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[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
1. アラジン2[4354] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 10:23:01 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[1]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

https://twitter.com/yoshimichi0409/status/1560408490644238342?cxt=HHwWjMDT1afQ16crAAAA


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c1
[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
2. アラジン2[4355] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 10:27:16 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[2]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

■なぜフランスは週休3日ができるのか? (2022/4/25)
https://www.no-dame.info/villain-france/

●抜粋
フランスにはこれといったハイテク企業のような稼ぎ頭はありません。
それなのになぜあんなに贅沢な暮らしができるのでしょうか?
(略)
フランスには、公には決して言えない「年間56兆円とも言われる巨額の副収入」があるのです。

それは
アフリカ14カ国への植民地支配と徹底的な搾取。

フランスのアフリカ旧植民地、14カ国とは、
セネガル、ギニアビサウ、マリ共和国、コートジボワール、トーゴ、ベナン、
ブルキナファソ、ニジェール、チャド、中央アフリカ共和国、カメルーン、
赤道ギニア、ガボン、コンゴ共和国

(略★私注★搾取の方法は本文を読んで頂きたいですが、
つまり通貨発行権をフランスに握られてるからです。非常にアクドイやり方です)

独立を試みた大統領はどうなったか?

・トーゴでは間もなくクーデターが起こり、オリンピア大統領は殺害。
・マリでもクーデターが起こりケイタ大統領は逮捕・監禁。
・ブルキナファソでもクーデターで大統領が殺害。(私注★トーマス・サンカラ)

彼らは皆、クーデターを起こされ、人知れず殺害、監禁され、闇に葬られてしまったのです。
(略)

***************

アフリカ全土を理想社会にしようとしたリビアのカダフィ大佐を暗殺したのは
欧米NATOだ!
ブルキナファソのトーマス・サンカラは、「アフリカのチェ・ゲバラ」と呼ばれた人だ!

https://twitter.com/tamama0306/status/1577645132471754752


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c2
[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
4. アラジン2[4356] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 10:56:10 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[3]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

ブルキナファソのトーマス・サンカラとは。

■サンカラ革命とブルキナファソ(2)(2014/12/3)
https://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/993f08b7f0094268eb07eefa02459884
(略)
# アフリカのチェ・ゲバラ
サハラ沙漠の南端にブルキナファソという人口1100万人ほどの貧しい国がある。
2002年現在、一人当たりの国民所得が208ケ国中193位という最貧国である。
国土は27万平方kmだが、地下資源もなく、大半が乾燥地で耕作可能な土地は全体の25%しかない(3)。
 
ブルキナファソは、1960年に共和国オートポルタとして独立したが、世界の中でも最も貧しい国だった。非識字率は、90%以上。乳児死亡率は1000人あたり280人と世界の最高で、基本的な福祉サービスとインフラに欠け、医師は5万人に1人しかいなかった。

1人あたりの平均年収は150ドルにすぎず、新植民地主義と搾取的な封建制度が残り、人民を搾取することに一片の恥じを感じない寄生官僚が満ち溢れていた(1)。

以前の宗主国だったフランスに事実上管理され、軍事政権による政治腐敗がはびこり、3万8000人いる役人が国家予算の70%を自分たちの給与にあて、10月に予算を使い果たすと外国の援助に頼り切るというありさまだった。

役人たちはたいした仕事をせず、全住民には人頭税がかけられていたため、支払いができない世帯には、村の徴税係が容赦なく家財や牛、ヤギ、農産物などを取り立てた。

差し出すものがないと強制労働に従事させられたり、女性が未納税のツケとして要求されたりしていた(3)。
ここで、トーマス・サンカラ(Thomas Sankara・1949年12月21日〜1987年10月15日)という名の青年が登場する。

「この20世紀末にあり、いまだに人類が苦しめられているあらゆる弊害の小宇宙だ」
サンカラは、かつて祖国をこう記述したことがある(1)。

サンカラは、モシ族とフルベ族との混血で聡明で快活な人物で、国民を養うための食料を生産するには、社会的公正が不可欠である、と考えた(3)。

サンカラは1949年12月21日にカソリック教徒の家庭に生まれた。父親は軍人で、第二次世界大戦中にはフランス軍としてナチに拘留されたことがある。
だが、家族は、サンカラが軍人ではなく、カトリックの牧師になることを望んでいた。

サンカラは、マルクス主義を信奉していたが、カトリックも信じていた。
同時にイスラム教徒が多い国柄だけあり、コーランにも精通していた。

だが、1966年に中学校で基礎的な軍事教練を受けた後、サンカラは19歳から軍人としての道を歩み始める(1)。彼と同じ世代のアフリカ人の多くがそうであったように、1年後に仕官としての訓練を受けるため、マダガスカルの首都アンチラベ(Antsirabe)に派遣される(2)。

だが、23歳のサンカラがマダガスカルに到着した数カ月後、1972年にマダガスカルでは学生と労働者からなる大規模な暴動が発生し、マダガスカル大統領は打倒される。
サンカラは、大衆運動に興味をそそられた(1)。

サンカラは1972年にオートボルタに帰国し、1974年にはマリとの国境紛争を戦った。そして、パラシュート部隊としての訓練を受けるため、フランスに行ったが、そこで、サンカラはフランスと旧植民地との矛盾を目のあたりにすることになる(2) 。
 
1976年、サンカラはコマンド・トレイニング・センターの指揮者となり、後に革命の同士となるブレーズ・コンパオレ(Blaise Compaore)とともにモロッコにいた。そして、仲間の若手将校とともに、秘密組織「共産主義将校団」を結成。

その中には、アンリ・ゾンゴ(Henri Zongo)、ジーン=バプティスト(Jean-Baptiste Boukary Lingani)といった人物もいた。

サンカラは軍の大尉だったが、仲間の若手将校団とともに1982年11月7日のクーデターを起こし、1983年1月に首相になった。

だが、フランス大統領の息子であり、アフリカの事務アドバイザー、ジーン=クリストフ・ミッテラン(Jean-Christophe Mitterrand)の訪を受けた後に自宅監禁。アンリ・ゾンゴやジーン=バプティストらも逮捕されてしまう。

これが大衆暴動を引き起こした。
ここで、ブレーズ・コンパオレが再びクーデターを起こす。このクーデターは、チャドでフランスと戦う寸前であったリビアに支援された。

チャドはリビアと交戦しており、フランスはチャドに空軍を提供していたのだ(2)。
こうして1983年8月3日に政権を掌握したサンカラは大統領になる。まだ、33歳の若さだった(1)。
 
1983年10月2日のスピーチで、サンカラは、自らを革命家とし、祖国の革命を「反帝国主義」と定義し、腐敗と戦い、森林を再生し、飢饉を防ぎ、教育や医療の普及を再優先課題として掲げた(2)。
以来、サンカラが突き進めた革命には目覚しいものがあった。

例えば、サンカラの就任後、大規模なワクチン接種キャンペーンを実施するアフリカの最初の国家となった。
その年、キューバからのボランティアの援助により、250万人の子どもが伝染病から免れることができた。乳児死亡率は2年もたたずして1000人あたり145人と急減した。

サンカラは、サハラ砂漠の進行を抑えるため、最初の年に1000万本の植林による森林再生プログラムも始めた。

また、教育にも力を入れた。入学率は、わずか2年で12%から22%に高まり、卒業し読み書きができるようになった人々は、他のものに読み書きを教えることが奨励された。

また、それまで歴史的に乏しかった愛国心を高めるため、サンカラは、徴兵制度を設け、同時に大衆組織として武装CDR(革命防衛委員会)を結成した(1)。
 
1984年、革命1周年を記念し、サンカラは国名を「高貴なる人々の土地」を意味するブルキナファソに変え、新たな国旗を制定し、新たな国歌(Une Seule Nuit)も書いた(2)。
 
女性地位向上は、サンカラが目指した目標のひとつで、サンカラ政権には女性も多く含まれていた。これは、西アフリカでは先例がない政策だった(2)。家長的で古風な封建的な文化のくびきから女性を解放し、女性の地位を向上させ、社会の中で女性が果たす役割を認識させるキャンペーンも展開した(1)。

一夫多妻を禁止し、避妊を促進。
さらに、エイズがアフリカにとり脅威であることを公に認めた最初のアフリカの政府にもなった(2)。
 
サンカラは、PRセンスも優れていた。ブルキナファソ革命に国際的な報道機関の関心を寄せるため、象徴的な政策を展開してみせた。
例えば、サンカラは政府が所有していた高級車メルセデスのほとんどを売却し、大臣の公用車には、ブルキナファソで最も安いルノーにした。

また、全員女性からなるオートバイ警戒隊を結成した。
また、軍の店舗を国民に開放したが、それが最初の国営スーパーマーケットとなった(2)。
 
サンカラはブルキナファソの人々の意識を変えた。
それまで、国内には公的機関以外には働き口がなかったが、国内を各地域の持つ文化や歴史に配慮して30の行政区に区分し、各地域で住民たちが地域を治めていく「自主管理政策」を導入した。

住民自身が役人たちを雇い、道路、建設、水道、保険・医療事業など本当に自分たちの暮らしに必要な公共サービスを実施していくやり方を導入したのである。
 
また、評判の悪かった人頭税を廃止し、開墾可能な土地を国有化した。
村の運営責任者が自分たちの判断で各戸に土地を割り当て、農業指導者がいつ何を作付けすれば良いのかを指導する。

そして一人ひとりの作業量に応じて金銭や収穫物、人的サービスという形で支払いを行なった。
各戸の必要に応じて土地が配分され、強制的な徴収に脅かされることがなくなった農民たちは安心して農作業に汗を流していく。
 
改革がはじまって4年も経たないうちに、農業生産は急増し、国家支出は大幅に削減され、産み出された資金は、道路建設、小規模水道敷設、農業教育の普及、地域ごとでの手工業の促進など、住民に密着したプログラムに投資された。

わずか4年で自給自足農業への転換が図られ、人々は人間としての生きる誇りを回復。

雄大な希望に燃えて、例えば、サンカラが呼びかけた鉄道敷設事業には金銭的な報酬がないにもかかわらず、自発的にボランティアで住民が参加し、灼熱の太陽の下で数千の人々がレールを敷き、鉄道建設に汗を流していった(3)。
 
サンカラは、若く、美男で、雄弁で勇敢で、かつ情熱的もあるカリスマだった(1)。
優れたギタリストで、モーターバイクが好きだったことも人気を呼んだ。
おまけに暮らしぶりはつつましく、自分の利益のために壮大な屋敷を建設するそれまでのアフリカのリーダーとは著しい対照的だった(2)。

サンカラは、アフリカ諸国が歴史的な事情や自然環境によって経済発展が遅れているとしても、正しい経済政策と人民の努力によって経済発展は可能だと考えていた。
 
1984年10月、ニューヨークで開催された第39回国連総会では「黒い肌をしているだけで、あるいは文化が異なるというだけでほとんど動物と変わらない扱いしか受けていないこの数百万人のゲットーにいる人々を代表してわたしは語りたい」で始まる劇的な演説行っている(4)。

同84年にサンカラはキューバも訪ねている。
サンカラは、キューバ人以外のリーダーに与えられるキューバの最高栄誉、ホセ・マルティ賞を受けた。

サンカラはスペイン語に堪能ではなかった。
だが、飛行機でキューバにいくわずかの間にも、スペイン語での受賞演説を準備した。
翻訳でよいと語るキューバ人に対し、サンカラはこう答えた。

「翻訳は反逆者です。私が愛し、感動するキューバ人民とその革命に私のメッセージを生で伝えたいと思うのです」
 
人間としての尊厳や全アフリカ人の自治を守り、教育を普及し、アフリカが連帯する。
サンカラの描く未来のビジョンは、国境を越え、多くのアフリカの若者の心を鼓舞した(1)。

サンカラの改革とブルキナファソの名は、西アフリカはもとより、中部アフリカ地域に至るまで広まった。

このサンカラの改革は、困ったことだった。
政治的に腐敗していた近隣諸国にも影響を及ぼしかねなかったからである。
事実、象牙共和国、ガボン、トーゴ等の各政権は多いに揺さぶりをかけられた。
サンカラの改革をそのまま見逃しておくわけにはいかなかった(3)。
 
1985年にひとつの不幸な事件が起きる。
ブルキナファソは国勢調査を実施していたが、その調査の間に、マリのいくつかの部族のキャンプが、誤って訪問を受けた。それが契機となり、1985年のクリスマスに、マリで緊張が高まり、5日間の戦闘で約100人が死んだ。

ほとんどの犠牲者は、マリの爆撃機で殺された民間人だった。
この隣国との関係悪化を契機に、1987年10月15日、サンカラは、右腕としてもっとも信頼を寄せていたブレーズ・コンパオレが組織した反革命クーデターにより、12人の他の仲間とともに暗殺された。

サンカラの遺体は、すぐさま無名墓地に埋められた。
クーデター後、サンカラの死が伝えられたが、いくつかの革命防衛委員会は数日間、国軍に対し武力抵抗した(2)。
 
暗殺は80年代のアフリカでは一般的だった。
サンカラは、暗殺の危険性を予知していたのであろう。
死の1週間前、サンカラは国民に向かってこう述べていた。
「個人として革命家を殺すことはできても、その思想までは殺すことができない」(1)。
 
だが、サンカラの死とともに、ブルキナファソは、政治腐敗、それと表裏一体の外国の支配、浪費的国家財政、寄生的官僚主義、慢性的飢餓、絶望する農民たちという普通のアフリカの状態に戻った(3)。

トーマス・サンカラ。享年38歳。
アフリカの「チェ・ゲバラ」と呼ばれたサンカラの死は、本物のゲバラのものよりもさらに短かった。

(引用文献) (1)Kangsen Feka Wakai, A Warrior's Tale. (2) thomas-sankara biography (3) ジャン・ジグレール『世界の半分が餓えるのはなぜか』(2003)合同出版 (4) アフリカの改革者 トーマス・サンカラ■
(略)

#「サンカラの死とともに、人びとの大きな希望も打ち砕かれた。
現在のブルキナファソは、現在もコンパオレの統治下にある。
そして普通のアフリカに戻ってしまった。

政治腐敗、政治腐敗と表裏一体の外国支配、北部地方でつづく慢性的飢餓、新植民地主義下での人間としての尊厳の軽視、浪費的国家財政、寄生的官僚主義、そして農民たちの嘆き。」#
 
しかし、コンパオレを国外に追い出した、去る10月末の数十万の大群衆デモは、サンカラ革命の記憶がブルキナファソの人たちの胸に激しく蘇っていることを明らかに示しています。

ブルキナファソだけではありません。
主に労働争議の形で、西アフリカのガーナやニジェール、ナイジェリアなどで民衆の擾乱が頻発しています。
これが本当の、真正の“アフリカの春”の到来の兆しであることを私は願ってやみません。

**************

トーマス・サンカラ、カダフィ大佐。
自立し、豊かに暮らす人々を虐殺する欧米。
こいつらこそ、真の地球の癌細胞だと思います。
移民が欧米に押し寄せる? 
自国で生活できなくなった移民を作ったのは、そもそも欧米自身だ。

https://twitter.com/2dw4G89i5r6LgqM/status/1555221826317729792?cxt=HHwWgIDSiduAoZUrAAAA


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c4
[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
5. アラジン2[4357] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 11:15:56 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[4]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

アフリカからの奴隷は有名ですが、ヨーロッパの酷い悪行はあまり知られていないです。
翻訳ツール https://www.deepl.com/translator
字数制限5000文字なので長文は分割コピペで。

https://twitter.com/Africa_Archives/status/1575773780680790016?cxt=HHwWgMDSvfP5ot4rAAAA

機械翻訳:
ベルギーでは、その日のノルマをこなさないと、本人や 子供の手を切り落としたそうです。今日、「チョコレートハンド」というキャンディが売られています。もし、それが絶対に狂気の沙汰だと思わないのなら、私は何を言っていいかわかりません。

彼らは、フライドポテトとワッフルで知られているだけで、ホロコーストが起こるずっと前にコンゴの人々をほぼ絶滅させたという事実はない。

ベルギーは、コンゴ人に強制的にゴムを採取させ、違反者には手を切断することで有名な場所です。


この手を切られた画像を、私はチベットでも見た。
ダライ・ラマが支配したチベットでは、農奴達が罰として手を切られていた。
参考:■西蔵資料館 〜チベットの本当の歴史〜 
    http://xizang.is-mine.net/index.html


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c5
[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
6. アラジン2[4358] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 11:39:25 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[5]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

現在、エボラ出血熱が流行している、ウガンダ。

https://twitter.com/Tamama0306/status/1551981288801705984

↑↑
私はエボラ出血熱は、アメリカがバラ撒いたんじゃないか? とも疑ってます。
コロナも、中国ではなくアメリカが怪しい説もありますし。


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c6
[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
8. アラジン2[4359] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 12:03:16 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[6]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

■アフリカはワクチン実験場ではない 仏医師らの提案をWHOが非難 (2020/4/7)
https://www.bbc.com/japanese/52194771

新型コロナウイルスのワクチン開発をめぐり、フランスの医師らがアフリカで治験するよう提案し、世界保健機構(WHO)などが「人種差別」だと非難している。

問題の発言があったのは、フランスの放送局LCIの番組での討論。
保健衛生の研究所インセルムの研究責任者カミーユ・ロクト氏が、欧州やオーストラリアでのワクチン治験を話題にした。

これを受け、パリ・コチン病院の集中治療の責任者ジャン=ポール・ミラ氏は、
「挑発的な発言が許されるなら、こうした治験はアフリカでするべきではないだろうか? アフリカにはマスクがないし、治療も蘇生もできない」と述べた。

また、「一部のエイズ研究の実施と少し似ている。売春をしている人でいろいろ試すのは(ウイルスに)高度にさらされていて、予防もしていないと知っているからだ」と主張した。

この提案にロクト氏はうなずき、同意を表明。
「そのとおりだ。私たちもアフリカで並行して治験をすることを検討しているところだ」と述べた。

ミラ氏はこのやりとりの前に、オーストラリアや欧州の医療従事者は就業中、感染症対策の防具を使用可能だとして、治験の効果を疑問視していた。

●「植民地主義の名残」

WHOのテドロス・アダノム・ゲブレイエスス事務局長は記者会見で、
「アフリカはいかなるワクチン開発の実験場になり得ない」と述べ、
フランスの医師による発言を非難した。

テドロス氏は怒りをあらわにし、「植民地の精神性」が残っていると指摘した。

また、「21世紀に科学者のこうした発言を耳にするのは不名誉なことであり、ぞっとする。
発言を最大限に非難し、そうしたことは起こらないと保証する」と述べた。

サッカーの元コートジボワール代表ディディエ・ドログバ氏は、
「あまりの人種差別だ」と批判。
「アフリカの人々を人間モルモットとして扱うな! まったく腹立たしい」と述べた。

元カメルーン代表サミュエル・エトー氏は、2人の医師を「人殺し」と呼んだ。

アフリカには、新型ウイルス治療のモルモットとして人々が利用されるとの懸念が現実のものとして存在する。
コロナウイルス対策の関連施設が襲撃されており、先日もコートジボワールの最大都市アビジャンで建設中だった施設が抗議者たちによって破壊された。

今回の発言は、そうした懸念を強める結果となっている。
(略)


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c8

[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
9. アラジン2[4360] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 12:34:49 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[7]
>>8 関連。
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

アフリカはまた、人体実験の大陸でもありました。

下記の記事を読むと、>>8 で、フランスの医師が
アフリカでコロナワクチンの治験をしようと発言した理由がわかります。
それは、いつもそうしてきたからです。

■モルモットにされたアフリカ人たち  〜今日も地球の片隅で〜 (2006/6/25)
https://ameblo.jp/ishihiroyuki/entry-10014019862.html
(略)

米国では1950年代にポリオの生ワクチンの開発が進められ,セイビン,コプロフスキー,コックスの3人の科学者がほぼ同時に「弱毒ワクチン」を開発し,最終的にセイビン・ワクチンが選ばれた.

この開発の過程で,コプロフスキーは1957年から60年にかけて,ベルギー領コンゴ(現コンゴ民主共和国)で,約900万人の子どもに無断で開発中のワクチンを投与した.

このワクチンはチンパンジーの腎臓でポリオのウイルスを増殖して弱毒化したものだ.
この腎臓がセイズ・ウイルス(サルのエイズ・ウイルス)に感染しており,生ワクに混入して人間に投与された後に突然変異を起こしてエイズになった,という説である.

アフリカのエイズイズ発症者で確認されている第一号は,1959年には同国の首都レオポルドビルで見つかっており,初期の発病者の38例のうち29例までが同国に関連し,ワクチン試験地域と当時のエイズ患者の発生地域とが一致するともいう.

しかし,当時のワクチン開発の関係者からこの説を真っ向から否定する意見が相次ぎ否定的な空気が支配的だが,一部には熱烈な支持者もいる.

あながち否定できないのは,この人体実験が行われた独立前のアフリカでは,欧米がさまざまな危険な人体実験を,被験者の同意もなしに行っていたからだ.

そのなかには,住民に効果も副作用も定かではないマラリアのワクチンを投与したり,共通感染症を調べるためにチンパンジーの血液を注射した実験まであった.

だが,この人体実験はいまだにアフリカでつづいている.
規制がほとんどなく,わずかな報償で応じる貧しい人も多くてコストは安上がりだ.

試験にかかる費用は,先進国の5分の1以下の場合も多いといわれる.
欧米本国では不可能な安全性を無視した人体実験がまかり通っているとする「告発」もある.

保健衛生が立ち遅れたアフリカは,薬剤の臨床試験には都合がよい.
感染症をはじめ病人の割合が高く,その大部分は集中的な治療を受けていないために病状がはっきりして,薬効が確かめやすい.

医療の機会の少ない現地民に期待感を抱かせて,実験に誘い込むことは容易である.

ナイジェリアでは,米国の新興製薬会社から委託されたNGOが,抗エイズウィルス剤の新薬テノフォビルを本人の同意もなく地元民に投与しており,倫理に反するとして2005年に中止に追い込まれた.

この新薬は,カンボジアで大々的に実験され,フン・セン首相が2004年に臨床試験計画の停止 を命じたいわくつきのものだ.

カメルーンでは2004年から2005年にかけて,セックスワーカー(売春婦)400人を対象にこのテノフォビルの臨床試験が行われた.

この新薬はエイズ・ウイルスに対して効果があり,人間への効果を確かめるために感染率が高いと考えられるセックスワーカー集団を試験対象に選んだのである.

これも,倫理に反するとして2005年にそれぞれ実験中止に追い込まれている.
ただ,ボツワナ,マラウィ,ガーナでは依然として,つづけられているという

2001年には,ナイジェリアの約20の家族が,新薬の実験で死亡したり重大な後遺症が現れたとして米国の製薬会社を相手取り,ニューヨークの裁判所に訴えを提起した.
この新薬は細菌性髄膜炎の治療を目的とした抗生物質だ.

この病気がナイジェリアのカノ地域で流行していた1996年に臨床試験が行われ,被験者となった子供200人のうち11人が死亡し,数人が聴覚や言語や運動機能に重い後遺症を負ったという.
裁判は継続中である.

アフリカの現地民が実験台になるのに同意しても,その多くは英語やフランス語の非識字者だ.
同意書にしても,被験者となるための注意書きにしても,ほとんどが英語やフランスで書かれているために,理解できない場合が少なくない.

カメルーンでエイズ救済のために働くNGOによると,試験薬を与えられた女性たちのなかにはワクチン接種に登録したのだと思っている者もいたという.

また,薬の効果を比較検討するために,一部の被験者にはプラシーボ(偽薬)が投与されるが,ほとんど場合,被験者に対する医療上の配慮やエイズの予防対策は行われていなかった.
また,こうした実験が政府関係者に報告されることもほとんどない.

臨床試験は新薬の認可と商品化のために,製薬会社にとっては欠かせない.
世界中で行われている臨床試験は毎年10万件近くにのぼり,そのうち10%が途上国で実施されている.

米国厚生省によれば,米国の政府や民間の資金によって米国外で実施された試験は,1990年には271件だったのに対し,1999年には4458件にもなった.
途上国は製薬会社の臨床試験の標的となっている.

本人の同意もなく,詳しい情報も与えられず,現地の被験者や患者にとっても利益もきわめて限られたものだ.

熱帯病の専門誌(Tropical Medicine and International Health, 1999, No.4)によると, ←★★★
1972年から97年までの間に新たに商品化された医薬品は1450種あるが, ←★★★
熱帯病の薬はわずかに13種にすぎなかった. ←★★★

世界の医薬品市場の規模と途上国の貧困との間には大きな落差がある.
2002年の統計で,世界の医薬品の売上は,4000億ドルを超えている.
これは3000億ドルしかないサハラ以南アフリカ諸国の国内総生産の総額を上回っている.

アフリカで試験され商品化に成功した医薬品の恩恵を ←★★★
アフリカ人が受けることはきわめて少ない.←★★★

研究の資金を出し,被験者を選び,試験を行うのは製薬業界である.
ナイジェリアの細菌性髄膜炎患者に抗生物質を与える試験では,製薬会社が大型旅客機をチャーターして,機材や人員を乗せていきなり現地にやってきたという.

したがって,研究対象となる医薬品の選択やその評価も,必然的に偏ったものにならざるをえない.

新薬の開発には膨大な研究費がかかり,製薬会社は投資に見合う収益を求めるために,現地の利益よりも会社の利益が優先される場合が大部分だ.
現地国政府がその活動を規制や監督することは,現実には不可能に近い.

世界医師会(WMA=本部パリ)は,1964年に採択したヘルシンキ宣言で各国に倫理委員会の設置を提唱している.
倫理委員会は,臨床試験の実施の前にその方法と適切かどうかを確認し,試験地域の社会経済的環境が実施可能であるかどうかを判断するものだ.

アフリカでは,まだ一部の国にしか倫理委員会が設置されていない.

こうした人体実験についてフランスのル・モンド紙に寄稿したセネガルの開発研究所所長のジャン=フィリップ・シポー医師によると,

「現地アフリカで臨床試験を行うには,そこに特有な病気や医療と医薬品安全性監視の実情が考慮されるようにすべきだが,実際の試験が適切に行われているとはいいがたい」と指摘する.

(岩波書店刊「科学」から再録)


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c9

[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
10. アラジン2[4361] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 13:02:31 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[8]
欧米がアフリカを食い物にしてきた。
集めたソースを貼らせて下さい。

「ルワンダの虐殺」。
フツ族が80万人を超えるのツチ族を組織的に殺りくしたと言われる事件。
しかしこの二つの民族は元々同一民族だったものを、
ベルギーが植民地支配のために分けたものだった。

これは「フツ族とツチ族の衝突」ではなく
「フツ族とされたものとツチ族とされたものの衝突」だった。

■【ゆっくり解説】しくじり国家〜ルワンダ共和国〜【完全版】(2020/3/22)
https://www.youtube.com/watch?v=Nzb1kYdHpyw




http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c10
[国際32] アフリカのクーデター頻発の意味/田中宇 仁王像
11. アラジン2[4362] g0GDiYNXg5My 2022年10月19日 13:15:19 : cSp8Y6jAYQ : WkFJbWY1cHNSM00=[9]
>>7
>なぜこんな残虐な事が出来るのかわからず、長い間「ひと」ってどういう
存在なのか考えました。

私も同じです。

>それからそれへと辿って行き、キリスト教(或いは宗教)の嘘にたどり着きました。

私も同じです。

「欧米は先進国、文明国、自由と民主主義の素晴らしい国家」という洗脳から
とっとと目覚めないと、
日本は消えると、マジで思ってます。

日本がアジアにした仕打ちを思うと、他国ばかりを非難してはいられんのですが。

https://twitter.com/Africa_Archives/status/1582440766399721473?cxt=HHwWgsDR9cXf-vUrAAAA
機械翻訳:
アフリカの祖先に彼らがしたことを決して忘れてはならない。血で書かれた歴史は、インクで書かれた嘘によって覆されることはない。

https://twitter.com/Africa_Archives/status/1582440072473083906?cxt=HHwWhIDQ4ZO3-vUrAAAA


http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/270.html#c11

   

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