30. 2022年11月10日 17:46:38 : G3mfcfFQxU : Y0RZV2IvNGE1Qkk=[1]
純粋な信徒の心を疑う訳ではないんだが、「skull」とはある界隈では「不滅、永遠性をうたうシンボリックな存在」らしい。海賊のマークによく使われている斜めにクロスした骨(BONES)もそれを表したものだそう。しかしながらそこに感じるのは「生を奪われたまま永遠に置かれる死」だ。
そこにある奇跡を否定するものではないし、むしろそれは神と人との間に教義的取り決めや約束は必要とせず、直接的に繋がり得ることを伝えるものだ。
キリスト教でつかわれる十字架は下一方が長く伸びているのだが、あれは正式なものなのか?という疑問がある。そもそもコプト教がキリスト教の土台として存在する筈だが、そのコプト教にあったクロスのモチーフはもともと、「魚が地上に顔をだして息を吹く姿」だと承知している。これは人の意識が魚から地続きに進化している事を表す。コプト十字の寸法はどの方向にも中心から同じ長さの辺となり、正四角形の中心と重なり収まる。これは◎に収まるムーの白十字の紋章にも該当する。ちなみに卍は右回転を表し=精神性神通力、それに反してカギ十字は斜め配置を正式とし、左回転=物理支配権力を象徴する。
わたしが現キリスト教の十字架の形にかんじるものとは磔台そのものであり、そこにあるのは遺骸としてのキリストの姿であり、それは呪われたものだと感じるのだ。そしてそこにあるのはイエスではない。
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