6. 楽老[1974] inmYVg 2021年2月18日 12:01:56 : FfGokhyyIM : VGtOUzBtQmM2RnM=[1]
エネルギー源を技術史的に見ていくと
落雷や山火事等の自然現象からのもらい火に始まり、火を起こすことを覚えた。
これが薪炭を熱源とし次に石炭⇒石油⇒天然ガスと変遷した。
いずれも熱源が枯渇したための変遷ではない。
使いやすいモノへ熱量の大きいモノへトータルコストの安価な方へと言う事である。
1972年にローマクラブ【成長の限界】が出たが、その趣旨は間違っていないが、現実の進行とは乖離が大きい。
石油の限界が叫ばれて原発が出て来たように受け取る人も多いが
これは間違っている。
原発は第二次大戦が終結して、萎んでいく核兵器業界を救済するために恣意的にエネルギー源として持ち込んだものだ。
その意味では自然再エネも同じである。
いくらきれいごとを言おうと、安価で使いやすいものは廃れない。
米国一強の社会に前時代の覇者欧州が一矢報いようと放ったのが
地球温暖化であり
炭素悪者説
SDGsである
欧州の策略であったとしても世界の金融資本がSGDsをとなえれば、もうこの流れは止まらない。
日本の生きる道は
自然再エネを取り入れ、火力発電の効率アップと系統電力の融通化による総需要と供給力をマッチングすることだ。
日本国内での火力の効率アップは上限に近く困難だろうが
世界市場でみると非効率な火力を新鋭火力にリプレイスすることで排出量取引をプラスにする事も可能だ。
人口減少、車離れ(日本人の購買力が無くなった)、産業も学力も転落一途の現状を冷静に見るとエネルギーの総需要が増大することは無い。
原発など全く必要ない。