http://www.asyura2.com/acat/u/uk/ukp/UkpyU0lQcDVnTG8=/100000.html
5. 2021年3月02日 21:33:16 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[1]
ガンドラック氏: 金利上昇で株価下落の新トレンドへ
2021年3月2日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/12696
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1559.html#c5
8. 2021年3月02日 21:44:13 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[2]
プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る
2015年3月21日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
・2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
2015年の金融市場はブラックマンデー当時の相場と似ているとの指摘が各所から出ている。チャートの類似を指摘する声もあれば、ボラティリティの上昇を指摘する声もあるが、ファンダメンタルズにおいてどう類似しているのかを詳細に観察するレポートが出回っていないと感じているので、先ずは1987年に起こったブラックマンデーのマクロ経済学的背景を説明しておきたい。
ブラックマンデーについては、一般的には解明されていない点が多いとされているが、一部の優れた投資家は事前に予測していた事案であり、ファンダメンタルズと投資家の心理の観点から説明が可能である。暴落の背景には1981年に米国の大統領に就任したレーガン大統領のレーガノミクスがあるので、先ずはここから始めたい。
ドル高を促進したレーガノミクス
元々の始まりはレーガノミクスである。1981年に就任したレーガン大統領は、前政権から受け継いだスタグフレーションに対処しなければならなかった。高い失業率にもかかわらずインフレ率は上昇し、米国の家計は低い賃金と高い物価の両方に苦しんでいた。
レーガン大統領は失業率を抑えるために財政出動を行い、減税によって消費を刺激しようとした。軍事支出を大幅に増加させ、また外交的にも共産主義国への強硬姿勢を見せることで、いわゆる「強いアメリカ」を演出した。
一方で、上昇していたインフレ率を抑えるためには金融引き締めが必要とされていた。金融政策ではそもそもレーガン大統領の就任以前より利上げがピークに達しており、レーガン大統領自身もマネーサプライの増加を抑える意思を引き続き表明した。財政支出の規模が大きかったこともあり、長期金利は上昇し、高い金利を求めた資金は為替市場をドル高へ導くことになる。ここまでの経緯を纏めると以下の通りである。
高失業率 -> 財政出動 -> 金利上昇 -> ドル高
高インフレ -> 利上げ -> ドル高
当時、アメリカ経済の問題は巨額となった財政赤字だけではなかった。日本やドイツなどの貿易相手国がドル高の恩恵を受けて輸出を続けたことで、米国の貿易赤字も容認できないレベルに達していた。
しかし高金利に惹かれた資金は、ドルのもとに集まり続け、「双子の赤字」と呼ばれた米国の財政・貿易赤字にもかかわらず、ドルは高値を更新し続けた。ドルはドイツマルクに対し、レーガノミクス以前のレートから50%以上も上昇した結果、通貨高に耐えられなくなったアメリカ政府は遂にドル高是正に腰を上げることになる。
プラザ合意
1985年9月22日、G5の財務相と中銀総裁たちがニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高の是正のために協調介入することで合意した。ドル高は双子の赤字というファンダメンタルズを反映していないとされ、米国政府は為替レートの是正が必要だと主張した。ジョージ・ソロス氏はこの出来事を以下のように書いている。
われわれは興奮の渦中にある。G5の財務相と中銀総裁がプラザホテルで緊急会議を開いた。これは歴史的な出来事である。会議は自由な変動相場制から管理された変動相場制への移行を決定した。
わたしは紙一重でポジションを手放さずに済み、一世一代の大儲けを果たした。円を翌週の香港市場で買い増し、上昇する相場のなかでホールドした。儲けは過去4年の為替市場での損失を補って余りあるほどである。というわけで非常にいい気分だ。(『ソロスの錬金術』)
この時、円やマルクはドル高の行き過ぎから既に底値を超えて上昇基調にあったが、この合意はその新たなトレンドを決定的なものにした。ドルはここからブラックマンデーの起きる1987年まで、急激な下落トレンドを開始することになる。
バブルを造成した利下げとドル安
一方で、ドル高が米国のインフレ率を徐々に低下させていたことから、高止まりした政策金利は役目を終え、Fed(連邦準備制度)は利下げを開始していた。レーガン政権の序盤には19%まで上昇していた政策金利は、この頃には8%程度まで下落していた。
1982年に始まったこの利下げを好感し、株式市場は上昇を始めていたが、ドル高を是正するプラザ合意がこの傾向に拍車をかけた。したがって、1982年からブラックマンデーの起こる1987年までの株価上昇は、利下げとドル安によって作り上げられた強力なトレンドであり、投資家たちはこの2つの要素を前提として米国株を買い続けてきた。したがって、この上昇相場の終焉も、この2つの要因が崩れたときであったのである。
ルーブル合意
プラザ合意以来、ドルはドイツマルクや円に対して急速なスピードで下落していた。1987年2月22日、ドル安が行き過ぎであると判断した米国政府は、G7を主導し、パリのルーブル宮殿でドル安の行き過ぎを是正する合意を取り付けた。これは、下がり続けていた米国の政策金利をFedが上げる一方で、円高、マルク高となっていた日本とドイツに対し、利下げを求める合意であったが、国内のインフレ率上昇を懸念していたドイツが同年9月にこれを破り、利上げを決行する。
ドル安を懸念していた米国にとって、更なるドル安・マルク高を引き起こすドイツの利上げは容認できないものであった。また、5年間に渡る利下げによって支えられてきた米国の株式市場の参加者は、ドイツの利上げによって米国も利上げのペースを上げなければならなくなるだろうと推測した。利下げとドル安によって支えられてきた上昇相場が、ドイツの協調拒否によってその両方を失ったのである。
ドルの自由落下か、株式の自由落下か
「双子の赤字」を抱えながら成長してきた米国株の上昇相場は、遂に八方塞がりの状況に陥る。米国の巨額の財政・貿易赤字はいずれ修正されなければならないと誰もが思っていた。
ジョージ・ソロス氏は早くから双子の赤字に悲観的だったが、各国の協調と管理された変動相場制が状況を軟着陸させる可能性を見て取ると、これを「資本主義の黄金時代」と呼んだ。しかしその要であった協調は、ドイツの離反で失われた。ドル安の行き過ぎを段階的に是正し、株式市場に大きな悪影響を及ぼすことなく利上げ・ドル高へと導くためには、為替水準に対する各国の協調が必要不可欠だったのである。
株式投資家には最悪の状況である。ドイツの利上げにつられてFedが急激な利上げに向かえば、真っ先に下落をするのは株式市場である。しかし逆にFedが利上げを躊躇えば、今度はドルが何処まで落ちてゆくか分からない。事実、米国のベーカー財務長官は、10月16日の記者会見で協調を破ったドイツを非難し、「ドイツが協調に協力しないのであれば米国は一層のドル安を容認する」と主張した。
これで株式市場かドルか、どちらかの下落は決定付けられてしまった。特に当時の株式市場では、ほとんどの投資家は為替ヘッジを付けていなかったこともあり、米国株の保有者はどう転んでも自分の資産が毀損される状況に追い込まれた。では彼らの唯一の選択肢は何だっただろうか? 米国株の投げ売りである。
1987年10月19日、ブラックマンデー
9月のドイツの非協調的利上げによって最後の支えを失った米国の株式市場は、その後ふらふらと方向感を失い、10月に入ると下落トレンド入りした。下落幅は日増しに大きくなり、10月19日、前日比で22.6%の下げを記録したのである。
ブラックマンデーについては、当時の稚拙であった自動売買システム(ポートフォリオ保険)などが下落を加速させたなどの見方があるが、その真相は利上げによる典型的な流動性縮小と、止まらないドル安が株式投資家を追い込んだ結果というわけである。
未来の相場への教訓
金融市場の暴落では、それまで何とか市場に保たれていた資金が行き場を失うというパターンが多い。債務危機では通貨と国債、どちらかの暴落は不可避であり、2015年現在の状況では、株式市場か債券市場、両方の上げ相場が永遠に続くということは不可能である。
ちなみに、レーガノミクスからプラザ合意に至り、止まらないドル安が問題となるまでの経緯は、上記で引用した「ソロスの錬金術」によく書かれている。この本は、ソロス氏の再帰性の理論とともに1985年から1986年までのクォンタム・ファンドの日々のトレードを記録したもので、ソロス氏がドルを売ってドイツマルクと円に投資する様子や、米国の「双子の赤字」の危険性を指摘しながらも、上がってゆく株式市場に資金を投資し、上げ相場の天井を探ってゆく様子が詳細に描かれている。
金融関係者にはよく知られた本であるが、一般の投資家には、これほど有用な本であるにもかかわらず、余り広まっていないと感じている。また、金融関係者でもこの本の有用性を本当に理解している人物は驚くほどに少ない。市場であれ何処であれ、優れた投資家はいつも少数派なのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
▲△▽▼
2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
2015年1月26日 GLOBALMACRORESEARCH
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
これについては一度しっかりと書いておく必要がある。
2008年のサブプライム・ローン危機の後、Fed(連邦準備制度)は3度にわたり債券の買い入れを行い、量的緩和を行ってきたが、この政策は2014年10月をもって終了し、現在の米国は2015年中に行われるとされる利上げを待っている状況にある。
2013年5月にバーナンキ前議長がテーパリング(緩和縮小)に初めて言及したとき、米国債は売られ、米国株も急落したものだったが、その後も株式市場は上昇し、ECB(欧州中央銀行)が量的緩和を開始した今では、米国の金利までもが低位で安定した動きを見せている。
市場は量的緩和の終了と利上げを景気回復のサインと見なし、量的緩和の終了どころか利上げまでも問題なく織り込んだかのような見方が通説となりつつあるが、それは誤りである。本来これは、中銀の支えがあるからと積極的に押し目を買ってきた市場参加者自身が一番よく知っているはずであるのだが、今後の金融市場の動きも含め、以下に説明したい。
量的緩和と株高
先ず、そもそも何故量的緩和で米国株が上がったのかを思い出してもらいたい。量的緩和には一般的に以下のような効用がある。
国債買い入れによる金利の低下
住宅ローン金利の低下による不動産市場の活性化
債券から株式へのポートフォリオ・リバランスによる金融資産価格の上昇
ここで一番重要なのはポートフォリオ・リバランスである。ポートフォリオ・リバランスとは、中銀の買い入れにより国債の価格が上昇するにつれ、利回りの低くなった長期国債の相対的魅力が低下し、銀行や保険会社、家計などの投資家がよりリスクの高い証券(社債や株式など)を購入するようになる現象のことを指す。
Fedの公開している論文(原文英語)によれば、Fedが量的緩和を行うにつれ、米国の家計は国債を売り、社債や公債などよりリスクの高い証券を保有するようになった。このように国債から社債、社債から最終的には株式市場へと資金が溢れてくることで、米国株は史上最高値を更新してきたのである。
ポートフォリオ・リバランスの逆流
しかしながら、そのような資金は永遠に株式市場に保たれることはない。もともと投機家ではない彼らは、国債の利回りが低いから社債を買ったのであり、社債の利回りが低いから株式を買ったのである。では国債の利回りが元の水準に戻るとき、彼らはどうするだろうか? 彼らに株式をそれ以上保有しておくインセンティブはなく、資金は逆流してゆくしかないだろう。
逆流はいつ起こるのか
2013年、バーナンキ前議長が緩和縮小に言及したとき、株式市場はその可能性を想定して一度急落した。しかしその時資金の逆流は起きなかった。株式市場は、緩和が縮小のプロセスを経るにつれ、資金の逆流を恐れてその後も何度か急落したが、逆流は結局起きなかった。そして株式市場は緩和終了が織り込まれたと考え、当初の懸念を忘れてしまったのである。
しかし、投資家は資金流入の起こったプロセスをもう一度よく考えなければならない。家計や保険会社は利回りが低いために国債を売ったのであり、従って彼らが再び国債を買うインセンティブが生まれるのは、中銀が緩和を止めるときではなく、実際に利回りが上昇するときである。つまり、日欧の量的緩和もあり、米国の長期金利がいまだ低位安定している状態で、資金の逆流が起きていないのは順当だと考えられる。
逆流開始の条件
では、逆流が始まるための条件は何だろうか? およそ考えられるものは以下の通りである。
Fedの量的緩和の終了(2014年10月に通過済み)
米国の利上げ(2015年中旬の予定)
米国の長期金利の上昇(2015年中旬から2016年辺りか)
米国株が20-30%の下落を正当化できる程度に割高であること
米国株が先進国唯一の魅力ある株式市場ではないこと
量的緩和はすでに終了し、Fedは緩和再開の姿勢を見せていない。利上げについてもドル高に拘わらず行うと主張している。ただ、長期金利の上昇は、とりわけ欧州の金利が低いことにより抑えられている。スペインの国債が米国債よりも信頼されている状況は不自然だからである。この状況は最長でECBの緩和が終わるまで続く可能性がある。
また、米国の株式市場から資金が流出するためには、米国株が割高でなければならない。しかし資産バブルが生じている必要はなく、適正値より数十パーセント程度(すなわち下落分)割高であればよい。この条件は現在クリアされている。ブラックマンデーが起きた年の米国株のP/Eが現在とほぼ同程度であったことを思い出されたい。
更に、現在の株式市場では、日本や欧州の経済回復が弱い中、経済の強い米国の通貨と株式に資金が集中してきた経緯があり、米国で資金の逆流が起こるためにはこの傾向が取り除かれなければならない。
ECBが量的緩和を始め、この状況は変わったのではないかと思う。経済は強いが量的緩和が終了し、利上げを待つ米国株と、経済は弱いが量的緩和が始まったばかりの欧州株、どちらが投資家の買いを集めるかは面白い実験である。2015年前半の米欧の株式の動きは、金融市場において、流動性とファンダメンタルズのどちらが勝利するのかを推し量る試金石となるだろう。
投資家はあと数年はリスクを制限した投資を
投資家の不合理な行動という不確実性により、債券から株式へと流入した資金の逆流は、上記の予測よりも前後する可能性がある。個人的には後に遅れる可能性のほうが高いのではないかと思っている。こういう相場の天井は、投資家が皆、過去に流動性が相場を支えていたことを忘れ去った時であることが多いからである。米国株は更なる上昇を見せるかもしれない。しかし、このような大きなリスクを孕んだ相場に全力で資金を傾けないことは、ブラックマンデーやサブプライム危機などの暴落で損を出さない賢明な投資家の条件なのである。
相場には様々な機会が存在する。市場は不合理であり、リスクが低くリターンの大きい投資もあれば、リスクが高くリターンの少ない投資もある。両者をしっかりと見極めて、どれだけ上げ相場が眼の前を通過しようとも、後者を無視し前者だけを見る勇気を持ち続けたいものである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/388.html#c8
18. 中川隆[-6961] koaQ7Jey 2021年3月02日 21:44:41 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[3]
プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る
2015年3月21日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
・2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
2015年の金融市場はブラックマンデー当時の相場と似ているとの指摘が各所から出ている。チャートの類似を指摘する声もあれば、ボラティリティの上昇を指摘する声もあるが、ファンダメンタルズにおいてどう類似しているのかを詳細に観察するレポートが出回っていないと感じているので、先ずは1987年に起こったブラックマンデーのマクロ経済学的背景を説明しておきたい。
ブラックマンデーについては、一般的には解明されていない点が多いとされているが、一部の優れた投資家は事前に予測していた事案であり、ファンダメンタルズと投資家の心理の観点から説明が可能である。暴落の背景には1981年に米国の大統領に就任したレーガン大統領のレーガノミクスがあるので、先ずはここから始めたい。
ドル高を促進したレーガノミクス
元々の始まりはレーガノミクスである。1981年に就任したレーガン大統領は、前政権から受け継いだスタグフレーションに対処しなければならなかった。高い失業率にもかかわらずインフレ率は上昇し、米国の家計は低い賃金と高い物価の両方に苦しんでいた。
レーガン大統領は失業率を抑えるために財政出動を行い、減税によって消費を刺激しようとした。軍事支出を大幅に増加させ、また外交的にも共産主義国への強硬姿勢を見せることで、いわゆる「強いアメリカ」を演出した。
一方で、上昇していたインフレ率を抑えるためには金融引き締めが必要とされていた。金融政策ではそもそもレーガン大統領の就任以前より利上げがピークに達しており、レーガン大統領自身もマネーサプライの増加を抑える意思を引き続き表明した。財政支出の規模が大きかったこともあり、長期金利は上昇し、高い金利を求めた資金は為替市場をドル高へ導くことになる。ここまでの経緯を纏めると以下の通りである。
高失業率 -> 財政出動 -> 金利上昇 -> ドル高
高インフレ -> 利上げ -> ドル高
当時、アメリカ経済の問題は巨額となった財政赤字だけではなかった。日本やドイツなどの貿易相手国がドル高の恩恵を受けて輸出を続けたことで、米国の貿易赤字も容認できないレベルに達していた。
しかし高金利に惹かれた資金は、ドルのもとに集まり続け、「双子の赤字」と呼ばれた米国の財政・貿易赤字にもかかわらず、ドルは高値を更新し続けた。ドルはドイツマルクに対し、レーガノミクス以前のレートから50%以上も上昇した結果、通貨高に耐えられなくなったアメリカ政府は遂にドル高是正に腰を上げることになる。
プラザ合意
1985年9月22日、G5の財務相と中銀総裁たちがニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高の是正のために協調介入することで合意した。ドル高は双子の赤字というファンダメンタルズを反映していないとされ、米国政府は為替レートの是正が必要だと主張した。ジョージ・ソロス氏はこの出来事を以下のように書いている。
われわれは興奮の渦中にある。G5の財務相と中銀総裁がプラザホテルで緊急会議を開いた。これは歴史的な出来事である。会議は自由な変動相場制から管理された変動相場制への移行を決定した。
わたしは紙一重でポジションを手放さずに済み、一世一代の大儲けを果たした。円を翌週の香港市場で買い増し、上昇する相場のなかでホールドした。儲けは過去4年の為替市場での損失を補って余りあるほどである。というわけで非常にいい気分だ。(『ソロスの錬金術』)
この時、円やマルクはドル高の行き過ぎから既に底値を超えて上昇基調にあったが、この合意はその新たなトレンドを決定的なものにした。ドルはここからブラックマンデーの起きる1987年まで、急激な下落トレンドを開始することになる。
バブルを造成した利下げとドル安
一方で、ドル高が米国のインフレ率を徐々に低下させていたことから、高止まりした政策金利は役目を終え、Fed(連邦準備制度)は利下げを開始していた。レーガン政権の序盤には19%まで上昇していた政策金利は、この頃には8%程度まで下落していた。
1982年に始まったこの利下げを好感し、株式市場は上昇を始めていたが、ドル高を是正するプラザ合意がこの傾向に拍車をかけた。したがって、1982年からブラックマンデーの起こる1987年までの株価上昇は、利下げとドル安によって作り上げられた強力なトレンドであり、投資家たちはこの2つの要素を前提として米国株を買い続けてきた。したがって、この上昇相場の終焉も、この2つの要因が崩れたときであったのである。
ルーブル合意
プラザ合意以来、ドルはドイツマルクや円に対して急速なスピードで下落していた。1987年2月22日、ドル安が行き過ぎであると判断した米国政府は、G7を主導し、パリのルーブル宮殿でドル安の行き過ぎを是正する合意を取り付けた。これは、下がり続けていた米国の政策金利をFedが上げる一方で、円高、マルク高となっていた日本とドイツに対し、利下げを求める合意であったが、国内のインフレ率上昇を懸念していたドイツが同年9月にこれを破り、利上げを決行する。
ドル安を懸念していた米国にとって、更なるドル安・マルク高を引き起こすドイツの利上げは容認できないものであった。また、5年間に渡る利下げによって支えられてきた米国の株式市場の参加者は、ドイツの利上げによって米国も利上げのペースを上げなければならなくなるだろうと推測した。利下げとドル安によって支えられてきた上昇相場が、ドイツの協調拒否によってその両方を失ったのである。
ドルの自由落下か、株式の自由落下か
「双子の赤字」を抱えながら成長してきた米国株の上昇相場は、遂に八方塞がりの状況に陥る。米国の巨額の財政・貿易赤字はいずれ修正されなければならないと誰もが思っていた。
ジョージ・ソロス氏は早くから双子の赤字に悲観的だったが、各国の協調と管理された変動相場制が状況を軟着陸させる可能性を見て取ると、これを「資本主義の黄金時代」と呼んだ。しかしその要であった協調は、ドイツの離反で失われた。ドル安の行き過ぎを段階的に是正し、株式市場に大きな悪影響を及ぼすことなく利上げ・ドル高へと導くためには、為替水準に対する各国の協調が必要不可欠だったのである。
株式投資家には最悪の状況である。ドイツの利上げにつられてFedが急激な利上げに向かえば、真っ先に下落をするのは株式市場である。しかし逆にFedが利上げを躊躇えば、今度はドルが何処まで落ちてゆくか分からない。事実、米国のベーカー財務長官は、10月16日の記者会見で協調を破ったドイツを非難し、「ドイツが協調に協力しないのであれば米国は一層のドル安を容認する」と主張した。
これで株式市場かドルか、どちらかの下落は決定付けられてしまった。特に当時の株式市場では、ほとんどの投資家は為替ヘッジを付けていなかったこともあり、米国株の保有者はどう転んでも自分の資産が毀損される状況に追い込まれた。では彼らの唯一の選択肢は何だっただろうか? 米国株の投げ売りである。
1987年10月19日、ブラックマンデー
9月のドイツの非協調的利上げによって最後の支えを失った米国の株式市場は、その後ふらふらと方向感を失い、10月に入ると下落トレンド入りした。下落幅は日増しに大きくなり、10月19日、前日比で22.6%の下げを記録したのである。
ブラックマンデーについては、当時の稚拙であった自動売買システム(ポートフォリオ保険)などが下落を加速させたなどの見方があるが、その真相は利上げによる典型的な流動性縮小と、止まらないドル安が株式投資家を追い込んだ結果というわけである。
未来の相場への教訓
金融市場の暴落では、それまで何とか市場に保たれていた資金が行き場を失うというパターンが多い。債務危機では通貨と国債、どちらかの暴落は不可避であり、2015年現在の状況では、株式市場か債券市場、両方の上げ相場が永遠に続くということは不可能である。
ちなみに、レーガノミクスからプラザ合意に至り、止まらないドル安が問題となるまでの経緯は、上記で引用した「ソロスの錬金術」によく書かれている。この本は、ソロス氏の再帰性の理論とともに1985年から1986年までのクォンタム・ファンドの日々のトレードを記録したもので、ソロス氏がドルを売ってドイツマルクと円に投資する様子や、米国の「双子の赤字」の危険性を指摘しながらも、上がってゆく株式市場に資金を投資し、上げ相場の天井を探ってゆく様子が詳細に描かれている。
金融関係者にはよく知られた本であるが、一般の投資家には、これほど有用な本であるにもかかわらず、余り広まっていないと感じている。また、金融関係者でもこの本の有用性を本当に理解している人物は驚くほどに少ない。市場であれ何処であれ、優れた投資家はいつも少数派なのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
▲△▽▼
2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
2015年1月26日 GLOBALMACRORESEARCH
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
これについては一度しっかりと書いておく必要がある。
2008年のサブプライム・ローン危機の後、Fed(連邦準備制度)は3度にわたり債券の買い入れを行い、量的緩和を行ってきたが、この政策は2014年10月をもって終了し、現在の米国は2015年中に行われるとされる利上げを待っている状況にある。
2013年5月にバーナンキ前議長がテーパリング(緩和縮小)に初めて言及したとき、米国債は売られ、米国株も急落したものだったが、その後も株式市場は上昇し、ECB(欧州中央銀行)が量的緩和を開始した今では、米国の金利までもが低位で安定した動きを見せている。
市場は量的緩和の終了と利上げを景気回復のサインと見なし、量的緩和の終了どころか利上げまでも問題なく織り込んだかのような見方が通説となりつつあるが、それは誤りである。本来これは、中銀の支えがあるからと積極的に押し目を買ってきた市場参加者自身が一番よく知っているはずであるのだが、今後の金融市場の動きも含め、以下に説明したい。
量的緩和と株高
先ず、そもそも何故量的緩和で米国株が上がったのかを思い出してもらいたい。量的緩和には一般的に以下のような効用がある。
国債買い入れによる金利の低下
住宅ローン金利の低下による不動産市場の活性化
債券から株式へのポートフォリオ・リバランスによる金融資産価格の上昇
ここで一番重要なのはポートフォリオ・リバランスである。ポートフォリオ・リバランスとは、中銀の買い入れにより国債の価格が上昇するにつれ、利回りの低くなった長期国債の相対的魅力が低下し、銀行や保険会社、家計などの投資家がよりリスクの高い証券(社債や株式など)を購入するようになる現象のことを指す。
Fedの公開している論文(原文英語)によれば、Fedが量的緩和を行うにつれ、米国の家計は国債を売り、社債や公債などよりリスクの高い証券を保有するようになった。このように国債から社債、社債から最終的には株式市場へと資金が溢れてくることで、米国株は史上最高値を更新してきたのである。
ポートフォリオ・リバランスの逆流
しかしながら、そのような資金は永遠に株式市場に保たれることはない。もともと投機家ではない彼らは、国債の利回りが低いから社債を買ったのであり、社債の利回りが低いから株式を買ったのである。では国債の利回りが元の水準に戻るとき、彼らはどうするだろうか? 彼らに株式をそれ以上保有しておくインセンティブはなく、資金は逆流してゆくしかないだろう。
逆流はいつ起こるのか
2013年、バーナンキ前議長が緩和縮小に言及したとき、株式市場はその可能性を想定して一度急落した。しかしその時資金の逆流は起きなかった。株式市場は、緩和が縮小のプロセスを経るにつれ、資金の逆流を恐れてその後も何度か急落したが、逆流は結局起きなかった。そして株式市場は緩和終了が織り込まれたと考え、当初の懸念を忘れてしまったのである。
しかし、投資家は資金流入の起こったプロセスをもう一度よく考えなければならない。家計や保険会社は利回りが低いために国債を売ったのであり、従って彼らが再び国債を買うインセンティブが生まれるのは、中銀が緩和を止めるときではなく、実際に利回りが上昇するときである。つまり、日欧の量的緩和もあり、米国の長期金利がいまだ低位安定している状態で、資金の逆流が起きていないのは順当だと考えられる。
逆流開始の条件
では、逆流が始まるための条件は何だろうか? およそ考えられるものは以下の通りである。
Fedの量的緩和の終了(2014年10月に通過済み)
米国の利上げ(2015年中旬の予定)
米国の長期金利の上昇(2015年中旬から2016年辺りか)
米国株が20-30%の下落を正当化できる程度に割高であること
米国株が先進国唯一の魅力ある株式市場ではないこと
量的緩和はすでに終了し、Fedは緩和再開の姿勢を見せていない。利上げについてもドル高に拘わらず行うと主張している。ただ、長期金利の上昇は、とりわけ欧州の金利が低いことにより抑えられている。スペインの国債が米国債よりも信頼されている状況は不自然だからである。この状況は最長でECBの緩和が終わるまで続く可能性がある。
また、米国の株式市場から資金が流出するためには、米国株が割高でなければならない。しかし資産バブルが生じている必要はなく、適正値より数十パーセント程度(すなわち下落分)割高であればよい。この条件は現在クリアされている。ブラックマンデーが起きた年の米国株のP/Eが現在とほぼ同程度であったことを思い出されたい。
更に、現在の株式市場では、日本や欧州の経済回復が弱い中、経済の強い米国の通貨と株式に資金が集中してきた経緯があり、米国で資金の逆流が起こるためにはこの傾向が取り除かれなければならない。
ECBが量的緩和を始め、この状況は変わったのではないかと思う。経済は強いが量的緩和が終了し、利上げを待つ米国株と、経済は弱いが量的緩和が始まったばかりの欧州株、どちらが投資家の買いを集めるかは面白い実験である。2015年前半の米欧の株式の動きは、金融市場において、流動性とファンダメンタルズのどちらが勝利するのかを推し量る試金石となるだろう。
投資家はあと数年はリスクを制限した投資を
投資家の不合理な行動という不確実性により、債券から株式へと流入した資金の逆流は、上記の予測よりも前後する可能性がある。個人的には後に遅れる可能性のほうが高いのではないかと思っている。こういう相場の天井は、投資家が皆、過去に流動性が相場を支えていたことを忘れ去った時であることが多いからである。米国株は更なる上昇を見せるかもしれない。しかし、このような大きなリスクを孕んだ相場に全力で資金を傾けないことは、ブラックマンデーやサブプライム危機などの暴落で損を出さない賢明な投資家の条件なのである。
相場には様々な機会が存在する。市場は不合理であり、リスクが低くリターンの大きい投資もあれば、リスクが高くリターンの少ない投資もある。両者をしっかりと見極めて、どれだけ上げ相場が眼の前を通過しようとも、後者を無視し前者だけを見る勇気を持ち続けたいものである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/128.html#c18
62. 中川隆[-6960] koaQ7Jey 2021年3月02日 21:45:13 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[4]
プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る
2015年3月21日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
・2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
2015年の金融市場はブラックマンデー当時の相場と似ているとの指摘が各所から出ている。チャートの類似を指摘する声もあれば、ボラティリティの上昇を指摘する声もあるが、ファンダメンタルズにおいてどう類似しているのかを詳細に観察するレポートが出回っていないと感じているので、先ずは1987年に起こったブラックマンデーのマクロ経済学的背景を説明しておきたい。
ブラックマンデーについては、一般的には解明されていない点が多いとされているが、一部の優れた投資家は事前に予測していた事案であり、ファンダメンタルズと投資家の心理の観点から説明が可能である。暴落の背景には1981年に米国の大統領に就任したレーガン大統領のレーガノミクスがあるので、先ずはここから始めたい。
ドル高を促進したレーガノミクス
元々の始まりはレーガノミクスである。1981年に就任したレーガン大統領は、前政権から受け継いだスタグフレーションに対処しなければならなかった。高い失業率にもかかわらずインフレ率は上昇し、米国の家計は低い賃金と高い物価の両方に苦しんでいた。
レーガン大統領は失業率を抑えるために財政出動を行い、減税によって消費を刺激しようとした。軍事支出を大幅に増加させ、また外交的にも共産主義国への強硬姿勢を見せることで、いわゆる「強いアメリカ」を演出した。
一方で、上昇していたインフレ率を抑えるためには金融引き締めが必要とされていた。金融政策ではそもそもレーガン大統領の就任以前より利上げがピークに達しており、レーガン大統領自身もマネーサプライの増加を抑える意思を引き続き表明した。財政支出の規模が大きかったこともあり、長期金利は上昇し、高い金利を求めた資金は為替市場をドル高へ導くことになる。ここまでの経緯を纏めると以下の通りである。
高失業率 -> 財政出動 -> 金利上昇 -> ドル高
高インフレ -> 利上げ -> ドル高
当時、アメリカ経済の問題は巨額となった財政赤字だけではなかった。日本やドイツなどの貿易相手国がドル高の恩恵を受けて輸出を続けたことで、米国の貿易赤字も容認できないレベルに達していた。
しかし高金利に惹かれた資金は、ドルのもとに集まり続け、「双子の赤字」と呼ばれた米国の財政・貿易赤字にもかかわらず、ドルは高値を更新し続けた。ドルはドイツマルクに対し、レーガノミクス以前のレートから50%以上も上昇した結果、通貨高に耐えられなくなったアメリカ政府は遂にドル高是正に腰を上げることになる。
プラザ合意
1985年9月22日、G5の財務相と中銀総裁たちがニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高の是正のために協調介入することで合意した。ドル高は双子の赤字というファンダメンタルズを反映していないとされ、米国政府は為替レートの是正が必要だと主張した。ジョージ・ソロス氏はこの出来事を以下のように書いている。
われわれは興奮の渦中にある。G5の財務相と中銀総裁がプラザホテルで緊急会議を開いた。これは歴史的な出来事である。会議は自由な変動相場制から管理された変動相場制への移行を決定した。
わたしは紙一重でポジションを手放さずに済み、一世一代の大儲けを果たした。円を翌週の香港市場で買い増し、上昇する相場のなかでホールドした。儲けは過去4年の為替市場での損失を補って余りあるほどである。というわけで非常にいい気分だ。(『ソロスの錬金術』)
この時、円やマルクはドル高の行き過ぎから既に底値を超えて上昇基調にあったが、この合意はその新たなトレンドを決定的なものにした。ドルはここからブラックマンデーの起きる1987年まで、急激な下落トレンドを開始することになる。
バブルを造成した利下げとドル安
一方で、ドル高が米国のインフレ率を徐々に低下させていたことから、高止まりした政策金利は役目を終え、Fed(連邦準備制度)は利下げを開始していた。レーガン政権の序盤には19%まで上昇していた政策金利は、この頃には8%程度まで下落していた。
1982年に始まったこの利下げを好感し、株式市場は上昇を始めていたが、ドル高を是正するプラザ合意がこの傾向に拍車をかけた。したがって、1982年からブラックマンデーの起こる1987年までの株価上昇は、利下げとドル安によって作り上げられた強力なトレンドであり、投資家たちはこの2つの要素を前提として米国株を買い続けてきた。したがって、この上昇相場の終焉も、この2つの要因が崩れたときであったのである。
ルーブル合意
プラザ合意以来、ドルはドイツマルクや円に対して急速なスピードで下落していた。1987年2月22日、ドル安が行き過ぎであると判断した米国政府は、G7を主導し、パリのルーブル宮殿でドル安の行き過ぎを是正する合意を取り付けた。これは、下がり続けていた米国の政策金利をFedが上げる一方で、円高、マルク高となっていた日本とドイツに対し、利下げを求める合意であったが、国内のインフレ率上昇を懸念していたドイツが同年9月にこれを破り、利上げを決行する。
ドル安を懸念していた米国にとって、更なるドル安・マルク高を引き起こすドイツの利上げは容認できないものであった。また、5年間に渡る利下げによって支えられてきた米国の株式市場の参加者は、ドイツの利上げによって米国も利上げのペースを上げなければならなくなるだろうと推測した。利下げとドル安によって支えられてきた上昇相場が、ドイツの協調拒否によってその両方を失ったのである。
ドルの自由落下か、株式の自由落下か
「双子の赤字」を抱えながら成長してきた米国株の上昇相場は、遂に八方塞がりの状況に陥る。米国の巨額の財政・貿易赤字はいずれ修正されなければならないと誰もが思っていた。
ジョージ・ソロス氏は早くから双子の赤字に悲観的だったが、各国の協調と管理された変動相場制が状況を軟着陸させる可能性を見て取ると、これを「資本主義の黄金時代」と呼んだ。しかしその要であった協調は、ドイツの離反で失われた。ドル安の行き過ぎを段階的に是正し、株式市場に大きな悪影響を及ぼすことなく利上げ・ドル高へと導くためには、為替水準に対する各国の協調が必要不可欠だったのである。
株式投資家には最悪の状況である。ドイツの利上げにつられてFedが急激な利上げに向かえば、真っ先に下落をするのは株式市場である。しかし逆にFedが利上げを躊躇えば、今度はドルが何処まで落ちてゆくか分からない。事実、米国のベーカー財務長官は、10月16日の記者会見で協調を破ったドイツを非難し、「ドイツが協調に協力しないのであれば米国は一層のドル安を容認する」と主張した。
これで株式市場かドルか、どちらかの下落は決定付けられてしまった。特に当時の株式市場では、ほとんどの投資家は為替ヘッジを付けていなかったこともあり、米国株の保有者はどう転んでも自分の資産が毀損される状況に追い込まれた。では彼らの唯一の選択肢は何だっただろうか? 米国株の投げ売りである。
1987年10月19日、ブラックマンデー
9月のドイツの非協調的利上げによって最後の支えを失った米国の株式市場は、その後ふらふらと方向感を失い、10月に入ると下落トレンド入りした。下落幅は日増しに大きくなり、10月19日、前日比で22.6%の下げを記録したのである。
ブラックマンデーについては、当時の稚拙であった自動売買システム(ポートフォリオ保険)などが下落を加速させたなどの見方があるが、その真相は利上げによる典型的な流動性縮小と、止まらないドル安が株式投資家を追い込んだ結果というわけである。
未来の相場への教訓
金融市場の暴落では、それまで何とか市場に保たれていた資金が行き場を失うというパターンが多い。債務危機では通貨と国債、どちらかの暴落は不可避であり、2015年現在の状況では、株式市場か債券市場、両方の上げ相場が永遠に続くということは不可能である。
ちなみに、レーガノミクスからプラザ合意に至り、止まらないドル安が問題となるまでの経緯は、上記で引用した「ソロスの錬金術」によく書かれている。この本は、ソロス氏の再帰性の理論とともに1985年から1986年までのクォンタム・ファンドの日々のトレードを記録したもので、ソロス氏がドルを売ってドイツマルクと円に投資する様子や、米国の「双子の赤字」の危険性を指摘しながらも、上がってゆく株式市場に資金を投資し、上げ相場の天井を探ってゆく様子が詳細に描かれている。
金融関係者にはよく知られた本であるが、一般の投資家には、これほど有用な本であるにもかかわらず、余り広まっていないと感じている。また、金融関係者でもこの本の有用性を本当に理解している人物は驚くほどに少ない。市場であれ何処であれ、優れた投資家はいつも少数派なのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
▲△▽▼
2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
2015年1月26日 GLOBALMACRORESEARCH
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
これについては一度しっかりと書いておく必要がある。
2008年のサブプライム・ローン危機の後、Fed(連邦準備制度)は3度にわたり債券の買い入れを行い、量的緩和を行ってきたが、この政策は2014年10月をもって終了し、現在の米国は2015年中に行われるとされる利上げを待っている状況にある。
2013年5月にバーナンキ前議長がテーパリング(緩和縮小)に初めて言及したとき、米国債は売られ、米国株も急落したものだったが、その後も株式市場は上昇し、ECB(欧州中央銀行)が量的緩和を開始した今では、米国の金利までもが低位で安定した動きを見せている。
市場は量的緩和の終了と利上げを景気回復のサインと見なし、量的緩和の終了どころか利上げまでも問題なく織り込んだかのような見方が通説となりつつあるが、それは誤りである。本来これは、中銀の支えがあるからと積極的に押し目を買ってきた市場参加者自身が一番よく知っているはずであるのだが、今後の金融市場の動きも含め、以下に説明したい。
量的緩和と株高
先ず、そもそも何故量的緩和で米国株が上がったのかを思い出してもらいたい。量的緩和には一般的に以下のような効用がある。
国債買い入れによる金利の低下
住宅ローン金利の低下による不動産市場の活性化
債券から株式へのポートフォリオ・リバランスによる金融資産価格の上昇
ここで一番重要なのはポートフォリオ・リバランスである。ポートフォリオ・リバランスとは、中銀の買い入れにより国債の価格が上昇するにつれ、利回りの低くなった長期国債の相対的魅力が低下し、銀行や保険会社、家計などの投資家がよりリスクの高い証券(社債や株式など)を購入するようになる現象のことを指す。
Fedの公開している論文(原文英語)によれば、Fedが量的緩和を行うにつれ、米国の家計は国債を売り、社債や公債などよりリスクの高い証券を保有するようになった。このように国債から社債、社債から最終的には株式市場へと資金が溢れてくることで、米国株は史上最高値を更新してきたのである。
ポートフォリオ・リバランスの逆流
しかしながら、そのような資金は永遠に株式市場に保たれることはない。もともと投機家ではない彼らは、国債の利回りが低いから社債を買ったのであり、社債の利回りが低いから株式を買ったのである。では国債の利回りが元の水準に戻るとき、彼らはどうするだろうか? 彼らに株式をそれ以上保有しておくインセンティブはなく、資金は逆流してゆくしかないだろう。
逆流はいつ起こるのか
2013年、バーナンキ前議長が緩和縮小に言及したとき、株式市場はその可能性を想定して一度急落した。しかしその時資金の逆流は起きなかった。株式市場は、緩和が縮小のプロセスを経るにつれ、資金の逆流を恐れてその後も何度か急落したが、逆流は結局起きなかった。そして株式市場は緩和終了が織り込まれたと考え、当初の懸念を忘れてしまったのである。
しかし、投資家は資金流入の起こったプロセスをもう一度よく考えなければならない。家計や保険会社は利回りが低いために国債を売ったのであり、従って彼らが再び国債を買うインセンティブが生まれるのは、中銀が緩和を止めるときではなく、実際に利回りが上昇するときである。つまり、日欧の量的緩和もあり、米国の長期金利がいまだ低位安定している状態で、資金の逆流が起きていないのは順当だと考えられる。
逆流開始の条件
では、逆流が始まるための条件は何だろうか? およそ考えられるものは以下の通りである。
Fedの量的緩和の終了(2014年10月に通過済み)
米国の利上げ(2015年中旬の予定)
米国の長期金利の上昇(2015年中旬から2016年辺りか)
米国株が20-30%の下落を正当化できる程度に割高であること
米国株が先進国唯一の魅力ある株式市場ではないこと
量的緩和はすでに終了し、Fedは緩和再開の姿勢を見せていない。利上げについてもドル高に拘わらず行うと主張している。ただ、長期金利の上昇は、とりわけ欧州の金利が低いことにより抑えられている。スペインの国債が米国債よりも信頼されている状況は不自然だからである。この状況は最長でECBの緩和が終わるまで続く可能性がある。
また、米国の株式市場から資金が流出するためには、米国株が割高でなければならない。しかし資産バブルが生じている必要はなく、適正値より数十パーセント程度(すなわち下落分)割高であればよい。この条件は現在クリアされている。ブラックマンデーが起きた年の米国株のP/Eが現在とほぼ同程度であったことを思い出されたい。
更に、現在の株式市場では、日本や欧州の経済回復が弱い中、経済の強い米国の通貨と株式に資金が集中してきた経緯があり、米国で資金の逆流が起こるためにはこの傾向が取り除かれなければならない。
ECBが量的緩和を始め、この状況は変わったのではないかと思う。経済は強いが量的緩和が終了し、利上げを待つ米国株と、経済は弱いが量的緩和が始まったばかりの欧州株、どちらが投資家の買いを集めるかは面白い実験である。2015年前半の米欧の株式の動きは、金融市場において、流動性とファンダメンタルズのどちらが勝利するのかを推し量る試金石となるだろう。
投資家はあと数年はリスクを制限した投資を
投資家の不合理な行動という不確実性により、債券から株式へと流入した資金の逆流は、上記の予測よりも前後する可能性がある。個人的には後に遅れる可能性のほうが高いのではないかと思っている。こういう相場の天井は、投資家が皆、過去に流動性が相場を支えていたことを忘れ去った時であることが多いからである。米国株は更なる上昇を見せるかもしれない。しかし、このような大きなリスクを孕んだ相場に全力で資金を傾けないことは、ブラックマンデーやサブプライム危機などの暴落で損を出さない賢明な投資家の条件なのである。
相場には様々な機会が存在する。市場は不合理であり、リスクが低くリターンの大きい投資もあれば、リスクが高くリターンの少ない投資もある。両者をしっかりと見極めて、どれだけ上げ相場が眼の前を通過しようとも、後者を無視し前者だけを見る勇気を持ち続けたいものである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/121.html#c62
93. 中川隆[-6959] koaQ7Jey 2021年3月02日 21:46:51 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[5]
プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る
2015年3月21日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
・2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
2015年の金融市場はブラックマンデー当時の相場と似ているとの指摘が各所から出ている。チャートの類似を指摘する声もあれば、ボラティリティの上昇を指摘する声もあるが、ファンダメンタルズにおいてどう類似しているのかを詳細に観察するレポートが出回っていないと感じているので、先ずは1987年に起こったブラックマンデーのマクロ経済学的背景を説明しておきたい。
ブラックマンデーについては、一般的には解明されていない点が多いとされているが、一部の優れた投資家は事前に予測していた事案であり、ファンダメンタルズと投資家の心理の観点から説明が可能である。暴落の背景には1981年に米国の大統領に就任したレーガン大統領のレーガノミクスがあるので、先ずはここから始めたい。
ドル高を促進したレーガノミクス
元々の始まりはレーガノミクスである。1981年に就任したレーガン大統領は、前政権から受け継いだスタグフレーションに対処しなければならなかった。高い失業率にもかかわらずインフレ率は上昇し、米国の家計は低い賃金と高い物価の両方に苦しんでいた。
レーガン大統領は失業率を抑えるために財政出動を行い、減税によって消費を刺激しようとした。軍事支出を大幅に増加させ、また外交的にも共産主義国への強硬姿勢を見せることで、いわゆる「強いアメリカ」を演出した。
一方で、上昇していたインフレ率を抑えるためには金融引き締めが必要とされていた。金融政策ではそもそもレーガン大統領の就任以前より利上げがピークに達しており、レーガン大統領自身もマネーサプライの増加を抑える意思を引き続き表明した。財政支出の規模が大きかったこともあり、長期金利は上昇し、高い金利を求めた資金は為替市場をドル高へ導くことになる。ここまでの経緯を纏めると以下の通りである。
高失業率 -> 財政出動 -> 金利上昇 -> ドル高
高インフレ -> 利上げ -> ドル高
当時、アメリカ経済の問題は巨額となった財政赤字だけではなかった。日本やドイツなどの貿易相手国がドル高の恩恵を受けて輸出を続けたことで、米国の貿易赤字も容認できないレベルに達していた。
しかし高金利に惹かれた資金は、ドルのもとに集まり続け、「双子の赤字」と呼ばれた米国の財政・貿易赤字にもかかわらず、ドルは高値を更新し続けた。ドルはドイツマルクに対し、レーガノミクス以前のレートから50%以上も上昇した結果、通貨高に耐えられなくなったアメリカ政府は遂にドル高是正に腰を上げることになる。
プラザ合意
1985年9月22日、G5の財務相と中銀総裁たちがニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高の是正のために協調介入することで合意した。ドル高は双子の赤字というファンダメンタルズを反映していないとされ、米国政府は為替レートの是正が必要だと主張した。ジョージ・ソロス氏はこの出来事を以下のように書いている。
われわれは興奮の渦中にある。G5の財務相と中銀総裁がプラザホテルで緊急会議を開いた。これは歴史的な出来事である。会議は自由な変動相場制から管理された変動相場制への移行を決定した。
わたしは紙一重でポジションを手放さずに済み、一世一代の大儲けを果たした。円を翌週の香港市場で買い増し、上昇する相場のなかでホールドした。儲けは過去4年の為替市場での損失を補って余りあるほどである。というわけで非常にいい気分だ。(『ソロスの錬金術』)
この時、円やマルクはドル高の行き過ぎから既に底値を超えて上昇基調にあったが、この合意はその新たなトレンドを決定的なものにした。ドルはここからブラックマンデーの起きる1987年まで、急激な下落トレンドを開始することになる。
バブルを造成した利下げとドル安
一方で、ドル高が米国のインフレ率を徐々に低下させていたことから、高止まりした政策金利は役目を終え、Fed(連邦準備制度)は利下げを開始していた。レーガン政権の序盤には19%まで上昇していた政策金利は、この頃には8%程度まで下落していた。
1982年に始まったこの利下げを好感し、株式市場は上昇を始めていたが、ドル高を是正するプラザ合意がこの傾向に拍車をかけた。したがって、1982年からブラックマンデーの起こる1987年までの株価上昇は、利下げとドル安によって作り上げられた強力なトレンドであり、投資家たちはこの2つの要素を前提として米国株を買い続けてきた。したがって、この上昇相場の終焉も、この2つの要因が崩れたときであったのである。
ルーブル合意
プラザ合意以来、ドルはドイツマルクや円に対して急速なスピードで下落していた。1987年2月22日、ドル安が行き過ぎであると判断した米国政府は、G7を主導し、パリのルーブル宮殿でドル安の行き過ぎを是正する合意を取り付けた。これは、下がり続けていた米国の政策金利をFedが上げる一方で、円高、マルク高となっていた日本とドイツに対し、利下げを求める合意であったが、国内のインフレ率上昇を懸念していたドイツが同年9月にこれを破り、利上げを決行する。
ドル安を懸念していた米国にとって、更なるドル安・マルク高を引き起こすドイツの利上げは容認できないものであった。また、5年間に渡る利下げによって支えられてきた米国の株式市場の参加者は、ドイツの利上げによって米国も利上げのペースを上げなければならなくなるだろうと推測した。利下げとドル安によって支えられてきた上昇相場が、ドイツの協調拒否によってその両方を失ったのである。
ドルの自由落下か、株式の自由落下か
「双子の赤字」を抱えながら成長してきた米国株の上昇相場は、遂に八方塞がりの状況に陥る。米国の巨額の財政・貿易赤字はいずれ修正されなければならないと誰もが思っていた。
ジョージ・ソロス氏は早くから双子の赤字に悲観的だったが、各国の協調と管理された変動相場制が状況を軟着陸させる可能性を見て取ると、これを「資本主義の黄金時代」と呼んだ。しかしその要であった協調は、ドイツの離反で失われた。ドル安の行き過ぎを段階的に是正し、株式市場に大きな悪影響を及ぼすことなく利上げ・ドル高へと導くためには、為替水準に対する各国の協調が必要不可欠だったのである。
株式投資家には最悪の状況である。ドイツの利上げにつられてFedが急激な利上げに向かえば、真っ先に下落をするのは株式市場である。しかし逆にFedが利上げを躊躇えば、今度はドルが何処まで落ちてゆくか分からない。事実、米国のベーカー財務長官は、10月16日の記者会見で協調を破ったドイツを非難し、「ドイツが協調に協力しないのであれば米国は一層のドル安を容認する」と主張した。
これで株式市場かドルか、どちらかの下落は決定付けられてしまった。特に当時の株式市場では、ほとんどの投資家は為替ヘッジを付けていなかったこともあり、米国株の保有者はどう転んでも自分の資産が毀損される状況に追い込まれた。では彼らの唯一の選択肢は何だっただろうか? 米国株の投げ売りである。
1987年10月19日、ブラックマンデー
9月のドイツの非協調的利上げによって最後の支えを失った米国の株式市場は、その後ふらふらと方向感を失い、10月に入ると下落トレンド入りした。下落幅は日増しに大きくなり、10月19日、前日比で22.6%の下げを記録したのである。
ブラックマンデーについては、当時の稚拙であった自動売買システム(ポートフォリオ保険)などが下落を加速させたなどの見方があるが、その真相は利上げによる典型的な流動性縮小と、止まらないドル安が株式投資家を追い込んだ結果というわけである。
未来の相場への教訓
金融市場の暴落では、それまで何とか市場に保たれていた資金が行き場を失うというパターンが多い。債務危機では通貨と国債、どちらかの暴落は不可避であり、2015年現在の状況では、株式市場か債券市場、両方の上げ相場が永遠に続くということは不可能である。
ちなみに、レーガノミクスからプラザ合意に至り、止まらないドル安が問題となるまでの経緯は、上記で引用した「ソロスの錬金術」によく書かれている。この本は、ソロス氏の再帰性の理論とともに1985年から1986年までのクォンタム・ファンドの日々のトレードを記録したもので、ソロス氏がドルを売ってドイツマルクと円に投資する様子や、米国の「双子の赤字」の危険性を指摘しながらも、上がってゆく株式市場に資金を投資し、上げ相場の天井を探ってゆく様子が詳細に描かれている。
金融関係者にはよく知られた本であるが、一般の投資家には、これほど有用な本であるにもかかわらず、余り広まっていないと感じている。また、金融関係者でもこの本の有用性を本当に理解している人物は驚くほどに少ない。市場であれ何処であれ、優れた投資家はいつも少数派なのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
▲△▽▼
2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
2015年1月26日 GLOBALMACRORESEARCH
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
これについては一度しっかりと書いておく必要がある。
2008年のサブプライム・ローン危機の後、Fed(連邦準備制度)は3度にわたり債券の買い入れを行い、量的緩和を行ってきたが、この政策は2014年10月をもって終了し、現在の米国は2015年中に行われるとされる利上げを待っている状況にある。
2013年5月にバーナンキ前議長がテーパリング(緩和縮小)に初めて言及したとき、米国債は売られ、米国株も急落したものだったが、その後も株式市場は上昇し、ECB(欧州中央銀行)が量的緩和を開始した今では、米国の金利までもが低位で安定した動きを見せている。
市場は量的緩和の終了と利上げを景気回復のサインと見なし、量的緩和の終了どころか利上げまでも問題なく織り込んだかのような見方が通説となりつつあるが、それは誤りである。本来これは、中銀の支えがあるからと積極的に押し目を買ってきた市場参加者自身が一番よく知っているはずであるのだが、今後の金融市場の動きも含め、以下に説明したい。
量的緩和と株高
先ず、そもそも何故量的緩和で米国株が上がったのかを思い出してもらいたい。量的緩和には一般的に以下のような効用がある。
国債買い入れによる金利の低下
住宅ローン金利の低下による不動産市場の活性化
債券から株式へのポートフォリオ・リバランスによる金融資産価格の上昇
ここで一番重要なのはポートフォリオ・リバランスである。ポートフォリオ・リバランスとは、中銀の買い入れにより国債の価格が上昇するにつれ、利回りの低くなった長期国債の相対的魅力が低下し、銀行や保険会社、家計などの投資家がよりリスクの高い証券(社債や株式など)を購入するようになる現象のことを指す。
Fedの公開している論文(原文英語)によれば、Fedが量的緩和を行うにつれ、米国の家計は国債を売り、社債や公債などよりリスクの高い証券を保有するようになった。このように国債から社債、社債から最終的には株式市場へと資金が溢れてくることで、米国株は史上最高値を更新してきたのである。
ポートフォリオ・リバランスの逆流
しかしながら、そのような資金は永遠に株式市場に保たれることはない。もともと投機家ではない彼らは、国債の利回りが低いから社債を買ったのであり、社債の利回りが低いから株式を買ったのである。では国債の利回りが元の水準に戻るとき、彼らはどうするだろうか? 彼らに株式をそれ以上保有しておくインセンティブはなく、資金は逆流してゆくしかないだろう。
逆流はいつ起こるのか
2013年、バーナンキ前議長が緩和縮小に言及したとき、株式市場はその可能性を想定して一度急落した。しかしその時資金の逆流は起きなかった。株式市場は、緩和が縮小のプロセスを経るにつれ、資金の逆流を恐れてその後も何度か急落したが、逆流は結局起きなかった。そして株式市場は緩和終了が織り込まれたと考え、当初の懸念を忘れてしまったのである。
しかし、投資家は資金流入の起こったプロセスをもう一度よく考えなければならない。家計や保険会社は利回りが低いために国債を売ったのであり、従って彼らが再び国債を買うインセンティブが生まれるのは、中銀が緩和を止めるときではなく、実際に利回りが上昇するときである。つまり、日欧の量的緩和もあり、米国の長期金利がいまだ低位安定している状態で、資金の逆流が起きていないのは順当だと考えられる。
逆流開始の条件
では、逆流が始まるための条件は何だろうか? およそ考えられるものは以下の通りである。
Fedの量的緩和の終了(2014年10月に通過済み)
米国の利上げ(2015年中旬の予定)
米国の長期金利の上昇(2015年中旬から2016年辺りか)
米国株が20-30%の下落を正当化できる程度に割高であること
米国株が先進国唯一の魅力ある株式市場ではないこと
量的緩和はすでに終了し、Fedは緩和再開の姿勢を見せていない。利上げについてもドル高に拘わらず行うと主張している。ただ、長期金利の上昇は、とりわけ欧州の金利が低いことにより抑えられている。スペインの国債が米国債よりも信頼されている状況は不自然だからである。この状況は最長でECBの緩和が終わるまで続く可能性がある。
また、米国の株式市場から資金が流出するためには、米国株が割高でなければならない。しかし資産バブルが生じている必要はなく、適正値より数十パーセント程度(すなわち下落分)割高であればよい。この条件は現在クリアされている。ブラックマンデーが起きた年の米国株のP/Eが現在とほぼ同程度であったことを思い出されたい。
更に、現在の株式市場では、日本や欧州の経済回復が弱い中、経済の強い米国の通貨と株式に資金が集中してきた経緯があり、米国で資金の逆流が起こるためにはこの傾向が取り除かれなければならない。
ECBが量的緩和を始め、この状況は変わったのではないかと思う。経済は強いが量的緩和が終了し、利上げを待つ米国株と、経済は弱いが量的緩和が始まったばかりの欧州株、どちらが投資家の買いを集めるかは面白い実験である。2015年前半の米欧の株式の動きは、金融市場において、流動性とファンダメンタルズのどちらが勝利するのかを推し量る試金石となるだろう。
投資家はあと数年はリスクを制限した投資を
投資家の不合理な行動という不確実性により、債券から株式へと流入した資金の逆流は、上記の予測よりも前後する可能性がある。個人的には後に遅れる可能性のほうが高いのではないかと思っている。こういう相場の天井は、投資家が皆、過去に流動性が相場を支えていたことを忘れ去った時であることが多いからである。米国株は更なる上昇を見せるかもしれない。しかし、このような大きなリスクを孕んだ相場に全力で資金を傾けないことは、ブラックマンデーやサブプライム危機などの暴落で損を出さない賢明な投資家の条件なのである。
相場には様々な機会が存在する。市場は不合理であり、リスクが低くリターンの大きい投資もあれば、リスクが高くリターンの少ない投資もある。両者をしっかりと見極めて、どれだけ上げ相場が眼の前を通過しようとも、後者を無視し前者だけを見る勇気を持ち続けたいものである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html#c93
9. 中川隆[-6958] koaQ7Jey 2021年3月02日 21:47:43 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[6]
鈴木傾城 _ アメリカ株で儲けるほど簡単な事は無い
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/895.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/388.html#c9
4. 中川隆[-6957] koaQ7Jey 2021年3月02日 21:57:51 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[7]
プラザ合意からブラックマンデーまでを振り返る
2015年3月21日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
・2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
2015年の金融市場はブラックマンデー当時の相場と似ているとの指摘が各所から出ている。チャートの類似を指摘する声もあれば、ボラティリティの上昇を指摘する声もあるが、ファンダメンタルズにおいてどう類似しているのかを詳細に観察するレポートが出回っていないと感じているので、先ずは1987年に起こったブラックマンデーのマクロ経済学的背景を説明しておきたい。
ブラックマンデーについては、一般的には解明されていない点が多いとされているが、一部の優れた投資家は事前に予測していた事案であり、ファンダメンタルズと投資家の心理の観点から説明が可能である。暴落の背景には1981年に米国の大統領に就任したレーガン大統領のレーガノミクスがあるので、先ずはここから始めたい。
ドル高を促進したレーガノミクス
元々の始まりはレーガノミクスである。1981年に就任したレーガン大統領は、前政権から受け継いだスタグフレーションに対処しなければならなかった。高い失業率にもかかわらずインフレ率は上昇し、米国の家計は低い賃金と高い物価の両方に苦しんでいた。
レーガン大統領は失業率を抑えるために財政出動を行い、減税によって消費を刺激しようとした。軍事支出を大幅に増加させ、また外交的にも共産主義国への強硬姿勢を見せることで、いわゆる「強いアメリカ」を演出した。
一方で、上昇していたインフレ率を抑えるためには金融引き締めが必要とされていた。金融政策ではそもそもレーガン大統領の就任以前より利上げがピークに達しており、レーガン大統領自身もマネーサプライの増加を抑える意思を引き続き表明した。財政支出の規模が大きかったこともあり、長期金利は上昇し、高い金利を求めた資金は為替市場をドル高へ導くことになる。ここまでの経緯を纏めると以下の通りである。
高失業率 -> 財政出動 -> 金利上昇 -> ドル高
高インフレ -> 利上げ -> ドル高
当時、アメリカ経済の問題は巨額となった財政赤字だけではなかった。日本やドイツなどの貿易相手国がドル高の恩恵を受けて輸出を続けたことで、米国の貿易赤字も容認できないレベルに達していた。
しかし高金利に惹かれた資金は、ドルのもとに集まり続け、「双子の赤字」と呼ばれた米国の財政・貿易赤字にもかかわらず、ドルは高値を更新し続けた。ドルはドイツマルクに対し、レーガノミクス以前のレートから50%以上も上昇した結果、通貨高に耐えられなくなったアメリカ政府は遂にドル高是正に腰を上げることになる。
プラザ合意
1985年9月22日、G5の財務相と中銀総裁たちがニューヨークのプラザホテルに集まり、ドル高の是正のために協調介入することで合意した。ドル高は双子の赤字というファンダメンタルズを反映していないとされ、米国政府は為替レートの是正が必要だと主張した。ジョージ・ソロス氏はこの出来事を以下のように書いている。
われわれは興奮の渦中にある。G5の財務相と中銀総裁がプラザホテルで緊急会議を開いた。これは歴史的な出来事である。会議は自由な変動相場制から管理された変動相場制への移行を決定した。
わたしは紙一重でポジションを手放さずに済み、一世一代の大儲けを果たした。円を翌週の香港市場で買い増し、上昇する相場のなかでホールドした。儲けは過去4年の為替市場での損失を補って余りあるほどである。というわけで非常にいい気分だ。(『ソロスの錬金術』)
この時、円やマルクはドル高の行き過ぎから既に底値を超えて上昇基調にあったが、この合意はその新たなトレンドを決定的なものにした。ドルはここからブラックマンデーの起きる1987年まで、急激な下落トレンドを開始することになる。
バブルを造成した利下げとドル安
一方で、ドル高が米国のインフレ率を徐々に低下させていたことから、高止まりした政策金利は役目を終え、Fed(連邦準備制度)は利下げを開始していた。レーガン政権の序盤には19%まで上昇していた政策金利は、この頃には8%程度まで下落していた。
1982年に始まったこの利下げを好感し、株式市場は上昇を始めていたが、ドル高を是正するプラザ合意がこの傾向に拍車をかけた。したがって、1982年からブラックマンデーの起こる1987年までの株価上昇は、利下げとドル安によって作り上げられた強力なトレンドであり、投資家たちはこの2つの要素を前提として米国株を買い続けてきた。したがって、この上昇相場の終焉も、この2つの要因が崩れたときであったのである。
ルーブル合意
プラザ合意以来、ドルはドイツマルクや円に対して急速なスピードで下落していた。1987年2月22日、ドル安が行き過ぎであると判断した米国政府は、G7を主導し、パリのルーブル宮殿でドル安の行き過ぎを是正する合意を取り付けた。これは、下がり続けていた米国の政策金利をFedが上げる一方で、円高、マルク高となっていた日本とドイツに対し、利下げを求める合意であったが、国内のインフレ率上昇を懸念していたドイツが同年9月にこれを破り、利上げを決行する。
ドル安を懸念していた米国にとって、更なるドル安・マルク高を引き起こすドイツの利上げは容認できないものであった。また、5年間に渡る利下げによって支えられてきた米国の株式市場の参加者は、ドイツの利上げによって米国も利上げのペースを上げなければならなくなるだろうと推測した。利下げとドル安によって支えられてきた上昇相場が、ドイツの協調拒否によってその両方を失ったのである。
ドルの自由落下か、株式の自由落下か
「双子の赤字」を抱えながら成長してきた米国株の上昇相場は、遂に八方塞がりの状況に陥る。米国の巨額の財政・貿易赤字はいずれ修正されなければならないと誰もが思っていた。
ジョージ・ソロス氏は早くから双子の赤字に悲観的だったが、各国の協調と管理された変動相場制が状況を軟着陸させる可能性を見て取ると、これを「資本主義の黄金時代」と呼んだ。しかしその要であった協調は、ドイツの離反で失われた。ドル安の行き過ぎを段階的に是正し、株式市場に大きな悪影響を及ぼすことなく利上げ・ドル高へと導くためには、為替水準に対する各国の協調が必要不可欠だったのである。
株式投資家には最悪の状況である。ドイツの利上げにつられてFedが急激な利上げに向かえば、真っ先に下落をするのは株式市場である。しかし逆にFedが利上げを躊躇えば、今度はドルが何処まで落ちてゆくか分からない。事実、米国のベーカー財務長官は、10月16日の記者会見で協調を破ったドイツを非難し、「ドイツが協調に協力しないのであれば米国は一層のドル安を容認する」と主張した。
これで株式市場かドルか、どちらかの下落は決定付けられてしまった。特に当時の株式市場では、ほとんどの投資家は為替ヘッジを付けていなかったこともあり、米国株の保有者はどう転んでも自分の資産が毀損される状況に追い込まれた。では彼らの唯一の選択肢は何だっただろうか? 米国株の投げ売りである。
1987年10月19日、ブラックマンデー
9月のドイツの非協調的利上げによって最後の支えを失った米国の株式市場は、その後ふらふらと方向感を失い、10月に入ると下落トレンド入りした。下落幅は日増しに大きくなり、10月19日、前日比で22.6%の下げを記録したのである。
ブラックマンデーについては、当時の稚拙であった自動売買システム(ポートフォリオ保険)などが下落を加速させたなどの見方があるが、その真相は利上げによる典型的な流動性縮小と、止まらないドル安が株式投資家を追い込んだ結果というわけである。
未来の相場への教訓
金融市場の暴落では、それまで何とか市場に保たれていた資金が行き場を失うというパターンが多い。債務危機では通貨と国債、どちらかの暴落は不可避であり、2015年現在の状況では、株式市場か債券市場、両方の上げ相場が永遠に続くということは不可能である。
ちなみに、レーガノミクスからプラザ合意に至り、止まらないドル安が問題となるまでの経緯は、上記で引用した「ソロスの錬金術」によく書かれている。この本は、ソロス氏の再帰性の理論とともに1985年から1986年までのクォンタム・ファンドの日々のトレードを記録したもので、ソロス氏がドルを売ってドイツマルクと円に投資する様子や、米国の「双子の赤字」の危険性を指摘しながらも、上がってゆく株式市場に資金を投資し、上げ相場の天井を探ってゆく様子が詳細に描かれている。
金融関係者にはよく知られた本であるが、一般の投資家には、これほど有用な本であるにもかかわらず、余り広まっていないと感じている。また、金融関係者でもこの本の有用性を本当に理解している人物は驚くほどに少ない。市場であれ何処であれ、優れた投資家はいつも少数派なのである。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/933
▲△▽▼
2015年、金融市場は米国の量的緩和終了を織り込んでいない
2015年1月26日 GLOBALMACRORESEARCH
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
これについては一度しっかりと書いておく必要がある。
2008年のサブプライム・ローン危機の後、Fed(連邦準備制度)は3度にわたり債券の買い入れを行い、量的緩和を行ってきたが、この政策は2014年10月をもって終了し、現在の米国は2015年中に行われるとされる利上げを待っている状況にある。
2013年5月にバーナンキ前議長がテーパリング(緩和縮小)に初めて言及したとき、米国債は売られ、米国株も急落したものだったが、その後も株式市場は上昇し、ECB(欧州中央銀行)が量的緩和を開始した今では、米国の金利までもが低位で安定した動きを見せている。
市場は量的緩和の終了と利上げを景気回復のサインと見なし、量的緩和の終了どころか利上げまでも問題なく織り込んだかのような見方が通説となりつつあるが、それは誤りである。本来これは、中銀の支えがあるからと積極的に押し目を買ってきた市場参加者自身が一番よく知っているはずであるのだが、今後の金融市場の動きも含め、以下に説明したい。
量的緩和と株高
先ず、そもそも何故量的緩和で米国株が上がったのかを思い出してもらいたい。量的緩和には一般的に以下のような効用がある。
国債買い入れによる金利の低下
住宅ローン金利の低下による不動産市場の活性化
債券から株式へのポートフォリオ・リバランスによる金融資産価格の上昇
ここで一番重要なのはポートフォリオ・リバランスである。ポートフォリオ・リバランスとは、中銀の買い入れにより国債の価格が上昇するにつれ、利回りの低くなった長期国債の相対的魅力が低下し、銀行や保険会社、家計などの投資家がよりリスクの高い証券(社債や株式など)を購入するようになる現象のことを指す。
Fedの公開している論文(原文英語)によれば、Fedが量的緩和を行うにつれ、米国の家計は国債を売り、社債や公債などよりリスクの高い証券を保有するようになった。このように国債から社債、社債から最終的には株式市場へと資金が溢れてくることで、米国株は史上最高値を更新してきたのである。
ポートフォリオ・リバランスの逆流
しかしながら、そのような資金は永遠に株式市場に保たれることはない。もともと投機家ではない彼らは、国債の利回りが低いから社債を買ったのであり、社債の利回りが低いから株式を買ったのである。では国債の利回りが元の水準に戻るとき、彼らはどうするだろうか? 彼らに株式をそれ以上保有しておくインセンティブはなく、資金は逆流してゆくしかないだろう。
逆流はいつ起こるのか
2013年、バーナンキ前議長が緩和縮小に言及したとき、株式市場はその可能性を想定して一度急落した。しかしその時資金の逆流は起きなかった。株式市場は、緩和が縮小のプロセスを経るにつれ、資金の逆流を恐れてその後も何度か急落したが、逆流は結局起きなかった。そして株式市場は緩和終了が織り込まれたと考え、当初の懸念を忘れてしまったのである。
しかし、投資家は資金流入の起こったプロセスをもう一度よく考えなければならない。家計や保険会社は利回りが低いために国債を売ったのであり、従って彼らが再び国債を買うインセンティブが生まれるのは、中銀が緩和を止めるときではなく、実際に利回りが上昇するときである。つまり、日欧の量的緩和もあり、米国の長期金利がいまだ低位安定している状態で、資金の逆流が起きていないのは順当だと考えられる。
逆流開始の条件
では、逆流が始まるための条件は何だろうか? およそ考えられるものは以下の通りである。
Fedの量的緩和の終了(2014年10月に通過済み)
米国の利上げ(2015年中旬の予定)
米国の長期金利の上昇(2015年中旬から2016年辺りか)
米国株が20-30%の下落を正当化できる程度に割高であること
米国株が先進国唯一の魅力ある株式市場ではないこと
量的緩和はすでに終了し、Fedは緩和再開の姿勢を見せていない。利上げについてもドル高に拘わらず行うと主張している。ただ、長期金利の上昇は、とりわけ欧州の金利が低いことにより抑えられている。スペインの国債が米国債よりも信頼されている状況は不自然だからである。この状況は最長でECBの緩和が終わるまで続く可能性がある。
また、米国の株式市場から資金が流出するためには、米国株が割高でなければならない。しかし資産バブルが生じている必要はなく、適正値より数十パーセント程度(すなわち下落分)割高であればよい。この条件は現在クリアされている。ブラックマンデーが起きた年の米国株のP/Eが現在とほぼ同程度であったことを思い出されたい。
更に、現在の株式市場では、日本や欧州の経済回復が弱い中、経済の強い米国の通貨と株式に資金が集中してきた経緯があり、米国で資金の逆流が起こるためにはこの傾向が取り除かれなければならない。
ECBが量的緩和を始め、この状況は変わったのではないかと思う。経済は強いが量的緩和が終了し、利上げを待つ米国株と、経済は弱いが量的緩和が始まったばかりの欧州株、どちらが投資家の買いを集めるかは面白い実験である。2015年前半の米欧の株式の動きは、金融市場において、流動性とファンダメンタルズのどちらが勝利するのかを推し量る試金石となるだろう。
投資家はあと数年はリスクを制限した投資を
投資家の不合理な行動という不確実性により、債券から株式へと流入した資金の逆流は、上記の予測よりも前後する可能性がある。個人的には後に遅れる可能性のほうが高いのではないかと思っている。こういう相場の天井は、投資家が皆、過去に流動性が相場を支えていたことを忘れ去った時であることが多いからである。米国株は更なる上昇を見せるかもしれない。しかし、このような大きなリスクを孕んだ相場に全力で資金を傾けないことは、ブラックマンデーやサブプライム危機などの暴落で損を出さない賢明な投資家の条件なのである。
相場には様々な機会が存在する。市場は不合理であり、リスクが低くリターンの大きい投資もあれば、リスクが高くリターンの少ない投資もある。両者をしっかりと見極めて、どれだけ上げ相場が眼の前を通過しようとも、後者を無視し前者だけを見る勇気を持ち続けたいものである。
http://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/669
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1453.html#c4
1. 中川隆[-6956] koaQ7Jey 2021年3月02日 21:58:32 : YhdtoSsgwM : UkpyU0lQcDVnTG8=[8]
ケインズは間違っている _ 何故公共事業が長期的には失業を生むか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1453.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/936.html#c1
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