泌して“殺し屋”のキラーT細胞を活性化させ、ウイルスに感染した細胞を探して破壊するよう促すのです」
その一方でT細胞はB細胞に抗体を作るように指示。指示を受けたB細胞は、そのウイルスに対抗する大量の抗体を作り、この抗体もウイルスの細胞への感染を防ぐ。
ところが、エイズウイルスは免疫の司令官役のT細胞やお掃除・情報屋のマクロファージなどの免疫細胞に感染し殺してしまう。免疫を失った体はさまざまなウイルスや細菌に侵されて死んでしまうのだ。新型コロナウイルスはエイズウイルスと同じように免疫細胞に感染するというのだ。
「新型コロナウイルス感染症では、肺炎のほかに下痢、脳炎、心筋炎、多臓器不全など全身の臓器に感染症が見られますが、重症の人ではリンパ球の減少もよく見られます。そこで新型コロナウイルスに対するT細胞の感受性試験を行ったところ、新型コロナは遺伝子的に8割同じである重症急性呼吸器症候群(SARS)よりも有意に感受性が高いことがわかったというのです」
■リンパ球に感染し免疫を破壊
SARSと新型コロナは体内の細胞に侵入するための入り口としてACE2タンパクを利用することがわかっている。ヒトT細胞にはそれがほとんどないとされているので、新型コロナウイルスがACE2タンパク以外の入り口を利用して細胞内に侵入するのは大いに考えられることだ。
「これは衝撃的な内容です。すでに今年2月に中国の免疫研究の研究者が高齢者や集中治療室が必要な重症の新型コロナウイルスの患者でT細胞(リンパ球)の数が大幅に減少していることを報告しています。重症化すると殺菌作用のある好中球が増えてリンパ球が減ることは世界中の患者で確認されています」
中国では新型コロナウイルス感染症で亡くなった20人以上の遺体を解剖して、ウイルスの感染により免疫組織が完全に破壊されていたことが確認されたという報道もあるらしい。
「もちろん、重症になる主たる原因は免疫反応の暴走であるサイトカインストーム(インターロイキン6などのサイトカインが大量に放出され、強い炎症が起こる)に間違いありません。ただ、リンパ球減少の原因のひとつにウイルスのリンパ球への感染による可能性が出てきたということです」
この仕組みのナゾを解くカギはウイルスの突起を形成しているスパイクタンパク質(Sタンパク質)かもしれない。感染先の細胞表面にある受容体と結合してウイルス外膜と細胞膜の融合を媒介する役割がある。ほんの少しこの構成を変えるだけで働きが大きく変わることが知られている。
実際、長年動物ウイルスを研究している学者に聞くと、動物によっては感染するウイルスのSタンパク質の一部欠損や構造変化により、肝炎疾患が脳炎に変化したり、腸炎疾患が呼吸器疾患に変化したりする例が報告されているという。つまり、新型コロナウイルスのSタンパク質の構造が少し変わるだけでヒトのリンパ球に感染できるようになり、エイズと同じように免疫不全症候群を発症させる可能性があるという話は決して荒唐無稽ではないのだ。
「ただし、リンパ球減少は重症患者に起きていることであって、HIVのようにこの免疫細胞への影響力が簡単に他の人に感染したという報告はありません。新型コロナの感染はあくまでも呼吸器を介したものであり、現時点では心配する必要はないと考えます」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/741.html#c55
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