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[近代史5] シャーマニズムの世界 中川隆
13. 中川隆[-8923] koaQ7Jey 2020年12月26日 15:31:03 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[1]

宗教現象の基本形としてのシャーマニズム
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/505.html

シャーマンと右脳・左脳の働き
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/389.html

インドネシアのトラジャ族は死ぬと遠いところに旅に出る
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/550.html

ぼくのイニシエーション体験
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/460.html

http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/436.html#c13

[近代史5] 現生人類の起源 中川隆
1. 中川隆[-8922] koaQ7Jey 2020年12月26日 15:49:48 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[2]

パナマのサルが石器時代に突入したことが最新研究で判明!
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/899.html

人間とチンパンジーのDNAが99%一致するという定説はウソだった
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チンパンジーが好きな肉は脳? 初期人類も同様か
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/843.html

チンパンジーよりもヒトに近いボノボ
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/673.html

類人猿ギガントピテクス、大きすぎて絶滅していた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/678.html

アウストラロピテクス属と初期ヒト属の進化過程のギャップを埋める化石発見
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北京原人、火の利用を裏付ける新証拠が発見
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/627.html

原人:台湾で新たな化石発見 北京やジャワと別系統
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デニソワ人 知られざる祖先の物語
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チベット人の高地適応能力、絶滅人類デニソワ人から獲得か
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4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明
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人類の「脱アフリカ」は定説より早かった!? 現代人は13万年前にヨーロッパに到着していた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/471.html

洞窟壁画の発見は4万年前のアジアでも具象芸術が存在していた事を証明する
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人類の寿命
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性の進化論 女性のオルガスムは、なぜ霊長類にだけ発達したか?
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近親相姦の時代
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犬の起源は欧州、狩猟時代にオオカミが家畜化
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飼いネコ:アジアでの進化は欧米と別 
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味覚は毒物の摂取を避けるために発達した
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古代ほとんどの欧州人は牛乳をうまく飲めなかった
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http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/464.html#c1

[近代史5] 日本人の起源 中川隆
1. 中川隆[-8921] koaQ7Jey 2020年12月26日 16:51:54 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[3]
天皇のY染色体ハプログループ
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天皇一族の様な一重瞼・奥二重瞼は華北に居た漢民族にしかみられない
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古代の帰化人
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[近代史4] 売国政治家列伝 _ 菅義偉 中川隆
39. 2020年12月26日 17:16:12 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[4]
二階俊博幹事長の「権力の源泉」 なぜ総理を呼び出せるほどの実力者になったか
2020/12/26


一声で総理大臣をステーキ会食に呼びつけた二階氏(写真/AFP=時事)

 いまや自民党の“最高実力者”となった二階俊博・幹事長(81)。旅行代理店の全国組織・全国旅行業協会の会長を長年務める「観光業界のドン」としても知られ、菅義偉首相が独断で年末年始のGo Toトラベル全国一斉停止を表明すると、二階氏はその夜(12月14日)、芸能・スポーツ関係者らと開いた“ステーキ会食”に首相を呼びつけ、「二階さんの一声で総理が飛んできた」(二階派議員)という権勢ぶりを見せつけた。

 その政治権力はかつて「自民党のドン」と呼ばれた金丸信・元自民党副総裁に匹敵するとも言われる。だが、金丸氏が当時の最大派閥・経世会(竹下派)の圧倒的な数と力を背景にキングメーカーとなったのに対し、二階氏率いる志帥会(二階派。所属議員47人)は細田派(98人)、麻生派(55人)、竹下派(54人)に続く自民党第4派閥で、岸田派(47人)と並ぶ。往年の金丸氏のような「数の力」があるわけではない。

 それがなぜ、総理を呼びつけるほどの権力を握ることができたのか。

巧みな政界遊泳術
 二階氏の“成り上がり物語”を政治経歴から辿ってみよう。

 和歌山県御坊市出身で父・俊太郎は戦前からの和歌山県議、母・菊枝は医師だった。中央大学法学部政治学科を卒業して代議士秘書を務めた後、落選していた父の跡を継ぐ形で1975年の和歌山県議選で当選。県議を2期つとめた後、1983年総選挙に自民党(田中派の候補)から出馬して初当選した。いわゆる2世議員だ。

 田中派から竹下派と続く若手議員時代に運輸政務次官、自民党交通部会長を務めて運輸族議員の仲間入りをする。その後、一貫して運輸・観光行政に関わる原点となった。

 政界遊泳術は巧みだ。

 1993年、宮沢内閣不信任決議案を経て竹下派が分裂すると、小沢一郎氏に従って自民党を離党し、細川連立内閣で2度目の運輸政務次官に就任。このころには“影の運輸大臣”と呼ばれた。

 その後も新進党、自由党と小沢氏に従って側近の1人として頭角を現し、小渕内閣で自民党と自由党が連立すると、念願の運輸大臣として初入閣。この運輸大臣時代、二階氏は航空会社や大手旅行代理店の社長ら旅行業者2000人の大訪問団を率いて中国を訪問した。

 しかし、小沢氏が連立を離脱して自由党が分裂すると、政権にとどまって「保守党」(後に保守新党)結成に参加。小渕氏の急死後、続く森内閣の自公保連立政権でも運輸大臣に再任された。小泉内閣時代の2003年に自民党に復党する。

 約10年ぶりの自民党復帰──。二階氏が出世の糸口をつかんだのはこの小泉内閣時代だ。

 二階氏は保守新党から一緒に自民党に合流した議員と旧二階派(二階グループ、「新しい波」)を旗揚げして派閥領袖となり、出戻りながら小泉首相から選挙の実務を担当する自民党総務局長に抜擢されると経産大臣、自民党国対委員長とトントン拍子に出世していく。

野党幹部の孫の誕生日も覚えていた
 この頃の興味深いエピソードがある。

「二階さんは小泉さんから郵政民営化特別委員長や国対委員長をまかされただけあって、国会対策に非常に長けていた。野党幹部の孫の誕生日まで覚えていて、プレゼントを贈る。そうした野党パイプを使って対決法案の審議をうまく進めていった」(野党議員)

 第1次安倍内閣では党3役の総務会長(1回目)に就任、福田内閣と麻生内閣でも経産大臣を歴任して党実力者としてのし上がっていく。

 派閥の拡大にも熱心だ。

 二階氏は小泉郵政選挙(2005年)で大量に当選した小泉チルドレンのうち、選挙地盤が弱い比例代表の議員を取り込んで派閥を拡大し、一時は衆参20人近い勢力となった。

 しかし、2009年総選挙で自民党は大敗。最もダメージが大きかった旧二階派は二階氏を除く衆院議員全員が落選し、派閥が消滅してしまう。前代未聞の敗北だった。

 転んでもただでは起きないのがこの政治家の真骨頂だ。

 二階氏は残った参院議員2人と伊吹派(志帥会)に合流し、伊吹文明氏が衆院議長就任(2012年)に伴って派閥を離脱すると、自ら会長に就任して二階派に衣替えさせた。いわば、派閥を“乗っ取った”のである。それが現在の二階派だ。

 第2次安倍政権になってからは自民党は国政選挙で連戦連勝するが、二階派は選挙のたびに勢力を減らしながらも、無派閥の新人や他派の議員をスカウトして派閥を拡大してきた。

「二階さんは“数は力”の信奉者で、スネに傷を持つ議員でも来る者は拒まずの精神で受け入れる。派閥の議員の選挙応援には熱心だが、数多くの修羅場を経験してきた人だから、“落選したら補充すればいい”と割り切っているところがある」(二階派ベテラン議員)

 そのため、スキャンダル議員や変わり種の個性派議員が多く、自民党内では「二階派は猛獣も珍獣も受け入れる動物園」と揶揄されているが、二階氏は平気の平左なのだ。

観光業界以外にも強い影響力
 第2次安倍政権以降、二階氏は自民党内での力を飛躍的に伸ばしていく。

 2014年に2回目の自民党総務会長に就任すると、総務会長室に各企業や業界団体の陳情が列をなすようになった。

「政策の調整は本来なら政調会長の役目で、総務会長は業界の陳情などでつくられた多くの議員立法のうち、どの法案を国会で審議するかの優先順位を決める。しかし、党内で各業界の内情をよく知っていて、睨みがきき、利害調整ができるのはいまや二階さんしかいない。だから各業界の陳情は全部二階さんのところで仕切るようになった」

 背景には、自民党の世代交代が進み、長年、各業界を仕切っていた族議員の有力者が引退や落選でいなくなったことがある。

 総務会長時代の二階氏は、「中国強硬派」で知られた当時の安倍首相が戦後70年談話を出す前に自民党議員や旅行業界の関係者ら約3000人の大訪問団を組んで中国を訪問(2015年5月)、習近平・国家主席に首相親書を手渡して驚かせた。この年からインバウンドで中国からの訪日観光客が爆発的に増えていく。「観光業界のドン」の面目躍如ということになる。

 2016年に幹事長に就任すると、いよいよ権限が集中した。いまや二階氏が強い影響力を持っている業界は観光にはとどまらない。

「国土強靭化」を掲げて震災復興や全国防災事業を推進した「建設族のドン」でもあり、野中広務・元自民党幹事長から「全国土地改良事業団体連合会」会長を引き継いで「農業土木のドン」として君臨、建設業界、農業土木業界という自民党の票田をガッチリ握っている。所属議員数では党内第4派閥にすぎない二階派が、政治資金の集金力(2019年)ではトップに立っていることも、二階氏の各業界への影響力の強さの反映だろう。

 他の大派閥の領袖とは、存在感が違う。

 そんな二階氏も、安倍政権時代は、「一強」と呼ばれた安倍晋三・前首相に“へりくだって”みせていた。

 幹事長になると安倍氏の「総裁3選」をいち早くぶち上げ、党内の異論を封じ込めて党則を強引に改正して、「絶対の支持」を表明した。さらに安倍氏が退陣表明する前は「総裁4選」まで口にしていた。

 しかし、菅首相とは力関係が逆転した。自民党ベテラン議員が語る。

「二階さんにとって安倍さんは自分を幹事長にしてくれた恩人。安倍内閣は最大派閥の細田派、麻生派、岸田派の主流3派にしっかり支えられていたから政権基盤が盤石で、二階さんが逆らえばすぐ吹き飛ばされてしまうくらい力の差があった。

 しかし、現在の菅首相にとって二階さんは総理にしてくれた恩人。自前の派閥を持たない菅さんは党内基盤が弱く、二階派の支えがなければ政権維持が危うくなる。力関係からいっても菅さんは後見人の二階さんに逆らえない」

 だから二階氏は安倍前首相を宴席に呼びつけたことはないが、菅首相には“ちょっと顔を出さないか”と言えるのである。

◆文/武冨薫(ジャーナリスト)
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E4%BA%8C%E9%9A%8E%E4%BF%8A%E5%8D%9A%E5%B9%B9%E4%BA%8B%E9%95%B7%E3%81%AE-%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E3%81%AE%E6%BA%90%E6%B3%89-%E3%81%AA%E3%81%9C%E7%B7%8F%E7%90%86%E3%82%92%E5%91%BC%E3%81%B3%E5%87%BA%E3%81%9B%E3%82%8B%E3%81%BB%E3%81%A9%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%8A%9B%E8%80%85%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%81%8B/ar-BB1cf29q?ocid=msedgntp
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1084.html#c39

[近代史5] 太平洋先住民の起源 中川隆
3. 2020年12月26日 17:36:38 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[5]
雑記帳 2020年12月26日
グアム島の古代人のゲノムデータと太平洋における移住
https://sicambre.at.webry.info/202012/article_32.html


 グアム島の古代人のゲノムデータを報告した研究(Pugach et al., 2021)が報道されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。ミクロネシア西部のマリアナ諸島における人類の定住は、いくつかの点でポリネシアの定住よりも注目すべきですが、ポリネシアの定住はマリアナ諸島の定住よりもずっと注目されています。マリアナ諸島は、約750kmの海にまたがる15の島で構成され、フィリピンの東方約2500km、ニューギニアの北方約2200kmに位置します(図1)。マリアナ諸島で最大の島はグアムで、マリアナ諸島の最南端に位置します。以下、本論文の図1です。

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https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F1.large.jpg


 マリアナ諸島最初期の遺跡の年代は3500年前頃で、古環境の証拠は、4300年前頃に始まるさらに古い人類の居住を示唆します。マリアナ諸島最初の人類の存在は少なくともそれと同年代で3300年前頃以後となり、ポリネシア人の祖先と関連づけられている、メラネシア島嶼部とポリネシア西部における最初のラピタ(Lapita)文化遺跡より早くなる可能性さえあります。しかし、マリアナ諸島に到達するには2000km以上の外洋航海が必要なのに対して、ポリネシア人の祖先は、過去1000年にポリネシア東部に進出するまで、同じような距離の航海を行ないませんでした。

 マリアナ諸島に最初に航海してきた人類がどこから来たのか、またその集団とポリネシア人の関係は、未解決の問題です。マリアナ諸島人は、他のミクロネシア人やポリネシア人と比較すると、多くの点で珍しい存在です。グアム島の在来言語であるチャモロ語は、インドネシア西部(ウォレス線の西側の島)やスラウェシ島やフィリピン諸島の言語とともに、オーストロネシア語族の中で西マレー・ポリネシア語派に分類されます。ミクロネシア西部の別の在来言語であるパラオ語も西マレー・ポリネシア語派ですが、他の全てのミクロネシアおよび全てのポリネシアの言語は、東マレー・ポリネシア語派のオセアニア亜集団に属します。プタやイヌやニワトリなどの家畜がラピタ文化遺跡やポリネシア人居住地には通常関連していることに表されるような、メラネシア島嶼部とポリネシア西部のオーストロネシア人の最初の存在と関連しているラピタ文化の土器の最も決定的な特徴は、マリアナ諸島には存在しません。さらに、稲作はマリアナ諸島先住民の伝統として存在していたようですが、これまで、そうした証拠はリモートオセアニアの他の場所では見つかっていません。

 これらの言語的および文化的違いにより、ほとんどの学者は、メラネシア西部とポリネシアの居住は相互にほとんど関係なかった、と結論づけています。しかし、ミクロネシア人とポリネシア人との間の形態および遺伝の類似性の指標や、フィリピンとマリアナ諸島とラピタ文化地域の土器の間の様式のつながりも指摘されています。それにも関わらず、ポリネシア人の起源に関する標準的な物語は、4500〜4000年前頃に台湾から始まり、フィリピン諸島を島伝いしてインドネシアを南東へと通過し、3500〜3300年前頃にビスマルク諸島に到達した、オーストロネシア語族話者の移動を反映している、というものです。ポリネシア人はそこからポリネシア西部へと拡大し、2500年前頃となるニアオセアニアからの追加の移住がそれに続き、それにより究極的にはポリネシア全域に拡大したより多くのパプア人系統がもたらされた、とされます。この物語は、考古学・言語学・遺伝的データ(関連記事)の大半により裏づけられ、ミクロネシア西部は通常、この正統な物語において目立ちません。

 ポリネシア人と比較して、マリアナ諸島人の起源はより不確かです。現代グアム島のチャモロ人のほとんどのミトコンドリアDNA(mtDNA)配列は、mtDNAハプログループ(mtHg)Eで、これはアジア南東部島嶼部全域で見られ、マリアナ諸島最初の人々と関連している一方、低頻度のmtHg-B4はポリネシア人では高頻度で、後の接触に起因する、と考えられています。常染色体の縦列型反復配列(short-tandem repeat、STR)遺伝子座の限定的な数の研究は同様に、ミクロネシア西部(パラオとマリアナ諸島)とミクロネシア東部の類似性における違いを示唆し、ミクロネシア西部はアジア南東部と、ミクロネシア東部はポリネシアとのつながりを示します。

 チャモロの言語学的証拠は、インドネシアのスラウェシ島もしくは直接的にフィリピン中央部または北部の起源を示唆し、3500年前頃となるメラネシア最古の装飾土器と他の人工物は、同じ頃かより早い年代のフィリピンの同類と合致します。しかし、代替的な見解が提案されて議論されており、同時代のチャモロの遺伝的および言語的関係がどの程度、最初の居住者と後の接触をそれぞれ反映しているのか、明確ではありません。さらに、航海のコンピュータシミュレーションでは、フィリピンもしくはインドネシア西部からマリアナ諸島への航海が成功した事例は見つかりませんでした。代わりに、これらのシミュレーションは最も可能性の高い出発点として、ニューギニア島とビスマルク諸島を示しました。

 ゲノムの証拠は、チャモロ人の起源、およびチャモロ人とポリネシア人との関係に関するこの議論に光を当てられます。ニューギニア島とビスマルク諸島には、2つの主要な遺伝的系統が存在します。一方はオーストロネシア人(マレー・ポリネシア人)で、台湾からのオーストロネシア語族話者の拡大により到達しました。もう一方は、一般的な用語では非オーストロネシア人系統で、オーストロネシア人の到来前にニューギニア島とメラネシア島嶼部に存在しました。ただ、「パプア人」系統は、地域全体で構成がかなり不均一であることに要注意です。パプア人関連系統はおそらく、少なくとも49000年前頃となる、アフリカからオセアニアに拡散してきた最初の現生人類(Homo sapiens)集団にまでさかのぼり、オーストロネシア人系統とは容易に区別できます。

 パプア人関連系統はニューギニア島とビスマルク諸島だけではなく、インドネシア東部にもかなりの頻度で存在し、本論文では、インドネシア東部はウォレス線以東(図1)の全てのインドネシア諸島として定義されます。しかし、パプア人関連系統は、ウォレス線以西では事実上存在しないので、マリアナ諸島最初の居住者がフィリピンもしくはウォレス線の西側から出発したならば、パプア人関連系統はほとんどなかったはずです。逆に、マリアナ諸島最初の居住者がインドネシア東部やニューギニア島やビスマルク諸島から出発したならば、かなりのパプア人関連系統をもたらしたはずです。

 原則として、この問題に対処するために、マリアナ諸島の現代人の系統をパプア人関連系統に関して分析できます。しかし、古代DNA研究の一般的な知見は、現在のある地域の人々の系統が、数千年前の同地域の人々の系統を反映していないかもしれない、というものです。とくにマリアナ諸島の場合、考古学的証拠は1000年前頃のかなりの文化的変化を示唆しており、ほぼ全ての太平洋諸島が長距離航海により居住されて接続された頃の、ラッテ(latte)と呼ばれる正式な村の配置における石柱の家の建設と一致します。現代チャモロ人におけるmtHg-B4の存在は、ラッテ期の接触に起因する、とされています。

 さらに、1521年のマリアナ諸島へのマゼランの到達とともに始まり、1565〜1815年にかけてのマニラとアカプルコ間のガレオン船航海(および奴隷貿易)へと続く、ヨーロッパ植民地時代には、集団接触と移動はより複雑になりました。グアム島は、これらの航海の定期的な乗継地でした。またヨーロッパの植民地主義は、マリアナ諸島全域の集団規模の複数の移転と減少を伴いました。これらの事象は間違いなく、チャモロ人の遺伝的系統に影響を及ぼし、その起源およびポリネシア人との潜在的な関係の評価をより困難にしました。したがって、マリアナ諸島の古代DNAでこれらの問題に対処するのが望ましいでしょう。

 グアム島北部のリティディアン海岸洞窟遺跡(Ritidian Beach Cave Site)では、ラッテ期に明確に先行する人類2個体が、儀式的な洞窟遺跡の外で見つかりました。この2個体(RBC1およびRBC2)は、頭と胴体を取り除いた状態で、並んで埋葬されていました。RBC2の骨の直接的な放射性炭素年代測定では、較正年代で2180±30年前という結果が得られ、これはグアム島最初の居住の約1000年後ですが、ラッテ期の約1000年前でもあります。本論文は、この2個体の古代DNAの分析結果を報告します。その結果は、マリアナ諸島最初の人類の出発点に関する議論に寄与し、太平洋の人々のより大きな観点におけるマリアナ諸島の役割に、追加の洞察を提起します。


●母系と父系

 ミトコンドリアゲノムの平均網羅率は、RBC1で95.2倍、RBC2で261.3倍となり、ともに母系となるmtHgではE2aに分類されます。また、mtHg-E2aでも新規の置換があり、ATP6遺伝子においてアミノ酸置換(グルタミン→アルギニン)をもたらします。mtHg-E2aはグアム島の現代チャモロ人集団では最も一般的で、頻度は65%です。他の地域では、フィリピンとインドネシアの集団で散発的に確認されており、ソロモン諸島の1個体で確認されています。それ以外ではオセアニアには存在せず、アジア南東部大陸部で報告されています。したがって、グアム島の古代人におけるmtHg-E2aの発見は、マリアナ諸島が、ニューギニア島やビスマルク諸島よりもむしろ、フィリピンやインドネシアとつながっていることを示唆します。

 さらに重要なことに、現代チャモロ人におけるmtHg-E2aの高頻度は、古代人遺骸により表される集団とのある程度の遺伝的継続性と、1000年前頃以後のラッテ期以来、および後のヨーロッパ植民地事象の集団間接触を通じて持続した、と示唆します。X染色体と常染色体の平均網羅率の比率に基づいて、RBC1は男性、RBC2は女性と推定されます。RBC1のY染色体ハプログループ(YHg)は、O2a2(P201)に分類されます。YHg-O2a2は、アジア南東部大陸部および島嶼部に広く分布しており、オーストロネシア人の拡大と関連づけられています。


●ゲノム規模一塩基多型データ

 SGDP(Simons Genome Diversity Project)のデータに基づいて、RBC1とRBC2のゲノム規模一塩基多型データが得られました。RBC1とRBC2は一親等の関係にあるかもしれませんが、データ量が限定的なので、確定できません。それを踏まえた上で、ユーラシアやオセアニアの多様な現代人も対象として主成分分析が行なわれました。RBC1とRBC2は、台湾およびフィリピンの標本と重なっています(図2A)。RBC1とRBC2には、とくにインドネシア東部の標本と比較した場合、パプア人関連系統の兆候は見られません。インドネシア東部の標本は全てパプア人関連系統をいくらか有しているので、他のアジア南東部標本と明確に分離されています。

 次に、同じデータセットでADMIXTURE分析が行なわれました。図2Bには、K=6の結果が示されています。ニューギニア島の標本の特徴で、インドネシア東部の標本らも存在する黄色の系統成分は、どのK値の分析でも古代グアム島の2標本(RBC1とRBC2)では完全に欠けています。さらに、K=6では、古代グアム島の2標本に濃い青色の系統成分があり、これはフィリピンと台湾の個体群で最も高い頻度です。RBC1には紫色の成分もあり、これはヨーロッパ人の最近のDNA汚染を反映している可能性が高そうです。以下、本論文の図2です。

画像
https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F2.large.jpg

 したがって、これらの主成分分析とADMIXTURE分析から、古代グアム島の2標本(RBC1とRBC2)にはパプア人関連系統がなく、さらに、古代グアム島の2標本はフィリピンと台湾の現代人標本に最も類似している、と示唆されます。ただ、このデータセット内の一塩基多型の数は、集団関係の検証には少なすぎ、オセアニア現代人集団の対象範囲が限定されています。そこで、「Human Origins」データセットでさらなる分析が行なわれました。これには、ニアオセアニアとリモートオセアニアの現代人標本が含まれ、古代グアム島の2標本との重複が多く、バヌアツとトンガの初期ラピタ文化標本など、アジアと太平洋の古代人標本のデータも含まれています。

 古代人の標本も含めた主成分分析(図3A)では、初期ラピタ文化標本と、ニューギニア島標本と、アジア東部標本がそれぞれ別の頂点に配置されます。古代グアム島の2標本は、台湾およびフィリピンの現代人標本から離れ、初期ラピタ文化標本の方向に投影されます。K=9のADMIXTURE分析(図3B)では、古代グアム島2標本における主要な2系統成分が明らかになります。それは、インドネシアとフィリピンの現代人標本で最も高頻度の濃青色成分と、ポリネシアで最も高頻度の橙色成分です。わずかな紫色成分は、最近のヨーロッパ人の汚染を反映している可能性が高そうです。図2で示された分析と同様に、古代グアム島2標本では、主成分分析またはADMIXTURE分析のパプア人関連系統の兆候がありません。以下、本論文の図3です。

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https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F3.large.jpg

 古代グアム島2標本におけるこれら2系統成分の存在が、インドネシアおよびフィリピン関連集団と他のポリネシア人関連集団との間の混合を示唆する可能性もありますが、複数の系統成分の存在に関しては他の説明も可能です。とくに、古代グアム島2標本は、系統的にインドネシアおよびフィリピンとポリネシアの両方と関連しており、その後の分岐と遺伝的浮動により、分離したインドネシアおよびフィリピン関連系統とポリネシア関連系統の識別が容易になったかもしれません。

 古代グアム島2標本の関係をより詳細に調べるため、外群f3およびf4統計が分析されました。外群f3分析では、古代グアム島2標本により共有される浮動(すなわち系統)の量が、外群(ムブティ人)と比較して他の集団と比較されます。その結果、古代グアム島2標本はラピタ文化のバヌアツおよびトンガの標本群と最も浮動を共有し、フィリピンの古代人標本がそれに続き、その次がフィリピンおよび台湾の現代人標本と台湾海峡諸島の後期新石器時代標本群となります。とくに、ニューギニアおよびフランスと共有される浮動は、他のあらゆる集団よりも少なく、古代グアム島2標本はこれら2集団との関連性が最も少ないことを示唆します。これらの結果は、古代グアム島2標本にパプア人関連系統がないことを裏づけており、さらに、ヨーロッパ人の汚染がこれらの結果に影響を与えていないことも示唆します。

 次に、f4統計が実行されました。対象は、検証集団、フィリピンのオーストロネシア語族話者であるカンカナイ人(Kankanaey)、ニューギニア島高地人、アフリカのムブティ人です。f4統計の値がゼロと等しいと、検証集団がニューギニア島集団と比較してカンカナイ人とクレード(単系統群)を形成し、値がゼロ未満だと、カンカナイ人は検証集団よりもニューギニア島集団とより多くの系統を共有し、値がゼロより大きいと、検証集団はカンカナイ人よりもニューギニア島集団とより多くの系統を共有する、と示唆されます。古代グアム島2標本と他の全てのオセアニア集団を用いると、オセアニア集団の検証された全集団は、古代グアム島2標本を除いて、カンカナイ人と比較してニューギニア島集団と系統を共有する、と示唆されます。


●初期ラピタ文化標本との関係

 主成分分析とADMIXTURE分析と外群f3分析は、古代グアム島2標本とフィリピンおよび台湾の現代人集団との間の類似性を示唆するだけではなく、さらに古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の強い類似性を示します。古代グアム島2標本とアジアおよびオセアニアの初期ラピタ文化標本群の間のより詳細な関係を調べるため、データセットにおける、初期ラピタ文化のバヌアツおよびトンガ標本と、全ての現代および古代のアジア人とオセアニア人の標本を別々にして、f4分析(古代グアム島2標本、初期ラピタ文化標本、アジアおよびオセアニア現代人、ムブティ人)が行われました。ゼロと一致するf4統計の値は、古代グアム島2標本が初期ラピタ文化標本群とクレードを形成する、と示唆します。負の値は、初期ラピタ文化標本とアジアおよびオセアニア現代人集団との間の過剰な共有系統を示唆します。正の値は、古代グアム島2標本とアジアおよびオセアニア現代人集団との間の過剰な共有系統を示唆します。

 古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群は常に、あらゆるアジア人集団と比較して相互にクレードを形成する、という結果が示されます。しかし、初期ラピタ文化標本は両方、古代グアム島2標本よりも、古代および現代ポリネシア人標本群と多くの系統を共有しており、他のあらゆるオセアニア人標本とはそうではありません。これは、古代グアム島2標本および初期ラピタ文化標本群の他集団との外群f3比較により、さらに裏づけられます。初期ラピタ文化標本は両方、古代グアム島2標本よりも、現代および古代のリモートオセアニア人標本群とより多くの浮動を共有します。それにも関わらず、f4統計(オセアニア人、初期ラピタ文化標本群、古代グアム島2標本、ムブティ人)は常に、どのオセアニア人集団が検証に含まれるかに関係なく、初期ラピタ文化標本両方で有意に負の値を示します。

 これらのf4結果から、他のあらゆるオセアニア人標本と比較すると、外群f3結果と一致して、初期ラピタ文化標本群と古代グアム島2標本との間には共有された浮動がある、と示唆されます。全体として、f3とf4の結果からは、初期ラピタ文化標本群と古代グアム島2標本が相互に密接に関連している一方で、初期ラピタ文化標本群は、古代グアム島2標本よりも、現代および古代のオセアニア人標本群におけるポリネシア人関連系統のよい代理である、と示唆されます。

 次に、混合グラフ、つまり混合もしくは移住を表現できる系統樹を用いて、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本と他のアジア人およびオセアニア人の標本間の関係がさらに調べられました。これらの分析に含まれていたのは、パプア人系統の源としてのニューギニア島高地人、アジア人系統の源としての漢人、オーストロネシア人の源としてのカンカナイ人、ビスマルク諸島との関係を調査するためのニューブリテン島の(混合したパプア人とオーストロネシア人の系統の)トライ人(Tolai)と(パプア人系統のみの)バイニン・マラブ人(Baining_Marabu)、混合したパプア人とオーストロネシア人の系統を有する現代バヌアツ人、古代グアム島2標本、バヌアツとトンガのラピタ文化標本群です。また、ムブティ人が外群として含められました。

 まず、TreeMixソフトウェアを用いて、最尤系統樹が構築され、移住先が追加されました。2つの移住先を有する系統樹(図5A)は、3標準誤差(SE)以内で全ての誤差を有しているので、妥当な適合を提供します。この系統樹は、古代グアム島2標本とラピタ文化標本群との間で共有された浮動を示唆しており、現代のバヌアツとトンガの標本群へラピタ文化関連系統をもたらす移住先が伴います。

 さらに、マルコフ連鎖モンテカルロ法(Markov chain Monte Carlo method)を用いて混合グラフが調べられ、AdmixtureBayesソフトウェアで実行され、潜在的な混合グラフの空間が標本抽出されました。最高事後確率(17.6%)を有するグラフは、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の共有された浮動を裏づけます。さらに、1000個の混合グラフの事後標本の少なくとも50%に存在する結節点を示す一致グラフからは、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の共有された浮動は接続形態の99%に現れる、と示唆されます。

 さらに、qpGraphソフトウェアを用いてのf統計の組み合わせで、TreeMixとAdmixtureBayesの両方により教師なしで推測された、この接続形態が調べられました。この接続形態は、「許容可能な」グラフにとって3未満という最悪の適合Z得点の既存の閾値を上回る、4.56という最悪の適合Z得点を有します(図5C)。一般的に、近似データと観察データ間の偏差は、誤った接続形態もしくはモデル化されていない混合により説明できます。最悪のf統計は漢人を含む傾向があり、漢人を除外すると、最悪のZ得点は3.72に減少します。このグラフは3以上のZ得点を有する5つのf統計があり、その全てはムブティ人とニューギニア島高地人を含みます。したがって、このグラフはおそらく、オセアニア人標本群の関係、とくに古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間で共有された浮動の、妥当な描写を提供します。

 混合系統を有する2集団の場合、バヌアツの現代人標本は、パプア人関連系統65%とオーストロネシア人関連系統35%を有すると推定されますが、トライ人標本はパプア人関連系統85%とオーストロネシア人もしくはラピタ文化関連系統15%を有します。これらの推定は、バヌアツではパプア人関連系統66%とオーストロネシア人関連系統34%、トライ人ではパプア人関連系統87%とオーストロネシア人関連系統13%と示した、AdmixtureBayesの推定と密接に一致します。

 さらに、混合グラフ分析に台湾先住民と系統を共有する中華人民共和国福建省連江県亮島の粮道(Liangdao)遺跡の標本群(関連記事)を含めることにより、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間で共有される浮動が調べられました。その結果、粮道遺跡標本群は、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群におけるオーストロネシア人関連系統にとって、現代人標本群よりも適切な代理であると示唆されるものの、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間では依然として共有される浮動があります。以下、本論文の図5です。

画像
https://www.pnas.org/content/pnas/118/1/e2022112118/F5.large.jpg


●古代グアム島2標本の起源

 グアム島の古代DNAの研究結果の解釈には、いくつかの注意が必要です。グアム島の古代DNAは2標本(RBC1とRBC2)に基づいており、年代はグアム島の最初の居住民の1400年後です。リモートオセアニアの初期ラピタ文化遺跡群の古代DNAに関する以前の研究は、限定的な標本数に基づく最初の結果(関連記事)が、追加の標本を分析した時に明らかになった複雑さを把握できていなかった、と明らかにしました(関連記事)。それにも関わらず、古代グアム島2標本が同じ地域の他の古代および現代の標本群と示す関係は、さらなる調査の基礎となるだろう、グアム島の移住と、リモートオセアニアのさらなる居住への興味深い洞察を提供します。

 古代グアム島2標本のmtHgとYHgは、ニューギニア島もしくはビスマルク諸島よりもむしろ、アジア南東部とのつながりを示唆します。さらに、ゲノム規模データの分析のいずれでも、古代グアム島2標本におけるパプア人関連系統の痕跡は見つかりませんでした。したがって本論文の結果は、インドネシア東部とニューギニア島とビスマルク諸島ではかなりの量のパプア人関連系統が存在することから、古代グアム島2標本の起源がウォレス線の東側にある可能性を除外します。古代グアム島2標本の最も可能性が高い起源はフィリピンですが、インドネシア西部もあり得ます。フィリピンおよびインドネシアの現代人集団と古代人のDNAのさらなる標本抽出が、起源地の特定に役立つでしょう。さらに、考古学的証拠を検討するさいには、フィリピンから東方のメラネシアと南方のスラウェシ島、最終的にはさらに遠くに拡散した集団を反映する、3500年前頃となる赤色土器の急速な地理的拡大に対処するために、より詳細な標本抽出が必要です。

 グアム島の基礎的集団のフィリピン起源との見解は、現代人のDNAの知見、言語学的証拠、3500年前頃の最初のマリアナ諸島居住民の考古学的痕跡と一致します。しかし、遠洋航海のコンピュータシミュレーションは代わりに、ニューギニア島もしくはビスマルク諸島を、マリアナ諸島に到達する航海の潜在的な起源地として示唆します。これら2系統の証拠を調和させる可能性がある一つの仮説は、人々がフィリピンからニューギニア島もしくはビスマルク諸島へ到達し、その途中であらゆる集団と混合せず、その後にニューギニア島もしくはビスマルク諸島からグアム島へと航海し、再び先住集団との混合はなかった、というものです。

 しかし、TreeMixとAdmixtureBayesの結果(図5)はこの仮説を支持せず、言語学的および考古学的証拠も同様です。とくに、3500年前頃となるマリアナ諸島最初の土器は、3300年以上前にさかのぼらない、ニューギニア島の東側に位置する最古のラピタ文化遺跡群に先行する可能性が高そうです。しかし、マリアナ諸島における3500年前頃の土器や細かい貝の装飾品や他の文化的物質はラピタ文化の伝統とは完全に異なり、代わりに3800〜3500年前頃のフィリピンにおける物質的指標と関連づけることができるので、フィリピンからマリアナ諸島への移動が支持されます。

 さらに、遠洋航海のコンピュータシミュレーションは、強い海流と風に逆らって移動する古代の航海の能力を適切に考慮していません。とくに、チャモロの単一のアウトリガー(舷外浮材)カヌーに関しては、スペインの船と比較してのより優れた速度と操縦性能に、オセアニアに到来した初期ヨーロッパ人は感銘を受けました。文献には、17世紀にマニラからグアム島への航海における舢舨(sampan)という船で漂流した「中国人」交易者の記録が少なくとも1例あります。ビスマルク諸島の初期ラピタ文化遺骸の古代DNAは、人々がビスマルク諸島からグアム島へ移動した、という仮説のさらなる検証を提供するでしょう。もちろん、後の期間に、他の場所(おそらくビスマルク諸島を含みます)からマリアナ諸島への追加の集団がもたらされた可能性はあります。


●古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の関係

 全ての分析は一貫して、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間のひじょうに密接な関係を示します。この密接さは、外群f3およびさまざまなf4分析により明らかで、その全ては古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群との間の共有された系統を示唆します。さらに混合グラフからは、古代グアム島2標本がまず分岐し、ビスマルク諸島からグアム島への人々の移動は支持されない、と示唆されます(図5)。しかし、混合グラフの結果には注意が必要です。混合グラフは分析において、古代および現代のDNA標本群の混合を含めることに影響を受けるかもしれず(通常、各集団の標本では古代が現代よりも少なくなります)、古代の標本には汚染や損傷に起因する配列エラーの可能性があります。それにも関わらず、人々はマリアナ諸島からビスマルク諸島(もしくはメラネシア島嶼部の他の場所)へと移動し、その後にリモートオセアニアの他の場所に移動したか、あるいは、古代グアム島2標本および初期ラピタ文化標本群の祖先が別々に、異なる経路で同じ起源集団から移動したようです。

 本論文の結果では、これら2つの可能性を区別できません。後のポリネシアへの移住におけるマリアナ諸島の直接的な役割に反する事象は、ポリネシアに特徴的な、決定的なラピタ土器もしくは家畜の欠如です。しかし、現代人の言語はその後の発展を反映しているかもしれず、家畜は他の経路で導入されているかもしれません。マリアナ諸島の土器はラピタ土器に数世紀先行しており、一部の研究者には、後にラピタ土器で精巧になった細かく装飾された土器の関連した種類と考えられています。

 さらに、インドネシア東部とニューギニア島の他地域を迂回するマリアナ諸島経由もしくは他のいくつかの経路で、フィリピン(もしくはその近隣地域)からビスマルク諸島への人々の直接的な移動は、一つの特有な観察を説明します。それは、バヌアツとトンガの初期ラピタ文化標本群におけるパプア人関連系統の欠如です。ポリネシア人の祖先が、数百年(おそらくは10〜15世代)かかった過程で、台湾もしくはフィリピンからビスマルク諸島にインドネシア東部を通ってニューギニア島の海岸沿いに島伝いに移動したならば、その途中でパプア人関連系統を有する人々と遭遇し、パプア人関連系統を入手する充分な機会があったでしょう。おそらく、ポリネシア人の祖先はこの経路で移動しましたが、社会的もしくは他の知覚された違いのために、途中で人々とすぐに混合しませんでした。

 しかし、パプア人関連系統が初期ラピタ文化標本群とほぼ同時にバヌアツに現れ、ポリネシア全域へと拡大した、バヌアツやサンタクルーズやフィジーにおけるかなり後のパプア人関連系統の接触の証拠があるように、そうした障壁は長く続きませんでした(関連記事)。考慮に値する代替的な説明は、ポリネシア人の初期の祖先は、ビスマルク諸島に到達するまでパプア人関連系統を有する人々と遭遇しなかったので、パプア人関連系統を欠いており、それはおそらく、インドネシア東部やニューギニア島沿岸を迂回するマリアナ諸島もしくは他の場所を経由して航海したから、というものです。ミクロネシア経由のポリネシアへの移住は、一般的に研究者には考慮されてきませんでした。しかし、この可能性は、土器の証拠に基づいて提案されてきており、本論文で提示された遺伝的証拠は、ミクロネシア人とポリネシア人との間のつながりへのさらなる洞察を提供します。


 以上、本論文の内容をざっと見てきました。今年になって大きく進展したアジア東部の古代DNA研究(関連記事)を踏まえると、本論文の見解を現生人類(Homo sapiens)の拡散史により的確に位置づけられるように思います。ユーラシア東部への現生人類の拡散の見通しは、以下のようになります。

 まず、非アフリカ系現代人の主要な祖先である出アフリカ現生人類集団は、7万〜5万年前頃にアフリカからユーラシアへと拡散した後に、ユーラシア東部系統と西部系統に分岐します。ユーラシア東部系統は、北方系統と南方系統に分岐し、南方系統はアジア南部および南東部の先住系統とサフル系統(オーストラリア先住民およびパプア人)に分岐します。サフル系統と分岐した後の残りのユーラシア東部南方系統は、アジア南東部とアジア南部の狩猟採集民系統に分岐しました。アジア南東部の古代人では、ホアビン文化(Hòabìnhian)関連個体がユーラシア東部南方系統に位置づけられます。アジア南部狩猟採集民系統は、アンダマン諸島の現代人によく残っています。この古代祖型インド南部人関連系統(AASI)が、イラン関連系統やポントス・カスピ海草原(ユーラシア中央部西北からヨーロッパ東部南方までの草原地帯)系統とさまざまな割合で混合して、現代インド人が形成されました。アジア南東部において、この先住の狩猟採集民と、アジア東部から南下してきた、最初に農耕をもたらした集団、およびその後で南下してきた青銅器技術を有する集団との混合により、アジア南東部現代人が形成されました。

 アジア東部に関しては、ユーラシア東部北方系統と南方系統とのさまざまな割合での混合により各地域の現代人が形成された、と推測されます。ユーラシア東部北方系統からアジア東部系統が派生し、アジア東部系統は北方系統と南方系統に分岐しました。現在の中国のうち前近代において主に漢字文化圏だった地域では、新石器時代集団において南北で明確な遺伝的違いが見られ(黄河流域を中心とするアジア東部北方系統と、長江流域を中心とするアジア東部南方系統)、現代よりも遺伝的違いが大きく、その後の混合により均質化が進展していきました。ただ、すでに新石器時代においてある程度の混合があったようです。また、大きくは中国北部に位置づけられる地域でも、黄河・西遼河・アムール川の流域では、新石器時代の時点ですでに遺伝的構成に違いが見られます。アジア東部南方系統は、オーストロネシア語族およびオーストロアジア語族集団の主要な祖先となり、前者は華南沿岸部、後者は華南内陸部に分布していた、と推測されます。

 この見解に基づくと、古代グアム島2標本と初期ラピタ文化標本群は基本的にアジア東部南方系統に位置づけられ(アジア東部北方系統も多少有しているでしょうが)、パプア人関連系統は基本的にユーラシア東部南方系統に位置づけられます。オセアニアにはユーラシア東部南方系統でほぼ完全に構成される集団が5万〜4万年前頃に拡散してきて、完新世にユーラシア東部北方系統から派生したアジア東部系統(おもにアジア東部南方系統)の集団が拡散し、ユーラシア東部南方系統で構成される集団と混合していったのでしょう。古代グアム島2標本(の祖先集団)と初期ラピタ文化標本群は、オセアニアにおけるユーラシア東部北方系統(から派生したアジア東部系統)の初期の拡散を表している、と言えそうです。


参考文献:
Pugach I. et al.(2021): Ancient DNA from Guam and the peopling of the Pacific. PNAS.
https://doi.org/10.1073/pnas.2022112118


https://sicambre.at.webry.info/202012/article_32.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/355.html#c3

[近代史5] 太平洋先住民の起源 中川隆
4. 中川隆[-8920] koaQ7Jey 2020年12月26日 17:46:23 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[6]
オーストロネシア語族の移動ルート=PNASのウェブサイトから
https://amd-pctr.c.yimg.jp/r/iwiz-amd/20201225-00000001-ftaiwan-000-1-view.jpg

(台北中央社)米領グアムの先住民のルーツが台湾であることが、先史人類のDNA解析によって証明された。研究に携わった国際研究チームの台湾人メンバー、オーストラリア国立大学の洪暁純(こうぎょうじゅん)上席研究員が、謎解明までの経過を中央社に語った。

グアムはマリアナ諸島を構成する島の一つで、最も近いフィリピンからは2000キロ余り離れている。洪氏によれば、先史時代の人類が約3500年前までにはマリアナ諸島に到達していたことが過去の研究から分かっているが、どこから来たのかについては考古学者の見解が分かれていた。

洪氏が参加する研究チームは2016年、グアム北部の遺跡で先史時代の人骨を2体発見。DNA解析を経て、フィリピン・ルソン島北部の先住民カンカナイ族と台湾の先住民アミ族に最も近いことが判明し、このことから、グアム先住民の祖先は台湾からフィリピンに移り、そこからグアムにたどり着いたという結論を導き出した。

洪氏によると、太平洋諸島からアフリカ・マダガスカルにまで広く分布する「オーストロネシア語族」の起源が台湾であることが近年の研究で証明されており、約4000年前に台湾からフィリピンに渡った同語族の一部がグアムやサイパンに、別のグループがインドネシアや他の太平洋の島々に向かったと確定できるという。

研究成果は学術誌「米国科学アカデミー紀要」(PNAS)のウェブサイトに掲載された。洪氏は、グアム先住民が3500年前に2000キロ余りを航海できる技術を持っていたことを、この最新研究が間接的に証明しているとの認識を示している。(許秩維/編集:塚越西穂)

中央社フォーカス台湾 12/25(金) 11:41配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20201225-00000001-ftaiwan-cn
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/355.html#c4

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
15. 中川隆[-8919] koaQ7Jey 2020年12月26日 18:34:37 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[7]
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/IMG/events/Unger_2013_handout.jpg


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c15

[近代史5] 稲作とオーストロネシア語族集団の起源 中川隆
4. 中川隆[-8918] koaQ7Jey 2020年12月26日 18:35:01 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[8]
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/IMG/events/Unger_2013_handout.jpg


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/258.html#c4

[近代史02] 弥生人の起源 _ 自称専門家の嘘に騙されない為に これ位は知っておこう 中川隆
296. 中川隆[-8917] koaQ7Jey 2020年12月26日 18:37:40 : PLjQd27PlM : UWhkTlI4NVNUMlE=[9]
東アジアの言語地図 (オハイオ大学の言語学者 J. Marshall UNGER 氏が作成)
https://www.oeaw.ac.at/fileadmin/Institute/IKGA/IMG/events/Unger_2013_handout.jpg


http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/547.html#c296

   

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