16. 2020年7月21日 05:46:09 : 1arTON8EGY : VEJ5L2lYc3AzWk0=[1]
ほかでもコメしたけど・・・
1,「命の選別」という言葉を使ったことは、極めて不適切だった。
___命、選別しないと駄目だと思いますよ。
___はっきり言いますけど、なんでかと言いますとその選択が政治なんですよ。
___選択しないでみんなにいいこと言っていても、多分それ現実問題として、多分無理なんですよ。
___そういったことも含めて順番として、これ順番として、その選択するんであれば
___もちろん高齢の方から逝ってもらうしかないです。
語るべきは、__終末医療をどうするのか、介護の担い手(リソース)が不足した場合にどうするのかを政治はあらかじめ考えておくべきだ、やがて「政治的な決断」が必要になるかもしれない__と言っておくべきだった。また誤解を招かないように、あらかじめ障碍者福祉についての考えも語っておくべきだったが、時すでに遅し。
2,死生観は極めて個人的なものであり、家族の問題でもある。そして大西自身も死生観が定まっていないように見受けられた。だからテーマとしては、安楽死をどう考えるか、終末医療と最期の瞬間をだれがどのように決断するのか、政治は何を用意すべきか、という取り上げ方をし、結論は先送りにすべきだったのだ。
3,日本政治の現状は、福祉の切り捨てにより、障碍者が捨て置かれ、さらに介護難民、介護離職、老々介護、介護殺人など、マネー(国家予算)不足に起因するリソース不足である。医療も同じ。それはとりもなおさず財界・外資の利益拡大を目指すからである。だから福祉予算の削減に起因する不幸が山積しているわけだ。大西は、それら苦難・苦境にある人々の現状に手を差し伸べるべく、マネーの問題を語るべきだった。だから上記のような「リソース不足に陥った時の政治決断」のようなテーマは、自身で時間をかけて論考を重ね、未発表としておくべきだった。
国家の大変革を担う有望な人材と見込んでいた大西氏であったが、
れいわ・山本太郎と決別することになった。誠に残念である。