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[番外地10] マルクスの本を一冊も読んだ事が無い毛沢東が目指した中国式共産主義とは古来の伝統的な儒教思想だ 保守や右翼には馬鹿し
1. 保守や右翼には馬鹿し[108] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年4月02日 07:02:09 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[1]
マルクスの本を一冊も読んだ事が無い毛沢東が目指した中国式共産主義とは古来の伝統的な儒教思想だよ
 科挙制度が最大に機能したのは宋(960年〜1279年)時代だった。隋や唐の時代はまだ世襲貴族の力が強かったが、宋代になると、世襲者の無能によって権力内で貴族階級が衰弱し力を失ったことで、宋時代には、科挙試験合格が高級官僚への唯一の道になった。
中国における高級官僚の地位は、今では想像もできないほど強大なものだった。中国では伝統的に公金と私財の区別がなく、権力者は、公権力を利用して、私利私欲をほしいままにした。
 賄賂も当然で、官僚は、税や付届の金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能だった。
 この中国的強欲の官僚私物化習慣が、現代中国にまで連綿と続いている。中国国家の腐敗の根源は、この官僚私物化習慣にある。

 科挙は、宋代までは、優秀な実務者を選ぶ機能を果たしたが、明代(1368年〜1644年)になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されることにより、ひたすら暗記したものだけが合格できるようになった。

 この当時、科挙試験は、「八股文」という定型で回答しなければならなかった。
 これは「対句」と呼ばれる、出題に対して、同じ文体文節をもって解答を与える形式で、科挙試験の形式主義の愚を象徴するものだった。
 「科挙八股」という言葉は、清朝崩壊後まで、民衆感覚から遠く離れた、雲の上に住む中国の官僚主義の代名詞となっている。

 朱子学というのは、宋代に作られ、明代に発展し、日本にも持ち込まれた儒教の応用解釈で、中国だけでなく、ベトナム、朝鮮、日本など東アジアの広い範囲で、儒教思想を定着させる効果があった。
 朱子学は、国家権力を維持するのに、実に都合の良い思想だったのだ。

 天下の物、すなわち必ずおのおの然る所以の故と、其の当に然るべきの則と有り、これいわゆる理なり。 — 朱子、『大学或問』

 「すべての事物現象に必然性がある」と弁証法的な解釈を見せているものの、儒教創始者である孔子の教えに忠実であり、儒教のエッセンスともいうべき「長幼序列、権威への服従」が「おのおの然る所以」と、あたかも、人間の価値、権力が生まれながらに天から与えられたものであり、すべての人々が権力や地位に服従することが国家安定の前提であるかのように言う。

 「そこにある権力は天から与えられたものであり、それに服従することが平和と安定の原理」であるかのように決めつけているわけで、これを見れば権力者は大喜び、徳川家康などは、藤原惺窩や林羅山と相談して、この思想を国家安泰の礎とすべき国論と定めた。

儒教というのは、序列を最大の価値とするわけだから、自分の序列を守ることが、すなわちメンツを守ることであり、守るべき順位でいえば、
@国家 A階級 B地位 C性別 
というあたりだろうか? 個人の権利など含まれていない。

儒教思想は、徹底した「長幼序列主義」であり、女性を「子を産むための道具」としかない男性優位封建社会である。
 その根拠になっている「人には持って生まれた序列がある」という儒教価値観であり、制度として担保するのが選抜受験制度である。

 夫婦であれば男親、兄弟であれば長男、社会であれば地位・階級・家柄、親族であれば年長者が、実力もないのに威張り腐ることを容認する社会常識がコンクリートのように社会を支えている。
 だから、みんな必死になって見栄を張っている。カネがなくとも高級車に乗っていれば、誰からも馬鹿にされずにすむ。
見知らぬ人と出会うとき、最初に「こいつは自分より上か下か?」と探るのが人間関係の流儀である。

 儒教的序列価値観の前には、真実さえも力を持たない。年長者や権力者であれば、どんなに汚いウソをついても無理矢理許容させられる社会だ。
 夫であれば妻を足蹴にして、奴隷のように扱うことが常識として通用する社会だ。
 見栄やメンツのためなら、どんなウソでも犯罪でも通用し、ばれたら「謝罪すればいい」という社会秩序が成立している。

▲△▽▼

中国共産党は、全世界に「孔子学院」を設立して、思想的影響力を強めようとしている。
 なぜ、中国が、共産党思想宣伝の柱として孔子を持ち出しているのかといえば、それが秩序と権威を絶対視し、人間に序列をつけて、「下の者は上の者に黙って従え」という長幼秩序が共産党支配に非常に都合が良いからである。
 孔子の思想的核心を以下に抜き出してみよう。日本では、江戸時代に、徳川幕府が、思想統制に有効であるとして、林羅山による儒教「朱子学」を施政思想の柱として採用している。
 
 論語 
http://chugokugo-script.net/rekishi/rongo.html

  「民はこれによらしむべし。これを知らしむべからず。」(泰伯)
 これが儒教朱子学の最大骨子である。儒教が権力宗教と批判される核心論理でもある。
 権力者だけが何でも知っていればいい、民衆には何も教えず、無知のまま置くのが支配に都合が良いという意味であり、まさに愚民政策である。
 中国共産党もまた、民衆に真実は教えない。都合の悪い事実は、すべて隠して、民衆を無知蒙昧に置いてコントロールしようと考えているわけだ。
 中国共産党が孔子を持ち上げて、世界に強要しようとしている本質でもある。

  「女子と小人とは養い難し。」(陽貨)
 孔子は男尊女卑の人だった。生涯、五回ほど妻を得たようだが、すべて、「食事が気に入らない」という理由で、ちゃぶ台をひっくり返して追い出している。
 彼に必要なものは性奴隷であり、妻ではなかったのだ。

 忠・孝・仁・義・礼・智・信・恕・譲・恭・敬・悌
 @主君に忠節を尽くせ
 A長幼序列を守り、親に忠孝を尽くせ
 B人に仁(思いやり)を持て
 C義理を重んぜよ
 D礼が秩序の本質
 E智謀が大切
 F信義、誠実を持て
 G恕は「おのれの欲せざるところ、人に施すなかれ」
 H譲は、しゃしゃり出るな
 I恭は、目上の者に素直に従え
 J敬も、目上の者を尊敬せよ
 K悌は、年長者に従え

 孔子が広く支持されてきた理由は、なかなか意味の深い人生訓がたくさん含まれているところだが、その骨子は、上に示したように、年長者、権力者に都合の良い社会にせよと諭しているものだ。
 孔子の思想体系からいえば、社会のなかで、もっとも価値の高いものが国家権力であり、それは人々の生活や命よりも上だ、ということになる。
 だから国家権力は、大喜びで民衆に広く儒教を宣伝洗脳しようとしてきた。
http://www.asyura2.com/21/ban10/msg/862.html#c1

[リバイバル3] フランス人はバゲット(フランスパン)が一番好き 中川隆
56. 保守や右翼には馬鹿し[109] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年4月02日 08:36:28 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[2]
「音楽&オーディオ」の小部屋
「パリの空の下」のワイン
2023年04月02日 | ウマさん便り
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0bf74bd1bbe6a95b1fec4560e1688d02

先日のブログ「モーツァルトとアルコール」で、アルコールに関する「音楽の想い出」を募集したところ、やっぱりというか音沙汰なし〜(笑)。

半分諦めていたら「ウマさん」からタイミングよくお便りがあった。以下、ありがたくご紹介させていただきましょう。

「フランスの記録映画作家マークと、フランスを代表する新聞「ル・モンド」でコラムを書いていたオリヴィエの二人が、大阪のぼくを訪ねて来たのは、もうかなり昔、1980年のことだった。

ぼくのフランス人の親友アントワーヌが彼らに言ったらしい。
「日本に行ったら、大阪のウマと会うといい」

彼らは、大阪のぼくの実家に滞在し、かなり精力的にあちこち観て回ったようだけど、もちろんぼくも彼らをいろんなところへ案内した。

当時50歳前後だったオリヴィエは、ぼくの家で食事をする時でもネクタイを着用するなど、かなりの洒落者で、毎朝、ウチの洗面台で一時間ほどかけて身支度をととのえていた。ぼくなんか、長くて1分や。

彼らは、大阪はもちろん、奈良や京都など、取材も兼ねていたとはいえ、日本を大いに楽しんでパリに帰って行った。

さて、1982年2月、グラスゴーで結婚式を挙げたぼくは、日本への帰途、思い立ってパリに立ち寄った。当時アントワーヌは東京にいたので、マークとオリヴィエの二人に会おうと思ったんです。

ところが、オリヴィエとは連絡が取れず、マークに電話しても出なかった。仕方がない。マークの住所はわかっていたので、探し探し彼の住まいを訪ねてみた。

二人しか乗れない鳥籠みたいなエレベーターに乗って、彼の部屋を訪ねドアをノックしたけど返事がない。仕方がない。彼の帰宅をどこか近くで待つことにした。

来る途中の通りに、バー見たいな店があったのを思い出したぼくは、その店で、彼の帰りを待つことにした。

ガラスのドアや窓が開けっ放しの、かなり開放的なその店は、奥に細長いカウンターだけの店で、しかも立ち飲み。労働者ふうのおっちゃんたちが三名、ワイワイと昼間っから陽気にワインを呑んでいた。

ドアのすぐ近くに立ったぼくは、バーテンダーのおじさんに、おっちゃんたちが飲んでいる赤ワインを指差した。こういう場合、言葉がなくても通じるよね。「あれと同じのちょうだい」

おじさんは、カウンターにドンと置かれた樽から、ワイングラスになみなみと目一杯注いでくれた。キャッシュ・オン・デリバリーのようだけど、いくらかわからないからお札を出した。

かなりのお釣りがあったので、一杯いくらか、とっさに計算した。当時の日本円で80円と出た。あまりにも安いので、もう一度計算したけど、やっぱりグラス一杯80円や。安い!

ところがや、驚いた! びっくりや! この赤ワイン、めっちゃうまいのよ。
あまりのおいしさに目を白黒させてしまった。ぼくが英語で「ベリー・デリシャス!」と言ったら、隣のおっちゃんが、ポケットからカシューナッツをいくつか出して、ニコニコとぼくの前に置いてくれた。
「にいちゃん、これでもつまみ!」でしょうね。メルシー、ムッシュー、おっちゃん、メルシー!

そのワインの、あまりのおいしさに、お代わりした時、バーテンダーのおじさんに聞いてみた。

「ボルドー? ブルゴーニュ?」 おじさん、肩をすくめ両手を広げ困った顔をした。「わし、そんなん知らん」顔がそう言ってる。

自分のバーで売っているワインの産地を知らないんや。なんとええ加減なと、その時思ったけど、のちのちわかった。つまり、そんな産地のことなど気にせんでも、本物が身近に存在するってことなんやろね。

ワインってさあ、日本では蘊蓄の格好の対象だよね。だけど、このパリの立ち飲みバーでは、蘊蓄なんてあっちゃ行けー!なんです。ぼくは、やっぱり、こっちを選びたいなあ。

そうそう、かなり後年、とてもお世話になった方をご招待した時、蘊蓄抜きでさりげなく出したドン・ペリニョンで乾杯したことがある。ドン・ペリニョンをご存知じゃなかった彼だけど「ウマ!これうまいなあ!」と言ってくれたのは、とても嬉しかった。それで充分じゃない?
そう、パリの立ち飲みで学んだことを実践したんです。ま、蘊蓄を語るのは、時と場合を選ぶってことかなあ。   

その、パリの立ち飲みのバーの、通りを挟んだ斜め向かい側に、立派な門構えの邸宅があり、制服のおまわりさんが数人立っていた。おっちゃんたちにその家を指差し「What is that house? (あの家はなんですか?)」 英語で聞いて見た。おっちゃんたち、口々に「プレジデント、プレジデント!」
どうやら、フランス大統領ミッテランの公邸だったようですね。大統領公邸の向かい側に立ち飲みのバー、パリって面白いね。

もう一度、マークのアパルトマンを訪ねた。でも不在だった。仕方がない。諦めた。
で、もう一度、その立ち飲みバーへ寄ったら、おっちゃんたち、ニコニコと笑顔でぼくを迎えてくれた。「よう、にいちゃん、また、来たんかいな!」ってな感じ。

最高に美味しい一杯80円のワインをお願いしようとしたけど、バーテンダーのおじさんったら、ぼくの顔を見た途端、もう、グラスにワインを注いでいた。いやあ、嬉しくなったなあ。言葉なしで気持ちが通じるっていいよねえ。 

嬉しくってニコニコしていたら、隣のおっちゃんが、また、カシューナッツを、さっきの三倍ぐらいくれた。そしてぼくの顔を指差し「ジャポネ?」と訊く。ウイ!ジャポネ!と答えたら、全員が「オオ!ジャポネ!」と、かなり大げさに手を広げて、もうニコニコ。どうやらジャポネ大歓迎みたいな雰囲気なんです。

ぼくはさらに嬉しくなってしまった。
おっちゃんたちとカウンターの中のおじさんが、ジャポンやジャポネがどうのこうのと、日本のことを話題にしているのがわかったけど、皆さんニコニコしてるのよ。どうやら、日本と日本人に大いに興味を抱き、さらに好意を持ってるんやなと、ぼくは理解した。

とてもいい雰囲気の中で、気持ちよくワインを飲み干したぼくが、お代わりをお願いしようと空のグラスを持ち上げた時、隣にいたおっちゃんが、ぼくの手から空のワイングラスを取り上げた。

一瞬、何事か?と首を傾げたんだけど、おっちゃんたち全員が何やら相談したあと、小銭を出し合いカウンターに置いた。それを見たバーテンダーのおじさんがぼくに赤ワインを出してくれた。

おっちゃんたち、ニコニコしてぼくを見ている。まさか、おっちゃんたちがぼくにワインをおごってくれるなんてまったく思ってもいなかったぼくは、もう、感激してしまった。
メルシー! メルシーボクゥー! もう、メルシーの連発でしたね。

異国のフランス、その花の都パリ、たまたま立ち寄ったバーで、見ず知らずのおっちゃんたちにワインをご馳走してもらう。その時の感激、わかってもらえるやろか? あの時ほど言葉の通じないもどかしさを感じたことはないなあ。
しかしな、おのおの方、ほろ酔いとはいえ、その時のウマさん、心臓が強かったわ。

楽器が大好きなぼくは、長年の習慣として、旅行に出る時はいつもリュックにハーモニカを入れている。半音が出せる小型のクロマチックハーモニカです。

おっちゃんたちにワインをご馳走になったぼくは、お礼代わりにハーモニカを演奏しようと思いたったんです。ハーモニカを取り出したぼくを見たおっちゃんたち、何事や?と、はじめ怪訝な顔つきやったけど、演奏が始まった途端、店内は大騒ぎになった!

ぼくにとって、シャンソンの「パリの空の下」は、とても弾き慣れた曲やった。おっちゃんたち、もう大興奮でしたねえ。パリの空の下で、ハーモニカの「パリの空の下」。演奏が終わった瞬間、拍手、拍手、もう大拍手! そしてぼくに、ハグ、ハグ、ハグ!

心臓の強いウマはさあ、さらに心臓が強くなっちゃったのよ。
 
次の曲のイントロを即興でおごそかに始めた時「このにいちゃん、次は何を弾くんやろ」と興味しんしんのおっちゃんたち…ところが、イントロが終わり、曲が始まった途端、おっちゃんたち大騒ぎになった。

シャンソンの名曲、あの伝説的シンガー、エディット・ピアフの「愛の讃歌」
もう、おっちゃんたち大興奮、「ウララー」と大興奮なんです。
そして、なんと、カウンターの中のおじさんも出てきて、ぼくのハーモニカに合わせて、全員が大合唱になったんです。もちろん演奏しているぼくも大興奮です。

「愛の讃歌」を終えて、間をおかず、すぐにぼくは、やはりシャンソンの名曲「バラ色の人生」を演奏した。そしたら、なんと、なんと、店にいた全員が踊り出したんです。ぼくは、もう、ここぞとばかり、あらん限りの大音量でハーモニカを吹きましたね。
 
その時、かなりの騒ぎになっていたと思う。なんと、向かいにある大統領公邸のおまわりさんが、何事かと、鉄砲を構えたまま店を覗きに来ましたがな。でも、そのおまわりさん、「ウララー」、店内の様子を見て、ニコニコと自分の持ち場へ戻って行きました。

そして、演奏を終えたぼくに、全員がハグ、ハグ、またハグでした。そして、ワイン、ワイン、さらにワイン…

異国の、予期せぬ場所での予期せぬ出来事は、忘れることの出来ない想い出となりました。

ぼくがワインの美味しさに目覚めたのは、パリの、その立ち飲みバーだったと、今にして思う。一杯80円の素晴らしいワインに出逢ったパリの空の下で「パリの空の下」をハーモニカで演奏した日本人は、たぶん、ぼくだけじゃないかなあ?あの時、あの店にいたおっちゃんたちの顔は、今でも鮮明に覚えていますよ。

かなり後年、ワインには旅をさせちゃダメだと知った。
特に長い船旅をするワインには防腐剤などが入っているとも聞いた。あの一杯80円の美味しさの秘密は、きっと旅をしていないからでしょう…

コロナが落ち着いて、また旅に出れるようになったら、また、パリの空の下でワインを飲みたいなぁ。

https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/0bf74bd1bbe6a95b1fec4560e1688d02
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/766.html#c56

[近代史5] エジプト人の起源 中川隆
6. 中川隆[-12679] koaQ7Jey 2023年4月02日 09:07:45 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[3]
【女⇒男?】古代エジプト不思議な死生観と女性たちの姿
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14100839


河江肖剰の古代エジプト - YouTube
https://www.youtube.com/@yukiancientegyp/videos

エジプト考古学者の河江肖剰(かわえ ゆきのり)です。名古屋大学高等研究院准教授、米ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー。エジプトのピラミッドの研究調査を行なっています。YouTubeを通して、みなさんにもっと古代エジプトを知っていただけるよう、分かりやすく、そして学術的にもしっかりとした内容をお届けいたします。

エジプト人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/282.html

古代エジプト人の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/629.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/282.html#c6

[近代史5] 古代エジプト人の料理 中川隆
1. 中川隆[-12678] koaQ7Jey 2023年4月02日 09:08:10 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[4]
【女⇒男?】古代エジプト不思議な死生観と女性たちの姿
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14100839


河江肖剰の古代エジプト - YouTube
https://www.youtube.com/@yukiancientegyp/videos

エジプト考古学者の河江肖剰(かわえ ゆきのり)です。名古屋大学高等研究院准教授、米ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー。エジプトのピラミッドの研究調査を行なっています。YouTubeを通して、みなさんにもっと古代エジプトを知っていただけるよう、分かりやすく、そして学術的にもしっかりとした内容をお届けいたします。

エジプト人の起源
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古代エジプト人の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/629.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/629.html#c1

[近代史5] CIAとメディア 中川隆
25. 保守や右翼には馬鹿し[110] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年4月02日 13:45:40 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[5]
2023.04.02XML
露国の軍事情報を集めていた米記者の逮捕を批判してもアッサンジの逮捕は容認
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304020001/

 ウラル山脈の中にある都市、​エカテリンブルグでウォール・ストリート・ジャーナルの記者、エバン・ゲルシュコビッチが3月29日、あるいは30日にロシアのFSB(連邦安全保障局)に逮捕された​ようだ。アメリカの記者が逮捕されたのは冷戦以来、初めてだという。ゲルシュコビッチはウクライナでの戦争やワーグナー・グループを調査、ロシア当局によると、記者の立場を利用して軍需企業に関する機密情報を入手していたようだ。

 ゲルシュコビッチ個人の話ではないが、ウォール・ストリート・ジャーナルを含む西側の有力メディアはウクライナの戦況やロシアの状況について正しい情報は伝えてこなかった。アメリカ/NATOの好戦派が人びとに信じさせたい話を流してきたわけで、ゲルシュコビッチがジャーナリストとしての仕事をしていたとは言い切れない。

 そもそもジャーナリストの仕事は情報機関の仕事と似ている。違いは誰のために隠された情報を調べるのかということだ。ジャーナリストは情報を公にするのだが、情報機関は権力者に情報を知らせる。権力者と癒着し、重要な情報を庶民に伝えないならば、「ジャーナリスト」というタグをつけていようと、情報機関のエージェント、あるいは手先にすぎない。

 日本でもマスコミは基本的に支配体制のために存在している。かつては気骨ある記者が活躍する余地が存在していたが、1980年代にそうした記者は駆逐された。東電福島第一原発の炉心溶融事故やCOVID-19に関する「報道」を見るだけでもわかるだろう。

 ウクライナ東部のドンバスでは2014年からクーデター軍と反クーデター軍との間で内戦が続いている。クーデター軍の主体はネオ・ナチであり、後ろ盾はアメリカ/NATOだ。地元の記者によると、アメリカ/NATOの情報機関が好んで利用する隠れ蓑は援助隊員、OSCE(欧州安全保障協力機構)、ジャーナリストだ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカの支配層は第2次世界大戦が終わって間もない頃から情報操作を目的とするプロジェクトを始めた。「モッキンバード」である。

 このプロジェクトをCIAで担当していたのはコード・メイヤーで、実際の活動を指揮していたのはアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだとされている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)

 グラハムは第2次世界大戦中、陸軍情報部に所属、中国で国民党を支援する活動に従事していた。その時の仲間のひとりがヘルムズ。そのほか後にCIA副長官になり、CSISの創設に関わったレイ・クライン、グアテマラのクーデターなどに参加し、ウォーターゲート事件で逮捕されたE・ハワード・ハント、そしてさまざまな秘密工作に関与し、駐韓米軍の司令官を務め、WACL(世界反共連盟)の議長を務めたことジョン・シングローブも含まれる。

 ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。

 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。

 CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。彼の警告通り、アメリカ/NATOはロシアと核戦争する寸前まできている。なお、ウルフコテは2017年1月に心臓麻痺で死亡した。

 西側で権力犯罪を暴くとどうなるかはジュリアン・アッサンジの例をみるだけでもわかる。彼は内部告発を支援してきたウィキリークスの象徴的な人物だ。アメリカの支配層にとって都合の悪い情報を明らかにしたわけである。

 アッサンジは2019年4月11日、ロンドンのエクアドル大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕された。それ以降、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されている。容疑はハッキングのほか「1917年スパイ活動法」に違反したとしているが、ハッキングはでっち上げだったことが明らかになっている。

 ハッキングで最も重要なアメリカ側の証人はシギ・トールダルソン。2010年当時、ウィキリークスの活動にボランティアとして参加していたが、後にFBIへの情報提供者になった。ウィキリークスはこの人物が寄付のうち5万ドルを横領したと疑っていた。

 トールダルソンはアッサンジが2010年の初めにアイスランド政府のコンピュータに侵入して情報を盗むように指示したなどと主張したが、​後にそれは嘘だとメディアに証言​している。トールダルソンは第三者から書類を受け取り、チェックしないままアッサンジに渡したという。

 その当時、トールダルソンは「サブ」と呼ばれていたヘクター・ザビエル・モンセガーと接触していた。この人物はハッキング・グループのリーダーだが、逮捕され、懲役124年が言い渡される可能性があった。そこで司法取引に応じ、FBIの情報提供者になったのだ。

 アメリカの当局はアッサンジがスパイ行為を働いたとしているが、彼はオーストラリア人であり、活動の中心はヨーロッパ。アメリカがアッサンジを国外で拘束し、処罰できるということになると、世界のどこにいてもアメリカの犯罪的な行為を明らかにするとアメリカの刑務所へ入れられることになる。

 アメリカの支配層を怒らせたであろうウィキリークスが発表した情報のひとつはイラク戦争における行為。​イラク戦争においてアメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月、ロイターの特派員2名を含む非武装の一団を銃撃して十数名を殺害する場面を撮影した映像を公開したのだ。​

 また、2016年のアメリカ大統領選挙でDNC(民主党全国委員会)がヒラリー・クリントンを勝たすためにバーニー・サンダースの足を引っ張ったことも明るみにだした。その実態を明らかにする電子メールをウィキリークスが明らかにしたのである。それを誤魔化すためにアメリカの有力メディアがCIAやFBIと共謀して引き起こしたのが「ロシアゲート」騒動だ。

 ゲルシュコビッチのケースは情報が少ないので何とも言えないが、有力メディアの対応がアッサンジのケースと違いすぎる。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304020001/
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/347.html#c25

[近代史3] マスコミの偽情報 _ CIA は有力メディアを情報操作のために使っている 中川隆
46. 中川隆[-12677] koaQ7Jey 2023年4月02日 13:46:05 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[6]
2023.04.02XML
露国の軍事情報を集めていた米記者の逮捕を批判してもアッサンジの逮捕は容認
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202304020001/

 ウラル山脈の中にある都市、​エカテリンブルグでウォール・ストリート・ジャーナルの記者、エバン・ゲルシュコビッチが3月29日、あるいは30日にロシアのFSB(連邦安全保障局)に逮捕された​ようだ。アメリカの記者が逮捕されたのは冷戦以来、初めてだという。ゲルシュコビッチはウクライナでの戦争やワーグナー・グループを調査、ロシア当局によると、記者の立場を利用して軍需企業に関する機密情報を入手していたようだ。

 ゲルシュコビッチ個人の話ではないが、ウォール・ストリート・ジャーナルを含む西側の有力メディアはウクライナの戦況やロシアの状況について正しい情報は伝えてこなかった。アメリカ/NATOの好戦派が人びとに信じさせたい話を流してきたわけで、ゲルシュコビッチがジャーナリストとしての仕事をしていたとは言い切れない。

 そもそもジャーナリストの仕事は情報機関の仕事と似ている。違いは誰のために隠された情報を調べるのかということだ。ジャーナリストは情報を公にするのだが、情報機関は権力者に情報を知らせる。権力者と癒着し、重要な情報を庶民に伝えないならば、「ジャーナリスト」というタグをつけていようと、情報機関のエージェント、あるいは手先にすぎない。

 日本でもマスコミは基本的に支配体制のために存在している。かつては気骨ある記者が活躍する余地が存在していたが、1980年代にそうした記者は駆逐された。東電福島第一原発の炉心溶融事故やCOVID-19に関する「報道」を見るだけでもわかるだろう。

 ウクライナ東部のドンバスでは2014年からクーデター軍と反クーデター軍との間で内戦が続いている。クーデター軍の主体はネオ・ナチであり、後ろ盾はアメリカ/NATOだ。地元の記者によると、アメリカ/NATOの情報機関が好んで利用する隠れ蓑は援助隊員、OSCE(欧州安全保障協力機構)、ジャーナリストだ。

 本ブログでは繰り返し書いてきたが、アメリカの支配層は第2次世界大戦が終わって間もない頃から情報操作を目的とするプロジェクトを始めた。「モッキンバード」である。

 このプロジェクトをCIAで担当していたのはコード・メイヤーで、実際の活動を指揮していたのはアレン・ダレス、ダレスの側近だったフランク・ウィズナーとリチャード・ヘルムズ、そしてワシントン・ポスト紙の社主だったフィリップ・グラハムだとされている。(Deborah Davis, “Katharine The Great”, Sheridan Square Press, 1979)

 グラハムは第2次世界大戦中、陸軍情報部に所属、中国で国民党を支援する活動に従事していた。その時の仲間のひとりがヘルムズ。そのほか後にCIA副長官になり、CSISの創設に関わったレイ・クライン、グアテマラのクーデターなどに参加し、ウォーターゲート事件で逮捕されたE・ハワード・ハント、そしてさまざまな秘密工作に関与し、駐韓米軍の司令官を務め、WACL(世界反共連盟)の議長を務めたことジョン・シングローブも含まれる。

 ワシントン・ポスト紙の記者として「ウォーターゲート事件」を暴いたカール・バーンスタインはリチャード・ニクソン大統領が辞任した3年後の1977年にワシントン・ポスト紙を辞め、「CIAとメディア」という記事をローリング・ストーン誌に書いている。

 その記事によると、1977年までの20年間にCIAの任務を秘密裏に実行していたジャーナリストは400名以上に達し、1950年から66年にかけてニューヨーク・タイムズ紙は少なくとも10名の工作員に架空の肩書きを提供したとバーンスタインにCIAの高官は語ったという。ニューズウィーク誌の編集者だったマルコム・ミュアは、責任ある立場にある全記者と緊密な関係をCIAは維持していたと思うと述べたとしている。(Carl Bernstein, “CIA and the Media”, Rolling Stone, October 20, 1977)

 CIAのメディア支配はアメリカ国内に留まらない。例えば、フランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥング(FAZ)紙の編集者だったウド・ウルフコテは2014年2月、ドイツにおけるCIAとメディアとの関係をテーマにした本を出版、その中で多くの国のジャーナリストがCIAに買収されていて、そうした工作が危険な状況を作り出していると告発している。

 CIAに買収されたジャーナリストは人びとがロシアに敵意を持つように誘導するプロパガンダを展開し、ロシアとの戦争へと導いて引き返すことのできないところまで来ていると彼は警鐘を鳴らしていた。彼の警告通り、アメリカ/NATOはロシアと核戦争する寸前まできている。なお、ウルフコテは2017年1月に心臓麻痺で死亡した。

 西側で権力犯罪を暴くとどうなるかはジュリアン・アッサンジの例をみるだけでもわかる。彼は内部告発を支援してきたウィキリークスの象徴的な人物だ。アメリカの支配層にとって都合の悪い情報を明らかにしたわけである。

 アッサンジは2019年4月11日、ロンドンのエクアドル大使館でロンドン警視庁の捜査官に逮捕された。それ以降、イギリス版グアンタナモ刑務所と言われているベルマーシュ刑務所で拘束されている。容疑はハッキングのほか「1917年スパイ活動法」に違反したとしているが、ハッキングはでっち上げだったことが明らかになっている。

 ハッキングで最も重要なアメリカ側の証人はシギ・トールダルソン。2010年当時、ウィキリークスの活動にボランティアとして参加していたが、後にFBIへの情報提供者になった。ウィキリークスはこの人物が寄付のうち5万ドルを横領したと疑っていた。

 トールダルソンはアッサンジが2010年の初めにアイスランド政府のコンピュータに侵入して情報を盗むように指示したなどと主張したが、​後にそれは嘘だとメディアに証言​している。トールダルソンは第三者から書類を受け取り、チェックしないままアッサンジに渡したという。

 その当時、トールダルソンは「サブ」と呼ばれていたヘクター・ザビエル・モンセガーと接触していた。この人物はハッキング・グループのリーダーだが、逮捕され、懲役124年が言い渡される可能性があった。そこで司法取引に応じ、FBIの情報提供者になったのだ。

 アメリカの当局はアッサンジがスパイ行為を働いたとしているが、彼はオーストラリア人であり、活動の中心はヨーロッパ。アメリカがアッサンジを国外で拘束し、処罰できるということになると、世界のどこにいてもアメリカの犯罪的な行為を明らかにするとアメリカの刑務所へ入れられることになる。

 アメリカの支配層を怒らせたであろうウィキリークスが発表した情報のひとつはイラク戦争における行為。​イラク戦争においてアメリカ軍のAH-64アパッチ・ヘリコプターが2007年7月、ロイターの特派員2名を含む非武装の一団を銃撃して十数名を殺害する場面を撮影した映像を公開したのだ。​

 また、2016年のアメリカ大統領選挙でDNC(民主党全国委員会)がヒラリー・クリントンを勝たすためにバーニー・サンダースの足を引っ張ったことも明るみにだした。その実態を明らかにする電子メールをウィキリークスが明らかにしたのである。それを誤魔化すためにアメリカの有力メディアがCIAやFBIと共謀して引き起こしたのが「ロシアゲート」騒動だ。

 ゲルシュコビッチのケースは情報が少ないので何とも言えないが、有力メディアの対応がアッサンジのケースと違いすぎる。


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[近代史5] 株式投資で常時監視すべき情報 中川隆
23. 保守や右翼には馬鹿し[111] lduO54LiiUWXg4LJgs2Ubo6tgrU 2023年4月02日 15:39:28 : 252ruUmcR6 : VGRVR2VFQUsxWmc=[7]
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つばめ投資顧問
2023/04/01
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