55. 2020年3月08日 23:18:03 : 2pR5GcZCao : VWYvM1hITTFXSWs=[1]
>>52さん
明快な説明に納得して賛同します。事故当時の時系列は、東電の公表資料によると
3月11日 14時46分 発生した東日本大震災によって津波や外部電源喪失
3月11日 19時30分 圧力容器内の水位が下がり燃料露出が始まった。
3月12日 06時頃 メルトダウンに至った。
3月12日 10時17分 中央制御室からベント弁の小弁操作
10時23分 〃
10時24分 〃
3月12日 14時頃 コンプレッサーを使ってベント大弁を操作。
3月12日 14時30分 格納容器圧力低下でベント確認できた。
3月12日 15時36分 1号機水素爆発
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu12_j/images/120620j0305.pdf
「吉田所長か上司が」菅直人に答えたように、14時ごろにコンプレッサーが届いてベントされたわけですね。
それまでは、ベント大弁は重くて手動操作できなかった。そもそも、あまりにも強烈な放射線量のため、
ベントハンドルに近づけなかったというのが真相ですね。
そのことは、>>13さんのご指摘にもあります。
11 March 2011 at 6:00 UTC → 3月12日 6:00 + 0900 = 15 JST には、メルトダウンを示す大量の
キセノン133の放出が起こっていたとがCTBTOのデータ解析から判明していると。
すなわち、大量のキセノンの検出は、15 JST には、燃料棒の損傷によって、すべての核燃料がメルトダウン
を起こしていて、建屋内はとてつもない放射線が充満していたことを裏付けています。
描かれないといけないこの真相が描かれなかったのは、確かに詐欺以外の何ものでもないでしょう。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/548.html#c55