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http://www.asyura2.com/acat/v/v2/v2t/V2tXcWNqdTAzVTI=/100000.html
[経世済民136] 踏んだり蹴ったり非正規公務員 雇い止めされても「失業給付」も「十分な退職金」ももらえない なぜこうなる?(東京新聞) 蒲田の富士山
1. 蒲田の富士山[2371] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年6月04日 07:54:58 : I8aNcFrUQA : V2tXcWNqdTAzVTI=[1]
社会板かもしれないけど、お金に関するお話なので、経済板。
http://www.asyura2.com/23/hasan136/msg/399.html#c1
[中国13] <視点>中国・習近平氏への崇拝 農村10億人の岩盤支持 論説委員・白石徹(東京新聞) 蒲田の富士山
3. 蒲田の富士山[2372] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年6月04日 14:32:39 : I8aNcFrUQA : V2tXcWNqdTAzVTI=[2]
<▽43行くらい>
上級者さん、このお方が、ご登場すると、毎回、頭が大混乱になるのだが、阿修羅というところは、そういう場所なのねえ。

でも、ちょっと、お話を合わせなければ、と思い、以下2重投稿になりますが、引用させていただきます。(Wikiより。)

―――以下引用

トゥパク・アマルの父、マンコ・インカ・ユパンキは皇帝アタワルパの兄弟(一説に、マンコ・インカ・ユパンキはアタワルパの兄弟ではなく、下級貴族出身とも)だが、インカ帝国の内戦の際にアタワルパと対立したため、征服ののちピサロの傀儡としてインカ皇帝に擁立された。しかし、やがてマンコ・インカはピサロと対立し、1536年にクスコから脱走して反乱を起こした。反乱軍は先住民の大軍でクスコを包囲し、スペイン人を追いつめるが、やがて形勢は逆転し、撃退されて後退した。しかし、彼らが逃げ込んだウルバンバ川の奥地ビルカバンバは非常に峻険な地形であり、スペイン軍は容易に近づけなかった。そのため、彼らはその後約35年に渡ってこの地に独立した王国を維持し続けた。この間、スペイン勢力は宣教師を派遣して彼らの帰順を促したがうまくいかず、逆にピサロ一族とディエゴ・デ・アルマグロの、スペイン人同士の内乱に付け入って、アルマグロ派に接近することによって彼らは独立を維持し続けた。

即位と死
しかし、マンコ・インカは、ピサロに敗れたアルマグロ派のスペイン人兵士をかくまっていたところ、彼らの裏切りによって1544年に殺害され、その後、彼の3人の子どもが次々とインカ皇帝に即位した。最初に即位したのが長子サイリ・トゥパックであったが、彼は1555年、ビルカバンバを離れてスペインに下り、弟のティトゥ・クシが跡を継いだ。ティトゥ・クシは1571年に亡くなったが、死の直前、スペイン人の神父が彼に薬を与えていたため、これを毒殺と考えた先住民は神父たちを殺害し、これが契機となってスペイン勢力はついにインカ帝国残党の完全征服に乗り出した。トゥパク・アマルはティトゥ・クシの死後ただちに皇帝に即位したが、すでに新インカ帝国の勢力は衰微しており、トゥパク・アマルはほとんど何もすることはできなかった。即位から1年あまりのちの1572年4月にはスペイン軍の来襲によって山中の「ビルカバンバのインカ帝国」は滅亡した。トゥパク・アマルは捕らえられて、激しい拷問ののち、同年9月24日にクスコで斬首された。没年齢は26〜27歳。

処刑場での一幕
処刑の時、トゥパク・アマルが処刑台に登り、刑執行人が刀を取り出したとき、先住民の全群衆が悲しみの叫び声を挙げて涙を流した。この様子に、トゥパク・アマルは右手をさっと挙げて人びとを静まらせた。その毅然とした態度に、群衆は一瞬で静まりかえった。それを見ると、トゥパク・アマルは死を目前にしたものとは思えない立派な態度で群衆に対してケチュア語で話し始めたと伝えられている。

―――引用終了

http://www.asyura2.com/22/kokusai32/msg/352.html

http://www.asyura2.com/19/china13/msg/360.html#c3

[雑談・Story42] 鶴岡八幡宮が神社本庁を離脱へ 総長ポストで対立?「こんぴらさん」に続き…ゴタゴタ収まらず(東京新聞) 蒲田の富士山
2. 蒲田の富士山[2373] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年6月05日 01:19:40 : I8aNcFrUQA : V2tXcWNqdTAzVTI=[3]
<▽47行くらい>
鶴岡八幡宮が、神社本庁から正式に離脱 総長ポストを巡る争いが背景か 20日会見で理由明かす(東京新聞)
2024年6月4日 21時42分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/331536

 神奈川県鎌倉市の鶴岡八幡宮が、全国の神社の多くを束ねる包括宗教法人「神社本庁」(東京都渋谷区)から正式に離脱した。関係者が4日、明らかにした。本庁事務方トップの総長ポストを巡る争いが、背景にあるとみられる。20日に記者会見し、理由などを説明する。
 鶴岡八幡宮は3月から離脱手続きを進め、単立宗教法人になるための規則変更が3日、県から認められた。関係者によると、不動産売却を巡る不正などの内部告発があった本庁の事務方トップの田中恒清(つねきよ)総長に、鶴岡八幡宮の吉田茂穂宮司が強い不信感を抱いていた。
 鶴岡八幡宮は、鎌倉幕府を開いた源頼朝が1180年、現在地に移した。現在は国内有数の名所として、年間を通じて多くの人が訪れる。
 神社本庁は全国約8万社の神社を傘下に置く。ここ数年は「こんぴらさん」の愛称で知られる金刀比羅宮(香川県)をはじめ、有名神社の離脱が続いている。(砂上麻子、阿部博行)

   ◇

◆独自運営が可能となる一方、職員や氏子への対処が必要
 神社本庁からの離脱が正式に決まった鶴岡八幡宮。吉田茂穂宮司の決断の背景には、本庁の事務方トップである田中恒清総長への強い不信感や、本庁に所属神社の宮司任命権を握られていることへの警戒心があったとみられる。
 本庁の常務理事を務めた経験もある吉田宮司はかねて、2期6年が通例の総長ポストに5期連続で就き続ける田中氏の運営に異を唱えていた。本庁が川崎市内などに保有した不動産売却を巡り、業者との癒着疑惑が内部告発される出来事などもあったからだ。
 2022年には本庁の宗教的権威で最高位の鷹司尚武(たかつかさ・なおたけ)統理(とうり)が体制刷新のためとして別の役員を総長に指名したものの、役員会が多数決で田中氏の続投を議決。総長ポストを巡って裁判に発展する異例の事態となり、神社界に波紋を広げた。吉田宮司は鷹司統理を支持しており、全国の神職に賛同を募る団体の世話人に名を連ねている。
 本庁は有力な所属神社の宮司任命に当たり、地元の責任役員の同意に基づいて人選し、統理が任命する。だが実際は由緒ある宮司世襲家や生え抜きの神職ではなく、本庁の退職幹部らを充てる例もあった。鶴岡八幡宮は知名度が高く、影響力があるだけに「神社界の正常化に向けた問題提起になることを願って離脱を決断した」「宮司が総長と対立したことで人事や運営に本庁が介入する恐れもあったからだ」などと神社関係者は推察する。
 離脱が正式に決まったことで、鶴岡八幡宮は本庁に寄付金を納める義務がなくなり、独自運営が可能となる。一方、宮司らは本庁の定める神職資格や身分を失う。吉田宮司らには、職員が資格や待遇で不利益を受けないよう対処し、氏子ら地域住民への説明責任を果たすことが求められる。(阿部博行)

【関連記事】「こんぴらさん」が神社本庁を離脱 大嘗祭の供え物届かず「天皇陛下にも不敬極まりない」
【関連記事】神社本庁で前代未聞の内紛 2人が「次期総長」を主張し裁判 5期目狙う現体制 VS 刷新求める神職ら
http://www.asyura2.com/21/idletalk42/msg/293.html#c2

[議論31] 管理板の場外戦(その7) AN
237. 蒲田の富士山[2374] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年6月07日 05:56:19 : I8aNcFrUQA : V2tXcWNqdTAzVTI=[4]
今月の管理板の「2024年6月 困つたとき〜」が、面白い。
このまま、コメント数1のままで、月末になってしまったら、尚面白い。
http://www.asyura2.com/13/dispute31/msg/833.html#c237
[政治・選挙・NHK294] 「非常時、国は指示ではなく人やカネを」 地方自治法改正「廃案」を求める4団体、国会前で訴え(東京新聞) 蒲田の富士山
1. 蒲田の富士山[2375] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年6月07日 06:45:07 : I8aNcFrUQA : V2tXcWNqdTAzVTI=[5]
<■54行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
政府が「判断を誤る可能性も」…危うい地方自治法の改正案 礒崎初仁・中央大教授「市民の安全に逆効果」(東京新聞)
2024年6月7日 06時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/331932?rct=politics

<揺らぐ地方自治〜改正案を問う>

 政府は地方自治体に対する国の指示権を拡大する地方自治法改正案を提出し、通常国会での成立を目指している。地方分権一括法で国と地方の関係が「対等」とされてから四半世紀足らず。各地の首長などから「上意下達に逆戻りする」などと懸念の声が上がる。この法案をどう見るか。地方自治、地域主権に取り組む人たちに聞いた。今回は礒崎初仁・中央大教授。(聞き手・我那覇圭、三輪喜人)=随時掲載します

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 礒崎初仁(いそざき・はつひと) 1958年、愛媛県生まれ。東大卒業後、神奈川県庁に入庁。農政部や企画部、大学院派遣などを経て、2002年から中央大法学部教授。著書に「地方分権と条例—開発規制からコロナ対策まで」など。
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◆どんな指示でも閣議決定だけで出せてしまう

 —非常時に自治体に対する国の指示権を拡大する地方自治法改正案の審議が参院で始まった。

 「指示権は不要だ。実際は役に立たない。コロナ禍での自治体の対応を調べたが、当初の国の方針は『感染者は全員入院』。これに対し、神奈川県は独自に、軽症者や無症状者は自宅で、中等症者は施設で療養という搬送基準を定めた。感染者が多く、医療機関や保健所がパンクする恐れがあったからだ。国が『全員入院』を指示していれば、市民の命は脅かされていたかもしれない。現場の実情に合わない指示は逆効果だ」

 —国の関与が制限されてきた「自治事務」にも、包括的に指示できる規定が盛り込まれている。

 「地方自治法の原則に反する。国が国民の安全に重大な影響を及ぼす恐れがあると判断すれば、どんな指示でも閣議決定だけで出せてしまう。国会が定めた法律を執行する立場であるはずの各大臣が、その国会を通さずに自治体が従うべきルールを定めてしまうような危うさがある」

 —非常時に限れば、国からの指示を求める自治体もあるのでは。

 「国の責任で基本的な対処方針を定めることは大事だが、刻々と変化する事態では国の指示を待つより、現場が臨機応変に対応する必要がある。そもそも国が判断を誤る可能性も少なくない。実情に合わない指示でも真面目な自治体は従おうとして苦労するし、主体性のない自治体は指示に従うだけの思考停止に陥るという弊害さえ考えられる」

 —では、国が果たすべき役割とは何か。

 「自治体が望んでいるのは、指示ではなく支援。特に財政的な支援だ。コロナ禍では、休業要請に応じた飲食店などへの協力金の負担をどうするかに悩まされた。財源さえ担保すれば、指示ではなく、現行法にある『助言』や『勧告』でも自治体は応じるはずだ」

 —参院審議への要望は。

 「東日本大震災で大量のがれきが出た際、受け入れを巡り自治体間の利害が対立した。こうしたケースで、国が都道府県を超えて他の自治体に受け入れを指示することはあり得る。その場合でも、危機に直面した自治体からの『要請』に基づいた指示であるべきだ。5月に衆院総務委員会で参考人として意見を述べた際、そうした内容を含む修正案を例示した。参考にしてほしい」


【関連記事】国の狙いは「地方が言うことを聞く仕組み」 政府の「画一的な指示」国民生活に影響も
【関連記事】福嶋浩彦氏「アベノマスクはとんちんかんな政策」…国の指示権拡大では「市民守れない」
【関連記事】「自治体の能力を過小評価、国の対話否定の表れ」岸本聡子杉並区長はこう見る
http://www.asyura2.com/24/senkyo294/msg/547.html#c1

[戦争b25] 沖縄戦司令官の句削除せず 県民批判も陸自問題なし(東京新聞・共同) 蒲田の富士山
4. 蒲田の富士山[2376] ipeTY4LMlXiObY5S 2024年6月07日 06:50:13 : I8aNcFrUQA : V2tXcWNqdTAzVTI=[6]
<■59行くらい→右の▽クリックで次のコメントにジャンプ可>
沖縄戦「辞世の句」を残した牛島満司令官、どんな人物? 陸上自衛隊HPへの掲載問題、背景を考えた(東京新聞)
2024年6月6日 12時00分

https://www.tokyo-np.co.jp/article/331755?rct=tokuhou

 太平洋戦争の沖縄戦を指揮した日本軍第32軍の牛島満司令官の辞世の句を、陸上自衛隊がホームページ(HP)に掲載してきた問題が波紋を広げている。沖縄の地元紙が報じ、戦前の皇国史観に基づく句の掲載が、日本軍と自衛隊の連続性を示し、戦争を美化していないかと懸念されている。台湾有事を念頭に、自衛隊の増強が進む沖縄が投げかける問題を、識者とともに考えた。(岸本拓也)

◆防衛相「歴史的事実を示す資料として」
 辞世の句は「秋待たで 枯れ行く島の 青草は 皇国の春に 甦(よみがえ)らなむ」。那覇市に拠点を置く陸自第15旅団の公式HPに、2018年から掲載されてきた。牛島司令官は1945年の沖縄戦で持久戦を続ける方針を決め、追い込まれた本島南部で6月23日に自決したとされる人物だ。
 今月3日に琉球新報が報じた後、4日の参院外交防衛委員会で経緯を問われた木原稔防衛相は「第15旅団の前身である臨時第1混成群が、昭和47(1972)年度に作成した部隊史を基にしたもの。歴史的事実を示す資料として掲載する意図だった」と答えた。
 なぜ、句の掲載が問題視されたのか。沖縄戦では住民約9万4000人を含め、20万人超の犠牲者が出た。沖縄国際大の石原昌家名誉教授(平和社会学)は「牛島司令官は、軍人と役人、一般人が一緒になって天皇のために命をささげる『軍官民共生共死の一体化』の方針を打ち出した。この考えを貫いた作戦によって、沖縄戦では戦闘員より一般住民に多大な犠牲を生んだ」と、その責任を問う。

◆「国体護持のため住民を『捨て石』にした司令官」
 牛島司令官が1945年5月に首里の司令部を放棄し、住民が密集避難する南部へ撤退したのは象徴的という。「住民を盾にする形で米軍を迎え撃つ作戦に変えた。これ以後、米軍の攻撃死のほか、日本軍による住民の防空壕(ごう)追い出しや幼児の毒殺・絞殺、住民をスパイ視して虐殺するなど住民の死者が増えた。国体護持のために住民を『捨て石』にしたのが牛島司令官だ」
 共同通信は5日夜、第15旅団が辞世の句を削除しない方針を明らかにしたと報じた。自衛隊史に詳しい中京大の佐道明広教授は「戦前のような軍隊にならないという考えでつくられてきたのが、戦後の自衛隊。沖縄の本土復帰後に配備され、不発弾処理など地道な活動を続け、県民に受け入れられてきた」と述べる。旧軍との連続性を疑わせるような句の掲載について「県民の信頼を損なうマイナス影響しかない」と断じる。

◆「旧日本軍との関係を断ち切れず」
 沖縄県平和委員会の大久保康裕事務局長は、第15旅団が2004〜21年、慰霊の日に合わせて牛島司令官らをまつる糸満市摩文仁の「黎明(れいめい)之塔」に集団参拝を続けてきた経緯と、今回の問題を重ね合わせる。「自衛隊は、旧日本軍との関係を断ち切れていない。対米従属が実態の中で皇軍を美化し、心のよりどころとしているのではないか」
 今年1月に陸自幹部らが靖国神社を集団参拝し、4月には陸自部隊がSNSで、アジアへの侵略戦争を正当化する文脈で使われることが多い「大東亜戦争」という表現を用いて、削除された。自衛隊と日本軍とのつながりを想起させる出来事は続いている。
 前出の石原氏は「HPに掲載したのは、沖縄の『戦場化前夜』という局面を念頭に、自衛隊員に、牛島満の『最後まで敢闘せよ』という精神を継承させようという強い意思の表れだろう」と感じている。「辞世の句は、皇国の存続しか念頭になく、住民の犠牲は何ら省みられない。沖縄戦の悪夢を呼び覚ますもので、一刻も早く削除すべきだ」

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http://www.asyura2.com/23/warb25/msg/554.html#c4

   

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