70. 2021年12月19日 12:46:28 : gfE0ZQaljM : VVVhTlBXbzFMNnc=[1]
民主化という現象を開発・発明した者とは国際金融資本だ。
国際金融資本は、自分達が直接国王軍・帝王軍と戦うことを避けつつ、国王軍・帝王軍に代わって権力を掌握するため、民主革命というものを考案した。
だから民主と言っても、主権者となるべき民衆には、統治コンセプトというものは存在しなかった。
民主化には2つの潮流があり、非宗教=非国王(王とは宗教上の祭司)の側から、国王の間違い(宗教の改革)是正を要求するグループ(政治言語上の左派=国際派)を生み出した。
(国際金融資本が黎明期の議会において左派=自由主義陣営と呼ばれる所以は、この多国籍商業圏の利益代表が、議長席から見て左側に議員席を与えられたことに起因)
これが民主主義の基本たる定義の1で、この具体的行動がアメリカ独立戦争とフランス革命である。
このように、民主主義の民の定義は、国際金融資本によって、当事国の政府を打倒するよう、洗脳されて活動する当事国の国民を指す。
次いで、共和制の波が次々と国王側政権を存立不能に追い込み、乱立した国際金融資本は、国際金融資本同士で覇権を巡る争覇状態に陥り、国際金融資本の中で世界を統一しようというグループによって、資本をルンペンと呼んで、世界政府樹立の具体的方法を打ち立てる。
この国際金融資本のうちの1つのグループ(スイス正義者同盟)が、カールマルクスに命じて考案・確立させたものが共産主義である。
しかし正義者同盟は、左翼内ゲバの原点とも言える、共産主義の必然に陥り、共産党宣言を行ったマルクスとエンゲルスは、背後資本の正義者同盟を離れ、敵対国際金融資本であった英国聖公会の元を頼って、そこで第一インターナショナルの結成に結びつけた。
第一インターナショナルに最多の労働者兵の派遣を行ったのは、直前の第一次イタリア独立戦争において、正義者同盟がマルクスに託した野望を打ち砕いて、イミルナティを崩壊寸前に追い込んだナポレオン3世のボナパルティズムフランスであった。
しかし、敗北したイルミナティとジュゼッペマッツィーニ総帥は、ナポレオン3世と和睦に成功しており、ナポレオン3世がフランス労働者兵の代表として第一インターナショナルに送り込んだ者こそ、このジュゼッペマッツィーニと共産主義破壊の神として未だに讃えられるミハエルバクーニンであった。
第一インターナショナルは紛糾し、結成は夢と散った。
マルクスは、世界各国の労働者兵を結集させて、当時存在しなかった安全保障の国際組織を結成・運営できる理論を発表することに迫られ、資本論を書いた訳で、おそらく未発表の資本論4編5編には、英国聖公会の背後資本であるロスチャイルドの役割が書かれていたはずだ。
マルクスと共産主義は、民主主義ではない。
民主主義の定義となるのは、共和制に反対するもう一つの考え方、アナキズムを元に考案される考え方である。
アナキズムの原点になったのは、アダムスミスの国富論からロバートオーエンの空想社会主義を経由するグループで、マルクス主義とはこの路線に対して正反対に対峙する。
国富論→空想社会主義→アナキズム→リバタリアニズムと進化していった自由主義の潮流は、アナキズムとして否定した共和制の在り方をリバタリアン左派、共和制を否定して民主制を選択するグループをアナキズム右派と定義する。
リバタリアン左派とは、アメリカ独立戦争・フランス革命以降、人権として確立された2つの概念(自由と平等)について、「機会の平等/結果の自由」を定義するグループ。
リバタリアン右派とは、自由と平等の相関を「機会の自由/結果の平等」と定義したグループである。
リバタリアン右派が産んだ最大の経済学派がケインズで、ケインズの自由主義(資本の役割>民主制)として確立させたものである。
しかし、インフレとデフレとは相反することを基軸としたケインズ主義は、理論上、インフレを回避できる筈であったが、ケインズ理論に基づく政策は世界恐慌を回避できなかった。
インフレとデフレは、相反するものではなかったのである。
インフレもデフレも、資本の堕落によって起こることを喝破・指摘して、強制的に資本の主権を剥ぎ取って、民(生活者)に主権を移譲させる方法が考案された。
これが、民主化するには、これ以上の具体的かつ合理的な方法はないとしてノーベル賞に値した理論、フリードマンの新自由主義理論である。
つまり現在、民主主義にするには、新自由主義化以外に、その合理的道は無い。
しかしフリードマン本人が語っているように、新自由主義とはその方法として間違いないものだが、悪意ある運用者の手にかかれば、制度がいくら正しくても悪用は可能とされている通り、最終的には人の善意が欠けておっては、何事も成果は得られないと語られる通りであろう。
このように、マルクスと正反対な立ち位置から出発したはずの新自由主義は、その主権者がコミューンという絶対普遍(コンサバティブ)な指導者を据える共産主義か、市場原理という完全に曖昧(リベラル)な主権者が据えられるか、それが違うだけで、その完成形として、国家は不要/1つの国際ルールがあれば良いという、驚くほど同じ完成形を描いている。
マルクス主義者は、その主権はコミューンでなければならないとして、この目的を果たすべき政府ソビエトを諦め、アメリカ合衆国へその地位を移譲しようとする「新しいコンサバティブ」に奔った。
日本でも、これに倣って、続々と共産主義者は保守転向を果たしたわけだが、彼らが行動を起こすには、その背景を担保する、フリードマンの理論に勝る民主化否定を正当化する理論が提起されたことによる。
その、共産主義者が、新自由主義に対抗するため、新たな学派・新たな事実の構築を果たした人がアウレリオペッチェイである。
ペッチェイが発表した地球温暖化理論と、化石燃料を廃止して原子力発電をという理論は、巨大な政府が存在せねば、人類は生きていけないという概念のもので、巨大な政府・偉大な方針決定をせなばならないのに、市場の原理で、資本の行動が制約・変更されたのでは、地球温暖化に適応できないという、反新自由主義を正当化する理論が構築されるのだ。