47. 2020年5月27日 14:57:42 : DxwecRJGBA : UUVCaHNaYWM0YlU=[1]
原爆投下時間8時6分説を展開したのは、元朝日新聞の論説委員だった中条一雄氏だ。
> 「原爆は本当に8時15分に落ちたのか」株式会社・三五館、2001年
その要の部分が、ブロガーによってまとめられている。
> ・・・「おい、おい、山本君、本当かね。もし8時6分だとしたらたいへんな歴史的な新事実だぞ!」 そんな声につられて、山本郁郎君が話しはじめた。
広島一中から広島高等工業(現広島大工学部)へ進学した彼は、あの日、爆心から南方に約2キロ離れた平屋の校舎の研究室で被爆した。クラスの友達たちは岡山の軍需工場に動員されていたが、学業の成績がよかった彼は旧帝大への進学クラスに入り、担当教授から研究テーマを与えられて広島に残っていた。
一瞬のうちに大破した校舎の下敷きになり、血まみれになりながら、必死の思いで木材の間からはい出して防空壕に転がり込んだ。そのとき時計を見たら、たしかに「8時6分だった」と、次のように話してくれた。
「ぼくが持っていた時計はロンジンだった。なぜそんな高価な時計を持っていたかというと、動員で岡山に行った同級生から『軍需工場に行くと米軍の目標にされて、爆死するかもしれない。大切なものだから預かっておいてくれ』と頼まれたものだった。彼の父親は住友銀行のニューヨーク支店に長く勤め、開戦後に日米交換船で帰国した人だが、ロンジンはその父親からもらっだものだった。彼は広島のほうが安全だと思っていたらしい。ぼくが時計マニアだと知って預けたらしいが、貴重な預かり物だからこれだけはどうあっても守らなければならないと、宝物のように大切に扱っていた。
そのころNHKは時報の前に、たしかモーツァルトのドイツ舞曲第五番を流していた。ぼくはそのメロディーを聞いて必ず時報に合わせるのを習慣としていた。前夜もいつものように最後の時報に合わせた。絶対正確だったという自信がある。大破した校舎からはい出した時、自分の時計なら見向きもしなかったかもしれないが、友達の高価なものだから壊れていないかと心配で反射的に時計を見だ。8時6分を鮮明に覚えている。絶対に間違いない」
山本郁郎君は2度も3度も「8時6分」を繰り返した。
http://2006530.blog69.fc2.com/?mode=m&no=585
スイスのロンジン社は、イギリス空軍の御用達業者であった。
https://monochrome-watches.com/longines-heritage-military-raf-6b-159-reedition-review-price/
やはり、8時6分説は、非常に強固な基盤を持っていることは、確かだ。
http://www.asyura2.com/19/genpatu52/msg/710.html#c47