1. 2023年5月22日 12:23:16 : nLrY3zHqAI : WHM3MGxOVTRiTlk=[1]
例えば夢の世界でも同じことが言えます。夢の世界と称する場所にいま自分が居るということもわかりません。その間はそこがまごうことなき現実の世界だからです。しかしあまりにもそこが辛くて大変で、理不尽であるとする。そして何かしらののきっかけで、「もしここが明晰夢の中の世界では?」と疑いをもつ。そこでその確信を得ようとまじまじと手当り次第にあら探しをする。しかし、明晰夢というのは恐ろしいほどに現実感そのものの姿しか底に提示することはありません。しかしそうしていても何かしら心に一度もった疑問は引っ込めることは出来なくなります。そうして強く自分の意識をつかってその現実を打破しようとします。そこから抜け出そうと必死にもがくでしょう。そして何かを強く振りほどいた時、ほおらやっぱり夢だったと目覚める、そうした体験を一度でもしたら、あなたが戻ってきた現実もその世界と地続きであることを理解するのではないでしょうか。
わたしはそうしたことを何度か体験して、確実に向うの世界がリアリティそのもので、そしてまた自分の心の反映であると言う確証を得ました。夢と云うものが自分ですべて作っているとするなら、まさにそのようにこちらの現実も一定レベルの同意を離れた場所でそうだという事だと確信するようになります。おっしゃる通り観念がブロックとして意識の妨げとなっています。
人々に必要なのはそこに気づくことと、そこで自らの意思の強さを望みの方向に示すことだけだとおもっています。
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