★阿修羅♪ > Y3FHNy5mdVRaU1E= > 100000
 
g検索 Y3FHNy5mdVRaU1E=  
 
Y3FHNy5mdVRaU1E= コメント履歴 No: 100000
http://www.asyura2.com/acat/y/y3/y3f/Y3FHNy5mdVRaU1E=/100000.html
[リバイバル3] 酷い音のインチキ・レプリカを量産して伝説の評価を落とした Goodmans Axiom80 中川隆
91. 中川隆[-10656] koaQ7Jey 2024年5月13日 07:20:49 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[1]
<■66行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
「音楽&オーディオ」の小部屋 2024年05月13日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/62da173195d976b5248af72b5b6a3bb5

第二次世界大戦時の英国の首相「チャーチル」はこう言った。

「民主主義はベストの政治体制ではないが、ほかのよりは マシ だ」

それから70年余を経た状況だが、とうとう人類は理想的な政治体制を得られないまま、「他の体制よりはマシ」という半信半疑と諦めの状態でこのまま彷徨するんだろう・・。

実は我が家のオーディオ体制もそうでして・・(笑)。

とうとう完全に満足できるサウンドを得られないまま、このまま彷徨する可能性が高い、そして曲がりなりにも改善の意欲を燃やし続けている推進力は「前よりも マシ になったかな」。

実例を挙げてみよう。

我が家の6系統のスピーカーのうち、独自の色彩を放っているのは何といっても「AXIOM80」(英国)である。

まるで針の穴を通すような緻密な再生にかけては天下一品で、ドツボにハマったときは「AXIOM80を聴かずしてオーディオを語ることなかれ」という気分になるが、あまりにも神経質過ぎて長時間聴くのはちょっと きつくて 遠慮したくなる・・。

そこで、その原因をつらつら考えてみた・・、まず、エンクロージャーを「5mm〜1cm」の厚さの「楓(かえで)材」に変更するととても良さそう・・、これはそのうちチャンスをみてチャレンジしてみよう。

もう一つは、ユニットから出た音が平面バッフルの余白に当たって乱反射しているせいかもしれない。

近年の「B&W」や「モニターオーディオ」などの有名どころのスピーカーを見ていると、すべてバッフル面は細身の仕立てになっているのにお気付きかな・・。

そこで、次善の策として平面バッフルに小さな凹凸のある紙か布を張り付けるといいかもしれない・・。

「思い立ったら即実行」をモットーにしているので、100均の大型店(大分市)に行って物色してみることにした。幸か不幸か、少ない経費で最大の効果を上げると ひときわ 楽しくなる習性の持ち主なんですよねえ(笑)。

そして、その車中の道すがら「待てよ〜、植木鉢のウッドホーンをユニットに被せる手もあるなあ・・」 即座に過去に木製の植木鉢を数点購入した記憶がよみがえった、そして 即 Uタ〜ン・・(笑)。

倉庫に仕舞い込んでいた植木鉢の中からAXIOM80の口径(27cm)に合いそうなサイズの植木鉢を何なく発掘した。

胸を弾ませながら、植木鉢を据え付けてみると、これがまあ 何と奇跡的にピッタリサイズだった! 思わず飛び上がりましたぞ〜(笑)。

ご覧の通り、補助金具が不要なほど隙間なくユニットの外側にピッタリ嵌った〜。

さあ、問題は音である・・、鬼が出てくるか蛇(じゃ)が出てくるか・・(笑)。

そこで、半日ほどモーツァルトのあらゆる曲目をぶっ続けで聴いてみたところ、まったく耳が疲れず、そして飽きないのである・・、もちろん嬉しい悲鳴!

「ホーン効果」ってすごいなあ・・。(興味のある方はググってみてください)

で、ここ3日間ほど新生「AXIOM80」に夢中になっている状態だが、「オーディオはそんなに甘くないぞ」と、脳裡を秘かによぎってくるものがある・・、プラス面があれば必ずマイナスの側面が不随してくるはず、と過去の幾多の苦い経験が囁いてくるわけだ(笑)。

とりあえず、サウンド的にはマイナス面を感じていないが、適合するアンプの幅が随分狭くなったことが挙げられる。

まずは、パワー感のあるアンプ「PX25」「2A3」「WE300B」などの「お金」のかかったアンプは軒並み「討ち死に」である。言葉で表現するのは難しいが何だか「いびつ」な響きになる・・。

そして小出力のアンプ「371Aシングル」や「LS7シングル」などが「俺たちの時代がやってきた」といわんばかりに跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)している状況へ〜(笑)。

そこで、久しぶりに冷静な第三者の判断を求めてオーディオ仲間の意見を聞きたくなったので、昨日(12日)連絡したところ、あいにくご出張とのことだった。

しかし、大の「AXIOM80」ファンなので「ウッドホーンを取り付けましたよ」の言葉に大いに惹きつけられたご様子・・、そのうちコメントをご紹介しましょうねえ・・、ただし「前の方がいいですよ」という言葉だけは絶対に聞きたくないけどなあ(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/62da173195d976b5248af72b5b6a3bb5
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/686.html#c91

[番外地11] うーん、 賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ 中川隆
1. 中川隆[-10655] koaQ7Jey 2024年5月13日 07:46:07 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[2]
うーん、賢者は歴史から学び 愚者は経験から学ぶ、か
1DKのリゾマンだと売るのに200万円は掛かるから覚悟しといた方がいいよ
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/733.html#c1
[番外地11] うーん、 賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ 中川隆
2. 中川隆[-10654] koaQ7Jey 2024年5月13日 07:47:17 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[3]
うーん、賢者は歴史から学び 愚者は経験から学ぶ、か
苗場の 1DKのリゾマンだと売るのに200万円は掛かるから覚悟しといた方がいいよ
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/733.html#c2
[近代史4] ヒトラーの共産主義との戦い 中川隆
45. 中川隆[-10653] koaQ7Jey 2024年5月13日 10:50:22 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[4]
<■95行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.05.13XML
米国の支配層に従ってロシアとの戦争に進むドイツは今でもナチズムの影響下
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202405130000/

アメリカの好戦派であるネオコンは1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その中でドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。「第3次世界大戦」が始まったのだと言う人もいる。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年だ。

 フランクリン・ルーズベルトが1945年4月12日に急死するとニューディール派の力が弱まり、ナチスを支援していたウォール街が実権を奪還した。ドイツが降伏するのはルーズベルト急死の翌月だ。

 第2次世界大戦でドイツの敗北が決定的になったのは1943年1月のことである。ドイツ軍がスターリングラードで降伏したのだ。ドイツ軍は1941年9月から44年1月にかけてレニングラードを包囲、アドルフ・ヒトラーは市民を餓死させると宣言していた。その包囲戦で死亡したり行方不明になったソ連人は100万人を超したとも言われている。

 包囲戦が始まって間もない1941年10月頃、ヘイスティング・ライオネル・イスメイはアドルフ・ヒトラーと同じようにモスクワは3週間以内に陥落すると推測、高みの見物をきめこんでいた。イスメイはイギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルの側近で、NATOの初代事務総長になる。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 ドイツにとって戦況が思わしくなくなっていた1942年冬、SS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、密使をスイスにいたOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣、ルーズベルト大統領には無断で交渉を始めた。

 ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織、後にヒトラーの第一後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングも含まれる。ウォール街人脈はゲーリングを戦犯リストから外そうとしたが、ニュルンベルク裁判で検察官を務めたニューディール派のロバート・ジャクソンに拒否され、絞首刑が言い渡された。処刑の前夜、彼は何者かに渡された青酸カリウムを飲んで自殺している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ゲーレンはソ連に関する情報を握っていた。ちなみに、OSS長官のウィリアム・ドノバン、ダレス、そしてウィズナーは全員、ウォール街の弁護士だ。

 ダレスたちは1945年初頭にカール・ウルフなる人物に隠れ家を提供した。ウルフはハインリッヒ・ヒムラーの側近で、ナチ親衛隊の高官。さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。「サンライズ作戦」だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 1945年5月にドイツは無条件降伏、それと同時にゲーレンはCIC(米陸軍対敵諜報部隊)に投降、携えていたマイクロフィルムには東方外国軍課に保管されていたソ連関連の資料が収められていた。

 ゲーレンを尋問したCICのジョン・ボコー大尉はゲーレンたちを保護したが、彼の背後にはアメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将、連合国軍総司令部で参謀長を務めていたウォルター・ベデル・スミス中将がいた。(Christopher Simpson, “Blowback”, Weidenfeld & Nicloson, 1988(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳「冷戦に憑かれた亡者たち」時事通信社、一九九四年))

 サイバート准将とゲーレン准将は1946年7月に新情報機関の「ゲーレン機関」を創設、ナチスの残党を採用していく。ゲーレンはダレスのグループに守られ、組織は肥大化していった。

 大戦後にアメリカの内部では軍の内部でソ連に対する先制核攻撃が計画され、国務省はコミュニズムに反対する亡命者、つまりナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる。1948年に始まった「ブラッドストーン作戦」だ。

 この作戦で助けられた人物の中には親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーやゲシュタポ幹部で「リヨンの屠殺人」とも呼ばれていたクラウス・バルビーも含まれている。この作戦を実行するための指令がNSC10/2。この指令に基づいて破壊工作を担当した極秘機関OPC(政策調整局)も設置されている。

 スコルツェニーは大戦が終わってから裁判にかけられたが、拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がす組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立している。1948年7月には収容施設から逃亡することに成功した。

 この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。ナチスの幹部を逃走させる組織としてODESSAが知られているが、これはアメリカで使われていた逃走組織の暗号名だという。

 また、アメリカの情報機関人脈は1945年から59年にかけてドイツの科学者や技術者16000名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させている。「ペーパー・クリップ作戦」だ。そうした研究者の中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていた。

 ダレスを含むウォール街人脈がナチスの高官を保護、逃亡させ、雇用しているわけだが、そもそもウォール街はナチスのスポンサーだった。CIA長官を経て大統領になったジョージ・H・W・ブッシュはエール大学時代にCIAからリクルートされたと言われているが、ジョージの父親であるプレスコット・ブッシュは上院議員になる前、ウォール街の銀行家で、アレン・ダレスの友人だった。

 プレスコットが結婚したドロシーはウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任している。この銀行を所有していたのはハリマン家だが、その一族のW・アベレル・ハリマンはプレスコットの友人。この人脈は1924年、ナチスへ資金を流すためにユニオン・バンキングを創設、プレスコットたちが重役になった。

 ナチスが台頭して以来、ドイツはウォール街の支配下にあるが、支配の仕組みの中にナチス人脈も組み込まれている。そうした支配構造は今も生きているのだ。明治維新以降、現在に至るまで日本が天皇制官僚体制にあることに似ている。その天皇制官僚体制の上に存在しているのが米英金融資本だ。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/638.html#c45

[近代史4] 独裁者列伝 _ アドルフ・ヒトラー 中川隆
47. 中川隆[-10652] koaQ7Jey 2024年5月13日 10:50:38 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[5]
<■95行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.05.13XML
米国の支配層に従ってロシアとの戦争に進むドイツは今でもナチズムの影響下
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202405130000/

アメリカの好戦派であるネオコンは1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その中でドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。「第3次世界大戦」が始まったのだと言う人もいる。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年だ。

 フランクリン・ルーズベルトが1945年4月12日に急死するとニューディール派の力が弱まり、ナチスを支援していたウォール街が実権を奪還した。ドイツが降伏するのはルーズベルト急死の翌月だ。

 第2次世界大戦でドイツの敗北が決定的になったのは1943年1月のことである。ドイツ軍がスターリングラードで降伏したのだ。ドイツ軍は1941年9月から44年1月にかけてレニングラードを包囲、アドルフ・ヒトラーは市民を餓死させると宣言していた。その包囲戦で死亡したり行方不明になったソ連人は100万人を超したとも言われている。

 包囲戦が始まって間もない1941年10月頃、ヘイスティング・ライオネル・イスメイはアドルフ・ヒトラーと同じようにモスクワは3週間以内に陥落すると推測、高みの見物をきめこんでいた。イスメイはイギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルの側近で、NATOの初代事務総長になる。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 ドイツにとって戦況が思わしくなくなっていた1942年冬、SS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、密使をスイスにいたOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣、ルーズベルト大統領には無断で交渉を始めた。

 ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織、後にヒトラーの第一後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングも含まれる。ウォール街人脈はゲーリングを戦犯リストから外そうとしたが、ニュルンベルク裁判で検察官を務めたニューディール派のロバート・ジャクソンに拒否され、絞首刑が言い渡された。処刑の前夜、彼は何者かに渡された青酸カリウムを飲んで自殺している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ゲーレンはソ連に関する情報を握っていた。ちなみに、OSS長官のウィリアム・ドノバン、ダレス、そしてウィズナーは全員、ウォール街の弁護士だ。

 ダレスたちは1945年初頭にカール・ウルフなる人物に隠れ家を提供した。ウルフはハインリッヒ・ヒムラーの側近で、ナチ親衛隊の高官。さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。「サンライズ作戦」だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 1945年5月にドイツは無条件降伏、それと同時にゲーレンはCIC(米陸軍対敵諜報部隊)に投降、携えていたマイクロフィルムには東方外国軍課に保管されていたソ連関連の資料が収められていた。

 ゲーレンを尋問したCICのジョン・ボコー大尉はゲーレンたちを保護したが、彼の背後にはアメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将、連合国軍総司令部で参謀長を務めていたウォルター・ベデル・スミス中将がいた。(Christopher Simpson, “Blowback”, Weidenfeld & Nicloson, 1988(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳「冷戦に憑かれた亡者たち」時事通信社、一九九四年))

 サイバート准将とゲーレン准将は1946年7月に新情報機関の「ゲーレン機関」を創設、ナチスの残党を採用していく。ゲーレンはダレスのグループに守られ、組織は肥大化していった。

 大戦後にアメリカの内部では軍の内部でソ連に対する先制核攻撃が計画され、国務省はコミュニズムに反対する亡命者、つまりナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる。1948年に始まった「ブラッドストーン作戦」だ。

 この作戦で助けられた人物の中には親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーやゲシュタポ幹部で「リヨンの屠殺人」とも呼ばれていたクラウス・バルビーも含まれている。この作戦を実行するための指令がNSC10/2。この指令に基づいて破壊工作を担当した極秘機関OPC(政策調整局)も設置されている。

 スコルツェニーは大戦が終わってから裁判にかけられたが、拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がす組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立している。1948年7月には収容施設から逃亡することに成功した。

 この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。ナチスの幹部を逃走させる組織としてODESSAが知られているが、これはアメリカで使われていた逃走組織の暗号名だという。

 また、アメリカの情報機関人脈は1945年から59年にかけてドイツの科学者や技術者16000名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させている。「ペーパー・クリップ作戦」だ。そうした研究者の中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていた。

 ダレスを含むウォール街人脈がナチスの高官を保護、逃亡させ、雇用しているわけだが、そもそもウォール街はナチスのスポンサーだった。CIA長官を経て大統領になったジョージ・H・W・ブッシュはエール大学時代にCIAからリクルートされたと言われているが、ジョージの父親であるプレスコット・ブッシュは上院議員になる前、ウォール街の銀行家で、アレン・ダレスの友人だった。

 プレスコットが結婚したドロシーはウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任している。この銀行を所有していたのはハリマン家だが、その一族のW・アベレル・ハリマンはプレスコットの友人。この人脈は1924年、ナチスへ資金を流すためにユニオン・バンキングを創設、プレスコットたちが重役になった。

 ナチスが台頭して以来、ドイツはウォール街の支配下にあるが、支配の仕組みの中にナチス人脈も組み込まれている。そうした支配構造は今も生きているのだ。明治維新以降、現在に至るまで日本が天皇制官僚体制にあることに似ている。その天皇制官僚体制の上に存在しているのが米英金融資本だ。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/798.html#c47

[近代史4] 英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった 中川隆
25. 中川隆[-10651] koaQ7Jey 2024年5月13日 10:50:55 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[6]
<■95行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.05.13XML
米国の支配層に従ってロシアとの戦争に進むドイツは今でもナチズムの影響下
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202405130000/

アメリカの好戦派であるネオコンは1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その中でドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。「第3次世界大戦」が始まったのだと言う人もいる。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年だ。

 フランクリン・ルーズベルトが1945年4月12日に急死するとニューディール派の力が弱まり、ナチスを支援していたウォール街が実権を奪還した。ドイツが降伏するのはルーズベルト急死の翌月だ。

 第2次世界大戦でドイツの敗北が決定的になったのは1943年1月のことである。ドイツ軍がスターリングラードで降伏したのだ。ドイツ軍は1941年9月から44年1月にかけてレニングラードを包囲、アドルフ・ヒトラーは市民を餓死させると宣言していた。その包囲戦で死亡したり行方不明になったソ連人は100万人を超したとも言われている。

 包囲戦が始まって間もない1941年10月頃、ヘイスティング・ライオネル・イスメイはアドルフ・ヒトラーと同じようにモスクワは3週間以内に陥落すると推測、高みの見物をきめこんでいた。イスメイはイギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルの側近で、NATOの初代事務総長になる。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 ドイツにとって戦況が思わしくなくなっていた1942年冬、SS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、密使をスイスにいたOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣、ルーズベルト大統領には無断で交渉を始めた。

 ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織、後にヒトラーの第一後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングも含まれる。ウォール街人脈はゲーリングを戦犯リストから外そうとしたが、ニュルンベルク裁判で検察官を務めたニューディール派のロバート・ジャクソンに拒否され、絞首刑が言い渡された。処刑の前夜、彼は何者かに渡された青酸カリウムを飲んで自殺している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ゲーレンはソ連に関する情報を握っていた。ちなみに、OSS長官のウィリアム・ドノバン、ダレス、そしてウィズナーは全員、ウォール街の弁護士だ。

 ダレスたちは1945年初頭にカール・ウルフなる人物に隠れ家を提供した。ウルフはハインリッヒ・ヒムラーの側近で、ナチ親衛隊の高官。さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。「サンライズ作戦」だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 1945年5月にドイツは無条件降伏、それと同時にゲーレンはCIC(米陸軍対敵諜報部隊)に投降、携えていたマイクロフィルムには東方外国軍課に保管されていたソ連関連の資料が収められていた。

 ゲーレンを尋問したCICのジョン・ボコー大尉はゲーレンたちを保護したが、彼の背後にはアメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将、連合国軍総司令部で参謀長を務めていたウォルター・ベデル・スミス中将がいた。(Christopher Simpson, “Blowback”, Weidenfeld & Nicloson, 1988(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳「冷戦に憑かれた亡者たち」時事通信社、一九九四年))

 サイバート准将とゲーレン准将は1946年7月に新情報機関の「ゲーレン機関」を創設、ナチスの残党を採用していく。ゲーレンはダレスのグループに守られ、組織は肥大化していった。

 大戦後にアメリカの内部では軍の内部でソ連に対する先制核攻撃が計画され、国務省はコミュニズムに反対する亡命者、つまりナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる。1948年に始まった「ブラッドストーン作戦」だ。

 この作戦で助けられた人物の中には親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーやゲシュタポ幹部で「リヨンの屠殺人」とも呼ばれていたクラウス・バルビーも含まれている。この作戦を実行するための指令がNSC10/2。この指令に基づいて破壊工作を担当した極秘機関OPC(政策調整局)も設置されている。

 スコルツェニーは大戦が終わってから裁判にかけられたが、拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がす組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立している。1948年7月には収容施設から逃亡することに成功した。

 この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。ナチスの幹部を逃走させる組織としてODESSAが知られているが、これはアメリカで使われていた逃走組織の暗号名だという。

 また、アメリカの情報機関人脈は1945年から59年にかけてドイツの科学者や技術者16000名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させている。「ペーパー・クリップ作戦」だ。そうした研究者の中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていた。

 ダレスを含むウォール街人脈がナチスの高官を保護、逃亡させ、雇用しているわけだが、そもそもウォール街はナチスのスポンサーだった。CIA長官を経て大統領になったジョージ・H・W・ブッシュはエール大学時代にCIAからリクルートされたと言われているが、ジョージの父親であるプレスコット・ブッシュは上院議員になる前、ウォール街の銀行家で、アレン・ダレスの友人だった。

 プレスコットが結婚したドロシーはウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任している。この銀行を所有していたのはハリマン家だが、その一族のW・アベレル・ハリマンはプレスコットの友人。この人脈は1924年、ナチスへ資金を流すためにユニオン・バンキングを創設、プレスコットたちが重役になった。

 ナチスが台頭して以来、ドイツはウォール街の支配下にあるが、支配の仕組みの中にナチス人脈も組み込まれている。そうした支配構造は今も生きているのだ。明治維新以降、現在に至るまで日本が天皇制官僚体制にあることに似ている。その天皇制官僚体制の上に存在しているのが米英金融資本だ。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html#c25

[近代史3] アフター・ヒトラー 中川隆
22. 中川隆[-10650] koaQ7Jey 2024年5月13日 10:51:17 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[7]
<■95行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
2024.05.13XML
米国の支配層に従ってロシアとの戦争に進むドイツは今でもナチズムの影響下
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202405130000/

アメリカの好戦派であるネオコンは1992年2月、国防総省のDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成した。いわゆる「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」だ。その中でドイツと日本をアメリカの戦争マシーンに組み込み、新たなライバルの出現を防ぐことが謳われている。「第3次世界大戦」が始まったのだと言う人もいる。日本がアメリカの戦争マシーンに組み込まれたのは1995年だ。

 フランクリン・ルーズベルトが1945年4月12日に急死するとニューディール派の力が弱まり、ナチスを支援していたウォール街が実権を奪還した。ドイツが降伏するのはルーズベルト急死の翌月だ。

 第2次世界大戦でドイツの敗北が決定的になったのは1943年1月のことである。ドイツ軍がスターリングラードで降伏したのだ。ドイツ軍は1941年9月から44年1月にかけてレニングラードを包囲、アドルフ・ヒトラーは市民を餓死させると宣言していた。その包囲戦で死亡したり行方不明になったソ連人は100万人を超したとも言われている。

 包囲戦が始まって間もない1941年10月頃、ヘイスティング・ライオネル・イスメイはアドルフ・ヒトラーと同じようにモスクワは3週間以内に陥落すると推測、高みの見物をきめこんでいた。イスメイはイギリスの首相を務めていたウィンストン・チャーチルの側近で、NATOの初代事務総長になる。(Susan Butler, “Roosevelt And Stalin,” Alfred A. Knopf, 2015)

 ドイツにとって戦況が思わしくなくなっていた1942年冬、SS(ナチ親衛隊)はアメリカとの単独講和への道を探りはじめ、密使をスイスにいたOSS(戦略事務局)のアレン・ダレスの下へ派遣、ルーズベルト大統領には無断で交渉を始めた。

 ダレスたちが接触した相手にはSA(突撃隊)を組織、後にヒトラーの第一後継者に指名されたヘルマン・ゲーリングも含まれる。ウォール街人脈はゲーリングを戦犯リストから外そうとしたが、ニュルンベルク裁判で検察官を務めたニューディール派のロバート・ジャクソンに拒否され、絞首刑が言い渡された。処刑の前夜、彼は何者かに渡された青酸カリウムを飲んで自殺している。(David Talbot, “The Devil’s Chessboard,” HarperCollins, 2015)

 1944年になるとOSSのフランク・ウィズナーを介してダレスのグループがドイツ軍の情報将校、ラインハルト・ゲーレン准将(ドイツ陸軍参謀本部第12課の課長)と接触している。ゲーレンはソ連に関する情報を握っていた。ちなみに、OSS長官のウィリアム・ドノバン、ダレス、そしてウィズナーは全員、ウォール街の弁護士だ。

 ダレスたちは1945年初頭にカール・ウルフなる人物に隠れ家を提供した。ウルフはハインリッヒ・ヒムラーの側近で、ナチ親衛隊の高官。さらに北イタリアにおけるドイツ将兵の降伏についての秘密会談が行われている。「サンライズ作戦」だ。(Christopher Simpson, “The Splendid Blond Beast”, Common Courage, 1995 / Eri Lichtblau, “The Nazis Next Door,” Houghton Mifflin Harcourt, 2014)

 1945年5月にドイツは無条件降伏、それと同時にゲーレンはCIC(米陸軍対敵諜報部隊)に投降、携えていたマイクロフィルムには東方外国軍課に保管されていたソ連関連の資料が収められていた。

 ゲーレンを尋問したCICのジョン・ボコー大尉はゲーレンたちを保護したが、彼の背後にはアメリカ第12軍のG2(情報担当)部長だったエドウィン・サイバート准将、連合国軍総司令部で参謀長を務めていたウォルター・ベデル・スミス中将がいた。(Christopher Simpson, “Blowback”, Weidenfeld & Nicloson, 1988(クリストファー・シンプソン著、松尾弌之訳「冷戦に憑かれた亡者たち」時事通信社、一九九四年))

 サイバート准将とゲーレン准将は1946年7月に新情報機関の「ゲーレン機関」を創設、ナチスの残党を採用していく。ゲーレンはダレスのグループに守られ、組織は肥大化していった。

 大戦後にアメリカの内部では軍の内部でソ連に対する先制核攻撃が計画され、国務省はコミュニズムに反対する亡命者、つまりナチスの元幹部や元協力者の逃走を助け、保護し、雇い入れる。1948年に始まった「ブラッドストーン作戦」だ。

 この作戦で助けられた人物の中には親衛隊の幹部だったオットー・スコルツェニーやゲシュタポ幹部で「リヨンの屠殺人」とも呼ばれていたクラウス・バルビーも含まれている。この作戦を実行するための指令がNSC10/2。この指令に基づいて破壊工作を担当した極秘機関OPC(政策調整局)も設置されている。

 スコルツェニーは大戦が終わってから裁判にかけられたが、拘束される前にナチスの仲間をアルゼンチンへ逃がす組織ディ・シュピンネ(蜘蛛)を設立している。1948年7月には収容施設から逃亡することに成功した。

 この逃亡にはアメリカ軍憲兵の制服を着た元親衛隊将校3名が協力しているのだが、スコルツェニーはアメリカ政府が協力したと主張している。ナチスの幹部を逃走させる組織としてODESSAが知られているが、これはアメリカで使われていた逃走組織の暗号名だという。

 また、アメリカの情報機関人脈は1945年から59年にかけてドイツの科学者や技術者16000名以上をアメリカへ運び、軍事研究に従事させている。「ペーパー・クリップ作戦」だ。そうした研究者の中にはマインド・コントロールに関する研究者も含まれていた。

 ダレスを含むウォール街人脈がナチスの高官を保護、逃亡させ、雇用しているわけだが、そもそもウォール街はナチスのスポンサーだった。CIA長官を経て大統領になったジョージ・H・W・ブッシュはエール大学時代にCIAからリクルートされたと言われているが、ジョージの父親であるプレスコット・ブッシュは上院議員になる前、ウォール街の銀行家で、アレン・ダレスの友人だった。

 プレスコットが結婚したドロシーはウォール街の大物、ジョージ・ハーバート・ウォーカーの娘。プレスコットは1924年、ウォーカーが社長を務める投資銀行A・ハリマンの副社長に就任している。この銀行を所有していたのはハリマン家だが、その一族のW・アベレル・ハリマンはプレスコットの友人。この人脈は1924年、ナチスへ資金を流すためにユニオン・バンキングを創設、プレスコットたちが重役になった。

 ナチスが台頭して以来、ドイツはウォール街の支配下にあるが、支配の仕組みの中にナチス人脈も組み込まれている。そうした支配構造は今も生きているのだ。明治維新以降、現在に至るまで日本が天皇制官僚体制にあることに似ている。その天皇制官僚体制の上に存在しているのが米英金融資本だ。

http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/405.html#c22

[近代史4] 北海道 天塩郡 豊富温泉 中川隆
2. 中川隆[-10649] koaQ7Jey 2024年5月13日 14:51:55 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[8]
【海外の反応】アトピーに悩むハリウッド女優のエル・ファニングが日本の温泉で湯治した結果…
2024/05/04
https://www.youtube.com/watch?v=uOILqzk6etk
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/338.html#c2
[番外地11] うーん、 賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ 中川隆
3. 中川隆[-10648] koaQ7Jey 2024年5月13日 17:40:27 : 0Mc01SX9EE : Y3FHNy5mdVRaU1E=[9]
ネットで探せば何処にでも書かれているよ。
不動産屋に売却依頼すると部屋の写真を取ってホームページに売却物件の詳細を載せるけど、それだけで40万円は取られる。 買い手が付くまで数年かかるから、その間の管理費・修繕積み立て金、固定資産税、電気・水道・ガスの基本料金で総額160万円はかかる。
苗場のリゾマンでは大阪の詐欺メーカーが、売れないリゾマンを200-300万円で引き取ります、という手紙が毎年送られてくるよ。そこに頼むと名義変更するだけで管理費・修繕積立金は一切支払わないで、詐欺で訴えようとすると既に会社が無くなっているんだ。数か月ごとに会社をたたんで、また別会社として同じ商売を続けているんだな。
http://www.asyura2.com/23/ban11/msg/733.html#c3

   

▲このページのTOPへ      ★阿修羅♪ > Y3FHNy5mdVRaU1E= > 100000  g検索 Y3FHNy5mdVRaU1E=

★阿修羅♪ http://www.asyura2.com/  since 1995
 題名には必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
掲示板,MLを含むこのサイトすべての
一切の引用、転載、リンクを許可いたします。確認メールは不要です。
引用元リンクを表示してください。