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[近代史5] LGBT・トランスジェンダーの世界 中川隆
3. 中川隆[-6182] koaQ7Jey 2021年4月01日 04:24:16 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[1]
LGBT騒ぎは社会を分断してグレートリセットをやり易くするのが目的

【トランプ速報】日本の将来はもうない!? バイデンの真の目的、東京五輪、コロナの嘘、マスク踏み絵、グレートリセット…ジェームズ斉藤が徹底解説!
2021.01.24
https://tocana.jp/2021/01/post_196891_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】

──残念ですが、バイデン政権が誕生してしまいました。

ジェームズ これでアメリカの一党独裁が始まります。しかし、トランプ・ムーブメントは確実に残っていくのでそこはまったく心配していません。一番重要なのは最後の最後までトランプが敗北宣言をしなかったことです。これは米国史上初めてのことだと思います。2016年にトランプが勝った時、ヒラリーですらトランプには敗北宣言をしていますが、トランプはそれをやらず、「The Best is yet to come」と語っています。これは、「最高のものはまだ来ていない」という意味で、キリスト教原理主義者、福音派にとってはキリストの再誕と重ね合わせて考えることができるまさに福音になります。

──トランプがキリストのように十字架にかけられたということですか?

ジェームズ そうです。アメリカの罪のために断罪されたということです。

──確かに、キリスト以上に側近に裏切られまくりましたからね。

ジェームズ 実は、まさに、それを象徴するような事件が1月6日にありました。あの暴動があった議会の終わりに、当時まだ副大統領だったペンスは、共和党のある議員から握手を求められたんですが、それがフリーメイソン式の握手だったんです。

──おぉ、フリーメイソン式握手って言葉を久しぶりに聞きました(笑)。

ジェームズ 私もですよ。しかも、それをアメリカの議会で見るとは思いませんでした(笑)。で、話はまだ続きがあって、握手が終わったあとにペンスが手を開くとコインのようなものがあったんですね。つまり、握手の際に共和党の議員から渡されたんですが、これが何を意味しているのか? もしかしたらユダがキリストを裏切った時にユダヤ人から銀貨を受け取っていますが、それを象徴しているのかもしれません。

──つまり、ペンスがユダだったと。

ジェームズ 可能性はあります。ただし、私はまだペンスのことは本当に裏切ったのかどうか少し懐疑的ではあります。トランプ側のスパイの可能性もありますし、ディープステート側のスパイとしてトランプ政権に送り込まれた可能性もあります。ペンスの場合は能力が高いのでどちらかを断定するのは現時点でも難しいです。私の新CIA右派の関係者は「ペンスは裏切り者だ」と断定していますが、彼らも判断を間違っている可能性があります。

──愛国者党のほうはどうなりそうですか?

ジェームズ 愛国者党はどこまで人と金が集まるかですね。トランプも今回の選挙ではかなり金を使っていますし、本業の不動産業も低調のようです。トランプ・タワーもコロナで客が入ってないようですから、資金の余裕はないと思います。

──在任中も大統領の給料は年間1ドルしかもらってなかったし、自分の財産もすり減らしたし、イメージとはそぐわないですが、昔の清廉潔白な政治家だったとは言えますね。

ジェームズ それは間違いなく言えます。ただ、ここで重要になってくるのがさきほどのキリスト教原理主義的な発言で、アメリカにはこれを信奉する人が多くいて、中でも注目されるのがコーク兄弟という大富豪です。彼らはリバタリアンで、これまでもトランプに資金を提供してきています。

──リバタリアン?

ジェームズ 自由原理主義みたいな人たちで大きな政党をなんであれ嫌うんです。いまトランプを応援しているのはこういう人たちなのですが、1つ心配なのがトランプ派がいま二分化してまして、トランプを応援する勢力と、トランプと決別する勢力が出てきています。つまり、トランプが何もしないで退任してしまったので「裏切り者」と言う人たちが出てきたんですよ。その代表格がオース・キーパーズというミリシャの集団です。スチュアート・ローズという男が代表なんですが、彼はロン・ポールというリバタリアンでイェール大学ロースクール卒業の超エリートで、有名な国会議員の秘書だった人なんです。ただし、いまは海賊みたいなパッチを目につけて元議員秘書とは思えないイカツイ風貌になっています(笑)。彼がトランプは裏切り者だと宣告する一方で、民主党、バイデン政府に対しては徹底抗戦すると宣戦布告をしました。しかも、スチュアート・ローズのバックにはアレックス・ジョーンズもついています。彼は一時、勢いがなかったのですが、さすがは元祖CIA右派の大物ですね。CIA右派の内部分裂にも影響を受けず、しっかり復活してきました(笑)。

──とりあえず、トランプ・ムーブメントを受け継ぐイカツイ人たちが、トランプも含めてバイデンに牙を剥くということですね。

ジェームズ その通りです。

──ところで、CIA右派とか左派という言葉はもういいんじゃないんですか? CIAはもうみんな左派に行ってしまったんですよね?

ジェームズ CIAはほぼ左派になったと言えますが、CIA右派、左派というのはCIA内部での話ではありません。CIAのOBたちが自分たちの利権を守るために作った「コントロールされた勢力」のことですので、これはいまでも生きているんですよ。それこそアレックス・ジョーンズはCIA右派の利権をいろいろ握っていますから。ですから、これからもアメリカを語る上では重要な言葉となりますので、そう理解してください。これはまた、あとで詳しくお話します。

──そういう意味だったんですね。わかりました。では、新しく誕生したバイデン政権はどうでしょうか。なにか面白い話はありますか?

ジェームズ バイデンが大統領になって早速やったことはなにかというと軍内にトランスジェンダーを受け入れると言い出したことです。一般的な報道ではパリ協定に復帰するとかのほうを注目していますが、それ以上にバイデン政権を象徴するのは軍のLGBT化のほうです。これには2つの意味があります。1つは軍の弱体化です。軍の強さというのは命令系統の徹底です。「ここを守れ」と命じたら死んでも守るのが軍で、そうでなければ戦えませんが、LGBTはその運動からもわかるとおり、自分ファーストであることに重きをおきます。自分ファースト自体は悪い考えでも何でもないですが、こと軍人には極めて不向きです。ですから、これまで外してきたんですが、民主党がそれを推し進めるのは軍が怖いからです。

──軍が怖い? 

ジェームズ 彼らは自分たちが不正をしたことがわかっていますから、いつ軍が反対勢力になるかわからないと思っているんです。それならいっそ弱くなってくれたほうがいいんです。これは極左の特徴で、スターリンも軍が信用できずに将軍たちを徹底的に粛清しましたし、一般兵士の銃からは実弾を抜いたんです。スターリンが一番恐れていたのはクーデターだったんですが、そこに第二次世界大戦でドイツに侵攻されてしまいましたから最初はコテンパンにやられたんです。それはそうですよ、訓練もしてないし、指揮系統もバラバラなんですから。

──でも、それをやったら国が弱体化しませんか?

ジェームズ 間違いなくしますが、自分たちの利権がなくなるよりはいいと考える人たちです。その証拠がすでに議会を守る州兵たちの扱いに出ています。バイデンが大統領になって、すぐに民主党は、これまで議会を守ってくれていた軍人たちを地下駐車場に押し込めて、そこで寝泊まりしろと言い出したんです。そこは寒いですし、トイレもひとつしかありません。そこに5000人の兵士がいるんですよ。

──どういうことですか? もう守ってもらう必要がないってことなんですか?

ジェームズ いえ、守ってもらう必要はまだあります。ただし、議会内はもう安全なので「お前たちは議会の外にいろ」ということです。その前は議会内の廊下とかに寝てましたけど、議会内で寝ていると見苦しいので地下に行けということです。


──身勝手な話ですね。いままで散々守ってもらったくせに。

ジェームズ 馬脚を露わすという言葉を地で行く人々です。民主党員に他人をねぎらう気持ちはありません。逆にいつ彼らが自分たちに牙を剥いてくるかわからないので警戒しているぐらいです。しかし、外は完全に安全ではないのでガードは必要なので地下駐車場にいろ、ということです。いま軍人たちはかなり怒っていますよ。そしてもう1つ理由は、LGBT化は国をアトム化させるためにはとても使いやすい、口当たりのいい言葉なんです。それを軍にも推し進め、アメリカ社会全体にも推し進めていくんです。重要なことなのでもう一度言いますが、LGBTの人々が悪いのではなく、それを利用する人間がいるということです。LGBTは政治に利用されずに差別をなくす方法を模索するべきです。

──LGBTが進むと社会はどうなるんですか?

ジェームズ 家族が解体され、親子の絆が断絶されていきます。もちろん、LGBTの人々がそういう悪影響を持っているということではなく、LGBTムーブメントは国の解体、断絶のために使いやすいということです。これはかつてソ連のボリシェヴィキ党が行ったことです。家族を解体すると社会がアトム化します。すると、コントロールしやすくなるので、こちらを推し進めているのです。

──LGBTムーブメントって一見すると自由化、平等化に感じますが、実際は違うんですね。

ジェームズ 彼らはあえて違うように運用します。差別を助長する方向で使うのです。実際、これは日本の極左たちがやっている被害者ビジネスと同じです。上っ面だけはキレイに見えますが、「差別をなくせ」という人間こそが差別を作っています。彼らはよくアメリカが分断するとか言いますが、本当に分断を推進しているのは完璧に左派です。トランプではないです。その極めつけが不法移民1000万人に市民権を与えるという法律です。こんなことをすれば社会はもっと不安定化します。しかも、いまグアテマラから不法移民約7000人がアメリカに向かっていますが、バイデンはこれも受け入れると言っています。アメリカはますますメチャクチャになります。しかし、民主党は不法移民たちに恩を売る形になりますから、支持基盤が厚くなるわけです。国が乱れても自分たちが政権を握られればそれでいいんです。

──恐ろしい話です。ほかに気になることはありますか?

ジェームズ すべてがダメですが、いま目に飛び込んできたのが「マスクチャレンジ100日間」(バイデン氏は国民に対し、自らの就任から100日間はマスク着用を求める「マスクチャレンジ」も訴えるた)という人をバカにしたキャンペーンですね。なんかスポーツみたいなことを言ってますけど、これで言うことを聞かない国民はブラックリストに載せていくわけです。体のいい踏み絵ですよ。だいたい、本当にコロナが危険なのであれば、議会の周りに州兵が何万人もいる時点でおかしいと思わないのかと。しかも、バイデンの就任式でオバマ、ブッシュ、クリントンがマスクを外してる時がありましたからね。それもどうなんだと(笑)。結局、すべてがウソっぱちですし、グレートリセットに向かっているということです。実際、新設の気候変動問題の大統領特使になったジョン・ケリーは「バイデン政権の目的はグレートリセットにある」とはっきり発言しています。そして、そんな中で一番情けないのが日本政府です。バイデンが大統領になってすぐに、「東京五輪中止」のニュースが流れたじゃないですか。「日本政府はコロナにより東京五輪の中止が必要と非公式に結論」というニュースが。

──流れましたね。すぐに日本政府は否定しましたが(笑)。

ジェームズ 間違いなく政府からのリークです。あれはバイデンが政権をとったので、安心してグレートリセットに乗っかって儲けることができると踏んだからです。儲かると判断したから早速、雰囲気作りを始めたんです。極左たちのやり方には呆れますが、日本政府の小物ぶりにもほどがありますね。戦後の日本は「対米従属を国家戦略にする」という戦略すら理解していない体質でしたが、今まで米国が強かったのでさほど問題はなかったです。しかし、バイデンの米国は「グレートリセット・ファースト」です。グレートリセットは米国の弱体化を図り、中国に覇権を譲渡して完成します。バイデン政権発足して3日しかたっていませんが、既にLGBT推進で家族と軍の解体、キーストーン天然ガスパイプライン廃止で中東依存体制の復活、発展途上国からの移民歓迎で国内テロ誘発等、確実に米国の弱体化を推めています。それに加え、ロックダウンを強制して、国内経済はボロボロです。米国は同盟国ですが、もはや死に体と認識しておかなければなりません。米国なき日本など、中共の鴨にされるだけです。まず現政権を含む日本国内の中共傀儡勢力を一掃しなければ、日本の将来はないでしょう。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/541.html#c3

[近代史5] オーディオ関係のブログ 中川隆
18. 2021年4月01日 05:13:05 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[2]
ブランドストーリー - オーディオ買取屋
https://audio.kaitori8.com/story/


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/412.html#c18

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
13. 2021年4月01日 05:23:13 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[3]
止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
2021年3月31日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098


コロナ禍における金融緩和と財政出動による過剰な資金がアメリカの金融市場と経済に流入している。金融市場では貴金属や穀物などのコモディティ価格が高騰しており、足元の経済でも日用品の物価が上がり始めていることは何度も報じている通りである。

2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
そしてアメリカでは同時にコロナ禍には意外な資産まで値上がりしている。不動産である。しかもアメリカだけでなく、イギリスやオーストラリアでも起こっているグローバルな現象であるらしい。

コロナ禍における不動産

ウィルスの流行で観光地に閑古鳥が鳴き、日本では宿泊業界はようやく立ち直りかけているかというところだが、アメリカでは住宅価格は大して下落することがないままコロナを乗り切った上、昨年後半からかなりの価格高騰を続けている。ケース・シラー住宅価格指数の年間上昇率(前年同期比)のチャートは次のようになっている。


アメリカの住宅価格の上昇率は今や年間11%を超える勢いである。住宅ローンのバブルが問題だったサブプライムローン問題の時の最高値が14%だったことを考えれば、このまま加速すればその時の勢いに肉薄するほどの数字になることになる。

そして前述したようにこの現象はアメリカだけのものではない。イギリスの国家統計局によれば2021年1月の住宅価格年間上昇率は7.5%であり、インフレを懸念したイングランド銀行は低金利政策から撤収する準備をしている。

物価高騰を恐れない日米欧、インフレ政策から逃げ始めたイングランド銀行
またオーストラリアのシドニーでは3月の間に住宅価格が3.6%上がったという最新のデータが発表された。年間ではなく1ヶ月の間の上昇率である。これが仮に1年続けばシドニーの住宅価格は1年間で何十パーセントも上がることになる。

オーストラリアは昨年11月に量的緩和に踏み切っている。コロナで低迷する経済を持ち上げるための措置だが、市場は明らかに過剰な資金に舞い上がっている。オーストラリア準備銀行のフィリップ・ロウ総裁はインフレによって利上げを余儀なくされる可能性を打ち消そうと必死である。

空前絶後のバブル相場

一部の人々はもう気付いているが、誰もインフレを止められなくなるだろう。貴金属や農作物などのコモディティ価格は未曾有のバブルを経験することになる。

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
しかし経済はどうなるだろうか。何度も言うが紙幣を刷ったところでものが増えるわけではない。人々は政府から現金が入金されて喜んでいるが、日用品の物価の上昇が止まらなくなってようやく我に返るだろう。

1980年代にアメリカに起きたことを人類はまた繰り返しいる。投資家を長年続けて確信していることが一つある。人は決して学ばないということである。

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
インフレを避けるため、海外の投資家はコモディティを買い漁るだろう。個人投資家が貴金属や農作物に投資する方法もある。

インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
しかしコモディティの中でも一番上がるのはビットコインだろう。今年に入ってからこれを言い続けている。そしてビットコイン価格は悪魔のように上がっている。


仮に短期的な調整があるとしても長期的な目標価格はまだまだ遠い。

マイナード氏: ビットコイン価格は機関投資家の資金流入で15倍に
そしてまだまだ先の話だが、ビットコインが仮に目標価格に達したとしても暗号通貨自体の上げ相場はそこで終わりではないだろう。そこからはビットコインに代わる新たな通貨探しが始まる。暗号通貨の本領はそこからなのである。

ジョージ・ソロス氏、暗号通貨インフラに投資
投資家は常に相場の大きさを意識しなければならない。そうでなければ足元の微小な値動きに囚われて大局を見失ってしまうだろう。コモディティバブル、ビットコインバブルはようやく道半ば、暗号通貨自体はまだまだ初期の初期である。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c13

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
14. 中川隆[-6181] koaQ7Jey 2021年4月01日 05:43:00 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[4]

【ゆっくり解説】経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
2020/11/14






今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。
本当にそうなのでしょうか? 解説しました。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c14
[近代史5] 政府が事業者を救済しても無数のゾンビ企業を作るだけで、いずれ経営破綻する 中川隆
3. 中川隆[-6180] koaQ7Jey 2021年4月01日 05:43:57 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[5]
金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる

【ゆっくり解説】ハイエクvsケインズ〜経済学を変えた世紀の対決









経済学に限らずその後の歴史を変えた二人の経済学者の世紀の対決、その後編です。
果たして市場に必要なのは「自由」なのか「介入」なのか?




【ゆっくり解説】ハイエクvsケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション





【ゆっくり解説】ニューディール政策は失敗だった?





【ゆっくり解説】ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜





ヒトラーの戦争はドイツを滅ぼしたが、経済政策はドイツを復興させた。
そう説明されることも最近、増えましたが本当でしょうか??
解説します。



【ゆっくり解説】英国IMF危機〜しくじり財政破綻〜【英国病・福祉国家の末路】




ゆりかごから墓場までの福祉国家であった英国の財政破綻。
なぜ大きな政府は破綻したのか?
解説します。



【ゆっくり解説】経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
2020/11/14






今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。
本当にそうなのでしょうか? 解説しました。

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/554.html#c3
[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
15. 中川隆[-6179] koaQ7Jey 2021年4月01日 05:45:28 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[6]
金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる

【ゆっくり解説】ハイエクvsケインズ〜経済学を変えた世紀の対決









経済学に限らずその後の歴史を変えた二人の経済学者の世紀の対決、その後編です。
果たして市場に必要なのは「自由」なのか「介入」なのか?




【ゆっくり解説】ハイエクvsケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション





【ゆっくり解説】ニューディール政策は失敗だった?





【ゆっくり解説】ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜





ヒトラーの戦争はドイツを滅ぼしたが、経済政策はドイツを復興させた。
そう説明されることも最近、増えましたが本当でしょうか??
解説します。



【ゆっくり解説】英国IMF危機〜しくじり財政破綻〜【英国病・福祉国家の末路】




ゆりかごから墓場までの福祉国家であった英国の財政破綻。
なぜ大きな政府は破綻したのか?
解説します。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c15
[近代史4] 何故公共事業が長期的には失業を生むか 中川隆
6. 中川隆[-6178] koaQ7Jey 2021年4月01日 05:46:42 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[7]

【ゆっくり解説】経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
2020/11/14






今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。
本当にそうなのでしょうか? 解説しました。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html#c6
[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
1. 中川隆[-6177] koaQ7Jey 2021年4月01日 05:49:47 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[8]
政府が事業者を救済しても無数のゾンビ企業を作るだけで、いずれ経営破綻する
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/554.html

何故公共事業が長期的には失業を生むか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html

共産主義としてのリベラリズム、資本主義という名の共産主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/545.html

公共事業や量的緩和で経済は救えない _ 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/892.html

インフレで起きる事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c1

[近代史5] 経済学の歴史、信用貨幣論、MMT 中川隆
20. 中川隆[-6176] koaQ7Jey 2021年4月01日 05:50:56 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[9]
金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html

政府が事業者を救済しても無数のゾンビ企業を作るだけで、いずれ経営破綻する
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/554.html

何故公共事業が長期的には失業を生むか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1564.html

共産主義としてのリベラリズム、資本主義という名の共産主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/545.html

公共事業や量的緩和で経済は救えない _ 共産主義の悪夢が資本主義にのしかかる
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/892.html

インフレで起きる事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/384.html#c20

[番外地9] 雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露 中川隆
1. 中川隆[-6175] koaQ7Jey 2021年4月01日 07:42:37 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[10]

CIAは雅子様を皇后にする為に、雅子様の恋人をイラクに左遷して、事故死に見せかけて Xしたんだよね

雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/

今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。


奥参事官と小和田雅子さんは、恋人同士であった。

当時、奥参事官の銃撃事件は、米軍によるものと確信していたけれど、その動機までは分からなかった。

> 「銃撃直後に米軍車列」の重大証言 ◆

 しかも、この店主の証言として共同通信が驚愕すべき内容を送っているのだ。

 「畑に突っ込んだ車のすぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」
 この証言は重要だ。

 だだっ広い4車線の道路で銃撃があったのに米軍車両はそのまま通過したことになる。
しかも、現地警察によれば、畑に突っ込んだ車や遺留品はすべて米軍が回収してしまったという。

 また、外務省によれば紛失した奥参事官らのパスポートは後になって米軍が「地元有力者から取り返した」と言って返却したという。

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col31.html


暗殺が真相であったならば、相当な人数と手間、それに費用がかかっているはずだ。

米軍と言っても、関わっているのは、この暗殺だけの特殊任務を行うコマンドであろう。

日本人も、関わっていたのは、確実だ。

天皇の深い闇は、アングロサクソンの深い闇とつながっている。

近衛が失敗したのは、その闇の深さを読み違えたことにある。

奥参事官の暗殺を計画し実行した張本人は、だれであろう?

考えただけで、身震いがして、嫌悪感が止まらない。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/271.html#c1

[番外地9] 日本の実質失業率は50%だよ 中川隆
4. 中川隆[-6174] koaQ7Jey 2021年4月01日 07:58:48 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[11]
日本の実質失業率は50%だよ、財政出動してもその金は事業投資には使われず不動産や株に投資されてバブル経済になるだけ:
デフレの原因は技術の進歩で供給力が需要の4倍、5倍に増えた為です、未来永劫絶対にデフレ脱却はできません。
日本は大昔から供給過剰な国で、食べ物、住居、自動車、家電等は作ろうと思えば必要量の何倍でも直ぐに作れるのです。 しかし余計に作っても売れないので、日本人の過半数は食べる為にやってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事をやっているのです。 従って、三橋貴明さんが何時も言っている 需要・供給というのは やってもやらなくても何も変わらない意味無い仕事の 需要・供給なのです。 インフレ・デフレとは関係ありません。
有っても無くても何も変わらない商品の値段が上がっても下がっても、世の中に溢れている生活必需品の価格が変わらなければインフレにもデフレにもなりません。三橋貴明さんが何時も騒いでいる 需要・供給とインフレ・デフレの関係は明らかな間違いなのです。
MMT論者は需要・供給、潜在供給量やGDP・経済成長率について基本的に誤解をしているのです:
そもそも需要や供給で意味が有るのは農業・食品や日用品、自動車・家電製品、輸送・電力・ガス・水道、土木・建設、介護・病院・学校関係くらいです。 それ以外の需要や供給は有っても無くても大して変わらないので、需要・供給の数値には意味は有りません:


大西つねき
民間銀行はもうこの世に必要ない(Live配信2021/1/12) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=a3y34SLGKlo

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。本当にそうなのでしょうか? 

アホ右翼でも理解できる様に超簡単に解説しました。
経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ&feature=emb_title

今は技術の進歩で、日本人の1/3が8時間労働すれば日本人全員が生活に必要な物をすべて作れる時代です。

警察・防衛、司法・行政・政治を含めても、まともな意味の有る仕事をしているのは日本人の半分だけでしょう。

そもそも輸出品の供給力に対応する需要は海外の購買力なので、日本の内需を拡大しても輸出や日本への観光客が増える訳ではないのです。 言い換えると、日本人の 半分はやる仕事が無いんですね。少子化は意図的に進めるのが正しいのです。
政府が公共事業で需要を増やしたところで日本人の 半分がやっている、やってもやらなくても何も変わらないどうでもいい仕事の量が増える事はありません。その金は不動産や株式市場に流れてバブルを起こすだけです。起業するより不動産や多国籍の株を買った方がリスクが低いし儲かりますからね。

日本人の 半分 は、風俗、水商売、パチンコ、ヤクザとか、(スキー場・温泉宿・タクシー・ガソリンスタンド・コンビニ・回転寿司・ファミリーレストラン・ラーメン屋・飲み屋・調剤薬局・歯医者・弁護士・地方銀行・保険会社・証券会社みたいに既に適正数の何倍も店舗がある、やってもやらなくても何も変わらない労働生産性がゼロに近いサービス業をやって何とか食べているのです。
公共事業をやっても日本人の 半分がやる仕事ができるという訳ではないですね。
現在の日本がデフレだというのは言い換えると、技術の進歩で労働者が1日2,3時間も働けば生活に必要な食べ物や工業製品をすべて作れる時代になってしまった、それ以上の仕事はやってもやらなくても同じだという事です。
だから今は農業人口も200万人以下で日本全体の食糧消費の大半を簡単に作れるのです。
今は高齢者186万人が農業に従事しているだけです:

(農業就業人口は引き続き減少・高齢化)
農業就業人口のうち基幹的農業従事者(*2)数は、186万2千人となり、前年に比べて18万9千人(9.2%)減少し、200万人を下回りました。 また、65歳以上の割合は59.1%と前年に比べて2ポイント低下したものの6割を占めており、平均年齢も66歳と高齢化が進んでいます。


MMT論者は緊縮財政を続けると日本の供給力が壊滅して開発途上国になると騒いでいますが、元々日本は供給力が増えすぎて困っているのです。 食料も電気製品も住居も土地も日本では有り余っています。 ただ、労働者の賃金が安くて世の中に有り余っているものを消費できないというだけです。デフレギャップを減らすには、終戦直後にGHQがやった様に、意図的にインフレを起こして資本家の資産を目減りさせて労働者に再分配するしかありません。国債発行や公共事業をいくらやっても、増えた金はすべて資本家に持って行かれるだけで、労働者の実質賃金はどんどん下がっていきます。

日本の仕事の殆どはサービス産業なので、食べていく為にやってもやらなくても良い無駄な仕事をしている事になります。
人口が減ればそういう無意味な仕事をする必要も無くなるので、デービッド・アトキンソンの最低賃金を上げて、それに耐えられない中小企業は潰せ、というのは正しいです。存在価値が無い中小企業を淘汰するのは合理的です。

安物・粗悪品の製造会社、アマゾンに対抗できない小売店、国債の利息でなんとか生きながらえている地方銀行、海外からの技術研修生を使わないとやっていけない会社、コンビニより多い歯科医院、外人留学生が居ないとやっていけない大学・専門学校、インバウンドで食べている旅館・観光会社、風俗等のヤクザのしのぎになっている仕事、パチンコ・IR

すべて日本の生産性を下げているだけの無意味・無駄な仕事です。
______

起業家の半数が1年で廃業し収入はバイト以下
起業しても10%以下しか継続できない


10数年前から日本政府は起業を奨励していて、起業すれば必ず成功するかのようなキャンペーンをやっていました。

ブームに乗って実際に起業した人たちがどうなったか検証してみると、政府が振りまいた夢とは正反対の現実があった。

中小企業白書によると個人事業主として開業した人の約3割が、1年以内に廃業し、2年で約半数、10年後には88%が廃業しています。


個人ではなく会社を設立した場合、1年以内で6割が廃業(倒産)し、5年後には85%が廃業、10年後に残っているのは6%でした。


「起業に成功する人、失敗する人」のような本は多く出ていますが、そもそも会社の数は足りているのです。


現在存在している会社だけで世の中は足りているのに、そこに割って入って仕事を奪うのが「起業」だと言えます。

既存の会社には目の敵にされるし、会社員として実績があっても、おそらく助けては貰えないでしょう。

インターネット関係の新しいアイディアは1年もたずに陳腐化してしまい、事業として続かない事が多いです。
日本政策金融公庫の調査で起業家の4割がが月商30万円未満だと発表されました。

起業家の8割は1人で自宅で仕事をし、最近はネットで仕事をするネット企業家が増えています。
起業した人の多くは会社員時代より収入が減り、しかも労働時間が延びる傾向があります。

働いた分だけ収入になるのは、働かなければ収入がない事なので、特に時給に換算した収入が減少します。
会社では10人分の仕事を10人でやり、起業すると1人分の仕事を1人でやり、一見同じ事に思えるが効率が大幅に悪化します。
時代の波を乗り越えて10年後に事業を続けていられる人は、10%前後というわけです。

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失業者には国が十分な金を出せばいいだけでしょう。
MMTでお金はいくらでも発行できます。
生活困窮者の生活費を国で出せばいいだけですね。
日本は世界一の金持ち国で対外資産が沢山あるので、日本人は大して働かなくても食べていけるのです。

貧困者を救済した為にインフレになったら、貧困者にばら撒いた金額分だけ大企業や資本家の資産が減り、所得再分配が達成されます。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/222.html#c4

[近代史4] 中国、新疆ウイグル自治区で強制労働、収容施設の少数民族57万人以上に綿花を収穫させたか 中川隆
3. 2021年4月01日 08:05:11 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[12]

中国進出企業は今すぐ撤退せよ
LEAVE CHINA NOW 2021年3月31日
エリザベス・ブラウ(アメリカン・エンタープライズ研究所研究員)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2021/03/post-95954.php


ウイグル人労働者が働く山東省青島市の靴工場には、中から逃げられないように有刺鉄線が ANNA FIFIELD-THE WASHINGTON POST/GETTY IMAGES

<中国では27の工場がウイグル人を使っており、82のブランドの製品や部品を製造している。強制労働に加担してはいけない。サプライチェーンを再構築し、消費者の信頼を勝ち取るべきだ>

最近の調査によると、中国に進出したドイツ企業の96%が今のところ撤退を考えていないという。理由は単純。儲かるからだ。ただ中国での事業展開にはリスクもある。

シンクタンク「オーストラリア戦略政策研究所(ASPI)」の2020年の報告書によると、2017年以降、中国の9つの省の27の工場が新疆ウイグル自治区出身のウイグル人を使っている。

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これらの工場は世界的に知られた82 のブランドの製品や部品を製造していて、「一部の工場は『再教育キャンプ』から直接連れてこられたウイグル人に強制労働をさせている疑いがある」と報告書は述べている。

中国政府は部外者にウイグル人収容施設の視察を認めていないが、国外に逃れた元収容者の証言から、女性の収容者に対する組織的なレイプなど卑劣な弾圧が懸念されている。

ASPIが挙げたブランドにはアディダス、アマゾン、アップル、BMW、シスコ、デル、GAP、グーグル、H&M、日立、ラコステ、メルセデス・ベンツ、マイクロソフト、ナイキ、任天堂、ノキア、パナソニック、プーマ、サムスン、ソニー、東芝、ユニクロ、フォルクスワーゲンなどが名を連ねている。

こうしたブランドにとって、中国は魅力的な進出先だ。だがそこには落とし穴がある。中国政府に圧力をかけられるリスクとブランドイメージが傷つくリスクだ。

そこで、これらのブランドにごく穏当な提案をしたい。今すぐ中国から出ていくこと。中国にとどまるリスクはメリットを大きく上回る。

撤退すれば、短期的には製品や部品の調達が滞り、収益も減るだろう。だが世界中の消費者がその苦労に報いてくれる。激しさを増す地政学的な競争に巻き込まれ、身動きが取れなくなる悪夢からも解放される。

中国ドイツ商会の調査でも、中国で事業展開しているドイツ企業のうち72%が増資を計画していることが分かっている。その背景にはコロナ禍から早々と立ち直った「独り勝ち」の中国経済への期待がある。

実際、IMFは中国の今年のGDP伸び率を7.9%と予測している。ASPIの報告書が出た数カ月後、BBCの記者がフォルクスワーゲンの中国法人のCEOに取材した。

同社は新疆ウイグル自治区の首府ウルムチに工場があるが、「そこで働く労働者には収容所から連行されたウイグル人はいませんね」と記者に詰め寄られて、CEOは返答に窮した。その様子を見て、消費者は即座に反応し、SNS上で同社の車の不買運動が広がった。

新疆ウイグル自治区カシュガルの「再教育」施設で職業訓練を受ける人々(2019年) BEN BLANCHARD-REUTERS


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自国と中国政府の板挟みに
ナイキ、アップル、コカ・コーラなどもウイグル問題でまずい対応をし、消費者の反発を買った。強制労働による製品の輸入を禁止する米「ウイグル強制労働防止法案」を骨抜きにしようと、ロビー活動を展開したのだ。

結局その動きは不買運動を招いただけで、法案は昨年9月に米下院を圧倒的な支持を得て通過し、上院でも近々承認される見込みだ。

中国に進出したグローバル企業が直面するリスクはほかにもある。中国政府はスウェーデン政府に華為技術(ファーウェイ・テクノロジーズ)製品の使用禁止を取り下げさせようと、スウェーデンの通信機器メーカー、エリクソンのCEOに圧力をかけた。スターバックスも同様の憂き目に遭った。

ファーウェイ問題で中国政府に糾弾された欧米企業がどのくらいあるかは想像に難くない。

こうしたリスクがあっても企業が中国にとどまるのはなぜか。聞くのもやぼだろう。

中国は人口14億の巨大市場で、「世界の工場」とうたわれた優れた生産インフラがある。自動車や家電など高度な製造技術が求められる製品のメーカーにとって、中国の工場は不可欠の生産拠点だ。

さらに意地悪な質問をしよう。グローバル企業の経営陣は、自国政府から譲歩を引き出すよう中国政府に迫られたらどうするか。工場誘致のための優遇措置を受けていればなおさら、中国政府の圧力には抵抗し難いだろう。

あらかじめ対処法を練っていたとしても、自国政府が中国のルール違反に制裁を科し、中国側が理不尽な報復措置で応じる事態になったらどうするか。オーストラリアの農産物輸出業者は、それによる大損害を経験済みだ。

「中国市場に供給するリスクは確実に高まっている。2021年はオーストラリアにとって、中国への依存度が下がり始める分岐点になる可能性が高い」と、オランダを拠点とする金融サービス企業のラボバンクで食品・農業ビジネスのリサーチ部門を率いるティム・ハントは語る。

一方で、欧米の市民は中国に対し、数年前より後ろ向きになっている。ピュー・リサーチセンターが昨年夏に行った世論調査では、オーストラリア人の81%が中国に好ましくない見方を抱いており、2017年の32%から増えている。

同様にスウェーデン人は49%から85%、イギリス人は37%から74%、アメリカ人は47%から73%、カナダ人は40%から73%、ドイツ人は53%から71%に増えている。

消費者の感情は無視できない。欧米の消費者は時事問題への関心が以前より高いだけでなく、企業にも同じことを求めるのだ。

デロイトの調査報告書「2021グローバル・マーケティング・トレンズ」では回答した消費者の79%が、新型コロナウイルスに関するブランドの行動について、顧客や従業員、コミュニティーを手助けするポジティブな例を思い出すと答えた。それによって23%の人はブランドに対する認識が良いものに変わり、19%が購買行動に大きな影響を受けた。

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ただし、当然その逆もある。回答者の66%がブランドのネガティブな行動の例を記憶しており、それでブランドのイメージが悪くなったという人は31%、購買行動に大きな影響を受けたという人は26%だった。

「世界の工場」の曲がり角
21世紀の強制収容所を連想させること以上に、ネガティブなことがあるだろうか。ウイグルをめぐってブランドにダメージを与えるようなニュースは、今後も続くだろう。

昨年、ディズニーの新作映画『ムーラン』が注目を集めたのは、新疆ウイグル自治区で撮影されたことだけが理由ではない。エンドロールで謝意を示した協力機関の1つトルファン市公安部門が、人権侵害に関与したとして2019年に米商務省から制裁を受けていたのだ。

デロイトのレポートによれば、ブランドに強制収容所の影が少しでもちらつけば、欧米の顧客の4人に1人が離れていく。こうしたイメージはブランドにダメージを与えるだけでなく、機関投資家を不安にさせる。

南アフリカでは1980年代に、有力な機関投資家が、アパルトヘイト(人種隔離政策)と関係ある企業から手を引いた。

もちろん、複雑な設備を持たないアパレル企業でも、事業を整理して市場から撤退するのはそれなりに大変だ。

中国での生産を諦めることと中国市場で販売をしないことにも大きな違いがある。スターバックスのような飲食チェーンにとって中国から引き揚げることは、中国の消費者を完全に排除することになる。

とはいえ、多くの企業が既に、生産の一部を中国から主に他のアジア諸国へと移している。政治的な理由からではなく、中国が世界の工場としての魅力を失いかけているからだ。

ベトナムは今や衣料品製造の拠点となり、タイには自動車メーカーが集まっている。インドはハイテクと医薬品業界の拠点としての地位を固めつつある。ワクチン製造世界最大手とされるインドのセラム・インスティチュートは今年1月から、英アストラゼネカの新型コロナのワクチンを製造している。

消費者ブランドが世界最大の消費者市場から撤退すれば、当初は、目先の利益にしか興味のない株主を失うだろう。しかし、長期的な業績に関心のある、より優れた株主を得ることができるかもしれない。

さらに重要なのは、主要な機関投資家が世論を満足させるためだけだとしても、倫理性を重視し始めていることだ。ノルウェーの世界最大の政府系ファンドは2019年に、化石燃料関連企業株の投資を引き揚げた。

最初に決断を下すのは、どの消費者ブランドだろうか。その見返りは長期的な安定だけではない。行動を起こした直後から、メディアに肯定的に取り上げられるだろう。

中国政府の圧力も大きなダメージも承知で、中国にとどまるかどうか。7.9%という成長率をもってしても、そうしたリスクを相殺することはできない。

(編集部注:H&Mとナイキは新疆ウイグル自治区産の原材料を自社製品に使わないと声明を発表している)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1596.html#c3

[近代史4] 中国政府による強制不妊と虐待、ウイグル女性が語る「地獄」 中川隆
6. 中川隆[-6173] koaQ7Jey 2021年4月01日 08:07:54 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[13]

ウイグル女性に避妊器具や不妊手術を強制──中国政府の「断種」ジェノサイド
2020年7月8日
エイドリアン・ゼンツ(共産主義犠牲者記念財団・中国研究上級フェロー)
https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2020/07/post-93907.php


<中国政府のウイグル人に対する産児制限は、国連の定めるジェノサイドの定義に該当する>

「達成目標 その1 子宮内避妊器具(IUD)を524人に装着。その2 不妊手術を1万4872人に実施」

これは新疆ウイグル自治区南部に位置する人口253万人のホータン(和田)地区の中心地ホータン市の2019年版家族計画書からの引用だ。隣のグマ県(人口32万2000人)も同年に5970人にIUDを装着し、8064人に不妊手術を実施するという数値目標を掲げている。

中国の少数民族ウイグル人が多く住むこの2地域の当局は、1年間に18〜49歳の女性の14〜34%に不妊手術を実施する目標を掲げた。人口に対する割合では、1998年から2018年までの20年間に中国全土で実施されたよりも多くの不妊手術が計画されたことになる。

新疆ウイグル自治区保健委員会の文書を見ると、ウイグル人が多数を占める南部全域で、2019年と20年にこうした計画が立てられたようだ。

中国西北部の新疆ウイグル自治区では2017年以降、ウイグル人、カザフ人などテュルク系の少数民族が最大で180万人強制収容所に入れられた。これはホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)以降では世界最大規模のマイノリティー排除の暴挙である。亡命ウイグル人らはこの動きを「文化的なジェノサイド(集団虐殺)」と呼ぶ。

文化的どころか紛れもないジェノサイドと言っていい。国連のジェノサイド条約には「集団内の出生を防止することを目的とした措置を課すこと」は集団虐殺に当たると明記されている。私は米シンクタンク・ジェームズタウン財団と共に先月発表した調査報告書で、中国当局が新疆ウイグル自治区でまさにこれに該当する行為を行っている証拠を示した。

強制収容所に入れられていた女性たちが所内で注射を打たれ、その後に月経周期が変わったり、なくなったりしたことを語り始めたのは2018年以降のことだ。収容される前にIUDの装着や不妊手術を強制されたという証言もあった。

公表されたデータを見ると、2018年に新疆ウイグル自治区における人口の自然増加率(出生と死亡の差。移住は含まない)は急減している。

ウイグル文化の中心地であるカシュガル地区とホータン地区の人口の自然増加率は2015年の1.6%から2018年には0.26%と、実に86%も減った。一部のウイグル人地域では、2018年には死亡数が出生数を上回った。2019年には自治区全体の出生率は24%低下し、とりわけ少数民族地域では30〜56%も低下した。一方、中国全土の出生率は2018年から19年にわずか4.2%低下しただけだ。

実際には強制労働が行われているとされる労働教養所(ホータン、2018年) THOMAS PETER-REUTERS
気になるのは、ウイグル人地域の最新の出生率が公表されていないこと。ホータン地区は毎年3月か4月には人口動態の統計を発表していたが、今年は6月末時点で未発表だ。

収容の理由は産児制限違反
カシュガル地区は人口動態統計を公開し始めて以来初めて、今年は出生率と死亡率を発表していないが、前年と比べ人口は減っている。明らかに地区当局は何かを隠そうとしているのだ。自治区内のキルギス人地域であるクズルス・キルギス自治州は最近、今年の人口の自然増加率の目標を発表したが、あきれたことに目標がほぼゼロに抑えられていた。

文化大革命の混乱期でさえ、ほぼ一定していたウイグル人の出生率が急激に減り始めたのはなぜか。何らかの強制力が働いているとみていい。男たちが大量に収容されていることも出生率を下げる要因だろうが、それだけではここまで減らない。

公式文書のデータや文言を付き合わせると、当局による組織的な民族浄化の実態が見えてくる。そのやり方とは、少数民族の出生率を抑え込む一方で、漢族の労働者や入植者の大量流入を奨励する、というものだ。

漢族の当局者や学者は長年、新疆ウイグル自治区における「少数民族の人口の過剰な増加」を危惧してきた。ある学者はウイグル人の人口増加率が高いために自治区内の民族隔離が進み、「特定の民族集団が特定地域の占有権を主張するようになる」と警告している。そうした主張は「中華民族のアイデンティティーと国家の統合を弱め、統治と安定を揺さぶる」危険性があるというのだ。

とはいえ、産児制限を強制する当局の試みは必ずしも成功しなかった。潮目が変わったのは2017年だ。前年に自治区トップに就任した陳全国(チエン・チユエングオ)の方針でウイグル人の大量収容が実施され、強制の下地が整った。私の調査では、収容されたのは主に一家の家長だ。家長を連行すれば、当局は残った妻や娘に不妊手術を強制できる。

2月にリークされたホータン地区カラカシ県の文書「カラカシ・リスト」には収容された数百人の収容理由が書かれている。驚くことに最も多い理由は産児制限違反だ。それも自治区で定められた数より1人多く子供を儲けただけで収容されたケースが多い。また、産児制限違反が唯一の収容理由である人も多かった。

その一方で、中国では2016年に一人っ子政策が廃止され、人口増加を維持するため2人の子供を持つことが推奨されている。出生率を押し上げるために、税制上の優遇措置を講じたり、結婚や出産に奨励金を交付する省もある。

カラカシ・リストによると、産児制限違反を理由に収容されたウイグル人は、2018年春に急増している。ちょうどその頃、新疆ウイグル自治区の複数の地区で、産児制限違反を厳格に取り締まるルールが発表された。3つの県級市では、違反者は収容所に送られることを明記している。

カラカシ県の2018年の政府活動報告には、「産児制限違反を厳しく抑制した」結果、「出生数と自然人口増加率は劇的に低下した」とある。2016年から2年間で、同県の自然人口増加率は83%も低下したという。

だが、産児制限違反者を収容所送りにすることは、少数民族の出生率を抑制する戦略の1つにすぎない。第2の戦略は、IUDの事実上の装着強制だ。

ジェノサイドの定義に合致
2018年、中国で行われたIUD装着手術の80%が新疆ウイグル自治区で行われた。2019年までに、南部の4つの自治州では、出産年齢人口(18〜49歳)の女性の80%に、「長期的に効果のある産児制限措置」を施す計画をまとめた。ある自治州では、保健当局が認める診断書で医学的なリスクが証明された女性以外は、「ただちに」IUDを装着させなければならないという声明が出された。

だがすぐに、第3の、最も過酷な産児制限措置が施行されるようになった。不妊手術だ。

ごく最近まで、新疆ウイグル自治区では不妊手術はめったに行われなかった。住民の大多数を占めるイスラム教徒の宗教感情に配慮してのことだ。だが、国が一切の宗教活動を迫害し始めると、そのタガも外れた。2018年には中国全体より7倍も多く不妊手術が行われた。

2019年に刑務所や強制労働施設に送られる男性が増えると、大規模な不妊手術強制キャンペーンが始まった。「無料家族計画技術支援サービス」なるこのプロジェクトが、とりわけ積極的に展開されたのが新疆ウイグル自治区南部の州だった。

その目的は、これらの州の2020年の出生数と人口増加率を、2016年のレベルよりも「少なくとも」0.4%下げること。無料の「産児制限手術」には、IUDの装着や人工妊娠中絶、不妊手術が含まれる。そのために2019〜20年の2年間で2億6000万元(約39億円)が投じられた。

具体的には、子供が2人以下の女性の一部と、子供が3人以上いる女性の多くまたは全員に不妊手術を施すことが目標だ。ウイグル人が大多数を占めるある県は、3人以上の子供がいる女性に不妊手術を施すことを、2019年の政策目標に掲げている。

中国の2010年の公式統計によると、3〜4人の子供を持つウイグル人女性は中国全体に約20%、ウイグル人が大多数を占める地域では36.1%とされている。もしかするとホータン市が、不妊手術の実施目標を34.3%と定めたのは、この統計に由来するのかもしれない。

新疆ウイグル自治区では2019年と20年、子供が2人以下(つまり中国の法律ではもう1人持つことができる)の女性が、自発的にIUD装着手術または不妊手術を受けた場合、報奨金を支払うために、15億元(約228億円)の予算を組んだ。

自治区全体の「無料家族計画サービス」の予算と、地元の予算を合わせると、南部地域では18〜49歳の既婚女性の約12%(約20万人)に不妊手術を施せる資金が確保された。さらに少なくとも1つの自治州は、国からも補助を受けているから、さらに多くの女性が「無料キャンペーン」の対象になる恐れがある。

こうした措置とIUD装着を組み合わせれば、中国政府はウイグル人の自然人口増加率を、過去20年間の85〜95%程度に維持できるだろう。新疆ウイグル自治区は、「産児制限違反ゼロ」を掲げる。つまり国の意に反して生まれる少数民族の子が1人もいないようにするというのだ。

新疆ウイグル自治区は、中国政府の猛烈な同化政策の対象にもなっている。近隣地域から漢族(特に35歳以下の若い家族)を大量に移住させて、少数民族の文化的・人種的な希薄化を図っているのだ。2015〜18年に新疆ウイグル自治区に移住してきた漢族は200万人にも上る。地域当局は、漢族男性とウイグル人女性の結婚も奨励している。

こうした事実は、中国政府が国連の定めるジェノサイドの定義の1つである「集団内の出生を防止する措置」を取っている証拠だ。今こそ国際社会は、断固たる対応を取らなくてはならない。

From Foreign Policy Magazine

<本誌2020年7月14日号掲載>

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/985.html#c6

[番外地9] 韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析 中川隆
2. 中川隆[-6172] koaQ7Jey 2021年4月01日 08:34:20 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[14]
韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析
 最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。


▲△▽▼

朝鮮半島の歴史

櫛目文土器時代

朝鮮の新石器時代(朝鮮語版)は約1万(中石器を含む場合)-8000年前から始まり、新石器時代の主要な指標となるものは、磨製石器と櫛目文土器に代表される土器である。こうしたものは主に海や川の岸辺にこの時代の家を造り暮らしながら漁労や狩りをし、新石器時代後期になると初期の農耕段階に転換するところもあった。また石鍬と石犁で畑を耕し、石鎌で穀物ばかりか穂を刈り挽き石で挽き皮を剥ぎ粉にして食べた。

朝鮮半島において、櫛目文土器は6000年前から現れるようになる。最古の櫛目文土器は遼河文明から発見されており[4]、当時の朝鮮半島はウラル系民族(ハプログループN (Y染色体))が担う遼河文明圏[5]にあったことが示唆される。


無文土器時代
朝鮮の青銅器時代(朝鮮語版)は銅と錫または亜鉛を少しずつ混ぜて作った青銅器を使用した時代である。この時代には一般的に無文土器と孔列文土器が主に用いられた。新石器時代のように石鍬を使用して田畑を開墾して穀物を植え、半月状の石刀で収穫した。

水稲栽培をもたらしたハプログループO1b2 (Y染色体)が江南より到達したと考えられる[6]。

日本の弥生人は無文土器文化人だというのが定説だ:

雑記帳 2020年11月27日
韓国釜山市の6000年前頃の人類のDNA解析
 最近ネットで、朝鮮半島には「縄文人」がいた、というような主張を見かけます。確かに、縄文時代の九州と同時代の朝鮮半島との交流が考古学で明らかになっているので(関連記事)、「縄文人」が朝鮮半島に渡ったとしても不思議ではありません。こうした主張那主要な元ネタの一つとして、韓国釜山市の加徳島で発見された6000年前頃の人類のDNA研究があるようです。日本語記事によると、その研究に関わった一人である篠田謙一氏は公開シンポジウムで、この6000年前頃となる加徳島人集団が日本列島に到来したならば、(縄文人と)混血せずに現代(本土)日本人になる、と述べたそうです。

▲△▽▼


篠田謙一の学説の変化

篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」

弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)
篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」

_____

シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。
「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/209.html#c2

[番外地9] 天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨 中川隆
1. 中川隆[-6171] koaQ7Jey 2021年4月01日 09:05:31 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[15]
天皇家の中国鏡を神体とする太陽信仰と天孫降臨
従来 弥生人と言われていた民族も弥生前期は長江系 chousen 人、後期は 漢民族系 c house n 人で、完全に別民族です。

天皇一族は弥生時代後期に北九州に植民市を作り c house n との交易に従事し、漢文を書き、高価な中国製の鏡を大量に持って居たので、勿論 漢民族系 c house n 人です。

漢民族の天皇一族が日本を乗っ取った手口

天皇一族は c house n を追われて日本に移民して以降

中国華北 → kan国ソウル
→ 福岡県伊都国 → 日向、大和 、丹後 → 北九州、瀬戸内、畿内
→ 沖縄、北海道・東北北半分を除く日本全土

の順に支配地域を広げて行った様です。

▲△▽▼

天皇のルーツが渡来系である可能性は昔から指摘されています。

これは近代国家の枠組みから外れるために、社会一般にも研究者間でもある種のタブー、
として扱われていた事は、昭和の時代から存在していました。
例としては、天皇家の埋葬が土葬で、chousen 式の埋葬法で古墳と似て山のような
盛り土である事は知られています。
古い時代の古墳が調査禁止となっているのは、そこから物的証拠が出てくるからです。

民俗学的考古学的に調査を行った話としては、天皇のルーツはchousen 半島の38°線付近の

小さな集落に、風習がとても似た村があると指摘されていて、それらは紛争地帯である
ために容易に近づく事は出来ないだろう、同行した当時KCIA局員の話としては、
そうした天皇の由来について何らかの事情を知っていたらしく、意見を聞かれ
「知らない方が良いこともあるのだ」と答えたという研究者の話が伝わっています。

この話はあるメディアに流れました。

▲△▽▼

現時点でわかっている事を纏めると

・chousen で長江の稲作民と縄文人に似た民族が混血して現代日本人と全く同じ遺伝子の日本語を話す無土器文化人になる

・chousen の無土器文化人(弥生人)が北九州に移民して水田農耕を始める

・ソウルに居た漢民族の天皇一族が北九州に移民、植民都市の伊都国を作って朝鮮と交易する

・神武東征・倭国大乱 → 天皇一族が日向・大和・丹後に天孫降臨、縄文勢力をジェノサイド

・ヤマトタケルの東征 → 関東の縄文勢力をジェノサイド

・坂上田村麻呂の蝦夷征伐 → 東北の縄文勢力をジェノサイド

・10世紀に沖縄へ日本人大量入植 → 沖縄の縄文勢力をジェノサイド

・10世紀に西表島・石垣島へ日本人大量入植 → 西表島・石垣島に先住していた台湾先住民をジェノサイド


信仰対象によってどの民族か簡単に判別できます:

縄文人
蛇信仰、巨木・磐座に神が降りる、死んだら円錐形の山からあの世に上がる

長江人
鳥信仰、集落の入り口に鳥居を設ける

c house n からの漢民族系渡来人
中国鏡を神体とする太陽信仰

▲△▽▼

天皇家は漢民族で百済語を話していた、
弥生人(chousenの無土器文化人)は日本語を話していた、
縄文人はアイヌ語を話していた。

ヤマトの英雄 ヤマトタケル(=関西チョx) 坂上田村麻呂(=百済出自の在コリ)
ヤマトの神 スサノオ(=韓神)
ヤマトの姫 卑弥呼(=chousen系シャーマン)
ヤマトの王 桓武天皇(=母ちゃんが百済人)
ヤマトの信仰 稲荷神(=渡来系の秦氏が広める) 仏教(=百済から伝来)
ヤマトの食 水稲・米(=chousen半島から伝来)
ヤマトの家 寺・神社(=渡来人の建築)
ヤマトの墓 支石墓(=chousen半島から伝来)
ヤマトの美人 飛鳥美人(=高句麗婦人)
ヤマトの名字 佐藤(=O1b2の藤原氏由来)
ヤマトの国史 日本書紀(=百済人の編纂)
ヤマトの言語 宮廷語(=百済人の王仁が伝える)
ヤマトの天 高天原(=chousen半島)

半島出身のスメラ尊の和風諡号にはかならず「天」がつく。
書紀で「天」は chousen 半島を指すのだ。
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/272.html#c1

[近代史3] 美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか? 中川隆
88. 中川隆[-6170] koaQ7Jey 2021年4月01日 09:15:44 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[16]
77 7
小和田家は三代前は遡れない家系。本当に日本人なのかも分からない。
徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早く、雅子さんというハニートラップを仕掛けられていた。
ドス子Wikiコルマール
その結婚後、「もういやだ」「離婚したい」と涙を流す出来事があったそうな。

ドス子wikiさんより
2004年4月佐賀県吉野ヶ里公務にて徳仁が泣き出す事件目撃情報(他スレからの転載)

Part44-535 名前: 可愛い奥様 04/04/25 11:43 ID:E3sMe2/9
昨日佐賀に皇太子が来たんだよ
吉野ヶ里ってとこがあるんだけど、そこで式典があって、その最中に鼻をすすりだし、突然涙をぬぐい出した。
理由はもちろんわかんね。鼻炎とかかもしれないけど、突然泣き出したから、まわりは驚いてた。


660 :名無しさん@4周年 :04/04/25 11:34 ID:GHTsS4cY
いまさら学生時代や外務省時代のデキなんてどうでもいいだろ。

そんなことよりよ、おまいら知らねえと思うけど、昨日の公務ですごいことがあったぞ。
なんと、皇太子が突然泣き出すハプニングがあったんだよww
泣き出したと言っても軽くだけどな。でもびっくりしたよ。
俺はそばで見てたんだけどさ。さすがにまわりがどよめいたよ。


2004年4月は、雅子が愛子を連れて軽井沢小和田家別荘に立て篭もっていた時期。その頃両陛下との夕食会後にも徳仁が母美智子さまの手をとり涙を流したという事件が発生したともマスコミ記事になっている。


参考:『週刊新潮』2005/5/4号<雅子さま深夜の帰宅事件と皇太子殿下が御所で泣いた夜>
参考:徳島新聞2009年2月27日<共同通信社社会部長・宮城孝治氏講演 平成皇室の光と陰『公あっての私』考え方の違い 両陛下ら苦悩>記事

徳仁「もういやだ」「離婚したい」涙の疑惑事件

Part373-374 名前:可愛い奥様 :2006/02/17(金) 23:38:34 ID:Ac69Mvpj
彼が「もういやだ」と泣いたのは本当

   「離婚したい」と言ったのも事実

その後の流れは全てここから始まっている
泥酔状態での発言だが


創価学会の信者  
雅子さんが元々信者だったことから改宗させられたのか、韓国に「歴史を学ぶ人として、過去を反省した上で良い関係が築かれることを願う」(2018年3月19日) https://japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=239728&servcode=A00§code=A10&cloc=jp

などと、皇族でありながら、政治に口出し、日本を売る発言をしてしまう。赤い皇族である。

中共、創価の操り人形のようです。
こんな黒い人物は、天皇に相応しくありませんね。日本国民の力で、次代に代わって頂きましょう。

皇民の力はめっちゃ大きいんやで

(徳仁さん事件)
・泌尿器疾患で、プチエンジェル事件の小児性愛顧客名簿に名前があって、ヤフオク事件の犯人疑惑(ほぼ確定)で、創価信者の徳仁さんは、天皇をご辞退ください。菅総理応援しています。
https://nipponwomamoru.at.webry.info/201901/article_4.html

▲△▽▼

「アルザスの恋」
フランス東部アルザス地域圏の一地方都市。浩宮徳仁親王と小和田雅子が昭和59年(1984年)に出会っていたという説がある土地である。徳仁と雅子の公式に認められている初めての出会いは昭和61年(1986年)10月18日のスペイン・エレナ王女歓迎レセプションパーティーであり、それより2年も早いことになる。

昭和天皇を始めとする千代田関係の人々から皇太子妃としては不可と判断が下されていた小和田雅子に、何故徳仁が強い執着を見せたのか? それはコルマールで彼がハニートラップに嵌められていたからでは、とする説も2ちゃんねるあたりで囁かれている。

週刊ポスト1989・7・7号 スクープ:
•2度にわたるフランス国内旅行

 ヨーロッパ・アルプスには、モンブラン、アイガー、マッターホルンといった世界有数の高山が集まっている。フランスからスイス、イタリア、ドイツを経てオーストリアにまたがるこの山脈は、その山麓に多くのリゾート地を持っている。

 なかでもイタリア国境にほど近いフランス・サボア地方の小村、メリベルは、最高級リゾート地として知られている。ここは、ヨーロッパの王室関係者や政治家、映画スターといった著名人が集うことでも有名だ。

 これまでほとんど日本に紹介されることのなかったこのリゾート地のメリベルで、五年前、日本人の一団がクリスマスを過ごしていた。その一団とはオックスフォード大学マートン・カレッジに留学中の浩宮、現在の皇太子徳仁とその一行である。

 当時この旅行は、皇太子のプライベートなスキー旅行としか発表されなかった。しかし、このプライベート旅行に関与したある関係者は、単なるスキー旅行ではなかったという。

「これはまったく知られていない事実なんですが、この旅行のなかに皇太子殿下のお妃選びにおける重大事実が隠されているんですよ」

 と前置きして、この人物はこう語り始めた。

「メリベルでの皇太子殿下は心行くまでスキーを楽しまれ、岩肌が見えている危険なところも、大胆に滑られた。われわれ日本人関係者が心配するほどでした。

 そういう意味では、間違いなくスキー旅行だったのですが、実はこの時、一行の中に殿下の意中の女性――日本でもその後、最有力妃候補としてとりざたされた小和田雅子さんが参加していたんです。しかも、この年、殿下はフランス国内を二度に渡って小和田さんを伴って旅行しているんです」

 一瞬、耳を疑うほどの証言である。

 ある皇室関係者が語る。

「この旅行をきっかけに皇太子殿下の小和田さんに対する思いが募るようになったのです。つまり“恋心”を抱かれたのです。その後、小和田さんをひとりで東宮御所に招いたり、たいへんな気の入れようでした。皇太子妃がなかなか決まらないのは、いまでも殿下が小和田さんに強い思いを抱いているからに他ならないんです。

 もし、87年の昭和天皇の体調急変がなかったら、おそらく小和田さんは7月には留学されず、いまごろ成婚は実現していた可能性もあります」

 皇太子の小和田さんに対する“思い”を決定づけた、この84年の二度にわたるプライベート旅行の“内容”は、前出の関係者によると次のようになる。その内容を見ると、この旅行が皇太子妃選びにおいて、重要なウエートを占めているかがよくわかる。

(1)12月のスキー旅行は、クリスマスと新年をメリベルで過ごし、9月の旅行は主にアルザス地方のワイン街道に沿った小都市を回る旅だった。

(2)旅行には、小和田さん以外に中年女性も加わっていた。

(3)この二回の旅行で、皇太子と小和田さんは、互いの価値観や意志を確かめあった。

 まさに、関係者しか知りえない詳細さといえよう。

 日本で一般公開された資料や報道を調べうる限り調べた結果、この9月、12月の二度にわたるプライベート旅行については、『朝日新聞』が12月の旅行についてのみベタ記事で報じているにすぎなかったことが判明している。

 公にされていない、関係者のみが知りえる旅行スケジュール――。五年前にとりおこなわれたこの極秘旅行に、本当に小和田さんは同伴していたのか。そのあとを実際に歩き、足取りを追跡することにした。すると、そこには実に、衝撃的な事実が待受けていたのである。

つまり皇太子さま、雅子さんにハニートラップにひっかかったというわけ。
http://blog.livedoor.jp/remmikki/archives/4696237.html

大好きネコ
wikiを見てみろ。
江戸時代まで遡れるぞ。
間違ってるなら指摘してみろ。

77 7
これ読んで:

明治維新は田布施の chousen人 による日本の乗っ取り
明治以降の天皇は田布施の李朝王朝の関係者だった:

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

【田布施システム】朝鮮系に乗っ取られた日本の裏歴史! 歴代首相を生み出す謎の村「田布施」を専門家が徹底解説!
https://tocana.jp/2019/12/post_130392_entry.html

Ken Kong
雅子はイスラエル人の彼氏がいたんじゃなかったっけ?
オランダ王室はいまだにしつこく女系天皇を受け入れさせようとしてるね。
日本解体はシオニズムとナチズムによる世界征服には、とても重要な攻略ポイントだからね。

77 7
CIAは雅子様を皇后にする為に、雅子様の恋人をイラクに左遷して、事故死に見せかけて Xしたんだよね

雅子妃|男性遍歴Aイラクで非業の死を遂げた奥参事官。英紙が二人の親密の中を暴露
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/2016/11/21/2016112120161121000000/

今日は、雅子の男性遍歴Aです。

その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。

英紙はすかさず、「犯人は不明だが(米軍による)忙殺の可能性もある。

亡くなった奥参事官は、現在皇太子妃となっている雅子妃と昔から親密な仲だった」と報じました。

また出てきましたね〜(笑)

男性遍歴(笑)

しかも今度は妻子持ちだから立派な不倫ですね(笑)

いったい過去何人の男と関係を持ったんだ(怒)

当ブログで扱った中では、はっきりと名前が出ている二人だけです。

他にも東大の同級生で、一緒にオクスフォードに留学したT氏なる人物も留学中の交際も報じられていますが、名前もわからないので検証する方法がありません。きっと当ブログで把握した日本人、外国人を問わず男性経験の実際は倍の人数ぐらいあるのでしょう。

おまけに、彼女は、奥氏の死をきっかけに、主治医から、【適応障害】の診断書を引き出し、翌年の皇太子の【人格否定発言】以後、一切の公務を拒否するようになりました。


奥参事官と小和田雅子さんは、恋人同士であった。

当時、奥参事官の銃撃事件は、米軍によるものと確信していたけれど、その動機までは分からなかった。

> 「銃撃直後に米軍車列」の重大証言 ◆

 しかも、この店主の証言として共同通信が驚愕すべき内容を送っているのだ。

 「畑に突っ込んだ車のすぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」
 この証言は重要だ。

 だだっ広い4車線の道路で銃撃があったのに米軍車両はそのまま通過したことになる。
しかも、現地警察によれば、畑に突っ込んだ車や遺留品はすべて米軍が回収してしまったという。

 また、外務省によれば紛失した奥参事官らのパスポートは後になって米軍が「地元有力者から取り返した」と言って返却したという。

http://eritokyo.jp/independent/nagano-pref/aoyama-col31.html


暗殺が真相であったならば、相当な人数と手間、それに費用がかかっているはずだ。

米軍と言っても、関わっているのは、この暗殺だけの特殊任務を行うコマンドであろう。

日本人も、関わっていたのは、確実だ。

天皇の深い闇は、アングロサクソンの深い闇とつながっている。

近衛が失敗したのは、その闇の深さを読み違えたことにある。

奥参事官の暗殺を計画し実行した張本人は、だれであろう?

考えただけで、身震いがして、嫌悪感が止まらない。

Ken Kong
今はわかりませんが、10年前まで雅子の母はまだオランダに住んでいて、現地日本人会のシルバーネットという会の会員でした。俳句に夢中でしたね当時の彼女は。この会の新年会は下手くそな日本語を話す中国人が司会をしたり、粗品は学会のカレンダーだったりです。オランダは中国による日本乗っ取りを推進している国でもあり、現地の日本商工会議所は在日朝鮮人に管理させていたり、学会繋がりの会社が多かったりと、かなり日本潰しに力を入れている超シオニスト/ナチス国家であります。

https://www.youtube.com/watch?v=6JWnybtqIyg&lc=Ugy-YwL_c8xFMmYK7dp4AaABAg.9LYVRJSmvPV9LZwG7HyM7k
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html#c88

[近代史5] 金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる 中川隆
2. 中川隆[-6169] koaQ7Jey 2021年4月01日 10:06:55 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[17]
新型コロナの世界的流行で経済が深刻な景気後退に陥ったことで、各国は金融緩和と現金給付などの財政出動を行なった。しかしリーマンショックの倍ほどの経済危機を資金注入で無理矢理持ち上げようとすると副作用が生じる。紙幣を刷り過ぎたためアメリカでは物価高騰の初期症状が見られている。

金融市場では物価上昇に先んじて貴金属や農作物などのコモディティ資産が高騰しているのは去年より報じている通りである。紙幣の価値が下がることが懸念されているため、紙幣を紙幣以外の何かに取り替えることが流行しているのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13062


紙幣を刷ったところでものが増えるわけではない。人々は政府から現金が入金されて喜んでいるが、日用品の物価の上昇が止まらなくなってようやく我に返るだろう。インフレを避けるため、海外の投資家はコモディティを買い漁るだろう。個人投資家が貴金属や農作物に投資する方法もある。


インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
2021年3月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
2021年3月31日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098

2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
2021年3月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

物価高騰を恐れない日米欧、インフレ政策から逃げ始めたイングランド銀行
2021年3月4日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12763

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
2021年2月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12322

ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
2021年2月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12182

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
2020年3月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
2021年1月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html#c2

[近代史4] インフレで起きる事 中川隆
16. 中川隆[-6168] koaQ7Jey 2021年4月01日 10:07:27 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[18]
新型コロナの世界的流行で経済が深刻な景気後退に陥ったことで、各国は金融緩和と現金給付などの財政出動を行なった。しかしリーマンショックの倍ほどの経済危機を資金注入で無理矢理持ち上げようとすると副作用が生じる。紙幣を刷り過ぎたためアメリカでは物価高騰の初期症状が見られている。
金融市場では物価上昇に先んじて貴金属や農作物などのコモディティ資産が高騰しているのは去年より報じている通りである。紙幣の価値が下がることが懸念されているため、紙幣を紙幣以外の何かに取り替えることが流行しているのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13062


紙幣を刷ったところでものが増えるわけではない。人々は政府から現金が入金されて喜んでいるが、日用品の物価の上昇が止まらなくなってようやく我に返るだろう。インフレを避けるため、海外の投資家はコモディティを買い漁るだろう。個人投資家が貴金属や農作物に投資する方法もある。


インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
2021年3月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
2021年3月31日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098

2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
2021年3月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

物価高騰を恐れない日米欧、インフレ政策から逃げ始めたイングランド銀行
2021年3月4日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12763

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
2021年2月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12322

ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
2021年2月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12182

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
2020年3月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
2021年1月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c16

[番外地9] 戦後の日本経済史 _ 日本のデフレは高度成長期みたいに輸出で稼げなくなったのが原因 中川隆
1. 中川隆[-6167] koaQ7Jey 2021年4月01日 10:21:08 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[19]
日本のデフレは高度成長期みたいに輸出で稼げなくなったのが原因だよ、輸出が増やせない限りデフレからは永遠に脱却できない、財政出動や公共事業をやっても貧富の格差が大きくなるだけで無意味だ:

戦後の日本経済史
・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償金請求を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから 売り攻勢をかけ7000円台まで暴落させるのに成功した。 外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

▲△▽▼

金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる

新型コロナの世界的流行で経済が深刻な景気後退に陥ったことで、各国は金融緩和と現金給付などの財政出動を行なった。しかしリーマンショックの倍ほどの経済危機を資金注入で無理矢理持ち上げようとすると副作用が生じる。紙幣を刷り過ぎたためアメリカでは物価高騰の初期症状が見られている。
金融市場では物価上昇に先んじて貴金属や農作物などのコモディティ資産が高騰しているのは去年より報じている通りである。紙幣の価値が下がることが懸念されているため、紙幣を紙幣以外の何かに取り替えることが流行しているのである。

紙幣を刷ったところでものが増えるわけではない。人々は政府から現金が入金されて喜んでいるが、日用品の物価の上昇が止まらなくなってようやく我に返るだろう。インフレを避けるため、海外の投資家はコモディティを買い漁るだろう。個人投資家が貴金属や農作物に投資する方法もある。


▲△▽▼

ハイエクvsケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション https://www.youtube.com/watch?v=lEe7KCshrec

ニューディール政策は失敗だった
https://www.youtube.com/watch?v=rz9-7V-c9H4

ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜 https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

英国IMF危機〜しくじり財政破綻〜【英国病・福祉国家の末路】
https://www.youtube.com/watch?v=QE83IQM2SfY

経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。 本当にそうなのでしょうか? 解説しました。


インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
2021年3月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
2021年3月31日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098

2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
2021年3月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

物価高騰を恐れない日米欧、インフレ政策から逃げ始めたイングランド銀行
2021年3月4日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12763

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
2021年2月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12322

ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
2021年2月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12182

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
2020年3月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
2021年1月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/269.html#c1

[番外地9] 戦後の日本経済史 _ 日本のデフレは高度成長期みたいに輸出で稼げなくなったのが原因 中川隆
2. 中川隆[-6166] koaQ7Jey 2021年4月01日 10:21:57 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[20]
日本のデフレは高度成長期みたいに輸出で稼げなくなったのが原因だよ、輸出が増やせない限りデフレからは永遠に脱却できない、財政出動や公共事業をやっても貧富の格差が大きくなるだけで無意味だ:

戦後の日本経済史
・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償金請求を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから 売り攻勢をかけ7000円台まで暴落させるのに成功した。 外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

▲△▽▼

金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる

新型コロナの世界的流行で経済が深刻な景気後退に陥ったことで、各国は金融緩和と現金給付などの財政出動を行なった。しかしリーマンショックの倍ほどの経済危機を資金注入で無理矢理持ち上げようとすると副作用が生じる。紙幣を刷り過ぎたためアメリカでは物価高騰の初期症状が見られている。
金融市場では物価上昇に先んじて貴金属や農作物などのコモディティ資産が高騰しているのは去年より報じている通りである。紙幣の価値が下がることが懸念されているため、紙幣を紙幣以外の何かに取り替えることが流行しているのである。

紙幣を刷ったところでものが増えるわけではない。人々は政府から現金が入金されて喜んでいるが、日用品の物価の上昇が止まらなくなってようやく我に返るだろう。インフレを避けるため、海外の投資家はコモディティを買い漁るだろう。個人投資家が貴金属や農作物に投資する方法もある。


▲△▽▼

ハイエクvsケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション
https://www.youtube.com/watch?v=lEe7KCshrec

ニューディール政策は失敗だった
https://www.youtube.com/watch?v=rz9-7V-c9H4

ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜 https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

英国IMF危機〜しくじり財政破綻〜【英国病・福祉国家の末路】
https://www.youtube.com/watch?v=QE83IQM2SfY

経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ

今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。 本当にそうなのでしょうか? 解説しました。


インフレ相場で個人投資家でもコモディティに投資する方法
2021年3月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

止まらないインフレ、米国で住宅価格が暴騰中
2021年3月31日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/13098

2月の米国インフレ率は4.3%、追加現金給付で更に加速へ
2021年3月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

物価高騰を恐れない日米欧、インフレ政策から逃げ始めたイングランド銀行
2021年3月4日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12763

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
2021年2月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12322

ドラッケンミラー氏が物価高騰を予想、米国債を空売り、コモディティを爆買い
2021年2月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12182

レイ・ダリオ氏、「現金がゴミ」になったニクソンショックの経験を語る
2020年3月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
2021年1月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/269.html#c2

[番外地9] 戦後の日本経済史 _ 日本のデフレは高度成長期みたいに輸出で稼げなくなったのが原因 中川隆
3. 中川隆[-6165] koaQ7Jey 2021年4月01日 10:25:36 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[21]
日本のデフレは高度成長期みたいに輸出で稼げなくなったのが原因だよ、輸出が増やせない限りデフレからは永遠に脱却できない、財政出動や公共事業をやっても貧富の格差が大きくなるだけで無意味だ:

戦後の日本経済史
・一億総中流社会 → GHQ は日本共産党と労働組合を合法化、農地解放、意図的なインフレ政策・預金封鎖で富裕層の資産を奪い貧困層に分配した

・自民党による一党独裁 → 農地解放で農地をタダ同然で手に入れた小作人・貧農全員が自民党を支持したので自民党以外の政党は政権を取れなくなった

・chouse 戦争・ベトナム戦争 → 日本はアメリカの侵略戦争に加担、戦争特需でぼろ儲けして GDP 世界第二位の超大国になる

・日中国交正常化 → 中国に技術援助すると持ち掛け、中国の日本への戦争賠償金請求を放棄させた

・プラザ合意 → 日本からの膨大な輸入でアメリカ経済が崩壊したので、日本に政治的圧力をかけ超円高にして日本からの輸入を減らそうとした

・平成バブル崩壊 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA は先物取引・オプション取引、金融工学の研究をした。 ソロモン・ブラザーズ証券は裁定取引を使って日経平均株価を38,915円まで上げてから 売り攻勢をかけ7000円台まで暴落させるのに成功した。 外資はインサイダー情報を使って日本株を底値で爆買い、日本株の3割、株取引の7割は外資になった。

・中国経済・kan国経済の躍進 → 日本の凄まじい経済侵略を恐れた CIA はアメリカの製造業をすべて中国に移転させ、中国の元とkan 国のウォンを意図的に通貨安にして、日本の輸出を壊滅させた

・迂回輸出 → 日本からアメリカに直接輸出するのではなく、組み立てだけ中国・kan国の工場で行って、中国製品・kan国製品として迂回輸出して稼ぐ様になった

・中国の環境破壊 → 日本企業の中国工場では猛毒化学物質が含まれる汚染水や煙をそのまま垂れ流している。中国では飲料水や農業用水にも水銀・鉛が含まれ、人間が住めない土地になってしまった。

・中国・kan国の反日運動 → 日本企業の中国工場では中国人従業員をタダ同然で酷使、日本企業のロリコン社員は毎晩10歳以下の女児と xxx しまくったので、中国人の怒りを買って反日暴動が頻発した

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金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる

新型コロナの世界的流行で経済が深刻な景気後退に陥ったことで、各国は金融緩和と現金給付などの財政出動を行なった。しかしリーマンショックの倍ほどの経済危機を資金注入で無理矢理持ち上げようとすると副作用が生じる。紙幣を刷り過ぎたためアメリカでは物価高騰の初期症状が見られている。
金融市場では物価上昇に先んじて貴金属や農作物などのコモディティ資産が高騰しているのは去年より報じている通りである。紙幣の価値が下がることが懸念されているため、紙幣を紙幣以外の何かに取り替えることが流行しているのである。

紙幣を刷ったところでものが増えるわけではない。人々は政府から現金が入金されて喜んでいるが、日用品の物価の上昇が止まらなくなってようやく我に返るだろう。インフレを避けるため、海外の投資家はコモディティを買い漁るだろう。個人投資家が貴金属や農作物に投資する方法もある。


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2021年3月15日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12900

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2021年3月31日 GLOBALMACRORESEARCH
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2021年3月13日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12880

物価高騰を恐れない日米欧、インフレ政策から逃げ始めたイングランド銀行
2021年3月4日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12763

ジム・ロジャーズ氏: 日本は買い、コモディティはほぼ全部上がる
2021年2月18日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12322

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2021年2月8日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12182

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2020年3月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/9645

ハイエク: インフレ主義は非科学的迷信
2021年1月24日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/11992

ハイエク: 政府から通貨発行の独占権を剥奪せよ
2021年1月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12051

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今、ネットで話題になっているのが「政府支出が増えると経済成長する」というもの。 本当にそうなのでしょうか? 解説しました。

経済成長ってなに?【政府支出が増えると経済成長する?】
https://www.youtube.com/watch?v=C12Mllv1nbQ

ハイエクvsケインズ・完結編〜経済学を変えた世紀の対決〜ケインズの遺したスタグフレーション https://www.youtube.com/watch?v=lEe7KCshrec

ニューディール政策は失敗だった
https://www.youtube.com/watch?v=rz9-7V-c9H4

ナチスドイツの経済政策【ヒトラーはドイツ経済を救った?】〜しくじり財政破綻〜 https://www.youtube.com/watch?v=hsFvF1XxA0k

英国IMF危機〜しくじり財政破綻〜【英国病・福祉国家の末路】
https://www.youtube.com/watch?v=QE83IQM2SfY
http://www.asyura2.com/21/ban9/msg/269.html#c3

[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
5. 中川隆[-6163] koaQ7Jey 2021年4月01日 11:16:34 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[24]
「22才の別れ」と「なごり雪」の謎 2016-02-05
https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html


どちらとも万人が認める名曲です。
「22才の別れ」は”風”、「なごり雪」は”イルカ”が唄ったシングル盤が有名です。
両曲とも「かぐや姫の伊勢正三」の作詞・作曲によります。
楽曲としての最初の発表は”かぐや姫”の4枚目のアルバム「三階建の詩(さんかいだてのうた)」の中です。


●アルバム「三階建の詩」  左から山田パンダ・南こうせつ・伊勢正三




「三階建の詩」は1974年3月の発売です。 ”かぐや姫”は前年1973年の「神田川」で大ブレークしています。
”南こうせつ”は「3人全員が平等に曲作りに参画した新しいアルバムを作ろう」と提案します。
それが「三階建の詩」です。”三階建”とは”三人で作った”と言う意味です。

全12曲の内、三分の一の4曲に”伊勢正三”が絡んでいます。
4曲の中の2曲が「22才の別れ」と「なごり雪」です。
同じ時期に作られました。後から触れますが、この「同じ時期」がポイントです。

「三階建の詩」を発表した1年後(1975年)の4月に”かぐや姫”は解散し、それぞれ独自の活動を開始します。

”伊勢正三”は”大久保一久”と「風」を結成、「22才の別れ」でシングルデビュー。
”伊勢正三”と親交が深い友人の一人に”シュリークス”と言うフォークグループのリーダー”神部和夫”がいました。「かぐや姫」の”山田パンダ”は、以前は”シュリークス”のメンバーでした。
ある日”神部和夫”は”伊勢正三”に頼みました。
「”なごり雪”を女房の唄でシングルカットさせてくれないだろうか?」
”神部和夫”の若き奥さんとは”神部としえ”=”イルカ”です。

こうして2枚のシングルレコードは大ヒットします。
近年、この2曲は歌詞の意味について、「噂」と言うか「謎」が囁かれています。

先にこの2曲を聴いてみましょう。

22才の別れ  you-tube   fujimarumasaさん提供





22才の別れ       作詞・作曲  伊勢正三


あなたに「さよなら」って言えるのは 今日だけ
明日になって また あなたの 暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
わたしの 目の前にあった 幸せに すがりついてしまった


わたしの 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつ みんな 君の 人生だねって言って
17本目からは 一緒に火をつけたのが きのうのことのように
今はただ 5年の月日が 長すぎた春と 言えるだけです

あなたの 知らないところへ 嫁いでゆく 私にとって

ウウウ〜 ウウウウ〜 ウウウウウ〜


一つだけ こんな 私の わがまま 聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで

なごり雪  you-tube   fujimarumasaさん提供




なごり雪         作詞・作曲  伊勢正三


汽車を待つ 君の横で 僕は 時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪は これが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく 

なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
* いま 春がきて 君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

動きはじめた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしてる
君のくちびるが 「さよなら」と 
動くことが こわくて 下を向いてた

時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま
* 繰り返し

君が 去った ホームにのこり 
落ちては 溶ける 雪を 見ていた
* 繰り返し

去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった




2曲とも若い男女の”別れ”を唄っています。
”伊勢正三”ファンの間で囁かれている「謎」とは・・・

「2曲の中で描かれている男女は、同じカップルではないのか?」

同じ別れを「22才の別れ」では彼女が唄い、「なごり雪」では彼氏が唄った。
この様に考えているファンをブログの中で何人か探し出しました。

最初に話したように、この2曲はアルバムの中で同時期に作られています。
よって、”伊勢正三”が2曲の詩でイメージした男女は同じ可能性が高いのです。
男とは”伊勢正三”自身だとする見方をしたブログもありました。

ただ、これらの件に関して”伊勢正三”自身はコメントを出していません。
ファンの各人が独自に想像から浪漫を組み立てて行くしかありません。
先のファンのブログも参考にして、うっちゃんは以下の様に考えました。

「”A太郎”と”B子”の物語」です。


1951年(昭和26年)、”A太郎”は大分県津久見市郊外で生まれました。大分県の片田舎で育った”A太郎”は都会での成功を夢見て勉学に励みます。高校は大分市の有名校「大分舞鶴高校」へ進学。
音楽部(クラブ活動)で活躍していた3年生の時、1学年後輩で同郷(津久見)出身の”B子”と知り合い、お互いに淡い好感を持つようになります。

”A太郎”はエンジニアを目指し、東京の大学の工学部への進学を決めます。
”A太郎”が東京に旅立つ日、”B子”は津久見駅で見送り、「来年、自分も勉強して東京の大学へ行くから」と想いを伝えます。3月の末なのに小雪が降ってました。
”A太郎”が東京に出て来た1969年(昭和44年)は”東京大学本郷キャンパス安田講堂の占拠”など全共闘運動による大学生運動のピークでした。

1960年代後半は学生による”日米安全保障条約”の延長阻止とベトナム戦争反対運動など反米感情の高まりが活発化していました。学生たちは様々なサークル等を拠点として、討論や学習を繰り返しました。その力は大学運営の民主化などを求める闘争ともなり、全国に波及し、安田講堂事件を引き起こしたのです。

そんな中での次の年、”B子”は東京の女子大学の受験に合格し、上京して来ました。
親元からの僅かな仕送りとバイト代だけでの生活は苦しく、お互いに愛を感じた時期を境に、”B子”は”A太郎”の御茶ノ水の下宿で一緒に住むことにしました。
御茶ノ水の下宿の横には神田川が流れていました。

1970年(昭和45年)の”大阪万博”の開催など日本社会が豊かになり、また、1972年(昭和47年)の沖縄返還によって反米感情は薄れて行き、学生達は潮が引くかのように運動から遠のいていきました。

学生運動に染まっていた”A太郎”も気が抜けた毎日を過ごしていました。そこに、先に上京していた大分舞鶴高校の先輩が「一緒にフォークグループをやらないか」との誘い。
”A太郎”は大学を中退し、大好きだった音楽の道に進みます。

エンジニアを目指していた”A太郎”の心変わりに”B子”は少し心配にはなりましたが、彼を信じて応援していました。
高校生の時に知り合った”B子”のそんな純粋な姿に”A太郎”は益々彼女の愛を想い感じるのでした。

”A太郎”と先輩の音楽活動での収入は殆ど無かったが、彼は希望に満ちて前を見つめていました。そんな苦しい生活の中でも、”A太郎”と”B子”は強い愛で結ばれ毎日を過ごしていました。
そして2年の時が経ちました。


”B子”は卒業と共に”A太郎”と別れることになります。
1年前から大分の両親が薦める縁談の話を承諾し、九州の福岡へお嫁に行くことになったのです。
”A太郎”は”B子”がお嫁に行く理由で別れるなんてことは知りません。
”A太郎”は「別れなくてはならない」と言う事実だけが、まだ信じられないのです。

この時代、女性が大学に行く割合は数割で、殆どが中学・高校で仕事に就き、22歳から25歳までにお嫁に行ってました。
”B子”は大学を卒業した時点で適齢期になってました。
「愛があれば何もいらない」と、本気で思ってました。
”B子”の大分の両親は経済的に安定した男性との結婚を強く希望しています。
帰郷する度に、両親は”B子”の幸せな結婚を望んでいることを本人に伝えます。
”A太郎”はと言えば、頭の中は音楽のことでいっぱいで、”B子”との結婚なんて考えたこともありません。

”B子”は”A太郎”を愛しているのに、「結婚して社会生活を営んでいけるのであろうか?」と言う不安と疑問が頭から離れず、悩んでいました。

そして、別れる日の前夜と当日にそれぞれの詩になりました。



”B子”の”A太郎”に対する想い。
「私を愛し続けてくれた日々」=「長すぎた(楽しかった)春をありがとう。」
「貴方の現在の音楽に対する純粋な気持ちを見ていると、私の結婚感とはどうしても一致しない貴方がいるんです」=「わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに・・・」
「貴方とはもう会えない」=「東京で見る雪は これが最後ね」
「私は両親を裏切れない、それと貴方との将来をどうしても描ききれない自分がいるの」=「目の前にあった 幸せに すがりついてしまった」
「でも、私は貴方の純粋な気持ちは好きなのです。貴方がいつの日か成功することを祈っています」=「あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで」


東京駅で見送る時の、”A太郎”が”B子”に対する想い。
「初めて会ったのは君が17歳の時だった」=「17本目からは 一緒に火をつけた」
「僕はいつの時でも君を心から愛していたよ」=「ふざけ過ぎた(楽しかった)季節」
「僕が東京へ行く時、君が見送りに来てくれた。あの時も雪が降っていたことを思い出す」=「君が 去った ホームにのこり 落ちては 溶ける 雪を 見ていた」
「僕は音楽のことばかりに夢中で、しかも君がいつも傍にいてくれたのを当たり前の様に思っていたので、君の女性としての成長に気が付かなかった。ごめんね。今日は、とてもきれいだよ」=「時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま いま 春がきて 君はきれいになった 去年より ずっと きれいになった」
「僕の自分勝手な想いのために、大切なB子を失ってしまった。とても哀しい。」



と言うことで、うっちゃんは2曲の中の男女は同じカップルとします。



”A太郎”が”伊勢正三”の投影かどうかは皆さんの想像にお任せします。
もし、そうだと仮定しましょう。
”A太郎”が先輩(南こうせつ)と組んだグループ(かぐや姫)は数年後に「神田川」と言う曲で大ブレークします。そして、その翌年「三階建の詩」(アルバム)の中で、”A太郎”の「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が発表されたのです。


「神田川」など、いわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれる貧しい生活をする若者を唄った曲がこの時代の特徴です。
自分達が貧しかった想いを詩にした名曲が数多く残っています。
飽食時代である現在のミュージシャンには、実感として書くことが難しいテーマなのかも知れません。


うっちゃんの思い出の一曲


香椎浪漫

https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c5
[近代史3] かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代 中川隆
17. 中川隆[-6162] koaQ7Jey 2021年4月01日 11:17:59 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[25]
「22才の別れ」と「なごり雪」の謎 2016-02-05
https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html


どちらとも万人が認める名曲です。
「22才の別れ」は”風”、「なごり雪」は”イルカ”が唄ったシングル盤が有名です。
両曲とも「かぐや姫の伊勢正三」の作詞・作曲によります。
楽曲としての最初の発表は”かぐや姫”の4枚目のアルバム「三階建の詩(さんかいだてのうた)」の中です。


●アルバム「三階建の詩」  左から山田パンダ・南こうせつ・伊勢正三




「三階建の詩」は1974年3月の発売です。 ”かぐや姫”は前年1973年の「神田川」で大ブレークしています。
”南こうせつ”は「3人全員が平等に曲作りに参画した新しいアルバムを作ろう」と提案します。
それが「三階建の詩」です。”三階建”とは”三人で作った”と言う意味です。

全12曲の内、三分の一の4曲に”伊勢正三”が絡んでいます。
4曲の中の2曲が「22才の別れ」と「なごり雪」です。
同じ時期に作られました。後から触れますが、この「同じ時期」がポイントです。

「三階建の詩」を発表した1年後(1975年)の4月に”かぐや姫”は解散し、それぞれ独自の活動を開始します。

”伊勢正三”は”大久保一久”と「風」を結成、「22才の別れ」でシングルデビュー。
”伊勢正三”と親交が深い友人の一人に”シュリークス”と言うフォークグループのリーダー”神部和夫”がいました。「かぐや姫」の”山田パンダ”は、以前は”シュリークス”のメンバーでした。
ある日”神部和夫”は”伊勢正三”に頼みました。
「”なごり雪”を女房の唄でシングルカットさせてくれないだろうか?」
”神部和夫”の若き奥さんとは”神部としえ”=”イルカ”です。

こうして2枚のシングルレコードは大ヒットします。
近年、この2曲は歌詞の意味について、「噂」と言うか「謎」が囁かれています。

先にこの2曲を聴いてみましょう。

22才の別れ  you-tube   fujimarumasaさん提供





22才の別れ       作詞・作曲  伊勢正三


あなたに「さよなら」って言えるのは 今日だけ
明日になって また あなたの 暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
わたしの 目の前にあった 幸せに すがりついてしまった


わたしの 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつ みんな 君の 人生だねって言って
17本目からは 一緒に火をつけたのが きのうのことのように
今はただ 5年の月日が 長すぎた春と 言えるだけです

あなたの 知らないところへ 嫁いでゆく 私にとって

ウウウ〜 ウウウウ〜 ウウウウウ〜


一つだけ こんな 私の わがまま 聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで

なごり雪  you-tube   fujimarumasaさん提供




なごり雪         作詞・作曲  伊勢正三


汽車を待つ 君の横で 僕は 時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪は これが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく 

なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
* いま 春がきて 君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

動きはじめた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしてる
君のくちびるが 「さよなら」と 
動くことが こわくて 下を向いてた

時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま
* 繰り返し

君が 去った ホームにのこり 
落ちては 溶ける 雪を 見ていた
* 繰り返し

去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった




2曲とも若い男女の”別れ”を唄っています。
”伊勢正三”ファンの間で囁かれている「謎」とは・・・

「2曲の中で描かれている男女は、同じカップルではないのか?」

同じ別れを「22才の別れ」では彼女が唄い、「なごり雪」では彼氏が唄った。
この様に考えているファンをブログの中で何人か探し出しました。

最初に話したように、この2曲はアルバムの中で同時期に作られています。
よって、”伊勢正三”が2曲の詩でイメージした男女は同じ可能性が高いのです。
男とは”伊勢正三”自身だとする見方をしたブログもありました。

ただ、これらの件に関して”伊勢正三”自身はコメントを出していません。
ファンの各人が独自に想像から浪漫を組み立てて行くしかありません。
先のファンのブログも参考にして、うっちゃんは以下の様に考えました。

「”A太郎”と”B子”の物語」です。


1951年(昭和26年)、”A太郎”は大分県津久見市郊外で生まれました。大分県の片田舎で育った”A太郎”は都会での成功を夢見て勉学に励みます。高校は大分市の有名校「大分舞鶴高校」へ進学。
音楽部(クラブ活動)で活躍していた3年生の時、1学年後輩で同郷(津久見)出身の”B子”と知り合い、お互いに淡い好感を持つようになります。

”A太郎”はエンジニアを目指し、東京の大学の工学部への進学を決めます。
”A太郎”が東京に旅立つ日、”B子”は津久見駅で見送り、「来年、自分も勉強して東京の大学へ行くから」と想いを伝えます。3月の末なのに小雪が降ってました。
”A太郎”が東京に出て来た1969年(昭和44年)は”東京大学本郷キャンパス安田講堂の占拠”など全共闘運動による大学生運動のピークでした。

1960年代後半は学生による”日米安全保障条約”の延長阻止とベトナム戦争反対運動など反米感情の高まりが活発化していました。学生たちは様々なサークル等を拠点として、討論や学習を繰り返しました。その力は大学運営の民主化などを求める闘争ともなり、全国に波及し、安田講堂事件を引き起こしたのです。

そんな中での次の年、”B子”は東京の女子大学の受験に合格し、上京して来ました。
親元からの僅かな仕送りとバイト代だけでの生活は苦しく、お互いに愛を感じた時期を境に、”B子”は”A太郎”の御茶ノ水の下宿で一緒に住むことにしました。
御茶ノ水の下宿の横には神田川が流れていました。

1970年(昭和45年)の”大阪万博”の開催など日本社会が豊かになり、また、1972年(昭和47年)の沖縄返還によって反米感情は薄れて行き、学生達は潮が引くかのように運動から遠のいていきました。

学生運動に染まっていた”A太郎”も気が抜けた毎日を過ごしていました。そこに、先に上京していた大分舞鶴高校の先輩が「一緒にフォークグループをやらないか」との誘い。
”A太郎”は大学を中退し、大好きだった音楽の道に進みます。

エンジニアを目指していた”A太郎”の心変わりに”B子”は少し心配にはなりましたが、彼を信じて応援していました。
高校生の時に知り合った”B子”のそんな純粋な姿に”A太郎”は益々彼女の愛を想い感じるのでした。

”A太郎”と先輩の音楽活動での収入は殆ど無かったが、彼は希望に満ちて前を見つめていました。そんな苦しい生活の中でも、”A太郎”と”B子”は強い愛で結ばれ毎日を過ごしていました。
そして2年の時が経ちました。


”B子”は卒業と共に”A太郎”と別れることになります。
1年前から大分の両親が薦める縁談の話を承諾し、九州の福岡へお嫁に行くことになったのです。
”A太郎”は”B子”がお嫁に行く理由で別れるなんてことは知りません。
”A太郎”は「別れなくてはならない」と言う事実だけが、まだ信じられないのです。

この時代、女性が大学に行く割合は数割で、殆どが中学・高校で仕事に就き、22歳から25歳までにお嫁に行ってました。
”B子”は大学を卒業した時点で適齢期になってました。
「愛があれば何もいらない」と、本気で思ってました。
”B子”の大分の両親は経済的に安定した男性との結婚を強く希望しています。
帰郷する度に、両親は”B子”の幸せな結婚を望んでいることを本人に伝えます。
”A太郎”はと言えば、頭の中は音楽のことでいっぱいで、”B子”との結婚なんて考えたこともありません。

”B子”は”A太郎”を愛しているのに、「結婚して社会生活を営んでいけるのであろうか?」と言う不安と疑問が頭から離れず、悩んでいました。

そして、別れる日の前夜と当日にそれぞれの詩になりました。



”B子”の”A太郎”に対する想い。
「私を愛し続けてくれた日々」=「長すぎた(楽しかった)春をありがとう。」
「貴方の現在の音楽に対する純粋な気持ちを見ていると、私の結婚感とはどうしても一致しない貴方がいるんです」=「わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに・・・」
「貴方とはもう会えない」=「東京で見る雪は これが最後ね」
「私は両親を裏切れない、それと貴方との将来をどうしても描ききれない自分がいるの」=「目の前にあった 幸せに すがりついてしまった」
「でも、私は貴方の純粋な気持ちは好きなのです。貴方がいつの日か成功することを祈っています」=「あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで」


東京駅で見送る時の、”A太郎”が”B子”に対する想い。
「初めて会ったのは君が17歳の時だった」=「17本目からは 一緒に火をつけた」
「僕はいつの時でも君を心から愛していたよ」=「ふざけ過ぎた(楽しかった)季節」
「僕が東京へ行く時、君が見送りに来てくれた。あの時も雪が降っていたことを思い出す」=「君が 去った ホームにのこり 落ちては 溶ける 雪を 見ていた」
「僕は音楽のことばかりに夢中で、しかも君がいつも傍にいてくれたのを当たり前の様に思っていたので、君の女性としての成長に気が付かなかった。ごめんね。今日は、とてもきれいだよ」=「時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま いま 春がきて 君はきれいになった 去年より ずっと きれいになった」
「僕の自分勝手な想いのために、大切なB子を失ってしまった。とても哀しい。」



と言うことで、うっちゃんは2曲の中の男女は同じカップルとします。



”A太郎”が”伊勢正三”の投影かどうかは皆さんの想像にお任せします。
もし、そうだと仮定しましょう。
”A太郎”が先輩(南こうせつ)と組んだグループ(かぐや姫)は数年後に「神田川」と言う曲で大ブレークします。そして、その翌年「三階建の詩」(アルバム)の中で、”A太郎”の「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が発表されたのです。


「神田川」など、いわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれる貧しい生活をする若者を唄った曲がこの時代の特徴です。
自分達が貧しかった想いを詩にした名曲が数多く残っています。
飽食時代である現在のミュージシャンには、実感として書くことが難しいテーマなのかも知れません。


うっちゃんの思い出の一曲


香椎浪漫

https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html#c17
[近代史5] 音楽関係投稿集 中川隆
26. 中川隆[-6161] koaQ7Jey 2021年4月01日 11:20:37 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[26]
「22才の別れ」と「なごり雪」の謎 2016-02-05
https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html


どちらとも万人が認める名曲です。
「22才の別れ」は”風”、「なごり雪」は”イルカ”が唄ったシングル盤が有名です。
両曲とも「かぐや姫の伊勢正三」の作詞・作曲によります。
楽曲としての最初の発表は”かぐや姫”の4枚目のアルバム「三階建の詩(さんかいだてのうた)」の中です。


●アルバム「三階建の詩」  左から山田パンダ・南こうせつ・伊勢正三

「三階建の詩」は1974年3月の発売です。 ”かぐや姫”は前年1973年の「神田川」で大ブレークしています。
”南こうせつ”は「3人全員が平等に曲作りに参画した新しいアルバムを作ろう」と提案します。
それが「三階建の詩」です。”三階建”とは”三人で作った”と言う意味です。

全12曲の内、三分の一の4曲に”伊勢正三”が絡んでいます。
4曲の中の2曲が「22才の別れ」と「なごり雪」です。
同じ時期に作られました。後から触れますが、この「同じ時期」がポイントです。

「三階建の詩」を発表した1年後(1975年)の4月に”かぐや姫”は解散し、それぞれ独自の活動を開始します。

”伊勢正三”は”大久保一久”と「風」を結成、「22才の別れ」でシングルデビュー。
”伊勢正三”と親交が深い友人の一人に”シュリークス”と言うフォークグループのリーダー”神部和夫”がいました。「かぐや姫」の”山田パンダ”は、以前は”シュリークス”のメンバーでした。
ある日”神部和夫”は”伊勢正三”に頼みました。
「”なごり雪”を女房の唄でシングルカットさせてくれないだろうか?」
”神部和夫”の若き奥さんとは”神部としえ”=”イルカ”です。

こうして2枚のシングルレコードは大ヒットします。
近年、この2曲は歌詞の意味について、「噂」と言うか「謎」が囁かれています。

先にこの2曲を聴いてみましょう。

22才の別れ  you-tube   fujimarumasaさん提供





22才の別れ       作詞・作曲  伊勢正三


あなたに「さよなら」って言えるのは 今日だけ
明日になって また あなたの 暖かい手に触れたら
きっと言えなくなってしまう そんな気がして
わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに
わたしの 目の前にあった 幸せに すがりついてしまった


わたしの 誕生日に 22本の ローソクをたて
ひとつひとつ みんな 君の 人生だねって言って
17本目からは 一緒に火をつけたのが きのうのことのように
今はただ 5年の月日が 長すぎた春と 言えるだけです

あなたの 知らないところへ 嫁いでゆく 私にとって

ウウウ〜 ウウウウ〜 ウウウウウ〜


一つだけ こんな 私の わがまま 聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで

なごり雪  you-tube   fujimarumasaさん提供




なごり雪         作詞・作曲  伊勢正三


汽車を待つ 君の横で 僕は 時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる
「東京で見る雪は これが最後ね」と
さみしそうに君がつぶやく 

なごり雪も降る時を知り ふざけ過ぎた季節のあとで
* いま 春がきて 君はきれいになった
去年より ずっと きれいになった

動きはじめた 汽車の窓に 顔をつけて 君は何か 言おうとしてる
君のくちびるが 「さよなら」と 
動くことが こわくて 下を向いてた

時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま
* 繰り返し

君が 去った ホームにのこり 
落ちては 溶ける 雪を 見ていた
* 繰り返し

去年より ずっと きれいになった
去年より ずっと きれいになった




2曲とも若い男女の”別れ”を唄っています。
”伊勢正三”ファンの間で囁かれている「謎」とは・・・

「2曲の中で描かれている男女は、同じカップルではないのか?」

同じ別れを「22才の別れ」では彼女が唄い、「なごり雪」では彼氏が唄った。
この様に考えているファンをブログの中で何人か探し出しました。

最初に話したように、この2曲はアルバムの中で同時期に作られています。
よって、”伊勢正三”が2曲の詩でイメージした男女は同じ可能性が高いのです。
男とは”伊勢正三”自身だとする見方をしたブログもありました。

ただ、これらの件に関して”伊勢正三”自身はコメントを出していません。
ファンの各人が独自に想像から浪漫を組み立てて行くしかありません。
先のファンのブログも参考にして、うっちゃんは以下の様に考えました。

「”A太郎”と”B子”の物語」です。


1951年(昭和26年)、”A太郎”は大分県津久見市郊外で生まれました。大分県の片田舎で育った”A太郎”は都会での成功を夢見て勉学に励みます。高校は大分市の有名校「大分舞鶴高校」へ進学。
音楽部(クラブ活動)で活躍していた3年生の時、1学年後輩で同郷(津久見)出身の”B子”と知り合い、お互いに淡い好感を持つようになります。

”A太郎”はエンジニアを目指し、東京の大学の工学部への進学を決めます。
”A太郎”が東京に旅立つ日、”B子”は津久見駅で見送り、「来年、自分も勉強して東京の大学へ行くから」と想いを伝えます。3月の末なのに小雪が降ってました。
”A太郎”が東京に出て来た1969年(昭和44年)は”東京大学本郷キャンパス安田講堂の占拠”など全共闘運動による大学生運動のピークでした。

1960年代後半は学生による”日米安全保障条約”の延長阻止とベトナム戦争反対運動など反米感情の高まりが活発化していました。学生たちは様々なサークル等を拠点として、討論や学習を繰り返しました。その力は大学運営の民主化などを求める闘争ともなり、全国に波及し、安田講堂事件を引き起こしたのです。

そんな中での次の年、”B子”は東京の女子大学の受験に合格し、上京して来ました。
親元からの僅かな仕送りとバイト代だけでの生活は苦しく、お互いに愛を感じた時期を境に、”B子”は”A太郎”の御茶ノ水の下宿で一緒に住むことにしました。
御茶ノ水の下宿の横には神田川が流れていました。

1970年(昭和45年)の”大阪万博”の開催など日本社会が豊かになり、また、1972年(昭和47年)の沖縄返還によって反米感情は薄れて行き、学生達は潮が引くかのように運動から遠のいていきました。

学生運動に染まっていた”A太郎”も気が抜けた毎日を過ごしていました。そこに、先に上京していた大分舞鶴高校の先輩が「一緒にフォークグループをやらないか」との誘い。
”A太郎”は大学を中退し、大好きだった音楽の道に進みます。

エンジニアを目指していた”A太郎”の心変わりに”B子”は少し心配にはなりましたが、彼を信じて応援していました。
高校生の時に知り合った”B子”のそんな純粋な姿に”A太郎”は益々彼女の愛を想い感じるのでした。

”A太郎”と先輩の音楽活動での収入は殆ど無かったが、彼は希望に満ちて前を見つめていました。そんな苦しい生活の中でも、”A太郎”と”B子”は強い愛で結ばれ毎日を過ごしていました。
そして2年の時が経ちました。


”B子”は卒業と共に”A太郎”と別れることになります。
1年前から大分の両親が薦める縁談の話を承諾し、九州の福岡へお嫁に行くことになったのです。
”A太郎”は”B子”がお嫁に行く理由で別れるなんてことは知りません。
”A太郎”は「別れなくてはならない」と言う事実だけが、まだ信じられないのです。

この時代、女性が大学に行く割合は数割で、殆どが中学・高校で仕事に就き、22歳から25歳までにお嫁に行ってました。
”B子”は大学を卒業した時点で適齢期になってました。
「愛があれば何もいらない」と、本気で思ってました。
”B子”の大分の両親は経済的に安定した男性との結婚を強く希望しています。
帰郷する度に、両親は”B子”の幸せな結婚を望んでいることを本人に伝えます。
”A太郎”はと言えば、頭の中は音楽のことでいっぱいで、”B子”との結婚なんて考えたこともありません。

”B子”は”A太郎”を愛しているのに、「結婚して社会生活を営んでいけるのであろうか?」と言う不安と疑問が頭から離れず、悩んでいました。

そして、別れる日の前夜と当日にそれぞれの詩になりました。



”B子”の”A太郎”に対する想い。
「私を愛し続けてくれた日々」=「長すぎた(楽しかった)春をありがとう。」
「貴方の現在の音楽に対する純粋な気持ちを見ていると、私の結婚感とはどうしても一致しない貴方がいるんです」=「わたしには 鏡に映った あなたの姿を見つけられずに・・・」
「貴方とはもう会えない」=「東京で見る雪は これが最後ね」
「私は両親を裏切れない、それと貴方との将来をどうしても描ききれない自分がいるの」=「目の前にあった 幸せに すがりついてしまった」
「でも、私は貴方の純粋な気持ちは好きなのです。貴方がいつの日か成功することを祈っています」=「あなたは あなたのままで 変わらずに いてください そのままで」


東京駅で見送る時の、”A太郎”が”B子”に対する想い。
「初めて会ったのは君が17歳の時だった」=「17本目からは 一緒に火をつけた」
「僕はいつの時でも君を心から愛していたよ」=「ふざけ過ぎた(楽しかった)季節」
「僕が東京へ行く時、君が見送りに来てくれた。あの時も雪が降っていたことを思い出す」=「君が 去った ホームにのこり 落ちては 溶ける 雪を 見ていた」
「僕は音楽のことばかりに夢中で、しかも君がいつも傍にいてくれたのを当たり前の様に思っていたので、君の女性としての成長に気が付かなかった。ごめんね。今日は、とてもきれいだよ」=「時がゆけば 幼い君も 大人になると 気づかないまま いま 春がきて 君はきれいになった 去年より ずっと きれいになった」
「僕の自分勝手な想いのために、大切なB子を失ってしまった。とても哀しい。」



と言うことで、うっちゃんは2曲の中の男女は同じカップルとします。



”A太郎”が”伊勢正三”の投影かどうかは皆さんの想像にお任せします。
もし、そうだと仮定しましょう。
”A太郎”が先輩(南こうせつ)と組んだグループ(かぐや姫)は数年後に「神田川」と言う曲で大ブレークします。そして、その翌年「三階建の詩」(アルバム)の中で、”A太郎”の「22才の別れ」と「なごり雪」の2曲が発表されたのです。


「神田川」など、いわゆる「四畳半フォーク」と呼ばれる貧しい生活をする若者を唄った曲がこの時代の特徴です。
自分達が貧しかった想いを詩にした名曲が数多く残っています。
飽食時代である現在のミュージシャンには、実感として書くことが難しいテーマなのかも知れません。


うっちゃんの思い出の一曲


香椎浪漫

https://ameblo.jp/kashii-ucchan/entry-12508916848.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/397.html#c26
[近代史5] 音楽関係投稿集 中川隆
27. 2021年4月01日 11:22:47 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[27]
なごり雪



http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/397.html#c27
[近代史3] かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代 中川隆
18. 中川隆[-6160] koaQ7Jey 2021年4月01日 11:23:52 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[28]
なごり雪



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html#c18
[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
6. 中川隆[-6159] koaQ7Jey 2021年4月01日 11:26:33 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[29]
なごり雪



http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c6
[近代史02] 昭和天皇が戦争狂になった訳 中川隆
92. 中川隆[-6158] koaQ7Jey 2021年4月01日 12:26:52 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[30]
日本が、世界の暗雲のなかに翻弄されはじめた1930年代、それまで大きな希望の光だった生糸産業がニューデール恐慌によって壊滅し、娘たちは身売りを強いられ、東北の田舎では餓死者も続出した「昭和恐慌」が始まった。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1419.html

 1898年、後藤新平が台湾総督府総務長官に就任すると、アヘンを専売化し、濫用防止の名の下に、大規模なアヘンの密売を主宰することで日本軍資金を調達しようとした。

 二つの事象には30年余の時差があるが、実は、これらが人類最悪の太平洋戦争を示唆する前兆だった。

 後藤新平は国家が麻薬によって大儲けを企てる先駆者となり、その莫大な利益が戦前の巨大な軍備資金となった。

 そして昭和恐慌は、底辺の民衆を極限まで貧しくし、あたかも戦争遂行が貧しさから解放される道筋であるかのように、人々を洗脳していった。

 だから、昭和恐慌と後藤新平・里見甫・岸信介らの麻薬密売こそが太平洋戦争を突き動かした原動力となった。

 後藤は、死の直前に、正力松太郎の大スポンサーとなって、読売新聞を買収させ、彼を大政翼賛会会長に就任させ、岸や笹川、児玉らとともに、戦争を下支えする世論誘導の機関として機能させた。

 正力の狙いは、戦前のヘロインから、戦後は「核開発」へと変化した。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1436.html



▲△▽▼


“大風呂敷”こと侵略の鼓吹者、後藤新平の阿片商売
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-gotou.html


帝国主義政策のイデオローグだった
元台湾総督府民政長官
 後藤新平(一八五七〜一九二九)は、水沢藩出身で、有名な幕末の蘭学者、高野長英の親族である。そのような血筋の縁もあってか比較的に国際的視野がひろく、日本の帝国主義確立時代の代表的政治家として位置づけられている。

 あだなは「大風呂敷」だった。大仕事にかかわった実績もあるが、ハッタリを利かせる面も強かったのであろう。政治的な最高位は、ともに副首相格の外務大臣、内務大臣である。晩年には伯爵の位をえた。本書では数ある評伝のなかから、後藤の政治的業績の特徴とメディアの関係を中心にして、ごく一部のみを要約紹介する。[中略]

 後藤は、須賀川医学校を卒業して医師となり、愛知県立病院長を経て内務省に入る。一八九二年には、現在ならば厚生省の事務次官に当たる衛生局長になった。その間、三〇代前半にはドイツで医学を学ぶが、当時のドイツは、その中心をなすプロイセンがナポレオン三世のフランスをやぶって、こともあろうに、敵地のパリの王宮で念願の統一ドイツ帝国の建国を宣言したばかりである。いかにも侵略的な、武力を誇る風潮の国柄であった。

 伝記の『後藤新平』(1)〜(4)は、死後に、後藤新平伯伝記編纂会が各界有志によってつくられ、女婿の鶴見祐輔(一八八五〜一九七三)が編著者となって作成したものである。その(1)によると、ドイツでの経験が後藤の政治家としての後半生を定めるものであった。ドイツ留学中のエピソードの紹介によると、後藤は、医学上の研究よりもむしろ、おりから進行中だった統一ドイツ帝国におけるビスマルクの国家建設に影響を受けるところが大だったようである。しかも、本人の弁によるとビスマルクから直接、つぎのようにいわれたというのである。

「君は医者というよりも、どうも政治に携わるべき人物に見える」

 なにしろあだ名が「大風呂敷」だから、いちいち本人のいうことを鵜呑みにするわけにもいかないが、帰国後の後藤は事実、近代政治家としての道を歩む。

 後藤は、明治型の閥族政治を改革する実務主義的な近代政治家となった。しかし、それは同時に、おりからの大日本帝国の海外侵略を効率的に推進する役回りを担うことでもあった。

 以下、今後の研究のために、主要な資料を紹介しつつ、後藤の正体に迫ってみたい。

 数多い評伝のなかには、著者などの詳細は不明だが、『新領土開拓と後藤新平』という題名の本もあったようである。本人の講演録には『日本植民政策一斑』とか『日本膨脹論』といった物騒な題名のものもある。この二つの講演録については、その合本が国会図書館にあった。『日本膨脹論』だけの初版は講談社から出ていたようだが、同じ講談社から出た後藤の別の著作『政治の倫理化』の背表紙の広告欄に、「たちまち九版、徳富蘇峰激賞」などと書き立てられている。内容は、なんと、年齢的にも時代的にも後輩のヒトラーが顔負けするほどの、バリバリの日本民族優秀説である。[中略]

 これまでに流布されている説によると、一八九五年に終わった日清戦争後、陸軍の帰還兵士約二三万人の検疫事務を、内務省衛生局長として担当した際、後藤が時の陸軍次官、児玉源太郎から、その行政的手腕を見込まれたということになっている。しかし、のちほど示すように後藤自身が同時に、別ルートで台湾問題の「意見書」売りこみを図っている。それはともかく、台湾総督になった児玉は一八九八年、弱冠四二歳の後藤を台湾総督府民政局長に抜擢した。のち改制で同長官となる[中略]民政長官の職制に関するかぎりでは、途中で改制されたため、名実ともに後藤が初代である。[中略]

 後藤は、台湾総督府初代民政長官を皮切りに、以後、満鉄初代総裁、外務大臣、内務大臣などを歴任した。植民地政策の総合参謀本部、満鉄調査部をも創設した。『台湾統治救急案』における「調査研究」の重視については、『岩波講座/近代日本と植民地』(3)の注釈にも、つぎのような経過が記されている。

「後藤新平は岡松参太郎(京都帝国大学教授)を招き、大規模な台湾旧慣調査を実施した。その一連の調査研究成果は日本の近代中国研究、植民政策、法制史、文化人類学の発展の基礎をつくることになる」

 このような調査研究重視の姿勢は、のちに記す満鉄調査部や「大調査機関設立の議」の建白へとつながる。『満鉄に生きて』の中で伊藤武雄は、つぎのように回想している。

「旧慣調査については、後藤新平の文化センスと一般に理解されていますが、そもそもの発案者は大内丑之助という人の創案でした。この人物は日清戦争のはじまるすこし前、ドイツに留学。ドイツの植民政策について勉強し、その奥義を究めるため、植民の実務機関にはいり、実際的事務に携わってみたこともあるという経歴の持主で、帰国後、明治三一年、台湾の民政長官に赴任しようとしていた後藤新平に面会を求め、植民政策のあるべき姿について説き及ぶこと数時間。後藤はかれを台湾に随行することになった人だそうです。その船中『植民行政意見』として脱稿。後藤に提案した意見書中に、植民地統治に、その土地の旧慣調査の欠くべからざるゆえんが委曲をつくし、その具体的方法にまで及んで書きつらねてあったとのこと。後藤はこれにしたがい台湾に着くと、京都大学教授岡松参太郎をよんで、土地調査事業にさきだって旧慣制度の調査を委嘱することにしました」

 後藤はのちに、この大内丑之助と岡松参太郎を満鉄に呼びよせている。後藤の場合、「生物学の原理」の提唱とか「旧慣」調査研究の重視とかは、決して現地住民の生命や意志の尊重を意味するものではなかった。要するに、「彼[敵]を知り」という孫子の兵法にもとづく、戦いの勝利への原則にしかすぎなかったのである。

「阿片漸禁」による「専売」で「百六十万円の収入増」立案
 さらに重大な問題が、巧みに隠蔽または偽装されたまま、最近まで事実上、アカデミズムに無視されてきた。後藤らは台湾の産業開発に先んじて阿片専売による巨利を企み、成功していたのである。

 阿片の吸飲は日本国内では厳禁だった。中国本土でも禁止運動が広がっていた。それを知りながら、後藤は、台湾では阿片を禁止せずに「漸禁」の専売政策を実施し、「医療用」に専売したのである。「漸禁」の名による阿片許可の政策は、財政目的だけではなくて、現地人を阿片漬けにし、反抗を押さえる目的をも合わせ持っていた。イギリスと中国の阿片戦争の例を引くまでもなく、阿片は歴史的に、植民地支配の根幹としての役割を果たしてきたのである。

 しかも後藤は、実は、一般に流布されている経歴の説明とは違って、いきなり「民政局長」に任命されたのではなかった。その二年前の一九八六年に「台湾総督府衛生顧問」になっていたのである。そうなった理由は、そのさらに前年の一九八五年、内務省衛生局時代に、内務大臣と首相兼台湾事務局総裁という立場の伊藤博文に対して、大変な長文の「台湾島阿片制度施行に関する意見書」を提出していたからであった。

 後藤がまとめた阿片「漸禁」政策は、実は、かれの創意になるものではなかった。すでに台湾総督府の前任者から、阿片を厳禁すると、現地の反抗を押さえられないという意見が上がっていた。

 現地の中国人社会の実情は、本来の台湾人に阿片を売り付けることで成り立っているような、一種の植民地型の経済支配であった。さきに記したように、「地主などの上流層を宴会政治で籠絡した」と表される警察型の支配政策は、現在も日本国内で続いている警察と暴力団の馴れ合いのようなものである。「上流層」には、阿片窟のボスや、暗黒街の帝王などが含まれていたに違いない。/p>

 後藤の上にいた伊藤博文は、権力政治家としても帝国主義者としても、さらに筋金入りの先輩だった。『後藤新平』(1)には、なぜか記されていないのだが、発見できた限りでもっとも古い評伝、『後藤新平論』によると、一九八六年に後藤は、伊藤博文や台湾の二代目の総督、桂太郎らに随行して台湾に渡っている。同年に「台湾総督府衛生顧問」となり、その二年後に、台湾総督府民政局長に任命されるという順序である。

 もう一つ、やはり鶴見の『後藤新平』より古い評伝、『後藤新平一代記』によると、後藤は、台湾の阿片問題以前に児玉の紹介で伊藤と会い、『日本新王道論』と題する政策を提言している。台湾の阿片政策については、大蔵大臣や文部大臣らの有力閣僚の猛反対があった。そこで伊藤が、旧知の内務省衛生局長の後藤の、実務家としての献策を入れるという陣立てで、閣内の反対意見を押さえ込んだというのが、ことの真相なのではないだろうか。

 伊藤博文(一八四一〜一九〇九)は、長州閥の長老であるが、一八八二年にドイツ帝国統一以前のプロイセンで憲法や諸制度の調査に当たっている。その点でも後藤の先輩である。伊藤は、首相として日清戦争を推進し、元老として日露戦争をバックアップした。韓国統監府の初代統監として保護国化、併合を強行し、ハルビン駅頭で韓国の独立運動家、安重根に撃たれて死んだ。安重根は、現在の南北朝鮮で最高の英雄として尊敬されている。拡張主義者の伊藤が後藤の献策を入れる形で、台湾の阿片「漸禁」政策を強引に決定したという経過の裏には、日露戦争の戦費をユダヤ財閥のロスチャイルド家に仰いだような、日本帝国主義の戦争経済の懐勘定が潜んでいたという疑いが濃厚である。

 阿片問題は、台湾支配のための政策、および財源として決定的な重要性を持っていた。『後藤新平』(1)には、ご都合主義の持ち上げであるが、非常に詳しい記述がある。「台湾の阿片問題」の項は、二四頁にもおよんでいる。当人側の基本資料にさえ、それだけの材料があるのに、なぜか類書には阿片問題が記されていないことが多いので、その点を、ここで厳しく指摘しておく。

 たとえば『岩波講座/近代日本と植民地』(3)では、後藤が台湾に渡る以前に『台湾統治救急案』をまとめていた経過を記している。さらには、後藤の植民地経営の根本に「社会資本整備」があったことを、その後の満鉄経営、東京市長としての都市計画などとの関連で考察している。だが、そこには、「阿片」問題ばかりではなく、「文装的武備」論の指摘も皆無である。これでは到底、批判的研究とはいいがたい。非常にアカデミックに見える岩波書店編集の「講座」にも、江藤総務庁長官流の「いいこともした」放言を許す「官学」の限界が、典型的に見られるのである。

 短い記述にもかかわらず、後藤と阿片専売の関係を明確に指摘しているのは、在野の研究者、木元茂夫がまとめた『アジア侵略の一〇〇年/日清戦争からPKO派兵まで』(社会評論社)である。同書では、さきに記した長文の「台湾島阿片制度施行に関する意見書」を、つぎのように要約紹介している。

「阿片輸入税は、八十万円にものぼるもので、その需要の巨額なことがわかる。これを政府の専売とし、禁止税の意味で、この輸入税額に三倍の価格を加え、阿片特許薬舗で、政府より発行の通帳持参の者に、喫烟用として売渡すことにすれば、漸次その需要者を減らし、青年子弟をして、その悪習に陥ることを防ぐことに効果があり、国庫はさらに百六十万円の収入を増加することができる」

 当時の台湾で消費されていた阿片は、ほとんどが輸入品であった。そこで「阿片輸入税」によるピンハネ増大の案を練ったわけである。後藤の案では、この収益は、すべて医療関係に役立てるべきであって、他の行政費に回せば「弊害を生ずる」となっていた。だが、その原則が守られたかどうかは保障の限りではない。

 最近の例を引けば、湾岸戦争への拠出金の場合にも、日本が出した分は軍事目的ではないという趣旨の国会答弁があった。国力と釣り合わない軍事費を支出する独裁国への「平和産業向けODA」供与についての疑問もある。元来、貨幣とは、あらゆる商品と交換できるからこそ貨幣なのである。実際の行財政の財布は、どの国でも、どの植民地でも、一つである。子供だましの答弁が押し通せるのは、議会と称する議論なしで時代遅れの芝居小屋の中だけにしてほしいものである

 しかも後藤は、その後、日本国内でも阿片の原料が採れるケシの栽培を試みている。『戦争と日本阿片小史』(すばる書房)は、「阿片王」と呼ばれた二反長音蔵の息子で、児童文学者の二反長半が執筆し、「いまわの際」に校正までを終えたという痛恨のドキュメントである。そこには、「後藤の後援で、日本では殆ど栽培不可能とされたケシ栽培阿片製造に成功」した経過が描かれている。

 後藤らが創始した日本の「阿片漸禁政策」は、台湾から満州、蒙疆(内蒙古)、中国本土、東南アジアへと広がった。そこでの阿片収入は、医療関係どころか、ほぼ公然と軍の機密費、占領地の行政費にまで充当された。「専売」の制限も無視された。蘆溝橋事件の際の現地軍参謀、池田純久が書いた『陸軍葬儀委員長』には、「阿片の商標日の丸」という項がある。日本人の「一旗組」が「治外法権を楯に日の丸の国旗を掲げて公然と阿片を売って」いたので、現地の中国人が「阿片の商標」だと思い込み、憎くつき阿片屋の旗を焼き捨てたっつもりで、国際紛争が頻発したというのである。この間の事情および原資料は、『日中アヘン戦争』(江口圭一、岩波新書)に詳しい。

 一〇年間の台湾統治で評価を高めた後藤は、八年後の一九〇六年、南満州鉄道株式会社(満鉄)の初代総裁に就任した。こちらも日本の植民地経営の事業としては、当時最大の規模のものであった。後藤は、台湾、満州と、相次ぐ難関の植民地経営で実績を挙げたことになる。[後略]
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen-gotou.html



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勅令「阿片謀略」
http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen.html

初出:昭和が終って 『噂の真相』(1989.5)
戦後秘史/伏せられ続けた日本帝国軍の中国「阿片戦略」の詳報
レポーター・木村愛二(フリージャーナリスト)

その1:「極秘」資料出現
 「幻の阿片帝国」蒙疆(もうきょう)傀儡政権(1937年〜1945年)の全8年史
 日本が、国家政策として中国で阿片の増産を督励し、軍事機密に重用し、輸出さえしていたとは……
 筆者の思い出は敗戦直前の北京に遡る。当時は国民学校(いまの小学校)3年生だから、かなりの記憶がある。
 北京の冬は寒い。公園の池がそのままスケート場になる。だから冬の思い出が多いのだが、そのなかでも特に不気味で強烈な映像をとどめているのが、路上に放置されたままの「凍死体」である。学校へ通う道に、ゴロゴロという印象なのである。
 頭の中には映像と一緒に、その当時の日本人の大人の説明が植え付けられていた。
「支那人は昼間から阿片吸って怠けとる」⇒全文を読む

その2:「抹殺」「カット」「偽りの映像」
 いまの日本は、極度に大衆社会化が進み、支配層から一方的に流される情報が氾濫している。教科書と新聞、テレビ、大手の雑誌・週刊誌が取上げなければ、それは社会的な「抹殺」といって差支えない。
 「阿片戦略」は、この典型である。
 映画『ラストエンペラー』の日本上映版の試写会で、国際映画祭で写っていた「南京大虐殺」「生体実験」「阿片工場」の三シーンのカットが判明し、騒ぎになった。⇒全文を読む

その3:湮滅を免れた『極秘』文書の奇跡
 『皇軍“阿片”謀略』(千田夏光著、汐文社、1980年)の宣伝用横帯が目に入った。
 「支那事変はアヘン戦争だった?!/蒙疆銀行元行員が語る東条チャハル兵団と金融工作員のアヘン謀略の実態!/興亜院・蒙疆連絡部“経済第一課”の張家口進出から“大東亜薬品(=阿片)会議”の密計に至る、アヘンにからまる戦争の裏面史を抉る!」
 さらには、「大平首相と閣僚たちの黒い結合のルーツは?」とある。
 謎の「興亜院」が出てきただけでなく、「阿片」というドギツイしろものが突如現れたのである。ビックリしないわけがない。⇒全文を読む

その4:阿片「原産地」を直轄支配した日
 東京裁判では、検察側が北京市政府の文書を証拠として提出した。それは、「蒙疆」が北京への「阿片来源」だと指摘していた。
 だが当時は、それを立証する日本側の当局資料は乏しかった。「南京大虐殺」でも「731部隊」でもそうだったが、日本では、のっぴきならぬ証拠が突き付けられるまで、「中国側のデッチ上げ」という逃げ文句が世間的に通用してきた。⇒全文を読む

その5:大東亜共栄圏の阿片需給計画
 ところで、蒙疆の阿片は日本の阿片政策の中で、どのような位置を占めていたのであろうか。
 「大東亜共栄圏各地域を通ずる阿片政策確立に関する件」というタイプ印刷で12ページの報告書がある。「蒙古連合自治政府駐日代表部」の用箋を使用。執筆者は、「興亜院華中連絡部次長」の陸軍小将落合甚九郎。宛先は「興亜院政務部長」である。⇒全文を読む

その6:幻の国際商社「陸軍昭和通商」
 販売ルートには、お馴染みの「児玉機関」も登場する。阿片を機密費として、戦略上不可欠なタングステンなどの資源を求めたのだが、児玉らは、その手先となった。戦争の相手の重慶側の物資まで、横流しで手に入れていたという。
 末端の販売店には、日の丸が掲げられていた。日本人か日本国籍の朝鮮人を一人雇えば、「日章旗の掲揚」が許可され、「治外法権」が成立した。そのため、「日本の国旗凌辱事件が起り、外交問題に発展することがあったが、よく調べると中国人はそれを国旗とは知らず、アヘンの商標だと思っていたという、まったく笑い話のような滑稽談さえあった」(『陸軍葬儀委員長』)そうである。⇒全文を読む

その7:天皇の勅令「朕……之ヲ公布セシム」
 さて、「事実は小説より奇なり」というが、里見は、A級戦犯として巣鴨プリズンに入りながら、無罪で釈放された。そして言葉すくなに、こう語っているという。
 「米国の関係者が、利用価値があるとみて釈放してくれたのではないか」「法廷に提出されたのは供述調書の1部で、阿片取引の収益金の具体的な用途、とくに軍の情報謀略工作関係については、大部分が隠蔽された」
 ベトナムで里見機関のやり方を真似た米軍は、麻薬組織をはびこらせ、前線の自軍だけでなく本国にまで、大量の中毒患者を抱込む結果を招いている。

http://www.jca.apc.org/~altmedka/ahen.html


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台湾での阿片政策
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_a/4872/


日清戦争で勝利した日本は台湾を領土として

内地並みに阿片を禁止しようとする議論が起きました。

しかし後藤新平の主張によって、

阿片漸禁政策(徐々に禁止する)と専売制度がとられました。

●漸禁政策の主張

 阿片を厳禁すると、阿片中毒者に苦痛を与え、その結果反抗を招き、

 これを鎮圧する為の兵力と犠牲を必要とするのに対して、

 漸禁政策は中毒者に対して人道的配慮を与えるものでさらに

 軍事的負担を逃れるうえ、巨額の専売収入を確保できる

1897年10月、台湾阿片令が公布され、

阿片はすべて政府の専売とし、

中毒者と認定された者だけ阿片吸引が許可されました。

しかしながら実際には中毒者でなくても、

20歳以上にはすべて許可が与えられました。

その上中毒者の救済や矯正処置はとられませんでした。

その為中毒患者は増加し、1900年には17万人に達しました。

一方阿片収入は1900年には400万円となり、

台湾財政収入の3割を占めるほどに伸びています。

後藤新平はこの功績で1902年勲二等旭日章を授与されています。

その後阿片の許可料や代金があまりに高くなったことと、

死亡者が増えたことで、

1930年には中毒患者は2万3000人まで減りました。

さらに内外の批判が高まったため

太平洋戦争を境に阿片政策は終わりをつげました。
http://www.oshietegensan.com/war-history/war-history_a/4872/
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/321.html#c92

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
12. 中川隆[-6157] koaQ7Jey 2021年4月01日 12:27:58 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[31]

2020年12月14日
樺太の敗戦と引揚げ ソ連の略奪で数万人がなくなった
http://www.thutmosev.com/archives/72487962.html


南樺太を占領したソ連軍は、食料・衣類・貴重品など全て日本人から略奪した

引用:http://ironna.jp/file/5a5942a00b98bf04335b9aa2da72bc03.jpg

敗戦後の外地からの帰国

1945年8月15日に日本は戦争停止を宣言したが、敗戦はすべての日本人が一様だった訳ではなかった。

最も幸運だったのは本土の日本人で、日本に帰国する必要もなく、敵から逃げる必要もなかった。

敗戦国になった時に重要なのは「敵」との交渉力で、これが無いと大変な目に遭います。

交渉力は数が多いか力が強いか、敵と取引できる何かを持っているのが重要になります。

最も不幸で悲惨だったのは満州国の辺境地帯で開拓していた満蒙開拓団で、ソ連軍の奇襲と中国人の略奪を受けた。

ソ連は8月8日に対日宣戦布告し翌9日から空爆と地上戦を始めたが、日本軍はこの事を日本人居住者に一切知らせなかった。


なぜかというと戦力を維持するためにまず関東軍が朝鮮南部まで脱出しなくてはならず、住民が居たのでは足手まといになる。

それにこの時日本本土から満州の関東軍には、「敗戦時に在外日本人は帰国させず、現地に永住させろ」という命令が来ていました。

日本本土はじゅうたん爆撃で都市が廃墟になり、食べ物もないので大陸の日本人が帰国したら、食料が不足するからでした。


こうした種々の理由で満州在住日本人全員を置き去りにする事が決定されていたので、何も知らせず軍だけが満州から脱出しました。

ただ当時は家族や子供を満州に呼び寄せて住んでいた軍人が多かったので、動揺を防ぐため軍人の家族だけは脱出させました。

満州に残された日本人は100万人以上だったが、数が非常に多かった事が、この人達の命を救った。

南樺太に残された日本人達

数千人や数万人しか居なかったら、おそらく満州の日本人はソ連と中国に粛清されていた筈だが、100万人では秘密に出来ず、国際問題になった。

米ソ間の取引によって満州の日本人は帰国するのだが、帰国者は4分の3ほどで、4分の1つまり25万人ほどが、戦後にソ連と中国によって粛清や略奪でなくなった。

女性はほぼ全員がソ連兵や中国人の略奪対象になり、これを隠すために戦後「日本軍による従軍慰安婦狩り」を創作した。


朝鮮半島南側、後に韓国になる地域に残った日本人は、アメリカ軍の管理下で帰国できたが、北朝鮮地域に残された人達は、ソ連収容所に入れられて、やはり略奪と暴行を受けた。

満州は当時アメリカが支援する中華民国(台湾)に占領されたので、アメリカの口利きで帰国できたが、ソ連とは米ソ冷戦が始まっていた。

ソ連は日本人に略奪行為を働いたのを隠したがり、このため日本人の帰国を妨害し収容所に隔離した。


10万人ほどの日本兵が流刑地であるシベリアに輸送されて、なくなったとも言われている。

北朝鮮に居た日本人も、戦後数年間を生き延びる事ができたら、追放のような形で歩いて38度線を越え、韓国側にたどり着く事ができた。

ソ連は対面を保つため、衰弱した日本人を返すつもりはなかったので、自力で歩けない人は極寒の収容所でなくなるか、途中で倒れてなくなった。


終戦時に樺太(サハリン)の南半分は日本の領土だったので、ここにも45万人もの日本人(と朝鮮人)が住んでいたとされている。

樺太でもソ連軍は8月9日に攻撃開始したが、2万人の日本軍守備隊に対してソ連軍(1万人程度?)は苦戦し、8月25日にやっと南樺太を占領した。

この日付は重要で、8月15日以降も大本営の命令を無視して守備隊は戦い続け、破れたが約15日間の時間を稼いだ。


ソ連との戦闘が始まってから本土への避難が始まったが、多くの日本人居住者が逃げ遅れてソ連軍に捕捉されました。

終戦前後に大半の朝鮮人は日本に避難したが、終戦後に集計したら4000人ほどの朝鮮人が残っていた。

なお戦後に北朝鮮から労働者として4万人ほどが、樺太に強制移住させられていて、多くの情報で「日本軍が強制連行した」と間違って記録されている。


戦前の樺太は真岡、豊原など賑わっていた
RIMG0159
引用:稚内商工会議所写真展http://hit-u.ac/excursion/06Karafuto/0820/RIMG0159.JPG

置き去りになった朝鮮人達

この15日の苦戦でソ連は北海道上陸作戦が不可能になり、アメリカ軍が先に北海道に上陸する事になった。

戦後北海道が日本のままだったのは、樺太守備隊の命令違反(軍規では極刑)と、ただの偶然の結果に過ぎなかった。

樺太を占領したソ連軍は例によって略奪を働き、日本人の家に銃を乱射しながら押し入って「女出せ!」とロシア語で叫んで暴れまわった。


この時のソ連軍兵士の格好は「日本の浮浪者より貧しい身なり」だったとは、満州や樺太引揚げ者が共通して証言している。

ソ連軍は食料も支給していなかったから、やはり日本人の家を襲撃しては食べ物を奪い「日本人はこんな豪華な物を食べているのか」と目を見張ったという。

終戦末期の樺太の食卓が豪華だった筈が無いが、ソ連軍はそもそも兵士に食料を配給せず、住民から奪えと命令していた。


1945年8月22日には日本人避難民を乗せた帰国船3隻をソ連潜水艦が攻撃し、婦女子ら1700人がなくなっている。

潜水艦攻撃は北海道上陸作戦のための海上封鎖と思われるが、今日に至るまでソ連=ロシアは戦争犯罪を認めていない。

こんな樺太の終戦後だったが、40万人以上と人数が多かったのでソ連も全員を粛清できず、日本人は翌年以降に帰国して行った。


取り残されたのが朝鮮人たちだが、強制連行などではなく、全員が自ら希望して樺太に労働や移住に来ていた。

徴用というのも高額報酬で応募が押し寄せたほどで、全員が自ら希望して志願したものです。

樺太は寒いので日本帝国は労働者に高額報酬を支給し、報酬に釣られた朝鮮人が自主的に樺太で働いていた。


ここで問題になったのが北朝鮮で、ソ連は北朝鮮の宗主国なので北朝鮮に帰国させようとしました。

北朝鮮行きに応じた人も居たが、「樺太に戻りたい」といって脱出する人が続出し、悲惨な暮らしぶりを手紙で書いてよこしたという。

戦前の樺太と比べてすら北朝鮮は最悪であり、以降北朝鮮への帰国を希望する者はいなくなった。


日本人妻や日本人夫と結婚した朝鮮人は「日本に」続々と帰国していったが、朝鮮人の韓国への帰国は、結局ソ連崩壊まで認められなかった。

ソ連と日本の交渉では帰国が何度も決まりかけたものの、必ず北朝鮮が抗議してソ連が態度を豹変させた。

「朝鮮人の祖国は北なのに、なんで傀儡国家(韓国の事)に出国させるのか」という言い分でした。


これが樺太の韓国人問題で、戦後数千人居たと推測されるが、ほとんどは帰国を果たさずになくなりました。

http://www.thutmosev.com/archives/72487962.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c12

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
1. 中川隆[-6156] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:10:30 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[32]
【重要・5G】次世代の通信規格とルーターはすべて中国のもの!? ロックフェラー、キッシンジャー、軍産複合体とトランプ政策を超解説【NWO】
2020.06.20
https://tocana.jp/2020/06/post_158952_entry.html


 世界情勢の裏側を知り尽くすエージェント・ジェームズ斉藤が、今回は「5G」にまつわる陰謀と、各国の思惑を解説! 


──次世代通信規格5Gについては健康問題がトカナでも問題視されていますが、以前のジェームズさんの記事にもあったように5Gは中国が完全にインフラを握ってるわけじゃないですか? この状態を米国はこのまま放置しておくつもりですか?

ジェームズ斉藤氏(以下、ジェームズ) 中国の情報戦略ですが、以前にもお話したように5GとTP-Linkで完全に世界をリードしています。次世代の通信規格とルーターを押さえてしまったのですから、現時点では圧勝ですよ。米国がやれることといえば、国内から中国を排除するぐらいですね。いま5Gの中国排除を強く唱えているのはアメリカ国内だと米軍ぐらいですよ。まあ、最近共和党の重臣が今後の生き残り戦略として親トランプしか道が残っていないことを悟り、新しいネタ探しのために、最近5Gに飛びついていますけどね(笑)。

──それにしてもなぜこれほど中国にやられちゃったんですか? 油断してたとしか思えないんですけど。

ジェームズ 油断というよりもクリントン、ブッシュ、オバマという3政権で中国強化政策がなされていたんです。厳密にいうとレーガンも中国強化制度をずっとやっていました。だから、ケ小平の時代からアメリカは、国策として中国強化政策をやっていたんですけど、トランプになって国内があまりにも中国勢力に侵入されているんで、「正さないといけない」となっているんですよね。

 しかし、ここで重要なのは、トランプは対中強行派に見せかけて実は中国強化政策をやっている、ということです。といっても、オバマやクリントンなんかがやってきた中国強化策とはまったくやり方は違うんですが。中国と真っ向から対抗して、すべてを中国のせいにすることで、アメリカは世界からどんどん手を引いていく、というやり方です。WHO(世界保健機関)から手を引こうとしているのがいい例ですね。

──「拠出金を最も出しているのはアメリカなのに、WHOは中国の言いなりになっている。そんな組織とは手を切る」ということでしたよね。でも、そんなことしたらWHO内の中国の影響力が余計に強まるばかりじゃないんですか? 

ジェームズ そうです。中国の影響力を強くしてるんです。


──しかし、それってアメリカを弱くすることですよね? 世界に対する発言権を損なうことにもなるんですけど、それでいいってことですか?

ジェームズ そこが今までの政権と大きく違うところで、前から言っていますけど、トランプは撤退屋なんです。米国国内さえ良ければいいんですよ。だから、スティーブン・バノン(トランプ大統領の元主席戦略官兼上級顧問。現在もトランプの右腕的存在)などの極右のものが中国をコテンパンにしてやるとか言ってますけど、それにだまされてはいけないんですよ。その証拠に、トランプの対中政策においていろいろ指示を出しているのはヘンリー・キッシンジャー(元米国国家安全保障問題担当大統領補佐官)ですからね(笑)。

──あの親中派と呼ばれるキッシンジャーですか? 

ジェームズ 彼は去年も習近平と会談したりして、いまだ現役ですよ。彼の勢力がトランプの裏でしっかりと糸を引いています。あとはロックフェラー派の勢力も強いですね。トランプはそれをよしとしているわけです。

──ロックフェラーも中国推しなんですか、今?


ジェームズ ロックフェラー派は全世界レベルでお金儲けがしたい人なので、アメリカだけが一番で、ほかは全部その他大勢みたいな、一極化した世界構造をとても嫌っていたんですよ。彼らは多極派なんです。いろんな強い勢力がバランスを取り合う世界構造をロックフェラー派の人たちは狙うんですよね。また、キッシンジャーも2014年に『WORLD ORDER』という本を書いているんですが、その本の主旨はアメリカの一極化時代は終わったと。これからの世界秩序はナポレオン戦争の時に現れたウィーン体制を目指すべきだと書いてあるんです。ウィーン体制とはいろんな国が協力しあってバランスを取り合う世界なんですよ。それを世界レベルで実現しようと言ってるんです。


画像は「Amazon」より引用
 具体的に言うと、米中露を軸にインド、日本、オーストラリアなんかが加わっていって、国際ネットワーク全体でバランスを取り合いながら協力し合おうと。しかし、これを実現させるにはアメリカの力を落とすしかないんですよ。アメリカの力をワザと落として、中国と協力しないとやっていけないような状況にして、それで世界秩序を回していくという戦略なんです。

──でも、それはアメリカの戦略というよりもロックフェラー派の政策、トランプ派の政策ですよね? 「そんなのはごめんだ。アメリカはナンバー1だ」という人たちもいるんですよね?

ジェームズ だから、アメリカではいま異常な権力争いが行われているんです。ミネアポリスの事件が全米に広がる暴動になったのも権力争いの結果なんです。以前、ディープステートの話をしましたが、新旧ディープステートの争いでもあるんです。

 ロックフェラー勢力やキッシンジャー勢力というのは70年代ディープステートの遺品です。彼らが強かったのはキッシンジャーが現役だったころの70年代で、あの頃はロックフェラーのアメリカみたいな状態だったんです。だから、中国に接近して毛沢東とディールしてソ連ともディールしていた。あの当時の世界秩序というのは本当に米中露が回す世界構造だったんですよ。そのあとに今の、ディープステートである軍産複合体の勢力が盛り上がってきて、アメリカが単独で世界を支配するという政策に方向転換したんです。中国、ロシアと敵対してアフガン戦争にも介入していくわけです。

 今、トランプが敵に回しているのがこの一極構造を理想とする人たちで、ほとんどが軍産複合体ですけど、彼らが現在、誰を支持しているのかというと民主党のジョー・バイデンなんですよ。バイデンが当選したら戦争で儲けるという。対してトランプは撤退屋なんで戦争はしたくないんですよ。ただし、必要最低限の戦争はやるしかないんで、それが特殊部隊や宇宙軍、サイバー軍などですし、ブラックウォーターなどの民間軍事会社を使うことなんです。
 イーロン・マスクなんかは超親トランプで、トランプ派のディープステートの一員です。つい最近、「宇宙でナンバー1になれない者が、どうやって地球でナンバー1になれるのか」って発言してましたよ。つまり、地球でナンバー1になるには宇宙でナンバー1になるしかない、と言ってるんです。完全にトランプの戦略に乗せられていますね(笑)。それがトランプの掲げるスペースフォース=宇宙軍の構想なんですよ。

 日本も宇宙作戦隊というのを航空自衛隊が作りましたが、完全にトランプ政権の戦略に乗せられています。ワシントンではここ2年ぐらい日米防衛協力の話は宇宙のことばかりでしたから、作ると思ってましたけど(笑)。宇宙船やミサイルを作れば、三菱重工なんかが儲かるんで「どんどん作りましょう」となってるんでしょう。ただし、宇宙で一番肝心なのはサイバーなんですよ。宇宙船とミサイルを地上からどうやってコントロールするのですか? って話なんです。

──あっ、そこで5Gが重要になってくると。

ジェームズ 根本的な話なんですよ。どんな高性能な宇宙船を作っても、強力な大陸弾道弾を作っても通信で乗っ取られたら一発で終わりですよ。ところが、日本はすぐに重機の話になってしまいますね。宇宙船とか実体のほうばかり考えてしまう。しかし、宇宙で戦争する場合はサイバーが一番重要です。サイバー空間が地球と宇宙をつないでいるんですから、そこでコケていたら宇宙作戦なんてできないんです。

──となると、ますます5Gを中国に取られるのはまずいんじゃないんですか?

ジェームズ そうです。ですから、アメリカはいま独自の規格で5Gを推し進めています。日本の場合はそこまでの理解がないんで、完全に儲け話に乗せられて重機を作っているだけで、かなり情けない状況になってますね。ただ、米国の5Gネットワークも中国にだいぶ入り込まれているので勝負はもうついていますけど。

──勝負がついてしまっていいんですか? 中国一極化になってしまいそうですけど。それはそれでトランプ派も嫌なんじゃないんですか?

ジェームズ 嫌でしょうね。ただし、5G問題って結局、規格の話なんですよ。「次世代通信規格5Gにおいては中国が勝ちました。チャイニーズ・スタンダードになりました」というだけの話で、アメリカは発想の転換をして6G、7Gで勝負かければいいだけなんです。米国の本音は5Gで負けても別に痛くも痒くもないんです。ただし、それを言わないのはトランプが選挙対策のために対中恐怖を煽る一環にしているからです。

 実際問題、米国内で最も5Gを問題視しているのは米軍です。それはさっき言ったサイバー空間の問題があるからですが、6G、7Gになってしまえば即解決する問題です。それを騒いでいるのは彼ら軍人たちが目の前の問題しか見ていないからです。こういってはなんですが、軍人はナイーブな人たちばかりで、命令されたことしかできない人たちです。中国の5Gは脅威だと言われたら、どうやって5Gに勝つかしか考えないんです。そういう意味では軍人たちもトランプの手のひらに乗せられています。トランプはもともとニューヨークの不動産屋で、相手を謀略で貶めることばかりやっていたので、一枚上手なんですよ。

──結局5Gにおける通信戦略上の問題は、実は問題でもなんでもないんですね。

ジェームズ ありません。問題があるように見せているだけで、これも選挙対策であり、トランプの戦略です。日本はトランプに圧力をかけられてクソ真面目に5G対策をやろうとしていますが、やればやるほど属国化するだけです。世界中の人はトランプをバカだと思っていますけど、謀略にかけてはどんなことでもします。日本なんか簡単に切り捨てると思いますから気をつけるべきです。

 いずれせよ、アメリカ史上でも屈指の謀略政権トランプ政権からはますます目が離せませんね。

文=ジェームズ斉藤
https://tocana.jp/2020/06/post_158952_entry_3.html

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【超重要】ZOOM、5G、TP Linkと華僑の陰謀…コロナ後、世界は完全に中国に乗っ取られる!スパイが暴露!
2020.05.13
https://tocana.jp/2020/05/post_155565_entry.html


 新型コロナウイルスのパンデミックが続いているが、世界はすでに「その後」をめぐる戦いの渦中にある。その中で特に注目すべきは中国の動きである。某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤氏が緊急解説する。


──中国の諜報活動がいま凄いことになっている、ということですが、どういうことですか?

ジェームズ斉藤氏(以下、ジェームズ) 中国人の新型コロナウイルス研究者の不審死の話題でも触れましたが、いま中国の情報統制はアメリカの大学内で完璧に機能しています。アメリカの大学にある中国人留学生のためのサークルは実は中国共産党のエージェントたちが作ったもので、彼らの行動や発言はしっかり中国本国に送られていて、ちょっとでも反中的発言があると洗脳教育が待っています。ですから、アメリカにいる中国人留学生は基本的に中国の諜報活動の協力者です。


──今、アメリカの大学って中国人留学生だらけですよね?

ジェームズ 中国人留学生たちは皆優秀ですから、卒業後もアメリカのIT企業に就職したり、大学院に残って研究活動をしています。ということは、アメリカの大企業や大学院のコンピュータシステムは、ほぼすべて中国にハッキングされていると言っても過言ではない状態で、これはもう止めようがないですね。例えば、中国人の留学生が「論文が入っているんで」ってUSBを大学のコンピュータに差したら、それで終わりです。ですから、アメリカにおけるサイバーセキュリティってはっきり言ってしまうと幻想なんですよ。

──防御する以前に、もうすでにハッキングが完了しているんですね。

ジェームズ その通りです。しかも、それがアメリカの有名大学であったり、GAFAなんかの話ですから、大元がすでに汚染されていますよね。さらに、今は新型コロナウィルスでどこの企業もテレワークに切り替えているのも、攻撃側にとって有利に働いています。会社で使っていたパソコンを家に持って帰ってるわけですから、当然セキュリティは甘くなっています。しかも、大企業や政府のサーバーに絶対リンクされているんで、最初からガードが高い政府のサーバーを狙うよりもガードが低い、生活の一部になっているスマホやノート型パソコンを狙うほうが早いんです。

──ZOOMがまさにそうですね。

ジェームズ ZOOMの場合は完全に詐欺です。セキュリティの脆弱さや暗号化の問題が指摘されてますけど、ZOOMアプリを入れるだけでWindowsのログイン情報が全部盗られるというのは最初からの仕様だったんです。これって脆弱性の問題とかそういうレベルの話じゃないですよ。暗号化のエンドツーエンド問題なんか特にそうです。そもそもエンドツーエンドというのは通信している端末で暗号キーを作っていくものなんですよ、物凄く簡単に言ってしまうと。ところが、ZOOMの場合は、中国のサーバーで暗号キーを作ってるんでエンドツーエンドでもなんでもない。しかも、中国は暗号キーを持ってるんでどれだけ暗号化しても解読し放題ですよ。うっかりとかそういうレベルじゃなくて最初から情報を抜こうとして作られています。

 ZOOMの社長のエリック・ユアンは大学卒業までずっと中国に居た人で、それから日本、そしてシリコンバレーに来てるんですね。共産圏でそういう行動が許されるのは政府のバックアップがないと難しいですし、彼は起業家ですから、起業のための資金だって必要だったはずなんです。それをどこから手に入れたのか? それにアメリカの企業がなぜ中国にサーバーを置くのか?って問題もありますよね。アメリカのサーバー代が高いというならパナマ諸島とか安くて近いところがいくらでもあるのに、わざわざ中国に置くのは、完全に中国のオペレーションです。

──新型コロナウイルスによる封鎖とZOOM人気はリンクしてますから、うがった見方をしたくなりますね。

ジェームズ 実際、今回ZOOMが広まったのも華僑ネットワークが相当動いていますからね。しかし、実はZOOMは氷山の一角というか、本当に気をつけなければいけないのはTP Linkのほうです。

──ん? ルーターの会社ですよね。そういえば、あそこは完全に中国企業でした。

ジェームズ 世界シェアの42%を牛耳る世界一のルーターメーカーです。しかし、テクノロジー業界では、あそこは中国の諜報企業と見られています。実際、TP LinkRE200というルーターのセキュリティに脆弱性が見つかっています。これはWiFiの範囲内に入れば、そこにつながってるどの端末にも簡単に侵入できるバックドアみたいものだったんですが、そんなものが世界シェアの42%ですよ。

 これが見つかったのは2018年だったんですが、きっかけはロシアのGRUという軍事インテリジェンスのハッキング部隊がこの脆弱性を利用して米国中のルーターにマルウェアを撒き散らしたためです。FBIがそれに気づいて「国民の皆さん、ルーターを再起動してください」という要請を出すまでに至ってしまっています。

 さらに昨年にはSR20という機種でarbitrary code execution(ACE)というゼロデイ脅威を持ってることが発覚しました。これはかなり悪質で、最初にGoogleのエンジニアが発見して、TP Link に問い合わせたんですよ。サイバーセキュリティの世界では90日の間に脆弱性を修復するというルールがあるんですが、TP Linkは修復しなかったんです。それどころか、Googleの問い掛けにも答えなかったんです。

──無視したってことですか?

ジェームズ 完全無視です。ということは最初からわかってやってるとしか思えない。TP Linkのトップ層が人民解放軍の傘下で働いている可能性が極めて高いですね。

──そんな企業が世界シェアの半分を握っていると。しかも、ルーターじゃないですか? 結構、大元を握られていませんか?

ジェームズ 完全にインフラレベルです。ですから、これは5G問題といっしょで、中国は今インフラレベルのサイバー戦争を仕掛けてきていて、すでに結果が出ています。いえ、決着が着いたと言ってもおかしくないレベルですよね。5Gとルーターですから。

──じゃあ、コロナ後の世界はどうなるんですか?

ジェームズ 簡単な話で、これから世界の情報はすべて一旦中国を通過してから我々の手元に届くということになります。つまり、コロナ後の世界はすでに中国に乗っ取られ済みということです。以前、紹介したハイパー監視社会を目論む「チャイナ・モデル」をコロナ危機対策の口実で世界に輸出し、ますます中国の覇権が拡大していきます。中国というビッグブラザーが情報統制をしていく「自由ゼロ」の世界が極めて近い将来現実化するということですね。

※=ジェームズ斉藤


どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c1

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
2. 中川隆[-6155] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:12:05 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[33]
合衆国大統領は絶大な権力を持っているが、彼の周りに集う閣僚や官僚が全て忠臣という訳じゃない。トランプ大統領が君臨するホワイトハウスには、面従腹背の長官や軍人がいるけど、歴代の大統領だって同じようなものだった。
例えば、リチャード・ニクソンはヘンリー・キッシンジャーを特別補佐官や国務長官にして助言者にしていたけど、用心深いデック(ニクソンの渾名)は、このユダヤ人を信頼していなかった。なぜなら、キッシンジャーは後に副大統領となるネルソン・ロックフェラーから派遣された「お庭番」であったからだ。

日本では「名コンビ」と紹介されていたが、実際はロックフェラー家の命令をニクソンへ伝えるのがキッシンジャーの役目で、彼の本業は大統領の行動を監視する「お目附役」だ。

Nixon 3Harry Robbins Haldeman 2John Ehrilichman 1Henry Kissinger 3

(左 : リチャード・ニクソン / ハリー・ハデルマン / ジョン・アーリックマン / 右 : ヘンリー・キッシンジャー)

  こんな状況だったから、ニクソン大統領が心を許したのは、特別補顧問のジョン・アーリックマン(John Ehrilchman)と首席補佐官のH.R.ハデルマン(Harry Robbins Haldeman)くらい。だから、この三人はキッシンジャーをのけ者にして、彼らだけでヒソヒソ話をする事がよくあった。ウォーターゲート事件の前も、三人で密談をしていたのかも知れない。

ちなみに、ニクソンはキッシンジャーを「俺のユダヤ小僧(My Jew boy)」と呼んでいたけど、アーリックマンの方はお気に入りだった。

このアーリックマンは「クリスチャン・サイエンス」に転向したユダヤ人家庭の息子で、第二次大戦中は陸軍の航空士(navigator)になって従軍していたという。退役後、スタンフォード大学のロー・スクールに通って弁護士となる。しかし、ウォーターゲード事件の裁判で有罪となり、ハドルマンと同じく刑務所で“お勤め”を果たす。出所後は、有名作家のトム・クランシー(Tom Clancy)と共同で、ウォーターゲート事件のドキュメンタリー番組を作っていた。

ユダヤ人ってホント、才能豊かだよねぇ〜。(トム・クランシーは「ジャック・ライアン」シリーズの映画を生み出した原作者で、ショーン・コネリーが出演した『レッド・オクトーバーを追え』とか、ハリソン・フォードが出演した『パトリオット・ゲーム』は日本でも大ヒット。)

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68836443.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c2

[近代史4] キッシンジャーがやった事 中川隆
3. 中川隆[-6154] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:12:37 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[34]
2021年03月30日
ロックフェラーが贔屓にした支那 / 敵を育てる日本人
共産支那を開拓した大富豪
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68852196.html

David Rockefeller 1981Joe Biden & Xi Jinping 2

(左 : デイヴィッド・ロックフェラー / 右 : 習近平とジョー・バイデン)

  たいして珍しくもないが、最近も支那と米国の対立が水面下で激しさを増しているようだ。こうした国際関係を目にしているせいか、日本の保守論壇も「いざ、米支対決か !」という話題で盛り上がっている。しかし、「保守派」と評されている知識人でも、支那に言及する時は画一的な分析しかできないようだ。なるほど、いつかはアメリカ軍と支那軍の“小競り合い”や局地的な“紛争”はあるかもしれない。だが、当分の間は、両者が空軍や海軍を動員する総攻撃はないだろう。たとえ、合衆国政府が北京政府に政治的圧力を掛けることはあっても、熱戦にまで追い込む計画は無いはずだ。それに、習近平も馬鹿じゃなかいから、自ら進んでアメリカ軍を挑発するような真似はしないだろう。そもそも、支那人が得意とするのは全面戦争じゃなく、武器を使わぬ謀略工作や相手を精神的に揺さぶる心理戦である。

  トランプ政権の時は経済的に支那を苦しめる“冷戦”に力を入れていたが、アメリカの財界というかウォール街の旦那衆は、本当に共産党政権の打倒を欲しているのか? 表面上、ワシントンは「人権問題」を口実に北京を咎めているが、国際企業の経営陣は別なようで、今でも支那大陸での商売に関心が高い。巨大IT企業なども支那でのマーケットに夢中で、自国の政府が冷たい態度を取っていても、一向にお構いなし。「フェイスブック」を運営するマーク・ザッカーバーグは、約6億人のネットユーザーを見棄てることはできず、何が何でも支那でビジネスを推進したいようだ。そこで彼は習近平の御機嫌を取ろうとしたのか、2015年、生まれてくる赤ん坊のために、名前をつけてくれるよう頼んだという。(Loulla-Mae Eleftheriou-Smith, "China's President Xi Jinping turns down Mark Zuckerberg's request to name his unborn child's at White House Dinner", The Independent, 4 October 2015.) ところが、ホワイトハウスに招かれた習近平主席は、「荷(責任)が重すぎる」との理由で断ってしまった。

Mark Zuckerberg & Pricilla Chan 2Mark Zuckerberg & Pricilla Chan 3

(左 : 妊娠中のプリシラ夫人 / 右 : 生まれた娘を抱くマーク・ザッカーバーグ夫妻)

  結局、生まれてきた娘には「マキシム(Maxime)」という名前がつけられたが、母親(プリシラ陳)の血筋を考慮して、「陳明宇(Chen Mingyu)」という支那名もつけられたという。ちょっと複雑だけど、一応アメリカでは「マキシム・チャン・ザッカーバーグ」と呼ばれているようだ。それにしても、父親のマークは異常である。よりにもよって、マフィアのボスよりも兇悪で、人でなしの独裁者に我が子の名前を考えてもらおうなんて、一体どういう神経をしているのか。まぁ、女房のプリシラはベトナム系華僑の娘だから、チベット人やウィグル人の絶滅などはどうでもよく、権力者の威光に憧れているんだろう。ホント、支那人の女はどうして成長すると、老獪な宋美齢や江青みたいになるのか? 一般国民でも、“銭ゲバ”と化したアグネス・チャンや嘘つき蓮舫を思い出せば分かるだろう。

  話を戻す。アメリカの財界人は第二次世界大戦の前から支那大陸に興味を持っており、その中でも異彩を放っていたのはデイヴィッド・ロックフェラー(David Rockefeller)だ。高校生でも知っている通り、彼はロックフェラー財閥の総帥で、2017年に亡くなっている。享年102というから、驚くほどの長寿であった。何しろ、生まれたのが大正4年(1915年)の6月12日であるというから、ちょうど第一次世界大戦の最中である。しかし、もっとビックリするのは、彼が育った豪邸だ。ニューヨーク市にある御屋敷は9階建ての私邸ときている。屋上には囲い附きの遊技場があり、階下にはスカッシュ用のコートや屋内体操場、二階には音楽室があって、パイプオルガンやグランドピアノが備え付けられていた。さらに、専属の医療所まであったというから驚く。ロックフェラー家の末っ子は、自宅の医療所で生まれたそうだ。(デイヴッド・ロックフェラー 『ロックフェラー回顧録』 楡井浩一 訳、新潮社、2007年、p.36.)

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( 左 : 孫と息子に囲まれたジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア / 右 : ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・ジュニアの子供達 )

  この華麗なる一族は、野心満々でアジアの暗黒大陸に乗り込んでいった。だが、その手法は如何にも西歐人らしい遣り口である。基本的に、西歐人がアジアやアフリカを征服しようと欲する場合には、先ず宗教や医学、あるいは貿易を看板にした浸透を試みる。必ずしも武力侵掠とは限らない。軍隊を用いた攻撃は、“平和的”な交流が中断されるか、社会的および経済的摩擦が増大した時である。スペインやポルトガルの日本征服も、最初はキリスト教の布教で始まり、行く行くはキリシタン大名を増やしてからの計画であった。しかし、日本での布教が中々効果を上げないことに業を煮やしたガスパー・コエリョ(Gaspar Coelho)は、軽率な行動を取る。彼は「フスタ(fusta)船」に大砲を積んで、博多に居る豊臣秀吉のもとに向かったのだ。

  これは明らかな挑発というか、暗黙の脅しである。コエリョの威嚇に激怒した秀吉は、キリシタンの排斥を決意する。まぁ、ポルトガル人の宣教師からすれば、この方が手っ取り早いと考えても無理はない。普通のヨーロッパ人だって、「異教徒への布教は軍事的占領後に行うのが一番」と考えてしまうんだから。ところが、同じイエズス会士でも、コエリョの上司であるイタリア人のアレッサンドロ・ヴァリアーノ(Alessandro Valignano)神父は違っていた。彼は非常に賢明な準管区長で、日本人の気質をよく理解していたから、コエリョの恫喝を愚策と思っていた。上智大学の学長を務めたヨゼフ・ピタウ神父も、「あれはマズかった」と悔やんでいた。

Rockefeller Foundation in China Medicine(左 / ロックフェラー財団が育成した支那人の医者)

  またもや脱線したので話を戻す。バプティスト教会を楯にするロックフェラー家は、支那大陸での慈善活動や医療活動に熱心だった。例えば、ロックフェラー財団は1914年に「支那医療評議会(China Medical Board)」を設置すると、1917年には「北京ユニオン医学校(Pekin Union Medical College)」を創設したというから、まるで日本人みたい。でも、アメリカの大富豪は我々と違っていた。日本人なら支那人の異臭と不潔さで卒倒しそうになるが、敬虔なロックフェラー家は気にしないようで、資金と人材を投入して“碌でなし”の支那人を救おうとしたのだ。1933年には3,700万ドルの大金を投入して公衆衛生や医療に努めたし、農業分野にも手を伸ばして、畑や作物栽培の改善にも尽力した。1935年頃になると、「北支地域再開発評議会(North China Council for Rural Reconstruction)」まで設置したというから天晴れ。しかし、1937年に我が軍の将兵が支那大陸に侵攻したから、ロックフェラー財団の支那開拓は中断を余儀なくされたという。

  ところが、ロックフェラー家は支那大陸を諦めきれなかった。それもそのはず。膨大な人口を有する支那の“ポテンシャル(潜在能力)”は、どうしても棄てがたい。デイヴッド・ロックフェラーは自身の回顧録でこう述べていた。

  祖父は、同世代の多くの企業家たちと同じく、“中国市場”の潜在的可能性を熱心に追求した。・・・・また、祖父が初めての給料のうち数ドルを、中国で働く定評あるバプティスト派宣教師に寄付してからずっと、中国はわが一族の慈善寄付の対象であった。(上掲書、p.315.)

  デイヴィッド・ロックフェラーの祖父と言えば、あの「スタンダード・オイル」を創設した財界の巨人、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr.)で、その息子であるジョン・デイヴィソン・ジュニア(John Davison Rockefeller, Jr.)は、チェイス・マンハッタン銀行の総帥となったデイヴィッドの父親だ。この孫は一族の慈善事業を誇らしく述べていた。

  父個人による寄付もあれば、ロックフェラー財団によるものもある。揚子江の包括的な経済開発努力、南京の十三陵の修復、公衆衛生と医学教育、さらには中国関税の改革に至るまで、広範囲にわたる事業が寄付の対象となった。(上掲書、p.316.)

  ロックフェラー財団の意気込みは凄まじく、後進国の支那に北京協和医科大学(PUMC)まで創ってしまった。「支那の公衆衛生を手助けしたい」という意欲はご立派だが、あの支那人が「清潔な民族」になるとは未だに思えない。日本にやって来る観光客を見てみろ ! 旅館の食堂で飯を喰えば、床にフライド・チキンの骨を投げ捨てるし、所構わず痰や唾をペッペッと吐く。便所の使い方は汚いし、コンビニ弁当を買えば、プラスチックの容器を花壇や路上にポイ捨てだ。観光地でも支那人の評判は悪く、他人の庭に勝手に侵入して記念写真を撮ってしまうし、植えてある花を摘まんで記念品にする、といった図々しさがある。(信じられない支那人の不潔さや破廉恥行為については、拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で触れたから、109〜116頁を参照にしてね。)

John D. Rockefeller , Sr & Jr 003China cultural revolution 11


(左 : ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアとジュニア / 右 : 1960年代の支那人娘 )

  日本の商売人と同じく、米国の企業経営者にとって、膨大な人間がひしめく支那大陸は魅力の倉庫だ。何しろ、人口が桁外れに大きいし、ボケ〜とした下層民でも低賃金でせっせと働く。労働環境の改善とやらでブツブツ言わないし、反抗したって管理者が弾圧して一件落着。遠山の金さんがいない支那では、誰もが「仕方ないアルョ〜」で諦めてくれるのだ。さらに、支那人はアフリカ人と違って、手先が器用なうえに知能が高い。訓練すれば“使い物”になる。何しろ、支那人は資本制経済となれば水を得た魚のようになるから、オタマジャクシもビックリ仰天。そう言えば、支那人というのは元々は商売上手の民族だ。ユダヤ人が言い出した平等思想の共産主義なんて大嫌い。明や宋の時代に生きていた支那人を調べれば一目瞭然。清貧の思想なんて真っ平御免だ。人生は酒池肉林に限る。美女とイチャついて幼児を食べるのが支那人の理想だ。

China 1960s 0021China execution 1


(左 : 「文化大革命」に共鳴する支那の民衆 / 右 : 「人民の敵」を吊し上げる支那人 )

  ということで、共産主義は支那人の体質に合わない。彼らは“いざ銭儲け”となれば、たとえ火の中水の中、マグマの中にだって潜って行く。銭の匂いとくれば、鮫や犬よりも感度が高い。数マイル先でチャリンと鳴った硬貨の音にも即反応する。ゆえに、今は貧乏な支那人でも、仕事を与えて所得を増やしてやれば、貪欲な消費者に様変わり。君子豹変どころの話じゃない。金色になったフリーザよりも貪欲だ。しかも、未開の暗黒大陸には、インフラ整備の余地がゴロゴロある。ビルや橋を建設する公共事業だけでも巨大な利益を生んでしまうのだ。耐震基準なんて関係ないから、どんなビルでも建設OK。安全基準も存在しないから、高速鉄道(新幹線の盗作品)の敷設も早かった。

  とにかく、支那大陸は金銭が飛び交う広大なジャングルだ。それに、支那人は元々“博打好き”という性質を持っているので、北京や上海に株式市場が誕生すれば、大金が集まると誰にでも予想できる。実際、多くの支那人が株主になった。広東や上海の豪商ばかりか、浙江省の温州商人を見れば分かるじゃないか。最近、野村ホールディングスがヘッジ・ファンドの件で大損したけど、お金を貸した奴の過去を調べれば“危険な賭”ということが容易に判ったはずだ。野村HDばかりか、クレディー・スイスやモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サツクスなども「アーケゴス・キャピタル・マネージメント(Archegos Capital Management)」への貸し付けで大怪我をしている。貸し付けた資金が危うくなり、株価の暴落を味わった。(Matt Scuffham, John Revill, Makiko Yamazaki, "Global banks brace for losses from Archegos fallout", Reuters, March 29, 2021.)

Bill Hwang 3(左 / ビル・ファン )
  ちょっと信じられないけど、こうした有名企業が大金を渡した相手というのが、ビル・ファン(Bill Hwang)という支那人だ。(情報が少ないので、彼の国籍は判らない。) 「アーケゴス」の創設者であるファン氏は、元々「タイガー・アジア・マネージメント(Tiger Asia Management LLC)」を運営していた人物。しかし、彼はインサイダー取引の前科を持つヘッジファンド・マネージャーであったから、危ない橋を渡るのは慣れている。報道によれば、支那への投資が上手く行かなかったので、巨額の損失を出してしまったようだが、まぁ、投資なんて博打と同じだから、野村HDが20億ドルの損害を蒙っても不思議じゃない。大金を貸す時には、よ〜く相手の人格を検証すべきだ。

  脱線したので話を戻す。もし、赤い支那が市場経済に向かうとなれば、その金融制度は支那経済の血液となり、貨幣を扱う「銀行」も必須の機関となるだろう。文化大革命直後の支那では、これといった金融制度や銀行が無く、支那人もどうしていいのか分からなかったから、チェイス銀行の前には巨大なビジネスチャンスが転がっていたという訳だ。以前のブログ記事でも紹介した通り、デイヴィッド・ロックフェラーは慧眼の持ち主。「支那大陸へ一番乗りだ !」と張り切っていた。(ちなみに、「チェイス・ナショナル銀行」は1955年に「マンハッタン・カンパニー」と合併し、「チェイス・マンハッタン銀行」となる。そして、1996年には「ケミカル・バンク」と合併し、2000年になると「J.P.モルガン& Co.」を吸収して、看板を「JP Morgan Chase」に変えていた。) デイヴィッド・ロックフェラーの回想によれば、

  設立当初、チェース銀行は中国の輸出産業に積極的に関わっていた。・・・チェースは中国語で“大通銀行”と呼ばれるようになった。(上掲書、p.318.)

Winthrop Aldrich 003Abby Rockefeller o1(左 : ウィンスロップ・W・オールドリッチ / 右 : アビー・オルドリッチ・ロックフェラー)
  確かに、チェースの支店は1930年代にも大繁盛していたが、第二次世界大戦が勃発すると、日本との戦争が激しくなり、銀行業務は閉鎖に追い込まれたそうだ。さらに1950年、支那はチェースの支店を国有化し、従業員を拘束するという停止措置まで取ったから泣きっ面に蜂である。しかし、ロックフェラー家は日本を足がかりにして再起を目指す。1947年、デイヴィッドの叔父であるウィンスロップ・W・オールドリッチ(Winthrop W. Aldrich)は国防総省を説得し、占領下の日本でチェースが軍の銀行施設を再開する許可を得たそうだ。数年後、アメリカ軍は東京や大阪に完全な商業支店を増設する許可を出した。ちなみに、このウィンスロップ叔父さんは、母親アビー(Abby Greene Aldrich Rockefeller)の弟で、チェイス・ナショナル銀行の頭取や会長を務めた人物。のちに、彼は駐英米国大使となった。デイヴィッド・ロックフェラーは、次のように回想する。

  日本経済は急展開し、チェースは日本政府にドル資金を提供する主要な民間銀行として頭角を現した。わたしたちは、日本が外部ドル資金を切実に必要としているとき、日本経済再建のために何億ドルもの資金を提供した。この状況が続くあいだ、チェースしぼろ儲けをした。(上掲書、p.319.)

  第二次世界大戦後、日本を筆頭に東南アジアも経済的に発展したので、大手銀行のチェースはここでも相当な利益を上げたらしい。ところが、この勢いを妨げる不安定要素があった。それが北京にいる支那の指導部である。これにはデイヴッド・ロックフェラーも頭を痛めた。曰わく、

  中国は莫大な人口を抱え、巨大な軍隊を擁し、潜在的な経済力を有していたので、その将来の行動方針に誰もが大きな関心を寄せた。(上掲書、pp.319-320.)

  だから、支那をどうにかして資本制市場経済に引き入れないと、せっかくの巨大市場が駄目になってしまう虞(おそれ)があった。そこでチェース銀行を助けたのは、ニクソン政権で国家安全保障の特別補佐官になっていたヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)である。形式上、彼はニクソン大統領の側近となっていたが、本当の御主人様は後に副大統領になるネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)であった。この副大統領はデイヴッド・ロックフェラーの兄で、「オールドリッチ」は母親アビーの旧姓である。彼のエピソードで刮目すべきは、1970年に所得税を全く払っていなかったことだ。ネルソンの言い訳によれば、その年だけは慈善活動の税控除を差し引いたら、所得が激減していたというのだ。でも、彼の平均年収は約470万ドルだったから、本当に所得が激減したのか怪しい。実際は、自分の儲けを財団に移したから、個人所得が減ってしまったんじゃないか。つまり、巧妙な「節税」というやつだ。財団というのは大富豪にとって、個人財産を守るために設立する隠れ蓑という側面を持つ。

Nelson Rockefeller 001Henry Kissinger 001Nelson A Rockefeller & Henry Kissinger 1


( 左 : ネルソン・ロックフェラー / 中央 : ヘンリー・キッシンジャー / 右 : 主君のネルソンと家臣のキッシンジャー )

  1970年代初頭、キッシンジャーの暗躍でアメリカと支那の国交が回復したというのは有名な話だ。表向き、ソ連を牽制するためと言われているが、どんな裏取引をしたのか分からない。昔から、アメリカは支那共産党を支援しており、ここでは詳しく述べないが、支那通のジョン・サーヴィス(John Stewart Service)やジョン・パトン・デイヴィス(John Paton Davies, Jr.)、日本通のジョン・エマーソン(John Kenneth Emmerson)、陸軍のジョセフ・スティルウェル(Joseph Stilwell)将軍の活躍を調べると、徐々に大富豪とOSS(戦時中の米国諜報機関でCIAの前身)の魂胆が見えてくる。また、「岡野進」の偽名を以ていた野坂参三は、支那で国務省のアメリカ人たちと昵懇だったから、日本共産党の方がアメリカの支那政策に詳しいんじゃないか。

Joseph Stilwell & Soong-Mei-ling Chiang 1942John Paton Davies & Dixie Mission to Yanan

(左 : ジョセフ・スティルウェル将軍と蒋介石夫妻 / 右 : ジョン・パトン・デイヴィスと「ディクシー・ミッション」に協力した支那人)

  支那の扉をこじ開けようと、その突破口を探していたデイヴッド・ロックフェラーは、子分のキッシンジャーに助言を求めた。御主人様からの御下問を受けた、このユダヤ人は早速、支那側の国連常任委員を務める黄華(こうか / Huang Hua)大使を紹介した。後に外交部長となる黄華は、古株の外交官で周恩来にも有力なコネがあったらしい。「御庭番」のヘンリーから慎重に行動するよう忠告を受けたデイヴィッドは、辛抱強く交渉を続けたそうだ。というのも、当時の北京政府は外国人全般に対する入国審査に厳しく、例外としたら、政治プロパガンダに好都合な左翼ジャーナリストや支那贔屓の学者くらい。案の定、チェイスの頭取が入国できるまで1年以上かかってしまった。

  しかし、ロックフェラー家はただ荏苒(じんぜん)として時を過ごし、許可を待つばかりではなかった。支那人には“それなり”の営業が効果的だ。そこで、国連との関係を担当するチェースの副頭取、レオ・ピェール(Leo Pierre)の登場とな.。彼は黄華とその側近がニューヨークへやって来ると聞きつけ、彼らに対する“付け届け”を用意した。ピェール氏は使節団が最初の数日間、何かと不便を感じるかも知れない、というので、それを乗り切るために“当座のお小遣い”が必要だろうと予測した。善は急げで、レオはスーツケースに現金5万ドルを詰め込み、ルーズヴェルト・ホテルのロビーで一日中、中国代表団の到着を待ち続けたそうだ。そしてついに、支那の代表団が姿を現すと、みずから大使の元に赴き、そこに来た目的を説明した。こうしてチェイス銀行の副頭取は黄華にスーツケースを手渡す。しかし、彼は大使が差し出す貸付の領収書の受け取らず、鄭重にに断ったそうだ。(上掲書、pp.320-321.) さぁ〜すが、アメリカのビジネスマンは支那人の下心を解っている。

MaoTse Tung cultural revolution 01(左 / 毛沢東)
  善悪はともかく、支那人はこういった“心配りに”感謝する。歐米や日本では「やましい賄賂」となるが、支那では政治や経済の潤滑油、あるいは交際のスパイスとなるから、別に悪い事じゃない。むしろ、こうした「贈り物」が無いと関係がギクシャクする。アメリカの大富豪は密室での接待が得意で、裏取引をためらわない支那人が大好き。支那人だって札束に目がないから渡りに船。彼らにとって、私腹を肥やすのは人生の醍醐味である。そもそも、支那人には公共精神など微塵も無い。あるのは一族の繁栄を極めたい、とする野望だけ。毛沢東なんかは私欲の固まりで、自分の権力を維持するためなら、何千万人でも犠牲にしたし、戦争で国民が1億、2億、3億人死のうが一向に構わない。支那人ときたら繁殖力が旺盛なりで、数年もすれば、また増え始めるんだから。

  米国の大富豪と支那の支配者は、反りが合うというか馬が合う。一般的に、アメリカ人は私有財産を措定する共産主義を嫌うが、大富豪にしたら一党独裁の体制は大歓迎だ。広東や上海でビジネスを行う時、地元の有力者か北京の重鎮に「話」をつければ、後のゴタゴタは無い。先進国のアメリカやヨーロッパだと、法律や規制、慣習などで面倒な事が多いが、支那では「袖の下」を渡せば済む。ゼニを渡した後は何でもやりたい放題。環境問題に関する法令なんかは存在しないから、有毒な排ガス・排水でも垂れ流しOK。劣悪な地下工場で労働者をこき使ってもいいし、最低賃金とか福祉予算なんかも考えなくていい。支那人は目先の銭へ一直線だから、水産加工食品とか繊維業界の工場で、12時間でも16時間でも働く。単純作業で厭になることもない。支那全土が牢獄みたいなものだから、職場環境が劣悪でも我慢する。もし、これが日本だと大問題だ。たとえ、非正規の臨時雇いといえども、彼らは「日本国民」の権利を有する労働者で、法律の保護を手厚く受ける文明人である。アメリカ企業が乱暴な扱いをしたら裁判沙汰となって、多額の賠償金を支払う破目になるだろう。

David Rockefeller 15David Rockefeller & Jiang Zemin

(左 : 周恩来と会談するデイヴィッド・ロックフェラー / 右 : ヘンリー・キッシンジャーを仲介にして江沢民と会談するデイヴィッド・ロックフェラー )

  日本の保守派言論人は、米支の対立を以て、「北京政府が窮地に立つだろう」と予測するが、本当に北京政府が崩壊の危機を迎えるのか? なるほど、米国の圧力を受けて習近平が失脚することは有り得る。また、共産党内部で権力闘争が激しくなれば、習近平の派閥が凋落することもあるだろう。しかし、アメリカ軍が人民解放軍を叩き潰し、北京を軍事占領するとは考えにくい。昔、冷戦の終焉を目にした長谷川慶太郎は、支那の崩壊を予想したが大ハズレになってしまった。支那通の宮崎正弘も同類で、度々「支那崩壊」を言いふらしていたが、一向に北京政府が崩壊する兆しはない。だいたい、北京政府を倒したからといって、支那人による害悪が地上からなくなるのか? アメリカやヨーロッパに住む支那系住民は、祖国がどうなっても平気だし、湖南省や浙江省が消滅するわけじゃないだろう。おそらく、生き残った支那人は「難民」と化し、ぞくぞくと歐米諸国に押し寄せるはずだ。支那人こそ真の「地球市民」で、根無し草の典型である。

  日本は手っ取り早い「避難先」となるから、アッという間に支那人の入植地になってしまうだろう。まったく、日本国民は踏んだり蹴ったりである。日本には腐るほど支那贔屓の知識人がいて、遙か昔には、早稲田大学の新島淳良(にいじま・あつよし)とか安藤彦太郎、同志社大学の山田慶児、東京大学の菊池昌典、横浜国大の本橋渥(もとはし・あしつ)とかが居た。永田町では自民党の田中派が支那利権を牛耳り、国民の税金をせっせと支那人に貢いでいた。腹立たしいのは橋本龍太郎で、後に総理となる幹事長代理は支那人の女をもらって喜んでいた。橋龍の情婦となったのは、支那衛生部に所属する「朱」という通訳らしいが、ハニートラップの“お礼”として多額のODA(約26億円?)が渡っていたという。日本国民の公金でベチューン医科大学に病院が建つなんて言語道断。

  でも、他の国会議員も「日中友好」とやらで、同じ穴のムジナだった。彼らは遠慮無く、ジャンジャン経済援助を与えて支那を肥らせ、そのうえ補助金を与えて「研修生」や「留学生」を招待するんだから赦せない。一方、日本人のお陰で経済力を付けた支那人は、図々しくも北海道の土地を買い漁り、新たな入植地にしようと目論んでいる。尖閣諸島も風前の灯火だ。我が国の領土を狙う支那人に、保守派の日本国民は危機感を抱き、「何とかしなければ・・・」と焦るが、その元兇を作ったのは、他ならぬ日本人であるから、何とも腹立たしい。よりにもよって、庶民から選ばれた代議士が強盗犯を育てて、祖国の扉を開放するとは・・・。ホント、情けない。

Chinese workers 772Chinese workers 6

(左 : 昔の支那人労働者 / 右 : 現代の支那人労働者 )

  それにしても、米国が田中派の利権漁りと経済援助を見逃していたのは奇妙だ。もし、本当に米国が共産支那を「敵」とみなしていれば、「日中友好」派の国会議員は根こそぎ排除されていただろう。たぶん、下半身か金銭のスキャンダルを週刊文春に伝えて、次々と失脚させていたはずだ。でも、そうしなかったのは、日本人の税金で支那を肥った市場にする魂胆があったからじゃないのか? 貧乏で科学技術も無い支那へ日本の資金と技術を注ぎ込めば、支那は経済大国となるはず。案の定、支那は国家予算に余裕ができ、日本のODAを軍事に流用して、海軍や空軍の近代化を図った。もっと勘ぐれば、米国の軍需産業は支那との戦争で「在庫整理」をしたいんじゃないか。熱戦の時代となれば、軍備拡張は正当化されるし、兵器産業には注文殺到だ。新兵器の開発だって促進されるし、海外の米軍基地に次世代の戦闘機や空母が配備されて軍需産業と金融業者はボロ儲けだろう。

  一方、日本の製造業は支那への移転で、国内産業は衰退まっしぐら。しかし、こうした日本企業も一時は成功したものの、次第に現地の締め付けが厳しくなり、最終的には工場と利益をもぎ取られた。また、日本の半導体産業も、支那人に技術を盗まれて没落だ。豊かになった支那で、アメリカの大手企業が利益を上げても、日本国民には何の見返りも無い。あるとしたら、下品な支那人が高層ビルや有名企業を買収することくらいだ。想像するのも厭だけど、京都や鎌倉にある老舗旅館が支那人に買収されるのは非常に悔しい。でも、二階俊博は支那人のオーナーが増えて喜ぶんじゃないか。もしかすると、赤飯を炊いて祝福するかも。こんな奴が紀州の有力者なんて、まったく忌々しい。徳川家が統治する時代の方がよっぽど良かった。「デモクラシー万歳 !」と叫んだ学者は反省しろ !

  これから日本各地には、北池袋や西川口みたいな支那人街が誕生するだろう。「グーグル」や「フェイスブック」の経営陣や株主は、支那人に征服される日本人を見て、「馬鹿は後になってから気づくんだなぁ〜」と高笑いだ。スーパー・リッチは高級住宅地の要塞に住んでいるから安泰である。ロックフェラー家やモルガン家みたいな大財閥も、支那人が寄りつけない聖域に住んでいるから、どんなことが起きても構わない。BLMの黒人が掠奪しようにも、どこに豪邸があるのか分からないし、何千マイルも離れた森の中じゃ、アホな黒人は迷子になってしまうだろう。日本の保守派知識人は支那人排斥運動に賛成しないから、やがて日本人は支那人の群れに埋もれて行く。日支混血児が増えて、日系日本人が「マイノリティー」になる時代なんて、本当に恐ろしいじゃないか。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68852196.html  
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html#c3

[近代史3] キッシンジャーがやった事 中川隆
29. 中川隆[-6153] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:12:58 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[35]
2021年03月30日
ロックフェラーが贔屓にした支那 / 敵を育てる日本人
共産支那を開拓した大富豪
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68852196.html

David Rockefeller 1981Joe Biden & Xi Jinping 2

(左 : デイヴィッド・ロックフェラー / 右 : 習近平とジョー・バイデン)

  たいして珍しくもないが、最近も支那と米国の対立が水面下で激しさを増しているようだ。こうした国際関係を目にしているせいか、日本の保守論壇も「いざ、米支対決か !」という話題で盛り上がっている。しかし、「保守派」と評されている知識人でも、支那に言及する時は画一的な分析しかできないようだ。なるほど、いつかはアメリカ軍と支那軍の“小競り合い”や局地的な“紛争”はあるかもしれない。だが、当分の間は、両者が空軍や海軍を動員する総攻撃はないだろう。たとえ、合衆国政府が北京政府に政治的圧力を掛けることはあっても、熱戦にまで追い込む計画は無いはずだ。それに、習近平も馬鹿じゃなかいから、自ら進んでアメリカ軍を挑発するような真似はしないだろう。そもそも、支那人が得意とするのは全面戦争じゃなく、武器を使わぬ謀略工作や相手を精神的に揺さぶる心理戦である。

  トランプ政権の時は経済的に支那を苦しめる“冷戦”に力を入れていたが、アメリカの財界というかウォール街の旦那衆は、本当に共産党政権の打倒を欲しているのか? 表面上、ワシントンは「人権問題」を口実に北京を咎めているが、国際企業の経営陣は別なようで、今でも支那大陸での商売に関心が高い。巨大IT企業なども支那でのマーケットに夢中で、自国の政府が冷たい態度を取っていても、一向にお構いなし。「フェイスブック」を運営するマーク・ザッカーバーグは、約6億人のネットユーザーを見棄てることはできず、何が何でも支那でビジネスを推進したいようだ。そこで彼は習近平の御機嫌を取ろうとしたのか、2015年、生まれてくる赤ん坊のために、名前をつけてくれるよう頼んだという。(Loulla-Mae Eleftheriou-Smith, "China's President Xi Jinping turns down Mark Zuckerberg's request to name his unborn child's at White House Dinner", The Independent, 4 October 2015.) ところが、ホワイトハウスに招かれた習近平主席は、「荷(責任)が重すぎる」との理由で断ってしまった。

Mark Zuckerberg & Pricilla Chan 2Mark Zuckerberg & Pricilla Chan 3

(左 : 妊娠中のプリシラ夫人 / 右 : 生まれた娘を抱くマーク・ザッカーバーグ夫妻)

  結局、生まれてきた娘には「マキシム(Maxime)」という名前がつけられたが、母親(プリシラ陳)の血筋を考慮して、「陳明宇(Chen Mingyu)」という支那名もつけられたという。ちょっと複雑だけど、一応アメリカでは「マキシム・チャン・ザッカーバーグ」と呼ばれているようだ。それにしても、父親のマークは異常である。よりにもよって、マフィアのボスよりも兇悪で、人でなしの独裁者に我が子の名前を考えてもらおうなんて、一体どういう神経をしているのか。まぁ、女房のプリシラはベトナム系華僑の娘だから、チベット人やウィグル人の絶滅などはどうでもよく、権力者の威光に憧れているんだろう。ホント、支那人の女はどうして成長すると、老獪な宋美齢や江青みたいになるのか? 一般国民でも、“銭ゲバ”と化したアグネス・チャンや嘘つき蓮舫を思い出せば分かるだろう。

  話を戻す。アメリカの財界人は第二次世界大戦の前から支那大陸に興味を持っており、その中でも異彩を放っていたのはデイヴィッド・ロックフェラー(David Rockefeller)だ。高校生でも知っている通り、彼はロックフェラー財閥の総帥で、2017年に亡くなっている。享年102というから、驚くほどの長寿であった。何しろ、生まれたのが大正4年(1915年)の6月12日であるというから、ちょうど第一次世界大戦の最中である。しかし、もっとビックリするのは、彼が育った豪邸だ。ニューヨーク市にある御屋敷は9階建ての私邸ときている。屋上には囲い附きの遊技場があり、階下にはスカッシュ用のコートや屋内体操場、二階には音楽室があって、パイプオルガンやグランドピアノが備え付けられていた。さらに、専属の医療所まであったというから驚く。ロックフェラー家の末っ子は、自宅の医療所で生まれたそうだ。(デイヴッド・ロックフェラー 『ロックフェラー回顧録』 楡井浩一 訳、新潮社、2007年、p.36.)

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( 左 : 孫と息子に囲まれたジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア / 右 : ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・ジュニアの子供達 )

  この華麗なる一族は、野心満々でアジアの暗黒大陸に乗り込んでいった。だが、その手法は如何にも西歐人らしい遣り口である。基本的に、西歐人がアジアやアフリカを征服しようと欲する場合には、先ず宗教や医学、あるいは貿易を看板にした浸透を試みる。必ずしも武力侵掠とは限らない。軍隊を用いた攻撃は、“平和的”な交流が中断されるか、社会的および経済的摩擦が増大した時である。スペインやポルトガルの日本征服も、最初はキリスト教の布教で始まり、行く行くはキリシタン大名を増やしてからの計画であった。しかし、日本での布教が中々効果を上げないことに業を煮やしたガスパー・コエリョ(Gaspar Coelho)は、軽率な行動を取る。彼は「フスタ(fusta)船」に大砲を積んで、博多に居る豊臣秀吉のもとに向かったのだ。

  これは明らかな挑発というか、暗黙の脅しである。コエリョの威嚇に激怒した秀吉は、キリシタンの排斥を決意する。まぁ、ポルトガル人の宣教師からすれば、この方が手っ取り早いと考えても無理はない。普通のヨーロッパ人だって、「異教徒への布教は軍事的占領後に行うのが一番」と考えてしまうんだから。ところが、同じイエズス会士でも、コエリョの上司であるイタリア人のアレッサンドロ・ヴァリアーノ(Alessandro Valignano)神父は違っていた。彼は非常に賢明な準管区長で、日本人の気質をよく理解していたから、コエリョの恫喝を愚策と思っていた。上智大学の学長を務めたヨゼフ・ピタウ神父も、「あれはマズかった」と悔やんでいた。

Rockefeller Foundation in China Medicine(左 / ロックフェラー財団が育成した支那人の医者)

  またもや脱線したので話を戻す。バプティスト教会を楯にするロックフェラー家は、支那大陸での慈善活動や医療活動に熱心だった。例えば、ロックフェラー財団は1914年に「支那医療評議会(China Medical Board)」を設置すると、1917年には「北京ユニオン医学校(Pekin Union Medical College)」を創設したというから、まるで日本人みたい。でも、アメリカの大富豪は我々と違っていた。日本人なら支那人の異臭と不潔さで卒倒しそうになるが、敬虔なロックフェラー家は気にしないようで、資金と人材を投入して“碌でなし”の支那人を救おうとしたのだ。1933年には3,700万ドルの大金を投入して公衆衛生や医療に努めたし、農業分野にも手を伸ばして、畑や作物栽培の改善にも尽力した。1935年頃になると、「北支地域再開発評議会(North China Council for Rural Reconstruction)」まで設置したというから天晴れ。しかし、1937年に我が軍の将兵が支那大陸に侵攻したから、ロックフェラー財団の支那開拓は中断を余儀なくされたという。

  ところが、ロックフェラー家は支那大陸を諦めきれなかった。それもそのはず。膨大な人口を有する支那の“ポテンシャル(潜在能力)”は、どうしても棄てがたい。デイヴッド・ロックフェラーは自身の回顧録でこう述べていた。

  祖父は、同世代の多くの企業家たちと同じく、“中国市場”の潜在的可能性を熱心に追求した。・・・・また、祖父が初めての給料のうち数ドルを、中国で働く定評あるバプティスト派宣教師に寄付してからずっと、中国はわが一族の慈善寄付の対象であった。(上掲書、p.315.)

  デイヴィッド・ロックフェラーの祖父と言えば、あの「スタンダード・オイル」を創設した財界の巨人、ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニア(John Davison Rockefeller, Sr.)で、その息子であるジョン・デイヴィソン・ジュニア(John Davison Rockefeller, Jr.)は、チェイス・マンハッタン銀行の総帥となったデイヴィッドの父親だ。この孫は一族の慈善事業を誇らしく述べていた。

  父個人による寄付もあれば、ロックフェラー財団によるものもある。揚子江の包括的な経済開発努力、南京の十三陵の修復、公衆衛生と医学教育、さらには中国関税の改革に至るまで、広範囲にわたる事業が寄付の対象となった。(上掲書、p.316.)

  ロックフェラー財団の意気込みは凄まじく、後進国の支那に北京協和医科大学(PUMC)まで創ってしまった。「支那の公衆衛生を手助けしたい」という意欲はご立派だが、あの支那人が「清潔な民族」になるとは未だに思えない。日本にやって来る観光客を見てみろ ! 旅館の食堂で飯を喰えば、床にフライド・チキンの骨を投げ捨てるし、所構わず痰や唾をペッペッと吐く。便所の使い方は汚いし、コンビニ弁当を買えば、プラスチックの容器を花壇や路上にポイ捨てだ。観光地でも支那人の評判は悪く、他人の庭に勝手に侵入して記念写真を撮ってしまうし、植えてある花を摘まんで記念品にする、といった図々しさがある。(信じられない支那人の不潔さや破廉恥行為については、拙書『支那人の卑史 朝鮮人の痴史』で触れたから、109〜116頁を参照にしてね。)

John D. Rockefeller , Sr & Jr 003China cultural revolution 11


(左 : ジョン・デイヴィソン・ロックフェラー・シニアとジュニア / 右 : 1960年代の支那人娘 )

  日本の商売人と同じく、米国の企業経営者にとって、膨大な人間がひしめく支那大陸は魅力の倉庫だ。何しろ、人口が桁外れに大きいし、ボケ〜とした下層民でも低賃金でせっせと働く。労働環境の改善とやらでブツブツ言わないし、反抗したって管理者が弾圧して一件落着。遠山の金さんがいない支那では、誰もが「仕方ないアルョ〜」で諦めてくれるのだ。さらに、支那人はアフリカ人と違って、手先が器用なうえに知能が高い。訓練すれば“使い物”になる。何しろ、支那人は資本制経済となれば水を得た魚のようになるから、オタマジャクシもビックリ仰天。そう言えば、支那人というのは元々は商売上手の民族だ。ユダヤ人が言い出した平等思想の共産主義なんて大嫌い。明や宋の時代に生きていた支那人を調べれば一目瞭然。清貧の思想なんて真っ平御免だ。人生は酒池肉林に限る。美女とイチャついて幼児を食べるのが支那人の理想だ。

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(左 : 「文化大革命」に共鳴する支那の民衆 / 右 : 「人民の敵」を吊し上げる支那人 )

  ということで、共産主義は支那人の体質に合わない。彼らは“いざ銭儲け”となれば、たとえ火の中水の中、マグマの中にだって潜って行く。銭の匂いとくれば、鮫や犬よりも感度が高い。数マイル先でチャリンと鳴った硬貨の音にも即反応する。ゆえに、今は貧乏な支那人でも、仕事を与えて所得を増やしてやれば、貪欲な消費者に様変わり。君子豹変どころの話じゃない。金色になったフリーザよりも貪欲だ。しかも、未開の暗黒大陸には、インフラ整備の余地がゴロゴロある。ビルや橋を建設する公共事業だけでも巨大な利益を生んでしまうのだ。耐震基準なんて関係ないから、どんなビルでも建設OK。安全基準も存在しないから、高速鉄道(新幹線の盗作品)の敷設も早かった。

  とにかく、支那大陸は金銭が飛び交う広大なジャングルだ。それに、支那人は元々“博打好き”という性質を持っているので、北京や上海に株式市場が誕生すれば、大金が集まると誰にでも予想できる。実際、多くの支那人が株主になった。広東や上海の豪商ばかりか、浙江省の温州商人を見れば分かるじゃないか。最近、野村ホールディングスがヘッジ・ファンドの件で大損したけど、お金を貸した奴の過去を調べれば“危険な賭”ということが容易に判ったはずだ。野村HDばかりか、クレディー・スイスやモルガン・スタンレー、ゴールドマン・サツクスなども「アーケゴス・キャピタル・マネージメント(Archegos Capital Management)」への貸し付けで大怪我をしている。貸し付けた資金が危うくなり、株価の暴落を味わった。(Matt Scuffham, John Revill, Makiko Yamazaki, "Global banks brace for losses from Archegos fallout", Reuters, March 29, 2021.)

Bill Hwang 3(左 / ビル・ファン )
  ちょっと信じられないけど、こうした有名企業が大金を渡した相手というのが、ビル・ファン(Bill Hwang)という支那人だ。(情報が少ないので、彼の国籍は判らない。) 「アーケゴス」の創設者であるファン氏は、元々「タイガー・アジア・マネージメント(Tiger Asia Management LLC)」を運営していた人物。しかし、彼はインサイダー取引の前科を持つヘッジファンド・マネージャーであったから、危ない橋を渡るのは慣れている。報道によれば、支那への投資が上手く行かなかったので、巨額の損失を出してしまったようだが、まぁ、投資なんて博打と同じだから、野村HDが20億ドルの損害を蒙っても不思議じゃない。大金を貸す時には、よ〜く相手の人格を検証すべきだ。

  脱線したので話を戻す。もし、赤い支那が市場経済に向かうとなれば、その金融制度は支那経済の血液となり、貨幣を扱う「銀行」も必須の機関となるだろう。文化大革命直後の支那では、これといった金融制度や銀行が無く、支那人もどうしていいのか分からなかったから、チェイス銀行の前には巨大なビジネスチャンスが転がっていたという訳だ。以前のブログ記事でも紹介した通り、デイヴィッド・ロックフェラーは慧眼の持ち主。「支那大陸へ一番乗りだ !」と張り切っていた。(ちなみに、「チェイス・ナショナル銀行」は1955年に「マンハッタン・カンパニー」と合併し、「チェイス・マンハッタン銀行」となる。そして、1996年には「ケミカル・バンク」と合併し、2000年になると「J.P.モルガン& Co.」を吸収して、看板を「JP Morgan Chase」に変えていた。) デイヴィッド・ロックフェラーの回想によれば、

  設立当初、チェース銀行は中国の輸出産業に積極的に関わっていた。・・・チェースは中国語で“大通銀行”と呼ばれるようになった。(上掲書、p.318.)

Winthrop Aldrich 003Abby Rockefeller o1(左 : ウィンスロップ・W・オールドリッチ / 右 : アビー・オルドリッチ・ロックフェラー)
  確かに、チェースの支店は1930年代にも大繁盛していたが、第二次世界大戦が勃発すると、日本との戦争が激しくなり、銀行業務は閉鎖に追い込まれたそうだ。さらに1950年、支那はチェースの支店を国有化し、従業員を拘束するという停止措置まで取ったから泣きっ面に蜂である。しかし、ロックフェラー家は日本を足がかりにして再起を目指す。1947年、デイヴィッドの叔父であるウィンスロップ・W・オールドリッチ(Winthrop W. Aldrich)は国防総省を説得し、占領下の日本でチェースが軍の銀行施設を再開する許可を得たそうだ。数年後、アメリカ軍は東京や大阪に完全な商業支店を増設する許可を出した。ちなみに、このウィンスロップ叔父さんは、母親アビー(Abby Greene Aldrich Rockefeller)の弟で、チェイス・ナショナル銀行の頭取や会長を務めた人物。のちに、彼は駐英米国大使となった。デイヴィッド・ロックフェラーは、次のように回想する。

  日本経済は急展開し、チェースは日本政府にドル資金を提供する主要な民間銀行として頭角を現した。わたしたちは、日本が外部ドル資金を切実に必要としているとき、日本経済再建のために何億ドルもの資金を提供した。この状況が続くあいだ、チェースしぼろ儲けをした。(上掲書、p.319.)

  第二次世界大戦後、日本を筆頭に東南アジアも経済的に発展したので、大手銀行のチェースはここでも相当な利益を上げたらしい。ところが、この勢いを妨げる不安定要素があった。それが北京にいる支那の指導部である。これにはデイヴッド・ロックフェラーも頭を痛めた。曰わく、

  中国は莫大な人口を抱え、巨大な軍隊を擁し、潜在的な経済力を有していたので、その将来の行動方針に誰もが大きな関心を寄せた。(上掲書、pp.319-320.)

  だから、支那をどうにかして資本制市場経済に引き入れないと、せっかくの巨大市場が駄目になってしまう虞(おそれ)があった。そこでチェース銀行を助けたのは、ニクソン政権で国家安全保障の特別補佐官になっていたヘンリー・キッシンジャー(Henry Kissinger)である。形式上、彼はニクソン大統領の側近となっていたが、本当の御主人様は後に副大統領になるネルソン・ロックフェラー(Nelson Aldrich Rockefeller)であった。この副大統領はデイヴッド・ロックフェラーの兄で、「オールドリッチ」は母親アビーの旧姓である。彼のエピソードで刮目すべきは、1970年に所得税を全く払っていなかったことだ。ネルソンの言い訳によれば、その年だけは慈善活動の税控除を差し引いたら、所得が激減していたというのだ。でも、彼の平均年収は約470万ドルだったから、本当に所得が激減したのか怪しい。実際は、自分の儲けを財団に移したから、個人所得が減ってしまったんじゃないか。つまり、巧妙な「節税」というやつだ。財団というのは大富豪にとって、個人財産を守るために設立する隠れ蓑という側面を持つ。

Nelson Rockefeller 001Henry Kissinger 001Nelson A Rockefeller & Henry Kissinger 1


( 左 : ネルソン・ロックフェラー / 中央 : ヘンリー・キッシンジャー / 右 : 主君のネルソンと家臣のキッシンジャー )

  1970年代初頭、キッシンジャーの暗躍でアメリカと支那の国交が回復したというのは有名な話だ。表向き、ソ連を牽制するためと言われているが、どんな裏取引をしたのか分からない。昔から、アメリカは支那共産党を支援しており、ここでは詳しく述べないが、支那通のジョン・サーヴィス(John Stewart Service)やジョン・パトン・デイヴィス(John Paton Davies, Jr.)、日本通のジョン・エマーソン(John Kenneth Emmerson)、陸軍のジョセフ・スティルウェル(Joseph Stilwell)将軍の活躍を調べると、徐々に大富豪とOSS(戦時中の米国諜報機関でCIAの前身)の魂胆が見えてくる。また、「岡野進」の偽名を以ていた野坂参三は、支那で国務省のアメリカ人たちと昵懇だったから、日本共産党の方がアメリカの支那政策に詳しいんじゃないか。

Joseph Stilwell & Soong-Mei-ling Chiang 1942John Paton Davies & Dixie Mission to Yanan

(左 : ジョセフ・スティルウェル将軍と蒋介石夫妻 / 右 : ジョン・パトン・デイヴィスと「ディクシー・ミッション」に協力した支那人)

  支那の扉をこじ開けようと、その突破口を探していたデイヴッド・ロックフェラーは、子分のキッシンジャーに助言を求めた。御主人様からの御下問を受けた、このユダヤ人は早速、支那側の国連常任委員を務める黄華(こうか / Huang Hua)大使を紹介した。後に外交部長となる黄華は、古株の外交官で周恩来にも有力なコネがあったらしい。「御庭番」のヘンリーから慎重に行動するよう忠告を受けたデイヴィッドは、辛抱強く交渉を続けたそうだ。というのも、当時の北京政府は外国人全般に対する入国審査に厳しく、例外としたら、政治プロパガンダに好都合な左翼ジャーナリストや支那贔屓の学者くらい。案の定、チェイスの頭取が入国できるまで1年以上かかってしまった。

  しかし、ロックフェラー家はただ荏苒(じんぜん)として時を過ごし、許可を待つばかりではなかった。支那人には“それなり”の営業が効果的だ。そこで、国連との関係を担当するチェースの副頭取、レオ・ピェール(Leo Pierre)の登場とな.。彼は黄華とその側近がニューヨークへやって来ると聞きつけ、彼らに対する“付け届け”を用意した。ピェール氏は使節団が最初の数日間、何かと不便を感じるかも知れない、というので、それを乗り切るために“当座のお小遣い”が必要だろうと予測した。善は急げで、レオはスーツケースに現金5万ドルを詰め込み、ルーズヴェルト・ホテルのロビーで一日中、中国代表団の到着を待ち続けたそうだ。そしてついに、支那の代表団が姿を現すと、みずから大使の元に赴き、そこに来た目的を説明した。こうしてチェイス銀行の副頭取は黄華にスーツケースを手渡す。しかし、彼は大使が差し出す貸付の領収書の受け取らず、鄭重にに断ったそうだ。(上掲書、pp.320-321.) さぁ〜すが、アメリカのビジネスマンは支那人の下心を解っている。

MaoTse Tung cultural revolution 01(左 / 毛沢東)
  善悪はともかく、支那人はこういった“心配りに”感謝する。歐米や日本では「やましい賄賂」となるが、支那では政治や経済の潤滑油、あるいは交際のスパイスとなるから、別に悪い事じゃない。むしろ、こうした「贈り物」が無いと関係がギクシャクする。アメリカの大富豪は密室での接待が得意で、裏取引をためらわない支那人が大好き。支那人だって札束に目がないから渡りに船。彼らにとって、私腹を肥やすのは人生の醍醐味である。そもそも、支那人には公共精神など微塵も無い。あるのは一族の繁栄を極めたい、とする野望だけ。毛沢東なんかは私欲の固まりで、自分の権力を維持するためなら、何千万人でも犠牲にしたし、戦争で国民が1億、2億、3億人死のうが一向に構わない。支那人ときたら繁殖力が旺盛なりで、数年もすれば、また増え始めるんだから。

  米国の大富豪と支那の支配者は、反りが合うというか馬が合う。一般的に、アメリカ人は私有財産を措定する共産主義を嫌うが、大富豪にしたら一党独裁の体制は大歓迎だ。広東や上海でビジネスを行う時、地元の有力者か北京の重鎮に「話」をつければ、後のゴタゴタは無い。先進国のアメリカやヨーロッパだと、法律や規制、慣習などで面倒な事が多いが、支那では「袖の下」を渡せば済む。ゼニを渡した後は何でもやりたい放題。環境問題に関する法令なんかは存在しないから、有毒な排ガス・排水でも垂れ流しOK。劣悪な地下工場で労働者をこき使ってもいいし、最低賃金とか福祉予算なんかも考えなくていい。支那人は目先の銭へ一直線だから、水産加工食品とか繊維業界の工場で、12時間でも16時間でも働く。単純作業で厭になることもない。支那全土が牢獄みたいなものだから、職場環境が劣悪でも我慢する。もし、これが日本だと大問題だ。たとえ、非正規の臨時雇いといえども、彼らは「日本国民」の権利を有する労働者で、法律の保護を手厚く受ける文明人である。アメリカ企業が乱暴な扱いをしたら裁判沙汰となって、多額の賠償金を支払う破目になるだろう。

David Rockefeller 15David Rockefeller & Jiang Zemin

(左 : 周恩来と会談するデイヴィッド・ロックフェラー / 右 : ヘンリー・キッシンジャーを仲介にして江沢民と会談するデイヴィッド・ロックフェラー )

  日本の保守派言論人は、米支の対立を以て、「北京政府が窮地に立つだろう」と予測するが、本当に北京政府が崩壊の危機を迎えるのか? なるほど、米国の圧力を受けて習近平が失脚することは有り得る。また、共産党内部で権力闘争が激しくなれば、習近平の派閥が凋落することもあるだろう。しかし、アメリカ軍が人民解放軍を叩き潰し、北京を軍事占領するとは考えにくい。昔、冷戦の終焉を目にした長谷川慶太郎は、支那の崩壊を予想したが大ハズレになってしまった。支那通の宮崎正弘も同類で、度々「支那崩壊」を言いふらしていたが、一向に北京政府が崩壊する兆しはない。だいたい、北京政府を倒したからといって、支那人による害悪が地上からなくなるのか? アメリカやヨーロッパに住む支那系住民は、祖国がどうなっても平気だし、湖南省や浙江省が消滅するわけじゃないだろう。おそらく、生き残った支那人は「難民」と化し、ぞくぞくと歐米諸国に押し寄せるはずだ。支那人こそ真の「地球市民」で、根無し草の典型である。

  日本は手っ取り早い「避難先」となるから、アッという間に支那人の入植地になってしまうだろう。まったく、日本国民は踏んだり蹴ったりである。日本には腐るほど支那贔屓の知識人がいて、遙か昔には、早稲田大学の新島淳良(にいじま・あつよし)とか安藤彦太郎、同志社大学の山田慶児、東京大学の菊池昌典、横浜国大の本橋渥(もとはし・あしつ)とかが居た。永田町では自民党の田中派が支那利権を牛耳り、国民の税金をせっせと支那人に貢いでいた。腹立たしいのは橋本龍太郎で、後に総理となる幹事長代理は支那人の女をもらって喜んでいた。橋龍の情婦となったのは、支那衛生部に所属する「朱」という通訳らしいが、ハニートラップの“お礼”として多額のODA(約26億円?)が渡っていたという。日本国民の公金でベチューン医科大学に病院が建つなんて言語道断。

  でも、他の国会議員も「日中友好」とやらで、同じ穴のムジナだった。彼らは遠慮無く、ジャンジャン経済援助を与えて支那を肥らせ、そのうえ補助金を与えて「研修生」や「留学生」を招待するんだから赦せない。一方、日本人のお陰で経済力を付けた支那人は、図々しくも北海道の土地を買い漁り、新たな入植地にしようと目論んでいる。尖閣諸島も風前の灯火だ。我が国の領土を狙う支那人に、保守派の日本国民は危機感を抱き、「何とかしなければ・・・」と焦るが、その元兇を作ったのは、他ならぬ日本人であるから、何とも腹立たしい。よりにもよって、庶民から選ばれた代議士が強盗犯を育てて、祖国の扉を開放するとは・・・。ホント、情けない。

Chinese workers 772Chinese workers 6

(左 : 昔の支那人労働者 / 右 : 現代の支那人労働者 )

  それにしても、米国が田中派の利権漁りと経済援助を見逃していたのは奇妙だ。もし、本当に米国が共産支那を「敵」とみなしていれば、「日中友好」派の国会議員は根こそぎ排除されていただろう。たぶん、下半身か金銭のスキャンダルを週刊文春に伝えて、次々と失脚させていたはずだ。でも、そうしなかったのは、日本人の税金で支那を肥った市場にする魂胆があったからじゃないのか? 貧乏で科学技術も無い支那へ日本の資金と技術を注ぎ込めば、支那は経済大国となるはず。案の定、支那は国家予算に余裕ができ、日本のODAを軍事に流用して、海軍や空軍の近代化を図った。もっと勘ぐれば、米国の軍需産業は支那との戦争で「在庫整理」をしたいんじゃないか。熱戦の時代となれば、軍備拡張は正当化されるし、兵器産業には注文殺到だ。新兵器の開発だって促進されるし、海外の米軍基地に次世代の戦闘機や空母が配備されて軍需産業と金融業者はボロ儲けだろう。

  一方、日本の製造業は支那への移転で、国内産業は衰退まっしぐら。しかし、こうした日本企業も一時は成功したものの、次第に現地の締め付けが厳しくなり、最終的には工場と利益をもぎ取られた。また、日本の半導体産業も、支那人に技術を盗まれて没落だ。豊かになった支那で、アメリカの大手企業が利益を上げても、日本国民には何の見返りも無い。あるとしたら、下品な支那人が高層ビルや有名企業を買収することくらいだ。想像するのも厭だけど、京都や鎌倉にある老舗旅館が支那人に買収されるのは非常に悔しい。でも、二階俊博は支那人のオーナーが増えて喜ぶんじゃないか。もしかすると、赤飯を炊いて祝福するかも。こんな奴が紀州の有力者なんて、まったく忌々しい。徳川家が統治する時代の方がよっぽど良かった。「デモクラシー万歳 !」と叫んだ学者は反省しろ !

  これから日本各地には、北池袋や西川口みたいな支那人街が誕生するだろう。「グーグル」や「フェイスブック」の経営陣や株主は、支那人に征服される日本人を見て、「馬鹿は後になってから気づくんだなぁ〜」と高笑いだ。スーパー・リッチは高級住宅地の要塞に住んでいるから安泰である。ロックフェラー家やモルガン家みたいな大財閥も、支那人が寄りつけない聖域に住んでいるから、どんなことが起きても構わない。BLMの黒人が掠奪しようにも、どこに豪邸があるのか分からないし、何千マイルも離れた森の中じゃ、アホな黒人は迷子になってしまうだろう。日本の保守派知識人は支那人排斥運動に賛成しないから、やがて日本人は支那人の群れに埋もれて行く。日支混血児が増えて、日系日本人が「マイノリティー」になる時代なんて、本当に恐ろしいじゃないか。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68852196.html  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/141.html#c29

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
3. 中川隆[-6152] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:15:00 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[36]
菅政権が「歴代最低」な理由 ― 中国版TPP「RCEP」に即署名、尖閣だけでなく全土を奪われる…グローバリストに魂を売った男(ジェームズ斉藤)
2020.11.30
https://tocana.jp/2020/11/post_186999_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報 12月6日にイベント開催詳細はこちら】

──アメリカが大統領選でガタガタになっている間に菅政権が急速に中国に接近してますけど、ヤバくないですか? 

ジェームズ かなりヤバいと思います。先日も中国版TPPであるRCEPにアッサリと署名していますが、これには裏があって二階俊博自民党幹事長が動いています。

──二階さんは7月のCSISリポートで媚中派と名指しされて失脚するかと思ったんですが、しなかったんですね。

ジェームズ 本来は失脚しているはずですが、菅政権誕生の裏で二階幹事長が暗躍しました。RCEP署名はその見返りです。二階氏は中国の商務部とズブズブで、地元の和歌山の白浜動物園にパンダを7頭レンタルしてもらうほどの媚中ですので、RCEP署名はなによりの御礼になるでしょう。また、RCEP署名の御礼に今度は二階氏が中国外相王毅の来日をセッティングしました。

──私物化もはなはだしいですね。日本の国益を完全に無視して、二人で“行って来い”をやってます。

ジェームズ 当然です。菅政権誕の時にも言いましたが、そもそも菅さんは陰湿な謀略でのし上がってきた人なので、敵が多く、お抱えの官僚すら完全に信頼していないです。彼が信用できるのは利害のある関係だけですから、そうなるんです。いま菅首相と直接の対話が可能なのは二階さんとカジノ推進派のドンの方くらいです。

──カジノのドンですか?

ジェームズ 数名おられます。名前は出せないですが。いずれにせよ、菅政権はカジノ政権です。カジノをやるために総理になった人ですから、裏を返すと、カジノ利権を押さえた瞬間に「内閣ポイ捨て」の可能性すらあります。おそらく村山、鳩山、菅(直人)等の歴代最低レベルと同格でしょう。まさか自民党から最低な売国総理が出るとは思いませんでした。これまでも小泉、安倍といった売国総理がでましたが、まだ徹底して対米従属を維持することにより、最低限の対中牽制のバランス感覚があったと思います。菅首相はそのような感覚すらありません。

──ということはRCEPの中身なんてこれっぽっちも気にしていませんね、菅さんは。

ジェームズ してもいません。菅政権が気にしているのは金の流れです。現在の流れは完全にグローバリストが推す中国中心のGreat ResetですからRCEPは中身なんか見てもいないで大賛成でしょう。


──このままでは尖閣も取られてしまいますね。

ジェームズ 尖閣どころでは済まないでしょう。中国外相の王毅が11月24〜25日に来日し、日本側と尖閣諸島関連のホットライン機能設立の合意を取り付けています。なんとこれは、尖閣諸島で起きた危機を日中二国間で話し合うということです。まともな軍を持たない日本など簡単に中国の超限戦の罠にハマり、気づいたら漁民になりすました人民解放軍特殊部隊要員が尖閣に旗を立て、中共の傀儡である国連等の国際機関を動員し「釣魚台における中国の主権承認」が実現されているでしょう。実は尖閣に関しては10月には在日米軍司令官のKevin Schneider米空軍中将が尖閣危機における日本防衛を確認したところでした。ところが、菅政権は完全に米国をスルーするという暴挙に出ました。米軍なしの自衛隊などオモチャの軍隊です。

 さらに日中の急接近によって日本の五族協和化が進みます。つまり、中国人が大量に日本に移住、定住、永住権取得、帰化の順に「日本人」になっていき、「共生」を盾に政治を乗っ取る方式です。彼の歴史をたどればわかることですが、菅本人には何の違和感もないはずです。また、RCEPはこの動きに拍車をかけます。貿易自由化のRCEPには、将来的にはアジア圏の人の移動の自由が保証されるでしょう。するといま以上に簡単に大量の中国人が入ってきます。日本人は次第に住んでいた土地を奪われて「中華人民共和国日本少数民族自治区」ができるでしょう。

──日本の中に、日本人が住む自治区が作られるってことですか!?

ジェームズ 十分に考えられます。これは『日本解放綱領』にも記載されていることです。『日本解放綱領』とは中共が1970年代に作成した対日共産化計画書で、日本では怪文書ということになっていますが、世界の諜報機関関係者の間では本物と見なされています。実際、某諜報機関OBの親戚兼元秘書を持つ小池百合子東京都知事も以前、この文書を堂々と本物と断定していました。

 この文書には国会議員の弱みを握って掌握することや、マスコミ工作について書いてあり、その目的も日本人民共和国の樹立となっています。「人権、民主、平和」の3つのキーワードを使って中共化したマスコミと日教組が日本を改造していくことが決まっています。

──実際そうなっていますね。すべて『日本解放綱領』通りの展開になっています。

ジェームズ 世界全体がそういう流れになっています。これは中国版Great Resetで、グローバリストが進めるGreat Resetともリンクしています。ですから、RCEPは相当危険な条約であり、菅首相は、中身は読んでなくてもそこはわかっていて署名しています。なぜなら、菅さんもまた五族協和が旗印であり、日本のチベット・ウイグル・内蒙古化を進めています。これらの地域と違うのは、日本の場合わざわざ侵略せずとも現在既に総理官邸に傀儡政権が存在していることです。これは以前、記事で書いたとおりです。(記事→菅義偉の黒い正体 (前・中・後編))

──実際、菅さんになった途端露骨な中国急接近には驚きです。貿易自由化のRCEPが発動すれば、当然、中国の安い商品がガンガン入ってきますね。

ジェームズ 中国の安い電化製品の爆輸入で、日本の家庭が中国製で溢れ、IoT(Internet of Things)で個人のデータが抜かれ、軍事作戦に使われます。中国の衛星「北斗」は日本の上空を飛んでいますから、データはそこに送られ、衛星写真と個人のデータの結合がされ、誤差1-3cmレベルのピンポイントのドローン攻撃で暗殺等も可能になります。今のナノドローンは蚊の大きさなので、自衛隊の防空体制が効きません。すでに日本に定住している人民解放軍のスパイがナノドローンを放ち、衛星からのシグナルを受けながら、暗殺ミッションを果たします。

──蚊レベルですか!?

ジェームズ 軍事レベルでは蚊のサイズのドローンはすでにあるそうです。共産主義の本質は「人民の家畜化」です。ロシア革命では皇帝の処刑やスラブ系ロシア人の虐殺等がありましたが、全ては家畜化を目指したものです。今はデジタル監視社会を作るだけで家畜化は成功します。なぜなら、支配者側は個人のデータを管理どころか操作までできるので、大衆を完全にコントロール下に置けます。言い換えれば、我々のコンピュータやスマホの画面に映っている情報は既に支配者側が仕組んだものになるということです。つまり我々の認知空間が家畜化の対象となったのです。

──デジタル人民元による支配もありそうですね。

ジェームズ はい、しかも既に中国主導のアジア共通通貨である「デジタル・アジア元」の構想が議論されています。おそらく人民元は世界の基軸通貨になると思われます。そもそもドル基軸体制の崩壊は何十年もかけて行われ、トランプ時代に加速しました。

──人民元が基軸通貨になると、グローバリストたちとはどんな関係になるんですか? 単純にどっちが上なんですか?

ジェームズ 当然グローバリストの方が中共より上です。中共はただの駒です。中共は外国からの投資で成り立っているようなものなので、借金まみれです。つまり、グローバリストの傀儡です。

 グローバリストは国家を借金漬けに追い込み、政府を乗っとります。グローバリストたちがなぜ中国推しなのかといえば、すでに傀儡だからです。EUも傀儡ですし、残るはトランプのアメリカとプーチンのロシアぐらいです。アメリカの場合は大統領がバイデンに交代すればすぐにもグローバリストの傀儡政権に早変わりします。

 そうなると残るのはプーチンのロシアだけになります。ロシアの場合は2019年には対外債務を含む公債をゼロにし、グローバリストには最も嫌われています。おそらく最も独立と主権を維持している国でしょう。ちなみに日本の公債はGDPの200%を超え、GDPベースで計算すると世界一の借金国です。なので、日本には小泉、安倍、菅のようなグローバリストに魂を売る総理しかいないのです。

──えっ、日本の公債がどれほどグローバリスト勢力に握られているのですか?

ジェームズ 年金等は全て外資系投機家に渡っています。日本の場合ほとんどの企業が外資に独占されているので、経団連等の財界はグローバリストの手先と見てもおかしくないです。実際、日本のRCEP加盟は経団連が2019年のレポートで提言し、前述の親中派のドンである二階氏の影響力に加え、日本を代表する大企業の強い要請で今回菅総理が署名した背景もあります。グローバリストに借金漬けにされると、「日本ファースト」や「日本人のための日本」等のビジョンは雲を掴むような話です。

──既に征服され済みなんですね、日本は。ちなみにグローバリストの上のほうの人たちってどういう人なんですか? 英国王室とかですか?

ジェームズ 下のピラミッドが私の理解に最も近いです。

https://tocana.jp/2020/11/post_186999_entry_3.html

 一番上の赤の部分に何が入るのかはっきりしないのですが、英国王室というより、ロスチャイルド家、ロックフェラー家らのバックにいる勢力です。おそらく中世イタリアのメディチ家の末裔等でしょう。英国王室はまだまだ新参者でスキャンダルで目立ち過ぎです。普通、ピラミッドの頂点に立つものは表舞台に出てこないです。そして、この世界エリートを束ねるのがペド文化です。

──ヴァチカンもですか?

ジェームズ ヴァチカンもグローバリストの傀儡です。彼らは世界のカトリックネットワークで人身売買をしています。最近は自らグローバリストであることを証明するかのごとく、中共にすり寄っています。

──ジェームズさんのお話でRCEPの危険性が見えてきましたが、TPPと違って野党もまったく反対してませんね。

ジェームズ 前述した様に、日本の政治が中国マネーに牛耳られているからです。野党はそもそも中共の傀儡ですから、TPPには反対してもRSEPにはむしろ大賛成です。ですから、国民が声を上げる以外に、日本が亡国となる道を止めることはできないでしょう。しかし、現職の国会議員はほぼ全員が「自分ファースト」で、しかもその大半は中国マネーで政治をやっているので、望みを託しても簡単に裏切られるだけです。したがって、RCEPは批准され、中国による事実上の「占領下日本」が生まれます。

 戦後一貫して米国の極左が作った「形だけの民主主義」に甘んじてきた日本では、トランプの米国のように日本人による「大覚醒=Great Awakening」が必要になってくると思います。私の記事がその「大覚醒」に繋がれば本望です。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c3

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
4. 中川隆[-6151] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:16:53 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[37]
トランプ大統領が排斥された理由

中国の上場企業の大株主はすべて欧米のファンドだった
こういう話すると白い目で見られますが本当だからUPします
2021/02/04





【特別番組】トランプ退陣、世界は何を失ったか? − 伊藤貫氏に聞く[R3/1/25]




トランプの反中は本物だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/379.html

どうしても戦争だけはやりたくなかったドナルド・トランプ大統領
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1152.html

世界の支配者は誰か?
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/315.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c4
[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
5. 中川隆[-6150] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:17:43 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[38]
中国主導の多極型世界を示したダボス会議
2021年2月5日   田中 宇
http://tanakanews.com/210205davos.htm

1月25-29日に完全オンラインで開催されたダボス会議で主導的な基調演説をしたのは中国の習近平主席だった。このバーチャル会議で、習近平の次に注目されたのはロシアのプーチン大統領だった。そしてその次に、インドのモディ首相や、EUの独メルケル・仏マクロン・EU委員長フォンデアライエンのトリオ。その次のレベルで演説が注目されたのが、南アフリカのラマポーザ大統領、イスラエルのネタニヤフ首相、日本の菅首相、韓国の文在寅、シンガポールのリシェンロン首相だった。その他、イタリアやスペイン、ギリシャといった欧州諸国、ガーナやアルゼンチンなど中南米アフリカ諸国などの首脳もバーチャル演説を配信した。これが、今回のバーチャルダボス会議での国家指導者群の序列である。 (Xi Jinping Wows Them at Davos) (These are the global figures taking part in digital Davos)

ダボス会議は、今の国際社会を代表する会議である。世界中の財界人や政治家、固い業界の有名人たちが参加を切望してきた。ダボス会議での序列は、世界の政治的な序列でもある。今回から、中国が世界のトップになった。そして、それに続くのがロシアやインド、南アというBRICS諸国。その横にEUがいる。米国から中国の傘下に移りつつある東アジアの日韓やシンガポも呼ばれた。これはまさに、08年のリーマン危機後に示された多極型世界の構図だ。 (Chinese Communist Party Leads at Davos, Pushes 'The Great Reset')

今回のダボス会議のもうひとつの画期的な特徴は、誰が欠席したか、である。最大の欠席者は、米国と英国の首脳だった。米英だけでなく、アングロサクソン諸国として米英の親戚筋であるオーストラリア、ニュージーランド、カナダの首脳も欠席した。戦後の世界を率いてきたファイブアイズのアングロサクソン5か国の首脳は、全て出てこなかった。欠席の理由は語られていない。米国はバイデン政権ができたばかりで出席する余裕がなかった、という考えは間違いだ。今回の会議は完全オンラインなので、首脳が執務室や官邸の部屋で、空き時間に、側近が作った原稿を読んで録画したものを会議主催者のWEFに送信すれば良いだけだ。とても簡単。ユーチューバーなら一人でやれることだ。それなのに、戦後の世界を率いてきたアングロサクソン5か国の首脳は誰も出てこなかった。米国からは、温暖化対策担当のジョン・ケリーが温暖化対策について演説した。だが、ケリーはバイデンの代わりでない。あくまで温暖化担当として話をした。 (Remarks at World Economic Forum, Davos 2021)

今回のダボス会議では中国が主役で、ロシア、インド、南アのBRICS諸国が準主役だ。BRICSの5か国うち、ブラジルはボルソナロ大統領がトランプびいきで、BRICSや中国と距離を置いているので不参加だった。だが他の4か国は、ふだん中国と仲が悪いインドも含め、今回のダボス会議に出てきて、協調的な世界を作ることについて演説した。BRICSは、米英覇権を代替する多極型世界を構築する方向性の5つの非米大国の集まりだ。今のブラジルのように消極的な国もあるし、インドと中国は対立しているが、それでも米英覇権がドル崩壊などで崩れたとすると、その後の世界を構成できる5か国だ。ここにEUと、単独覇権でない北米が入ると、多極型世界になる。今回のダボス会議に、米英などアングロサクソン諸国が欠席し、その代わりに、非米大国群であるBRICSが中国を筆頭に主役を演じたことは、世界が米国覇権体制から多極型体制に転換したことを物語っている。 (「大リセット=新常態=新しい生活様式」のからくり)

ダボス会議には国家の指導者たちのほかに、世界の大企業経営者群、国連など国際機関の指導者群、欧米などのNGO活動家群も参加する。そのため、国家でなく企業やNGOも重要でないかという反論がありうる。「今の世界を支配しているのは米国や中国といった国家(政府)でなく、グーグルやアマゾン、マイクロソフトといった米国製のネット大企業群だよ。国家しか見ていないあんたは頭が古いね」と、したり顔でいってくる人々もいる。ネット大企業群は、米諜報界(=軍産複合体、深奥国家)の主要部分を握る勢力になっているのは事実だ。だが、中国やロシアは、米諜報界に入り込まれていない勢力として台頭している。ネット大企業群は、既存の米国覇権の世界体制を牛耳っているが、今回のダボス会議は戦後の米国覇権を体現してきたアングロサクソン諸国が全員不参加だ。ネット大企業群の経営者たちは今回のダボス会議に参加して演説もしているが、米国覇権勢力は全体として今回のダボス会議で舞台の袖の方に追いやられ、主役を中国主導のBRICSに奪われている。日韓も、米国傘下の国としてでなく中国傘下の国としての出場だ。ネット大企業は、米国覇権の後ろ盾がないと、政治的な強さを失い、ただの企業群になってしまう。 (トランプ排除やコロナは米欧覇権とエスタブ支配を破壊する)

米欧や日本など「自由主義諸国」では、企業が国家から完全に独立している。だが、中国や、その他の中国型の権威主義の新興諸国では、国家が企業を支配している。最近の中国はとくにそれが強く、習近平独裁の中共が、党や政府をしのぐ力を持ちかねない「中国製ネット大企業」のアリババに独禁法違反の罪(濡れ衣?)をかぶせて解体し弱体化している。今後の中国では事実上、中共が唯一最大の「企業」であるといえる。中国の主要企業にはすべて共産党の細胞があり、党が経営を監督する「党営企業」だ。中国ではNGOも党営だ。香港などに、そうでないNGOがあったが、国家反逆勢力として潰されつつある。学者や言論人も党の傘下で、そうでない人々は反逆者として潰される。ダボス会議や国連のような国際社会の場で、中共(やその他の社会主義、全体主義、権威主義諸国の政権党)は、政府にも企業にもNGOにも化けられるゾンビだ。政府と企業NGOが、往々にして利害の相反する勢力として国際社会に登場する欧米日の自由主義諸国と対照的だ。 (近づく世界の大リセット)

中共は、アマゾンやグーグルなどの米ネット大企業群の機能を代替できるものを、すでに国内に持っている(対照的に、日本や欧州などは米ネット企業群の支配から離脱できない)。中共は、アリババの解体に象徴されるように、国内ネット機能を自分の権力下に押し込めている。トランプの米中経済分離策などのおかげで、中共は、米覇権領域の経済システムから独立した「非米経済圏」を世界に確保している。ドルの代わりに人民元で国際決済できる。中国とその傘下の国々は、経済面でも米国覇権に依存する必要がない。軍事的にも、中露が力を合わせれば米国に負けない。米国から経済制裁や米中分離、冷戦を起こされても、中国は非米経済圏を率いて一帯一路に象徴される「もうひとつの世界経済システム」を運営して世界的に繁栄していける。コロナの閉鎖状態のおかげで、米英の諜報機関が中国に入り込んで政権転覆を画策することもできなくなった。 (Great Reset is corporate communism, and it's coming to America)

米国は昨秋の大統領選以降、国内政治対立が激化し、政治社会的な不安定が増している。この状態はずっと続く。コロナ大恐慌への経済対策で財政赤字が増え続け、QEが行き詰まってドルが崩壊することがいずれ不可避だ。米国は弱体化しつつある。対照的に、中国は習近平の独裁で安定している。中国は世界の諸大国の中で唯一、経済成長している。コロナは米欧経済に大打撃を与える半面、中国と、その傘下の日本など東アジア諸国にはあまり打撃を与えない。コロナの愚策な都市閉鎖は、米欧だけを自滅させ、相対的に中国の台頭を加速させる。「中国はいずれ経済破綻する」という日本人が好む予測は、出来の悪い妄想だ。国際社会では今後ずっと中国が台頭し、米国が衰退する状況が続く。今回のダボス会議は、こういった米中逆転的な覇権の状態を踏まえて、中国に主導役をやらせた感じだ。ダボス会議は今後もずっと、中国が主導役をやるだろう。国連も同様だ。 (大リセットで欧米人の怒りを扇動しポピュリズムを勃興、覇権を壊す)

覇権放棄屋のトランプから(不正に?)政権を奪ったバイデンは、米国の覇権体制を蘇生したいと考えている。その目標のためには、バイデンがダボス会議の主役として基調演説し、会議の主催者WEFが立案した「大リセット」のシナリオに沿った話を展開すべきだった。大リセットのシナリオは(表向き)「人類が仲良くしてコロナ危機を乗り越え、温暖化対策など地球環境に配慮した、格差や差別のない協調的な世界を作っていくこと」を語っており、バイデン政権が掲げた(表向きの)目標や戦略と齟齬がない。習近平でなく、バイデンがダボス会議の主役として基調演説をしていたら、トランプからバイデンに代わった米国が覇権国の座に戻ったことの象徴として世界に認めてもらえたはずだ。だが実際にWEFが立案した大リセットのシナリオに沿ってダボス会議の基調演説を行ったのは、中共の習近平だった。これは中国が世界の頂点に立ったことの象徴だった。習近平は中国語で演説し、中国では全人民がそれを見るよう奨励された。 (米大都市の廃墟化・インフレ激化・銀行やドルの崩壊)

習近平は演説の中で、人類が仲良くできないのは米国がバイデン政権になっても中国を敵視し、単独覇権をふりかざして(イランやロシアなど)非米諸国を経済制裁し続けているからだ、という趣旨を展開した。バイデンが習近平を押しのけて主役になって基調演説していたら「(中露イランなど)問題がある国も含め、世界が協調してコロナを乗り越えて事態を改善していこう」とか、米国=善・中露=悪の構図を喧伝できたのに、米国が欠席して習近平が主役をやるのを黙認したために、正反対の、米国=悪・中露=善の構図が喧伝されてしまった。 (You know we are screwed when Xi Jinping is giving an opening speech at Davos 2021)

バイデンはなぜダボス会議に出なかったのか。それは多分、会議主催者のWEFが、主役として基調演説するのは習近平だと決めたことをくつがえして主役をバイデンに替えることを拒否したからだ。バイデンが出ると言ったら、ダボス会議の事務局は、米中が仲良く共同主催する構図にするつもりだったかもしれない。だがバイデン政権は、米単独覇権体制を蘇生したい。ブリンケン国務長官が、そのような趣旨のことを言っている。バイデンの米国は、中国が米国と肩を並べている、もしくは中国が米国より上段にいる状態の国際会議に出席するわけにいかない。 (トランプの自滅的な中国敵視を継承したバイデン)

ドイツやEU上層部も、今回のダボス会議の開催前、バイデンに対して参加を要請していたようだ。ドイツのメルケル首相は、ダボス会議での演説の中で「米国は(中露などを敵視せず)協調姿勢に戻ってほしい」という趣旨を述べている。メルケルは対米従属で軍産傀儡の人だが、米国の覇権衰退と中国の台頭を見て、米国が中国を押しのけて単独覇権国であり続けるのは無理だと思っているのだろう。米国が覇権を蘇生するには、まず中国と和解し、ある程度多極型の覇権構造を容認するしかない。メルケルなどEUは、ダボス会議事務局とともにそう考えて、バイデンになった米国がダボス会議に参加して、中国の台頭と多極化を容認しつつ、米国覇権の蘇生を演出してほしかった。だが、米国はそのシナリオを拒否した。英国や豪州などアングロサクソン全体が米国の欠席に追随した。 (Xi Warns Biden & Globe Against 'New Cold War' In Davos Opener As Pundits Tout "Great Reset")

ダボス会議は、EUが中国を呼んで世界の主役に据え、中国主導のBRICSとEUが仲良くし、そこに日韓など中国傘下に移った国々も入るという「非米同盟」の会合になった。この新たな隠然同盟体は国連を牛耳っており「新たな連合国」と呼べる。対照的に、ダボス会議を欠席した米英アングロサクソン諸国は負け組であり、「新たな枢軸国」である。世界は第2次大戦の状況から、75年後の今、見事に逆転した。 (ユーラシアの非米化)

今回のダボス会議は完全バーチャルだったが、今年8月には対面式のダボス会議をシンガポールで開く予定だ(コロナで再延期される可能性が大だが)。会議事務局は、シンガポール会議でバイデンと習近平が会談して米国と中国が和解するシナリオを構想し、発表している。だが今回、単独覇権体制の再建に固執して中国と同格で肩を並べることを拒否し、ダボス会議を欠席したバイデンが、6か月後の8月に、中国と和解しつつ多極化したダボス会議に参加する可能性があるのか??。バイデンの米国が、単独覇権国でなく多極型世界の「極」の一つに成り下がることでかまわないなら、今回のダボス会議に出てきていたはずだ。

これからの6か月で、中国はさらに国際台頭を進めるだろう。米国は、国内の政治対立やコロナ対策に追われ、国際的な覇権蘇生の根回しがほとんどできないと予測される。下手をしたら金融危機が再燃する(米国の金融市場は最近、おかしな動きが加速している)。米国は、覇権が低下するほど、多極型の新たな覇権体制内での優位が得られなくなり、多極型に参加するより孤立を許容して様子見した方が良いと考える傾向を強める。もしくは「中国はいずれ崩壊する」とか「中国を制裁して崩壊させる」といった妄想を軽信し続け、単独覇権に固執し続け、しだいに世界から相手にされなくなっていく。バイデンが習近平との和解に踏み出す可能性は、今のところとても低い。米中和解がない以上、中国の台頭と世界の非米化が進行する。

ダボス会議では「大リセット」が語られているが、大リセットは表向きの意味と裏の意味が全く違う。今回のダボス会議では表向きの話(市民社会の融和や差別の解消、コロナの乗り越え方)だけが論じられ、話の内容は建前論ばかりでほとんど無意味なものだった。何が話されたかでなく、誰が主役で誰が欠席したかが重要で、それが大リセットの裏の意味(米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭)を示すものだった。
http://tanakanews.com/210205davos.htm  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c5

[リバイバル3] JBL 375 ドライバーユニット 中川隆
13. 2021年4月01日 16:20:37 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[39]
Mr.トレイルのオーディオ回り道 中・高域には「複数ユニット」を使うのが良い
2021年04月01日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5e143c506b04376b8aebc41a283649ac


私のメインシステムは「ニアフィールド」で使っている。SPから3〜4mの距離でJBL#375(2インチスロート)を使っている。普通では使えない距離です。

ニアフィールドで使える様にするには「ユニットを複数個同時使用」させる事です。特に中・高域には効果的です。#375を1個で鳴らすと「スッ飛んでくる音」で耳に直接音が飛んできます。私のシステムでは、中域を#375とグレートハイルドライバーとを同時に鳴らしています。「分圧=分散」と云うイメージで使っています。出来ればメインのユニットと正反対の質感のユニットを組み合わせるのが良いでしょう。

オリンパスシステムでは、#375とLE85を使っています。#375は中域用ですが、LE85は高域用に使っています。#375と#2405(又は#075)への繋がりでは、7KHz〜10KHz辺りに「谷間」が出来るので、LE85+#2405の2種の組み合わせをメインに使っています。

実際、高域にはLE85+#2405+DECCAリボン+ビクターリボンの4ユニットを組み合わせて使っています。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/5e143c506b04376b8aebc41a283649ac
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1106.html#c13

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
15. 中川隆[-6149] koaQ7Jey 2021年4月01日 16:29:22 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[40]
北海道「開拓」でアイヌを迫害した北海道庁の罪
杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)
2018年08月03日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018080300005.html


共有財産の基礎になった土地台帳などの原本(北海道庁所蔵
拡大アイヌ共有財産の基礎になった土地台帳などの原本=北海道庁所蔵

連載  「北海道150年」事業への疑問

大資本と北海道庁の癒着
 北海道「開拓」は、容易ではなかった。多くの和人が開墾のスキをアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)に入れたが、失敗に終わった例も多い。それがうまく行った場合には、そこにはたいていアイヌの協力があった(例えば幕別町教育委員会編『幕別町蝦夷文化考古館 吉田菊太郎資料目録V』、2014年、「発刊に当たって」)。

 本格的な開拓は、1880〜90年代、じょじょにあるいは急速に成長しつつあった資本によって進んだと言われている。当初、開拓使(1868年設置)および函館県・札幌県・根室県の3県庁(1882年設置)は、政府の保護政策によって開拓をはかったが、北海道庁(1886年設置、以下「道庁」)は、それを「“資本の導入による開拓”に切りかえる」ために設置された(小池喜孝『鎖塚――自由民権と囚人労働の記録』現代史資料センター出版会、1973年、102頁)。

 だが、資本と結びついたということは、アイヌに対する侵害とアイヌモシリに対する収奪がより徹底したものとなった、ということである。そしてそれを可能とした最大要因は、アイヌの和人への「同化」政策であり、また道庁と資本との癒着である。

 もちろん、開拓使も、3県庁も、道庁も、それがおし進めた開拓において、「保護」を名目に先住民アイヌを迫害した点で、共通である。だが、道庁の罪はおそらく最も重い。後述するように規模において大であり、後戻りできない地点にまで開拓を徹底したからである。それだけに、道庁関係者が犯した罪も重い。

 1997年に「アイヌ文化振興法」制定とともに廃止された悪名高い「北海道旧土人保護法」が1899年に制定されるにいたるのは、道庁が犯した不始末のためである(高倉新一郎『アイヌ政策史』日本評論社、1942年、537-9頁)。そして道庁は、後述するように、「北海道国有未開地処分法」(以下、「国有未開地処分法」)とともに「旧土人保護法」の制定・施行を通じて、最終的にアイヌの諸権利を実質的に奪いとったと判断できる。

 ではその「不始末」とはいかなるものだったか。以下、3つの事例をとりあげる。

近文アイヌ給与予定地問題
 第一に問われるべきは、「近文(チカプニ・ちかぶみ)アイヌ給与予定地問題」である。1891年、道庁による「北海道土地払い下げ規則」(1886年制定)にもとづき――ただしこの規則だけでは払い下げ地を十分に確保できなかったため(高倉前掲書、534頁)、超法規的な措置が取られた可能性がある――、上川アイヌに、旭川市(当時は旭川村)近文の土地150万坪(約500万平方メートル)が「保護地」として「給与」されるはずだったが、1894年、実際に給与されることになった土地は、道庁関係者の怠慢・詐欺等により、わずか45万坪になっていた。私的な利害から給与予定地に手がつけられた、と見なされている(同前、537頁)。

 問題はそれだけではすまなかった。その後、陸軍第七師団の近隣地への移転騒ぎが起き、道庁設置後に北海道開拓を推進した大倉財閥の大倉喜八郎や桂太郎・陸軍大臣らがその45万坪の土地を奪うべく、上川アイヌの首長(アイヌコロクル)をだまして、事実をいつわった承諾書に押印させるという事態に進展する。そして給与予定地の管理権をにぎる道庁は、それを承認して上川アイヌに移転命令を出した(同前、538頁)。

 ここに道庁による不正を見出したのは、加藤政之助衆議院議員である。加藤は、第5回帝国会議(1893年)で、すでに近文アイヌ問題等を念頭におきつつ、「我々は安んじて政府の行政権内〔内務省=道庁〕に任せて置くことは出来ない」(同前、539頁)、と論じた。

 幸い近文45万坪は、善意の人びとの命をかけた東奔西走のおかげで奪われずにすんだ(谷川健一編『近代民衆の記録5――アイヌ』新人物往来社、1972年、65-7頁)。だが、最終的に上川アイヌが土地を入手したのは――ただしもともとアイヌモシリ全体がアイヌの土地だったことは忘れてはならない――、実に1934年のことである(谷川編、同前、536頁)。この年、わずか数十戸のために、「旭川市旧土人保護地処分法」(1997年、「文化振興法」の制定によって「旧土人保護法」とともに廃止)が、帝国議会で可決された。

十勝・日高アイヌ共有財産問題

第二に問うべきは、アイヌが、和人による大規模な「開拓」を通じて生活基盤を奪われて貧窮化するなか、道庁がとったアイヌ共有財産の管理方法に関する疑惑である(高倉前掲書、540頁)。

 そもそもアイヌは、アイヌモシリを「無主の地」にされ天皇家の財産に組み入れられた事実から宮内庁によって、あるいはアイヌを日本国臣民へと薫陶する必要から文部省によって、一定の金員の「下賜」「下附」を受け、それはアイヌの共有財産と認知されていた。一方、アイヌ自身が共同事業を通じて一定の財産を共有した例も多い。例えば十勝アイヌの場合、十勝川(当時は大津川)での漁業を通じて、かなりの規模の共有財産が蓄えられ、アイヌのための病院・学校まで経営されていたという(同前、543頁)。

 だが問題はその管理法である。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c15

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
16. 2021年4月01日 16:30:26 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[41]
北海道開拓150年、和人がアイヌに加えた非道
杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)
2018年08月01日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018073100005.html


「北海道150年」の本質は「北海道開拓150年」である

 今年は、アイヌモシリ(アイヌの静かな大地)に「開拓使」が置かれ、アイヌモシリが「北海道」と名づけられてから、150年目である。そのため北海道ではこれを意識した「北海道150年事業」が行われ、8月5日には、大規模な記念式典が札幌で開かれる予定である。

 道外に住む人は、安倍政権が推進する「明治150年」(正確には「明治150周年」)に意識が向いていると思うが、ぜひ北海道に関心をよせていただきたい。「北海道150年」を考えることは、「明治150年」の最重要側面の一つである内国植民地化を考えることである。

 北海道150年事業の「テーマ」の第一は「北海道151年目の新たな一歩を踏み出す」であり、「基本姿勢」の第一は「未来志向」である。いずれも結構。だが未来志向は、体よく過去を忘れるための魔法の言葉であってはならない。未来に向けて新たな一歩を踏み出すために重要なのは、過去を見つめることである。見つめるべき過去もいろいろあろうが、「北海道」にとってその筆頭におかれるべきは、先住民アイヌに関わる過去である。『北海道150年事業 事業計画』を見るかぎり、この点での配慮の足りなさが気になる。

 事業にはアイヌに関わる企画も含まれる。だが私は、この事業は全体として無神経すぎないかと感じる。いかに北海道の「命名」(今回はこれが強調されている)および実質的な命名者である幕末の探検家・松浦武四郎を前面に出そうと、「北海道150年」の本質は――100年前の「北海道開拓50年」、50年前の「北海道開拓100年」と同様に――、結局は「北海道開拓150年」だからである。

 アイヌモシリには人が暮らしていた。なのに、そこを「無主の地」と見なし、一方的に北海道と名づけ、アイヌになんの相談もないまま「開拓」に乗り出した150年前の歴史の意味を、深刻に考えてみるべきであった。そうしさえすれば、今回のようなお祭り気分に満ちた計画は立てられなかったであろう。

 なるほどこの四半世紀の、「先住民」をめぐる世界および国内での動きをふまえれば、道庁の姿勢は決して「開拓」に偏したものとは思わない。だが、どういう形で2018年を祝おうと、その底流に北海道開拓という事実があり(「開拓」とは、土地に生きる人々への配慮と無縁なのがふつうである)、だから「北海道150年」は、北海道開拓を歴史的に評価した上での事業でしかないことは、明らかであろう。

 以下、おのずとアイヌに論及する。各種報告書類は、これまで「アイヌ」に付された差別的な意味をふまえて「アイヌの人びと」と記すが、ここではその本来の語義、すなわち「人間」、しかも「誇りある人間」(新谷行『アイヌ民族抵抗史――アイヌ共和国への胎動』三一新書、1972年、56頁)を踏まえて、なんの付加語もつけずにそのまま「アイヌ」と記す。

「民族共生象徴空間」整備でよいのか?
 長年、日本政府はアイヌを先住民であると決して認めてこなかった。

 1991年、国連による国際先住民年(1993年)への準備の過程で、政府関係者がそれを消極的に認めた事実はあるというが(公益社団法人北海道アイヌ協会『アイヌ民族の概説――北海道アイヌ協会活動を含め』改訂版、2017年、5頁; 以下『概説』と略記)、やはり2007年の「先住民族の権利に関する国連宣言」(以下「先住民族の権利宣言」)が決定的なきっかけとなり、翌2008年、衆参両院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ、これを下に日本政府もそれまでの姿勢を改めるようになった。

 そうした姿勢の下に行われてきたアイヌに関する各種事業(後述)は、ひとまずそれ自体として評価してよいだろう。アイヌに対する「和人」(ヤマト民族)の見方に与えた影響も、小さくなかった。

 だが今、「北海道(命名)150年」を祝い、東京オリンピック・パラリンピックにあわせ急ごしらえで、政府主導で行われている「民族共生象徴空間」の開設――有力なアイヌコタン(集落)があった、苫小牧に近い白老(しらおい)の広大な敷地にいまこれを建設中であるが、
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c16

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
17. 2021年4月01日 16:31:48 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[42]
むしろ「シャクシャイン独立戦争350年」事業を
杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)
2018年08月20日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018082000009.html



完成から約半世紀を迎える北海道百年記念塔

北海道「開拓」100年を記念して建てられた北海道百年記念塔

連載 「北海道150年」事業への疑問

北海道150年=北海道開拓150年
 「北海道150年」を祝うということは、一体どういうことなのか。人びとが歴史をふり返ることは、重要である。巨大な権力を持つ、北海道庁という行政機関にとっては、なおのことそうであろう。

 しかし、ふり返るべき時がなぜ150年前なのか。「北海道150年」で問題にされているのは、どう言いつくろおうと要するに開拓使以来の開拓の歴史である。この100年、道庁は「北海道開拓50年」、「北海道開拓100年」を祝ってきた。今回は「開拓」と言わずに単に「北海道150年」あるいは松浦武四郎による命名を前面に出して「北海道命名150年」と呼んでいるが、いずれも結局は「北海道開拓150年」とほとんど同義である。アイヌに一言の相談もなしに「北海道」と命名したことと、無主地という名目でアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)「開拓」にまい進したこととは、同じ楯の両面である。

 とはいえ、今回の「北海道150年」事業が、四半世紀にわたる新たなアイヌ認識・政策を確かにふまえている事実の意味は大きい。私はその限り、今回の行事に一定の評価をしうると考える。実際、北海道150年事業から、「開拓」視点が後退したのは事実である。例えば、「開拓100年」事業時に作られた北海道開拓記念館(1970年建設)がアイヌ関連施設とともに北海道博物館へと装いを新たにした(2015年)事実は、典型的な例である。

 そもそもアイヌモシリには、主にアイヌと自称する先住民がおり(「主に」なのは他にもウィルタと自称する少数民族もいたからである)、そこには人びとの、あたり前の、多分つつましくそれでいて幸福な生活があった。知里幸恵編訳『アイヌ神謡集』(岩波文庫、1978年)をひもとくと、それがひしと感じられる。だが和人はアイヌモシリに入り込んでアイヌを徹底して虐待・搾取したし、明治以降の「開拓」は、彼らの存在を無視した土地の収奪であり、彼らの和人への同化を前提にした、彼らの文化・伝統の破壊にほかならなかった。

 今回の北海道150年事業を見ていると、そうした「開拓」のあやまちが、それを固有の任務とした行政機関である道庁に、あるていど理解されていると確かに感じられる。

道庁には同化政策への自己批判が求められる
 だが、今回でさえアイヌに関して強調されているのは、相変わらずアイヌが有する自然に対する価値観であり、細々と残された少数民族としての伝統・文化にとどまっている。「北海道150年」という祝典の場に不似合と感じるのであろうが、アイヌに対する和人の非道な――これに道庁自体も使命感をもって加担した――開拓の歴史は、どこまで自覚されているか。目をふさぎたくなるであろうが、だがわれわれ和人は、かつてアイヌに加えた非道をもはっきりと知る必要がある。

 アイヌにとっては、和人による虐待・搾取ひいては同化という悲話を聞かされるのは、さぞつらいことだろう。だが、和人はそれをほとんど、あるいは全く知らずにいる。ちょうど、かつて朝鮮半島や中国大陸、台湾・太平洋アジア諸国・諸地域で日本(人)が行ってきた非道を知らないように。

 今回の行事では未来へのつながりが強調されている。だが未来につながるためには過去をはっきり踏まえる必要がある。しかも道庁という行政機関の長は、道庁がとってきた「同化」政策の誤りをはっきり指摘し、アイヌに謝罪する必要がある。アイヌの今日までの苦難は、同化政策の必然的帰結である。それは、政策と別に偶然起こったのでもなければ、政策に反して起こったのでもない。アイヌを、和人と同様の日本臣民に仕立てようとしながら、両者の間に非常に大きな差別を持ちこんだのも(前述のように付与される土地の広さに100倍もの開きがあった)、確たる政策の一環である。

 アイヌを人間視しない政策の目線が、その執行者(吏員)に伝染するのは必然的であった。だから、上川アイヌの「給与予定地」150万坪の多くは詐取されて、いつのまにか3分の1以下の45万坪へと減らされてしまったのだし、アイヌの共有財産は、乱脈経理企業の株券に換えられたあげくに無価値にされてしまったのであり、二風谷(にぶたに)の裏山は大資本に付与されたためにアイヌは利用権・採集権を奪われてしまったのである。これにはすべて道庁の吏員が関わっている。

 前述のように、1997年、北海道旧土人保護法を廃止する際、アイヌ共有財産についてそれまで道庁がどれだけズサンな行政的処置をとってきたかについて、深刻な総括は行われなかった。北海道150年事業はけっきょく開拓150年の祝いにすぎないと、こうした道庁の甘さからも判断しなければならない。今後、北海道150年を記念して50年ぶりに『新新北海道史』が書かれるのであろうが、開拓100年時の『新北海道史』に見られる、道庁に関する相対化・批判の欠如という轍を踏まないよう、強く望む。

実質的な権利回復の努力を

私は、8月5日に行われた記念式典で、知事がどのような発言をするかに注目していた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c17

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
18. 2021年4月01日 16:33:37 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[43]
アイヌから奪われた「先住民の権利」とは何か
杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)
2018年08月15日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2018081400004.html



サケを祭壇に供え、川の神に祈る「ペッカムイノミ」=白老町 2015

拡大サケを祭壇に供え、川の神に祈るアイヌの儀式「ペッカムイノミ」=2015年、白老町

連載 「北海道150年」事業への疑問

 前回、先住民の権利にふれた。だが、そもそも先住民の権利とはいかなるものか。国連の「先住民族の権利宣言」(2007年)に見るように、それは多くの権利を包括するが、ここでは同前文で唯一強調された権利を中心に論ずる。

土地、領域および資源に対する権利
 同宣言において唯一前文に記されたのは、「土地、領域および資源」に対する権利である。それは条文としては第25〜28条に記されている。この権利は、北海道ウタリ協会(当時)による「アイヌ民族に関する法律(案)」(1984年)の条文では不明確だが、それに先立つ法の制定理由において強調されている。そこには、「土地も森も海もうばわれ、鹿をとれば密猟、鮭を取れば密漁、薪をとれば盗伐とされ、一方、和人移民が洪水のように流れこみ、すさまじい乱開発が始まり、アイヌ民族はまさに生存そのものを脅かされるにいたった」と、開拓がアイヌにもたらした苛酷な歴史的現実が記されている(『アイヌ民族の概説――北海道アイヌ協会活動を含め』改訂版、2017年、13頁、以下『概説』と略記)。

 小野有五氏はこれを意識してか、先住民族の権利として、「自治権」「土地権」の他に「自然環境の管理権」(後述)をあげている(小野有五他著、北大大学院法学研究科附属高等法政教育研究センター編『先住民族のガバナンス――自治権と自然環境の管理をめぐって』同センター発行、2004年、5頁)。

アイヌの先住権が認められなければならない
 そもそもアイヌは、かつて自在に行使することができた各種の権利を(権利意識などないままに)有していた。鮭等の捕獲権、熊・鹿等の狩猟権、各種木本・草本の採集・利用権、言いかえれば河川・山の利用権等がそれである。

 だが「開拓使」はそれらの権利を剥奪した。北海道という名称付与もアイヌモシリ(アイヌの静かな大地)の無主地扱いもそうだが、これらはアイヌに何の相談もなしに開拓使が決め、後に3県庁(函館県・札幌県・根室県)および道庁がより大きな規模で追認した施策である。特に道庁は、「北海道国有未開地処分法」により、「他に従来の採取生活を続け得べき広大な未処分未開地」(高倉新一郎『アイヌ政策史』日本評論社、1942年、534頁)をアイヌから最終的に奪いとった。

 来るべき「アイヌ新法」を考えるとき、これらの事実を深刻に受け止めなければならない。言いかえれば、アイヌから奪われた各種の権利をアイヌの先住権として認めなければならない。だがこれまで、日本政府は一度もその先住権を認めたためしはない。「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」報告書も、一部のあまり意味のない場合以外は「権利」という言葉を巧みに避けている。使われるのは「先住民族の権利宣言」にふれる場合だけである。しかも同宣言がアイヌ政策に積極的な意味をもつと認めているのに(22頁)、それでも権利という言葉を用いないとすれば、「有識者」の名を汚す。「懇談会」といえども、政府に対してはっきりと物を言うのでなければ存在価値はない。

 なるほど「アイヌ文化振興法」の衆参両院内閣委員会での附帯決議には、「アイヌの人々の『先住性』は、歴史的事実であり……」とある(『概説』16頁)。また後に衆参両院は、ひいては日本政府は、アイヌを先住民であるとはっきり認めた(2008年)。だが、「旧土人」という言葉に見るように、アイヌの先住性自体が歴史的に疑われたことは、実際はない。問題は先住民としての法的権利=先住権を認めるかどうかである。


ここで重要なのは、やはり先住民族の権利宣言である。宣言は、文化――広く宗教・儀礼・日々の衣食住のあり方まで含めて――や伝統の継承を権利として認めているが(第11〜12条等)、さらに土地・資源に対する権利等を最も重要な権利と見なしている(前述)。

 これを保障せんとすれば、おのずと所有権に関わる問題が発生するが、アイヌの宗教的・精神的生活の中心に置かれるイナウ(木幣)用の樹木採集のために、かつてのコタン(集落)を取り巻いていた山々の所有権を、アイヌに返還すべきであろう(本来アイヌが所有意識を持っていなかった点からすれば利用権と記すべきだが、現状ではそれでは不十分である)。

 物質的生活の面でも同じことを主張しなければならない。伝統的なアイヌの衣食住を維持するためには、各種の木材・樹皮・植物等が不可欠である。例えばアットゥシ(厚羽織り)を始めとする衣服作りのためには、オヒョウニレの樹皮を自由に採集できなければならない。コタン周辺の一定の国公有林、社有林の返還が不可欠である。

 貝澤正氏は、二風谷(にぶたに)コタンの裏山を所有する三井物産社長に対し返還を求めた(貝澤正『アイヌ わが人生』岩波書店、1993年、186頁以下)。私は現行法制下にあって当社有林の返還を合法的に請求する方法を知らない。だが、少なくとも三井物産は、率先してアイヌコタンにそれを返すべきであろう。その所有は当時の法に基づく合法的なものだったかもしれないが(もっとも当時ほとんど法を曲げてアイヌから土地を奪った者も多かった)、実際の法の執行、道庁側の対応等を見れば、瑕疵が多かったと判断せざるをえない。

 それを踏まえたとき、いま特別法を用いてアイヌを救済することは可能である。法改定による、所有者への補償を前提した返還も可能だが、社有林の所有企業それ自体が、企業としての社会的責任を自覚しつつ率先して返還できるなら、おそらく最も望ましい。

 先住民に対する土地の返還は、実際、世界各地で行われている。貝澤氏もサハリン州政府と先住少数民の土地返還協定にふれているが(同前、194頁)、オーストラリアでも先住民に対する土地返還が進んでいる(友永雄吾『オーストラリア先住民の土地権と環境管理』明石書店、2013年、33頁)。

 なるほど「土地に関する権利」は、国際人権規約・差別撤廃条約においてどこまでを含意するのかは、各国の判断に委ねられているようである。つまり、所有権まで含むと考えるべきか、利用権を認めるていどと考えるべきか、がそれである(小坂田裕子『先住民族と国際法――剥奪の歴史から権利の承認へ』信山社、2017年、214頁)。「有識者懇談会」報告書はその辺をあいまいなままにしているが――「土地・資源の利活用については、一定の政策的配慮が必要」と記すのみ(28頁)――一定条件下での所有権を認めるべきであろう。

鮭の捕獲権――許可願いを不要とすべきだ

鮭の捕獲権も同様である。日本では、鮭の捕獲は「水産資源保護法」によって漁業者以外には禁じられている。なるほど1987年には、アイヌによる長年の運動が実って、祭儀のための捕獲が例外的に認められた。だがその例外的捕獲のためにさえ、道知事に捕獲許可願いを出さなければならない。つまり鮭の捕獲権はアイヌに依然として認められていない。だが
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c18

[近代史5] アイヌ人の起源 中川隆
19. 2021年4月01日 16:35:28 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[44]
「アイヌ新法」はアイヌの先住権を葬る欠陥法
杉田聡 帯広畜産大学名誉教授(哲学・思想史)
2019年04月17日
https://webronza.asahi.com/culture/articles/2019041700006.html



記者会見でアイヌ新法案に異議を唱えた「コタンの会」代表の清水裕二さん(左から2人目)ら=2019年3月1日

記者会見でアイヌ新法案に異議を唱えるアイヌのNGO「コタンの会」代表の清水裕二さん(左)たち=2019年3月1日

 本年4月11日、衆議院は政府提出の「アイヌ新法」案を議決し、参議院に送った。一部のアイヌ関係者・支援者から反対意見が出されていたのに(朝日新聞「北海道版」2019年4月10日付)、はたして十分な議論がつくされたのかどうか、はなはだ疑問である。

 だいいちこの法案には、始めから問題が多すぎた。衆議院通過後になってしまったが、法案の問題点を論じておきたい。

 なお本州以西・以南に住む人にとって、「アイヌ問題」はあまり関心を引かないかもしれないが、例えば首都圏だけでも、少なく見つもって数千人のアイヌが居住する。また総じて先住民族・少数民族問題は、近年、多様性尊重につながる非常に重要な国際的問題とも理解されている。それゆえ、この問題にいくらかでも関心を持ってもらいたいと念願する。

「先住民族」という言葉はあるが
 新法案が「基本理念」を掲げ、そこでアイヌ――本稿では「人間」しかも「誇りある人間」というその語義をふまえ、新法案のように「アイヌの人々」ではなく単に「アイヌ」と記す――に対する差別を禁じたのは重要である(第4条)。だが、アイヌを「先住民族」と認めながら(第1条)、その先住権を保障する条文を一切持っていない点は、大いなる欠陥である。

 確かに、先行する「アイヌ文化振興法」(1997年制定施行、以下「振興法」)と比べたとき、先住民族という用語がともあれ使われた事実は、一歩前進であると評価できる。だが新法案では、先住民族との認知はただの言葉にとどまっている。本来なら、先住民族と明記されれば、それがおのずと権原(法的権利の根拠)となって、先住民としての固有の法的権利すなわち先住権の認知と保障がなされるべきである。だが新法案では、その過程がすっぽり抜け落ちている。

 振興法の施行以降、国連において「先住民族の権利宣言」が採択され(2007年)、先住権に関する認識ならびに保障が進んだはずだが、その事実が踏まえられているとは思われない。翌年には衆参両議院において「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」がなされ、内閣官房長官が、この趣旨を活かした総合的な施策の確立に取り組むという談話を発表した(2008年)のに、新法案はそれを反映していない。

 新法案には、「近年における先住民族をめぐる国際情勢に鑑み」という文言が見られるが(第1条)、日本政府が十分に「国際情勢」(後述)を鑑みた形跡はない。

アイヌの歴史について記されず
 そもそも法案には前文がなく、したがって立法趣旨が、ひいては歴史認識が示されていない。だから自ずと、アイヌに対し日本政府がとってきた「同化政策」について、反省も謝罪もない。

 これは少々異常ではないか。それは、例えば本年3月に成立した「強制不妊救済法」の場合と比較してみると際立つ。後者も責任の主体を曖昧にした点で欠陥が大きいが(朝日新聞2019年3月15日付)、アイヌ新法案の欠陥はそれとは比較にならない。同化政策とは、一種の民族絶滅政策だったのであるから。

 なるほど第1条は、新法の目的にふれつつ、「アイヌの人々の誇りの源泉であるアイヌの伝統及びアイヌ文化(……)が置かれている状況……に鑑み」と記している。だがこれでは、「アイヌの伝統及びアイヌ文化」の置かれた状況、つまり激しい衰退状況は、まるで自然現象であるかのようではないか。新法案には、伝統・文化の「振興」が依然として求められる状況を、誰が、どのような方針の下に、どのようにして作り上げてきたのかについての反省は、何ら見られない。つまりこの状況を、明治期以降の和人政府が、「同化政策」という明確な方針の下に、アイヌの土地と生業を奪うことで作り上げた、という事実についての反省が見られないのである。

 こんなことだから、たとえ新法案が「アイヌ文化」のなかに、アイヌ語およびアイヌの音楽・舞踊・工芸等のみならず「生活様式」を含ませたとしても(第2条第1項)、新法案は、その本質において振興法と変わらないのである。

先住権とは何か
 振興法を超えた真の新法とするために求められるのは、先住民族アイヌに対する先住権の保障である。

 先住権とは少々不分明な用語だが、もちろん先住する権利ではなく、先住民族の有する権利を意味する。国連「先住民族の権利宣言」に見るように今日それは多様な仕方で定式化されうるが、世界の先住民運動の歴史から最大公約数を取り出せば、それは一般に、

(1)先住民が居住していた土地に対する所有権、
(2)領域(土地のみならず水域・海域等を含め)の自然に対する管理権、
(3)領域における各種自然資源の入手権
 をさす。時にはこれに、
(4)政治的な自治権(ただしこれは先住民の置かれた歴史的条件下で多様な形をとりうる)が加えられることもある。

 アイヌに即して、また他民族の例にも言及しつつ、以下まず個別的権利である(3)について、その後に、(3)を可能にする包括的な権利である(1)(2)について論ずる。そして最後に、(1)〜(3)の権利保障を得るもしくは強固なものにするための権利でもある(4)について論ずる。

カムイノミ(カムイ=神に祈りを捧げる儀式)や泥酔した男性を連れ帰る女性などを描いた絵巻物=北海道立文学館所蔵の舟山広治コレクション
アイヌの先住権としての自然資源の入手権
 まず、(3)自然資源の入手権にふれれば、アイヌが先住民としてもつのは、各種の自然資源、すなわちサケなどの水産資源、熊・鹿などの動物資源、ヤナギその他の植物資源それぞれの入手権(漁労権・狩猟権・採集権)である。

 だが「新法」案では、これを先住権として部分的にせよ保障する姿勢は見られない。それは新法の体裁をとった旧法にすぎない。

「国有林野」の限られた利用のみ
 アイヌはその社会生活において各種の植物資源を用いる。

 アイヌ社会にはいたるところに神(カムイ)がおり、アイヌはそのカムイとの交流を通じて、物質的および精神的な生活を組織してきた(元々「アイヌ」=人間も、カムイに対する名称である)。カムイを祀り祈る儀式には、イナウとよばれる木幣が重視される。ちょうど和人社会の神棚等に見られる垂(しで)や幣(ぬさ)と同様に、イナウはたいていの家に置かれるという(萱野茂『おれの二風谷』すずさわ書店、1975年、33頁)。これはふつうヤナギから作られる。

 あるいは、アイヌはアットゥシと呼ばれる伝統的な衣装をしばしば身に着けるが、これはオヒョウニレなどを素材とする、等。

 けれども、これら植物資源の採集は、私有林の場合でなければ法律で禁じられている。新法案もけっきょく、申請があった場合に「国有林野」の一定の「使用」を認めるだけである(第16第1項)。そこには、植物資源の「採取」をアイヌ民族固有の権利と見なす姿勢は見られない(そこに「権利」という言葉はあっても、それは契約によって生じる権利の意味を出ず、先住民族の集団的権利とは見なされていない<杉田「先住権への配慮を欠いたアイヌ政策」>)。

 だからもちろん新法案は、アイヌへの、(1)「国有林野」の返還も、その長期間の「貸与」(後述)も、全く視野に入れていない。(2)コタン周辺に位置する領域(森林等)に対する管理権も同様である。

 かつてアイヌは、北海道で自由に生きた。北海道は
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/197.html#c19

[近代史5] 終戦時満州に取り残された日本人 ソ連兵と中国人は何をしたか 中川隆
5. 中川隆[-6148] koaQ7Jey 2021年4月01日 17:04:20 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[45]
2020年12月14日
樺太の敗戦と引揚げ ソ連の略奪で数万人がなくなった
http://www.thutmosev.com/archives/72487962.html

南樺太を占領したソ連軍は、食料・衣類・貴重品など全て日本人から略奪した

引用:http://ironna.jp/file/5a5942a00b98bf04335b9aa2da72bc03.jpg

敗戦後の外地からの帰国

1945年8月15日に日本は戦争停止を宣言したが、敗戦はすべての日本人が一様だった訳ではなかった。

最も幸運だったのは本土の日本人で、日本に帰国する必要もなく、敵から逃げる必要もなかった。

敗戦国になった時に重要なのは「敵」との交渉力で、これが無いと大変な目に遭います。

交渉力は数が多いか力が強いか、敵と取引できる何かを持っているのが重要になります。

最も不幸で悲惨だったのは満州国の辺境地帯で開拓していた満蒙開拓団で、ソ連軍の奇襲と中国人の略奪を受けた。

ソ連は8月8日に対日宣戦布告し翌9日から空爆と地上戦を始めたが、日本軍はこの事を日本人居住者に一切知らせなかった。


なぜかというと戦力を維持するためにまず関東軍が朝鮮南部まで脱出しなくてはならず、住民が居たのでは足手まといになる。

それにこの時日本本土から満州の関東軍には、「敗戦時に在外日本人は帰国させず、現地に永住させろ」という命令が来ていました。

日本本土はじゅうたん爆撃で都市が廃墟になり、食べ物もないので大陸の日本人が帰国したら、食料が不足するからでした。


こうした種々の理由で満州在住日本人全員を置き去りにする事が決定されていたので、何も知らせず軍だけが満州から脱出しました。

ただ当時は家族や子供を満州に呼び寄せて住んでいた軍人が多かったので、動揺を防ぐため軍人の家族だけは脱出させました。

満州に残された日本人は100万人以上だったが、数が非常に多かった事が、この人達の命を救った。

南樺太に残された日本人達

数千人や数万人しか居なかったら、おそらく満州の日本人はソ連と中国に粛清されていた筈だが、100万人では秘密に出来ず、国際問題になった。

米ソ間の取引によって満州の日本人は帰国するのだが、帰国者は4分の3ほどで、4分の1つまり25万人ほどが、戦後にソ連と中国によって粛清や略奪でなくなった。

女性はほぼ全員がソ連兵や中国人の略奪対象になり、これを隠すために戦後「日本軍による従軍慰安婦狩り」を創作した。


朝鮮半島南側、後に韓国になる地域に残った日本人は、アメリカ軍の管理下で帰国できたが、北朝鮮地域に残された人達は、ソ連収容所に入れられて、やはり略奪と暴行を受けた。

満州は当時アメリカが支援する中華民国(台湾)に占領されたので、アメリカの口利きで帰国できたが、ソ連とは米ソ冷戦が始まっていた。

ソ連は日本人に略奪行為を働いたのを隠したがり、このため日本人の帰国を妨害し収容所に隔離した。


10万人ほどの日本兵が流刑地であるシベリアに輸送されて、なくなったとも言われている。

北朝鮮に居た日本人も、戦後数年間を生き延びる事ができたら、追放のような形で歩いて38度線を越え、韓国側にたどり着く事ができた。

ソ連は対面を保つため、衰弱した日本人を返すつもりはなかったので、自力で歩けない人は極寒の収容所でなくなるか、途中で倒れてなくなった。


終戦時に樺太(サハリン)の南半分は日本の領土だったので、ここにも45万人もの日本人(と朝鮮人)が住んでいたとされている。

樺太でもソ連軍は8月9日に攻撃開始したが、2万人の日本軍守備隊に対してソ連軍(1万人程度?)は苦戦し、8月25日にやっと南樺太を占領した。

この日付は重要で、8月15日以降も大本営の命令を無視して守備隊は戦い続け、破れたが約15日間の時間を稼いだ。


ソ連との戦闘が始まってから本土への避難が始まったが、多くの日本人居住者が逃げ遅れてソ連軍に捕捉されました。

終戦前後に大半の朝鮮人は日本に避難したが、終戦後に集計したら4000人ほどの朝鮮人が残っていた。

なお戦後に北朝鮮から労働者として4万人ほどが、樺太に強制移住させられていて、多くの情報で「日本軍が強制連行した」と間違って記録されている。


戦前の樺太は真岡、豊原など賑わっていた
RIMG0159
引用:稚内商工会議所写真展http://hit-u.ac/excursion/06Karafuto/0820/RIMG0159.JPG

置き去りになった朝鮮人達

この15日の苦戦でソ連は北海道上陸作戦が不可能になり、アメリカ軍が先に北海道に上陸する事になった。

戦後北海道が日本のままだったのは、樺太守備隊の命令違反(軍規では極刑)と、ただの偶然の結果に過ぎなかった。

樺太を占領したソ連軍は例によって略奪を働き、日本人の家に銃を乱射しながら押し入って「女出せ!」とロシア語で叫んで暴れまわった。


この時のソ連軍兵士の格好は「日本の浮浪者より貧しい身なり」だったとは、満州や樺太引揚げ者が共通して証言している。

ソ連軍は食料も支給していなかったから、やはり日本人の家を襲撃しては食べ物を奪い「日本人はこんな豪華な物を食べているのか」と目を見張ったという。

終戦末期の樺太の食卓が豪華だった筈が無いが、ソ連軍はそもそも兵士に食料を配給せず、住民から奪えと命令していた。


1945年8月22日には日本人避難民を乗せた帰国船3隻をソ連潜水艦が攻撃し、婦女子ら1700人がなくなっている。

潜水艦攻撃は北海道上陸作戦のための海上封鎖と思われるが、今日に至るまでソ連=ロシアは戦争犯罪を認めていない。

こんな樺太の終戦後だったが、40万人以上と人数が多かったのでソ連も全員を粛清できず、日本人は翌年以降に帰国して行った。


取り残されたのが朝鮮人たちだが、強制連行などではなく、全員が自ら希望して樺太に労働や移住に来ていた。

徴用というのも高額報酬で応募が押し寄せたほどで、全員が自ら希望して志願したものです。

樺太は寒いので日本帝国は労働者に高額報酬を支給し、報酬に釣られた朝鮮人が自主的に樺太で働いていた。


ここで問題になったのが北朝鮮で、ソ連は北朝鮮の宗主国なので北朝鮮に帰国させようとしました。

北朝鮮行きに応じた人も居たが、「樺太に戻りたい」といって脱出する人が続出し、悲惨な暮らしぶりを手紙で書いてよこしたという。

戦前の樺太と比べてすら北朝鮮は最悪であり、以降北朝鮮への帰国を希望する者はいなくなった。


日本人妻や日本人夫と結婚した朝鮮人は「日本に」続々と帰国していったが、朝鮮人の韓国への帰国は、結局ソ連崩壊まで認められなかった。

ソ連と日本の交渉では帰国が何度も決まりかけたものの、必ず北朝鮮が抗議してソ連が態度を豹変させた。

「朝鮮人の祖国は北なのに、なんで傀儡国家(韓国の事)に出国させるのか」という言い分でした。


これが樺太の韓国人問題で、戦後数千人居たと推測されるが、ほとんどは帰国を果たさずになくなりました。

http://www.thutmosev.com/archives/72487962.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/265.html#c5

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
13. 中川隆[-6147] koaQ7Jey 2021年4月01日 17:04:50 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[46]

終戦時満州に取り残された日本人 ソ連兵と中国人は何をしたか
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/265.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c13
[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
6. 2021年4月01日 17:10:20 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[47]

馬渕睦夫 米国がつくった中華人民共和国
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/135.html

ウォール街やシティと戦った共産主義者のフランクリン・ルーズベルト
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1037.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

朝鮮戦争は八百長戦争だったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/492.html

馬渕睦夫 deep state の世界を語る _ 朝鮮戦争も東西冷戦もアラブの春も対テロ戦争もすべてヤラセだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/105.html

東西冷戦の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/719.html

ベトナム戦争の時代
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/723.html

キッシンジャーがやった事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1109.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c6

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
7. 2021年4月01日 17:18:15 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[48]
欧米諸国はイルカの人道などには厳しいが、チベットやウイグルの人道には関心を持たない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/608.html

ウイグル弾圧で54か国が中国支持の衝撃 国連総会で日米欧と対決
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/708.html

日本人ジャーナリストがウイグル問題を報じると こういう目に遭う
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/482.html

中国共産党の暴力と脅迫をスルーする大手マスコミ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1563.html

中国、新疆ウイグル自治区で強制労働、収容施設の少数民族57万人以上に綿花を収穫させたか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1596.html

中国政府による強制不妊と虐待、ウイグル女性が語る「地獄」
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/985.html

中国の法輪功弾圧者に対する国際的懲罰が始まった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/469.html

中国の生きたまま摘出した臓器に群がる世界の臓器ビジネス
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/912.html

習近平の中国が仏像やモスク破壊、キリスト教関係者多数が行方不明
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1079.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c7

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
8. 中川隆[-6146] koaQ7Jey 2021年4月01日 17:34:23 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[49]
グレートリセットは米国覇権の崩壊と多極化、中国の台頭を示すもの
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/504.html

米国のカラー革命に資金を出している富豪はファシズム体制の樹立を目指している
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/202.html

ドルが下落したらアメリカは終わり
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1074.html

米ドル凋落の始まりか。ユーロが首位 10月の国際決済通貨シェア 2020年12月7日
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1213.html

米ドル覇権はコロナで終わった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/193.html

ペトロダラーシステム
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/822.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c8

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
9. 中川隆[-6145] koaQ7Jey 2021年4月01日 17:38:07 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[50]
LGBT騒ぎは社会を分断してグレートリセットをやり易くするのが目的

【トランプ速報】日本の将来はもうない!? バイデンの真の目的、東京五輪、コロナの嘘、マスク踏み絵、グレートリセット…ジェームズ斉藤が徹底解説!
2021.01.24
https://tocana.jp/2021/01/post_196891_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】

──残念ですが、バイデン政権が誕生してしまいました。

ジェームズ これでアメリカの一党独裁が始まります。しかし、トランプ・ムーブメントは確実に残っていくのでそこはまったく心配していません。一番重要なのは最後の最後までトランプが敗北宣言をしなかったことです。これは米国史上初めてのことだと思います。2016年にトランプが勝った時、ヒラリーですらトランプには敗北宣言をしていますが、トランプはそれをやらず、「The Best is yet to come」と語っています。これは、「最高のものはまだ来ていない」という意味で、キリスト教原理主義者、福音派にとってはキリストの再誕と重ね合わせて考えることができるまさに福音になります。

──トランプがキリストのように十字架にかけられたということですか?

ジェームズ そうです。アメリカの罪のために断罪されたということです。

──確かに、キリスト以上に側近に裏切られまくりましたからね。

ジェームズ 実は、まさに、それを象徴するような事件が1月6日にありました。あの暴動があった議会の終わりに、当時まだ副大統領だったペンスは、共和党のある議員から握手を求められたんですが、それがフリーメイソン式の握手だったんです。

──おぉ、フリーメイソン式握手って言葉を久しぶりに聞きました(笑)。

ジェームズ 私もですよ。しかも、それをアメリカの議会で見るとは思いませんでした(笑)。で、話はまだ続きがあって、握手が終わったあとにペンスが手を開くとコインのようなものがあったんですね。つまり、握手の際に共和党の議員から渡されたんですが、これが何を意味しているのか? もしかしたらユダがキリストを裏切った時にユダヤ人から銀貨を受け取っていますが、それを象徴しているのかもしれません。

──つまり、ペンスがユダだったと。

ジェームズ 可能性はあります。ただし、私はまだペンスのことは本当に裏切ったのかどうか少し懐疑的ではあります。トランプ側のスパイの可能性もありますし、ディープステート側のスパイとしてトランプ政権に送り込まれた可能性もあります。ペンスの場合は能力が高いのでどちらかを断定するのは現時点でも難しいです。私の新CIA右派の関係者は「ペンスは裏切り者だ」と断定していますが、彼らも判断を間違っている可能性があります。

──愛国者党のほうはどうなりそうですか?

ジェームズ 愛国者党はどこまで人と金が集まるかですね。トランプも今回の選挙ではかなり金を使っていますし、本業の不動産業も低調のようです。トランプ・タワーもコロナで客が入ってないようですから、資金の余裕はないと思います。

──在任中も大統領の給料は年間1ドルしかもらってなかったし、自分の財産もすり減らしたし、イメージとはそぐわないですが、昔の清廉潔白な政治家だったとは言えますね。

ジェームズ それは間違いなく言えます。ただ、ここで重要になってくるのがさきほどのキリスト教原理主義的な発言で、アメリカにはこれを信奉する人が多くいて、中でも注目されるのがコーク兄弟という大富豪です。彼らはリバタリアンで、これまでもトランプに資金を提供してきています。

──リバタリアン?

ジェームズ 自由原理主義みたいな人たちで大きな政党をなんであれ嫌うんです。いまトランプを応援しているのはこういう人たちなのですが、1つ心配なのがトランプ派がいま二分化してまして、トランプを応援する勢力と、トランプと決別する勢力が出てきています。つまり、トランプが何もしないで退任してしまったので「裏切り者」と言う人たちが出てきたんですよ。その代表格がオース・キーパーズというミリシャの集団です。スチュアート・ローズという男が代表なんですが、彼はロン・ポールというリバタリアンでイェール大学ロースクール卒業の超エリートで、有名な国会議員の秘書だった人なんです。ただし、いまは海賊みたいなパッチを目につけて元議員秘書とは思えないイカツイ風貌になっています(笑)。彼がトランプは裏切り者だと宣告する一方で、民主党、バイデン政府に対しては徹底抗戦すると宣戦布告をしました。しかも、スチュアート・ローズのバックにはアレックス・ジョーンズもついています。彼は一時、勢いがなかったのですが、さすがは元祖CIA右派の大物ですね。CIA右派の内部分裂にも影響を受けず、しっかり復活してきました(笑)。

──とりあえず、トランプ・ムーブメントを受け継ぐイカツイ人たちが、トランプも含めてバイデンに牙を剥くということですね。

ジェームズ その通りです。

──ところで、CIA右派とか左派という言葉はもういいんじゃないんですか? CIAはもうみんな左派に行ってしまったんですよね?

ジェームズ CIAはほぼ左派になったと言えますが、CIA右派、左派というのはCIA内部での話ではありません。CIAのOBたちが自分たちの利権を守るために作った「コントロールされた勢力」のことですので、これはいまでも生きているんですよ。それこそアレックス・ジョーンズはCIA右派の利権をいろいろ握っていますから。ですから、これからもアメリカを語る上では重要な言葉となりますので、そう理解してください。これはまた、あとで詳しくお話します。

──そういう意味だったんですね。わかりました。では、新しく誕生したバイデン政権はどうでしょうか。なにか面白い話はありますか?

ジェームズ バイデンが大統領になって早速やったことはなにかというと軍内にトランスジェンダーを受け入れると言い出したことです。一般的な報道ではパリ協定に復帰するとかのほうを注目していますが、それ以上にバイデン政権を象徴するのは軍のLGBT化のほうです。これには2つの意味があります。1つは軍の弱体化です。軍の強さというのは命令系統の徹底です。「ここを守れ」と命じたら死んでも守るのが軍で、そうでなければ戦えませんが、LGBTはその運動からもわかるとおり、自分ファーストであることに重きをおきます。自分ファースト自体は悪い考えでも何でもないですが、こと軍人には極めて不向きです。ですから、これまで外してきたんですが、民主党がそれを推し進めるのは軍が怖いからです。

──軍が怖い? 

ジェームズ 彼らは自分たちが不正をしたことがわかっていますから、いつ軍が反対勢力になるかわからないと思っているんです。それならいっそ弱くなってくれたほうがいいんです。これは極左の特徴で、スターリンも軍が信用できずに将軍たちを徹底的に粛清しましたし、一般兵士の銃からは実弾を抜いたんです。スターリンが一番恐れていたのはクーデターだったんですが、そこに第二次世界大戦でドイツに侵攻されてしまいましたから最初はコテンパンにやられたんです。それはそうですよ、訓練もしてないし、指揮系統もバラバラなんですから。

──でも、それをやったら国が弱体化しませんか?

ジェームズ 間違いなくしますが、自分たちの利権がなくなるよりはいいと考える人たちです。その証拠がすでに議会を守る州兵たちの扱いに出ています。バイデンが大統領になって、すぐに民主党は、これまで議会を守ってくれていた軍人たちを地下駐車場に押し込めて、そこで寝泊まりしろと言い出したんです。そこは寒いですし、トイレもひとつしかありません。そこに5000人の兵士がいるんですよ。

──どういうことですか? もう守ってもらう必要がないってことなんですか?

ジェームズ いえ、守ってもらう必要はまだあります。ただし、議会内はもう安全なので「お前たちは議会の外にいろ」ということです。その前は議会内の廊下とかに寝てましたけど、議会内で寝ていると見苦しいので地下に行けということです。


──身勝手な話ですね。いままで散々守ってもらったくせに。

ジェームズ 馬脚を露わすという言葉を地で行く人々です。民主党員に他人をねぎらう気持ちはありません。逆にいつ彼らが自分たちに牙を剥いてくるかわからないので警戒しているぐらいです。しかし、外は完全に安全ではないのでガードは必要なので地下駐車場にいろ、ということです。いま軍人たちはかなり怒っていますよ。そしてもう1つ理由は、LGBT化は国をアトム化させるためにはとても使いやすい、口当たりのいい言葉なんです。それを軍にも推し進め、アメリカ社会全体にも推し進めていくんです。重要なことなのでもう一度言いますが、LGBTの人々が悪いのではなく、それを利用する人間がいるということです。LGBTは政治に利用されずに差別をなくす方法を模索するべきです。

──LGBTが進むと社会はどうなるんですか?

ジェームズ 家族が解体され、親子の絆が断絶されていきます。もちろん、LGBTの人々がそういう悪影響を持っているということではなく、LGBTムーブメントは国の解体、断絶のために使いやすいということです。これはかつてソ連のボリシェヴィキ党が行ったことです。家族を解体すると社会がアトム化します。すると、コントロールしやすくなるので、こちらを推し進めているのです。

──LGBTムーブメントって一見すると自由化、平等化に感じますが、実際は違うんですね。

ジェームズ 彼らはあえて違うように運用します。差別を助長する方向で使うのです。実際、これは日本の極左たちがやっている被害者ビジネスと同じです。上っ面だけはキレイに見えますが、「差別をなくせ」という人間こそが差別を作っています。彼らはよくアメリカが分断するとか言いますが、本当に分断を推進しているのは完璧に左派です。トランプではないです。その極めつけが不法移民1000万人に市民権を与えるという法律です。こんなことをすれば社会はもっと不安定化します。しかも、いまグアテマラから不法移民約7000人がアメリカに向かっていますが、バイデンはこれも受け入れると言っています。アメリカはますますメチャクチャになります。しかし、民主党は不法移民たちに恩を売る形になりますから、支持基盤が厚くなるわけです。国が乱れても自分たちが政権を握られればそれでいいんです。

──恐ろしい話です。ほかに気になることはありますか?

ジェームズ すべてがダメですが、いま目に飛び込んできたのが「マスクチャレンジ100日間」(バイデン氏は国民に対し、自らの就任から100日間はマスク着用を求める「マスクチャレンジ」も訴えるた)という人をバカにしたキャンペーンですね。なんかスポーツみたいなことを言ってますけど、これで言うことを聞かない国民はブラックリストに載せていくわけです。体のいい踏み絵ですよ。だいたい、本当にコロナが危険なのであれば、議会の周りに州兵が何万人もいる時点でおかしいと思わないのかと。しかも、バイデンの就任式でオバマ、ブッシュ、クリントンがマスクを外してる時がありましたからね。それもどうなんだと(笑)。結局、すべてがウソっぱちですし、グレートリセットに向かっているということです。実際、新設の気候変動問題の大統領特使になったジョン・ケリーは「バイデン政権の目的はグレートリセットにある」とはっきり発言しています。そして、そんな中で一番情けないのが日本政府です。バイデンが大統領になってすぐに、「東京五輪中止」のニュースが流れたじゃないですか。「日本政府はコロナにより東京五輪の中止が必要と非公式に結論」というニュースが。

──流れましたね。すぐに日本政府は否定しましたが(笑)。

ジェームズ 間違いなく政府からのリークです。あれはバイデンが政権をとったので、安心してグレートリセットに乗っかって儲けることができると踏んだからです。儲かると判断したから早速、雰囲気作りを始めたんです。極左たちのやり方には呆れますが、日本政府の小物ぶりにもほどがありますね。戦後の日本は「対米従属を国家戦略にする」という戦略すら理解していない体質でしたが、今まで米国が強かったのでさほど問題はなかったです。しかし、バイデンの米国は「グレートリセット・ファースト」です。グレートリセットは米国の弱体化を図り、中国に覇権を譲渡して完成します。バイデン政権発足して3日しかたっていませんが、既にLGBT推進で家族と軍の解体、キーストーン天然ガスパイプライン廃止で中東依存体制の復活、発展途上国からの移民歓迎で国内テロ誘発等、確実に米国の弱体化を推めています。それに加え、ロックダウンを強制して、国内経済はボロボロです。米国は同盟国ですが、もはや死に体と認識しておかなければなりません。米国なき日本など、中共の鴨にされるだけです。まず現政権を含む日本国内の中共傀儡勢力を一掃しなければ、日本の将来はないでしょう。
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c9

[リバイバル3] 香港が長寿世界一になった意外な理由 中川隆
1. 2021年4月01日 17:42:07 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[51]
香港で学んだ中国茶の作法。何杯も飲んで味や香りの変化を楽しむ
扶桑社 2021/04/01
https://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/life/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%82%93%E3%81%A0%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%8C%B6%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%B3%95-%E4%BD%95%E6%9D%AF%E3%82%82%E9%A3%B2%E3%82%93%E3%81%A7%E5%91%B3%E3%82%84%E9%A6%99%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80/ar-BB1fc8E5?ocid=msedgntp

コロナで海外旅行に行けない今、旅行ジャーナリスト小野アムスデン道子さんが、世界を旅するなかで出合ったユニークなお茶時間の過ごし方と、家でも海外旅行気分に浸れるお菓子などを紹介します。今回は、香港で出合った、奥深い中国茶の楽しみ方をお届けします。


香港で出会った奥深い中国茶の楽しみ方

香港式・中国茶の楽しみ方

日本で中国茶を飲むといえば、中華料理店での食事の際にウーロン(烏龍)茶やジャスミン茶をオーダーすることが多いと思います。

ポットや急須など© ESSE-online ポットや急須など

でもじつは、中国茶には非常にたくさんの種類があり、味や成分も異なります。お茶を目的に合わせて選び、一煎ではなく何煎も入れて、その味の変化を楽しむなんてことも!

●何度も味わえる中国茶の魅力

以前に香港大学の大学美術博物館の中にあったティーハウス(博寮茶座)で、お茶の種類に合わせての楽しみ方を知りました。中国茶は、発酵の度合いで緑茶、白茶、黄茶、青茶、紅茶、黒茶と6色に大別されます。緑茶は不発酵ですが、日本では蒸気で蒸して発酵を止めるのに対して、中国では炒って止めます。

急須で注ぐ様子© ESSE-online 急須で注ぐ様子

ここでは、まず緑茶の西湖瀧井を飲みましたが、日本茶よりシャープで、カフェインを多く含み、飲むと気分もすっきりとします。1、2煎目は1〜2分、3煎目は3分間でフタをせずに味わいます。花の香りがとてもいいジャスミン(茉莉花)茶も緑茶を用いることが多いのですが、5煎入れて、香りの変化を楽しむのがなんとも優雅でした。

次に試したのは黒茶の雲南普洱(プーアル)茶で、加熱で酸化発酵を止めたあとに麹菌によって再発酵させたもの。ミネラルが多く含まれていて、整腸作用や脂肪の分解を促進することでダイエット茶として知られています。食事のあとに飲むとすっきりした感じがします。これはなんと7煎も楽しめて、どんどん味や香りが変っていくのですが、一杯の量は少ないので、お茶を味わうことに集中できます。

このティーハウスは残念ながら閉店してしまったのですが、このような中国茶をいろいろ味わう茶芸館は、香港公園にある「楽茶軒 LockCha」など香港のあちこちにあります。日本でも中国茶は手に入りますし、お茶に合わせた飲み方で、一煎だけでなくじっくり楽しんでみてください。

●茶瞑想も流行中
また、今、香港ではこのお茶の深い味わい方にフォーカスする茶瞑想も流行中なのだとか。定期的に瞑想茶会を開いているSpiral Spacesというコミュニティもあるそう。確かに身体によいだけでなく、気持ちも落ち着いてよさそうです。


摩天楼を一望するビクトリアハーバーの眺めがきらびやかな香港のイメージですが、毎日飲むお茶や食べ物に対する医食同源のウェルネスへの考え方も香港らしい魅力。ぜひ、取り入れたいですね。

<取材協力/香港政府観光局 取材・撮影・文/小野アムスデン道子>

https://www.msn.com/ja-jp/lifestyle/life/%E9%A6%99%E6%B8%AF%E3%81%A7%E5%AD%A6%E3%82%93%E3%81%A0%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%8C%B6%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%B3%95-%E4%BD%95%E6%9D%AF%E3%82%82%E9%A3%B2%E3%82%93%E3%81%A7%E5%91%B3%E3%82%84%E9%A6%99%E3%82%8A%E3%81%AE%E5%A4%89%E5%8C%96%E3%82%92%E6%A5%BD%E3%81%97%E3%82%80/ar-BB1fc8E5?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/789.html#c1

[近代史5] 明治維新と太平洋戦争の真相 中川隆
14. 2021年4月01日 17:44:05 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[52]
「大地の子」は終わっていない 置き去りにされた日本人たち、問題は2世に
全国新聞ネット 2021/04/01

 中国残留孤児が訪日調査に参加し、初めて故郷の地を踏んで今年で40年になる。故山崎豊子さんの小説「大地の子」でも描かれ、その壮絶な人生は1980〜90年代にかけて社会的関心を集めた。帰国者への支援法などで孤児たちを巡る環境は整備されつつあるが、問題は今、子ども世代にも広がっている。(共同通信=山上高弘)

2世への支援拡充を訴える中国残留邦人ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)© 全国新聞ネット 2世への支援拡充を訴える中国残留邦人ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
 中国残留孤児は戦前・戦中に国策で中国東北部(旧満州)に渡り置き去りにされた人々で、戦後しばらくして、その多くが帰国を果たした。1981年3月に初めて訪日調査が行われ、国に認定されて永住帰国したのはこれまでに2557人。孤児は終戦時おおむね13歳未満だったとされ、それ以上だった「婦人等」を合わせた永住帰国者は6724人に上る。残留孤児をテーマにした山崎さんの代表作の一つ「大地の子」は91年に 単行本が刊行された。その後、NHKドラマにもなり、俳優の上川隆也さん が孤児の役を熱演したことで知られる。


 ▽ママと呼べなかった

 「1993年11月、57歳の私は飛行機から降り、深呼吸しました。夢にまで見た自分の祖国に立ち、うれしさでいっぱいでした」。残留孤児の川添緋砂子さん(85)=福岡市=は帰国の瞬間をこう振り返る。

 ソ連が満州に侵攻した45年8月9日、川添さんは父の仕事で現在の黒竜江省にいた。家族と共に原始林の中を必死に逃げ回り、何日も歩き続け、草や木の葉を食べてしのいだ。20日、ソ連軍に遭遇し、同省牡丹江の収容所に送られた。身重だった母は出産後に亡くなり、生まれたばかりの赤ちゃんは中国人に引き取られた。生死は分からないままだ。

 その後、父や妹とハルビンの収容所に移された。10月の満州の雨はいてつくほど冷たく、寝具や食料もない中、コンクリートの床で眠り、ただ死ぬのを待った。ソ連兵は毎日、死んだ人を乱暴にトラックに載せていった。

家族との写真を前に、思いを語る中国残留孤児となった川添緋砂子さん=2020年2月、福岡市  © 全国新聞ネット 家族との写真を前に、思いを語る中国残留孤児となった川添緋砂子さん=2020年2月、福岡市  
 ある朝、父が息を引き取った。飢えと寒さで起き上がる力もなく「父が運ばれていく姿をただ目で追うことしかできなかった」。その夜、もうろうとしていると足音が聞こえた。父の知人の中国人たちに川添さん姉妹はそれぞれ引き取られた。

 出稼ぎでハルビンにいた養父に男手一つで育てられた。小学生になり、同級生に日本人だと知られると石を投げられるなどのいじめが続いた。「誰も知らない場所に行こう」と、養父の故郷、山東省青島に移った。初めて養母に会った時は「身長は低く、顔が黒くて美人じゃない」と思ったという。養父に促されても、どうしても「ママ」と呼べなかった。

 春節(旧正月)前のある日、半年ぶりに中学の寄宿舎から片道35キロの道を歩いて帰省すると、養母は外で雪まみれになって待ち続けていた。「私は初めて大きな声で『ママ、ママ…』と叫びました」。養父母の愛情に応えようと一生懸命勉強し、小学校の教師になった。

 93年に帰国を果たしたが、日本語は話せず外出できない日々が続いた。「小学生の孫の宿題も分からず、恥ずかしかった」。60歳を過ぎて日本語学校に通った。「同じ境遇の孤児の力になりたい」と、帰国者の会での活動も続けてきた。

2世への支援拡充を訴える川添緋砂子さん=福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)© 全国新聞ネット 2世への支援拡充を訴える川添緋砂子さん=福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
 2007年の帰国者支援法改正を受け、川添さんら1世の暮らしは改善されつつあるが、最も懸念するのは大人になってから親と共に日本へ渡った高齢の2世の苦境だ。「今は1世よりも2世が大変。残留孤児の問題は終わっていない」

 ▽老後の不安募る2世

 「年金、もらえるのは月1万9千円。将来が心配。助けてほしい」。「九州地区中国帰国者二世連絡会」会長の小島北天さん(73)=福岡県志免町=は、たどたどしい日本語で打ち明ける。

 終戦後の47年、遼寧省奉天(現瀋陽)で中国人の父と残留婦人の母との間に生まれた。母の帰国に伴い97年から日本で暮らすが、「日本語ができない50歳に仕事なかった」

記者会見で中国残留邦人2世への支援拡充を訴える小島北天さん=3月、福岡県庁© 全国新聞ネット 記者会見で中国残留邦人2世への支援拡充を訴える小島北天さん=3月、福岡県庁
 平成不況で雇用を切られるなど、転職は6回を重ねた。今は週3日、パートで働きながら妻や娘らと暮らす。年金を合わせても世帯収入は月に十数万円。「もし大きな病気にかかったら大変」

 2世は中国語が母語として身についた30代以降での帰国が多い。小島 さんのように残留婦人の子の中には、残留孤児とほとんど変わらない年齢で帰国した人もいる。日本語がうまく話せないため正規雇用を得られなかったり、年金加入期間が短く老後の生活にも不安を抱えたりしている。国は支援法改正で1世への老齢基礎年金の満額支給を認めたが、2世への経済的支援は含まれなかった。17年に同連絡会が福岡、佐賀、長崎、熊本4県で2世を対象に行った調査では、210人のうち6割が生活保護を受けていた。

 中国残留邦人の問題に詳しい神戸大の浅野慎一教授(社会学)は「2世は学歴や帰国時の年齢が多様なために共通の課題が見えづらく、苦境の要因が個人の問題として捉えられている。帰国が遅れた責任は国にあり、経済的に困っている2世に必要に応じて支援をするべきだ」と指摘する。

2世への支援拡充を求め、街頭署名を呼び掛ける小島北天さん(左)ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)© 全国新聞ネット 2世への支援拡充を求め、街頭署名を呼び掛ける小島北天さん(左)ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
 現在、九州や関西の帰国者らが中心となり、2世への支援法適用を求める署名活動を続けている。全国で計10万筆を集め、6月の国会請願を目指す。交通費などの資金を捻出するためのクラウドファンディングも始めた。(

 ▽未認定の「孤児」

 国はこれまでに2818人を残留孤児と認めたが、2012年を最後に新たな認定はない。一方で「日本人として認めてほしい」と、国に訴え続ける人もいる。

 「生活難のため子育てができず、5歳の娘を引き渡します」。ハルビン出身の郜鳳琴(こう・ほうきん)さん(77)=熊本県菊陽町=は色あせたぼろぼろの便箋を取り出した。1949年6月、長野県の開拓団出身の生母と、中国人養父が交わした証明書だ。

中国人養父から手渡された証明書を手にする郜鳳琴さん(右)。左は夫の庄山紘宇さん=2020年10月、熊本県菊陽町© 全国新聞ネット 中国人養父から手渡された証明書を手にする郜鳳琴さん(右)。左は夫の庄山紘宇さん=2020年10月、熊本県菊陽町
 小さい頃は「日本鬼子」と周囲の子どもたちにいじめられた。18歳で結婚したが、日本人の子どもと知ると夫の態度が一変した。「国に帰れ」と突き放され、ほどなくして離婚した。養父から証明書を手渡されたのは日中国交正常化の72年のこと。身上がはっきりし「日本に帰りたい」との思いが芽生えた。地元公安局に相談して肉親捜しが始まった。

 82年、訪中調査団に参加していた生母とハルビンで再会でき、2人で涙した。ただ、生母は父親については口をつぐんだ。その後、手紙を送るなどしても返事はなく、音信不通になった。

 孤児の認定を受けるには両親が日本人との証明が必要だ。郜さんは厚生労働省に申請したが却下された。未婚の子だったのか戸籍になく、父親の証明が不十分だったとみられる。支援団体の協力で証言を集めるなどしたが状況は変わらず、今から10年ほど前に生母が死去したと、人づてに聞いた。

 郜さんは2年半前、87年に帰国した孤児で支援者の庄山紘宇さん(83)と再婚し、配偶者として「帰国」が実現した。日本語は話せないが、夫婦で仲むつまじく暮らす。「故郷に帰れてうれしい。ただ自分のような境遇の人は中国にまだ数百人はいる」とも話し、国に柔軟な対応を求める。

 満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)の寺沢秀文館長は、十数人の認定支援を個人的に続けてきたが、「時間がたち、新たな証拠を探し出すのは難しい」と話す。

 浅野教授は「残留孤児になったのは戦前・戦後の国の政策が不十分だったことに原因があり、自己責任ではない」と指摘した上で、「国はどのような証明が足りず、なぜ認定できないのか情報を開示し、手助けを図るべきだ」と訴えている。

  ×  ×  ×

 中国残留孤児 太平洋戦争末期の1945年8月9日のソ連軍による満州侵攻に伴う混乱で、肉親と生き別れたり、死別したりし、現地に取り残された日本人の子どもたち。満州には当時、国策によって日本からの開拓移民が多数居住していた。国の不十分な引き揚げ政策によって帰国が遅れ、公的年金にも加入できなかったため、2007年に帰国者支援法が改正され、特例で老齢基礎年金の満額支給が受けられるようになった。一方で親と共に帰国した子ども世代への経済的支援は盛り込まれなかった。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90-%E3%81%AF%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84-%E7%BD%AE%E3%81%8D%E5%8E%BB%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AF%EF%BC%92%E4%B8%96%E3%81%AB/ar-BB1fbyfm?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html#c14

[近代史5] 終戦時満州に取り残された日本人 ソ連兵と中国人は何をしたか 中川隆
6. 中川隆[-6144] koaQ7Jey 2021年4月01日 17:44:31 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[53]
「大地の子」は終わっていない 置き去りにされた日本人たち、問題は2世に
全国新聞ネット 2021/04/01

 中国残留孤児が訪日調査に参加し、初めて故郷の地を踏んで今年で40年になる。故山崎豊子さんの小説「大地の子」でも描かれ、その壮絶な人生は1980〜90年代にかけて社会的関心を集めた。帰国者への支援法などで孤児たちを巡る環境は整備されつつあるが、問題は今、子ども世代にも広がっている。(共同通信=山上高弘)

2世への支援拡充を訴える中国残留邦人ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)© 全国新聞ネット 2世への支援拡充を訴える中国残留邦人ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
 中国残留孤児は戦前・戦中に国策で中国東北部(旧満州)に渡り置き去りにされた人々で、戦後しばらくして、その多くが帰国を果たした。1981年3月に初めて訪日調査が行われ、国に認定されて永住帰国したのはこれまでに2557人。孤児は終戦時おおむね13歳未満だったとされ、それ以上だった「婦人等」を合わせた永住帰国者は6724人に上る。残留孤児をテーマにした山崎さんの代表作の一つ「大地の子」は91年に 単行本が刊行された。その後、NHKドラマにもなり、俳優の上川隆也さん が孤児の役を熱演したことで知られる。


 ▽ママと呼べなかった

 「1993年11月、57歳の私は飛行機から降り、深呼吸しました。夢にまで見た自分の祖国に立ち、うれしさでいっぱいでした」。残留孤児の川添緋砂子さん(85)=福岡市=は帰国の瞬間をこう振り返る。

 ソ連が満州に侵攻した45年8月9日、川添さんは父の仕事で現在の黒竜江省にいた。家族と共に原始林の中を必死に逃げ回り、何日も歩き続け、草や木の葉を食べてしのいだ。20日、ソ連軍に遭遇し、同省牡丹江の収容所に送られた。身重だった母は出産後に亡くなり、生まれたばかりの赤ちゃんは中国人に引き取られた。生死は分からないままだ。

 その後、父や妹とハルビンの収容所に移された。10月の満州の雨はいてつくほど冷たく、寝具や食料もない中、コンクリートの床で眠り、ただ死ぬのを待った。ソ連兵は毎日、死んだ人を乱暴にトラックに載せていった。

家族との写真を前に、思いを語る中国残留孤児となった川添緋砂子さん=2020年2月、福岡市  © 全国新聞ネット 家族との写真を前に、思いを語る中国残留孤児となった川添緋砂子さん=2020年2月、福岡市  
 ある朝、父が息を引き取った。飢えと寒さで起き上がる力もなく「父が運ばれていく姿をただ目で追うことしかできなかった」。その夜、もうろうとしていると足音が聞こえた。父の知人の中国人たちに川添さん姉妹はそれぞれ引き取られた。

 出稼ぎでハルビンにいた養父に男手一つで育てられた。小学生になり、同級生に日本人だと知られると石を投げられるなどのいじめが続いた。「誰も知らない場所に行こう」と、養父の故郷、山東省青島に移った。初めて養母に会った時は「身長は低く、顔が黒くて美人じゃない」と思ったという。養父に促されても、どうしても「ママ」と呼べなかった。

 春節(旧正月)前のある日、半年ぶりに中学の寄宿舎から片道35キロの道を歩いて帰省すると、養母は外で雪まみれになって待ち続けていた。「私は初めて大きな声で『ママ、ママ…』と叫びました」。養父母の愛情に応えようと一生懸命勉強し、小学校の教師になった。

 93年に帰国を果たしたが、日本語は話せず外出できない日々が続いた。「小学生の孫の宿題も分からず、恥ずかしかった」。60歳を過ぎて日本語学校に通った。「同じ境遇の孤児の力になりたい」と、帰国者の会での活動も続けてきた。

2世への支援拡充を訴える川添緋砂子さん=福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)© 全国新聞ネット 2世への支援拡充を訴える川添緋砂子さん=福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
 2007年の帰国者支援法改正を受け、川添さんら1世の暮らしは改善されつつあるが、最も懸念するのは大人になってから親と共に日本へ渡った高齢の2世の苦境だ。「今は1世よりも2世が大変。残留孤児の問題は終わっていない」

 ▽老後の不安募る2世

 「年金、もらえるのは月1万9千円。将来が心配。助けてほしい」。「九州地区中国帰国者二世連絡会」会長の小島北天さん(73)=福岡県志免町=は、たどたどしい日本語で打ち明ける。

 終戦後の47年、遼寧省奉天(現瀋陽)で中国人の父と残留婦人の母との間に生まれた。母の帰国に伴い97年から日本で暮らすが、「日本語ができない50歳に仕事なかった」

記者会見で中国残留邦人2世への支援拡充を訴える小島北天さん=3月、福岡県庁© 全国新聞ネット 記者会見で中国残留邦人2世への支援拡充を訴える小島北天さん=3月、福岡県庁
 平成不況で雇用を切られるなど、転職は6回を重ねた。今は週3日、パートで働きながら妻や娘らと暮らす。年金を合わせても世帯収入は月に十数万円。「もし大きな病気にかかったら大変」

 2世は中国語が母語として身についた30代以降での帰国が多い。小島 さんのように残留婦人の子の中には、残留孤児とほとんど変わらない年齢で帰国した人もいる。日本語がうまく話せないため正規雇用を得られなかったり、年金加入期間が短く老後の生活にも不安を抱えたりしている。国は支援法改正で1世への老齢基礎年金の満額支給を認めたが、2世への経済的支援は含まれなかった。17年に同連絡会が福岡、佐賀、長崎、熊本4県で2世を対象に行った調査では、210人のうち6割が生活保護を受けていた。

 中国残留邦人の問題に詳しい神戸大の浅野慎一教授(社会学)は「2世は学歴や帰国時の年齢が多様なために共通の課題が見えづらく、苦境の要因が個人の問題として捉えられている。帰国が遅れた責任は国にあり、経済的に困っている2世に必要に応じて支援をするべきだ」と指摘する。

2世への支援拡充を求め、街頭署名を呼び掛ける小島北天さん(左)ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)© 全国新聞ネット 2世への支援拡充を求め、街頭署名を呼び掛ける小島北天さん(左)ら=2019年10月、福岡市(日中友好協会福岡県連合会提供)
 現在、九州や関西の帰国者らが中心となり、2世への支援法適用を求める署名活動を続けている。全国で計10万筆を集め、6月の国会請願を目指す。交通費などの資金を捻出するためのクラウドファンディングも始めた。(

 ▽未認定の「孤児」

 国はこれまでに2818人を残留孤児と認めたが、2012年を最後に新たな認定はない。一方で「日本人として認めてほしい」と、国に訴え続ける人もいる。

 「生活難のため子育てができず、5歳の娘を引き渡します」。ハルビン出身の郜鳳琴(こう・ほうきん)さん(77)=熊本県菊陽町=は色あせたぼろぼろの便箋を取り出した。1949年6月、長野県の開拓団出身の生母と、中国人養父が交わした証明書だ。

中国人養父から手渡された証明書を手にする郜鳳琴さん(右)。左は夫の庄山紘宇さん=2020年10月、熊本県菊陽町© 全国新聞ネット 中国人養父から手渡された証明書を手にする郜鳳琴さん(右)。左は夫の庄山紘宇さん=2020年10月、熊本県菊陽町
 小さい頃は「日本鬼子」と周囲の子どもたちにいじめられた。18歳で結婚したが、日本人の子どもと知ると夫の態度が一変した。「国に帰れ」と突き放され、ほどなくして離婚した。養父から証明書を手渡されたのは日中国交正常化の72年のこと。身上がはっきりし「日本に帰りたい」との思いが芽生えた。地元公安局に相談して肉親捜しが始まった。

 82年、訪中調査団に参加していた生母とハルビンで再会でき、2人で涙した。ただ、生母は父親については口をつぐんだ。その後、手紙を送るなどしても返事はなく、音信不通になった。

 孤児の認定を受けるには両親が日本人との証明が必要だ。郜さんは厚生労働省に申請したが却下された。未婚の子だったのか戸籍になく、父親の証明が不十分だったとみられる。支援団体の協力で証言を集めるなどしたが状況は変わらず、今から10年ほど前に生母が死去したと、人づてに聞いた。

 郜さんは2年半前、87年に帰国した孤児で支援者の庄山紘宇さん(83)と再婚し、配偶者として「帰国」が実現した。日本語は話せないが、夫婦で仲むつまじく暮らす。「故郷に帰れてうれしい。ただ自分のような境遇の人は中国にまだ数百人はいる」とも話し、国に柔軟な対応を求める。

 満蒙開拓平和記念館(長野県阿智村)の寺沢秀文館長は、十数人の認定支援を個人的に続けてきたが、「時間がたち、新たな証拠を探し出すのは難しい」と話す。

 浅野教授は「残留孤児になったのは戦前・戦後の国の政策が不十分だったことに原因があり、自己責任ではない」と指摘した上で、「国はどのような証明が足りず、なぜ認定できないのか情報を開示し、手助けを図るべきだ」と訴えている。

  ×  ×  ×

 中国残留孤児 太平洋戦争末期の1945年8月9日のソ連軍による満州侵攻に伴う混乱で、肉親と生き別れたり、死別したりし、現地に取り残された日本人の子どもたち。満州には当時、国策によって日本からの開拓移民が多数居住していた。国の不十分な引き揚げ政策によって帰国が遅れ、公的年金にも加入できなかったため、2007年に帰国者支援法が改正され、特例で老齢基礎年金の満額支給が受けられるようになった。一方で親と共に帰国した子ども世代への経済的支援は盛り込まれなかった。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%A4%A7%E5%9C%B0%E3%81%AE%E5%AD%90-%E3%81%AF%E7%B5%82%E3%82%8F%E3%81%A3%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%84-%E7%BD%AE%E3%81%8D%E5%8E%BB%E3%82%8A%E3%81%AB%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%81%9F%E3%81%A1-%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%AF%EF%BC%92%E4%B8%96%E3%81%AB/ar-BB1fbyfm?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/265.html#c6

[近代史5] ホームレス襲撃事件 中川隆
1. 中川隆[-6143] koaQ7Jey 2021年4月01日 20:29:29 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[55]
ホームレス殺害事件の背景

ホームレス殺害。弱者になればなるほど社会は優しくなるどころか凶悪になる
2021.03.26
https://blackasia.net/?p=23147


敗者は転落すればするほど誰からも相手にされなくなる。最後には排除されるところにまで追い込まれる。いったん、そこまで落ちていったら手を差し伸べる人はほとんどいなくなる。それよりも排除する人の方が増えていく。ホームレスの襲撃や殺害はそうやって起きている。(鈴木傾城)

弱者になればなるほど社会は優しくなるどころか凶悪になる

岐阜市で2020年3月にホームレスだった男性が集団で襲われて死亡するという事件があった。この事件については拙著『ボトム・オブ・ジャパン』でも取り上げている。橋の下で静かに暮らしていたホームレスを、少年たちが寄ってたかって石を投げて追い詰めて最後には殺した。

「面白半分で投石し、スリルを楽しむことを繰り返していた」

この事件を担当した裁判長は、このように事件を総括している。ホームレスの投石に関わった少年たちは8人だった。その中で主犯格の2人が、2021年3月25日に懲役5年と懲役4年の刑をそれぞれ言い渡されている。

『ボトム・オブ・ジャパン』では、こうしたホームレス襲撃事件がこの事件だけではなく、今まで連綿と起きている事件であることを描写した。ホームレスに石を投げつけたり、袋叩きにしたり、火を付けたりする事件は常に起きている。

日本だけではない。世界中で起こっている現象だ。アメリカでもEU各国でもホームレスの襲撃は珍しい話ではない。

これは誰も言わないことなのだが、実のところ「弱者になればなるほど社会は優しくなるどころか凶悪になる」という現象が引き起こされる。

弱者になっても、「共同体の中の人間である」と認識されている間は守られる。しかし、共同体からも逸脱してしまうほど下に落ちてしまった人には、一転して容赦ない排除が逆に起きる。

「弱い者いじめ」は共同体からの排除という側面もある。ホームレスに対して石を投げつける行為は、ホームレスという「目ざわりな弱者」を追い払う排除の感情である。「見えないところに消えろ」「どこかに行って二度と現れるな」「この世から消えろ」という感情が根底にある。

人々は「社会から逸脱してしまうほどの弱者」を許容できないのである。

「どこかに行ってほしかった、いなくなってほしかった」
ホームレスは路上で生活し、着替えも持てず、満足に身体を清めることもできないので衛生観念はどんどん悪化してしまう。異臭が漂うようになることもある。その衛生観念の悪化が許容範囲を超えると、人々はホームレスに対して同情心よりも嫌悪を持つようになる。

汚いもの、汚い人にはそばに居て欲しくない。

人々は生ゴミを捨てたら自分の目の届かないところに消えてもらいたいと思うように、あまりにも衛生観念が悪化してしまったホームレスに対しても消えてもらいたいと思うのだ。

自分の庭先にホームレスが住み着いて欲しいと思う人はひとりもいない。あるいは自分の家の近くの公園にホームレスが住み着いて欲しいと思う人もいない。同情心はあっても自分の近くにはいて欲しいとは思わない。

それではどうするのか。ホームレスに声をかけ、食事や金を与え、ホームレスのために何かしてあげようと行動を起こす人はいるだろうか。一部のボランティアはそうした救済活動を行うのだが、多くの人は何も行動を起こさない。

強いていえば、警察や区役所に電話してどこかに連れて行ってもらう人もいる。しかし、中にはより暴力的な行動でホームレスを排除する人も中にはいる。

幡ヶ谷のバス停で寝泊まりする女性が、石などが入ったポリ袋で頭を殴られて死亡する事件が2020年11月16日に起きていたが、犯人の男性は「目ざわりだった」「バス停に居座る路上生活者にどいてもらいたかった」と言った。

「どこかに行ってほしかった、いなくなってほしかった」という理由で殴り殺される。これがホームレスの置かれている立場でもあったのだ。

彼女は首都圏のスーパーで試食販売を担当していたのだが、家賃滞納で退去を余儀なくされて、路上生活者になってしまっていた。彼女もまた何らかの理由で生活保護を受けなかった。

路上生活者になっても、生活保護を受けない人もいるのはこちらでも書いた。(ブラックアジア:「生活保護を受けた方がいい」と言っても、頑なにそれを嫌がる人がいる理由)

いじめても、こき使っても、袋叩きにしても黙認される存在
動物の世界でも、集団の中で「いじめられる存在」が作られ、弱者は仲間に攻撃されてより弱者になっていく。これは熱帯魚ディスカスの世界でも、シマウマやサルの世界でも起きていることだ。

野生の世界で、なぜ弱者が意図的に作られるのかはこちらにも書いた。(ブラックアジア:人間社会が常に「弱者」を作り出すのは、私たちがそれを求めているから?)

野生動物であっても、そこに集団生活があるのなら弱者が必要とされ作り出される。

草食動物の中では最も弱い個体を集団でいじめてさらに弱い存在にしておくのは自己の生存を高める行為となる。肉食動物が襲いかかってきたとき、草食動物のグループは最も足が遅く弱っている個体を肉食動物に襲わせて自分が助かる確率を高める。

肉食動物も強い個体よりも弱い個体を選んで、さっさと狩りという仕事を終わらせたいと思う。だから、必ず弱い個体を狩りの対象に選ぶ。

これを草食動物の側から考えると、自分以外に弱い個体がいればそちらが襲われる可能性が高いということなのである。

人間社会でも、いじめが蔓延する集団の中では、それが学校であれ、会社であれ、軍隊であれ、最も弱い人間がいじめの対象として固定化される。集団は誰かを「いじめられっ子」として決める。

誰かを「いじめられっ子」にしておけば、自分がいじめられっ子にされる確率が減る。つまり、その共同体の中でいじめられずに済む。そして、自分も一緒に最も弱い個体をみんなで攻撃することで、共同体の中での仲間意識を高めることができる。

いじめられっ子を作って集団でいじめることによって、自分がいじめられる確率を減らしつつ共同体の中で仲間意識を深めることができる。集団生活を営んで共同体を持つ動物は、必ずそうした「存在」を作り出す。

時には社会的な構造として弱者が作り出されることもある。身分制度には必ず「最底辺」の身分が用意されるのはよく知られている。かつては「奴隷制度」があったし、インドには「カースト制度」があった。

いじめても、こき使っても、袋叩きにしても黙認される存在を社会はシステムとして用意していたのである。

敗者は転落すればするほど誰からも相手にされなくなる
社会は必ず敗者を作り出す。そして、敗者は転落すればするほど誰からも相手にされなくなる。最後には排除されるところにまで追い込まれる。

いったん、そこまで落ちていったら手を差し伸べる人はほとんどいなくなる。それよりも排除する人の方が増えていく。

人々は成功した人物が好きだが失敗した人は嫌いなのだ。人々は成功した人やセレブや富裕層はどんなに人格が壊れていても大好きだが、どんなに人格が優れていても貧困層や社会の敗者は大嫌いなのだ。

これはスラムや貧困層にずっと潜んで、そうした女性たちとしか付き合って来なかった私が一番よく知っている。どこの国でも貧困層の扱いはひどく、貧困女性を見る目は時には「憎しみ」すらもこもっていた。

スリランカでも下層の女性と一緒にレストランに入ったとき、私と彼女が座った席のまわりから人々がすっと立って消えてしまい、遠巻きにさげすむような目でじろじろと見つめられたこともある。

弱者に対する敵意の視線は本当に恐ろしい。「来るな、近寄るな、消えろ」と、視線でも攻撃してくるのである。

そう言えば、私が海外の貧困地区に出入りしているのを知ったある著名なコンサルタントが言った忠告の言葉も冷たい響きがあったのを覚えている。

「貧乏人と付き合わない方がいいですよ。類は友を呼ぶと言いますけど、貧乏人と一緒にいたら貧乏人の思考様式がうつりますからね。成功者になりたかったら、成功者と一緒にいた方がいいんです」

とは言え、この成功したコンサルタントの考え方には多くの人が賛同するはずだ。成功者には成功者の思考回路があり、失敗者には失敗者の思考回路がある。成功したければ、成功者の思考回路に影響された方が成功する確率が高い。

だから、成功したい人が成功した人と付き合うというのは間違っていない。多くの人は同じように思う。朱に交われば赤くなるのだ。同じ「染まる」なら成功哲学に染まった方がいい。

しかし、この考え方の先にも「弱者の排除」があるということにも気付くべきだ。弱者になればなるほど社会は優しくなるどころか凶悪になる。これからも、ホームレスの襲撃事件や殺害事件は必ず起こるだろう。

https://blackasia.net/?p=23147  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/557.html#c1

[近代史5] ホームレス殺害事件の背景 中川隆
1. 中川隆[-6142] koaQ7Jey 2021年4月01日 20:30:34 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[56]
ホームレス襲撃事件


【岐阜ホームレス襲撃事件】致命傷を与えた元少年Aが見た、被害者の最期の姿《前編》
週刊女性PRIME [シュージョプライム] 2021/04/01
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B2%90%E9%98%9C%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E8%87%B4%E5%91%BD%E5%82%B7%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%81%9F%E5%85%83%E5%B0%91%E5%B9%B4a%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%9F-%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E6%9C%80%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%A7%BF-%E5%89%8D%E7%B7%A8/ar-BB1fbUKZ?ocid=msedgntp


判決が出た渡邉さんの命日に、河渡橋下の献花台に手を合わせ報告するアイさん 撮影/小関千恵© 週刊女性PRIME 判決が出た渡邉さんの命日に、河渡橋下の献花台に手を合わせ報告するアイさん 撮影/小関千恵

判決が出た渡邉さんの命日に、河渡橋下の献花台に手を合わせ報告するアイさん 撮影/小関千恵© 週刊女性PRIME 判決が出た渡邉さんの命日に、河渡橋下の献花台に手を合わせ報告するアイさん 撮影/小関千恵


 3月25日、岐阜市の河渡橋で路上生活をしていた渡邉哲哉さん(当時81歳)が襲われ死亡した事件からちょうど1年目、傷害致死罪に問われた、元少年2人(ともに20歳)の裁判員裁判の判決が、岐阜地裁であった。

「今日は渡邉さんの命日。朝から雨で、渡邉さんが天国で泣いている気がした」

 渡邉さんと20年間ともに生活し、一緒に襲撃をうけた女性・アイさん(仮名・69歳)も、傍聴席に着き、固唾をのんで判決を待っていた。

「主文……」

 出口博章裁判長は、渡邉さんに致命傷を与えた元少年Aに懲役5年(求刑懲役8年)、共に現場にいた元少年Bに懲役4年(求刑懲役6年)を言い渡した。

 判決によると、2人は共謀し昨年3月25日未明、河渡橋付近で渡邉さんを襲撃。約1キロにわたって追いかけながら石を投げつけた。Aが投げた土の塊が渡邉さんの顔に命中し、転倒して脳挫傷などで死亡させた。

 判決理由では「執拗で陰湿、卑劣な犯行」と指摘。事件前から面白半分に投石をくり返し、渡邉さんに追いかけられるなどのスリルを楽しんだ末の犯行で、被害者は一方的にいわれのない暴行を受け、「理不尽で厳しい非難に値する」と断罪した。

 一方で「ことさらに痛めつけようとはしておらず、強い攻撃の意志があったとは認められない」と指摘。2人が「事実を認め反省の態度を示していること」や、20歳と若く、更生のために親が支援する意向を示していることも考慮した、という。

 判決を聴いて、アイさんは「あまりに軽すぎる、私は納得できない」と、憤りを語った。

襲撃現場には10人以上が行っていた
 一年前の事件当初から取材を続け、アイさんを支援してきた筆者が知りたかったのは、少年たちはなぜ「ホームレス」の渡邉さんとアイさんを、くり返し襲ったのか。その動機、背景、心理、そして今はどう思っているのか。初公判から結審まで全5回の審理を傍聴した。その手がかりはあったか、報告したい。

 初公判の日、東京から始発の新幹線に飛び乗り、岐阜地裁へ向かった。

 午前10時、元会社員のA、無職の元少年Bが、ともに黒っぽいスーツに紺のネクタイ姿で入廷した。マスクで顔が覆われ表情はわからない。Aはスポーツ刈りが伸びた頭、Bは襟足まで長く髪がのび、目元もほぼ前髪に隠れていた。罪状認否では、二人とも消え入りそうな声で「間違いないです」と起訴内容を認めた。

 検察官の冒頭陳述によると、被告人らのグループは、3月6日から25日当日までの20日間で、計7回にわたって襲撃に行っていたことがわかった。さらに驚くべきは、

 襲撃に関与していたのは、「A、B、C、D、E、F、G、H、I、J」と称される当時19歳の元少年たち10人。さらに、その「彼女」や「友達」なども含めると、10数人が襲撃現場に行っていた。公判では、そのうち、F、G、Hの3名が法廷で証言した。

 事件当日、AとBは、当時、朝日大学硬式野球部員の3人、C(傷害致死の非行内容で少年院送致)、D、E(嫌疑不十分で不起訴)の計5人で、車で現場に行き、二手に分かれて投石を始めた。検察側の証拠調べでは、当日、被告らが投石の合図を送りあう、スマホの通話アプリの音声も明らかになった。

「俺らいけるよ」「じゃあ、3、2、1、でいくで」「いくよー。3、2、1、ライト、ライト、ライト」といった肉声を、裁判員らは実際にイヤホンで聴いていた。

 衝撃だったのは、廷内のモニターに映し出された、河川敷現場の監視カメラの映像だった。暗闇の中、堤防下の狭い道を、自転車を押しながら逃げるアイさんの影と、その後を追う渡邉さん。アイさんの前に突然、まぶしい光と人影が立ちはだかり、すぐに渡邉さんの背後にも光が近づき、2人は前後を挟み撃ちにされた。

「怖かった、怖かった、殺されると思った」と、アイさんから何度も聴いていたが、その恐怖を初めて実感した。わずか2分の映像、アイさんの動く速度に比べて、後ろをついてくる渡邉さんは遅い。81歳の高齢の身で懸命に走っていたのだろう。涙で目がかすんだ。その映像が唯一、初めて私が見た渡邉さんで、生きて動いている最期の姿だった。

 冒頭陳述で、A、B弁護人とも「傷害致死罪の共謀成立」は争わないとしたが、「被害者をからかい、その反応を楽しむ目的だった。石を身体に当てたり、けがをさせたりするつもりはなかった」と主張した。

「殺されると思って必死に逃げました」
 争点は、(1)石を投げようと思った時期、(2)元少年Bの投石内容、(3)犯行後の口止めの有無、など。が、検察との攻防より、AとBの言い分が対立し、仲間われの泥仕合を見るような場面もあった。

 第2回公判では、アイさん自身が、検察側証人として出廷。「きちんとした格好でいかなくちゃ」と、グレーのスカートスーツ姿で臨んだ。傍聴席や被告人らからは、姿が見えないよう、衝立が置かれた。

 まず、ホームレス生活をするようになったきっかけについて問われ、「アパート生活をしていた45歳くらいのとき、ストーカーにあい、私が飼っていた犬と一緒にアパートを出て、河川敷で生活するようになりました」とアイさん。

 渡邉さんとは、お互い猫のえさやりのボランティアをしていて、知り合ったという。

「20年前、48歳ころです。それから、渡邉さんとはずっと友達関係で、お互いを助け合いながら、命を守りながら、生活してきました」。

 昨年3月に入って襲撃が続いていたことについて、「もう毎日のように、どんどんエスカレートして怖かった。殺される!っていう不安が毎日あって、生きた心地がしませんでした。夜、テントに入って身体は横にしていても、目は開いてました。また来る!という恐怖で、眠れませんでした」と、語った。

 事件の夜、テントの横にある板にコツンと音がして「来たぞ!」と渡邉さんが叫んだ。アイさんは警察に110番通報するために、急いで公衆電話へと向かった。

「堤防の上から男が小走りで降りてきて、目の前に立ち、ライトを当て、自転車の車輪を、足で何度も蹴ってきた。怖くて『渡邉さん!』と叫んだら、渡邉さんが後ろから走ってきて、鉄の棒を振り上げる動作をして、威嚇し、男を追い払った」という。

 男は二度、立ちふさがり『今日は逃がさんぞ、ババアに用がある』などと言い、アイさんは「とにかく怖くて怖くて、殺されると思って、必死で逃げました」と話した。

 堤防を下り、しばらく走ると背後から「シッコたれとるぞ!」と声が聞こえ、振りむくと渡邉さんが仰向けに倒れていた。近くにいた男二人は、顔を見合わせて逃げて行った。アイさんの話は1年前の取材時と、全く変わっていない、一貫していた。

「渡邉さんは本当に心の優しい人で、石を投げ返したことも、鉄の棒を持っていたのも、命を守るためで、自分からは絶対に暴力をふるったりする人ではありません」

 A、Bは衝立の後ろで、じっとアイさんの言葉を聴いていた。「最後に被告人たちに言いたいことは」と問われて、アイさんは叫ぶように言った。

「私たちをなぜ、狙ったのか! そして、何の落ち度もない渡邉さんを、なぜ殺したのか! 私は、それを聴きたいです!」

ホームレスに安全な場所なんてない
 裁判員から、ホームレス生活に関する質問もあった。

――橋の下に20年も暮らしていて、怖い思いをしたことは、ほかにもありましたか?

「ありました。以前は、小学生から石を投げつけられたりとか、中学生からもありました。台風では、何度もテントを流されました。放火もありました。10年前、8月ころだったか、そのときも毎日のように(襲撃に)来たんですよね。最後に火をつけられて、テントが丸焦げになりました」

――そういう怖い思いを20年ずっとしてきて、渡邉さんとそこを逃げ出そうとか、ほかへ移ろうとは思いませんでしたか?

「渡邉さんには猫がいましたし、猫の命を守るために(アパートに入居できなかったし)、生活保護も受けられませんでした」

――例えば、山の奥とか、安全な場所に行こうとは思わなかったのですか?

「……安全な場所なんて、ホームレスにありません」

 なぜそこを出なかったのかと、尋ねた裁判員は、単に、本当に疑問で、善意から心配もしたのだろう。でも、私は、このやりとりが、気になった。

 アイさんは事件前、警察に、命の危険を感じるから本気で捜査してほしいと訴えると、「犯人といたちごっこになるから、(渡邉さんとアイさんのほうが)ここから出て行け」と言われた。「なぜ出て行かないのか」という疑問視と、「ここにいるべきではない」という否定感は、根底で繋がっているように思えた。

 路上生活者は「そこに居るほうがおかしい。嫌なら、ほかへ行けばいい」と言われる。ではどこへ行けというのか。行き場を失い、辿りついた今そこが、命の生き場なのだ。選択できると考えるのは、選択肢を持っている人々だ。人はなぜ路上に至り、どのように命をつないでいるか。その理解と関心が、まだまだ社会全体に足りていないのだと痛感した。

 第3回公判では、いよいよAへの被告人質問が行われた。生い立ちや事件の経緯などを、国選弁護人の質問に答えて語った。

 Aは事件当時、会社員1年目。中学高校は野球に打ち込み、野球の成績を評価され、高校卒業後、野球部のある企業に就職した。母と兄と弟、叔母、祖父母と暮らし、ひとり親家庭で「お母さんに中高時代にたくさん支えてもらったので、野球しながら働いて、少しでも支えたいと思っていた」という。

 高校までは野球に明け暮れ、「平日は練習、土日は試合、次の朝には学校で、友だちと遊びにいくこともなかった」という生活をしていた。

 野球仲間のつながりで、元少年Cのアパートに遊びに行くようになり、Bたちとも知り合い、複数人で夜中に車で心霊スポットや野球を見に行ったりしていた。

「それまで遊ぶのを我慢してたから、友だちと遊ぶのが楽しかった。仕事もあるので学生と同じようには遊べないこともあったけど、つきあい悪いなと思われたり、ハブかれたくなくて、なんとか時間を作って参加するようにしていました」

 Aの母親は証言で「私のパート収入だけではやっていけず、借金もありました。Aが小さいときから、“お金がない、お金がない”と、顔を見るたびに言っていたので、それがストレスだったのではないかと……。就職してからは帰ってこなくなり、私がお金のことばかりいうのが嫌で帰ってこないのかなと思いました。反省しています」と語っていた。

 Aは、河渡橋へ計4回行っている。初めて訪れたのは、愛知県・小牧城の心霊スポットを仲間たちと見に行った帰り、公園のベンチで寝ていたホームレス男性を、仲間が木の棒でつついたり、からかうのを見て、Bが「もっとおもしろいところがある」と言い出したのがきっかけだった。

「B君から、河渡橋の下にも人が住んでいると聞いて、(からかうと)怒って出てくるとか、鉄の棒を持って追いかけてくるとか聞いて。最初は怖いなあと思って、(石は投げず)ただ、近くで見ていました」。しかし、「2回、3回と、みんなと行くうちに、一緒に石を投げたり、被害者をからかったり、逃げたりすることが、だんだん楽しくなっていきました」と、襲撃がエスカレートしていったことを明かした。

口から血か泡を出していた
 事件の夜、堤防下の道を逃げるアイさんを追っていたAは、「渡邉さんがポケットから石を投げてきたので、ぼくも投げ返してやろうと思い、堤防に上がって石を拾って投げ返しました。2、3センチくらいの小石でした」。そのまま北進し、寺田橋付近で坂をおりたあと、「石を投げ返そうと、田んぼに入って土を拾いました」。

 そのとき手にした「土の塊」が、渡邉さんに致命傷を与えることになる。

「ソフトボール位の大きさで少し湿っていて、少し重かった」。軽くはなかったのだ。

「その土の塊を拾って、田んぼから出ようとしたときに、被害者が僕の方へ向いて、棒を振り上げたので、その棒が飛んでくるんじゃないか、自分に当たるんじゃないかと、思って、持っていた土を被害者の方へ投げました」

 渡邉さんとの距離は「1〜3mの間ぐらい」で投げたときの力加減は「(全力の)半分以上の力だった」という。そして、土の塊は「被害者の顔の当たってしまい、土はくだけました……」。

 Aは鼻をすすり、泣き出していた。

「僕はこんなふうになるとは思ってなくて、びっくりして、ヤバいなと思いました。どうしようという気持ちになり、近くにB君がいたので、どうしようと話して……、そのまま、B君と逃げていきました」

 倒れた渡邉さんの様子を聞かれ、「一回、そこから離れていきましたが、何回も後ろを振り向いて、心配だったので、B君に戻ろうといって、二人で戻っていきました。被害者は、口から泡か血を出していて、いびきをかいて寝てるような感じでした」

 そのときなぜ救急車を呼ぶなり、救命しなかったのか。「そのときは、僕がやってしまったことから逃れたいと思っていたので、救急車を呼ぶこともできませんでした……」

 しかしこの話を、Bは「2人で一度、現場に戻ったという記憶はない」と否定した。まず車に乗り込み、C、D、Eらも全員一緒に車で現場に戻って様子を確認したという。5人いて、誰も通報せず救急車も呼ばなかった。無罪放免の者たちも、無実ではないはずだ。

AとBからの口止め依頼
 犯行後の「口裏合わせ」についても、AとBは対立していた。

 ほかの友人F、G、Hの3名が、第1〜3回公判で、検察側証人として証言していた。彼らは、AやBから犯行後「マジで言うなよ」「リレキ消しといて」など、口止めを依頼されたことを証言した。

 さらに、AとBの両名から「橋の下で花火をしていたら、ホームレス(渡邉さん)が来て、(争いになって)正当防衛だったということにしてほしい」と持ちかけられたと証言した。

 しかしAは、自分ではなく「B君からそのような話をした」と主張し、一方、Bは「私はそんな話はしていない」と否定。結局、この件は仲間の了解を得られず、それきりになったことで、量刑事情にはならなかった。

 ほかの点でも、2人の主張の食い違いは続いた。

 Aはアイさんらを追いかけていたとき、Bが渡邉さんの背後から石を当て、渡邉さんが上着のフードを頭に被るのを見て、「後頭部に当たったように思った」と述べた。もしそれが本当なら、致命傷とされた「土の塊」をAが投げる前に、Bが渡邉さんの後頭部を傷つけていたかもしれないことになる。重要なポイントだった。

 けれどBは、自分は当日、渡邉さんに石を当てていないと主張していた。

 いったい何が本当で嘘なのか? 

 仲間の元少年たちの証言にも食い違いがあった。元少年の一人は、「AやBやCたちと、(襲撃に行って)やっていたことは同じなのに、自分たちはこの1年、普通に外で暮らしていて、申し訳なく思う。だから本当のことを証言したい」といったが、その直後、自分の「彼女」が襲撃現場にいたことを指摘されると、平然と「忘れていました」と述べ、彼女の代わりにAがいたように証言していた。

 何を信じればいいのか、傍聴を重ねるたび、陰鬱な気持ちになった。

 被害者に対する気持ちを問われて、Aはこう述べた。

「被害者の渡邉さんには、本当に申し訳ないと思います。また、一緒に暮らしていた方アイさんには、毎日、本当に夜も寝られないぐらい、いつ殺されるかわからないという、怖い思いをさせていたんだと、(アイさんの証言を聴いて)感じました。石が当たったらケガもするし、危ないし、自分たちは5人も6人もいて、2人を相手にして、やっていることは弱い者いじめをしていたんだと思いました」

「そして僕が、被害者の立場を見下すような考えをしていたので、嫌がらせや、石を投げるようなことをしていたと思います。その考え方は全部間違っていたと思います」

 と、涙を流した。   

 検察尋問に変わると、Aは緊張した様子で返答に窮したり、口数が減った。

――なんで、ホームレスの人に石を投げたの? 石を投げたあとの反応を見るのが楽しいといっているが、なんでそんなことが楽しいの? 

「橋の下に、石を投げると、被害者やアイさんが怒って出てくるのをみんなで見たりするのが楽しかった」

――それの何が楽しかったの?

「被害者に、『待てー』と言われたときに、『こっちに来いよ』というようなことを言ったりしているのが楽しかった」

――だから、それの、何が、楽しかった? 何を、楽しいと思うの?

「みんなでやることが、楽しかった」

 わずかに掴めた心理のカギは、「見下す気持ち」と「みんなでやること」。

 では「ホームレス」を具体的にどう、見下していたのか。汚い臭いと思ったのか、怠け者だと思ったのか、稼げない奴には価値がないと考えたのか。

 みんなで一緒にやることが重要ならば、それがなぜ「ホームレス襲撃」という「いじめ」になるのか。野球は? 遊びにはならなかったのか? 言葉は足りず、もっと知りたかった。

 そしてもう一人の元少年Bは、どんな気持ちで、襲撃をくりかえしていたのか。Bの心の奥底に潜む闇、第4回、第5回の公判、さらに「生き証人」アイさんの今を後編《【岐阜ホームレス襲撃事件】元少年Bの深い闇、彼らこそ心の「ホーム・レス」だった》でレポートする。

北村年子(きたむら・としこ)◎ノンフィクションライター、ラジオパーソナリティー、ホームレス問題の授業づくり全国ネット代表理事、自己尊重ラボ主宰。 女性、子ども、教育、ジェンダー、ホームレス問題をおもなテーマに取材・執筆する一方、自己尊重トレーニングトレーナー、ラジオDJとしても、子どもたち親たちの悩みにむきあう。いじめや自死を防ぐため、自尊感情を育てる「自己尊重ラボ Be Myself」を主宰。2008年、「ホームレス問題の授業づくり全国ネット」を発足。09年、教材用DVD映画『「ホームレス」と出会う子どもたち』を制作。全国の小中学・高校、大学、 専門学校、児童館などの教育現場で広く活用されている。著書に『「ホームレス」襲撃事件と子どもたち』『おかあさんがもっと自分を好きになる本』などがある。

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E5%B2%90%E9%98%9C%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%AC%E3%82%B9%E8%A5%B2%E6%92%83%E4%BA%8B%E4%BB%B6-%E8%87%B4%E5%91%BD%E5%82%B7%E3%82%92%E4%B8%8E%E3%81%88%E3%81%9F%E5%85%83%E5%B0%91%E5%B9%B4a%E3%81%8C%E8%A6%8B%E3%81%9F-%E8%A2%AB%E5%AE%B3%E8%80%85%E3%81%AE%E6%9C%80%E6%9C%9F%E3%81%AE%E5%A7%BF-%E5%89%8D%E7%B7%A8/ar-BB1fbUKZ?ocid=msedgntp  
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/544.html#c1

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
10. 2021年4月01日 20:39:34 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[57]
櫻井春彦:「天安門事件はデマだった」_ 櫻井ジャーナルは信用できるのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/460.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c10
[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
11. 中川隆[-6141] koaQ7Jey 2021年4月01日 20:44:48 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[58]
天皇一族は何故 反日親中なのか?


天皇一族は反日売国奴
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/782.html

日本を二等国にした反日売国奴の平成天皇
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/580.html

平成とは何だったのか _ アメリカの属州化の完遂
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/601.html

美智子妃も雅子妃もアメリカが皇室と天皇制を破壊する為に送り込んだスパイなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/262.html

美智子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/586.html

美智子妃殿下の実家の正田家は同和部落出身なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/116.html

柏原芳恵のバイブレーター騒動 _ 宮内庁が皇太子妃候補 No.1 を引き摺り降ろした手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/117.html

雅子さまの正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/587.html

雅子という女は凄い女 _ 気に入った相手とは手当たり次第という感じ _ 男性経験は20人は超えている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/265.html

皇太子妃の雅子さんは典型的なダメダメ家庭出身者 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/179.html


▲△▽▼


知恵遅れの皇太子の嫁にされた上に、皇族全員から陰湿な苛めに遭った美智子妃殿下は復讐の鬼と化した
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/118.html

宮中『魔女追放事件』 _ 入江侍従長の祭祀簡略化工作と戦い敗れた女官
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/618.html

秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html

プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html

プチエンジェル事件
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/473.html

今上天皇が同性愛だというのは本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/642.html

今上天皇の父親が朝日新聞記者だった佐伯晋だというのは本当なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/643.html

高円宮承子様のタトゥーや茶髪画像とタバコがやばい!性病との噂だが現在結婚はしてる?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/366.html

高円宮が 47歳の若さで腹上死(?)しなければならなかった理由とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/370.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c11

[近代史5] 中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦 中川隆
12. 中川隆[-6140] koaQ7Jey 2021年4月01日 20:51:19 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[59]
売国政治家列伝 _ 安倍晋三
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html

売国政治家列伝 _ 菅義偉
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1084.html

安倍首相辞任の裏に「CSISと朝鮮・田布施システム」! 米に見捨てられ実は逮捕寸前だった…暴かれた二階と今井の親中政治とは!?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1149.html

ジェームズ斉藤 菅義偉の黒い正体 ― スパイ、田布施システム、MI6、小渕恵三との繋がり
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1148.html

ユダヤ陰謀論 _ ジェームズ斉藤
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1168.html

ジェームズ斉藤のユダヤ陰謀論は何処がおかしいか?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/367.html

電通の正体
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1317.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html#c12

[近代史5] 音楽関係投稿集 中川隆
28. 中川隆[-6139] koaQ7Jey 2021年4月01日 21:57:26 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[60]
なごり雪 歌詞の意味・解釈
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/nagoriyuki.html


女性フォークシンガー イルカのカバーで有名なかぐや姫のヒット曲
『なごり雪』は、かぐや姫(フォークバンド)が1974年にリリースした楽曲。アルバム『三階建の詩』に収録された。

作詞・作曲は、かぐや姫メンバーで当時22才前後の伊勢正三(いせ しょうぞう)。同アルバムには、同じく伊勢正三の作詞作曲による『22才の別れ』も収録されている。

翌年の1975年に女性フォークシンガーのイルカがカバーし、彼女にとって『なごり雪』は最大のヒット曲となった。

かぐや姫 ベスト盤

この曲が世に出るまで、「名残の雪(なごりのゆき)」という言葉はあったが、「なごり雪」という言葉はなかった。つまり伊勢正三による造語。

『なごり雪』がヒットしてから、曲名の造語について批判が寄せられ、「勝手にこんな言葉を作られては日本語の乱れを助長する。『名残の雪』に変えたらどうだとまで言われた。」という。

2013年、日本気象協会は「季節のことば36選」を選定。「3月のことば」の一つに「なごり雪」が選ばれた。これを知った伊勢はとても喜び、「胸のつかえが下りた気分」と語っている。



【YouTube】 なごり雪 伊勢正三・イルカ・南こうせつ





歌詞の意味・解釈
『なごり雪』歌詞には、いくつか解釈が分かれる歌詞があるように思われる。まずは、1番の歌詞を次のとおり引用する。

汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる

東京で見る雪はこれが最後ねと
さみしそうに君がつぶやく

なごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた季節のあとで
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

<引用:伊勢正三『なごり雪』1番の歌詞より>

1番の歌詞では、特に「ふざけすぎた季節のあとで」と「なごり雪も降る時を知り」の所が、その意味や解釈について様々な受け止め方があるのではないだろうか。一つずつ補足してみたい。

ふざけすぎた季節のあとで
「ふざけすぎた季節」とは、大学生など20才前後の若い男女が謳歌する人生の春、いわゆる青春時代を意味していると考えられる。

ここでの「季節」とは、春夏秋冬のような天文学的・気象学的な「季節」ではなく、人生全体を通して見た場合の、特定の物事が盛んに行われる時期を表す言葉。

特に青春時代を表す際に使われることが多く、例えば『なごり雪』の2年前(1972年)にリリースされた歌謡曲『太陽がくれた季節』の歌詞でも、「青春は 太陽がくれた季節」のように、青春時代を表す語句として用いられている。

さらにさかのぼれば、石原慎太郎が1955年(昭和30年)に発表した短編小説『太陽の季節』における「季節」も、こうした用法の一つと言えるだろう。

また、『なごり雪』の2年後(1976年)には、森田公一とトップギャランのヒット曲『青春時代』の歌詞において、次のように「季節」が用いられている。

二人はもはや 美しい
季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ
愛を悲しむ女(ひと)になる
青春時代が夢なんて
あとからほのぼの想うもの
青春時代の真ん中は
胸に刺(とげ)さすことばかり

<引用:阿久悠『青春時代』2番の歌詞より>

これらのように、『なごり雪』がリリースされた1970年代には、「季節」という言葉が青春時代を表す語句として、歌謡曲でよく用いられていたことが分かる。

『なごり雪』においては、ふざけすぎた季節の「あとで」となっており、人生の春を謳歌した青春時代は終わり、二人は就職や結婚など現実的な大人の世界へ旅立っていく時期であることが示唆されている。

ちなみに、『なごり雪』作詞者の伊勢正三氏は当時22才前後であり、大学に進学していれば、大学生活を終えて企業に新卒入社している頃の年齢。作者の年代的にも、大学時代のカップルが卒業の節目に別れを迎えるというストーリーには強い関心を持っていたことだろう。

これを裏付けるように、『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』には、伊勢正三氏が作詞・作曲を手がけた『22才の別れ』という歌があり、これも大学時代の男女とその別れがモチーフとなっている(歌詞については後掲する)。

なごり雪も降る時を知り
『なごり雪』の歌詞で最も解釈が分かれるのが、この「なごり雪も降る時を知り」という一節ではないだろうか。

曲の解釈は、それを聴く人がそれぞれ自分に納得のいく意味を見出す自由があってしかるべきであり、何が正解で何が間違いということはない。

参考までに、当ページの筆者の個人的解釈を述べるとすれば、「なごり雪も降る時を知り」とは、「降るべき時を知り」であり、それは「(もう)降るべきではない時を知り」であり、ついには「止むべき時を知り」の意味合いに帰着する。そして「止むべき時」とはすなわち、青春時代の終わりを意味する。

ここでの「雪」は、学生時代のフワフワして簡単に風に舞うような浮ついた「夢の時間」の象徴であり、それはやがて溶けて崩れて消える儚さと脆さに満ちたおぼろげな存在。

春になり女性との別れの時が迫っているというのに、学生時代の淡い季節を名残惜しむかのように駅のホームで降り続ける「なごり雪」は、まだ精神的に大人になり切れない男性の儚く未熟な内面を暗示したものであり、すでに気持ちが未来へ向かっている女性とのコントラストとなっている。

学生時代を名残惜しむこの男性は、駅のホームで女性を見送る日になって初めて、もう儚い雪のような夢の時間は終わったんだとようやく自覚したのかもしれない。それが「なごり雪も降る時を知り」(止むべき時を知り)という表現に表れているように感じられる。「今春が来て」の「今」も同様。

それはまさに学生時代という「はしゃぎすた季節」が終わり、名実ともに新たな人生の節目「春」が来た瞬間であり、相手の女性が精神的にも大人の女性になって、まだ学生気分に名残がある子供じみた男性にとっては、余計に「きれいになった」ように見えるのだろう。

2番以降の歌詞
参考までに、2番以降の歌詞については次のとおり。蛇足になりかねないので、以降の歌詞については皆さまそれぞれの解釈にお任せすることとしたい。

動き始めた汽車の窓に顔をつけて
君は何か言おうとしている
君の口びるがさようならと動くことが
こわくて下をむいてた

時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

<引用:伊勢正三『なごり雪』2番以降の歌詞より>

東京で見る雪
歌詞の「東京で見る雪」について若干補足。作詞者の伊勢正三氏によれば、『なごり雪』の舞台である駅のホームとは、本人の出身地である大分県津久見市の津久見駅がモチーフだそうだ。

なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅

写真:なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅(出典:Wikipedia)

モチーフとなった津久見駅(つくみえき)は、大分県津久見市中央町にあるJR九州(九州旅客鉄道)日豊本線の駅。津久見市は大分県の東海岸に位置する。

2009年10月から津久見駅で『なごり雪』が特急発着時のメロディに採用され、翌年には駅構内に『なごり雪』の歌碑(記念碑)が設置された。

伊勢正三『22才の別れ』
最後に、伊勢正三『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』に同じく収録された『22才の別れ』について簡単にご紹介。

上述のとおり、これも『なごり雪』を手がけた伊勢正三氏が作詞・作曲した作品。『なごり雪』は男性視点の歌だったが、『22才の別れ』では、同じようなシチュエーションで女性視点の歌になっているのが大変興味深い。それはまるで『なごり雪』のアンサーソングのよう。

【YouTube】 22才の別れ かぐや姫





『なごり雪』との比較のため、伊勢正三『22才の別れ』の歌詞を次のとおり引用する。『なごり雪』の歌詞を思い浮かべながら聴いてみると、面白い発見があるかもしれない。

あなたに「さよなら」って言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたの暖い手に触れたら
きっと言えなくなってしまう
そんな気がして…
私には 鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった

私の誕生日に22本のローソクをたて
ひとつひとつが みんな君の人生だねって言って
17本目からはいっしょに火をつけたのが
きのうのことのように…
今はただ 5年の月日が永すぎた春といえるだけです
あなたの 知らないところへ嫁いでゆく私にとって

ひとつだけ こんな私のわがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで
変らずにいて下さい そのままで

<引用:伊勢正三『22才の別れ』歌詞より>

この『22才の別れ』については、伊勢正三が後日談で次のように語っている。

制作の経緯を伊勢正三自らが語っている。

それ〔注:「なごり雪」〕に反して、「22才の別れ」は計算して作った。実は、この2曲は同じアルバムに入っている。1974年に発表された「三階建の詩」というアルバムだ。このアルバムには2曲書いた。最初に「なごり雪」を、その次にもう1曲別の作品をレコーディングした。だけど、なんだか気に入らなかった。「これは売れないなぁ」と直感してしまったのだ。だから、1日待ってもらうことにした。その日、家に帰って、絶対売れる歌を作ってやろうと思った。そうして、徹夜で作ったのが「22才の別れ」だ。だから、「なごり雪」は自分の好きな世界が自然に沸き上がってできた作品、「22才の別れ」はヒットを意識して作った作品だ。

<引用:ウィキペディア『なごり雪』より>

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/nagoriyuki.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/397.html#c28
[近代史3] かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代 中川隆
19. 中川隆[-6138] koaQ7Jey 2021年4月01日 21:58:51 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[61]
なごり雪 歌詞の意味・解釈
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/nagoriyuki.html


女性フォークシンガー イルカのカバーで有名なかぐや姫のヒット曲
『なごり雪』は、かぐや姫(フォークバンド)が1974年にリリースした楽曲。アルバム『三階建の詩』に収録された。

作詞・作曲は、かぐや姫メンバーで当時22才前後の伊勢正三(いせ しょうぞう)。同アルバムには、同じく伊勢正三の作詞作曲による『22才の別れ』も収録されている。

翌年の1975年に女性フォークシンガーのイルカがカバーし、彼女にとって『なごり雪』は最大のヒット曲となった。

かぐや姫 ベスト盤

この曲が世に出るまで、「名残の雪(なごりのゆき)」という言葉はあったが、「なごり雪」という言葉はなかった。つまり伊勢正三による造語。

『なごり雪』がヒットしてから、曲名の造語について批判が寄せられ、「勝手にこんな言葉を作られては日本語の乱れを助長する。『名残の雪』に変えたらどうだとまで言われた。」という。

2013年、日本気象協会は「季節のことば36選」を選定。「3月のことば」の一つに「なごり雪」が選ばれた。これを知った伊勢はとても喜び、「胸のつかえが下りた気分」と語っている。



【YouTube】 なごり雪 伊勢正三・イルカ・南こうせつ





歌詞の意味・解釈
『なごり雪』歌詞には、いくつか解釈が分かれる歌詞があるように思われる。まずは、1番の歌詞を次のとおり引用する。

汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる

東京で見る雪はこれが最後ねと
さみしそうに君がつぶやく

なごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた季節のあとで
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

<引用:伊勢正三『なごり雪』1番の歌詞より>

1番の歌詞では、特に「ふざけすぎた季節のあとで」と「なごり雪も降る時を知り」の所が、その意味や解釈について様々な受け止め方があるのではないだろうか。一つずつ補足してみたい。

ふざけすぎた季節のあとで
「ふざけすぎた季節」とは、大学生など20才前後の若い男女が謳歌する人生の春、いわゆる青春時代を意味していると考えられる。

ここでの「季節」とは、春夏秋冬のような天文学的・気象学的な「季節」ではなく、人生全体を通して見た場合の、特定の物事が盛んに行われる時期を表す言葉。

特に青春時代を表す際に使われることが多く、例えば『なごり雪』の2年前(1972年)にリリースされた歌謡曲『太陽がくれた季節』の歌詞でも、「青春は 太陽がくれた季節」のように、青春時代を表す語句として用いられている。

さらにさかのぼれば、石原慎太郎が1955年(昭和30年)に発表した短編小説『太陽の季節』における「季節」も、こうした用法の一つと言えるだろう。

また、『なごり雪』の2年後(1976年)には、森田公一とトップギャランのヒット曲『青春時代』の歌詞において、次のように「季節」が用いられている。

二人はもはや 美しい
季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ
愛を悲しむ女(ひと)になる
青春時代が夢なんて
あとからほのぼの想うもの
青春時代の真ん中は
胸に刺(とげ)さすことばかり

<引用:阿久悠『青春時代』2番の歌詞より>

これらのように、『なごり雪』がリリースされた1970年代には、「季節」という言葉が青春時代を表す語句として、歌謡曲でよく用いられていたことが分かる。

『なごり雪』においては、ふざけすぎた季節の「あとで」となっており、人生の春を謳歌した青春時代は終わり、二人は就職や結婚など現実的な大人の世界へ旅立っていく時期であることが示唆されている。

ちなみに、『なごり雪』作詞者の伊勢正三氏は当時22才前後であり、大学に進学していれば、大学生活を終えて企業に新卒入社している頃の年齢。作者の年代的にも、大学時代のカップルが卒業の節目に別れを迎えるというストーリーには強い関心を持っていたことだろう。

これを裏付けるように、『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』には、伊勢正三氏が作詞・作曲を手がけた『22才の別れ』という歌があり、これも大学時代の男女とその別れがモチーフとなっている(歌詞については後掲する)。

なごり雪も降る時を知り
『なごり雪』の歌詞で最も解釈が分かれるのが、この「なごり雪も降る時を知り」という一節ではないだろうか。

曲の解釈は、それを聴く人がそれぞれ自分に納得のいく意味を見出す自由があってしかるべきであり、何が正解で何が間違いということはない。

参考までに、当ページの筆者の個人的解釈を述べるとすれば、「なごり雪も降る時を知り」とは、「降るべき時を知り」であり、それは「(もう)降るべきではない時を知り」であり、ついには「止むべき時を知り」の意味合いに帰着する。そして「止むべき時」とはすなわち、青春時代の終わりを意味する。

ここでの「雪」は、学生時代のフワフワして簡単に風に舞うような浮ついた「夢の時間」の象徴であり、それはやがて溶けて崩れて消える儚さと脆さに満ちたおぼろげな存在。

春になり女性との別れの時が迫っているというのに、学生時代の淡い季節を名残惜しむかのように駅のホームで降り続ける「なごり雪」は、まだ精神的に大人になり切れない男性の儚く未熟な内面を暗示したものであり、すでに気持ちが未来へ向かっている女性とのコントラストとなっている。

学生時代を名残惜しむこの男性は、駅のホームで女性を見送る日になって初めて、もう儚い雪のような夢の時間は終わったんだとようやく自覚したのかもしれない。それが「なごり雪も降る時を知り」(止むべき時を知り)という表現に表れているように感じられる。「今春が来て」の「今」も同様。

それはまさに学生時代という「はしゃぎすた季節」が終わり、名実ともに新たな人生の節目「春」が来た瞬間であり、相手の女性が精神的にも大人の女性になって、まだ学生気分に名残がある子供じみた男性にとっては、余計に「きれいになった」ように見えるのだろう。

2番以降の歌詞
参考までに、2番以降の歌詞については次のとおり。蛇足になりかねないので、以降の歌詞については皆さまそれぞれの解釈にお任せすることとしたい。

動き始めた汽車の窓に顔をつけて
君は何か言おうとしている
君の口びるがさようならと動くことが
こわくて下をむいてた

時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

<引用:伊勢正三『なごり雪』2番以降の歌詞より>

東京で見る雪
歌詞の「東京で見る雪」について若干補足。作詞者の伊勢正三氏によれば、『なごり雪』の舞台である駅のホームとは、本人の出身地である大分県津久見市の津久見駅がモチーフだそうだ。

なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅

写真:なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅(出典:Wikipedia)

モチーフとなった津久見駅(つくみえき)は、大分県津久見市中央町にあるJR九州(九州旅客鉄道)日豊本線の駅。津久見市は大分県の東海岸に位置する。

2009年10月から津久見駅で『なごり雪』が特急発着時のメロディに採用され、翌年には駅構内に『なごり雪』の歌碑(記念碑)が設置された。

伊勢正三『22才の別れ』
最後に、伊勢正三『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』に同じく収録された『22才の別れ』について簡単にご紹介。

上述のとおり、これも『なごり雪』を手がけた伊勢正三氏が作詞・作曲した作品。『なごり雪』は男性視点の歌だったが、『22才の別れ』では、同じようなシチュエーションで女性視点の歌になっているのが大変興味深い。それはまるで『なごり雪』のアンサーソングのよう。

【YouTube】 22才の別れ かぐや姫





『なごり雪』との比較のため、伊勢正三『22才の別れ』の歌詞を次のとおり引用する。『なごり雪』の歌詞を思い浮かべながら聴いてみると、面白い発見があるかもしれない。

あなたに「さよなら」って言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたの暖い手に触れたら
きっと言えなくなってしまう
そんな気がして…
私には 鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった

私の誕生日に22本のローソクをたて
ひとつひとつが みんな君の人生だねって言って
17本目からはいっしょに火をつけたのが
きのうのことのように…
今はただ 5年の月日が永すぎた春といえるだけです
あなたの 知らないところへ嫁いでゆく私にとって

ひとつだけ こんな私のわがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで
変らずにいて下さい そのままで

<引用:伊勢正三『22才の別れ』歌詞より>

この『22才の別れ』については、伊勢正三が後日談で次のように語っている。

制作の経緯を伊勢正三自らが語っている。

それ〔注:「なごり雪」〕に反して、「22才の別れ」は計算して作った。実は、この2曲は同じアルバムに入っている。1974年に発表された「三階建の詩」というアルバムだ。このアルバムには2曲書いた。最初に「なごり雪」を、その次にもう1曲別の作品をレコーディングした。だけど、なんだか気に入らなかった。「これは売れないなぁ」と直感してしまったのだ。だから、1日待ってもらうことにした。その日、家に帰って、絶対売れる歌を作ってやろうと思った。そうして、徹夜で作ったのが「22才の別れ」だ。だから、「なごり雪」は自分の好きな世界が自然に沸き上がってできた作品、「22才の別れ」はヒットを意識して作った作品だ。

<引用:ウィキペディア『なごり雪』より>

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/nagoriyuki.html

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html#c19
[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
7. 中川隆[-6137] koaQ7Jey 2021年4月01日 21:59:40 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[62]
なごり雪 歌詞の意味・解釈
http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/nagoriyuki.html


女性フォークシンガー イルカのカバーで有名なかぐや姫のヒット曲
『なごり雪』は、かぐや姫(フォークバンド)が1974年にリリースした楽曲。アルバム『三階建の詩』に収録された。

作詞・作曲は、かぐや姫メンバーで当時22才前後の伊勢正三(いせ しょうぞう)。同アルバムには、同じく伊勢正三の作詞作曲による『22才の別れ』も収録されている。

翌年の1975年に女性フォークシンガーのイルカがカバーし、彼女にとって『なごり雪』は最大のヒット曲となった。

かぐや姫 ベスト盤

この曲が世に出るまで、「名残の雪(なごりのゆき)」という言葉はあったが、「なごり雪」という言葉はなかった。つまり伊勢正三による造語。

『なごり雪』がヒットしてから、曲名の造語について批判が寄せられ、「勝手にこんな言葉を作られては日本語の乱れを助長する。『名残の雪』に変えたらどうだとまで言われた。」という。

2013年、日本気象協会は「季節のことば36選」を選定。「3月のことば」の一つに「なごり雪」が選ばれた。これを知った伊勢はとても喜び、「胸のつかえが下りた気分」と語っている。



【YouTube】 なごり雪 伊勢正三・イルカ・南こうせつ





歌詞の意味・解釈
『なごり雪』歌詞には、いくつか解釈が分かれる歌詞があるように思われる。まずは、1番の歌詞を次のとおり引用する。

汽車を待つ君の横で僕は
時計を気にしてる
季節はずれの雪が降ってる

東京で見る雪はこれが最後ねと
さみしそうに君がつぶやく

なごり雪も降る時を知り
ふざけすぎた季節のあとで
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

<引用:伊勢正三『なごり雪』1番の歌詞より>

1番の歌詞では、特に「ふざけすぎた季節のあとで」と「なごり雪も降る時を知り」の所が、その意味や解釈について様々な受け止め方があるのではないだろうか。一つずつ補足してみたい。

ふざけすぎた季節のあとで
「ふざけすぎた季節」とは、大学生など20才前後の若い男女が謳歌する人生の春、いわゆる青春時代を意味していると考えられる。

ここでの「季節」とは、春夏秋冬のような天文学的・気象学的な「季節」ではなく、人生全体を通して見た場合の、特定の物事が盛んに行われる時期を表す言葉。

特に青春時代を表す際に使われることが多く、例えば『なごり雪』の2年前(1972年)にリリースされた歌謡曲『太陽がくれた季節』の歌詞でも、「青春は 太陽がくれた季節」のように、青春時代を表す語句として用いられている。

さらにさかのぼれば、石原慎太郎が1955年(昭和30年)に発表した短編小説『太陽の季節』における「季節」も、こうした用法の一つと言えるだろう。

また、『なごり雪』の2年後(1976年)には、森田公一とトップギャランのヒット曲『青春時代』の歌詞において、次のように「季節」が用いられている。

二人はもはや 美しい
季節を生きてしまったか
あなたは少女の時を過ぎ
愛を悲しむ女(ひと)になる
青春時代が夢なんて
あとからほのぼの想うもの
青春時代の真ん中は
胸に刺(とげ)さすことばかり

<引用:阿久悠『青春時代』2番の歌詞より>

これらのように、『なごり雪』がリリースされた1970年代には、「季節」という言葉が青春時代を表す語句として、歌謡曲でよく用いられていたことが分かる。

『なごり雪』においては、ふざけすぎた季節の「あとで」となっており、人生の春を謳歌した青春時代は終わり、二人は就職や結婚など現実的な大人の世界へ旅立っていく時期であることが示唆されている。

ちなみに、『なごり雪』作詞者の伊勢正三氏は当時22才前後であり、大学に進学していれば、大学生活を終えて企業に新卒入社している頃の年齢。作者の年代的にも、大学時代のカップルが卒業の節目に別れを迎えるというストーリーには強い関心を持っていたことだろう。

これを裏付けるように、『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』には、伊勢正三氏が作詞・作曲を手がけた『22才の別れ』という歌があり、これも大学時代の男女とその別れがモチーフとなっている(歌詞については後掲する)。

なごり雪も降る時を知り
『なごり雪』の歌詞で最も解釈が分かれるのが、この「なごり雪も降る時を知り」という一節ではないだろうか。

曲の解釈は、それを聴く人がそれぞれ自分に納得のいく意味を見出す自由があってしかるべきであり、何が正解で何が間違いということはない。

参考までに、当ページの筆者の個人的解釈を述べるとすれば、「なごり雪も降る時を知り」とは、「降るべき時を知り」であり、それは「(もう)降るべきではない時を知り」であり、ついには「止むべき時を知り」の意味合いに帰着する。そして「止むべき時」とはすなわち、青春時代の終わりを意味する。

ここでの「雪」は、学生時代のフワフワして簡単に風に舞うような浮ついた「夢の時間」の象徴であり、それはやがて溶けて崩れて消える儚さと脆さに満ちたおぼろげな存在。

春になり女性との別れの時が迫っているというのに、学生時代の淡い季節を名残惜しむかのように駅のホームで降り続ける「なごり雪」は、まだ精神的に大人になり切れない男性の儚く未熟な内面を暗示したものであり、すでに気持ちが未来へ向かっている女性とのコントラストとなっている。

学生時代を名残惜しむこの男性は、駅のホームで女性を見送る日になって初めて、もう儚い雪のような夢の時間は終わったんだとようやく自覚したのかもしれない。それが「なごり雪も降る時を知り」(止むべき時を知り)という表現に表れているように感じられる。「今春が来て」の「今」も同様。

それはまさに学生時代という「はしゃぎすた季節」が終わり、名実ともに新たな人生の節目「春」が来た瞬間であり、相手の女性が精神的にも大人の女性になって、まだ学生気分に名残がある子供じみた男性にとっては、余計に「きれいになった」ように見えるのだろう。

2番以降の歌詞
参考までに、2番以降の歌詞については次のとおり。蛇足になりかねないので、以降の歌詞については皆さまそれぞれの解釈にお任せすることとしたい。

動き始めた汽車の窓に顔をつけて
君は何か言おうとしている
君の口びるがさようならと動くことが
こわくて下をむいてた

時がゆけば幼い君も
大人になると気づかないまま
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

君が去ったホームにのこり
落ちてはとける雪を見ていた
今春が来て君はきれいになった
去年よりずっときれいになった

<引用:伊勢正三『なごり雪』2番以降の歌詞より>

東京で見る雪
歌詞の「東京で見る雪」について若干補足。作詞者の伊勢正三氏によれば、『なごり雪』の舞台である駅のホームとは、本人の出身地である大分県津久見市の津久見駅がモチーフだそうだ。

なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅

写真:なごり雪の舞台のモチーフとされる津久見駅(出典:Wikipedia)

モチーフとなった津久見駅(つくみえき)は、大分県津久見市中央町にあるJR九州(九州旅客鉄道)日豊本線の駅。津久見市は大分県の東海岸に位置する。

2009年10月から津久見駅で『なごり雪』が特急発着時のメロディに採用され、翌年には駅構内に『なごり雪』の歌碑(記念碑)が設置された。

伊勢正三『22才の別れ』
最後に、伊勢正三『なごり雪』が収録されたアルバム『三階建の詩』に同じく収録された『22才の別れ』について簡単にご紹介。

上述のとおり、これも『なごり雪』を手がけた伊勢正三氏が作詞・作曲した作品。『なごり雪』は男性視点の歌だったが、『22才の別れ』では、同じようなシチュエーションで女性視点の歌になっているのが大変興味深い。それはまるで『なごり雪』のアンサーソングのよう。

【YouTube】 22才の別れ かぐや姫





『なごり雪』との比較のため、伊勢正三『22才の別れ』の歌詞を次のとおり引用する。『なごり雪』の歌詞を思い浮かべながら聴いてみると、面白い発見があるかもしれない。

あなたに「さよなら」って言えるのは今日だけ
明日になってまたあなたの暖い手に触れたら
きっと言えなくなってしまう
そんな気がして…
私には 鏡に映ったあなたの姿を見つけられずに
私の目の前にあった幸せにすがりついてしまった

私の誕生日に22本のローソクをたて
ひとつひとつが みんな君の人生だねって言って
17本目からはいっしょに火をつけたのが
きのうのことのように…
今はただ 5年の月日が永すぎた春といえるだけです
あなたの 知らないところへ嫁いでゆく私にとって

ひとつだけ こんな私のわがまま聞いてくれるなら
あなたは あなたのままで
変らずにいて下さい そのままで

<引用:伊勢正三『22才の別れ』歌詞より>

この『22才の別れ』については、伊勢正三が後日談で次のように語っている。

制作の経緯を伊勢正三自らが語っている。

それ〔注:「なごり雪」〕に反して、「22才の別れ」は計算して作った。実は、この2曲は同じアルバムに入っている。1974年に発表された「三階建の詩」というアルバムだ。このアルバムには2曲書いた。最初に「なごり雪」を、その次にもう1曲別の作品をレコーディングした。だけど、なんだか気に入らなかった。「これは売れないなぁ」と直感してしまったのだ。だから、1日待ってもらうことにした。その日、家に帰って、絶対売れる歌を作ってやろうと思った。そうして、徹夜で作ったのが「22才の別れ」だ。だから、「なごり雪」は自分の好きな世界が自然に沸き上がってできた作品、「22才の別れ」はヒットを意識して作った作品だ。

<引用:ウィキペディア『なごり雪』より>

http://www.worldfolksong.com/songbook/japan/nagoriyuki.html

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c7
[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
8. 2021年4月01日 22:19:15 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[63]
なごり雪 映画




哀切か、痛恨か。……
失われしは 少女の恋か、古里への想いか。
二十八年前の名曲に乗せて、
今流す、
日本の涙。
さあ、皆さま、涙しましょう。

大林宣彦監督作品

伊勢正三作 「なごり雪」より。


なごり雪は、2002年9月28日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品。
伊勢正三作詞・作曲の楽曲「なごり雪」をモチーフとする。
映画の原案も伊勢正三による。



▲△▽▼


22才の別れ 映画





22才の別れ (Lycoris 葉見ず花見ず物語)

2007年8月18日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品。大林の大分三部作の第2作である。
『なごり雪』に続き伊勢正三作詞・作曲の楽曲「22才の別れ」をモチーフにして母娘二代にわたる恋の物語を描く。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c8
[近代史3] かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代 中川隆
20. 中川隆[-6136] koaQ7Jey 2021年4月01日 22:19:51 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[64]
なごり雪 映画




哀切か、痛恨か。……
失われしは 少女の恋か、古里への想いか。
二十八年前の名曲に乗せて、
今流す、
日本の涙。
さあ、皆さま、涙しましょう。

大林宣彦監督作品

伊勢正三作 「なごり雪」より。


なごり雪は、2002年9月28日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品。
伊勢正三作詞・作曲の楽曲「なごり雪」をモチーフとする。
映画の原案も伊勢正三による。



▲△▽▼


22才の別れ 映画





22才の別れ (Lycoris 葉見ず花見ず物語)

2007年8月18日に公開された大林宣彦監督の日本映画作品。大林の大分三部作の第2作である。
『なごり雪』に続き伊勢正三作詞・作曲の楽曲「22才の別れ」をモチーフにして母娘二代にわたる恋の物語を描く。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html#c20
[近代史5] 日本の映画 中川隆
5. 2021年4月01日 22:39:20 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[65]
大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1047.html

大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1048.html


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/410.html#c5

[近代史4] 中川隆 _ 映画史関係投稿リンク 中川隆
5. 中川隆[-6135] koaQ7Jey 2021年4月01日 22:40:11 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[66]
大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1047.html

大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1048.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/191.html#c5

[近代史5] 音楽関係投稿集 中川隆
29. 中川隆[-6134] koaQ7Jey 2021年4月01日 22:47:40 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[67]
大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1047.html

大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1048.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/397.html#c29

[近代史3] かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代 中川隆
21. 中川隆[-6133] koaQ7Jey 2021年4月01日 22:48:41 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[68]
大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1047.html

大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1048.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html#c21

[近代史4] 1970年代 四畳半フォークの世界 中川隆
9. 中川隆[-6132] koaQ7Jey 2021年4月01日 22:49:19 : ioAjLYoQAE : YUlsd0dYaE9mS0U=[69]
大林宣彦 なごり雪 (大映 2002年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1047.html

大林宣彦 22才の別れ Lycoris 葉見ず花見ず物語 (角川ヘラルド映画 2007年)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1048.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/382.html#c9

   

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