★阿修羅♪ > YmhSM3VMenFsOHc= > 100000
 
g検索 YmhSM3VMenFsOHc=  
 
YmhSM3VMenFsOHc= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/y/ym/ymh/YmhSM3VMenFsOHc=/100000.html
[近代史7] ヨハネス・フェルメールの絵を部屋に飾ろう 中川隆
1. 2022年2月13日 07:00:53 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[1]
【フェルメール来日記念】科学調査の新事実!「真珠の耳飾りの少女」「窓辺で手紙を読む女」に関する驚きの結果をご紹介!(ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展)
2021/12/25




2021年〜2022年にかけて開催中の「メトロポリタン美術館展」では、フェルメールの「信仰の寓意」が来日中。
更に、2022年1月から開催の「ドレスデン国立古典絵画館所蔵フェルメールと17世紀オランダ絵画展」では、「窓辺で手紙を読む女」等、フェルメールの注目作品や同時代のオランダ絵画が来日します。

今回は、これに先んじて、フェルメール作品の最新の科学調査についてご紹介します。
「真珠の耳飾りの少女」「窓辺で手紙を読む女」そして「牛乳を注ぐ女」も登場します。
チャンネル登録と高評価、そしてコメントも是非お願いします!

↓マウリッツハイス美術館の動画はこちら↓

The Girl in the Spotlight - Closer to Vermeer and the Girl




★チャプター★

0:00 オープニング
0:31 フェルメールってどんな画家?
1:10 「真珠の耳飾りの少女」の科学調査
5:45 「窓辺で手紙を読む女」の科学調査
9:05 「牛乳を注ぐ女」の科学調査
9:38 「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」について
10:02 エンディング

★ご視聴の皆様へ★

・この動画の構成は、個人の主観に基づくものです。
 複数の学説や重要な事実等のすべてに言及するものではありません。

・ご紹介している学説・解釈等が一般的な見解と異なる可能性もあります。

・事実確認には十分留意しておりますが、事実情報の誤り・誤解を与える表現等がある  可能性があります。この場合は、概要欄・コメント欄等にて訂正・お詫びします。

・ギリシャ神話・ローマ神話で同一視されることが一般的な神々については、
 英語名も含め、個人の主観によって、説明・理解がしやすいと思われる名称を使用しています。
 厳格に統一されておりませんが、ご了承ください。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/409.html#c1
[近代史7] アート解説 _ ZERO ART / ゼロアート - YouTube動画 中川隆
7. 2022年2月13日 07:03:34 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[2]
【2022年絶対見逃せない】注目の美術展7展!西洋美術も国宝も現代アートも、押さえておきたいオススメの展覧会が目白押し!(フェルメールと17世紀オランダ絵画展・メトロポリタン美術館展)
2022/01/01




一発目の動画は今年の注目美術展7展です。
既に関連動画を上げているものもありますが、改めてオススメの美術展をピックアップしてみました。

引き続き感染予防には十分な注意が必要かと思いますが、しっかり対策をした上で、
今年も美術鑑賞・体験を楽しんでいければと思います!
チャンネル登録と高評価、そしてコメントも是非お願いします!

(スケジュール等は撮影時点の情報ですので、必ず訪問前にHPなどでご確認をお願いします。)

動画で言及している詳細動画は以下です。

↓【フェルメール来日記念】科学調査の新事実!「真珠の耳飾りの少女」「窓辺で手紙を読む女」に関する驚きの結果をご紹介!
https://youtu.be/5DQ_FfiGu2Y

↓【メトロポリタン美術館展】展覧会の概要、注目作品の紹介、METの基本情報、そして感想も語ります!
https://youtu.be/5ka-NX-QCp8

↓【メトロポリタン美術館展】10作品紹介!ラ・トゥール、ゴッホ、ドガ、エル・グレコ、リッピなど傑作揃いの美術展!
https://youtu.be/YkXyQZj85CY

★チャプター★

0:00 オープニング
0:56 @東京都美術館 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」
1:49 A国立新美術館 「メトロポリタン美術館展-西洋絵画の500年-」
2:33 B東京都美術館 「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」
4:02 C大阪中之島美術館 「モディリアーニ-愛と創作に捧げた35年-」
5:34 D東京国立近代美術館 「ゲルハルト・リヒター展」
6:38 E国立西洋美術館 「ベルクグリューン・コレクション展(仮称)」
7:41 F東京国立博物館 「東京国立博物館 創立150年記念特別展 国宝 東京国立博物館のすべて」
8:50 エンディング

★ご視聴の皆様へ★

・この動画の構成は、個人の主観に基づくものです。
 複数の学説や重要な事実等のすべてに言及するものではありません。

・ご紹介している学説・解釈等が一般的な見解と異なる可能性もあります。

・事実確認には十分留意しておりますが、事実情報の誤り・誤解を与える表現等がある  可能性があります。この場合は、概要欄・コメント欄等にて訂正・お詫びします。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/395.html#c7
[近代史7] ヨハネス・フェルメールの絵を部屋に飾ろう 中川隆
2. 中川隆[-13714] koaQ7Jey 2022年2月13日 07:05:47 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[3]
【2022年絶対見逃せない】注目の美術展7展!西洋美術も国宝も現代アートも、押さえておきたいオススメの展覧会が目白押し!(フェルメールと17世紀オランダ絵画展・メトロポリタン美術館展)
2022/01/01




一発目の動画は今年の注目美術展7展です。
既に関連動画を上げているものもありますが、改めてオススメの美術展をピックアップしてみました。

引き続き感染予防には十分な注意が必要かと思いますが、しっかり対策をした上で、
今年も美術鑑賞・体験を楽しんでいければと思います!
チャンネル登録と高評価、そしてコメントも是非お願いします!

(スケジュール等は撮影時点の情報ですので、必ず訪問前にHPなどでご確認をお願いします。)

動画で言及している詳細動画は以下です。

↓【フェルメール来日記念】科学調査の新事実!「真珠の耳飾りの少女」「窓辺で手紙を読む女」に関する驚きの結果をご紹介!
https://youtu.be/5DQ_FfiGu2Y

↓【メトロポリタン美術館展】展覧会の概要、注目作品の紹介、METの基本情報、そして感想も語ります!
https://youtu.be/5ka-NX-QCp8

↓【メトロポリタン美術館展】10作品紹介!ラ・トゥール、ゴッホ、ドガ、エル・グレコ、リッピなど傑作揃いの美術展!
https://youtu.be/YkXyQZj85CY

★チャプター★

0:00 オープニング
0:56 @東京都美術館 「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」
1:49 A国立新美術館 「メトロポリタン美術館展-西洋絵画の500年-」
2:33 B東京都美術館 「スコットランド国立美術館 THE GREATS 美の巨匠たち」
4:02 C大阪中之島美術館 「モディリアーニ-愛と創作に捧げた35年-」
5:34 D東京国立近代美術館 「ゲルハルト・リヒター展」
6:38 E国立西洋美術館 「ベルクグリューン・コレクション展(仮称)」
7:41 F東京国立博物館 「東京国立博物館 創立150年記念特別展 国宝 東京国立博物館のすべて」
8:50 エンディング

★ご視聴の皆様へ★

・この動画の構成は、個人の主観に基づくものです。
 複数の学説や重要な事実等のすべてに言及するものではありません。

・ご紹介している学説・解釈等が一般的な見解と異なる可能性もあります。

・事実確認には十分留意しておりますが、事実情報の誤り・誤解を与える表現等がある  可能性があります。この場合は、概要欄・コメント欄等にて訂正・お詫びします。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/409.html#c2
[近代史7] アート解説 _ ZERO ART / ゼロアート - YouTube動画 中川隆
8. 中川隆[-13713] koaQ7Jey 2022年2月13日 07:16:41 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[4]
【メトロポリタン美術館展】東京展の混雑状況・買ったグッズなどを紹介します!(国立新美術館2022年)
2022/02/12





↓過去の「メトロポリタン美術館展」動画はこちら↓

@METとは?展覧会の概要・代表作6作品紹介・感想
https://youtu.be/5ka-NX-QCp8

A10作品紹介
https://youtu.be/YkXyQZj85CY

2022年、大注目の展覧会「メトロポリタン美術館展」の東京展がついに国立新美術館でスタートしました!
今回は、東京展の初日の混雑状況や、購入したグッズなどをゆるめに紹介しています。


★チャプター★

0:00 オープニング
0:40 訪問2回目の感想
1:13 東京展のみのデジタル展示「The European Masterpieces Timeline」
2:07 混雑具合は?
3:48 購入したグッズをご紹介!
8:49 エンディング

★ご視聴の皆様へ★

・この動画の構成は、個人の主観に基づくものです。
 複数の学説や重要な事実等のすべてに言及するものではありません。

・ご紹介している学説・解釈等が一般的な見解と異なる可能性もあります。

・事実確認には十分留意しておりますが、事実情報の誤り・誤解を与える表現等がある  可能性があります。この場合は、概要欄・コメント欄等にて訂正・お詫びします。

・ギリシャ神話・ローマ神話で同一視されることが一般的な神々については、
 英語名も含め、個人の主観によって、説明・理解がしやすいと思われる名称を使用しています。
 厳格に統一されておりませんが、ご了承ください。

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/395.html#c8
[近代史5] 中国で横行する女性の人身売買 _ 鎖で繋がれながら暮らす女性の動画 中川隆
5. 2022年2月13日 07:41:35 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[5]
02-13 隠蔽失敗で急遽「犯人逮捕」で幕引きを図る
2022/02/13


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1475.html#c5
[近代史5] 日銀はいつまで「利上げしない」と言い張るのか。物価上昇も見ないふり、迫る“ゼロ金利”政策の限界=吉田繁治 中川隆
1. 2022年2月13日 09:23:35 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[6]
「アベノミクスの成果」【事実をいえば……】

安倍政権の発足直前(2012年10月〜11月)、政府は、80円台から105円(2013年12月)への円安を生むため、30兆円のドル買いを、秘密裏に、郵貯・かんぽ生命等の政府系金融機関に、行わせています。

25円(30%)の円安目的の、「円売り/ドル買い」マネーが、米国系投資銀行に入って、ヘッジファンドから、2012年末から日本株の買い越し(5兆円規模)になり、日経平均が8,500円台だった株価が、1万4,000円に上がっています(2013年末)。

これが、「アベノミクスの成果」とされたのですから、内実は白々しいことでした。当時の当メールマガジンにも書いたことです。

通貨と株価の大きな変化には、いつも、資金量をもっとも大きくできる政府と中央銀行、および政府系金融機関が関与する原因があります。
https://www.mag2.com/p/money/911417

▲△▽▼

日本円が超円安になった理由
「アベノミクス」の正体
日本食潰す金融投機資本に貢ぐ 2013年5月17日付


安倍政府が発足して以後、「アベノミクス」と呼ばれる異次元の金融緩和や公共投資を中心とする政策が台頭し、急激な円安と株高の局面があらわれている。

昨年11月に民主党・野田政府が解散を表明した時点で8600円台だった日経平均株価は、半年たった今年5月中旬には1万5000円台まで急騰し、為替相場は1j=79円台だったものが102円台まで円安になるなど、世界的に見ても例がないほど大きな変動が起こっている。

海外投資家が時価総額のうち七割を占めている株式市場が熱狂し、さらに円安でトヨタをはじめとした輸出企業が過去最高益を上げるなど、金融緩和と為替マジックで金融資本や一部大企業がバブルに浸っている。

ところが一方で、燃油や穀物を中心に日本国内では生活必需品の価格が急騰し始めるなど、国民生活に深刻な影響が広がっている。「アベノミクス」でいったいなにが起きているのか、どうなっていくのかが重大な関心を集めている。


 
 バブルに群がる海外投資家

 この間、日経平均株価はリーマン・ショック以前と同レベルの価格まで急騰してきた。それほど好景気なわけでもなく、むしろ怒濤の首切りや製造業の海外移転を経て失業や貧困が全国的な範囲で広がり、生活実感としては悪化しているにもかかわらず、「日本株、年初から45%の上昇率」「1万5000円台回復」が叫ばれている。今後はさらに1万6000円台、1万7000円台まで上昇するとエコノミストたちが煽っている。

 しかし株式市場もよく見てみると、東証一部の約6割にあたる1000近くの銘柄が値下がりしている。株価が急騰している4割のなかでは円安効果の恩恵を受けた自動車産業や、ソニー、パナソニック、三菱電機といった企業が年初から倍近い株価をつけている。逆に株価が急落している企業としては不動産関係や、国内小売りのヤマダ電機、イオン、東芝などの企業群だ。

 東証の株式時価総額は昨年10月末には261兆円まで落ち込んでいたのが、今年4月末の段階では411兆円にまで膨れあがっている。わずか半年で150兆円がなだれ込んでいる。この半年の推移を見てみると、11月に14兆円増加し、12月には26兆円増加、1月に29兆円、2月に13兆円、3月に23兆円、4月には46兆円とすさまじい勢いで資金が流入しているのがわかる。

 このなかで投機の中心的なプレイヤーとして振る舞っているのが海外のヘッジファンドや投資家といわれ、時価総額の大半は国内資金ではなくこうした海外資金であることが明らかになっている。

サブプライム危機で行き場を失った膨大な余剰資金がヨーロッパを食い物にし、ギリシャ、スペインなど南欧諸国の国家破綻でボロもうけした後しばらくは中国や新興諸国のバブルに巣くっていたが、それも一段落ついて今度は「アベノミクス」バブルに大集結していることを反映している。


 世界3大投資家の一人であるジョージ・ソロスがわずか3カ月で970億円を稼いで

「黒田はガッツがある」

「緩やかに死に向かっていた日本市場の目が覚めた」

などと褒めちぎり、

「しかし円が雪崩のように下落する恐れがある」

などと発言する状況ができている。こうした抜け目ない守銭奴は、日本経済が低迷しているといわれた時期に底値で株式を買い取るなど仕込みを終え、現在のように素人が「株がもうかる」と思い始めるような段階には見切りをつけて売り抜けている。

カモにされるのはいつも決まって素人で、証券会社にそそのかされた年寄りや、中流世帯が巻き込まれて泣きを見ている。


 加熱する米国債の購入 日銀の金融緩和で


 国債市場は株式市場よりも規模が大きく、世界的には株式市場の3倍にもなるとされている。この間の円安で輸出企業は潤ったといわれているものの、円安そのものが国債暴落で、1j=80円の段階で例えば1万円の日本国債の価値がドルベースで換算すると125jだったのが、いまや1j=100円超えなので、その価値は100jと大幅に下落することになった。

 こんな日本国債を持っているよりは、ドル建ての米国債を購入した方が儲かるという判断が働いて、日銀が金融緩和すればするほど米国債買いが加熱して、海の向こうに資金が流れ出していくことになっている。

円建ての日本国債を売り払って円を調達し、その円を売り払ってドルを買って米国債を購入するのが流れになり、あるいは国債を売り払った資金で株式市場に投機する動きとなった。


 安倍政府、日銀による異次元の金融緩和は、米国債購入という形で吸い上げられ、あるいは国際金融資本の博打の源泉として食い物にされる仕組みになっている。

リーマン・ショック後に、米国ではFRBが気狂いじみた量的緩和を実行し、銀行群の損失処理にあたり、ヨーロッパではECBが負けず劣らずの量的緩和をやり、市場に資金を供給してきた。そうしたマネーに寄生し、バブルを渡り歩いてきたのがヘッジファンドで、熱狂した後に売り浴びせることは、過去に日本市場でも経験済みだ。


 円安でも拠点を戻さず 海外移転の大企業

 日本国内ではこの数年、大企業が円高を理由に海外移転を繰り返してきた。ところが円安になったからといって日本に拠点を戻すわけでもなく、多国籍企業のようになって出ていく。内部留保を散散貯め上げたうえで、そうした過剰な資本は国民生活の水準を引き上げるためには用いられず、より利潤の得られる後進諸国への資本輸出や進出へと向けられている。ベトナム、ミャンマーといった進出先のインフラ整備までODAで日本政府に肩代わりさせるのだから、国民の面倒は見ずにもっぱら寄生するだけの存在というほかない。

 その株式を保有しているのが米国をはじめとした海外の超富裕層や、錬金術に長けた金融資本で、人為的な円安、株高政策にせよ、TPPにせよ、日本の富を米国富裕層の個人資産に移し替えてくれる「アベノミクス」だからこそ大歓迎している。

 グローバリゼーションのもとで、かつてなく世界を股に掛けた投機が横行し、産業集約が進んでいる。金が溢れて投資先に困るほど、生産は社会化して富は増大している。ところがその金は一%にも満たない超富裕層が握りしめて離さないことから、九九%がますます貧困に追いやられ、モノが売れずに経済活動は停滞。金融が破綻すれば損失を国家に転嫁するというデタラメがまかり通っている。

 ヘッジファンドが食い荒らしている日本市場の姿と、その資金をせっせと提供している「アベノミクス」の存在が暴露されている。
http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/enyasukabudakanokagedekyuurakusurukokusai.html


安倍「官製相場」の正体。国民生活が疲弊し対米従属は加速する=吉田繁治 2016年10月20日
http://www.mag2.com/p/money/24781


2012年12月に発足した安倍内閣はアベノミクスを標榜し、株価上昇をその支持基盤としてきました。あれから約4年、いよいよ「株価政権」の総括検証をすべき時期が来ています。(『ビジネス知識源プレミアム』吉田繁治)

※本記事は有料メルマガ『ビジネス知識源プレミアム』2016年10月19日号を一部抜粋・再構成したものです。興味を持たれた方は、ぜひこの機会にバックナンバー含め今月すべて無料のお試し購読をどうぞ。本記事で割愛した内容(約5,000文字)もすぐ読めます。

なぜ株価は景気を反映しなくなったのか?官製相場の欺瞞を斬る

安倍首相の「スタートダッシュ」

消費税10%法案を通した野田民主党の自滅により、自民党は2012年12月、3年4ヶ月ぶりに政権に復帰しました。首相自ら「アベノミクス」と呼ぶところの、安倍政権の経済・金融政策の始まりです。

安倍首相は前回の失敗から、「スタートダッシュが肝心」と決めていました。自公政権が確実になった12年10月に明らかになったのは、
◾脱デフレの大きなマネー増発策
◾10年で200兆円の国土強靱化の公共投資

でした。日銀法を改正し、独立権を奪ってでも、マネーを増発させるという強いものだったのです。

【関連】株も不動産も奪われる! 預金封鎖よりも怖い「財産税」の傾向と対策=東条雅彦

国土強靱化は、財政赤字を200兆円分拡大して危険だ、という財務省の反対で消えました。東日本大震災の復興予算として、別途、28兆円の政府支出が必要だったからです。

マネー増発を推進するミッションを持ち、黒田総裁・岩田副総裁体制になった日銀は、異次元緩和(量的・質的金融緩和)を開始します。

量的緩和は、金融機関がもつ国債を買ってマネーを増発する政策です。質的緩和は、日銀が日経平均(株式ETF=上場投信)とREIT(不動産投信)を買いあげて、価格を上げるものです。

日銀による株買い(ETFの購入枠は6兆円/年)、これは普通、中央銀行が禁じられていることです。

恐慌の研究家である前FRB議長のバーナンキは、「日銀がケチッャプを買えば物価上がる」と言っています。あるいはヘリコプターでお金をばらまけばいいとか、ニコリともしないで異常なことを言う。

日銀が増刷した円で店頭商品を買えば、需要の超過になり物価は上がります。車を100万台(3兆円)、住宅を100万戸(30兆円)買ってもいいが、さすがにそれはできない。そこで株を買う。

日銀の株買いは迂回(うかい)して行われた

金融機関は、国債をはじめとする債券と貸付金で預貯金や基金を運用しているので、余分な現金は持ちません。

量的・質的緩和を政策にした日銀が、郵貯、年金基金(GPIF)、かんぽがもつ国債を買う。政府系金融と基金(GPIF)はそこで得た円で、日米の株とドル国債を買う。ワンクッションおいていますが、日銀が直接に日米の株を買い、米国債を買うことと同じです。

日銀は直接買うETF(年6兆円の枠)以外に、迂回路をとり数十兆円の株買いを行ったと言えます。方法はごまかしめいて姑息ですが、マネーの流れとしては露骨です。

日銀は量的・質的緩和として、円を下げ、株を上げ、インフレに誘導する「可能な手段の全部」をとってきたのです。

株価上昇は、株主の資産(東証一部時価総額511兆円 ※16年10月18日時点)を増やします。同時に企業の増資コストを下げます。資産が増えた株主は、資産効果で消費を幾分か増やします(しずくのようにわずかなのでトリクルダウンという)。百貨店で、100万円級の機械式時計が売れたのが、この資産効果です。

株価は理論的には、企業の将来の税引き後の予想純益を、期待金利(リスク率を含む株式益回り:6.6% ※16年10月18日時点)で割ったものと等価です。これが表現するのは、株価は企業の予想純益の結果ということです。

しかし多くの人々には、「株価が上がった→景気がよくなったからだ」と理解されます。下がっていた血圧が輸血で上がったから健康に戻った、と思うような本末転倒ですが、投資家と上場企業は歓迎します。支持率が上がるので、政府与党も喜ぶ。

株価が下落し、支持率も低くなった前回の反省を踏まえた安倍首相は、スタートダッシュで円安の誘導、株価の上昇に躍起になりました。円安の誘導は、輸出を増やし、株価を上げるためでした。

マネーの流れ

ヘッジファンドは保有しているドル国債を日本に売り、得た円で、出遅れていた日本株を買う。そして実は、総資金量が420兆円と日銀よりも巨大な政府系金融(現在名ゆうちょ銀行、かんぽ保険、GPIF:総資金量420兆円)は、日銀に国債を売って得た円で、米国債も買っています。

公的年金の残高139兆円(15年12月)を運用しているGPIFの、15年12月のポートフォリオ(分散投資)は、「円国債38%、国内株23%、外国債券(主は米国債)14%、外国株23%」です。

※日銀がGPIFの国債を買いあげる→GPIFは得た現金で国内株、米国債、米国株を買う→GPIFに米国債を売ったヘッジファンドはそのマネーで日本株を買う

マネー運用には遅滞が許されないので、この迂回路取引がコンピュータの中で、一瞬で起こります。

安倍政権の初年度だった2013年には、外国人(ヘッジファンド)からの15.1兆円もの巨大買い越しがありました。

外国人の売買は、東証一部の年間売買額460兆円のうち320兆円(約70%:16年7月水準)です。国内勢(金融機関と個人投資家)は、1990年のバブル崩壊後の損失の累積で資産を減らしたため売買がとても少ない。国内勢の売買は140兆円です。

他方、多くがオフショア(タックスヘイブン:租税回避地)からであるヘッジファンドの売買が320兆円です。東証はこのヘッジファンドの支配下です。

ヘッジファンドの日本株買いと、円先物売りのマネーの多くは、GPIFにおけるような迂回路をとって日銀が買い続けている、政府系金融の国債の現金化から来ています。

安倍政権前から始まっていた「官製相場」

政治相場(あるいは官製相場)は、14年10月末に発表された「日銀の追加緩和」と「GPIFの運用方針の変更」から始まったように言う人が多い。

しかし、マネーの流れを比較貸借対照表で調べると、安倍政権が始まる前の12年の10月から秘密裏に開始されています。最初は、円安介入のための30兆円の政府系金融マネーでした。

※総資金量420兆円の政府系金融3機関が、日銀に国債を売ったマネーで、米国債を30兆円買った→米国債を売ったヘッジファンドが日本株買い/円の先物売りを行った

安倍政権が確実になる前、12年9月の日経平均の予想PER(加重平均)は、1ドル80円台の円高の中で12倍付近と低かった。米国ダウのPERは15倍と3倍高かった。

上場企業(東証一部2000社)においては、輸出製造業の株価シェアが大きい。円安/ドル高になると、利益が数倍に増えます。このため、円安で日本の株価は上がり、円高で下がる基本性格があります。

通貨の低下は、普通、国力(政治力)と経済力の低下を示します。しかし日本では、ドルでは同じでも円での輸出価格が上がる。このため、上場企業の利益が増える予想がたち、株が買われます。
(注)予想PERは、株価の時価総額を次期予想純益で割った株価/収益倍率であり、株価の高さ、低さを判断するための指標です

PERが15倍なら将来15年分の、未実現の企業純益を株価が含んでいます。16年10月の日経平均の加重平均のPERは、14.3倍付近です。単純平均のPERでは18倍と高い。日経平均は、ユニクロ(ファーストリテイリング)の34倍のような高PER銘柄を含むからです。

2016年10月現在、日経平均は1万7000円付近です。米国ナスダックの予想PER(単純平均)は現在21.9倍で、バブル価格の水準です。他国をあげると、インド18.2倍、英国17倍、米国ダウ16.8倍、上海総合14.4倍、ドイツ13.3倍、ロシア6.8倍です。


円安誘導という名の「米国債買い」を実行

安倍政権誕生の2ヶ月前、1ドル77円(12年9月)だった円は、その2ヶ月前から下がりはじめ、10月に80円、11月に83円、12月には87年円と13%の円安になっています。続く13年1月に92円、2月には93円と下がり、6月には岩盤に見えていた100円も超えたのです。
(注)円安のピークは、15年6月の125.8円です。16年2月のマイナス金利以降は、逆に円高になり16年10月は104円付近です

円安は、世界の外為市場(円の売買が日量120兆円:2016年)での「円売り/ドル買い」が「円買い/ドル売り」を超過することで起きます。なぜ50%(1ドル120円)もの円安になったのか?

ここで、財務省の外貨準備($1.26兆:126兆円:16年10月)は、目立つので使われなかった。かわりに、ゆうちょ銀行、年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)、かんぽに、推計30兆円の「円売り/ドル買い」を行わせたのです。

前述のように、日銀がゆうちょ、年金基金、かんぽがもつ国債を買い、政府系3機関は、そこで得た円で、円安誘導を目的にしたドル債買いを実行するわけです。

さて、米国政府は、為替介入を行う国を「為替操作国」と強く非難します。しかし、円売り/ドル買いで得たドルで米国債を買うと途端に沈黙します。この理由は何でしょうか?


アメリカ政府の債務は2000兆円

米政府の総債務(自治体と社会保障の債務を含む)は、日本国債の2倍の$20.0兆(2000兆円:16年)に膨らんでいます。米国債も$15兆(1500兆円:同年)に増えています。

財政赤字は毎年、$7000億付近(16年度は$7130億)です。17年には、公的医療費($2.8兆:280兆円:12年)の増加で、赤字は$1兆を超えるでしょう。

米国の人口ピラミッドは、日本の10年遅れです。医療費では診療単価が約2.5倍高く、総額で$2.8兆(280兆円:12年)です。3.2億人の国民の、健康な人を入れた1人あたり年間医療費は$9000(90万円)です。

日本の医療費は、40兆円で1人あたり31万円/年。米国は1人あたりで3倍も多い。米国の医療費は信じられない高さです。盲腸の手術や流産で200万円とか…日本は世界的には医療費は安い。

米国政府は、この高すぎる医療費のため、日本の10年遅れで高齢者が増えるとつぶれます(ほぼ確定でしょう)。

米国は、新規国債のうち50%は、経常収支が黒字の中国と日本に売らねばならない。米国内では50%分しか買い手がない。米国は、海外からマネーを借りる構造を続けています。円でドル国債を買うことは、マネーの流れとしては米国への貸し付けです。

経常収支の赤字国は、感覚では逆ですが、資本収支では黒字になります。資本収支の黒字とは、マネーが流入することであり、現象形は、海外の金融機関が米国債、株、社債、MBS(住宅ローン担保証券)を買って、ドル預金をすることです。

わが国の民間では、国内の運用先がない三菱UFJグループ(総資産281兆円:16年6月)が、米国運用を増やしています。米国経済は、海外資金が大挙して引き揚げるとひとたまりもない。このため、米国はユーロや円より約2ポイントは高い金利を続けねばならない。


米国が利上げしなければならない本当の理由

米国が14年10月に、3回行った量的緩和(QE:$4兆:400兆円)を停止し、2015年12月にFRBが0.25%利上げした本当の理由は、金利が低いままだとドル債が売られ、海外から来たマネーが逃げる恐れがあったからです。逃げはじめてからの利上げでは、間に合わない。

米政府とFRBが、日本に金融緩和を強く勧めるのも、米国債と株を買ってもらうためです。異次元緩和にも米国への資金環流という条件がついていました。リフレ派は亡国のエコノミストに思えます

リーマン危機のあと、400兆円のドルを増発した3度のQE(08年〜2014年)でマスクされていた米国の「大きな対外不均衡」は、今も世界経済における根底の問題であり続けています。

米国の対外総債務は、$20兆(2000兆円)、対外資産を引いた純負債は$8.8兆(880兆円)と巨大です(15年末)。

一方で日本は、官民で948兆円の対外資産をもち、対外債務は609兆円です。339兆円の純資産があります(15年末:財務省)。経常収支が黒字になり、バブル経済で世界ナンバーワンと言われた1980年代以来、企業と金融機関が営々と貯めてきたものが、対外純資産になっています。

関連して言うと、中国は、公式には$2.1兆(210兆円:14年)の対外純債権国とされています。しかし、15年と16年に民間で起こった「元売り/ドル買い」に対抗して、政府が行った「元買い/ドル売り」により、今は、純債務国に転落していると推計できます。

2015年12月で$3.3(330兆円)とされている外貨準備では、銀行の持ち分と政府の持ち分が二重に計上されています。中国の4大銀行は、全部が国有です。選挙と議会制度がない共産党国家・中国の経済統計には、かつてのソ連と同じ問題があります。


ヘッジファンドによる円売り・日本株買いのカラクリ

アベノミクスとは、インフレを目標にした、

1.日銀の国債買いによる通貨増発
2.ドル買い/円売りによる円安誘導
3.政府系金融とGPIFによる日本株買いと米国債買い


です。

2%のインフレを目標にしたのは、年金・医療費・介護費(社会保障費)が年率3%(3兆円)で増え続け、それが国債の増発に繋がって、債務比率(政府総債務1277兆円/名目GDP505兆円=253%)が拡大することを防ぐためです。

分母の名目GDPが年率で3%以上増え続けないと、債務比率が大きくなり、近い将来の財政破綻が確定するからです(名目GDPの下限目標=実質GDP1%+インフレ率2%)。

仮にインフレになっても、企業所得と税収が増える中で世帯の所得が増えない場合、国民の生活は苦しくなっていきます。年金支給額が固定されている年金生活者3100万人(15年:厚労省)と、円安では企業所得が減る多くの中小企業の雇用者4100万人(06年:経産省)、合計で7200万人は、インフレで実質所得が減ります。

しかし、それらは構わない。政府にとっては、差し迫る財政破綻の防止がはるかに大切だとされたのです。


円安と株価上昇には有効だった量的・質的緩和

需要が増えることによる物価上昇に効果がなかった量的・質的緩和は、12年末から15年までの円安と株価上昇には有効でした。13年と14年の物価上昇は、円安での輸入価格上昇が主因です。世帯消費と企業の設備投資は増えていません。

東証では、年間420兆円の売買額の70%が、オフショアからのヘッジファンドによるものです。国内の個人投資家と金融機関は、90年からのバブル崩壊、00年のIT株崩壊、08年9月からのリーマン危機で3回の大きな損失を被ったことから、売買額が30%に減っています。

個人投資家700万人の多くは、上がるときは損失を回復するため売り越す、下がるときは難平(なんぴん)買いで買い越すという行動を取ります。


2012年末以降の日本株式市場の売買構造

このため、わが国の株価を決めているのは、70%のシェアになったヘッジファンドの売買です。


1.ヘッジファンドが買い越せば上がり、売り越せば下がる

2.下がっては、政府と投資家が困る

3.ヘッジファンドが売り超になると、3つの政府系金融(総資金量420兆円)と日銀(同459兆円:16年10月)が買いをいれる

という単純な基本構造が、2012年末から2016年10月まで続いているのです。

しかし2016年は、政府系金融と日銀の買いに対する株価上昇の反応が鈍い。この理由は、

1.アベノミクスによる株価上昇が政治相場(または官製相場)であることを皆が知った

2.このため二番目に大きな売買シェアを持つ個人投資家(700万人)が、政府系金融に追随した買いを入れなくなった

ことにあります。


米国の後追い。2015年から日本でも自社株買いが増加している

1日平均売買額が2.9兆円(15年平均)だったものが、2.3兆円(16年7月)に減った現在の東証一部で、大きく増えているのは自社株買いの4.3兆円です(16年1月〜9月)。

これは、事業法人の買い超に含まれます。年間では5.7兆円の買い超になるでしょう(13年1.5兆円、14年2兆円、15年3兆円)。

自社株買いは、市場で流通する株式数を減らします。会社利益は同じでも、1株あたり利益は上がったようになり、株価も上がります。タコが自分の足を食べることに似たこの自社株買いは、上場大手企業が留保利益で将来投資をせず銀行預金として貯まった、現金100兆円で行われています。

自社株買いでも、買いが増えれば株価は上がるので「株価上昇という形の株主配当」とされています。経営者が株主サービスとして行うのです。問題は、自社株買いは、いつまでも続けることはできないことです。

米国の2012年以来の自社株買いは、とても大きい。16年の第一四半期で$1820億(18.2兆円)です。年間では73兆円という巨額です。米国では、日本よりはるかに個人株主の要求度が高い。株価が1年も下がり続ければ、資産を失った株主により、株主総会で経営者が追放されます。

このため、経営者は米国FRBの量的緩和と、わが国と同じ将来投資の少なさから滞留したキャッシュフローで、年間73兆円もの自社株買いで事実上の減資をしているのです。

時価総額で世界一のアップル($6091億=60兆円:16年9月)は、社債を発行しゼロ金利マネーを得て、それで巨額の自社株買いを行っています。米国のダウやナスダックの大手企業の株価は、大きな自社株買いで20%から30%は高値になっているでしょう。

本稿執筆時点のダウは1万8161ドル、ナスダックは5243ポイントで史上最高値圏です。過去10年の純益を元にしたシラーP/Eレシオ(26.6倍:16年10月)が示すように、数十%のバブル性があると見ることができます。株価維持のために膨らみすぎた自社株買いの減少があれば、下がります。

自社株買いは、政府主導の官製相場と同じく、3年も5年もと続けることはできません。事実、2016年は米国の自社株買いはピークアウトして、今後は減少する傾向も見えます。

米国の自社株買いの傾向に注目してください。これが減ると、米国株は下がります。米国株が下がると、日本と欧州にも即日に波及します


株価が景気を反映しなくなった理由

ポートフォリオ投資とHFT(超高頻度売買)を組み合わせた売買シェアが、60%まで増えています。10年代の国際金融は、ネットワークで、リアルタイムに連結されているからです。

世界中の国債や株の売りも買いも、コンピュータ画面で一瞬です。株と債券の金融市場は、インターネットで変容しています。売買を叫ぶ「場立ち」があった「のどかな市場」ではない。

それでなくても、わが国の日経平均は米国ダウの子供です。米国株を売買しているヘッジファンドがポートフォリオ(分散投資)で、日本株をたとえば12%と一定割合にしているからです。米国株が下がると、ポートフォリオの中の米国株が減少します。かわりに、12%枠と決めている日本株の構成比が上昇します。これでは日本株の下落リスクが大きくなる。

株価罫線を分析するトレンド理論(傾向理論)とは違う、ランダムウォークの理論では、向こう3ヶ月で10%上がる確率があるときは、10%下がる確率も同じです。このため、ポートフォリオでのリスクが、コンピュータが自動計算する数値で大きくなる。

従って、米国株が下がると日本株を売って減額調整するプログラムが組み込まれています。ヘッジファンドのほとんどの売買で行われているHFT(超高頻度売買)がこれです。人間は関与せず、現物・先物・オプションの売買を組み合わせ、瞬時に売買が行われます。

ファンドマネジャーの関与は、ポートフォリオの割合(パラメータ)を変えるときです。以上の売買構造が増えたため、日米の株価の動きは同時化します。日米だけではない。

世界の株式市場(時価総額6000兆円:世界のGDPの1倍)が、ほとんど瞬間連動して動きます。基礎的な経済指標によるファンダメンタル理論(端的に言えば、景気がよくなると株価が上がる)は、ほとんど関係がなくなっているのです。
http://www.mag2.com/p/money/24781

▲△▽▼

日経平均株価が上がる程、日本人はどんどん貧しくなっていく
アダム・スミス2世の経済解説  2015-05-10

アベノミクスがもたらした株価上昇による100兆円の損失
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html

アベノミクスの評価は、現時点においてもさまざまである。その中で多くの人たちが認める功績は、株価を上昇させたことであろう。アベノミクスの否定論者でも、アベノミクスは株価を上昇させたこと以外にメリットは存在しないという評価を下す人は多い。

今回は、アベノミクスが株価上昇により巨額の損失を日本経済に与え、最近ではその累計額が100兆円にまで到達したという事実を説明する。


現在、日本で使われている日本の純資産に相当するものは、国民経済計算ベースでの国富(=正味資産)である。

現在、国ベースでどれだけ資産を増やした、あるいは減らしたかを認識できる統計は、国民経済計算ベースの国富しか存在しない。


国富のグラフ
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172757912.gif/


国富の大半は非金融資産である。それ以外は、金融資産の一部である対外純資産だけである。国富の大半をしめる非金融資産が減少傾向を示している最大の原因は、地価の下落である。対外純資産は増加傾向にある。

国富には、対外純資産以外の金融資産が存在しない。これは、金融資産が存在すれば、必ずそれに等しい金融負債が存在していると国民経済計算では考えるからだ。この場合、株価が上昇しても、株価の時価総額の増加額に等しい金融負債が増加していると考えるのである。

この考え方に基づけば、アベノミクスの結果株価が上昇しても、プラスは発生しない。株価の時価総額と同金額の金融負債が同時に増加すると考えるからだ。株式保有金額の増加額のうち海外投資家による日本株保有分については、海外投資家の資産増加と、国内部門の負債の同金額の増加が発生すると考える。

これを日本から見れば、国内の負債の増加分と同金額の国内資産が増えているのではなく、同金額の対外負債の増加だけが発生していると見える。

対外負債の増加であるから、対外純資産の減少、すなわち国富の減少を意味する。

日本の株価が上昇すればするほど、資産は増えず、対外負債だけは増加し、対外純資産と国富は減少する。


2014年末における投資部門別の株式保有金額(上場株だけが対象)を表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/2015051017282459d.gif/


2014年末における最大の大株主は海外投資家であり、その金額は165兆円、全体の31%を占めていた。

次に、アベノミクス相場の開始以降、上記の株式保有金額がどれだけ増加したかを表すグラフを下記に示す。


投資部門別保有金額の増加額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728253d4.gif/


アベノミクス相場の開始日は、野田前総理が衆議院解散を明言した2012年11月14日である。しかし、その日からの統計は存在しないので、代わりに2012年9月末を基準にした。保有金額にだいたいは比例しており、海外投資家による株式保有金額の増加額が95兆円と一番大きい。

次に、アベノミクス相場開始以降の投資部門別の売買状況を表すグラフを下記に示す。

投資部門別売買
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505101728224f6.gif/


このグラフの起点も、2012年9月末にした。見てわかるとおり、買いの大半は海外投資家である。2014年から公的資金が買い始めたので、信託銀行が少し買い越しになっている。最大の売り越し主体は家計、すなわち個人である。

次に上記の2つの表で示される金額の差を表す投資部門別の調整額というグラフを下記に示す。

調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/20150510172758332.gif/


調整額の定義は、資産の変動金額と売買金額の差である。具体的には、調整額の大部分は株価の値上がり益であり、かなり広い意味ではあるが統計上の不突合が一部に含まれている。最大の大株主である海外投資家が一番大きな株価の値上がり益を獲得している。

最初に示した国富の中の対外純資産は、フローベースでは「経常収支+資本移転等収支」の累積金額になる。一方、ストックベースではそれ以外のさまざまな資産価格の変動の影響を受ける。さまざまな資産価格の変動の中で最も寄与度が高いのは、為替レートと株価の変動分である。

日銀の資金循環統計ベースの対外純資産は、2012年9月末の277兆円から、2014年12月末の376兆円まで98兆円の増加となっている。このうち、海外投資家の日本株投資残高は、先のグラフで示したとおり95兆円、うち買越金額は20兆円、調整額、すなわち株価の値上がり益は75兆円である。

海外投資家は日本の株価上昇により、75兆円前後の値上がり益を獲得した。このため、日本の株価が2012年9月と2014年末が同じであったと仮定するならば、対外純資産は376兆円より75兆円多い451兆円になっていたはずである。

株価が上昇したがために、75兆円もの対外純資産と国富が減少したことを意味する。

株価上昇によって海外投資家が獲得した75兆円の調整額は、2014年末の金額である。2015年に入ってからも、日本の株価は上昇している。

ここで海外投資家の保有株式金額はTOPIXと同じ動きをすると仮定する。この仮定に基づいて、2014年末からの海外投資家の日次の調整額累計を表すグラフを下記に示す。


海外投資家の調整額
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/img/201505102339329ee.gif/


少しばかりの仮定をおいて算出される累積調整額は、2015年4月22日に100兆円に到達した。

この金額は、アベノミクス相場開始以降、日本の株価上昇によって失われた国富の金額にほぼ等しい。

アベノミクスによる株価上昇が原因で失われた国富は、4月22日についに100兆円に到達してしまったのである。


アベノミクス相場の開始以降の株価上昇による(上場株だけから発生した)国富の損失100兆円という数字は、多少の誤差があるとしても、ほぼ正しい金額である。


株価上昇はアベノミクスの最大のメリットというのは正しくない。国民経済計算という有力な会計基準を使った場合、アベノミクスは、株価上昇の結果として日本の国富を100兆円も失わせた。

アベノミクスがもたらした株価上昇の結果は、大変大きな利益ではなく、100兆円という巨額の国富の損失であったという観点が存在することは重要であり、この事実を忘れてはならない。

最後に、100兆円の巨額の損失が発生してしまった原因とその対策を記すことにする。
 

政府・日銀の犯罪的な政策について

日本企業の株というものは、日本国民にとっての大変貴重な財産である。それに対して政府・日銀が過去にとってきた政策は、1989年12月29日の高値38,915円から2009年3月10日の安値7,054円まで、19年強の期間、最大で82%も日経平均株価を下落させたことである。

そして、国内投資家に、株価はもう上がらないという非常に強い予想、期待、確信と、株価が戻れば売らなければならないという非常に強固な信念を抱かせてしまった。そして、1991年以降、結果として取引所という流通市場だけで92兆円、発行市場も含めた国際収支ベースでは114兆円もの日本の現物株を国内投資家が海外投資家に安値で売り渡すことになってしまった。

これは犯罪的とも言えるレベルの政策である。アベノミクス相場が始まってからも、国内投資家は取引所という流通市場だけで20兆円の現物株を海外投資家に売り渡しており、犯罪的な政策は是正されていない。

これ以上海外投資家に株を売り渡せば、株価上昇と並行して増える損失がさらに拡大する。過去の政策があまりにも犯罪的すぎた。

株価が2万円前後にまで戻っても、国内投資家がまだ海外投資家に大量に株を売り渡し続けているという現状は異常である。過去における政府・日銀による犯罪的な政策を容認し、現在の異常な状態を異常と思わない人が多すぎることは、大問題である。
http://stockbondcurrency.blog.fc2.com/blog-entry-184.html
 
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1491.html#c1

[近代史5] 日銀はいつまで「利上げしない」と言い張るのか。物価上昇も見ないふり、迫る“ゼロ金利”政策の限界=吉田繁治 中川隆
2. 中川隆[-13712] koaQ7Jey 2022年2月13日 09:24:17 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[7]
売国政治家列伝 _ 安倍晋三
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/789.html

アベノミクスで安くし過ぎた円

日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/189.html

輸出企業が日本を滅ぼす _ 輸出超過額と対外資産が増える程 日本人はどんどん貧しくなっていく
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/187.html

外国人が増えると嬉しいか? _ 外人観光客誘致は日本を貧しくしている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/185.html

自由貿易は国家経済を破綻させる _ 自由貿易論者が信じているリカードの「比較優位の原理」は時代錯誤の幼稚な経済理論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/192.html

藤井聡先生は 「日本人は生産性が低い」というデマを撒き散らしているデービッド・アトキンソンが完全なバカだと言い切ってくれました
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/694.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1491.html#c2

[近代史5] 日銀はいつまで「利上げしない」と言い張るのか。物価上昇も見ないふり、迫る“ゼロ金利”政策の限界=吉田繁治 中川隆
3. 2022年2月13日 09:37:10 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[8]
バブル崩壊の歴史と これから起きる超円高によるバブル崩壊
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/388.html

1969年の米国で6%のインフレを抑えるためにどれだけの利上げが必要だったか
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1490.html

国が隆盛してから滅びるまでのサイクル
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1480.html

「暖房か食料か」 生活費高騰に苦しむ英国人
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1462.html

世界的インフレは株価暴落を引き起こす 2022年株式市場見通し
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1325.html

日銀金融緩和で、消費者物価は下がっているが、生活必需品の価格は上がっていた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/618.html

日本円と日本の物価は異常に安過ぎる _ 1ドル=50円 が適正価格
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1312.html

アメリカでは総菜調理やトラック運転で年収1000万円
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1485.html

アメリカの消費は現金給付がなければ死ぬ
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1171.html

金融緩和や財政出動をするとこういう結果になる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/555.html

小さな政府と大きな政府
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1131.html

政府主導の事業は必ず失敗する
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1415.html

政府の物価調査は値上げしない品目だけ調査
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1396.html

自動車価格はこの20〜30年で1.5〜2倍に上がっているが、物価はほぼ同じ、賃金は下がっている
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1110.html

デフレとインフレは簡単に入れ替わる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1473.html

長期金利とテーパリングの関係
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1127.html

量的緩和はデフレの原因
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1128.html

インフレで起きる事
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html  

スタグフレーションに備えよ!
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1202.html

単なる景気後退なら長短金利差はゼロになるが、スタグフレーションなら長短金利差はマイナスとなる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1484.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1491.html#c3

[リバイバル3] 真空管アンプについての よく有る誤解 中川隆
33. 2022年2月13日 12:05:14 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[9]
真空管を交換した時にバイアス調整は必要か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1224.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/923.html#c33
[近代史5] 真空管アンプの世界 中川隆
36. 中川隆[-13711] koaQ7Jey 2022年2月13日 12:06:09 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[10]
真空管を交換した時にバイアス調整は必要か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1224.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/415.html#c36
[近代史4] 真空管アンプの世界 中川隆
33. 中川隆[-13710] koaQ7Jey 2022年2月13日 12:06:56 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[11]
真空管を交換した時にバイアス調整は必要か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1224.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/116.html#c33
[近代史7] 真空管アンプの世界 中川隆
8. 中川隆[-13709] koaQ7Jey 2022年2月13日 12:07:52 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[12]
真空管を交換した時にバイアス調整は必要か?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1224.html
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/381.html#c8
[近代史5] ブリテン島人の起源 中川隆
8. 2022年2月13日 13:04:56 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[13]
雑記帳
2022年02月13日
オークニー諸島における青銅器時代のヨーロッパ大陸部からの大規模移住と新石器時代男系の存続
https://sicambre.at.webry.info/202202/article_13.html


 オークニー諸島における青銅器時代のヨーロッパ大陸部からの大規模移住と新石器時代男系の存続に関する研究(Dulias et al., 2022)が公表されました。完新世の気候最適期の最後尾の恩恵を受けて、紀元前4050年から300〜400年にわたって、ブリテン島とアイルランド島全域では前期新石器時代が南方から急速に拡大しました。移住者は栽培化されたコムギやオオムギと家畜化されたヒツジやウシを、竜骨型鉢土器や土手状の囲いに関する知識とともに持ち込み、起源地としてフランス北部もしくはベルギーの可能性が高い、と示されます。

 オークニー諸島はスコットランド本土の北方に位置し、紀元前3800〜紀元前2500年頃となる新石器時代に栄え、主要な文化的中心地になりました。成功した農耕経済と長距離接触に支えられて、最初の恒久的集落が木材で建設され、その後で紀元前3300年頃以降、石造りの住居が建築されました。石の使用は意識的な設計上の選択だったようで、並外れた考古学的保存をもたらしました。

 最近のゲノム規模研究(関連記事)が、紀元前2500年頃以後となる鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期におけるブリテン島への大陸規模の移住の程度と速さを論証しましたが、オークニー諸島については、この大陸規模の移住への考古学的示唆は、これまでほとんどなかったか、まったく認識されていませんでした。考古学的記録における鐘状ビーカー文化および関連する物質文化の少なさは、この頃にブリテン諸島の他地域で起きた文化および人口集団の変化がオークニー諸島ではほとんど直接的影響を及ぼさず、じっさい、局所的に抵抗されたかもしれない、という指標とみなされてきました。結果として、オークニー諸島は紀元前二千年紀後半には、ほぼ島嶼的な閉鎖的軌道で発展した、と見られてきました。

 葬儀慣行の重要な変化がこの時期に出現し始め、研究は葬儀遺跡に集中してきました。ブリテン諸島北部では最大級のいくつかとなる墳丘墓が、紀元前三千年紀末頃にオークニー諸島で出現しました。これら土の塚には複数の被葬者が含まれ、順次追加され、最も頻繁に含まれたのは、土坑もしくは石棺の火葬された遺骸でした。平らな石棺墓地も土葬と火葬の両方に使用され、墓に数人の遺骸が含まれることは多かったものの、副葬品は稀でした。

 最近まで、定住遺跡の低い可視性のため、これは環境と文化の後退期だった、と考えられてきました。焦点を絞った環境分析と、クロッシークラウン(Crossiecrown)やトフツネス(Tofts Ness)などの集落に関する報告を通じて、均衡は改善され始めました。集落と葬儀遺骸を関連づける機会はひじょうに稀で、新石器時代と青銅器時代(BA)にまたがる遺跡はほとんどないため、経時的な変化の一貫した全体像を描くのは困難です。この点で、リンクスオブノットランド(Links of Noltland、略してLoN)で継続中の調査は、貴重な新しい洞察を提供しつつあります。

 LoNはオークニー諸島の最も北西に位置するウェストレー(Westray)島に位置します。例外的条件により、少なくとも紀元前3300年頃から紀元前500年頃までの広範な集落と墓地遺構が保存されました。集落の新石器時代と青銅器時代との段階間で直接的重なりはまだ検出されていませんが、居住の大きな中断の証拠はありません。青銅器時代集落は建築上の根拠で区別され、年代は紀元前2500〜紀元前1200年頃となり、3棟の家屋と付属建物から構成され、これらの家屋は新石器時代の家屋と同様に、同時代の農地景観に広がっていました。家屋は多くの場合、組み合わせて配置され、石と土盛りの混合で建てられ、少なくとも紀元前1200年頃まで使用されていました。

 これらの集落の中に位置する墓地は、少なくとも紀元前2150〜紀元前850年頃まで使われ、50以上の埋葬で構成され、100個体以上を含みます。火葬と土葬の両方が同時に行われており、単一墓内の複数埋葬は一般的でした。「鐘状ビーカー複合」の物質的証拠はブリテン島本土全体で見られますが、オークニー諸島では僅かです。2個のビーカー容器からの数点の断片が広範囲で回収され、年代は紀元前2265〜紀元前1975年頃ですが、さらなる土器もしくは認識可能な人工物は、墓地もしくは集落との関連では見つかっていません。

 古代ゲノム研究では、ブリテン島を含むヨーロッパの大半にわたって、金属器時代の文化の到来が、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)からの新たな祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の導入と、Y染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)の優勢を伴っていた、と示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文は、この枠組みの文脈内でオークニー諸島のゲノム多様性を調べました。

 ゲノム規模一塩基多型(SNP)捕獲とショットガンデータが、オークニー諸島の新石器時代21個体で利用可能でしたが(関連記事1および関連記事2)、青銅器時代では1個体だけでした。青銅器時代オークニー諸島を調べるため、LoN墓地の22標本から全ゲノムショットガン配列が生成され、既知のデータとともに分析されました。ウェストレー島の西岸に位置するノウオブスケア(Knowe of Skea、略してKoS)の複数期間の儀式複合遺跡と墓地遺跡で得られた、鉄器時代3標本の新たなデータと、スコットランドおよびイングランド北部の12点のさらなる先史時代標本も含められました。


●標本

 先史時代のスコットランドの標本29点とイングランド北部の標本8点からの、ショットガンゲノムデータが提示されます。22点はオークニー諸島のウェストレー島の青銅器時代LoNで発見され、年代は紀元前1700〜紀元前1400年頃です(LoN)。ウェストレー島の鉄器時代KoSの3点は、紀元後1〜紀元後2世紀となります。シェトランド諸島のアンスト(Unst)島の鉄器時代となるミラスケッラ(Milla Skerra、略してMS)遺跡からは1点です。ヘブリディーズ諸島のスカイ島(Isle of Skye)の鉄器時代となるハイパスチャー洞窟(High Pasture Cave、略してHPC)からは1点です。スカイ島の新石器時代となるストラスグリーブ(Strath Glebe、略してSG)からは1点です。

 スコットランド北部の黒島(Black Isle)の新石器時代となるローズマーキー洞窟(Rosemarkie Cave、略してRC)からは、紀元後430〜630年頃となるピクト人の標本1点です。ノーサンバーランド(Northumberland)のローハックスアリー(Low Hauxley、略してLH)からは鐘状ビーカー期の標本1点です。北ヨークシャーのウェストヘスラートン(West Heslerton、略してWH)からは青銅器時代の標本3点です。北ヨークシャーのナプトンウオウルド(Knapton Wold、略してKW)からは鉄器時代の標本2点です。ダービーシャー(Derbyshire)のカージントンパスチャー洞窟(Carsington Pasture Cave、略してCPC)からは鉄器時代の標本2点です。

 全ゲノム網羅率は、0.0007倍から0.8207倍まで大きな違いがあります。網羅率0.009倍以上の標本でゲノム規模分析が行なわれ、平均網羅率は0.194倍です。全標本は汚染検定に合格しました(表1)。これらの標本は、前期新石器時代オークニー諸島(21個体)、および新石器時代と銅器時代(CA)と青銅器時代のヨーロッパの個体のゲノムデータ、オークニー諸島とスコットランドの現代人の1856点の新たなミトコンドリアゲノムの文脈で分析されました。


●ゲノム規模多様性

 ADMIXTURE分析(図1A)で示されるのは、青銅器時代オークニー諸島の標本群は全体的なゲノム規模特性で他のヨーロッパ北部青銅器時代の人々とよく似ており、スカイ島や他のブリテン諸島およびアイルランド島の新石器時代標本とより類似している新石器時代オークニー諸島標本群とはひじょうに異なる、ということです。新石器時代標本は全て、ポントス・カスピ海草原牧畜民との混合を最も明確に示すコーカサス狩猟採集民(CHG)構成要素(図1Aの青色)を欠いていました(関連記事)。オークニー諸島標本におけるCHGの割合は、青銅器時代と鉄器時代の両方で、他のスコットランド銅器時代および前期青銅器時代(EBA)標本群よりもやや高いものの、イングランド標本群の値の範囲内に収まります(図1A)。

 オークニー諸島現代人は、CHG構成要素の割合がさらに高く、これは、中世ヴァイキングの植民を反映しており、現代人のゲノム規模推定(関連記事)では20〜25%、現代人のY染色体(関連記事)では25〜30%の影響が推定されます。地理的および時系列的傾向は、主成分分析でより明確に描かれます(図1B)。LoN青銅器時代標本群は大まかに、ヨーロッパ北部および中央部の鐘状ビーカー期と銅器時代と青銅器時代の標本群とまとまり、KoS鉄器時代標本群は同じ広範なまとまり内に収まりました。以下は本論文の図1A・Bです。
画像

 D統計は、ゲノム間で共有された遺伝的浮動を定量化するので、個体間の類似性の程度の推定にも使えます。D(ムブティ人、検証集団;潜在的な外れ値、LoN)型式を用いて、LoNの残りと潜在的な外れ値標本とを比較することにより、対称性D統計が計算されました。LoN標本群は一貫してクレード(単系統群)を形成し、統計的に相互に区別できない、と示唆されます。D(ムブティ人、LoN;ヨーロッパBA、ヨーロッパBA)型式のD統計では、オークニー諸島のサンデー(Sanday)島のわずかに古い既知のロプネス(Lop Ness)BAと最も密接に一致した後、最も一般的な重要な類似点は、ブリテン島鐘状ビーカー複合(BBC)標本群とスコットランド青銅器時代とオークニー諸島KoS鉄器時代、フランスBBCやオランダBAなど大陸部の数個体とでした。

 外群f3統計は類似のパターンを示し、ヨーロッパBBCおよびBA標本全体の重複エラーにも関わらず、LoNがブリテン島東部、ウェールズ、アイルランド島、ヨーロッパ北西部BBCおよびBA標本群と最も密接である、と示します(図1C)。これは、オークニー諸島BAが、鐘状ビーカー期にブリテン島に到来した人々によりブリテン島本土(おそらくは東側)経由で定住した可能性が最も高い、と示します。以下は本論文の図1Cです。
画像

 ソフトウェアqpAdmは、ある人口集団から別の人口集団への、遺伝子流動もしくは混合の方向性と程度を推定するために、f4統計(D統計と類似しています)を要約します。ADMIXTUREにより示される3つの主要な構成要素、つまり草原地帯と「アナトリア半島新石器時代農耕民(ANF)」と「ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)」を用いて、混合割合をqpAdmでモデル化すると、LoNの各祖先系統の割合は、草原地帯が55%、ANFが33%、WHGが12%で、ブリテン島全域の既知のBA標本群とほぼ同様です。LoN人口集団に寄与した人口集団は、これら3構成要素の混合だった可能性が高そうです。

 LoNのより近い供給源を特定するため、可能性があるさまざまな前期新石器時代人口集団と、後期新石器時代/前期青銅器時代人口集団がモデル化されました(表2)。オークニー諸島BA標本群は、在来の新石器時代人口集団4〜7%とスコットランドBBC人口集団93〜96%の割合だけではなく、在来の新石器時代人口集団1〜5%とフランスBBC人口集団95〜99%もしくは在来の新石器時代人口集団1%とデンマークBA人口集団99%でモデル化されます。

 標準誤差(SE)により示唆される不確実性にも関わらず、これらの結果は明確に、EBAまでにヨーロッパ大陸部BBC移民と関連する人々による新石器時代の人々のひじょうに高水準の置換を意味し、在来集団の遺伝子プールは最大で5%しか同化されませんでした。しかし、BBC移民の子孫はオークニー諸島に到達した時までに、オークニー諸島における鐘状ビーカー関連物質文化がほとんどないことに反映されているように、その鐘状ビーカー複合との関わりを失っていたようです。

 したがって、ゲノム規模分析からの状況は、後期新石器時代と前期青銅器時代との間のオークニー諸島人口集団間のかなりの置換を示唆し、これはブリテン島本土で見られる置換(関連記事)と類似しています。しかし、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)体系により示されるパターン間の驚くべき予期せぬ違いがあり、この過程がどのように起きたのか、より詳細に明らかにすることができます。


●ミトコンドリアDNAの多様性

 前期新石器時代オークニー諸島標本(21個体)には、ヨーロッパ新石器時代に特徴的なミトコンドリアDNA(mtDNA)が含まれており、おもに西方新石器時代からの定住を示唆しますが、ドナウ川新石器時代からのわずかな寄与もあります。対照的に、青銅器時代LoNのmtDNA系統一式はひじょうに異なります。少数派のH系統が多数あり、mtDNAハプログループ(mtHg)には、H39(4個体)やH58aやH+195やH1n1(2個体)があります。

 その他のmtHgでは、2個体のJ1c2aと3個体のT2a1b1a(唯一の既知のオークニー諸島青銅器時代標本であるロプネス遺跡の前期青銅器時代個体と一致します)、2個体のT2b21、2個体のU5b2a3、1個体のK1a3a、1個体のK1a29a、1個体のK1c2もあります。これらの個体群のうち8個体(H39のうち3個体、T2a1bの3個体全員、2個体のU5b2a3、1個体のK1a3a)は複数埋葬の一部で、そのうち2つは近縁関係にありました。複数埋葬の男性も、全員同じYHg- I2a1b(現在はI2a1a2)-M423とI2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185を有していました。

 青銅器時代LoN系統のほとんどが分類されるまとまりの年代および地理的分布から、そのほとんどは在来の新石器時代集団から継承されたのではなく、後に到来した、と示唆されます。古代DNA研究では、その多くはヨーロッパ大陸部の縄目文土器文化(Corded Ware Culture)かBBCか青銅器時代の人口集団と関連しています。たとえば、mtHg-T2a1b1はドイツの縄目文土器文化で見られますが、mtHg-T2b21はドイツとチェコのBBC系統と一致します。mtHg-H39およびK1c2系統は既知の古代DNAデータでは見られませんが、現代の系統はヨーロッパ北部に限定されており、それぞれ紀元前3000年頃と紀元前2600年頃にさかのぼります。これも、紀元前3000〜紀元前2500年頃のヨーロッパ北部全域での縄目文土器文化拡大の供給源を示唆します。

 mtHg- J1c2*やK1a3aやH1n1やH58aやH+195などいくつかの系統は解決困難ですが、その分布は、BBCの到来と一致する各事例にあります。しかし現時点では、在来の新石器時代供給源を確証的には除外できません。鉄器時代KoS遺骸(3個体)には、同一のmtHg-H1b系統の2個体と1個体のmtHg-U5a1b1aが含まれ、両方ともヨーロッパ大陸部のBBCもしくは縄目文土器文化に起因する可能性があります。

 オークニー諸島の鐘状ビーカー期前にさかのぼる可能性が最も高い系統はLoNの2個体で見られるU5b2a3+16319で、本論文ではU5b2a3bと命名されます。mtHg-U5b2a3は紀元前8500年頃までさかのぼり、スコットランドとウェールズ両方の前期新石器時代個体で見られるので、オークニー諸島のmtHg-U5b2a3個体群は、ブリテン諸島の新石器時代から青銅器時代への連続性の可能性を表しています。

 興味深いことに、mtHg-U5b2a3はブリテン諸島の現代人1個体と、アメリカ合衆国のヴァージニア州(イギリスの植民地として設立されました)の1個体でも見られ、現代までの連続性の可能性が示唆されます。じっさい、新石器時代のオークニー諸島とスコットランドと特に中石器時代のアイルランド島で見られるmtHg-U5b2a*、およびmtHg-U5b2a3自体も、新石器時代のアイルランド島で見られ(関連記事)、現代のオークニー諸島とシェトランド諸島でのmtHg-U5b2系統の存在とともに、mtHg-U5b2a3bを含む一部のU5b2系統が、現代のブリテン島とアイルランド島で生き残っている最古の系統の一部を示しているかもしれず、在来の中石器時代系統の可能性さえあります。


●Y染色体の多様性

 新石器時代オークニー諸島では既知の16のY染色体DNAハプロタイプがあり、そのうち14はよく解明されているようです。この14のハプロタイプはYHg-I2aで、そのうち7つはYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423、4つはYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185、1つはYHg-I2a2(現在はI2a1b)-S33、1つはYHg-I2a2a1b(現在はI2a1b1a2)-CTS10057、1つはHg-I2a2a1a2(現在はI2a1b1a1b1)-Y3679で、残りはよく解明されていないYHg-IおよびI2です。

 青銅器時代LoNでは、ゲノム規模および女性系統の大半はBBCもしくは青銅器時代とともにブリテン諸島とオークニー諸島に到来した可能性が最も高そうですが、9つのY染色体DNA系統のうち1つを除いてYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423で、残りの1つはYHg-R1b1a1b(M269)です。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)内では異なる4ハプロタイプが見つかり、それはYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423およびYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185と、より派生的なYHg-I2a1b1a1b(現在はI2a1a2a1a2)-A1150とYHg-I2a1b1a1b1(現在はI2a1a2a1a2a)-A8742です。

 このYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の優勢には驚くべきです。なぜならば、銅器時代および青銅器時代のヨーロッパの他地域では、この系統が完全に存在せず、YHg-R1b1a1b(M269)が圧倒的に優勢だからです(図2・図3・図4)。たとえば、ブリテン島のBBC期の男性21個体のデータセットでは、20個体がYHg-R1b1a1b(M269)で、1個体だけがYHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223です。銅器時代と前期青銅器時代のブリテン島とアイルランド島の標本群を含めた場合、男性43個体のうち41個体がYHg-R1b1a1b(M269)で、YHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223は2個体、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はいません。以下は本論文の図2です。
画像

 したがって、青銅器時代LoN標本のうち単一のYHg-R1b1a1b(M269)系統の個体を除いて、全男性は新石器時代のY染色体DNAの総体の部分集合を有しています。これらがブリテン諸島のさらに南方からBBCもしくは青銅器時代の移民によりもたらされた可能性はほとんどありません。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はヨーロッパのBBCもしくは青銅器時代に見られなかっただけではなく、ヨーロッパ新石器時代においてさえ少数派系統でした。ヨーロッパ新石器時代の既知の男性389個体のうち、12%(47個体)だけがYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423を有しており、そのうち40%(47個体のうち19個体)がブリテン諸島かアイルランド島に由来し、ブリテン諸島のほとんどはオークニー諸島に由来します(図3および図4)。以下は本論文の図3です。
画像

 ブリテン諸島とアイルランド島でさえ、オークニー諸島以外ではほとんどのY染色体DNA系統は、YHg-I2a2(現在はI2a1b)-S33かYHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223ですが(図3)、不思議なことに、本論文におけるスカイ島の新石器時代1個体はひじょうに稀なYHg-I2a2b(現在はI2a1b2a)-S154で、他では中期新石器時代のフランスでだけ見られます(関連記事)。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、西方新石器時代のブリテン諸島とアイルランド島にほぼ限定されているようで、ブリテン諸島とアイルランド島では、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は稀に、YHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223や、まだ新石器時代ブリテン島では見つかっていないYHg-I2a1a(現在はI2a1a1)-CTS595とともとに見られます。これは恐らく、オークニー諸島とアイルランド島とブリテン島西部および北部で共有される残存系統の分布を示唆しています。以下は本論文の図4です。
画像

 結果は、新石器時代の男性系統の同化がひじょうに稀だっただけではなく、新石器時代ブリテン島本土の少数派を形成したYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の同化が、起きたとしてもさらに稀だったに違いなかった、というものです。青銅器時代LoNのYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統は、在来のオークニー諸島新石器時代人から存続し、ブリテン島本土新石器時代集団によりもたらされたわけではなかった、と本論文は結論づけます。対照的に、同じくウェストレー島の鉄器時代KoS遺跡の標本抽出された2個体は、YHg-R1b1a1b(M269)です。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、最初の農耕民とともにオークニー諸島にもたらされた可能性が高そうです。新石器時代には、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はほぼ、地中海西部からバルト海のヨーロッパの大西洋前面周辺に分布していました。ブリテン諸島以外では、ほとんどのYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統はスペインとフランスの中期および後期新石器時代に由来し、ドイツでは1個体、スウェーデンではわずかに確認されており、スウェーデンのゴットランド島の遺跡(関連記事)では、遺伝子型決定された男性4個体全員がYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423です(図4)。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、中石器時代アイルランド島を含むヨーロッパ北部および中央部の狩猟採集民数個体にも存在します。この分布と、ともに7000年前頃となる、YHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S1852とYHg-I2a1b2(現在はI2a1a2b)-S392という2つの主要な下位クレードの分子時計と、祖先的系統が現在でもイベリア半島に存続しているという証拠から、ヨーロッパ南西部への新石器時代拡大期における狩猟採集民からの同化と、続いてヨーロッパ北西部および北部への新石器時代拡散が続いたことを示唆するものの、ヨーロッパ北部におけるいくつかのさらなる同化もあり得ました。


●同型接合連続領域と親族関係

 プログラムhapROHを用いて、ROH(runs of homozygosity)が評価されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。青銅器時代LoN標本群の特性は、小さな有効人口規模を示唆しますが、最大で三従兄弟までとなる最近の親族関係の証拠はありません。HapROHは、有効人口規模を約400人と推定しました。これは、新石器時代オークニー諸島からの大きな減少で、新石器時代やBBCや青銅器時代のブリテン島とヨーロッパの他地域よりもずっと少ないことになります。これらの結果は、少数の族内婚的人口集団を示唆します。

 ソフトウェアREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAからの親族関係推定)を用いて、片親性遺伝標識と死亡時の骨考古学的特性とが組み合わされ、親族関係が推定されました。READ分析は、密接な親族関係の証拠をほとんど特定しませんでした。DNA分析の基準を通過した複数の土葬遺骸のうち7個体(11個体中)でさえ、1親等もしくは2親等の親族関係には2人の全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)が含まれるだけです。これは男女の組み合わせで、男子は思春期に、女子は生後すぐに死亡しました。このキョウダイは、同一で稀なmtDNAハプロタイプ(mtHg-H39系統内)を共有しており、男子は墓地で最も一般的なY染色体DNAハプロタイプ、つまりYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185でした。複数埋葬外の乳児は、わずかに異なるmtHg-H39系統でしたが、READを用いて密接な親族関係の証拠を見つけることはできませんでした。

 低いY染色体DNAの多様性と、稀なmtDNAハプロタイプの複数の共有は両方、外来のmtDNAのほとんどの比較的最近(それ以前の千年間)の到来にも関わらず、小さく緊密な共同体を示唆します。しかし、最も重要な兆候は、青銅器時代だけではなく、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の存続から推測されるように、新石器時代末にも継続的な父系婚姻パターンを示す、在来男性系統に対するより高い多様性の外来女性系統との間の対照の維持です。ほぼ在来のY染色体DNAとほぼヨーロッパ大陸部由来のmtDNAおよび常染色体の割合との間の対照はひじょうに印象的ですが、約95%水準のヨーロッパ大陸部由来のゲノム規模祖先系統は、移民女性と在来男性とのわずか5世代もしくは100〜150年の婚姻で達することができ、結果が示唆するように、その後には孤立と族内婚が続いた、ということに要注意です。


●考察

 本論文は、中石器時代と新石器時代と青銅器時代と鉄器時代のヨーロッパ全域の多様性の文脈で、青銅器時代と鉄器時代のオークニー諸島人のゲノム多様性を調べ、先行する新石器時代オークニー諸島人の利用可能な証拠と比較しました。新石器時代オークニー諸島人のmtDNAとY染色体DNAの多様性は両方、おもに地中海とローヌ渓谷と大西洋の拡散経路からの、ブリテン島本土を経由しての定住を示しており、全体的に新石器時代ブリテン諸島人のゲノム規模分析と一致します(関連記事1および関連記事2)。この過程はおもに入植の一つでしたが、同化の可能性と在来の中石器時代父系の存続についていくつかの証拠が見つかりました。明らかに古代の在来のmtHg-U5b分枝の存在は、スコットランド西部(関連記事)およびアイルランド島(関連記事)における狩猟採集民の同化のゲノム規模観察を補完します。

 本論文は、ゲノム規模(関連記事)およびmtDNAパターンの両方で明らかな青器時代ブリテン諸島人口集団における劇的な変化がオークニー諸島でも起きた、と確証します。オークニー諸島は、実質的に最近のヨーロッパ大陸部祖先系統を有する人々により、ブリテン島本土からほぼ再定住されました。この人口統計学的変化は何世紀にもわたって起きたかもしれませんが、鉄器時代へと比較的変わらずに維持された可能性が高そうです。本論文では鉄器時代の3個体だけが分析されましたが、いずれも類似のパターンを示します。

 予期せぬことに、この移住の波にも関わらず、在来の新石器時代男性系統が、少なくともウェストレー島では青銅器時代までよく存続しました。男性の新参者の証拠はYHg-R1b1a1b(M269)の単一系統(乳児の埋葬)の存在で見られますが、他の男性は全員、在来のYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統です。この系統は、ブリテン島本土北西部のバーセイ(Birsay)の紀元後5もしくは紀元後6世紀となるピクト人単一個体で存続していますが(関連記事)、オークニー諸島では現在、単一の家族(407人の男性で検証されました)でしか見られません。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統は、ヨーロッパ西部では新石器時代末の後には他地域ではほぼ消滅し、新石器時代後のヨーロッパの考古学的遺跡では見られません。この系統は現代のブリテン諸島ではわずか1%しか見られず、現代ヨーロッパ西部のほとんどでは存在しませんが、YHg-I2a1b2(現在はI2a1a2b)-S392という最近の1つの下位クレードが、バルカン半島のスラブ人集団で劇的に拡大しました(図2・図3・図4)。

 考えられる説明は、LoNなど農耕定住の連続性と安定性と自給自足で見つけられるかもしれません。これらの成功した世帯群は、間違いなくオークニー諸島規模の新石器時代社会に加わっている一方で、地域の多様な芸術様式や物質文化や建築や儀式活動に現れる、強い地域的独自性を発展させました。こうした世帯群はたとえば、自身の長距離接触を続行したかもしれません。それはたとえば、オークニー諸島内とは異なり、遺伝的データからも最近になって父系子孫が推定された(関連記事)アイルランド島のブルーナボーニャ(Brú na Bóinne)遺跡のものと最も直接的に比較される、オーロックスと地元の墓芸術の輸入により示唆されます。新石器時代における強さの地位から、そうした定住は内部への移住を媒介し、家系管理に関して特定の選択をするよう、適切に配置されたかもしれません。

 本論文は、青銅器時代オークニー諸島におけるよく確立した新石器時代世帯群の生き残りを見ているのかもしれない、と提案します。人口集団(とゲノム)の残りのほぼ全体が置換されても、いくつかの異なる男性系統は存続しました。これらの世帯群の考古学的痕跡はとくに派手ではなかったかもしれませんが、ブリテン諸島の他地域において男性系統の多くが新参者により置換された時点から少なくとも1000年間のそれらの系統の存続は、青銅器時代オークニー諸島人について多くの場合推定されているよりもずっと少ない島嶼性孤立の指摘と同様に、他地域よりも同化の過程が長引き、おそらくはもっと交渉がなされた過程を示唆しているかもしれません。

 この提案にはいくつか注意点があります。第一に、本論文はオークニー諸島の最も辺鄙な地の一つと、特定の時点の状況を説明していますが。これは断片であり、オークニー諸島全体を表していないかもしれません。オークニー諸島の別の島であるサンデー島の単一のロプネス標本は、大陸移民の全体的パターンを確認しますが、この個体は女性なので、男性系統について情報を提供しません。全体像をより完全にするには、さらなる調査が役立てます。

 第二に、遺跡にはDNA分析を行なえない多くの火葬遺骸があります。YHg-R1b1a1b(M269)の新参者がほとんど火葬された可能性はあるでしょうか?これはなさそうです。かなりの数のBBCおよび前期青銅器時代の土葬がイングランドとスコットランドで分析されており、男性はほぼ排他的にYHg-R1b1a1b(M269)系統でした。しかし、これが当てはまる場合でも、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統の土葬における存続は、ゲノム規模(および恐らくはmtDNAでも)水準でのほぼ95%の置換にも関わらず、並外れたままです。

 ヨーロッパの文脈では、オークニー諸島青銅器時代人はヨーロッパ大陸北西端の位置としてはひじょうに対照的で、ゲノムの大半が後期新石器時代と前期青銅器時代数との間で書き換えられましたが、男性系統はなぜか存続しました。それでも、ユーラシア西部全域で見られる同じ父方居住婚慣行の観点でこの現象を理解できます。オークニー諸島の祖先分布は、在来の男性と新参の女性を含む意図的な婚姻パターンを示します。この優先的同化の過程は、新石器時代オークニー諸島人のゲノムの残りの置換の程度を考えると、多くの世代にわたって継続した可能性が高いようです。

 新石器時代社会における強力でおそらくは強く階層的な要素の存在は、アイルランド島のニューグレンジ(Newgrange)の近親交配の1親等同士の子供の発見に基づいて提案されており(関連記事)、ヨーロッパ北西部と中央部両方のアイルランド島や他の巨石文化のそれ以前の分析で予想されていました(関連記事1および関連記事2)。ニューグレンジ羨道墳の個体群を分析した研究では、強い階層的要素はアイルランド島全体を網羅していると主張され、ウェールズとオークニー諸島の類似の巨石共同体を組み込んだかもしれず、最も可能性の高い起源地はブルターニュ地方である、と主張されました(関連記事)。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は中石器時代と新石器時代両方のアイルランド島で見られ、後期新石器時代のアイルランド島における主要なまとまりであるYHg-I2a2a1a1(現在はI2a1b1a1a)-M284は、ニューグレンジの推定される上流階層系統で見られ、南ロナルドセー(South Ronaldsay)島のイズビスター(Isbister)の埋葬室のある石塚(鷲の墓)の新石器時代オークニー諸島人と一致します。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の青銅器時代オークニー諸島と新石器時代の沿岸部周辺の分布の両方の本論文のデータは、この提案をさらに支持します。ヨーロッパの新石器時代社会は、その分布の一方の極(ではあるものの、ほぼ周辺的ではありません)で、鐘状ビーカー複合と(最も可能性が高そうな)インド・ヨーロッパ語族の到来(関連記事)のずっと前に、父系的で父方居住的で階層的だったかもしれません。

 本論文のデータは、新石器時代系統が特定の農耕世帯群内で存続したことを示唆し、これは明らかに上流階層ではありませんが、何世代にもわたって特定の土地所有の管理を維持していたようです。この系統と特定の場所とのつながりは、男系での優先的継承を強く示唆します。これにより生じた連続性は、紀元前三千年紀と紀元前千年紀との間の集落の寿命に顕著に寄与した可能性が高そうです。在来男性系統は、人々と文化と言語とさらにはゲノムさえも、新参者の起源地であるヨーロッパ本土のものとより類似するよう変わっていった一方で、そのままでした。

 本論文の調査結果は、オークニー諸島への前期青銅器時代の移住を論証し、「鐘状ビーカー複合の拡大は、遺伝的に均質な人口集団への考古学的に定義された物質文化の単純な一対一の対応付けでは説明きない」との1939年に提案された認識を拡張します。その研究では、人口流入は考古学的痕跡がほとんど特定されない場合でさえ起きたかもしれない、とも強調されています。これは、従来では島嶼性孤立の発展か、遠方の上流階層の模倣か、影響の漸進的選択の結果とみなされてきた、オークニー諸島の青銅器時代慣行の起源についての批判的な再評価を促します。たとえば、手押し車や焼けた塚などの新たな記念建造物の出現をめぐる状況は、再考の必要があります。

 これらの知見がさらに広く裏づけられるならば、青銅器時代オークニー諸島は、秩序整然として持続的な移住があり、長距離交換網に関わり、新たな慣行を採用した可能性が高い、と示唆されます。青銅器時代への新石器時代系統とあり得る独自性の持久は、文化的複雑性のさらなる層を追加し、その意味するところはまだ充分には調べられていません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。オークニー諸島では、ブリテン諸島の他地域と同様に、新石器時代から前期青銅器時代にかけて人類集団のゲノムに大きな変化があり、ヨーロッパ新石器時代農耕民的な遺伝的構成から、おもにポントス・カスピ海草原起源の牧畜民的な遺伝的構成へと変わりました。この過程でヨーロッパ西部では、男系(Y染色体)でもおもにポントス・カスピ海草原起源の牧畜民由来の系統へと変わりましたが、オークニー諸島では、青銅器時代にも新石器時代以来の男系が優勢でした。

 さらにオークニー諸島では、ヨーロッパ西部においてポントス・カスピ海草原起源の牧畜民到来の考古学的指標となる鐘状ビーカー複合的要素がほとんど見られないにも関わらず、他のヨーロッパ西部と類似した人類集団の遺伝的構成の大きな変化が起きました。オークニー諸島の事例は、人口移動と文化的変容や父系との関係が、地域によっては大きく異なっていた可能性を強く示唆します。本論文は、日本列島の人口史についても重要な示唆を与えているように思います。

 日本列島も、縄文時代と現代とで人類集団の遺伝的構成に全面的な置換に近いくらいの変化があり、その大きな変化は弥生時代に始まった、と考えられます(関連記事)。ただ、この変化は弥生時代に急速に完了したのではなく、弥生時代の日本列島の人類集団は遺伝的にかなり異質で、現代日本人の遺伝的構成の確立については、少なくとも平安時代まで視野に入れる必要があるのではないか、と思います(関連記事)。

 日本列島における人類集団の遺伝的構成の大きな変化も、人口移動による遺伝的変化と新たな文化の到来として単純に図式化できないようで、たとえば弥生時代早期の九州北西部の1個体は、遺伝的には縄文時代の個体群そのものです(関連記事)。また現時点では、縄文時代の個体群は遺伝的には時空間的に広範囲にわたって比較的均質だったと考えられ、男系でも特定のYHg(D1a2a)しか確認されていませんが(関連記事)、現代日本人では、縄文時代において現時点では排他的なYHg-D1a2aの割合が約35%で、縄文時代と現代とで人類集団の遺伝的構成に全面的な置換に近いくらいの変化があったのに、男系では縄文時代系統が約1/3の割合を維持していることになります。

 ただ、この問題は複雑で、朝鮮半島の新石器時代に縄文時代個体群の祖先系統をさまざまな割合で有する個体群が確認されていることから(関連記事)、現代日本人のYHg-D1a2aを全て縄文時代個体群由来と単純に考えるのには、慎重であるべきだと思います。現代日本人のYHg-D1a2aの中には、弥生時代以降に朝鮮半島から到来したものもあるかもしれない、というわけです。おそらく、ゲノム構成と文化や男系の変容は世界各地でさまざまであり、一様に把握することはできないのでしょう。


参考文献:
Dulias K. et al.(2021): Ancient DNA at the edge of the world: Continental immigration and the persistence of Neolithic male lineages in Bronze Age Orkney. PNAS, 119, 8, e2108001119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2108001119


https://sicambre.at.webry.info/202202/article_13.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html#c8

[近代史5] スコットランド人の起源 中川隆
2. 中川隆[-13708] koaQ7Jey 2022年2月13日 13:05:25 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[14]
雑記帳
2022年02月13日
オークニー諸島における青銅器時代のヨーロッパ大陸部からの大規模移住と新石器時代男系の存続
https://sicambre.at.webry.info/202202/article_13.html


 オークニー諸島における青銅器時代のヨーロッパ大陸部からの大規模移住と新石器時代男系の存続に関する研究(Dulias et al., 2022)が公表されました。完新世の気候最適期の最後尾の恩恵を受けて、紀元前4050年から300〜400年にわたって、ブリテン島とアイルランド島全域では前期新石器時代が南方から急速に拡大しました。移住者は栽培化されたコムギやオオムギと家畜化されたヒツジやウシを、竜骨型鉢土器や土手状の囲いに関する知識とともに持ち込み、起源地としてフランス北部もしくはベルギーの可能性が高い、と示されます。

 オークニー諸島はスコットランド本土の北方に位置し、紀元前3800〜紀元前2500年頃となる新石器時代に栄え、主要な文化的中心地になりました。成功した農耕経済と長距離接触に支えられて、最初の恒久的集落が木材で建設され、その後で紀元前3300年頃以降、石造りの住居が建築されました。石の使用は意識的な設計上の選択だったようで、並外れた考古学的保存をもたらしました。

 最近のゲノム規模研究(関連記事)が、紀元前2500年頃以後となる鐘状ビーカー(Bell Beaker)文化期におけるブリテン島への大陸規模の移住の程度と速さを論証しましたが、オークニー諸島については、この大陸規模の移住への考古学的示唆は、これまでほとんどなかったか、まったく認識されていませんでした。考古学的記録における鐘状ビーカー文化および関連する物質文化の少なさは、この頃にブリテン諸島の他地域で起きた文化および人口集団の変化がオークニー諸島ではほとんど直接的影響を及ぼさず、じっさい、局所的に抵抗されたかもしれない、という指標とみなされてきました。結果として、オークニー諸島は紀元前二千年紀後半には、ほぼ島嶼的な閉鎖的軌道で発展した、と見られてきました。

 葬儀慣行の重要な変化がこの時期に出現し始め、研究は葬儀遺跡に集中してきました。ブリテン諸島北部では最大級のいくつかとなる墳丘墓が、紀元前三千年紀末頃にオークニー諸島で出現しました。これら土の塚には複数の被葬者が含まれ、順次追加され、最も頻繁に含まれたのは、土坑もしくは石棺の火葬された遺骸でした。平らな石棺墓地も土葬と火葬の両方に使用され、墓に数人の遺骸が含まれることは多かったものの、副葬品は稀でした。

 最近まで、定住遺跡の低い可視性のため、これは環境と文化の後退期だった、と考えられてきました。焦点を絞った環境分析と、クロッシークラウン(Crossiecrown)やトフツネス(Tofts Ness)などの集落に関する報告を通じて、均衡は改善され始めました。集落と葬儀遺骸を関連づける機会はひじょうに稀で、新石器時代と青銅器時代(BA)にまたがる遺跡はほとんどないため、経時的な変化の一貫した全体像を描くのは困難です。この点で、リンクスオブノットランド(Links of Noltland、略してLoN)で継続中の調査は、貴重な新しい洞察を提供しつつあります。

 LoNはオークニー諸島の最も北西に位置するウェストレー(Westray)島に位置します。例外的条件により、少なくとも紀元前3300年頃から紀元前500年頃までの広範な集落と墓地遺構が保存されました。集落の新石器時代と青銅器時代との段階間で直接的重なりはまだ検出されていませんが、居住の大きな中断の証拠はありません。青銅器時代集落は建築上の根拠で区別され、年代は紀元前2500〜紀元前1200年頃となり、3棟の家屋と付属建物から構成され、これらの家屋は新石器時代の家屋と同様に、同時代の農地景観に広がっていました。家屋は多くの場合、組み合わせて配置され、石と土盛りの混合で建てられ、少なくとも紀元前1200年頃まで使用されていました。

 これらの集落の中に位置する墓地は、少なくとも紀元前2150〜紀元前850年頃まで使われ、50以上の埋葬で構成され、100個体以上を含みます。火葬と土葬の両方が同時に行われており、単一墓内の複数埋葬は一般的でした。「鐘状ビーカー複合」の物質的証拠はブリテン島本土全体で見られますが、オークニー諸島では僅かです。2個のビーカー容器からの数点の断片が広範囲で回収され、年代は紀元前2265〜紀元前1975年頃ですが、さらなる土器もしくは認識可能な人工物は、墓地もしくは集落との関連では見つかっていません。

 古代ゲノム研究では、ブリテン島を含むヨーロッパの大半にわたって、金属器時代の文化の到来が、ポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)からの新たな祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の導入と、Y染色体ハプログループ(YHg)R1b1a1b(M269)の優勢を伴っていた、と示しました(関連記事1および関連記事2および関連記事3)。本論文は、この枠組みの文脈内でオークニー諸島のゲノム多様性を調べました。

 ゲノム規模一塩基多型(SNP)捕獲とショットガンデータが、オークニー諸島の新石器時代21個体で利用可能でしたが(関連記事1および関連記事2)、青銅器時代では1個体だけでした。青銅器時代オークニー諸島を調べるため、LoN墓地の22標本から全ゲノムショットガン配列が生成され、既知のデータとともに分析されました。ウェストレー島の西岸に位置するノウオブスケア(Knowe of Skea、略してKoS)の複数期間の儀式複合遺跡と墓地遺跡で得られた、鉄器時代3標本の新たなデータと、スコットランドおよびイングランド北部の12点のさらなる先史時代標本も含められました。


●標本

 先史時代のスコットランドの標本29点とイングランド北部の標本8点からの、ショットガンゲノムデータが提示されます。22点はオークニー諸島のウェストレー島の青銅器時代LoNで発見され、年代は紀元前1700〜紀元前1400年頃です(LoN)。ウェストレー島の鉄器時代KoSの3点は、紀元後1〜紀元後2世紀となります。シェトランド諸島のアンスト(Unst)島の鉄器時代となるミラスケッラ(Milla Skerra、略してMS)遺跡からは1点です。ヘブリディーズ諸島のスカイ島(Isle of Skye)の鉄器時代となるハイパスチャー洞窟(High Pasture Cave、略してHPC)からは1点です。スカイ島の新石器時代となるストラスグリーブ(Strath Glebe、略してSG)からは1点です。

 スコットランド北部の黒島(Black Isle)の新石器時代となるローズマーキー洞窟(Rosemarkie Cave、略してRC)からは、紀元後430〜630年頃となるピクト人の標本1点です。ノーサンバーランド(Northumberland)のローハックスアリー(Low Hauxley、略してLH)からは鐘状ビーカー期の標本1点です。北ヨークシャーのウェストヘスラートン(West Heslerton、略してWH)からは青銅器時代の標本3点です。北ヨークシャーのナプトンウオウルド(Knapton Wold、略してKW)からは鉄器時代の標本2点です。ダービーシャー(Derbyshire)のカージントンパスチャー洞窟(Carsington Pasture Cave、略してCPC)からは鉄器時代の標本2点です。

 全ゲノム網羅率は、0.0007倍から0.8207倍まで大きな違いがあります。網羅率0.009倍以上の標本でゲノム規模分析が行なわれ、平均網羅率は0.194倍です。全標本は汚染検定に合格しました(表1)。これらの標本は、前期新石器時代オークニー諸島(21個体)、および新石器時代と銅器時代(CA)と青銅器時代のヨーロッパの個体のゲノムデータ、オークニー諸島とスコットランドの現代人の1856点の新たなミトコンドリアゲノムの文脈で分析されました。


●ゲノム規模多様性

 ADMIXTURE分析(図1A)で示されるのは、青銅器時代オークニー諸島の標本群は全体的なゲノム規模特性で他のヨーロッパ北部青銅器時代の人々とよく似ており、スカイ島や他のブリテン諸島およびアイルランド島の新石器時代標本とより類似している新石器時代オークニー諸島標本群とはひじょうに異なる、ということです。新石器時代標本は全て、ポントス・カスピ海草原牧畜民との混合を最も明確に示すコーカサス狩猟採集民(CHG)構成要素(図1Aの青色)を欠いていました(関連記事)。オークニー諸島標本におけるCHGの割合は、青銅器時代と鉄器時代の両方で、他のスコットランド銅器時代および前期青銅器時代(EBA)標本群よりもやや高いものの、イングランド標本群の値の範囲内に収まります(図1A)。

 オークニー諸島現代人は、CHG構成要素の割合がさらに高く、これは、中世ヴァイキングの植民を反映しており、現代人のゲノム規模推定(関連記事)では20〜25%、現代人のY染色体(関連記事)では25〜30%の影響が推定されます。地理的および時系列的傾向は、主成分分析でより明確に描かれます(図1B)。LoN青銅器時代標本群は大まかに、ヨーロッパ北部および中央部の鐘状ビーカー期と銅器時代と青銅器時代の標本群とまとまり、KoS鉄器時代標本群は同じ広範なまとまり内に収まりました。以下は本論文の図1A・Bです。
画像

 D統計は、ゲノム間で共有された遺伝的浮動を定量化するので、個体間の類似性の程度の推定にも使えます。D(ムブティ人、検証集団;潜在的な外れ値、LoN)型式を用いて、LoNの残りと潜在的な外れ値標本とを比較することにより、対称性D統計が計算されました。LoN標本群は一貫してクレード(単系統群)を形成し、統計的に相互に区別できない、と示唆されます。D(ムブティ人、LoN;ヨーロッパBA、ヨーロッパBA)型式のD統計では、オークニー諸島のサンデー(Sanday)島のわずかに古い既知のロプネス(Lop Ness)BAと最も密接に一致した後、最も一般的な重要な類似点は、ブリテン島鐘状ビーカー複合(BBC)標本群とスコットランド青銅器時代とオークニー諸島KoS鉄器時代、フランスBBCやオランダBAなど大陸部の数個体とでした。

 外群f3統計は類似のパターンを示し、ヨーロッパBBCおよびBA標本全体の重複エラーにも関わらず、LoNがブリテン島東部、ウェールズ、アイルランド島、ヨーロッパ北西部BBCおよびBA標本群と最も密接である、と示します(図1C)。これは、オークニー諸島BAが、鐘状ビーカー期にブリテン島に到来した人々によりブリテン島本土(おそらくは東側)経由で定住した可能性が最も高い、と示します。以下は本論文の図1Cです。
画像

 ソフトウェアqpAdmは、ある人口集団から別の人口集団への、遺伝子流動もしくは混合の方向性と程度を推定するために、f4統計(D統計と類似しています)を要約します。ADMIXTUREにより示される3つの主要な構成要素、つまり草原地帯と「アナトリア半島新石器時代農耕民(ANF)」と「ヨーロッパ西部狩猟採集民(WHG)」を用いて、混合割合をqpAdmでモデル化すると、LoNの各祖先系統の割合は、草原地帯が55%、ANFが33%、WHGが12%で、ブリテン島全域の既知のBA標本群とほぼ同様です。LoN人口集団に寄与した人口集団は、これら3構成要素の混合だった可能性が高そうです。

 LoNのより近い供給源を特定するため、可能性があるさまざまな前期新石器時代人口集団と、後期新石器時代/前期青銅器時代人口集団がモデル化されました(表2)。オークニー諸島BA標本群は、在来の新石器時代人口集団4〜7%とスコットランドBBC人口集団93〜96%の割合だけではなく、在来の新石器時代人口集団1〜5%とフランスBBC人口集団95〜99%もしくは在来の新石器時代人口集団1%とデンマークBA人口集団99%でモデル化されます。

 標準誤差(SE)により示唆される不確実性にも関わらず、これらの結果は明確に、EBAまでにヨーロッパ大陸部BBC移民と関連する人々による新石器時代の人々のひじょうに高水準の置換を意味し、在来集団の遺伝子プールは最大で5%しか同化されませんでした。しかし、BBC移民の子孫はオークニー諸島に到達した時までに、オークニー諸島における鐘状ビーカー関連物質文化がほとんどないことに反映されているように、その鐘状ビーカー複合との関わりを失っていたようです。

 したがって、ゲノム規模分析からの状況は、後期新石器時代と前期青銅器時代との間のオークニー諸島人口集団間のかなりの置換を示唆し、これはブリテン島本土で見られる置換(関連記事)と類似しています。しかし、片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)体系により示されるパターン間の驚くべき予期せぬ違いがあり、この過程がどのように起きたのか、より詳細に明らかにすることができます。


●ミトコンドリアDNAの多様性

 前期新石器時代オークニー諸島標本(21個体)には、ヨーロッパ新石器時代に特徴的なミトコンドリアDNA(mtDNA)が含まれており、おもに西方新石器時代からの定住を示唆しますが、ドナウ川新石器時代からのわずかな寄与もあります。対照的に、青銅器時代LoNのmtDNA系統一式はひじょうに異なります。少数派のH系統が多数あり、mtDNAハプログループ(mtHg)には、H39(4個体)やH58aやH+195やH1n1(2個体)があります。

 その他のmtHgでは、2個体のJ1c2aと3個体のT2a1b1a(唯一の既知のオークニー諸島青銅器時代標本であるロプネス遺跡の前期青銅器時代個体と一致します)、2個体のT2b21、2個体のU5b2a3、1個体のK1a3a、1個体のK1a29a、1個体のK1c2もあります。これらの個体群のうち8個体(H39のうち3個体、T2a1bの3個体全員、2個体のU5b2a3、1個体のK1a3a)は複数埋葬の一部で、そのうち2つは近縁関係にありました。複数埋葬の男性も、全員同じYHg- I2a1b(現在はI2a1a2)-M423とI2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185を有していました。

 青銅器時代LoN系統のほとんどが分類されるまとまりの年代および地理的分布から、そのほとんどは在来の新石器時代集団から継承されたのではなく、後に到来した、と示唆されます。古代DNA研究では、その多くはヨーロッパ大陸部の縄目文土器文化(Corded Ware Culture)かBBCか青銅器時代の人口集団と関連しています。たとえば、mtHg-T2a1b1はドイツの縄目文土器文化で見られますが、mtHg-T2b21はドイツとチェコのBBC系統と一致します。mtHg-H39およびK1c2系統は既知の古代DNAデータでは見られませんが、現代の系統はヨーロッパ北部に限定されており、それぞれ紀元前3000年頃と紀元前2600年頃にさかのぼります。これも、紀元前3000〜紀元前2500年頃のヨーロッパ北部全域での縄目文土器文化拡大の供給源を示唆します。

 mtHg- J1c2*やK1a3aやH1n1やH58aやH+195などいくつかの系統は解決困難ですが、その分布は、BBCの到来と一致する各事例にあります。しかし現時点では、在来の新石器時代供給源を確証的には除外できません。鉄器時代KoS遺骸(3個体)には、同一のmtHg-H1b系統の2個体と1個体のmtHg-U5a1b1aが含まれ、両方ともヨーロッパ大陸部のBBCもしくは縄目文土器文化に起因する可能性があります。

 オークニー諸島の鐘状ビーカー期前にさかのぼる可能性が最も高い系統はLoNの2個体で見られるU5b2a3+16319で、本論文ではU5b2a3bと命名されます。mtHg-U5b2a3は紀元前8500年頃までさかのぼり、スコットランドとウェールズ両方の前期新石器時代個体で見られるので、オークニー諸島のmtHg-U5b2a3個体群は、ブリテン諸島の新石器時代から青銅器時代への連続性の可能性を表しています。

 興味深いことに、mtHg-U5b2a3はブリテン諸島の現代人1個体と、アメリカ合衆国のヴァージニア州(イギリスの植民地として設立されました)の1個体でも見られ、現代までの連続性の可能性が示唆されます。じっさい、新石器時代のオークニー諸島とスコットランドと特に中石器時代のアイルランド島で見られるmtHg-U5b2a*、およびmtHg-U5b2a3自体も、新石器時代のアイルランド島で見られ(関連記事)、現代のオークニー諸島とシェトランド諸島でのmtHg-U5b2系統の存在とともに、mtHg-U5b2a3bを含む一部のU5b2系統が、現代のブリテン島とアイルランド島で生き残っている最古の系統の一部を示しているかもしれず、在来の中石器時代系統の可能性さえあります。


●Y染色体の多様性

 新石器時代オークニー諸島では既知の16のY染色体DNAハプロタイプがあり、そのうち14はよく解明されているようです。この14のハプロタイプはYHg-I2aで、そのうち7つはYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423、4つはYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185、1つはYHg-I2a2(現在はI2a1b)-S33、1つはYHg-I2a2a1b(現在はI2a1b1a2)-CTS10057、1つはHg-I2a2a1a2(現在はI2a1b1a1b1)-Y3679で、残りはよく解明されていないYHg-IおよびI2です。

 青銅器時代LoNでは、ゲノム規模および女性系統の大半はBBCもしくは青銅器時代とともにブリテン諸島とオークニー諸島に到来した可能性が最も高そうですが、9つのY染色体DNA系統のうち1つを除いてYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423で、残りの1つはYHg-R1b1a1b(M269)です。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)内では異なる4ハプロタイプが見つかり、それはYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423およびYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185と、より派生的なYHg-I2a1b1a1b(現在はI2a1a2a1a2)-A1150とYHg-I2a1b1a1b1(現在はI2a1a2a1a2a)-A8742です。

 このYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の優勢には驚くべきです。なぜならば、銅器時代および青銅器時代のヨーロッパの他地域では、この系統が完全に存在せず、YHg-R1b1a1b(M269)が圧倒的に優勢だからです(図2・図3・図4)。たとえば、ブリテン島のBBC期の男性21個体のデータセットでは、20個体がYHg-R1b1a1b(M269)で、1個体だけがYHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223です。銅器時代と前期青銅器時代のブリテン島とアイルランド島の標本群を含めた場合、男性43個体のうち41個体がYHg-R1b1a1b(M269)で、YHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223は2個体、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はいません。以下は本論文の図2です。
画像

 したがって、青銅器時代LoN標本のうち単一のYHg-R1b1a1b(M269)系統の個体を除いて、全男性は新石器時代のY染色体DNAの総体の部分集合を有しています。これらがブリテン諸島のさらに南方からBBCもしくは青銅器時代の移民によりもたらされた可能性はほとんどありません。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はヨーロッパのBBCもしくは青銅器時代に見られなかっただけではなく、ヨーロッパ新石器時代においてさえ少数派系統でした。ヨーロッパ新石器時代の既知の男性389個体のうち、12%(47個体)だけがYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423を有しており、そのうち40%(47個体のうち19個体)がブリテン諸島かアイルランド島に由来し、ブリテン諸島のほとんどはオークニー諸島に由来します(図3および図4)。以下は本論文の図3です。
画像

 ブリテン諸島とアイルランド島でさえ、オークニー諸島以外ではほとんどのY染色体DNA系統は、YHg-I2a2(現在はI2a1b)-S33かYHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223ですが(図3)、不思議なことに、本論文におけるスカイ島の新石器時代1個体はひじょうに稀なYHg-I2a2b(現在はI2a1b2a)-S154で、他では中期新石器時代のフランスでだけ見られます(関連記事)。YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、西方新石器時代のブリテン諸島とアイルランド島にほぼ限定されているようで、ブリテン諸島とアイルランド島では、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は稀に、YHg-I2a2a(現在はI2a1b1)-M223や、まだ新石器時代ブリテン島では見つかっていないYHg-I2a1a(現在はI2a1a1)-CTS595とともとに見られます。これは恐らく、オークニー諸島とアイルランド島とブリテン島西部および北部で共有される残存系統の分布を示唆しています。以下は本論文の図4です。
画像

 結果は、新石器時代の男性系統の同化がひじょうに稀だっただけではなく、新石器時代ブリテン島本土の少数派を形成したYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の同化が、起きたとしてもさらに稀だったに違いなかった、というものです。青銅器時代LoNのYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統は、在来のオークニー諸島新石器時代人から存続し、ブリテン島本土新石器時代集団によりもたらされたわけではなかった、と本論文は結論づけます。対照的に、同じくウェストレー島の鉄器時代KoS遺跡の標本抽出された2個体は、YHg-R1b1a1b(M269)です。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、最初の農耕民とともにオークニー諸島にもたらされた可能性が高そうです。新石器時代には、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423はほぼ、地中海西部からバルト海のヨーロッパの大西洋前面周辺に分布していました。ブリテン諸島以外では、ほとんどのYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統はスペインとフランスの中期および後期新石器時代に由来し、ドイツでは1個体、スウェーデンではわずかに確認されており、スウェーデンのゴットランド島の遺跡(関連記事)では、遺伝子型決定された男性4個体全員がYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423です(図4)。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は、中石器時代アイルランド島を含むヨーロッパ北部および中央部の狩猟採集民数個体にも存在します。この分布と、ともに7000年前頃となる、YHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S1852とYHg-I2a1b2(現在はI2a1a2b)-S392という2つの主要な下位クレードの分子時計と、祖先的系統が現在でもイベリア半島に存続しているという証拠から、ヨーロッパ南西部への新石器時代拡大期における狩猟採集民からの同化と、続いてヨーロッパ北西部および北部への新石器時代拡散が続いたことを示唆するものの、ヨーロッパ北部におけるいくつかのさらなる同化もあり得ました。


●同型接合連続領域と親族関係

 プログラムhapROHを用いて、ROH(runs of homozygosity)が評価されました。ROHとは、両親からそれぞれ受け継いだと考えられる同じアレル(対立遺伝子)のそろった状態が連続するゲノム領域(同型接合連続領域)で、長いROHを有する個体の両親は近縁関係にある、と推測されます。ROHは人口集団の規模と均一性を示せます。ROH区間の分布は、有効人口規模と、1個体内のハプロタイプの2コピー間の最終共通祖先の時間を反映しています(関連記事)。青銅器時代LoN標本群の特性は、小さな有効人口規模を示唆しますが、最大で三従兄弟までとなる最近の親族関係の証拠はありません。HapROHは、有効人口規模を約400人と推定しました。これは、新石器時代オークニー諸島からの大きな減少で、新石器時代やBBCや青銅器時代のブリテン島とヨーロッパの他地域よりもずっと少ないことになります。これらの結果は、少数の族内婚的人口集団を示唆します。

 ソフトウェアREAD(Relationship Estimation from Ancient DNA、古代DNAからの親族関係推定)を用いて、片親性遺伝標識と死亡時の骨考古学的特性とが組み合わされ、親族関係が推定されました。READ分析は、密接な親族関係の証拠をほとんど特定しませんでした。DNA分析の基準を通過した複数の土葬遺骸のうち7個体(11個体中)でさえ、1親等もしくは2親等の親族関係には2人の全キョウダイ(両親が同じキョウダイ)が含まれるだけです。これは男女の組み合わせで、男子は思春期に、女子は生後すぐに死亡しました。このキョウダイは、同一で稀なmtDNAハプロタイプ(mtHg-H39系統内)を共有しており、男子は墓地で最も一般的なY染色体DNAハプロタイプ、つまりYHg-I2a1b1(現在はI2a1a2a)-S185でした。複数埋葬外の乳児は、わずかに異なるmtHg-H39系統でしたが、READを用いて密接な親族関係の証拠を見つけることはできませんでした。

 低いY染色体DNAの多様性と、稀なmtDNAハプロタイプの複数の共有は両方、外来のmtDNAのほとんどの比較的最近(それ以前の千年間)の到来にも関わらず、小さく緊密な共同体を示唆します。しかし、最も重要な兆候は、青銅器時代だけではなく、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の存続から推測されるように、新石器時代末にも継続的な父系婚姻パターンを示す、在来男性系統に対するより高い多様性の外来女性系統との間の対照の維持です。ほぼ在来のY染色体DNAとほぼヨーロッパ大陸部由来のmtDNAおよび常染色体の割合との間の対照はひじょうに印象的ですが、約95%水準のヨーロッパ大陸部由来のゲノム規模祖先系統は、移民女性と在来男性とのわずか5世代もしくは100〜150年の婚姻で達することができ、結果が示唆するように、その後には孤立と族内婚が続いた、ということに要注意です。


●考察

 本論文は、中石器時代と新石器時代と青銅器時代と鉄器時代のヨーロッパ全域の多様性の文脈で、青銅器時代と鉄器時代のオークニー諸島人のゲノム多様性を調べ、先行する新石器時代オークニー諸島人の利用可能な証拠と比較しました。新石器時代オークニー諸島人のmtDNAとY染色体DNAの多様性は両方、おもに地中海とローヌ渓谷と大西洋の拡散経路からの、ブリテン島本土を経由しての定住を示しており、全体的に新石器時代ブリテン諸島人のゲノム規模分析と一致します(関連記事1および関連記事2)。この過程はおもに入植の一つでしたが、同化の可能性と在来の中石器時代父系の存続についていくつかの証拠が見つかりました。明らかに古代の在来のmtHg-U5b分枝の存在は、スコットランド西部(関連記事)およびアイルランド島(関連記事)における狩猟採集民の同化のゲノム規模観察を補完します。

 本論文は、ゲノム規模(関連記事)およびmtDNAパターンの両方で明らかな青器時代ブリテン諸島人口集団における劇的な変化がオークニー諸島でも起きた、と確証します。オークニー諸島は、実質的に最近のヨーロッパ大陸部祖先系統を有する人々により、ブリテン島本土からほぼ再定住されました。この人口統計学的変化は何世紀にもわたって起きたかもしれませんが、鉄器時代へと比較的変わらずに維持された可能性が高そうです。本論文では鉄器時代の3個体だけが分析されましたが、いずれも類似のパターンを示します。

 予期せぬことに、この移住の波にも関わらず、在来の新石器時代男性系統が、少なくともウェストレー島では青銅器時代までよく存続しました。男性の新参者の証拠はYHg-R1b1a1b(M269)の単一系統(乳児の埋葬)の存在で見られますが、他の男性は全員、在来のYHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統です。この系統は、ブリテン島本土北西部のバーセイ(Birsay)の紀元後5もしくは紀元後6世紀となるピクト人単一個体で存続していますが(関連記事)、オークニー諸島では現在、単一の家族(407人の男性で検証されました)でしか見られません。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統は、ヨーロッパ西部では新石器時代末の後には他地域ではほぼ消滅し、新石器時代後のヨーロッパの考古学的遺跡では見られません。この系統は現代のブリテン諸島ではわずか1%しか見られず、現代ヨーロッパ西部のほとんどでは存在しませんが、YHg-I2a1b2(現在はI2a1a2b)-S392という最近の1つの下位クレードが、バルカン半島のスラブ人集団で劇的に拡大しました(図2・図3・図4)。

 考えられる説明は、LoNなど農耕定住の連続性と安定性と自給自足で見つけられるかもしれません。これらの成功した世帯群は、間違いなくオークニー諸島規模の新石器時代社会に加わっている一方で、地域の多様な芸術様式や物質文化や建築や儀式活動に現れる、強い地域的独自性を発展させました。こうした世帯群はたとえば、自身の長距離接触を続行したかもしれません。それはたとえば、オークニー諸島内とは異なり、遺伝的データからも最近になって父系子孫が推定された(関連記事)アイルランド島のブルーナボーニャ(Brú na Bóinne)遺跡のものと最も直接的に比較される、オーロックスと地元の墓芸術の輸入により示唆されます。新石器時代における強さの地位から、そうした定住は内部への移住を媒介し、家系管理に関して特定の選択をするよう、適切に配置されたかもしれません。

 本論文は、青銅器時代オークニー諸島におけるよく確立した新石器時代世帯群の生き残りを見ているのかもしれない、と提案します。人口集団(とゲノム)の残りのほぼ全体が置換されても、いくつかの異なる男性系統は存続しました。これらの世帯群の考古学的痕跡はとくに派手ではなかったかもしれませんが、ブリテン諸島の他地域において男性系統の多くが新参者により置換された時点から少なくとも1000年間のそれらの系統の存続は、青銅器時代オークニー諸島人について多くの場合推定されているよりもずっと少ない島嶼性孤立の指摘と同様に、他地域よりも同化の過程が長引き、おそらくはもっと交渉がなされた過程を示唆しているかもしれません。

 この提案にはいくつか注意点があります。第一に、本論文はオークニー諸島の最も辺鄙な地の一つと、特定の時点の状況を説明していますが。これは断片であり、オークニー諸島全体を表していないかもしれません。オークニー諸島の別の島であるサンデー島の単一のロプネス標本は、大陸移民の全体的パターンを確認しますが、この個体は女性なので、男性系統について情報を提供しません。全体像をより完全にするには、さらなる調査が役立てます。

 第二に、遺跡にはDNA分析を行なえない多くの火葬遺骸があります。YHg-R1b1a1b(M269)の新参者がほとんど火葬された可能性はあるでしょうか?これはなさそうです。かなりの数のBBCおよび前期青銅器時代の土葬がイングランドとスコットランドで分析されており、男性はほぼ排他的にYHg-R1b1a1b(M269)系統でした。しかし、これが当てはまる場合でも、YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423系統の土葬における存続は、ゲノム規模(および恐らくはmtDNAでも)水準でのほぼ95%の置換にも関わらず、並外れたままです。

 ヨーロッパの文脈では、オークニー諸島青銅器時代人はヨーロッパ大陸北西端の位置としてはひじょうに対照的で、ゲノムの大半が後期新石器時代と前期青銅器時代数との間で書き換えられましたが、男性系統はなぜか存続しました。それでも、ユーラシア西部全域で見られる同じ父方居住婚慣行の観点でこの現象を理解できます。オークニー諸島の祖先分布は、在来の男性と新参の女性を含む意図的な婚姻パターンを示します。この優先的同化の過程は、新石器時代オークニー諸島人のゲノムの残りの置換の程度を考えると、多くの世代にわたって継続した可能性が高いようです。

 新石器時代社会における強力でおそらくは強く階層的な要素の存在は、アイルランド島のニューグレンジ(Newgrange)の近親交配の1親等同士の子供の発見に基づいて提案されており(関連記事)、ヨーロッパ北西部と中央部両方のアイルランド島や他の巨石文化のそれ以前の分析で予想されていました(関連記事1および関連記事2)。ニューグレンジ羨道墳の個体群を分析した研究では、強い階層的要素はアイルランド島全体を網羅していると主張され、ウェールズとオークニー諸島の類似の巨石共同体を組み込んだかもしれず、最も可能性の高い起源地はブルターニュ地方である、と主張されました(関連記事)。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423は中石器時代と新石器時代両方のアイルランド島で見られ、後期新石器時代のアイルランド島における主要なまとまりであるYHg-I2a2a1a1(現在はI2a1b1a1a)-M284は、ニューグレンジの推定される上流階層系統で見られ、南ロナルドセー(South Ronaldsay)島のイズビスター(Isbister)の埋葬室のある石塚(鷲の墓)の新石器時代オークニー諸島人と一致します。

 YHg-I2a1b(現在はI2a1a2)-M423の青銅器時代オークニー諸島と新石器時代の沿岸部周辺の分布の両方の本論文のデータは、この提案をさらに支持します。ヨーロッパの新石器時代社会は、その分布の一方の極(ではあるものの、ほぼ周辺的ではありません)で、鐘状ビーカー複合と(最も可能性が高そうな)インド・ヨーロッパ語族の到来(関連記事)のずっと前に、父系的で父方居住的で階層的だったかもしれません。

 本論文のデータは、新石器時代系統が特定の農耕世帯群内で存続したことを示唆し、これは明らかに上流階層ではありませんが、何世代にもわたって特定の土地所有の管理を維持していたようです。この系統と特定の場所とのつながりは、男系での優先的継承を強く示唆します。これにより生じた連続性は、紀元前三千年紀と紀元前千年紀との間の集落の寿命に顕著に寄与した可能性が高そうです。在来男性系統は、人々と文化と言語とさらにはゲノムさえも、新参者の起源地であるヨーロッパ本土のものとより類似するよう変わっていった一方で、そのままでした。

 本論文の調査結果は、オークニー諸島への前期青銅器時代の移住を論証し、「鐘状ビーカー複合の拡大は、遺伝的に均質な人口集団への考古学的に定義された物質文化の単純な一対一の対応付けでは説明きない」との1939年に提案された認識を拡張します。その研究では、人口流入は考古学的痕跡がほとんど特定されない場合でさえ起きたかもしれない、とも強調されています。これは、従来では島嶼性孤立の発展か、遠方の上流階層の模倣か、影響の漸進的選択の結果とみなされてきた、オークニー諸島の青銅器時代慣行の起源についての批判的な再評価を促します。たとえば、手押し車や焼けた塚などの新たな記念建造物の出現をめぐる状況は、再考の必要があります。

 これらの知見がさらに広く裏づけられるならば、青銅器時代オークニー諸島は、秩序整然として持続的な移住があり、長距離交換網に関わり、新たな慣行を採用した可能性が高い、と示唆されます。青銅器時代への新石器時代系統とあり得る独自性の持久は、文化的複雑性のさらなる層を追加し、その意味するところはまだ充分には調べられていません。


 以上、本論文についてざっと見てきました。オークニー諸島では、ブリテン諸島の他地域と同様に、新石器時代から前期青銅器時代にかけて人類集団のゲノムに大きな変化があり、ヨーロッパ新石器時代農耕民的な遺伝的構成から、おもにポントス・カスピ海草原起源の牧畜民的な遺伝的構成へと変わりました。この過程でヨーロッパ西部では、男系(Y染色体)でもおもにポントス・カスピ海草原起源の牧畜民由来の系統へと変わりましたが、オークニー諸島では、青銅器時代にも新石器時代以来の男系が優勢でした。

 さらにオークニー諸島では、ヨーロッパ西部においてポントス・カスピ海草原起源の牧畜民到来の考古学的指標となる鐘状ビーカー複合的要素がほとんど見られないにも関わらず、他のヨーロッパ西部と類似した人類集団の遺伝的構成の大きな変化が起きました。オークニー諸島の事例は、人口移動と文化的変容や父系との関係が、地域によっては大きく異なっていた可能性を強く示唆します。本論文は、日本列島の人口史についても重要な示唆を与えているように思います。

 日本列島も、縄文時代と現代とで人類集団の遺伝的構成に全面的な置換に近いくらいの変化があり、その大きな変化は弥生時代に始まった、と考えられます(関連記事)。ただ、この変化は弥生時代に急速に完了したのではなく、弥生時代の日本列島の人類集団は遺伝的にかなり異質で、現代日本人の遺伝的構成の確立については、少なくとも平安時代まで視野に入れる必要があるのではないか、と思います(関連記事)。

 日本列島における人類集団の遺伝的構成の大きな変化も、人口移動による遺伝的変化と新たな文化の到来として単純に図式化できないようで、たとえば弥生時代早期の九州北西部の1個体は、遺伝的には縄文時代の個体群そのものです(関連記事)。また現時点では、縄文時代の個体群は遺伝的には時空間的に広範囲にわたって比較的均質だったと考えられ、男系でも特定のYHg(D1a2a)しか確認されていませんが(関連記事)、現代日本人では、縄文時代において現時点では排他的なYHg-D1a2aの割合が約35%で、縄文時代と現代とで人類集団の遺伝的構成に全面的な置換に近いくらいの変化があったのに、男系では縄文時代系統が約1/3の割合を維持していることになります。

 ただ、この問題は複雑で、朝鮮半島の新石器時代に縄文時代個体群の祖先系統をさまざまな割合で有する個体群が確認されていることから(関連記事)、現代日本人のYHg-D1a2aを全て縄文時代個体群由来と単純に考えるのには、慎重であるべきだと思います。現代日本人のYHg-D1a2aの中には、弥生時代以降に朝鮮半島から到来したものもあるかもしれない、というわけです。おそらく、ゲノム構成と文化や男系の変容は世界各地でさまざまであり、一様に把握することはできないのでしょう。


参考文献:
Dulias K. et al.(2021): Ancient DNA at the edge of the world: Continental immigration and the persistence of Neolithic male lineages in Bronze Age Orkney. PNAS, 119, 8, e2108001119.
https://doi.org/10.1073/pnas.2108001119


https://sicambre.at.webry.info/202202/article_13.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/290.html#c2

[番外地10] 消費税は輸出企業だけを優遇するのが目的 中川隆
1. 中川隆[-13707] koaQ7Jey 2022年2月13日 15:19:39 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[15]
大きな政府では輸出企業が最優先される _ 消費税は輸出企業を最優遇する税制
消費税が初めて取り入れられたのは1989年4月だった。この年はバブルの真っ最中だったが、消費税3%が取り入れられた翌年からバブルは崩壊していき、1997年に消費税が5%になったら日本はますます不景気になって若年層の格差問題が広がっていった。
最悪なのは、日本人に課せられている税金は消費税だけではないことだ。
所得税、住民税、固定資産税、国民年金、介護保険料、復興税、自動車税、ガソリン税、酒税、タバコ税、贈与税、相続税……等々、ありとあらゆる税金を取られている。

現在、サラリーマンの税金・保険料負担は50%に届こうとしているのだ。月に30万円を稼げば15万円は税金で消えていくということだ。年間にすると180万円の税金負担を課せられてる。

日本の財政は長らく増税と予算膨張を繰り返してきた。それが自民党の政治である。政府がより多く徴収し、より多く資金の使用先を決めるということである。

この政治方針のことを大きな政府と言う。逆により少なく徴収しより少なく使用する政府を小さな政府と呼ぶ。そして世界の常識では大きな政府は左派、小さな政府は右派なのである。

これは共産主義とは何であるかを考えてみれば当然である。共産主義とは政府が資源の配分を決めるやり方であり、政府が国民から資金を徴収して誰に振り分けるかを決める大きな政府は、共産主義の定義そのものであり、当然ながら左派である。

政府に予算の使い方を決めさせればどうなるか、日本国民はコロナ禍で思い知ったはずである。コロナ禍で多くの国民が金銭的、時間的、精神的負担を払っている時に自民党が行なったのはGO TOトラベルと東京オリンピックだった。

日本人は東京オリンピックに3兆円が費やされたという事実を本当に分かっているのだろうか? 東京の真ん中に打ち立てられた巨大な便器だけでも1,569億円も日本人は払ったのである。

打ち立てるにしてももう少しマシなものはなかったのだろうか。GO TOトラベルも含め、すべては自民党が国民から徴収して自分の票田にばら撒くためだけの政策である。

こうした無駄な税金は減らすことが出来ない訳ではない。誰も文句を言わないから減らないだけである。これだけのことをされても日本国民は笑いながら自民党に投票する。だから減らないのである。

また、経済学的な観点からも消費税は撤廃して所得税と法人税に一本化すべきである。所得税や法人税は個人や企業の利益にかかるが、消費税は経済のトランザクションそのものにかかる。

消費税は経済活動を阻害する悪法なのだが、何故自民党が消費増税を好んで法人減税を行いたがるかと言えば、消費税は海外での売上には掛からないため、大企業は消費税をほとんど払っていないからである。経団連が大喜びというわけである。

▲△▽▼

大きな政府は間違いだった _ 自民党にだけは投票してはいけない理由


自民党が大好きな大きな政府では世の中が不要なものであふれかえる世界になる。
どの企業が経済活動を続けるべきで、この企業が続けるべきではないか、つまりどのような製品が作られるべきで、どのような製品が作られるべきではないかを、消費者の需要ではなく政治家が決定していたのが、市場が政府によって操作された大きな政府である。
彼らは東京五輪やGO TOトラベルのように、資金を経済成長ではなく票田への撒き餌を目的として振り分ける。
そもそも何故政府は金利をコントロールしたかったのか? 政治家が自分の票田にお金をばら撒くための資金を政府予算から持ってくるためには借金のコストが低い必要があったからである。

国民のためを考えるならば、金利は市場に任せておけば良かったはずである。
現代の経済学者はインフレを善とし、インフレターゲットなる言葉まで作られた。
インフレとは需要に対して供給が不足していることであり、物が足りないことである。
インフレは現代の経済学では善とされており、結果としてのインフレではなくインフレ自体をターゲットとした政策が平然と行われている。

何故インフレが政治家や経済学者の間で好まれたのだろうか? それは政治家が支出を好むという事実と関係している。政府が財政出動により人々を失業から救わなければならないというのは現代の経済学ではケインズからの伝統である。

ケインズはその著書のなかで、無意味に穴を掘るだけの事業であっても公共事業として効果がありうると主張している。政治家は自分の票田に金を配ることを主な仕事としているので、ケインズのこうした主張が彼らに受けたことは自然な帰結である。

公共事業は失業を救うか

しかしそれが経済学的に正しいかどうかは別の問題である。ハイエク氏は次のように述べている。

現在の通貨の問題の主な原因は、当然ながらケインズとその弟子が、支出の総額増やせば繁栄と完全雇用を長期的に約束できるという古い迷信に科学的権威を与えたと思い込んでいることにある。

公共事業自体はケインズ以前から存在する古い迷信である。しかしそれが戦後の世界秩序の決定に大きな役割を果たした著名人ケインズによって流布されたことで神格化され、世界中の政府と中央銀行の不文律のようになってしまった。

しかしトランプ政権によるインフラ投資は実際に経済を押し上げたではないか? それは勿論そうである。
通貨の量が増加することによって雇用が急速に増大し、最短経路で完全雇用に達することは勿論否定されていない。
しかし問題はそこではない。それが長期的に見ても本当にプラスに働いているのかということである。

公共事業がいかに失業を生むか

何故公共事業が長期的には失業を生むか。
すべての職種に対して画一的に同じ給与を決めることができないように、総需要を操作してすべての労働に対する需要と供給を均衡させることはできない。

雇用の量は経済の各部門の需要と供給が一致することで決まる。つまりは経済のどの部門にどのような需要があり、どういう賃金が割り振られているかによって決まるということである。
問題は紙幣印刷や公共事業などのインフレ政策が局所的には多大な不均衡を生むということである。GDPで全体の大きさだけを気にすることが常習化した現代においてはこの重要な点が容易に無視されてしまう。

紙幣印刷は経済のどの部分にどれだけの需要が本当に必要かを考えずに経済全体の貨幣量を増やす。公共事業は政府が恣意的に選んだ受益者にだけ大量の資金を投下する。

どちらの方法でも本当に必要な場所に資金が行くことはない。現代の量的緩和バブルでも株式市場がまず上がって実体経済にはなかなか反映されないのと同じである。結果としてインフレは起こるわけだが、オーストリア出身のハイエク氏は1920年代に起こったインフレにおいて街の様子がどうなったかを描写している。

ウィーンの中心街では多くの有名なカフェが街角の一等地から追い出され、銀行の新しい事務所が取って代わった。

こうした政府による資金投下バブルで一番に利益を得るのはいつも金融業である。金融など一部の分野がバブルで先に得をし、他の業種を追い出してゆく。先進国政府が何年も紙幣を刷り続けた結果、富の不均衡が起こり、アメリカでは暴動に発展している。

しかしインフレになったことで銀行業が飲食店より経済的に重要になったという事実はない。それでも紙幣印刷によって膨張した貨幣量は経済に一様には注ぎ込まれず、一部の業種にバブルを引き起こしてゆく。

しかし例えばハイエク氏の例では不必要に増やされた銀行の職員は長期的には必要ではなくなってゆく。ハイエク氏はそのインフレの時代の顛末をこう語っている。

銀行が事業を縮小するか倒産しなければならなくなり、何千人もの銀行員が失業者の行列を作った時代を過ぎ去るとカフェは戻ってきた。

しかし本来はカフェの従業員は一等地から追い出されて失業する必要はなかったし、大量の新しい銀行員がその後失業者の列となる必要もなかった。これがインフレ政策による長期的失業の増加である。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/308.html#c1

[リバイバル3] 超軽量の美濃漉き和紙コーンを使った芸術品、世界最高峰のロクハン アシダボックス 6P-HF1 中川隆
57. 2022年2月13日 15:40:48 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[16]
Ashidavox 6P-HF1
http://www7b.biglobe.ne.jp/~ballds/spF8046.html>


珍しく日本製のスピーカー・ユニットで、16pフルレンジ・スピーカーです。、アルニコ・マグネットですが、そんなに大きなマグネットではありません。  メーカーのアシダ音響はPA用の拡声器やイヤーフォン等も作っており、このスピーカーがオーディオ用に作られたかは不明ですが、隠れた名機として、一部では有名で、最近では非常に入手しにくくなっています。  このシリーズ、16pと20pがありますが、16pが1本だけ入手できたので、モノラルで使用します。

コーン氏を美濃和紙で作られており、その質量がとても軽くて、この軽さが応答速度の速い音の性格を作っているようです。 今まで聞いてきた中では、ローサーに鳴り方が似ています。 中域が厚く、サックス等も気持ちの良い音でなってくれます。 小編成のジャズやラシックをうまくならしてくれそうです。
昔ローサーを入れていた箱が空いていたので、それに入れて鳴らしております。 ローサーでは少し容量が足りない感じでしたが、16pと少し小さめなので、このスピーカーにはちょうど良いかもしれません。 

仕様: 16cm フルレンジ・スピーカー 
入力インピーダンス: 8オーム
出力音圧レベル: 97dB

http://www7b.biglobe.ne.jp/~ballds/spF8046.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/956.html#c57

[近代史4] 谷川岳 中川隆
3. 2022年2月13日 16:13:36 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[17]

死者数ギネス記録を持つ日本の超絶ヤバイ山"谷川岳"について解説【ゆっくり解説
2022/02/12



00:00 OP
01:03 谷川岳の基本情報
04:40 谷川岳の遺体宙づり事件
10:08 その他、谷川岳で起きた事故

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/328.html#c3
[近代史7] 『デスフォレスト 恐怖の森(第1作)』(NSW 2014年) - youtube動画 中川隆
3. 2022年2月13日 19:22:06 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[18]
デスフォレスト 恐怖の森4




スタッフ
監督・撮影 - 鳥居康剛[14][15][16][17]
脚本 - 小此木聡[14][15][16][17]
原作 - Kazz[14][15][16][17]
音楽 - YU NAMIKOSHI [14][15][16][17]
配給 NSW
公開 2016年4月23日公開


人気フリーホラーゲームを映像化したシリーズ第四弾。監督は前作同様、鳥居康剛。女性アイドルグループアイドルカレッジの冨田樹梨亜が映画初主演を務めた。2016年4月23日に公開された。

ストーリー
様々な犠牲を払いながらも巨大な顔の怪物を葬ることに成功した内田だったが、攻防の際に唯一の理解者・畠山が命を落としてしまう。 畠山は娘・沙織に茶色い封筒を託していたが、この世にいないはずの畠山から封筒を届けて欲しいといったメールが届く。畠山に会いに行こうとする沙織だったが、畠山がこの世にいないことを知っている内田が引き留めようとするも、失敗。 沙織は指定された廃墟へたどり着いたところで目にしたものは、不気味な老婆と異形の者たち、そして巨大な顔の怪物であった。

キャスト
沙織 - 冨田樹梨亜(アイドルカレッジ)[14][15][16][17]
秋村里香 - 君島光輝[14][15][16][17]
久美 - サイボーグかおり[14][15][16][17]
小杉紘太[14][15][16][17]
古澤武 - チャッピー大岩[14][15][16][17]
須藤勝子 - 吉永薫[14][15][16][17]
看護師 - 藤田あかり(GALETTe)[14][15][16][17]
内田一輝 - 川岡大次郎 [14][15][16][17]
ストーカー - 津久井俊博

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88_%E6%81%90%E6%80%96%E3%81%AE%E6%A3%AE

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/877.html#c3
[近代史7] 男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事 中川隆
32. 2022年2月13日 19:45:18 : ymwCbDy2jg : YmhSM3VMenFsOHc=[19]
2022-02-12
中国で「海外旅行みたいな」楽しい戦争をしてきたという兵たちの実態
https://vergil.hateblo.jp/entry/2022/02/12/205546

小林よしのりは『戦争論』の中で1回だけ、自分で戦争体験者の親戚から聞き取ったという話を書いている。

この親戚氏は、戦争はまるで海外旅行のようだったと言い、多少の戦闘は経験したものの、あとは中国で美味いものばかり食っていたと、楽しげに語っている。[1]

「終戦前は 朝はブタ汁 晩はブタの煮付け 野菜の煮付けとか 食べとった」

「食糧は豊富にあった」

「さとうきび畑に入って ナマのさとうきび食べたらうまかった」

「ほし柿も よく食べとった」

…と食い物の話ばっかりする

(略)

「米をたくさん炊きすぎて 余ったのをおにぎりにして中国人にやると かわりにマントウをくれる」

「なしを5〜6個くれることもある」

(略)

終戦後7カ月過ぎて 4月1日に長崎に着き 家に帰って来た時…

背中に上等の毛布をいっぱいしょって なんと丸々太って帰ってきたので 奥さんがびっくりしたらしい

まるで中国の人々となごやかに交流しながら食糧や物資を手に入れていたかのようだが、兵隊の給料でそんなことは不可能だろう。

では、彼らはどうやってそんな豊かな生活をしていたのか。

たとえば南京攻略戦に従軍した兵士たちの日記にはこんなことが書かれている。[1]

黒須忠信(上等兵・仮名)日記:

[11月22日](略)陳家鎮に午后五時到着、米味噌醤油等の取集めで多忙な位である、或は濡もち米を徴発或る者は小豆をもって来て戦地にてぼた餅を作っておいしく食べる事が出来た、味は此の上もなし、後に入浴をする事が出来て漸ようやく我にかへる、戦争も今日の様では実に面白いものである、(略)

[11月25日](略)午后四時祝塘郷に着して宿営す、(略)我等五分隊二十四名は宿舎に着く毎ごと大きな豚二頭位宛あて殺して食って居る、実に戦争なんて面白い、酒の好きなもの思ふ存分濁酒も呑む事が出来る、漸く秋の天候も此の頃は恵まれて一天の雲もなく晴れ渡り我等の心持も明朗となった。(P.346)

宮本省吾(少尉・仮名)日記:

[12月12日] 本日は出発を見合せ滞在と決定す、早朝より徴発に出掛ける、前日と違ひすばらしい獲物あり、そうめん、あづき、酒、砂糖、鶏、豚、皿、ランプ、炭あらゆる物あり正月盆同時に来た様にて兵隊は嬉しくて堪らず、晩にはぼた餅の御馳走にて陣中しかも第一線と思はれぬ朗らかさである。(P.133)

[12月24日] 滁県にて守備の説も当らず午前八時出発、滁県を後に全椒県に向ふ、風は肌に寒く行軍には良い日和である、途中雞にわとりの徴発物あり夜はしばらくぶりで雞汁を馳走になる(略)

[12月25日] 兵は馬並に野菜、豚の徴発に出掛ける、種々の御馳走を作る。(P.135)

陸軍の嘱託カメラマンとして第10軍に従軍した河野公輝氏は次のように語っている。[3]

 蘇州の略奪はすさまじかった。(略)そういう金持の家では、柱をトントンたたいてみる。柱をくりぬいて銀貨がぎっしりつめてある。そいつを持ち出す。銀貨だけでなく壁の中には財宝も隠してある。もちろんそういうのもいただくわけだ。(略)

こちらは当時日本軍が占領した上海市内で警備に従事していた坂田甚蔵氏の話。[4]

「街頭に警備で立って、通りかかる支那人を呼びとめては体をさぐり、時計やドンペイ(一円銀貨)をいただいちゃう。一日歩哨に立ってドンペイ二、三枚もいただいちゃえば、その晩は支那料理の豪勢なテーブルが囲めた」

何事にも例外というのはあるので、小林の親戚氏個人の場合が実際にどうだったのかはわからない。

だが、一般的に日本軍がやっていたのは、こうした行為である。

中国で日本軍が「蝗軍」(イナゴの大群のように、通り過ぎたあとには何も残らない)と呼ばれていたのにはそれなりの理由があるのだ。

[1] 小林よしのり 『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論』 幻冬舎 1998年 P.273-275
[2] 小野賢二・藤原彰・本多勝一編 『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』 大月書店 1996年
[3] 森山康平 『証言・南京事件と三光作戦』 河出文庫 2007年 P.57
[4] 同 P.65
https://vergil.hateblo.jp/entry/2022/02/12/205546

http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html#c32

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > YmhSM3VMenFsOHc= > 100000  g検索 YmhSM3VMenFsOHc=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。