2. 中川隆[-9920] koaQ7Jey 2020年11月16日 09:13:58 : BLz0NHzvgM : YkJpTDl1aDM1Uy4=[1]
ポール・ウォルフォウィッツらが世界制覇プロジェクトを作成したのは1992年2月。その直後からアメリカの有力メディアはそのプロジェクトを支援、まずユーゴスラビアを攻撃するべきだというプロパガンダを展開したが、ビル・クリントン政権の第1期目はその戦略を採用しなかった。
そうした中、展開されたのが彼の女性スキャンダル。
その背後にはCIAやネオコンが存在。
ビル・クリントンは第2期目に政策を大きく変更する。
2020.11.15
トランプ大統領を騙して好戦的な政策を進めたことをシリア特使が明らかにした
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011150001/
欧米の支配者は「リセット」に向かって動き始めている。彼らにとってドナルド・トランプ米大統領はすでに「過去の人」なのだろう。そうした認識のためなのか、トランプと対立していたひとりであるシリア特使のジェームズ・ジェフリーはシリアを不法占拠しているアメリカ軍について語り、話題になっている。
シリアに侵入しているアメリカ軍の数は一般に言われているよりかなり多く、トランプも騙されていたという。トランプが戦争に消極的だと言うことは知られていたようで、2016年8月、共和党の国家安全保障関係者が彼を「リスク」だと批判していた。
トランプが国家安全保障問題の顧問に据えていたマイケル・フリンは元DIA局長で、2012年にバラク・オバマ大統領の政策はシリアにサラフィ主義者の支配地域を作り出すと警告していた人物。これは本ブログで繰り返し書いてきた。フリンを民主党や有力メディアだけでなくトランプの周辺が攻撃したのはそのため。トランプは2017年1月にフリンを国家安全保障補佐官に据えるが、1カ月足らずでフリンは辞任に追い込まれた。
トランプは2018年12月にアメリカ軍をシリアから撤退させる方針を示したが、その際に政府の内部からも反発があった。国防長官を務めていたジェームズ・マティスは抗議のために辞任し、マイク・ペンス副大統領、ジョン・ボルトン国家安全保障補佐官、マイク・ポンペオ国務長官、そしてジェフリーも撤退の問題で大統領と対立していた。
2016年の大統領選でトランプはロシアとの関係修復を打ち出していた。バラク・オバマ政権はロシアとの関係を悪化させ、ヒラリー・クリントンはその政策を引き継ぐと見られていた。その理由は21世紀に入り、ロシアは曲がりなりにも自立に成功していたことにある。
ソ連を消滅させ、ロシアを屈服させたことを前提にしてポール・ウォルフォウィッツらが世界制覇プロジェクトを作成したのは1992年2月。その直後からアメリカの有力メディアはそのプロジェクトを支援、まずユーゴスラビアを攻撃するべきだというプロパガンダを展開したが、ビル・クリントン政権の第1期目はその戦略を採用しなかった。そうした中、展開されたのが彼の女性スキャンダル。その背後にはCIAやネオコンが存在、1972年の大統領選挙で民主党の候補だったジョージ・マクガバンを潰す工作に参加した人物の名前も出てきた。
この選挙でジョン・F・ケネディに近いマクガバンが候補者に選ばれたことに民主党の幹部はショックを受けたと言われている。そこで党内に誕生したのが「CDM(民主多数派連合)」。その中心的な存在がヘンリー・ジャクソン上院議員だった。
リチャード・パイプスが顧問を務めていたジャクソン議員の事務所へはシオニストの若者が送り込まれ、訓練を受けていた。その中にはポール・ウォルフォウィッツやリチャード・パールも含まれていた。このふたりを含め、ジャクソンの事務所を経た若者は後にネオコンの中心的な存在になる。
マクガバン潰しに暗躍した人物の工作もあり、ビル・クリントンは第2期目に政策を大きく変更する。その象徴的な出来事が国務長官の交代だった。1997年1月に戦争に消極的だったクリストファー・ウォーレンからヒラリー・クリントンと親しい好戦派のマデリーン・オルブライトへ替わったのだ。
オルブライトの「師」はズビグネフ・ブレジンスキーとモートン・アブラモウィッツであり、彼女が親しくしていた人物のひとりがブルッキングス研究所の研究員だったロイス・ライス。このロイスの娘が後に安全保障問題担当大統領補佐官に就任するスーザン・ライスだ。
オルブライトの父親はチェコスロバキアの元外交官で、アメリカへ亡命してデンバー大学で教鞭を執ているが、そのときの教え子の中にコンドリーサ・ライス、つまりジョージ・W・ブッシュ政権で国務長官を務めた人物がいる。
マクガバン潰しの成功は共和党の候補者だったリチャード・ニクソンが大統領になること意味するのだが、そのニクソンはデタント(緊張緩和)を打ち出し、ウォーターゲート事件で失脚する。
この事件ではワシントン・ポスト紙が重要な役割を果たした。取材は若手記者だったカール・バーンスタインとボブ・ウッドワードが中心になって行われたが、ウッドワードは少し前まで海軍の情報将校で記者としては素人に近い。事実上、取材はバーンスタインが行ったと言われている。
そのバーンスタインはニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。CIAは有力メディアに対して大きな影響力を持っているというのだ。
その記事によると、それまで20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、そのうち200名から250名が記者や編集者など現場のジャーナリストで、残りは、出版社、業界向け出版業者、ニューズレターで働いていた。また1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとCIAの高官は語ったという。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)
その後、この記事を補強する報道、出版があり、CIAの情報操作プロジェクト、モッキンバードの存在も明らかにされた。そのプロジェクトの中心にいたのはアレン・ダレス、フランク・ウィズナー、リチャード・ヘルムズ、そしてフィリップ・グラハムである。
ダレス、ウィズナー、ヘルムズは第2次世界大戦中にOSS(アメリカの戦時情報機関でCIAの前身)で活動、大戦後にはCIAでも中心的な役割を演じた。このうちダレスとウィズナーはウォール街の弁護士で、ヘルムズの祖父であるゲーツ・マクガラーは国際決済銀行の頭取。1942年にグラハムは空軍へ入隊、OSSの長官だったウィリアム・ドノバンの補佐官を務めているが、このドノバンもウォール街の弁護士だ。
グラハムは入隊の前、1940年にキャサリン・メイヤーと結婚しているが、彼女の父親は世界銀行の初代総裁である。モッキンバード時代のフィリップはワシントン・ポスト紙の社主。ウォーターゲート事件当時の社主はキャサリンだ。
ウォーターゲート事件でニクソンが失脚した後にジェラルド・フォードが副大統領から昇格、新政権は政府内からデタント派を追い出している。このフォード政権でネオコンは表舞台に出てきた。政党の違いは関係ないということだ。
ところで、2016年の大統領選で民主党の幹部はトランプの前にバーニー・サンダースを潰しに行く。その工作はヒラリー・クリントンらの電子メールが表に出たことで発覚、サンダース支持者を怒らせることになった。1972年の大統領選挙と似ているところがある。その流れからすると、次はトランプ潰しということだ。
ヒラリーらの電子メールの内容から人びとの関心をそらす意味もあり、始められたのが「ロシアゲート」のキャンペーン。この工作を始めたのはCIA長官だったジョン・ブレナンだ。当時のCIA文書が公開されることをブレナンや彼の仲間は恐れている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202011150001/
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