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[昼休み55] エゴ haru
1. 2023年6月07日 12:43:25 : AqtXjUliRg : WnRkcXpUYTBlc1U=[1]
<▽41行くらい>
エゴ=自我は人体の脳が形成される段階にはっきりと意識できるようになります。三つ子の魂百迄と申しますのは、その年齢でようやく人生を歩み、個別の経験を果たして行くための準備(基礎人格の備わり)が完了したことを告げることを意味するものと承知しています。

それは人体を一個人固有のものとみなしてその主たる意識が形成される、ということですが、わたしはそれ自体を悪く言う事は無いです。ニューアースの著者であるエックハルトトールという人が居ますが、わたしはそこに書かれている内容はまったく頭に入りませんでした。それはその中で延々とエゴを格別不要なものと看做しているためです。

エゴはそのように大抵スピ系ではモンキーマインドなどと称され、邪魔もの扱いを受けています。確かにこれが大いに勘違いを冒す張本人であることは知っています。しかしわたしが理解したいのはエゴもまた成長の「のりしろ」がある、ということです。つまり、そこを否定するのは違和感でしかなく、わたしであるもの、またその一部分であるものを否定しないことを基本とし、そこで自分をどのように成長させるべきかの方向性だけを間違えさえしなければよい、というのがわたしの考えです。

例えば合気という考え方があります。自己流に捉えるところでは、それは自分を無にする、或いは気配を消すということではなく、相手や周囲の意識、或いは身体へ対して自分の意識、または身体の周波数を同調させることにより果たせるものを磨くという意味です。

それによって相手の身体の状態、または周囲の環境に対してアンテナを広げるということをし、その感度を自分の物にするところから始まりを見ます。そこでは、和らぐということに集中する、ということになります。

またそこでは相手とわたしとの間の一切の「垣根」を取り払う、という意識が必要となってきます。そこに言う「垣根」とは観念的なもの=思い込みにより生じているもの=無粋で差別的なもの、或いは病理と言えるでしょう。つまり自然に本来流通しているものを遮断、或いは阻害するそれら要因を取り除くだけで良いとするシンプルな考えがそこにはあるということになると思います。もちろんこれはひとつの考えですべてではありません。

わたしがそうしてそこに感じるものは「波」のようなものです。それは呼吸と同じように「引き」と「押し返し」のように動きます。それは相手の手を伝って、自分の手のひらや腕の中にそれを感じるのです。

そのように自分の意識というものを相手から伝えられる情報に合わせてこちらの意識をそのように相手と溶け合うように集中していく=和らぐことで、相手が抱えている心身の緊張を感じ取り、そしてそこにある症状の緩和を期待すると言うものです。それはただ相手を感じるだけで相手の緊張はほぐれて行きます。

わたしはそうしている時、エゴというものを感じようはずがないと理解しています。
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