59. 2021年12月11日 15:31:31 : 69JZC7k4S6 : WlZtcFpoMUp3aG8=[1]
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「池田会長、私たちの意見は一致しました。
やりましょう。手遅れにならないうちに!」
世界交友録
アウレリオ・ペッチェイ氏
(画像:対談集発刊について語り合うペッチェイ氏と池田大作先生(1981年6月1日、イタリア・フィレンツェ))
対談集発刊について語り合うペッチェイ氏と池田大作先生(1981年6月1日、イタリア・フィレンツェ)
「成長の限界」
1972年、あるレポートが世界に衝撃を与えた。タイトルは『成長の限界』。発表したのは、国際的有識者組織「ローマクラブ」。創設者はイタリアを代表する実業家として知られたアウレリオ・ペッチェイ氏である。
経済至上主義の物質文明に警鐘を鳴らす活動のなかで、ペッチェイ氏は二つの“壁”に直面した。一つは、ソ連・中国とどう協力すればいいか。もう一つは、若者の価値観をどう転換させるか——。「イデオロギー」と「世代」。二つの壁に突き当たっていたのである。
そうしたなか、池田大作先生を知った。社会主義の中国・ソ連を相次いで訪問し、対話を重ねている。また池田先生のもとには、いつも溌剌とした青年がいる。池田先生にはローマクラブの限界を破る何かがある——。そう感じたペッチェイ氏は、池田先生との会見を希望する。
画像:リンゴの白い花たちが光る“青空サロン”で初会見(1975年5月16日、フランス・パリ)
リンゴの白い花たちが光る“青空サロン”で初会見
(1975年5月16日、フランス・パリ)
人間革命の思想に関心
「庭がきれいですから、外でお話ししませんか」(池田先生)
「それはいいですね!」(ペッチェイ氏)
1975年5月、フランス・パリの青空の下で池田先生とペッチェイ氏の初会見が行われた。氏は人類の行く末を真剣に憂いていた。
「(人類の)技術は進歩しても、文化的には化石のように進歩が止まっている。そのギャップを埋めるために、必要なのは『人間精神のルネサンス』です。『人間自身の革命』です」以前から創価学会が掲げる「人間革命」の思想に関心をもっていたペッチェイ氏。「人間革命には、どれくらいの期間を要するのでしょうか?」(ペッチェイ氏)
「多くの人々の人間革命には、かなりの時を必要とするでしょう。しかし、行動せずして種をまかずして前進はありません」(池田先生)。
「人間革命」の思想にペッチェイ氏は心から共感し、大きな希望を抱いた。
画像:ペッチェイ氏と池田先生の最後の会見。この時、氏は「どういうことがあろうと、より深い友情でいきましょう!」と池田先生に語った(1983年6月21日、フランス・パリ)
ペッチェイ氏と池田先生の最後の会見。この時、氏は「どういうことがあろうと、より深い友情でいきましょう!」と池田先生に語った
(1983年6月21日、フランス・パリ)
画像:ペッチェイ氏と池田先生の対談集『二十一世紀への警鐘』
ペッチェイ氏と池田先生の対談集
『二十一世紀への警鐘』
青年の人間革命によって世界は変わる
ペッチェイ氏と池田先生の出会いは、ペッチェイ氏が亡くなる直前までの約10年間、パリ、東京、フィレンツェなどで5度に及んだ。この“警世の対話”は、対談集『二十一世紀への警鐘』(84年)として上梓された。
晩年、ペッチェイ氏はことあるごとに語っていたという——「世界を変革できるのは、青年だよ。青年の人間革命によって、世界は変わるんだよ」と。ペッチェイ氏が人類に対して鳴らした警鐘の先見性は、21世紀の現在、いや増して光っている。
「池田会長、私たちの意見は一致しました。やりましょう。私たちは握手しましょう。21世紀のために!私たちの子どもや孫の世代のために!手遅れにならないうちに!」
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