20. 銀の荼毘[65] i@KCzOS2lPk 2024年6月08日 18:24:52 : F75oxCG5ic : VGRIemlDVjVrTUE=[1]
>>13
>王政は天皇や皇帝の勅令を絶対価値とした「君主社会主義」であり、共産主義はマルクス思想を絶対価値とした「共産社会主義」でしかなく、ファシズム(≒社会主義•全体主義)の対立項は個人主義(≒無政府主義)しかない。
↑
このうち1
>王政は天皇や皇帝の勅令を絶対価値とした「君主社会主義」であり、共産主義はマルクス思想を絶対価値とした「共産社会主義」でしかなく、
↑
に,ついて
君主社会主義と呼べるのは,
1848年の共産党宣言に基づく2月革命・3月革命を起点として,
帝王制であり,かつ,社会主義でもある←この形態を実現した🟰帝政フランス➕ドイツ第二帝国🟰この両国
(ドイツ第二帝国には,腹違いと呼んで差し支えない(プロイセン憲法)を範にとった国家がある)
その憲法は大日本帝国憲法🟰その国家こそ,我が日本の明治政府と言えるのだ。
これらは,
帝政フランスが,フランス人が問答無用に従属を捧げる血統として,ナポレオン:ボナパルトのボナパルト家が掲げられ,それをイデオロギーに据えるため(ボナパルティズム)と発される。
ドイツ第二帝国においては,ナポレオン:ボナパルトに当たるフリードリッヒ2世(日本での通称フリードリッヒ大王)のホーヘンツォルレルン家で,それをイデオロギーに据えるため,ドイツ版ボナパルティズムとなる。
そして,日本版ボナパルティズムに据えられたのが,後醍醐天皇,その殉職した忠臣たち,特に(楠木正成)というわけで,ボナパルト家🟰天皇家をこれに準えたイデオロギーだ。
>>13に言いたいこととは,(君主社会主義)とは呼ばず(ボナパルティズム)と呼んでいただきたいということ。
このうち2
>ファシズム(≒社会主義•全体主義)の対立項は個人主義(≒無政府主義)しかない。
↑
に,ついて
これもその通りなのだが,,,
厳密に言えば,無政府主義の概念が今と昔では大きく異なっており,
現在,巷に濫立する無政府主義と,その当時の無政府主義の間には大きな乖離がある。
(現在の無政府主義)
主たる無政府主義の第一人者は,エイブラム:ノム:チョムスキで,彼が自称する(左派リバタリアン)が,政府はいらない🟰国家だけでなく,世界政府もこの世に不要という概念である。
↑これは,第4の無政府主義の変成と言える。
(当時の無政府主義)
ヒトラーとかスターリンとか,それに至る少し前の無政府主義とは,自称・(社会主義)と発した。
ここで云う(社会🟰social)とは,言葉の通り(上流階級の者)という意味で,
現在の社会主義におけるsocialが,国家の席次に基づく官職を基準にsocialism社会主義と呼ぶのは正反対に,
非国家🟰資本が主権🟰資本が善良さを追求していきましょう
↑こういう具体的にはロバート:オウエンとサン:シモンの提起した概念であったものを指す。
意外に思うだろうが,無政府主義プルードンらが安全保障の概念から無政府主義を訴え
オウエンらは経済概念から社会主義と自称するわけだが,
実はどちらも(国家は無用というゴール)を有していた。
(当時の無政府主義)は以下の変成を辿る
1の無政府主義の変成
まず,マルクス・エンゲルスによって,これらは空想と定義され,空想社会主義と呼ばれて,
役人・官職主権のsocialismとは,マルクス主義において,
(世界中の国家を滅ぼすボナパルティズムの役人➕主権)←これをsocialの定義に変質させられる
2の無政府主義の変成
次に,空想社会主義と呼ばれた(資本家主権の自称社会主義)を善なるものと認めて,
これを科学的に極めようとする学説が現れ,その第一人者がジョン:メイナード:ケインズである。
ケインズ学派は,この初期の古典派(具体的にはロバート:オウエンとサン:シモン)の,
漠然とした(国家に頼らない・資本とか企業の善意による生活者の救済)を,
細かく計算(マクロ経済)して,科学的な方程式に基づく模範として構築しようとした。
しかし,マルクス・エンゲルスが(それは空想)と断じたように,
やはりケインズ学派がいくら具体的な方程式を打ち立てても,
資本・企業は,自分の利益を優先した(1つの生産手段にレバレッジをかけて大量化する)という,
その基本体系から脱却できず,(ケインズ学派では,スタグフレーションを回避できない),
↑このような結論に達する。
3そこで,シカゴ学派なる (古典派回帰)が謳われ,
スタグフレーションを回避させる具体的方法として,
オウエン・サン:シモン型🟰形態を古典派に回帰させる➕しかしsocial資本に主権を戻さない
(資本と経営は分離)
(経営したければ資本として立地を認めない 資本として生きていきたいなら経営はさせない)
こういうグローバルルールを定着させようという考え方が登場,
さらに↑これを具体化した学説・フリードマンのノーベル賞受賞が決定打として認知されてきて,
いま(新自由主義)と呼ばれるわけである。
4 これ以降,さらに新自由主義を否定する方向性として,
個別国家のみならず,世界的なルールすら不要という,
プルードンの無政府主義をさらに亢進させた極論として,
チョムスキが左派リバタリアンを代表するというわけだ。
だから,
個人>全て ←こういうチョムスキ型は実はずいぶんと新しい。
少なくとも,プルードンが国家を否定した理由は,
(警察権力の公務員による実施への抵抗)なので,
そのモデルとしては,例えばキエフ・ローゼンバーグ資本のような,
(国家公務員の警察ではなく,警察・消防は民間の非常勤で組織する)
(議員も常設とせず,非常時に緊急に選定して協議する)
↑こういった,ウクライナの前時代における在り方を正当とする考え方だったと言えるだろう。
http://www.asyura2.com/24/kokusai34/msg/662.html#c20