1. 中川隆[-12177] koaQ7Jey 2020年7月07日 05:05:34 : 0O7Pfazpe6 : VzlsUGNvMGlmMkE=[1]
>国中連公麻呂(くになかのむらじきみまろ / 生年不明〜774年)
>天平の大彫刻家(仏師)。その作品には、東大寺大仏・大仏殿。東大寺法華堂の不空羂索観音・日光菩薩・月光菩薩、東大寺戒壇院の四天王像、新薬師寺の十二神将像、唐招提寺の鑑真和上坐像、法隆寺の行信僧都坐像。ほかが挙げられる。
これは学会では誰にも相手にされていないデマ
日本美術史学会の定説は、この時代の仏像は工房による共同制作であるとし、制作者の個人名を特定していない。
国中連公麻呂は仏像づくりの技術者グループのリーダーだっただけで、自分で仏像を作った訳ではない
大仏建立の大事業に、当時朝鮮半島からやってきた渡来人が中心的な役割を果たしたことは、あまり知られていません。大仏鋳造事業の総監督は国中連君麻呂(くになかのむらじきみまろ)という人で、この人は百済から渡来した人を祖父にもつ技術者でした。君麻呂の祖父は国骨富という名前の百済の官人で、百済が滅亡した時日本にやってきた仏像づくりの技術者グループのリーダーだったと考えられています。今日的に言うと君麻呂は在日3世ということになります。
また、大仏鋳造の技術的指導者である大鋳師は高市大国・高市真麿という人で、これも大和国高市郡に住んだ今来(いまき・最近やってきたという意味)の渡来技術者でした。大仏殿の建築も、猪名部百世(いなべのももよ)ら昔に新羅から来た渡来人の技術者集団によるものでした。
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