18. 2019年7月08日 09:53:54 : KKDITQv9fU : WFVhMFdxSGVKZzI=[1]
野原さん>「公明党はどうでしょう。平和、福祉と言いながら、辺野古の問題、ずっと傍観し続けてるじゃないですか!」
野原帝都参上の意味は重い、ウチナハとは何か、ウチナンチュウとは何か、戦争と平和、そのアイデンテイテイを求めての参上では、金城哲夫を想起させる。浅黒い顔、太い眉、ガッシリした体、容貌は似ちょるがそれだけでない。故郷を離れて玉川学園に入学した金城哲夫にとって、遠く離れれば離れるほど、ウチナハとはウチナンチュウとは、その問いかけが強まった。後のウルトラマンにかけた金城の思いは何であったか、ウチナハは今最も苦しい、がヤマトは必ずウチナハを助けに行く、行ってくれる、“光の国からぼくらのために、きたぞ我等のウルトラマン”。
野原参上を金城哲夫を比したが、野原さんも自らのアイデンテイテイを求めながら、帝都での辻説法を通して、ヤマトとウチナハの関わり合いを問いかけてるのだ。野原参上が重いのは反創価の視点からだけでないからだ。
7/4阿修羅赤かぶ“出馬前夜、10人そろい踏みで総決起!”に下記コメを載せたので、今回記事と関連するので再掲する。
< “帝都で日蓮大聖人が辻説法”
765年のブランク破って、政治の中心地帝都に、日蓮大聖人が再臨し辻説法することになった,野原まさよし氏である。先代大聖人は、世の乱れ政治の乱れ、国難接近を背景に、1254年政治の中心鎌倉で辻々に立ち,説法始めた。今また野原まさよし氏も、ウチナハの人々の苦しみを背景に、最早こげん格差は見ておれないと、先代聖人の教えに反すると、遂に立ち上がった。乱れや苦しみはウチナハだけでない、ヤマトにも全国土にも広がっちょると、国難とでも言える状況だと、野原まさよし氏は説法する。働けども働けども暮らし楽にならざるしジットわが手を見る、100年経て啄木の嘆きが、わが国では残念だが普通のことになってしまった。貧困・格差だけでない、世の規律も乱れ、親が子を殺し子が親を殺し妻が夫を殺すんも当たり前の世だ。政治やまつりごとも乱れに乱れ、かって神州不滅の国と言われたんに、上に立つもんが国を売り国庫を明け渡し、ドサクサに国家資産の横領・私物化に精出し、しかも帝都の上空は2/3は外国軍隊に支配され、その軍事基地にグルリと包囲されおる。宗主国との軍事条約の矛盾を全てウチナハに押しつけ、基地の8割をウチナハに押し付けてる。こんたな状況を国難と言わずして何と言うか、野原まさよし氏の辻説法の核心である。先代大聖人も同じこと言ったろう。
帝都に長らく君臨してきたのは、山口ナチオとかいう偽日蓮である。野原まさよし氏はどちらが本物か、先代に倣って論争を仕掛ける。「一身の安堵を思わば、まず四表(しひょう)の静謐(せいひつ)を祈るべし〔自らの幸せのためにも、広く社会全体が平穏無事であるよう願い、そのような世の中になるために皆努力するべきだ」(出所:『立正安国論』ウイキペデ資料)。ナチスオは、時の権力に癒着・迎合し、戦争法・共謀罪法・カジノ法など国家・国民を破滅に向かわせるすべての悪法に率先同調し賛成し、先代大聖人の教えに反してきた。先代大聖人を継ぐおるのはどちらか、キッパリとケリつけようと、日蓮仏法と池田平和思想を真に引き継ぎおるのはどちらか、紙背に徹するとかの洞察力持たずとも、普通の判断力あれば、偽と本物を見分けることはできるじゃろうと、野原氏は語りかける。 765年を経て、日蓮大聖人が再臨し、その辻説法を聞くことができる、何と幸せなことだろう。 >