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[近代史4] ワインガルトナー(1863年6月2日 - 1942年5月7日) 中川隆
1. 2022年1月23日 10:34:20 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[1]
フェリックス・ワインガルトナー(Felix Weingartner 1863年6月2日 - 1942年5月7日)
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/963.html

ワインガルトナー: ベートーヴェン『ピアノソナタ 第29番 変ロ長調 作品106』の管弦楽編曲
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/964.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/685.html#c1

[近代史4] ワインガルトナー(1863年6月2日 - 1942年5月7日) 中川隆
2. 中川隆[-14093] koaQ7Jey 2022年1月23日 10:41:48 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[3]
古典の磁場の中で:その1 5曲のメンデルスゾーン
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346

 これから主にメンデルスゾーンやブラームスのことを書いていきたいと思うのですが、なにしろここ数年の忙しさに加えてこの暑さなので頭が思うように働かず、細切れにしか書けそうにありません。つぶやき同然の内容の薄さになりそうですが、なにとぞご容赦いただけましたら幸いです。

 メンデルスゾーンの交響曲は少年時代にまとめ書きされた弦楽のための交響曲のあとに5曲書かれていますが、うち1番を除く4曲には標題がつけられています。番号順に記すと2番「賛歌」3番「スコットランド」4番「イタリア」5番「宗教改革」で、うち「スコットランド」と「イタリア」がメンデルスゾーンの交響曲における代表作となっているのは、やはり国名というわかりやすい標題の力によるところも大きいのでしょう(そしてこの2曲を比べれば人気や演奏頻度の点で「イタリア」が抜きんでているのは確かだといえそうです)
 けれどこの2曲に限らず、メンデルスゾーンの曲は意外に演奏が難しいというか、なかなか満足のいく演奏に出会えないような気がします。その理由もまた「イタリア」の場合より明確に出ていると思うのですが、たとえば技術が高いとはいえないアマオケがそれでもがむしゃらに頑張ると、ベートーヴェンなら曲想との兼ね合いで様になる場合もあるわけですが、メンデルスゾーンではそうはいかない。ボロボロでも熱気があればなんとかなる音楽ではありませんし、傷がなくてももっさりしてたらやはり様にはなりません。第3楽章がスケルツォではなく流麗な古典舞踊調になっている点に端的に表れているとおり、余裕をもって洗練美を表せなければどうにもならないところがあります。特に古典的な形式に則った1番と4番「イタリア」および5番「宗教改革」にそれが強く出ています。
 その点で微妙なのが2番「賛歌」と3番「スコットランド」ですが、そのことを考えるにはこれら5曲の作曲順を整理しておく必要があります。当時の作曲家にしばしば見られたことですが、メンデルスゾーンのこれらの交響曲は作曲の順番ではなく楽譜が出版された順に番号が割り当てられていて、しかも「イタリア」と「宗教改革」の出版は没後。なんと現在最も人気のある「イタリア」を作曲者自身は出版していなかったのです。ともあれ作曲された順に並べ替えれば1番、5番「宗教改革」、4番「イタリア」、2番「賛歌」、最後が3番「スコットランド」という順になり、しかも「イタリア」は何度も改訂が加えられ、「スコットランド」は「賛歌」よりはるか以前に着手されたにもかかわらず長い中断を経て「賛歌」の2年後にようやく完成をみています。つまりメンデルスゾーンのこれら5曲は古典的な形式にきちんと則った1番、5番、4番の後に、楽章の数は4曲でも古典的とはいいがたい要素が含まれた3番が中断を挟みつつも書かれる間に最後に着想された2番が先に完成をみているのです。2番がベートーヴェンの9番から前半は器楽のみで後半に声楽が加わるとのアイデアだけ借りてはいても、それ以外は似たところなどまるでない曲になっていることを思えば、あるいはメンデルスゾーンはどこかの時点で古典様式からの脱却を目指しつつ、調和のとれた形でそれをなしとげようとしていたのではないかという気がするのです。「スコットランド」が全曲を切れ目なく続けるよう指示しつつなお着想当初の4楽章制を捨てずにいたことも、その表れだったのかもしれないと。彼流の古典交響曲のいわば完成形であり現に最大の人気曲である「イタリア」を出版せず、難産の末に「スコットランド」を自身最後の交響曲として送り出したメンデルスゾーンがなにを望んでいたのかは、早すぎた彼の死によって永遠の謎になっています。

「イタリア」の演奏が難しいのは要求される技術の高さゆえですが、「スコットランド」の曲想はそこまでの洗練を求めていません。その曲想がもっさりした演奏でも様になるのは「イタリア」ではさすがに評価されないクレンペラーが少なくとも我が国では半世紀たった今でも決定盤の地位を失わないことに表れていると思います。むしろ「スコットランド」の演奏の難しさは何者かになろうとして果たせなかったメンデルスゾーンの過渡的な姿が、残された曲に反映しているからではないかと思うのです。それが過渡的な形であるがゆえにそのまま再現してもなかなか説得力に繋がらない、そういう種類の難しさをこの曲に感じてしまうのです。
 僕にとってこの曲の初めてのレコードはクレンペラーと並んで有名だったマーク/ロンドン響によるデッカ盤でしたが、それを聴いた時点でこの曲の難しさめいたものを漠然とながら感じずにいられなかったものでした。その後クレンペラー/フィルハーモニア、コンヴィチュニー/ゲヴァントハウスなど評価の高かった60年代の名盤からギブソン/スコティッシュ・ナショナル、ドホナーニ/ウィーンフィルなど70年代の新録音まで聴いてみたのですが、どれもあちらを立てればこちらが立たずという趣で、しかもすれすれで的を外しているようなもどかしさが拭えないというのが実感でした。そんなときに巡り会ったのがSP時代の、それも電気吹き込みが始まったばかりの1929年収録という、今では90年前の録音にならんとしているワインガルトナー/旧ロイヤルフィル盤だったのです。

コメント


mixiユーザー2017年07月15日 09:19
残月◯゜様おはようございます。

もうかなりの間まとまった時間がとれずにいるため、本当はきちんと聴き比べたい音源も続けて聴けず日にちの開いた記憶頼りになるのが忸怩たる思いですが、印象論にすぎなくても一度は整理しておきたいと思い、書き始めることにいたしました。今後ともよろしくお願いいたします。

mixiユーザー2017年07月17日 19:24
メンデルスゾーンについては、ベートーヴェンからシューベルトを経たドイツの交響曲の系譜をシューマンと共に支えた作曲家、という印象を持っています。
メンデルスゾーンが初演を振ったというシューベルトの大ハ長調、やっぱり彼もシューマンと同様に興奮しながらスコアを読み込んだのでしょうか。

ブラームスについては、色々思うところあって(今書いている拙作にブラームスの一番が出てくることが大きな理由です)どのようなご意見を読ませていただけるか大変気になっております。
個人的には、ブラームスはワーグナーと正反対の方向を向きながらも実は同じ場所に背中合わせで立っていた作曲家ではないかと愚考する次第であります。
ワーグナーが楽劇の題材にゲルマン民族の伝説に行きついたことと、ブラームスが純音楽を突き詰めた結果バロックの技法に至ったことはどこか似ていると思うのです。……そういえば、ワーグナーのライトモティーフとブラームスの交響曲の一部の書法、どちらもバッハの対位法から学んだものが多かったような……?

mixiユーザー2017年07月17日 20:58
Astray様こんばんは。

なにしろ同じ時代に活躍した人同士の組み合わせですから、メンデルスゾーンとシューマンや、ワーグナーとブラームスの音楽史的な立ち位置が近いのは確かに当然のことであって、その上での両者の違いにこそ注目すべきとのご意見には大きく頷けるものがあります。御作『吹雪のころに』にもブラームスの1番と並んでワーグナーの「巡礼の合唱」が重要な役割を担っていましたが、それらと共にバッハの「パルティータ」もまた登場するあたり、今回のコメントにその3者が登場するのもむべなるかなと感じるところです。

まずメンデルスゾーンとシューマンについては、メンデルスゾーンの5曲からはメンデルスゾーンがどこかへ行こうとしていたこととその方向性が窺えるように思えるのに対し、シューマンの4曲からはそういう感じがあまりしないのが対照的なことと感じられます。最後の交響曲となった3番「ライン」がベルリオーズの「幻想交響曲」とマーラーの5楽章交響曲を橋渡しする、中間楽章が折り返し点になっているタイプの5楽章形式なのが目を引きますが、ではシューマンがそれをより深めようとしていたとまでいえるのかといえばそこまでは無理とも感じるのです。

ブラームスについてはワーグナーというより、メンデルスゾーンとチャイコフスキーがブラームスを挟んで対照的な位置にいるような気がします。SP時代にブラームスの全集をいち早く録音したのがストコフスキーとワインガルトナーでしたが、チャイコフスキーを得意としたストコフスキーとチャイコフスキーの録音を残さずわずか1曲とはいえメンデルスゾーンで水際立った演奏をものしたワインガルトナーとの違いが2人のブラームスには聴き取れるように思えるのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961526877?org_id=1961576346


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古典の磁場の中で:その2 2つの疑似ステレオ技術
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877

 僕が買ったワインガルトナーによる復刻盤LPは78年のキャニオンレコードによるもので、アルティスコというレーベル名称による一種の疑似ステレオ盤でした。当時ベートーヴェンの8番と9番くらいしか現役盤がなかったワインガルトナーの、9曲のベートーヴェン全集がEMIと踵を接するように一気に発売されたのが77年でしたが、EMIがそれだけで終わったのに対してアルティスコは続いてブラームス全集を出し、その後登場したのがこのメンデルスゾーンだったのです。その他にSP初期の伝説的な指揮者フランツ・シャルクの録音をLP3枚に集成したのもシベリウスの同時代人ロベルト・カヤヌスが指揮したシベリウスの1番と2番を復刻してくれたのもこのレーベルでした。
 僕がアルティスコのワインガルトナーに手を出したのはアートフォン・トランスクリプションと銘打たれたアルティスコの復刻技術がどんなものかという興味と現役盤の点数が少なかったこの指揮者の全体像がこれで掴めるのではないかという思いが半々という感じでしたが、その下地になっていたのがGR盤と呼ばれる当時のEMIの復刻シリーズのあまりの音の悪さでした。ノイズ除去を意識するあまり高域をばっさりカットしていたGR盤の音は当時鼻をつまんで出す声にたとえられていたほど評判が悪く、僕もGR盤を聴くときはドルビーBをかけてカセットテープに録音した上で、再生時はドルビーをかけずに聴くという裏技で高音を足していたものです。EMIから出た全集のほうは懇意にしていたレコード店でGR盤より改善されているといわれたので店で試聴させてもらった上で買いましたが、そのEMIよりアルティスコ盤は序曲などが収録されている点でも勝っていたので、結局アルティスコ盤も買った上で聴き比べたのでした。そのとき気づいたのが盤面にはMONOと記されたEMI盤の解説書の最後に記された「このレコードは最新の技術によりステレオ化されています」という注意書きで、これが1本の針で2本の溝を盤面に刻みかつ再生するというステレオLPの仕組みでは、左右に厳密に同じ信号を記録再生することができないという問題に2つの会社がそれぞれの立場で取り組んでいることを僕に知らしめたのでした。同じ信号を同じに記録再生できないからこそ、左右の信号を変える必要がある。違っていても正確に記録再生できているわけではないが、変えておくことで同じでなければならない信号が不揃いに記録再生されてしまうことの弊害からは逃れられる。そのことに両社が気づいていたことが2つのワインガルトナーのベートーヴェン全集の盤面には文字通り刻まれているのです。
 EMIの方はモノラル信号に僅かに位相差を加えて音像を広げつつ、高域になるほどズレが出やすい針1本での録音再生機構の限界を逃れようとしたもので、聴感上の違和感を最小限に抑えることが優先されていましたが、アルティスコ盤は高音を左、低音を右に配することで高弦が左、低弦が右に定位するところまで加工されていたのです。そのためアルティスコにはヴァイオリンが左右に配置されていた当時の歴史的事実を歪曲するものと批判がなされ、そのせいかワインガルトナーのスコットランドを最後に新譜が出なくなってしまったのでした。
 その批判は確かに的を射たもので同じことを感じないわけではありませんでしたが、それでもなお両者を聴き比べれば総合的にアルティスコ盤が勝っていると僕には感じられたのでした。再生周波数により定位を定めてゆくという加工は当然ながら周波数バランスへの注意深さを要求するものであり、まだRIAA規格が存在せず各社がバラバラの録音再生カーブを用いていたSP音源の音を整える結果にもつながっていたからです。EMI盤が音色の面ではいささか明るすぎ古い電蓄タイプのスピーカーでないと金属的な印象に繋がりかねなかったのに対し、アルティスコ盤は当時の新しい機材で聴いても各楽器の音色がよりそれらしく鳴る点ではるかに上回っていたのです。これは当時英デッカがエクリプスレーベルとして発売していた廉価シリーズにおける疑似ステレオ盤にもいえることで、記録再生カーブがRIAAでなかった同社のモノラル音源があれほどリアリティのある音色で聴けたのも、疑似ステレオ化の作業に伴う周波数特性の調整があったからこそだと思うのです。
 ともあれアルティスコの復刻は楽器の定位こそ本来のものではないにせよ、ステレオLPという環境にモノラル音源を徹底的に最適化させることにかけてはデッカのエクリプスシリーズと並ぶ絶後の成果を成し遂げたものでした。それあればこそ、あのときワインガルトナーの「スコットランド」は半世紀の時を越えその真価を伝えてくれたのだと思うのです。

コメント

mixiユーザー2017年07月17日 20:40
興味深い内容です。そういえば、デッカエクリプスの、ベーム=VPOのシューベルト8番、5番の演奏も録音も好きで、あとで疑似ステと知ったのですが、処分しがたく未だに持ってます。やっぱ良盤なのかなー。

mixiユーザー2017年07月17日 21:25
こめへん様こんばんは。

デッカのエクリプスシリーズは当時帯と日本語解説書を輸入盤に付け足してなお500円台という破格の安さでしたから僕も随分買い込んだものでしたが、ステレオ音源はもちろんモノラル音源がとにかくすばらしい音で、ステレオカッターでカッティングされたモノLPとは次元の違う彩りの豊かさでした。ステレオ針でモノラル音源をカッティングし再生することの原理的な難しさに気づきつつあった僕にとって、エクリプスシリーズ中の擬似ステレオ盤は大きな啓示ともなった存在だったのです。

おそらくデッカのffrr録音は周波数特性を見直さない愚直な鮮度最優先の復刻では決して本来の色彩感の再現ができないことと思いますので、そのベームのシューベルトは手放さないことを強くお勧めいたします。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961576346?org_id=1961526877


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古典の磁場の中で:その3 ワインガルトナーの示唆
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015

 LP復刻当時すでに録音から半世紀。今では90年前の音源になりつつあるワインガルトナーの「スコットランド」 にもかかわらずこの演奏を抜きにしてこの曲を、ひいてはメンデルスゾーンという作曲家を語ることは僕にはできそうにありません。彼の「スコットランド」は他の演奏とは考え方が根本的に異なるものでした。それほど僕にとっては啓示的なものでした。
 現在聞ける多くの演奏で「スコットランド」の第1楽章は序奏を持つ古典交響曲とみなされていて、序奏と主部の区分を明瞭につけようとする一方で主部のテンポを極力一定に保つことに力が注がれています。確かに外見上この第1楽章はそのような形式で書かれており、古典交響曲の約束事を当てはめればそういう演奏になるのは当然すぎるほど当然です。でもそうするとこの音楽がなにを語っているのかはとたんに見えなくなるのです。本来なら形式的な見通しがついて当然の措置がなされているにもかかわらず、とくに主部の数多くの楽想が口をつぐんでしまうのです。
 ワインガルトナーは序奏を速め、主部を遅めに演奏して落差を小さくする一方で、主部の楽想が変わるごとに固別のテンポを与えています。それはどんな小さな変化も見逃さないほど徹底したものでありながら、それが煩わしさにつながることは決してありません。彼の時代の大指揮者たちに共通する特徴との2つの違いがそれを阻んでいるからです。決して旋律を粘らせないことと、テンポの振れ幅が抑制されていることです。

 当時の大指揮者たちのほとんどは、自分が感じたものを100%、むしろ150%や200%まで表現せずにはいられない人々でした。たとえばメンゲルベルク、ストコフスキー、フルトヴェングラーなど、それぞれ本質も芸風も異なる人々ですが、その点だけは共通していたのです。だからこそ彼らの演奏はSPの音質を通じてさえ雄弁さを発揮し、それが彼らの実演に接することができぬ人々へも名声を広げることになったのでした。彼ら3人がベートーヴェンと同等かそれ以上にチャイコフスキーの録音で名声を博していたのは偶然ではありません(今では信じ難いことですが、戦前に発売されたフルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲は「運命」ただ1曲だけでした。もちろんそれは当時最も優れた「運命」とされたレコードでしたが、同時期に録音された「悲愴」もまたメンゲルベルクと決定盤の座を争う1枚だったのです)
 ワインガルトナーの流儀はそれら当時の大指揮者たちと正反対とさえいえる、感じたものを100%出し切るというより抑制を尊ぶものでした。どんなに小さな曲想の変化にも敏感に反応しているにもかかわらず、当時の同僚たちのようにそれを強調するのではなく控えめに表現することでさりげなく聴かせようとしているのです。そのことで彼の演奏は指揮者の意志力で曲を背後から駆り立てるというよりは変化に伴い受け身に変わってゆくようなものになっていて、柔構造めいた融通無碍な流動性を示しつつも均整美を見失うことがありません。多くの指揮者たちがこの曲を古典的な形式の枠組みの中に連れ戻し閉じ込めることで失われる風のような自在さを保ちつつ、この曲が痕跡のように残している古典的な形式感をも決して裏切らないのです。この「スコットランド」という曲の特質にこれほど寄り添い、その独自性をかくも見事に描き出した演奏には他に出会ったことがありません。この曲のあるいは最初の録音だったかもしれないワインガルトナーの古い古い録音が、にもかかわらず伝えてやまぬ名人の一筆書きのような草書の美。それは僕に風を連想させずにおかず、ひいてはかつて陰謀劇の舞台となった古城の前に佇むメンデルスゾーンが耳にしたかもしれぬ風の声、古の戦いの鬨の谺や悲愁の織りなす無常の響きの幻想にさえ誘う力を盤面に留めているのです。
 なぜこんな演奏が可能だったのか。これはもう頭で考えた結果というよりワインガルトナーその人の美意識や人間性がメンデルスゾーンのそれに近かったのだと考えるべきもののような気さえします。たとえばロンドン響時代のアバドがDGから出した全集録音は5曲の交響曲の変遷の行く先を考察していることが窺える点において極めて興味深いものですが、それゆえ考え抜いた末に決定された解釈という感触もつきまとい、およそ融通無碍からは遠い演奏なのも決して否定はできないのですから。

 そんなワインガルトナーが一人の指揮者によるベートーヴェン交響曲全集を最初に完成させたということは、当時における彼のベートーヴェン演奏が今からは想像し難いくらい高く評価されていた証であるだけでなく、往時のベートーヴェン像や美意識がその後のものとは異なるものだった可能性をも示唆しているような気もします。ストコフスキーはいうに及ばず、メンゲルベルクやフルトヴェングラーさえセッション録音だけではその生涯にベートーヴェンの9曲全部を遺せなかったことを思えば、当時ワインガルトナーの扱いは破格だったとしかいいようがありません。
 ワインガルトナーはベートーヴェンに対してもメンデルスゾーンと同じ姿勢で接していますが、結果としての演奏ではテンポの動きがより控えられ古典的な輪郭が前面に打ち出されている点に受け身の姿勢だからこそキャッチしているものもあるのだと感じさせるのがこの人ならではで、ベートーヴェン特有の粗野な迫力が均されているきらいはあるものの、それが当時の美意識だったとの確かな手応えも感じさせます。そして大戦中の1943年にスイスで亡くなったワインガルトナーの時代の美意識がしだいに消えゆくしかなかったことも。
 ステレオ初期のベートーヴェン全集には、ワインガルトナーの面影を感じさせるものがそれでもまだありました。弟子であったクリップス/ロンドン響をはじめクリュイタンス/ベルリンフィルやS=イッセルシュテット/ウィーンフィルなどどれも無理にスケールを広げすぎず、端正な造形と当たりの柔らかさを多かれ少なかれ感じさせるもので、それがワインガルトナー的美意識がいかに当時の音楽土壌に深く根を下ろしていたかの証だったとも思えます。けれどそれらはやがてよりスケールの大きさや堅固な骨格、ひいてはベートーヴェンならではの先鋭さを重視する演奏に置き換えられていったのです。70年代末に当時シドニー響の指揮者だったオッテルローの交通事故死で未完成に終わったベートーヴェン集がメモリアルとして後に出たとき、僕にはこういう美しいベートーヴェン演奏の時代が終わったことを示す墓碑銘にさえ見えたものでした。

 現在一般のクラシックファンはいうに及ばず、ヒストリカル録音の愛好家たちの間でさえワインガルトナーへの関心は高いとはいえません。SP録音時代の発売点数ではトップクラスの存在であったにもかかわらず、ウィーンフィルとの組み合わせの音源を除けばほとんどはめったにCD化されず、新星堂がまとめて復刻した大全集も再評価の動きには繋がりませんでした。往年の大演奏家たちの多くが出所の怪しいライブ録音や放送録音まで探索の対象となっている中、ワインガルトナーだけは全くそんな音源が出てこないというのはもはやただごととは思えませんが、それはやはり誇張を体質的に忌避する彼の音楽性が、整った美演よりも八方破れの爆演をむしろ尊ぶ愛好家たちの嗜好とそれだけずれているからだとも感じるのです。
 そしていま、マーラーがかつてなく聴かれるようになったこの日本において、聴き手のメンデルスゾーンへの関心は反比例的に低くなっているとも見えるのですが、僕にはそれがワインガルトナーへの関心の低さとどこかで繋がっているように思えてなりません。そしてストコフスキーやメンゲルベルクはもとよりナチスドイツに留まったせいで長らくマーラーを演奏できなかったフルトヴェングラーでさえ1曲だけとはいえマーラーの録音を遺している一方で、ワインガルトナーはマーラーのみならずチャイコフスキーの作品さえ録音していないのです。

 メンデルスゾーンが古典的なスタイルから脱却し始めたとき、彼が目指した道はチャイコフスキーやマーラーへと続くものではおそらくなかったのではないだろうか。ワインガルトナーによる「スコットランド」の古いSP録音は、そんなことまで示唆するもののように思えてなりません。作曲家でもあったワインガルトナーには7曲に及ぶ交響曲があり海外では全集録音が出ていると伝えられていますが、穏健な作風と評されているのがいかにもと思えると同時に、あるいはそれがメンデルスゾーンのたどり着けなかった道を示しているかもしれないとも考えたりしている次第です。

 そしてそんなワインガルトナーが4曲のブラームスを録音したほぼ同じ時期にストコフスキーも全集を完成したということは、ブラームスの音楽がメンデルスゾーンとは異なり分かたれた道のどちらからもアプローチ可能なものであることの証ではないかとも。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961613276?org_id=1961613015


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古典の磁場の中で:その4 「スコットランド」のCD群
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860

 暑さバテで夏風邪を引き寝込んだ機に、まずは全集に含まれる「スコットランド」を聴きつつCDで持っているものを引っ張り出してきたら、下記のような仕儀と相成りました。まだこの他にマークの3種類とジンマン、O・ドホナーニ盤があるのですが、ケースがどこに紛れ込んだものか出てきません。またLPでしか持っていないものではモノラルのゲールやクレツキ、ステレオのミュンシュ、ドラティ、コミッショナー、オーマンディ、ギブソンなどがあります。
 これらをとっかえひっかえ聴いていると、どうやらこの曲では全曲の中で第3楽章の長さのぶれ幅が大きく、その組み合わせが解釈面でのバリエーションを生み出しているようにも思えてきたので、例によってCDで聴けるものの演奏時間を整理することにいたします。数も数ですし熱もあるので、これらをどういう形で整理するかはもう少し時間をかけて考えようと思っています。

第1楽章提示部の反復がない盤(19枚)

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

第1楽章提示部の反復がある盤(11枚)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)

こうやってみるとやはり第3楽章のテンポが最も演奏による偏差が大きいことが見て取れます。このあたりの比較のためには提示部を反復しているグループについて、反復分を差し引いた数値も算出して比較したほうがわかりやすいかもしれないと考えているところです。


コメント

mixiユーザー2017年07月31日 00:30
I・フィッシャー盤が出てきたので追記しました(汗)


mixiユーザー2017年08月05日 13:47
反復ありの8枚について、反復を除外した演奏時間と比率を追記しました。


mixiユーザー2017年08月12日 10:48
マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。


mixiユーザー2017年08月16日 21:47
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:29
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:34
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961808860


▲△▽▼


古典の磁場の中で:その5 年代順比較用一覧
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450

 前回取り上げた30枚のうち第1楽章の提示部を反復している11枚について比較のために反復分を除いた演奏時間と楽章間の比率を算出し、全てを録音年代順に並べなおしてみました。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)

やはり全体としては年代順に並べたほうが演奏スタイルの変遷を辿れるようにも感じられますので、次回から原則としてこの順にそれぞれの演奏についてコメントしていきたいと思います。


コメント

mixiユーザー2017年08月12日 11:19
マークの3種と沼尻盤を追加し、反復を省いた第1楽章における序奏の時間と比率を全ての盤において付記しました。


mixiユーザー2017年08月16日 21:48
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:33
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:37
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤を購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1961908650?org_id=1961867450


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古典の磁場の中で:その6 リストの追記と注目点
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406

 マークの3種と沼尻盤をリストに追加し、反復を省いた場合の第1楽章における序奏の時間と比率を全てに付記しました。この修正は前2回のリストにも加えています。またシャイーの新盤と有田盤は1842年版による演奏で、翌年の現行版より第1楽章で15小節、第4楽章で22小節長いのですが、実演総時間でも大差がなく比率を計算しても誤差の範囲に収まってしまうので、ここでは実際の演奏時間のままで表記しています。最近出たてのネゼ=セガン/ヨーロッパ室内Oの全集なども入手できれば順次追加していく予定です(入手したので追記しました)

 解釈を考えていく上で注目すべき比率はまず反復抜きの第1楽章における序奏の比率。これが25%を切ると序奏のテンポが主部の平均的なテンポより速く感じられます。ただし主部の最初のモチーフを遅く、続く「戦の幻想」と呼べそうなモチーフを速く演奏している演奏と、モチーフごとに差をつけない演奏とでは、主部への移行に伴うテンポの変化の印象が変わってくるので注意を要します。数字の上ではワインガルトナー、スタインバーグ、クレツキ、サヴァリッシュ、マズアの新旧両盤、フィッシャー、広上、堤、デプリースト、シャイーの新盤、ネゼ=セガンが25%以下です。
 もう1つは第3楽章の比率が第4楽章の比率より高いか否か。これは物理的な時間においても同じ結果であるわけですが、第3楽章を低回気味に演奏し第4楽章を煽ってコントラストを強調する演奏ほどこの比率に差が出てきます。両極端はクレンペラーとカラヤンで、クレンペラーが22.8%・28.1%なのに対しカラヤンは29.8%・23.8%になっていて、設計が根本的に異なることを強く印象つけずにおきません。総じて第3楽章の比率が高いほど後期ロマン派的性格が強い演奏と感じさせる傾向があります。
(追記:その後出てきたミトロプーロス盤がカラヤンよりさらにコントラストが強烈な30.0%・22.9%です)

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

サヴァリッシュ/ニュー・フィルハーモニアO(1967年)
15:22/04:18/09:28/09:43
計38:51(反復あり)
(39.5%・11.1%・24.4%・25.0%)
12:21/04:18/09:28/09:43
計35:50(反復除外)序奏3:02(24.6%)
(34.5%・12.0%・26.4%・27.1%)

アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

カラヤン/ベルリンPO(1971年)
13:57/04:25/11:48/09:24
計39:34 序奏3:49(27.4%)
(35.2%・11.2%・29.8%・23.8%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1972年)
13:23/04:25/08:08/10:16
計36:12 序奏2:46(20.7%)
(37.0%・12.2%・22.5%・28.3%)

C・ドホナーニ/ウィーンPO(1976年)
13:24/04:30/09:23/09:24)
計36:41 序奏3:34(26.6%)
(36.5%・12.3%・25.6%・25.6%)

シャイー/ロンドンSO(1979年)
14:31/04:25/11:55/10:07
計40:58 序奏4:03(27.9%)
(35.4%・10.8%・29.1%・24.7%)

アバド/ロンドンSO(1984年)
16:54/04:02/11:27/09:55
計42:18(反復あり)
(40.0%・9.5%・27.1%・23.4%)
13:46/04:02/11:27/09:55
計39:10(反復除外)序奏3:46(27.4%)
(35.2%・10.3%・29.2%・25.3%)

I・フィッシャー/ハンガリー国立O(1985年)
13:45/04:28/09:42/09:45
計37:40 序奏3:19(24.1%)
(36.5%・11.8%・25.8%・25.9%)

マーク/ベルン響(1986年)
17:15/04:18/10:39/10:40
計42:52(反復あり)
(40.2%・10.0%・24.9%・24.9%)
13:56/04:18/10:39/10:40
計39:33(反復除外)序奏3:52(27.8%)
(35.2%・10.9%・26.9%・27.0%)

マズア/ゲヴァントハウスO(1987年)
14:38/04:18/09:25/09:30
計37:51(反復あり)
(38.7%・11.3%・24.9%・25.1%)
12:08/04:18/09:25/09:30
計35:21(反復除外)序奏2:37(21.6%)
(34.3%・12.2%・26.6%・26.9%)

C・ドホナーニ/クリーブランドO(1988年)
12:30/04:22/08:18/08:54
計34:04 序奏3:16(26.1%)
(36.7%・12.8%・24.4%・26.1%)

広上淳一/日本PO(1990年)
14:34/04:30/10:50/11:46
計41:40 序奏3:18(22.7%)
(35.0%・10.8%・26.0%・28.2%)

フロール/バンベルクSO(1991年)
13:03/04:31/09:38/09:18
計36:30 序奏3:32(27.1%)
(35.7%・12.4%・26.4%・25.5%)

アシュケナージ/ベルリン・ドイツSO(1996年)
16:14/04:12/08:51/09:17
計38:34(反復あり)
(42.1%・10.9%・22.9%・24.1%)
13:17/04:12/08:51/09:17
計35:37(反復除外)序奏3:34(26.9%)
(37.3%・11.8%・24.8%・26.1%)

マーク/マドリード響(1997年)
14:07/04:32/10:17/10:45
計39:41 序奏3:41(26.1%)
(35.6%・11.4%・25.9%・27.1%)

堤俊作/ロイヤルチェンバーO(1999年)
14:33/04:21/09:46/09:59
計38:39(反復あり)
(37.6%・11.3%・25.3%・25.8%)
11:37/04:21/09:46/09:59
計35:43(反復除外)序奏2:47(24.0%)
(32.5%・12.2%・27.3%・28.0%)

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

沼尻/日本センチュリー響(2013年)
16:21/04:27/10:08/10:02
計40:58(反復あり)
(39.9%・10.9%・24.7%・24.5%)
13:15/04:27/10:08/10:02
計37:52(反復除外)序奏3:29(26.3%)
(35.0%・11.7%・26.8%・26.5%)

村中大祐/オーケストラ・アフィア(2014年)
13:35/04:16/10:10/09:34
計37:35 序奏3:37(26.6%)
(36.1%・11.3%・27.1%・25.5%)

有田正広/クラシカルプレーヤーズ東京(2016年)
16:36/04:17/09:25/09:51
計40:09(反復あり)
(41.3%・10.7%・23.5%・24.5%)
13:35/04:17/09:25/09:51
計37:08(反復除外)序奏3:40(27.0%)
(36.6%・11.5%・25.4%・26.5%)

ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O(2016年)
16:42/04:13/09:49/10:01
計40:45(反復あり)
(41.0%・10.3%・24.1%・24.5%)
13:27/04:13/09:49/10:01
計37:30(反復除外)序奏3:20(24.8%)
(35.9%・11.2%・26.2%・26.7%)


コメント

mixiユーザー2017年08月16日 21:48
ネゼ=セガン/ヨーロッパ室内O盤が入手できたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月02日 17:38
ミトロプーロス/ミネアポリスSO盤が出てきたので追記しました。


mixiユーザー2017年09月20日 18:42
クレツキ/イスラエルPOによるLP復刻CD−R盤が購入できましたので追記しました。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962031362?org_id=1961920406


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古典の磁場の中で:その8 SP〜モノラルLP期の録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221

 それでは個々の「スコットランド」録音について触れていこうと思いますが、先日ほぼ15年ぶりに棚の奥から出てきたミトロプーロス/ミネアポリスSO盤のことを書くにあたりSP時代の録音と演奏家の関係という観点からもう少しワインガルトナーについても補足する必要を感じますので、今回はSPからモノラルLP時代の3つの演奏について書かせていただくことにいたします。

ワインガルトナー/旧ロイヤルPO(1929年)SP
12:20/04:13/08:16/08:51
計33:40 序奏2:40(21.6%)
(36.6%・12.5%・24.6%・26.3%)

 今回ミトロプーロス盤と聴き比べて痛感したのは、録音の古いワインガルトナー盤のほうがはるかに演奏を巧みにすくい取っているということでした。録音年代が10年以上も後のミトロプーロス盤はなにしろSP時代だけに録音技術の急激な進歩の恩恵を受けられる立場だったにもかかわらず、そのことに足元を掬われたとしかいいようのない結果に終わっているのです。ワインガルトナーの時代よりかなり改善された音の強弱のより忠実な収録。けれど演奏陣がその限度をわきまえなかった結果、新しいはずのミトロプーロス盤は強音は入力オーバーで音割れと混濁の混沌と化し、弱音は感度の低いマイクに入りきれず掠れてしまっているのです。一方で条件がずっと悪いはずのワインガルトナー盤にはそういう響きの破綻がみられない。この差はどこから生じたのかと考えると、まず演奏サイドの原因としては芸風の差と録音の経験、そして技術サイドでは感度の低いマイクをどう使ったかではないかと思うのです。
 ミトロプーロス盤を注意深く聴いてみると、弱音部分で音量が下がってゆくとき最初に掠れ始めるのは弦楽器です。つまりこの収録では管楽器や打楽器のほうがマイク寄りに配されているか、それらの楽器に補助マイクが使われているのです。対するワインガルトナー盤は明らかに弦楽器群が手前、管楽器や打楽器がその中もしくは後ろです。だから弦の中に点在する管楽器は音量こそ小さくてもそれがリアルに感じられますし、明らかに音量が低いティンパニはだからこそ音割れや歪みを招いたりせずそれでいて掠れることもないのです。エンジニアが機械の性能と限界を熟知していればこその成功であるのは明らかです。
 そしてワインガルトナーの演奏スタイルもまた、ダイナミックレンジが狭い収録条件下でも美質が損なわれにくいものでした。テンポの頻繁かつ細やかな変化や旋律美を活かす歌い回しなどは限られた強弱の幅にもかかわらずというよりむしろ、それゆえに聴き手の脳裏にその曲線美を鮮やかに焼き付けさえしているのですから。もちろん実際の演奏を聴けたなら録音では減衰しているティンパニなどもより立体的な響きを作っていたのでしょうし、歌い回しの抑揚と一体化した強弱がさらに豊かな表現を形作っていたのでしょうが、それでもこの演奏の美質とも核心ともいえるもののエッセンスは限られた器に極力不足のないよう収められている。おそらく演奏側も普段より強弱を控えめに演奏していた可能性も決して低くないと思うのです。なにしろラッパ吹き込みの時代から多くの録音をものしたワインガルトナーですから、その経験が録音の限界を念頭に置いた配慮という形で表れても不思議ではなく、むしろそういう配慮あればこそ彼は多くの実績と名声をSP時代に築き得たという方がよほど事実に近かったはずだと思うのです。


ミトロプーロス/ミネアポリスSO(1941年)SP
11:15/03:45/09:33/07:19
計31:52 序奏3:07(27.7%)
(35.3%・11.8%・30.0%・22.9%)

 15年ほど前に購入したミトロプーロスのミネアポリス時代の音源を集めたBOXセットに入っていたものですが、音の悪さに一回聴いただけで存在すら忘れていたもの。12年前のワインガルトナー盤のほうがはるかに聞きやすいというのではミトロプーロスにとっても気の毒なことです。とはいえ指揮者の側にも責任はあって、強弱の幅がSP盤の収録可能な限界を越えてしまっているせいで弱音になるとマイクが音を拾いきれずに掠れていますし、逆に強音では入力オーバーで盛大に歪んでしまいます。特にティンパニが入るたびに全体が混沌としてしまうのはいかんともし難いものがあり、演奏陣が録音技術の限界などおかまいなしにダイナミズム重視の演奏をした結果としかいいようのない盤でもあります。管楽器や打楽器を明瞭に録りたかった録音側の意図が各楽器のマイクとの距離からうかがえますが、全てが裏目に出たと評する以外ありません。
 第1楽章の序奏と第3楽章を遅く粘り気味に演奏する他は速いテンポで直線的に押してくる演奏なのでトータルタイムはリスト中の最短記録。コントラスト重視の演奏で狙いはわかるものの、メンデルスゾーンがこういうつもりで書いたのかと考えると曲と演奏がすれ違っているような気がしてならないのも正直なところで、マーラーやモダンミュージックでは雄弁さに直結する方法論との乖離がこの曲の立脚点を傍証している演奏と評することは、強いていえば可能なのかもしれません。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

 数年前に出たスタインバーグの米キャピトル音源を纏めたBOXセットに入っていたもので、LP時代に入っているため収録に無理がなく、音楽を安心して味わえます。
 この演奏はこのリストにおいて、後の時代に一般的になる演奏スタイルの最も早い例といえるものです。ワインガルトナーや、ましてミトロプーロスのような部分的あるいは楽章ごとのテンポ変化を極力控えて全曲の統一感を重視しつつ、そこに淡いロマンを香らせようとする流儀なのですが、ここではステレオ時代以降この人から耳にするのが難しくなったしなやかさや潤いが大いに魅力を添えています。毛筆をすっと真下に走らせた一筆の僅かな膨らみが見せるにも似たしなやかさ。後の時代の誰もがこの域に届き得たわけではないこの達成は、当時このコンビが一つの絶頂期にいた証を今の世に伝えているのではないでしょうか。むろん終楽章コーダの繰り返しをオクターブ上げて華やかに結ぶなど、今では考えられない処理も散見されるのは事実ですが。


コメント

mixiユーザー2017年09月07日 17:10
録音環境まで、再生された音楽から看取されるとは、MFさんの分析力の
素晴らしさにはいつものことながら舌をまきますあせあせ

mixiユーザー2017年09月07日 17:54
リンデ様こんばんは。まあローエンドに特化してはいるものの、一応オーディオ好きの端くれですから(苦笑)

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962453221


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古典の磁場の中で:その9 ステレオ初期の録音
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221

 今回はサヴァリッシュによる史上初の全集盤が登場するまでのステレオ諸盤についてです。バーンスタイン以外はどれもLPで聴いていた懐かしい盤でもあります。また今回の顔ぶれは全員がこの曲を複数回レコーディングしている点が共通しています。なおここからは音質についても参考程度にコメントしていますが、必ずしも現在店頭に出ているプレスで聴いたわけではないので、その旨ご了承いただけましたら幸いです。


マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 生涯に「スコットランド」を3回レコーディングした唯一の指揮者ペーター・マークによる最初にして最も有名な録音で、僕がこの曲を初めて聴いたのもこの盤でのことでした。僕が生まれる前年の収録なので、このリストではここまでが僕にとって過去の時代に属する録音ということにもなります。
 最大の特徴はとにかく細かいこと。微に入り細を穿つ目が曲のいかなる変化も見逃さず、遅いテンポのもとじっくり音化されてゆきます。曲想に対する追随の細かさではワインガルトナーさえ凌ぐでしょう。ただしその細かさが聴き手の注意をも細部に向けすぎるようなところもあって、曲全体の見通しの良さに必ずしも結びついてこないのが難点です。基本テンポが遅めで緩急を感じにくいのも確かですが、ワインガルトナーのように細部の表現が全体の動きに波及する場面が意外に少なく、細部の羅列めいて感じられてしまうのが最大の要因だと思うのです。付き合いの長い盤ですがこの曲を僕に難しく感じさせたのもそういう特色ゆえのことだったのだと今となっては思うばかりで、その点ではやはり後の2つの演奏のほうが改善されていると感じます。比較のため2回目と3回目の演奏時間を記しておきますが、第3楽章が回を追うごとに速められている一方で、残る3つは一貫してより遅くなっているのが印象的です。なおベルン盤のみ第1楽章に反復がありますので、ここには反復分を除いた数値を記しています。
(13:56/04:18/10:39/10:40)
(14:07/04:32/10:17/10:45)
 なお音質はさすが英デッカ原盤だけに彩り豊か。モニター調のシビアなスピーカーでも楽しめる優秀録音です。


クレンペラー/フィルハーモニアO(1960年)
15:22/05:14/09:35/11:47
計41:58 序奏4:00(26.0%)
(36.6%・12.5%・22.8%・28.1%)

 SPからモノラル期の諸盤に比べ明らかに遅くなったマーク盤が、それでもテンポの遅さを喧伝されなかった直接の原因となった演奏に違いなく、提示部の反復なしでほぼ42分という演奏は僕が生きているうちは二度と出てこないだろうと思います。ただ各楽章の比率を見るとマークやバーンスタインのように緩徐楽章で遅くするよりもそれ以外の楽章をいっそう遅くして楽章ごとのテンポの差をむしろ均すコンセプトなのが窺え、かつて「田園」においてもベートーヴェンのコントラスト設計にあえて背を向け殷々とした大きな流れの音楽として表現していたことを思いだします。
 そしてスタインバーグと同様、彼もまた60年代初頭のこの時期には後年に影を潜める柔らかさを保ち得ていて音楽が不思議な静けさと懐の深さを湛えていますし、あまりにも自己流の解釈を押し通すことから生じる揺るぎなさが大きく刻印されているのも事実です。この曲を考える基準にしていい解釈とは思えないので決定盤扱いには同意できませんが、異なる個性の出会いが生んだ異色の名演と認めるにはやぶさかではありません(なお旧録音にあたるウィーンSOとのVOX盤は未聴ですがタワーレコードの商品ページに演奏時間が出ていたので参考に記しておきます。現物に接していないので第1楽章の提示部を反復しているかどうか不明ですが、してないのならステレオ盤よりさらに遅いタイムは驚くべきものだと思いますし、もし反復があるのならこの時点で彼の楽章ごとのペース配分は確立していて、それが保たれたまま全体が遅くなっていったのかもしれません。旧録音盤をお持ちの方がおられましたら、ご教示いただけましたら幸いです)
(15:55/04:22/08:07/09:54)
 音質はきめの細かさと自然な距離感が好ましいものの音色はやや明るめなので、ウッディなスピーカーで聴くほうがいいと思います。


バーンスタイン/ニューヨークPO(1964年)
13:08/04:19/11:36/09:13
計38:16 序奏3:52(29.4%)
(34.3%・11.3%・30.3%・24.1%)

 バーンスタインがニューヨーク時代に行った録音活動は多分に教育的かつ啓蒙的で、十年余りの在任期間中に収録された膨大な音源は古典派から現代音楽までを展望できる百科全書的なレパートリーを押さえているのみならず、演奏自体も再録音に比べ端正かつ構成的な性格が前面に出ています。おそらく彼はニューヨークでは活動の軸足を啓蒙に置き、それが完成した離任後は表現の追求を目標としたのではないかと今振り返ると思えるのです。
 この「スコットランド」もペース配分の点ではマークに似てはいるものの、細部よりは全体に聴き手の注意を向けさせる内容になっているのがいかにもこの時期のバーンスタインならではで、実際のテンポ以上に停滞感を感じるマークと逆に意識が曲全体の緩急に向くため流れの良さがより印象に残ります。マークよりも第3楽章を遅め、第4楽章を速めに演奏しているところにそんなコンセプトが端的に窺えます。彼はこの時期「宗教改革」と「イタリア」も収録していますがやはり曲の性格を大掴みに捉えた演奏で、指揮者自身の資質ゆえ濃密なロマンへの傾斜を感じさせる瞬間もあるものの啓蒙的たらんとする意識がそこに一定の歯止めをかけているような、そんな演奏と感じます。彼が70年代末にイスラエルPOと再録音したこの3曲は未聴ながら演奏時間にはまだ極端な差はないようで、それが時期的なものに由来するのかバーンスタインなりのメンデルスゾーン解釈に原因を求めるべきかは不明ですが、機会があれば聴いてみたいところです。同じくタワーの商品ページからその演奏時間を記しておきます。
(13:55/04:09/11:15/10:06)
 米コロムビア特有の中高域が張り出す音質なので、その張り出しをキャンセルできる装置で聴きたい盤です。


アバド/ロンドンSO(1967年)
12:42/04:15/10:12/09:24
計36:33 序奏3:29(27.4%)
(34.8%・11.6%・27.9%・25.7%)

 スタイルとしてはスタインバーグの延長上にあるものであり、その美質を最も多く受け継いだ自然体の名演です。マークはもちろんバーンスタインのように自らに何かを課した気配もここには皆無で、ただ自らの純良な音楽性を信じるまま歌い上げたらこうなったとでもいいたげな、まっすぐでしなやかな歌がどこまでもなめらかに流れてゆきます。スタインバーグよりは緩急も大きめですが、それもワインガルトナーと同じく受け身ゆえの自然さの範囲内のことで、風のワインガルトナーに対し水のアバドという趣があります。
 後の全集録音が曲を自らの中でいかに位置づけるべきかという意識を強く感じさせるものになっているのに対し、ここでの彼のふるまいはまさにイノセントと呼ぶのがぴったりで、その後の彼の歩みの一端に接し得た身からすれば、音楽家としてのアバドが最も無垢でありえたひとときの姿の形見とさえ映ります。ワインガルトナー同様アバドもまた資質の近さゆえメンデルスゾーンの遺した曲と幸せな形で触れあうことのできた音楽家だった。そう思わずにいられないほど無心に感じられる演奏です。
 このような無心さは全集録音ではすでに影を潜めていますが、その時でさえアバドの演奏にはメンデルスゾーンと共通する美意識が特別なものを語りかけている。彼の問いかけに応えている。アバドの全集録音にそう感じたことこそが僕が手持ちの「スコットランド」を全部きちんと聴き直してみたくなった端緒でした。その後ベルリン時代にライブ収録された「イタリア」と「真夏の夜の夢」の結晶化された名演を思えば、そんな問いかけの後の境地を示したであろう3つめの「スコットランド」の録音がなされなかったのは無念というほかありません。下記は全集盤のタイムですが、例によって提示部の反復がなされている分を差し引いています。
(13:46/04:02/11:27/09:55)
 音質もマーク盤と同じ英デッカ原盤だけに彩りが豊かで、その点ではDGによる全集盤よりずっと上です。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962501256?org_id=1962453221

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古典の磁場の中で:その10 クレツキの見た先には
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226
 今回は1954年収録のクレツキ盤をLPから復刻したCD−Rが入手できたので、前後するスタインバーグ盤やマーク盤とも比較しつつコメントさせていただきます。


スタインバーグ/ピッツバーグSO(1952年)モノラル
12:07/04:12/08:43/08:46
計33:48 序奏2:58(24.5%)
(35.9%・12.4%・25.8%・25.9%)

クレツキ/イスラエルPO(1954年)モノラル
13:17/04:18/10:13/10:15
計38:03 序奏3:17(24.7%)
(34.9%・11.3%・26.9%・26.9%)

マーク/ロンドン響(1958年)
13:12/04:10/11:03/09:35
計38:00 序奏3:41(27.9%)
(34.7%・11.0%・29.1%・25.2%)

 こうして並べるとクレツキはスタインバーグとマークの双方と共通点を持つことがわかります。まず第一印象として感じるのがテンポの遅さ。マークとほぼ同じ38分というタイムはスタインバーグに比べ4分余り遅くなっています。たかが4分という方もおられるでしょうが、実際に聴くとこの34分弱と38分という差は思いのほか大きく、クレツキとマークからはスタインバーグのような一筆書きめいた印象を受けることはありません。むろん聴く側の個人差もあるでしょうが、少なくとも僕には第1楽章の提示部の反復なしでのトータルタイム35分というのが分水嶺になるようで、ワインガルトナーやスタインバーグの風をイメージさせる演奏はここでいったん失われるのです。アバドの旧録音が水のイメージになるのも基本テンポが遅くなるからですが、そのアバド盤と同じ時期に収録されたサヴァリッシュが僅かながらも基本テンポが速いため、先人たちの美質を受け継ぐ形になっているのは見逃せません。ワインガルトナー、スタインバーグ、そしてサヴァリッシュたちの演奏で細部のほんの僅かなテンポ変動が大きな印象の変化として感じられるのもひとえに基本テンポが遅すぎないからで、クレツキやマークだとより大幅にテンポを変えないと基本テンポの遅さの印象を覆せないのです。マークが細部の表情にこだわるわりに効果的に感じられない最も大きな要因はまちがいなく基本テンポの設定にあると思います。もう少しでも速ければそれら細部のテンポの揺れが遅すぎる基本テンポに吸収されず、全体の印象を左右しえたはずだと思うのです。
 ではクレツキとマークの違いはといえば第3楽章と第4楽章のバランスです。マークは先行するミトロプーロスや後のバーンスタインやアバドやカラヤンのように第3楽章に多く時間を割いていますが、クレツキはスタインバーグや後のドホナーニ、マズアの新録音のようにほぼ同じ時間で演奏しているのです(ちなみにワインガルトナーのようにフィナーレの方がタイムが長くなっているのがクレンペラーやマズアの旧録音で、サヴァリッシュも僅かながらもフィナーレにより時間が割かれています。またマークは2回目の録音では両楽章のタイムが同じ、3回目ではフィナーレの方が長くなっています)また第1楽章の序奏を主部に比べ速めのテンポにしているのもワインガルトナーやスタインバーグと同様で、マークの初録音はその点でもバーンスタインやアバド、カラヤンと同じです。ただ基本テンポが比較的速めのアバドはともかく、マークのテンポになるとバーンスタインやカラヤンより振れ幅を抑えているのが仇になって、それらのテンポ設計が生むはずのコントラストが控えめになってしまい、全体としてなにを目指しているのかが見えづらい演奏に感じられてしまうのが残念です。後の録音で第3楽章のテンポが一貫して速められていくのも、あるいはそんなテンポ設計が機能しなかったと本人も感じていた表れかもしれません。

 奇しくも当時、クレツキとマークはメンデルスゾーンの交響曲をこの「スコットランド」しか録音していなかった一方で「真夏の夜の夢」の歌唱入り8曲の抜粋版を収録していますが、演奏のコンセプトは対照的です。マークは「スコットランド」と同様にやや遅めのテンポで丁寧に表情をつけていて、彼のテンポ設定がどちらの曲も同じ感覚というか生理的なものに基づいてなされているのではと感じさせる面があるのですが、クレツキはがらりと異なる速いテンポで演奏していて最小限に抑えられたテンポ変動が最大の効果に繋がっています。明らかに彼はこの2つの作品で対応を変えているのですが、この「真夏の夜の夢」は僕にとってワインガルトナーの「スコットランド」と同様これ以上を容易に求めがたい突出した存在で今もあり続けているのです。
 クレツキのこの2つの盤を、僕はCD登場の直前に中古の初期LPでほぼ同時に買ったのでしたが、その違いはクレツキという指揮者が単に作曲家ごとのスタイルの違いに留まらず作曲された時期や曲ごとの性格に応じてコンセプトを大きく変える人であることを強く印象づけたのでした。彼は明らかに2つの曲を異なるものとみなし、それを演奏に反映させようとしている。では彼はこの2曲にどのような違いを見たのだろうか。そしてその違いが片方では類まれな成功に結びついたにもかかわらず、もう一方がそこまで成功しなかったのはなぜなのか。そう感じた遠い日に、僕は当時、若くして完成された天才型の作曲家と評されることがほとんどだったメンデルスゾーンにも、早世ゆえに完成には至れなかった発展段階があったのではないのかと肌で感じさせられたのでした。クレツキが見ていたのはそういうもので、でもそれが成功に繋がらなかったのはそれがいかなるものになるはずだったのかを彼が読み違えたからではないだろうか。そう思ったことでメンデルスゾーンの死はロマン派の発展史における一つの可能性の喪失だったのではとの考えが生じ、それがその後この作曲家に対する尽きぬ興味の源泉となったのです。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1962730226


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古典の磁場の中で:その19 新たな世紀の交代劇
https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072
 それではいよいよ今世紀に入ってからの3つの演奏について、見比べていこうと思います。

デプリースト/Oアンサンブル金沢(2003年)
12:39/04:25/09:09/10:04
計36:17 序奏3:08(24.8%)
(34.9%・12.2%・25.2%・27.7%)

内藤彰/東京ニューシティO(2007年)
15:05/04:17/08:39/08:58
計36:59(反復あり)
(40.8%・11.6%・23.4%・24.2%)
12:06/04:17/08:39/08:58
計34:00(反復除外)序奏3:02(25.1%)
(35.6%・12.6%・25.4%・26.4%)

シャイー/ゲヴァントハウスO(2009年)
14:35/04:11/08:34/09:02
計36:22(反復あり)
(40.1%・11.5%・23.6%・24.8%)
11:53/04:11/08:34/09:02
計33:40(反復除外)序奏2:54(24.4%)
(35.3%・12.4%・25.5%・26.8%)

 なおシャイーの新盤は旧盤の項目で述べたように決定稿の前の版を使っているため厳密な比較には向きませんが、実際に聴くと楽章やブロック同士の比率に大きな影響を及ぼすものでなさそうなので、演奏の傾向をみる分にはいけるのではと思います。
 これらを見比べてまず思うのは、21世紀初頭のこれら3つが数値上ではまるでSP時代のような値を示しているということ。1929年のワインガルトナー以降70年代までは一貫してより重厚長大な方向へと変わっていた演奏スタイルが、80年代以降古楽派の運動の影響がメンデルスゾーンの演奏様式にまで及んだことで変わり始めいちどは重さや粘りに大きく傾いたスタイルを一新したことを、20世紀最後の3つの録音中アシュケナージや堤の演奏スタイルの傾向をさらに押し進めた形で示しているのが巨視的な特徴といえるでしょう。
 ではこれらはワインガルトナーやミトロプーロスの演奏の再来かといえばそれは全く違いますし、むしろどんな背景に基づいて登場したのかを見てゆくことで2000年代特有の状況も見えてくるとも思うので、以下にこれらがSP時代の2つと異なる点を列挙してみます。

*解釈の幅がかつてより大幅に狭い。
*演奏精度に対する要求水準が高い。

 解釈の幅が狭まった最大の要因は、手書きの草稿や楽譜などの一次資料に対する科学技術による分析さえも取り入れた音楽学の発達にあると考えるべきでしょう。条件を満たせば紙やインクの年代特定さえ可能というのはSP時代には想像さえできなかったことであり、それらの事実を緻密に積み上げることで主張される演奏様式のあり方は恣意的な反論を許さないとみなされた結果、それを無視した解釈は成立不能とされました。ベートーヴェンの解釈で20世紀最後の10年に起きたことがメンデルスゾーンに波及したのがこの時期だったのです。今回の3つの演奏にもそのことは様々な形で現れていて、デプリースト盤における小編成の採用はこの時期以降それが標準化されてゆきますし、内藤盤でのビブラートの排除も弦の材質と奏法への影響の考察をその根拠としています。シャイーが新盤で古い稿を採用しているのも以前は後の時代の音楽との繋がりを遡る形でメンデルスゾーンに接していたこの指揮者が、より古い音楽との関連から捉え直そうとする姿勢に転じたことと連動しているのは前に述べたとおりです。
 それは古い曲を今の時代に合わせて仕立て直すことや演奏家のパフォーマーとしての個性の発露こそ最も重要とされた80年前の考え方とは正反対でさえありました。ワインガルトナーとミトロプーロスの解釈の違いはここまで見てきたどんな時代にも例がないほどかけ離れたものであり、前提となる考え方が違うだけでここまで結果が変わるのかとただただ嘆じるばかりです。
 演奏精度の問題は楽器の変遷と密接な関連があります。金属弦が登場しガット弦に置き換わる前の20世紀初頭、力が加わると伸びて音程が狂いやすいガット弦は各セクションの音程を揃えるのにも苦労を強いるものであり、なるべく軽い弓圧で粘らせずに歌わないと独奏はともかく合奏では各人の音程がばらけて響きの濁りを避けられませんでした。この時代に多くみられたポルタメントと呼ばれる音程を連続的にずり上げたりずり下げたりさせる奏法が金属弦の普及と期を一にして姿を消していく一方、安定性の高い金属弦の登場はそれまでソリストしか許されなかった強いビブラートをかけつつ旋律線を粘らせる歌い回しの奏法を合奏で可能にしたのでした。1929年収録のワインガルトナーとその12年後のミトロプーロスで聴き比べる「スコットランド」の第3楽章にはそれらの違いが端的に出ていますし、ストコフスキーの一連の電気録音がそんな変化の最も早い実例だろうとも。

https://open.mixi.jp/user/7656020/diary/1968840072
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/685.html#c2

[近代史4] ワインガルトナー(1863年6月2日 - 1942年5月7日) 中川隆
3. 2022年1月23日 10:42:38 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[4]
メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/685.html#c3
[リバイバル3] 今 大人気の WE101D _ 出力0.6Wのシングル・アンプで鳴らせるスピーカーは? 中川隆
17. 2022年1月23日 10:50:31 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[5]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
自宅システムの変遷
2022年01月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b110831b8112f9ea28c0474d412d395c


現在68歳ですが、50歳の頃は26歳から使い続けていたJBL#4343スピーカーを使っていました。アンプもマッキントッシュC29+MC2500を使っていました。

シンメトリーなユニット配置の#4343が終のスピーカーになる筈でした。

#4343の重低音も魅力ですが、能率の高いD130の軽く弾む低音も魅力的です。スピーカーも変わってしまいました。

サンスイSP-707J+αシステムにした頃のシステムです。ステレオ誌に紹介された頃のアンプ群です。チリチリした産毛の様なサウンドを出していました。耽美な世界でした。

その後、WE101Dppパワーアンプに拘り、複数のWE101Dパワーアンプを入手して、聴き比べをしていました。15年前のお話です。

プリアンプもアキュフェーズC-290の2台目を購入して、自宅システムで使えないか?試して見ましたが、表現する世界が当方の好みに合いませんでした。

現在のアンプ群は昨年12月のモノです。まだまだ変化する可能性を持っています。まだ「完成」とは思っていません。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b110831b8112f9ea28c0474d412d395c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/445.html#c17

[近代史7] テレビドラマ 豊川悦司・常盤貴子 愛していると言ってくれ (TBS 1995) 中川隆
2. 2022年1月23日 11:14:17 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[6]
Vol.4 1995年7月28日 キッス
Aishiteiru to Ittekure Episode 4 English subbed
https://www.youtube.com/watch?v=OPeoJlW9DQs

Vol.5 1995年8月4日 会えない 生野慈朗
Aishiteiru to Ittekure Episode 5 English subbed
https://www.youtube.com/watch?v=AMuiEAcLmig
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/855.html#c2

[近代史4] 神田沙也加さん妊娠していた!?悲しい真相。 中川隆
5. 2022年1月23日 11:42:52 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[7]
【ゆっくりニュース】前山剛久の現在、活動休止を発表!引退や解雇・逮捕の可能性は?【ゆっくり解説】
2022/01/22


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1740.html#c5
[近代史6] 太陽系はどのように誕生し、どうしてこの順番になったのか? 中川隆
1. 2022年1月23日 12:14:58 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[8]
そもそも太陽や惑星はどうやって生まれたのか?【ゆっくり解説】
2022/01/22



太陽や私たちの地球は、一体いつどうやって生まれたのでしょうか?
今から46億年前、地球は〇〇と〇〇でした…。

とても小さな小さな存在が、膨大な時間をかけて巨大な恒星や惑星になるにはどんな力や条件が必要なのでしょうか?

太陽誕生から太陽系の惑星が生まれるまで。
そこには一体どんなドラマがあったのか?

奇跡の太陽系誕生秘話を見ていきましょう!!

http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/946.html#c1
[近代史3] 秋篠宮文仁  僕の父親は一体誰なんでしょう? 皆さんも一緒に探してください 中川隆
109. 2022年1月23日 12:16:53 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[9]
【ゆっくり解説】小室圭と眞子の結婚を止められないのは、秋篠宮が学生時代に遊んでいたから…チャラの宮と呼ばれた過去…【ゆっくりニュース】
2022/01/21


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/109.html#c109
[近代史3] プチエンジェル事件の顧客と噂されている秋篠宮・高円宮はロリコンなのか? 中川隆
110. 中川隆[-14092] koaQ7Jey 2022年1月23日 12:17:57 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[10]
【ゆっくり解説】小室圭と眞子の結婚を止められないのは、秋篠宮が学生時代に遊んでいたから…チャラの宮と呼ばれた過去…【ゆっくりニュース】
2022/01/21


http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/362.html#c110
[近代史4] 日本銀行当座預金 中川隆
11. 中川隆[-14091] koaQ7Jey 2022年1月23日 12:54:08 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[11]
022年1月4日
日本銀行
当座預金取引の相手方一覧(2021年12月末・金融機関等コード順)

<銀行 123>
みずほ銀行 北國銀行 あおぞら銀行
三菱UFJ銀行 福井銀行 SBJ銀行
三井住友銀行 静岡銀行 北洋銀行
りそな銀行 スルガ銀行 きらやか銀行
埼玉りそな銀行 清水銀行 北日本銀行
PayPay銀行 大垣共立銀行 仙台銀行
セブン銀行 十六銀行 福島銀行
ソニー銀行 三十三銀行 大東銀行
楽天銀行 百五銀行 東和銀行
住信SBIネット銀行 滋賀銀行 栃木銀行
auじぶん銀行 京都銀行 京葉銀行
イオン銀行 関西みらい銀行 東日本銀行
大和ネクスト銀行 池田泉州銀行 東京スター銀行
ローソン銀行 南都銀行 神奈川銀行
みんなの銀行 紀陽銀行 大光銀行
UI銀行 但馬銀行 長野銀行
北海道銀行 鳥取銀行 富山第一銀行
青森銀行 山陰合同銀行 福邦銀行
みちのく銀行 中国銀行 静岡中央銀行
秋田銀行 広島銀行 愛知銀行
北都銀行 山口銀行 名古屋銀行
荘内銀行 阿波銀行 中京銀行
山形銀行 百十四銀行 みなと銀行
岩手銀行 伊予銀行 島根銀行
東北銀行 四国銀行 トマト銀行
七十七銀行 福岡銀行 もみじ銀行
東邦銀行 筑邦銀行 西京銀行
群馬銀行 佐賀銀行 徳島大正銀行
足利銀行 十八親和銀行 香川銀行
常陽銀行 肥後銀行 愛媛銀行
筑波銀行 大分銀行 高知銀行
武蔵野銀行 宮崎銀行 福岡中央銀行
千葉銀行 鹿児島銀行 佐賀共栄銀行
千葉興業銀行 琉球銀行 長崎銀行
きらぼし銀行 沖縄銀行 熊本銀行
横浜銀行 西日本シティ銀行 豊和銀行
第四北越銀行 北九州銀行 宮崎太陽銀行
山梨中央銀行 オリックス銀行 南日本銀行
八十二銀行 GMOあおぞらネット銀行 沖縄海邦銀行
北陸銀行 日本カストディ銀行 整理回収機構
富山銀行 新生銀行 ゆうちょ銀行


<信託銀行 11>
三菱UFJ信託銀行 日本マスタートラスト信託銀行 農中信託銀行
みずほ信託銀行 ステート・ストリート信託銀行 新生信託銀行
三井住友信託銀行 SMBC信託銀行 日証金信託銀行
ニューヨークメロン信託銀行 野村信託銀行

<外国銀行 50>
シティバンク、エヌ・エイ ビー・エヌ・ピー・パリバ銀行 ステート・ストリート銀行
JPモルガン・チェース銀行 オーバーシー・チャイニーズ銀行 中小企業銀行
バンク・オブ・アメリカ・エヌ・エイ ソシエテ ジェネラル銀行 韓国産業銀行
香港上海銀行 ユバフーアラブ・フランス連合銀行 彰化商業銀行
スタンダードチャータード銀行 DBS銀行 ウェルズ・ファーゴ銀行
バークレイズ銀行 パキスタン・ナショナル銀行 第一商業銀行
クレディ・アグリコル銀行 クレディ・スイス銀行 台湾銀行
ハナ銀行 コメルツ銀行 交通銀行
インド銀行(バンク・オブ・インディア) ウニクレディト銀行 メトロポリタン銀行
兆豐國際商業銀行 インド ステイト銀行 フィリピン・ナショナル・バンク
バンコック・バンク カナダ・ロイヤル銀行 中国工商銀行
ピーティ・バンクネガラインドネシア(ペルセロ)・ティービーケー ウリィ銀行 中國信託商業銀行
ドイツ銀行 アイエヌジー バンク エヌ ヴイ インテーザ・サンパオロ・エッセ・ピー・ア
ブラジル銀行 ナショナル・オーストラリア・バンク・リミテッド(銀行) 國民銀行
ユナイテッド・オーバーシーズ銀行 オーストラリア・ニュージーランド銀行 中国建設銀行
UBS銀行(ユービーエス・エイ・ジー) オーストラリア・コモンウェルス銀行 中国農業銀行
ニューヨークメロン銀行 中国銀行(バンク オブ チャイナ)


<信用金庫 247>
北海道信用金庫 東京東信用金庫 紀北信用金庫
室蘭信用金庫 東榮信用金庫 滋賀中央信用金庫
空知信用金庫 亀有信用金庫 長浜信用金庫
苫小牧信用金庫 小松川信用金庫 湖東信用金庫
北門信用金庫 足立成和信用金庫 京都信用金庫
伊達信用金庫 東京三協信用金庫 京都中央信用金庫
北空知信用金庫 西京信用金庫 京都北都信用金庫
日高信用金庫 西武信用金庫 大阪信用金庫
渡島信用金庫 城南信用金庫 大阪厚生信用金庫
道南うみ街信用金庫 昭和信用金庫 大阪シティ信用金庫
旭川信用金庫 目黒信用金庫 大阪商工信用金庫
稚内信用金庫 世田谷信用金庫 永和信用金庫
留萌信用金庫 東京信用金庫 北おおさか信用金庫
北星信用金庫 城北信用金庫 枚方信用金庫
帯広信用金庫 瀧野川信用金庫 奈良信用金庫
釧路信用金庫 巣鴨信用金庫 大和信用金庫
大地みらい信用金庫 青梅信用金庫 奈良中央信用金庫
北見信用金庫 多摩信用金庫 新宮信用金庫
網走信用金庫 新潟信用金庫 きのくに信用金庫
遠軽信用金庫 長岡信用金庫 神戸信用金庫
東奥信用金庫 三条信用金庫 姫路信用金庫
青い森信用金庫 新発田信用金庫 播州信用金庫
秋田信用金庫 柏崎信用金庫 兵庫信用金庫
羽後信用金庫 上越信用金庫 尼崎信用金庫
山形信用金庫 新井信用金庫 日新信用金庫
米沢信用金庫 村上信用金庫 淡路信用金庫
鶴岡信用金庫 加茂信用金庫 但馬信用金庫
新庄信用金庫 甲府信用金庫 西兵庫信用金庫
盛岡信用金庫 山梨信用金庫 中兵庫信用金庫
宮古信用金庫 長野信用金庫 但陽信用金庫
一関信用金庫 松本信用金庫 鳥取信用金庫
北上信用金庫 上田信用金庫 米子信用金庫
花巻信用金庫 諏訪信用金庫 倉吉信用金庫
水沢信用金庫 飯田信用金庫 しまね信用金庫
杜の都信用金庫 アルプス中央信用金庫 日本海信用金庫
宮城第一信用金庫 富山信用金庫 島根中央信用金庫
石巻信用金庫 高岡信用金庫 おかやま信用金庫
仙南信用金庫 にいかわ信用金庫 水島信用金庫
会津信用金庫 氷見伏木信用金庫 津山信用金庫
郡山信用金庫 砺波信用金庫 玉島信用金庫
白河信用金庫 石動信用金庫 備北信用金庫
須賀川信用金庫 金沢信用金庫 吉備信用金庫
ひまわり信用金庫 のと共栄信用金庫 備前日生信用金庫
あぶくま信用金庫 はくさん信用金庫 広島信用金庫
二本松信用金庫 興能信用金庫 呉信用金庫
福島信用金庫 福井信用金庫 しまなみ信用金庫
高崎信用金庫 敦賀信用金庫 広島みどり信用金庫
桐生信用金庫 小浜信用金庫 萩山口信用金庫
アイオー信用金庫 越前信用金庫 西中国信用金庫
利根郡信用金庫 しずおか焼津信用金庫 東山口信用金庫
館林信用金庫 静清信用金庫 徳島信用金庫
北群馬信用金庫 浜松磐田信用金庫 阿南信用金庫
しののめ信用金庫 沼津信用金庫 高松信用金庫
足利小山信用金庫 三島信用金庫 観音寺信用金庫
栃木信用金庫 富士宮信用金庫 愛媛信用金庫
鹿沼相互信用金庫 島田掛川信用金庫 宇和島信用金庫
佐野信用金庫 富士信用金庫 東予信用金庫
大田原信用金庫 遠州信用金庫 川之江信用金庫
烏山信用金庫 岐阜信用金庫 幡多信用金庫
水戸信用金庫 大垣西濃信用金庫 高知信用金庫
結城信用金庫 高山信用金庫 福岡信用金庫
埼玉縣信用金庫 東濃信用金庫 福岡ひびき信用金庫
川口信用金庫 関信用金庫 大牟田柳川信用金庫
青木信用金庫 八幡信用金庫 筑後信用金庫
飯能信用金庫 愛知信用金庫 飯塚信用金庫
千葉信用金庫 豊橋信用金庫 大川信用金庫
銚子信用金庫 岡崎信用金庫 遠賀信用金庫
東京ベイ信用金庫 いちい信用金庫 唐津信用金庫
館山信用金庫 瀬戸信用金庫 佐賀信用金庫
佐原信用金庫 半田信用金庫 九州ひぜん信用金庫
横浜信用金庫 知多信用金庫 たちばな信用金庫
かながわ信用金庫 豊川信用金庫 熊本信用金庫
湘南信用金庫 豊田信用金庫 熊本第一信用金庫
川崎信用金庫 碧海信用金庫 熊本中央信用金庫
平塚信用金庫 西尾信用金庫 大分信用金庫
さがみ信用金庫 蒲郡信用金庫 大分みらい信用金庫
中栄信用金庫 尾西信用金庫 宮崎第一信用金庫
中南信用金庫 中日信用金庫 高鍋信用金庫
朝日信用金庫 東春信用金庫 鹿児島信用金庫
興産信用金庫 津信用金庫 鹿児島相互信用金庫
さわやか信用金庫 北伊勢上野信用金庫 奄美大島信用金庫
東京シティ信用金庫 桑名三重信用金庫 コザ信用金庫
芝信用金庫


<協同組織金融機関の中央機関 4>
信金中央金庫 労働金庫連合会 農林中央金庫
全国信用協同組合連合会


<金融商品取引業者(外国法人である金融商品取引業者を除く) 33>
ナティクシス日本証券 UBS証券 水戸証券
ドイツ証券 BofA証券 東海東京証券
ソシエテ・ジェネラル証券 野村證券 むさし証券
BNPパリバ証券 SMBC日興証券 いちよし証券
バークレイズ証券 大和証券 極東証券
JPモルガン証券 みずほ証券 立花証券
ゴールドマン・サックス証券 岡三証券 光世証券
SBI証券 岩井コスモ証券 ちばぎん証券
日本相互証券 三菱UFJモルガン・スタンレー証券 シティグループ証券
しんきん証券 丸三証券 クレディ・スイス証券
セントラル東短証券 東洋証券 モルガン・スタンレーMUFG証券

<外国法人である金融商品取引業者 3>
クレディ・アグリコル証券 ナットウエスト・マーケッツ証券 HSBC証券


<証券金融会社 1>
日本証券金融


<短資会社 3>
東京短資 セントラル短資 上田八木短資


<資金清算機関 1>
全国銀行資金決済ネットワーク


<金融商品取引清算機関(金融商品債務引受業を行う金融商品取引所を含む) 3>
東京金融取引所 日本証券クリアリング機構 ほふりクリアリング


<銀行協会 33>
横浜銀行協会 山梨県銀行協会 香川県銀行協会
釧路銀行協会 長野県銀行協会 愛媛県銀行協会
札幌銀行協会 静岡県銀行協会 高知県銀行協会
函館銀行協会 名古屋銀行協会 北九州銀行協会
青森県銀行協会 京都銀行協会 福岡銀行協会
秋田県銀行協会 大阪銀行協会 大分県銀行協会
宮城県銀行協会 神戸銀行協会 長崎銀行協会
福島県銀行協会 岡山県銀行協会 熊本県銀行協会
群馬県銀行協会 広島県銀行協会 鹿児島県銀行協会
新潟県銀行協会 島根県銀行協会 沖縄県銀行協会
石川県銀行協会 山口県銀行協会 全国銀行協会


<その他 6>
CLS BANK International 日本政策投資銀行 国際協力銀行
商工組合中央金庫 日本政策金融公庫 預金保険機構

<合計 518>

https://www.boj.or.jp/paym/torihiki/ichiran.pdf
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c11

[近代史4] 日本銀行当座預金 中川隆
12. 2022年1月23日 12:58:32 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[12]
日本銀行の当座預金取引または貸出取引の相手方に関する選定基準
公表1998年6月26日全面改正2019年3月31日改正2021年9月30日
日本銀行
https://www.boj.or.jp/paym/torihiki/touyo01.htm/


第1章 基本的事項

日本銀行の当座預金取引の相手方は、日本銀行に対して当座預金取引を開始したい旨を申出た者(以下「申出者」という。)のうち、次の条件を全て満たすものとする。

(1)申出者との当座預金取引開始が日本銀行法(平成9年法律第89号。以下「法」という。)第1条に定める日本銀行の目的の達成に資すること。

(2)申出者の業務および経営の内容ならびに事務処理体制に問題がないこと。

(3)申出者が金融機関等(法第37条に定める金融機関等をいう。以下同じ。)である場合には、法第44条に定める考査に関する契約の締結に応じること。ただし、申出者が金融機関等でない場合であっても、日本銀行が法第44条に定める考査に関する契約に準ずる内容の調査に関する契約を締結することが適当と認めるときは、これの締結に応じること。

(4)申出者が持株会社等(銀行持株会社、金融商品取引法(昭和23年法律第25号)第56条の2に定める金融商品取引業者等を子会社とする持株会社および前二者と同様の経営管理機能を有するその他の親会社のうち、本邦に所在し、考査に関する契約の締結先でない者をいう。)を有する場合には、次の条件を全て満たすこと。
イ.持株会社等が立入りを含む調査に関する契約を締結していないときは、これの締結に応じること。
ロ.申出者が「考査に関する契約書」(平成10年2月17日決定)第12条に定める守秘義務および持株会社等が申出者に対して負いうる守秘義務の一部解除に関する契約の締結に応じること。

(5)申出者が金融機関等であって、主要株主等(銀行法(昭和56年法律第59号)第2条第10項に定める銀行主要株主または金融商品取引法第29条の4第2項に定める主要株主のうち、本邦に所在し、申出者を連結子会社とするもの(考査に関する契約または調査に関する契約の締結先を除く。)またはその事業基盤の根幹部分を共有する等申出者の業務および財産に重大な影響を与える蓋然性があると認められるものをいう。以下同じ。)を有する場合には、申出者および主要株主等が、次の内容を骨子とする合意書の締結に応じること。
イ.日本銀行が、申出者の業務および財産の状況の把握に必要な限りにおいて、主要株主等に対し、報告または資料の提供を求めることができること。
ロ.イ.に伴い、申出者、主要株主等および日本銀行との間で、必要となる守秘義務の一部解除を行うこと。

1.(1)を踏まえ、日本銀行の当座預金取引の相手方の範囲を、次の各号に掲げるものとし、具体的には、当面、銀行、長期信用銀行、外国銀行支店、信用金庫、信用金庫連合会、信用協同組合連合会、労働金庫連合会、金融商品取引業者(金融商品取引法第28条に定める第一種金融商品取引業のうち同条に定める有価証券関連業に該当する業務を行う者に限る。以下同じ。)、証券金融会社、短資会社、資金清算機関、金融商品取引清算機関(金融商品取引法第2条に定める金融商品債務引受業を行う金融商品取引所を含む。以下同じ。)および銀行協会(集中決済制度(参加者の他の参加者に対する債権および債務を集中して決済する制度をいう。以下同じ。)の運営主体であって法人格を有するものに限る。以下同じ。)の中から、当座預金取引の相手方を選定するものとする。
イ.資金決済の主要な担い手
ロ.証券決済の主要な担い手
ハ.短期金融市場取引の主要な仲介者


1.(1)および1.(2)のうちの「経営の内容」(以下「経営内容等」という。)については、第2章に定める基準により判断するものとする。 ただし、申出者の母国の為替管理制度その他の制約から、申出者と母国との間の支払決済に支障がある、または支障が生じるおそれがある場合その他特段の事情により申出者と当座預金取引を開始することが適当でないと日本銀行が判断する場合には当座預金取引を行わないものとする。

なお、申出者が、第2章1.から5.までに掲げる場合の何れにも該当しないときの取扱いについては、日本銀行が別に定めるものとする。
日本銀行の当座貸越取引、手形貸付取引または手形割引取引の相手方は、日本銀行の当座預金取引の相手方である金融機関等のうち、当座貸越取引、手形貸付取引または手形割引取引を開始したい旨申出た者で、日本銀行が当該申出に応じることが適当でないと認められる特段の事情がないものとする。ただし、商業手形割引の取扱い停止に伴い、新たな手形割引取引の相手方の選定は、停止するものとする。
日本銀行の相対型電子貸付取引(電子貸付(手形または証書を用いることなく日本銀行金融ネットワークシステムにより行う当座貸越以外の資金の貸付けをいう。)のうち、貸出支援基金の運営として行う成長基盤強化を支援するための貸付けおよび貸出増加を支援するための貸付けならびに公開市場操作として行う貸付け以外の貸付けにかかる取引をいう。以下同じ。)の相手方は、日本銀行の当座貸越取引および手形貸付取引の相手方である金融機関等のうち、相対型電子貸付取引を開始したい旨申出た者で、日本銀行が当該申出に応じることが適当でないと認められる特段の事情がないものとする。


第2章 経営内容等にかかる判断基準
申出者(申出者が外国銀行支店である場合には申出者を有する外国銀行をいう。以下第2章において同じ。)は、別に定める場合を除き、申出者が既に初回の決算を行っている場合には、直前の決算(中間決算を含む。)期末の計数が、新たに営業を開始しようとする場合または初回の決算を行っていない場合には、開業後3年間の各決算(年度決算に限る。)期末の見込み計数が、次の1.から5.までに掲げる場合に応じ、それぞれに定める基準を満たしていることを要するものとする。このとき、外国法人である金融商品取引業者(以下「外国金融商品取引業者」という。)においては、在日拠点全体の合算の計数が、3.に定める基準を満たしていることを要するものとする。

なお、申出者が、組織再編(合併、会社分割、事業の全部譲渡またはこれらの組合せをいう。)により既存の当座預金取引の相手方の事業の全部を承継する場合(当座預金取引の相手方が外国金融商品取引業者である場合には、申出者が、当該外国金融商品取引業者の在日拠点の事業の全部を承継する場合を含む。)であって、申出者との当座預金取引の開始が、既存の当座預金取引の相手方との当座預金取引の継続と同視しうると日本銀行が認めるときは、本章に定める基準にかかわらず、要件を満たすものとして取扱うものとする。


1.申出者が銀行、長期信用銀行、信用金庫、信用金庫連合会、信用協同組合連合会および労働金庫連合会である場合

(1)自己資本の充実
イ.申出者につき、法令により定められた自己資本に関する水準(連結および単体の自己資本比率、資本バッファー比率ならびにレバレッジ比率のうち、法令により適用を受ける規制にかかるものをいう。以下同じ。)を満たすこと。
ロ.申出者が銀行持株会社を有する場合には、イ.に加え、当該銀行持株会社につき、法令により定められた自己資本に関する水準を満たすこと。
ハ.申出者が外国連結親会社(申出者を連結子会社とする外国法人であって、その母国において「自己資本の測定と基準に関する国際的統一化」(1988年7月バーゼル銀行監督委員会。以下「バーゼルI」という。)、「自己資本の測定と基準に関する国際的統一化:改訂された枠組」(2004年6月バーゼル銀行監督委員会。以下「バーゼルII」という。)または「バーゼルIII:より強靭な銀行および銀行システムのための世界的な規制の枠組み」(2010年12月バーゼル銀行監督委員会。以下「バーゼルIII」という。)に基づき定められた規制の適用を受けるものをいう。以下同じ。)を有する場合には、イ.およびロ.に加え、当該外国連結親会社につき、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIに基づきその母国において定められた規制のうち、当該外国連結親会社が現に適用を受けるものにより算出された自己資本比率が、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIのうち、当該外国連結親会社が適用を受ける法令が基づくものにおいて定められた水準を満たすこと。また、当該外国連結親会社の母国の法令により資本バッファー規制またはレバレッジ比率規制が適用される場合には、適用される規制にかかる比率が、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.イ.からハ.までにおいて、資本バッファー比率が法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、イ.、ロ.またはハ.に定める資本バッファーの要件を満たすものとみなす。
ホ.イ.、ロ.またはハ.の要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により信用力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他信用力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。

(2)流動性に係る健全性
イ.申出者につき、流動性リスク管理が適切でないと認められる特段の事情がないこと。
ロ.申出者につき、法令により流動性に係る規制(流動性カバレッジ比率規制および安定調達比率規制をいう。以下同じ。)の適用を受ける場合には、当該規制に関して、法令により定められた水準を満たすこと。
ハ.申出者が銀行持株会社を有する場合において、当該銀行持株会社につき、法令により流動性に係る規制の適用を受けるときは、ロ.に加え、当該規制に関して、法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.申出者が外国連結親会社を有する場合において、当該外国連結親会社につき、その母国の法令により流動性に係る規制の適用を受けるときは、ロ.およびハ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ホ.ロ.からニ.までにおいて、法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、ロ.、ハ.またはニ.に定める要件を満たすものとみなす。

(3)総損失吸収力および資本再構築力に係る健全性
イ.申出者につき、法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受ける場合には、当該規制に関して、法令により定められた水準を満たすこと。
ロ.申出者が銀行持株会社を有する場合において、当該銀行持株会社につき、法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受けるときは、イ.に加え、当該規制に関して、法令により定められた水準を満たすこと。
ハ.申出者が外国連結親会社を有する場合において、当該外国連結親会社につき、その母国の法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受けるときは、イ.およびロ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.イ.からハ.までにおいて、法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、イ.、ロ.またはハ.に定める要件を満たすものとみなす。
ホ.イ.、ロ.またはハ.の要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により総損失吸収力および資本再構築力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他総損失吸収力および資本再構築力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。


2.申出者が外国銀行支店である場合

(1)自己資本の充実
イ.申出者につき、その母国においてバーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIに基づき定められた規制の適用を受ける場合には、当該申出者が現に適用を受けるものにより算出された自己資本比率が、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIのうち、当該申出者が適用を受ける法令が基づくものにおいて定められた水準を満たすこと。また、当該申出者の母国の法令により資本バッファー規制またはレバレッジ比率規制が適用される場合には、適用される規制にかかる比率が、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ロ.申出者につき、その母国においてイ.に定める規制が存在しない場合には、銀行法に準じて算出された当該申出者にかかる自己資本に関する水準が、銀行法により定められた水準を満たすこと。
ハ.申出者が外国連結親会社を有する場合には、イ.またはロ.に加え、当該外国連結親会社につき、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIに基づきその母国において定められた規制のうち、当該外国連結親会社が現に適用を受けるものにより算出された自己資本比率が、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIのうち、当該外国連結親会社が適用を受ける法令が基づくものにおいて定められた水準を満たすこと。また、当該外国連結親会社の母国の法令により資本バッファー規制またはレバレッジ比率規制が適用される場合には、適用される規制にかかる比率が、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.イ.からハ.までにおいて、資本バッファー比率が法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、イ.、ロ.またはハ.に定める資本バッファーの要件を満たすものとみなす。
ホ.イ.、ロ.またはハ.の要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により信用力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他信用力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。

(2)流動性に係る健全性
イ.申出者につき、流動性リスク管理が適切でないと認められる特段の事情がないこと。
ロ.申出者につき、その母国の法令により流動性に係る規制の適用を受ける場合には、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ハ.申出者が外国連結親会社を有する場合において、当該外国連結親会社につき、その母国の法令により流動性に係る規制の適用を受けるときは、ロ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.ロ.およびハ.において、法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、ロ.またはハ.に定める要件を満たすものとみなす。

(3)総損失吸収力および資本再構築力に係る健全性
イ.申出者につき、その母国の法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受ける場合には、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ロ.申出者が外国連結親会社を有する場合において、当該外国連結親会社につき、その母国の法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受けるときは、イ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ハ.イ.およびロ.において、法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、イ.またはロ.に定める要件を満たすものとみなす。
ニ.イ.またはロ.の要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により総損失吸収力および資本再構築力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他総損失吸収力および資本再構築力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。


3.申出者が金融商品取引業者である場合

(1)自己資本の充実

イ.申出者につき、金融商品取引法に基づき算出された自己資本規制比率が200%以上であって、かつ営業損益(申出者が既に初回の決算を行っている場合には、下半期の値とする。以下(1)において同じ。)の値が正であること。
ロ.申出者が特別金融商品取引業者である場合には、イ.に加え、「特別金融商品取引業者及びその子法人等の保有する資産等に照らし当該特別金融商品取引業者及びその子法人等の自己資本の充実の状況が適当であるかどうかを判断するための基準を定める件」(平成22年金融庁告示第128号)に基づき算出された連結自己資本規制比率が200%以上であって、かつ当該申出者およびその子会社等にかかる連結営業損益の値が正であること。
ハ.申出者が川上連結先(特別金融商品取引業者であって、その親会社が最終指定親会社であるものをいう。以下同じ。)である場合には、イ.およびロ.に加え、当該申出者の親会社につき、「最終指定親会社及びその子法人等の保有する資産等に照らし当該最終指定親会社及びその子法人等の自己資本の充実の状況が適当であるかどうかを判断するための基準を定める件」(平成22年金融庁告示第130号。以下「川上連結告示」という。)第2条および第3条に基づき算出された連結自己資本規制比率、資本バッファー比率ならびにレバレッジ比率が法令により定められた水準を満たし、かつ当該申出者の親会社およびその子会社等にかかる連結営業損益(以下「川上連結営業損益」という。)の値が正であること。
ニ.川上連結告示第4条に基づき算出された連結自己資本規制比率が200%以上である場合には、ハ.の要件のうち、川上連結告示第2条および第3条に基づき算出された連結自己資本規制比率が法令により定められた自己資本に関する水準を満たすものとみなす。
ホ.申出者が外国金融商品取引業者である場合において、当該申出者につき、その母国においてバーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIに基づき定められた規制の適用を受けるときは、イ.、ロ.およびハ.に加え、当該申出者が現に適用を受けるものにより算出された自己資本比率が、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIのうち、当該申出者が適用を受ける法令が基づくものにおいて定められた水準を満たすこと。また、当該申出者の母国の法令により資本バッファー規制またはレバレッジ比率規制が適用される場合には、適用される規制にかかる比率が、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ヘ.申出者が外国連結親会社を有する場合には、イ.、ロ.、ハ.およびホ.に加え、当該外国連結親会社につき、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIに基づきその母国において定められた規制のうち、当該外国連結親会社が現に適用を受けるものにより算出された自己資本比率が、バーゼルI、バーゼルIIまたはバーゼルIIIのうち、当該外国連結親会社が適用を受ける法令が基づくものにおいて定められた水準を満たすこと。また、当該外国連結親会社の母国の法令により資本バッファー規制またはレバレッジ比率規制が適用される場合には、適用される規制にかかる比率が、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ト.ハ.、ホ.およびへ.において、資本バッファー比率が法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、ハ.、ホ.またはヘ.に定める資本バッファーの要件を満たすものとみなす。
チ.イ.またはロ.に関し、申出者が既に初回の決算を行っている場合において、直前の決算期末における自己資本規制比率が140%以上200%未満の場合であっても、申出者が川上連結先またはグローバルなシステム上重要な銀行(法令(外国連結親会社にあっては、その母国の法令)により資本バッファー規制の適用を受ける先に限る。)の連結子会社であって、自己資本規制比率が200%以上に着実に改善すると認められるときは、当該直前の決算期末における自己資本規制比率が200%以上であるとみなす。ただし、申出者が外国連結親会社を有する場合には、当該外国連結親会社が日本銀行に対し、自己資本規制比率を200%以上に着実に改善させる旨を約したときにのみ、この取扱いを行う(当該外国連結親会社の信用力に問題がある場合には要件を満たすものとして取扱わない。)。
リ.イ.またはロ.に関し、申出者が既に初回の決算を行っている場合において、直前の決算における営業損益の値が正でない場合であっても、申出者を支配している会社(申出者の議決権の過半数を実質的に所有している会社または議決権の所有割合が50%以下であっても、高い比率の議決権を有しており、かつ、申出者の意思決定機関を支配している会社をいう。以下「支配会社」という。)が日本銀行に対し、取引開始後営業損益の値が安定的に正となるまでの間、イ.またはロ.に定める自己資本規制比率を常に200%以上に維持する旨(以下「自己資本規制比率維持」という。)を約したときは、当該営業損益の値が正であるとみなす。ただし、当該支配会社の信用力に問題がある場合にはこの取扱いを行わない。
ヌ.イ.またはロ.に関し、申出者が既に初回の決算を行っている場合において、直前の決算期末における自己資本規制比率が150%以上200%未満の場合であっても、直前の月末における自己資本規制比率が200%以上であって、その支配会社が自己資本規制比率維持を約したときは、当該直前の決算期末における自己資本規制比率が200%以上であるとみなす。ただし、申出者がこの要件を充足している場合であっても、当該支配会社の信用力に問題があるときはこの取扱いを行わない。
ル.イ.からハ.までにおいて、申出者が新たに営業を開始しようとする場合または初回の決算を行っていない場合には、その支配会社が自己資本規制比率維持を約すること(当該支配会社の信用力に問題がある場合には要件を満たすものとして取扱わない。)。
ヲ.イ.からヘ.まで(ニ.を除く。)の要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により信用力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他信用力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。


(2)流動性に係る健全性

イ.申出者につき、流動性リスク管理が適切でないと認められる特段の事情がないこと。
ロ.申出者が川上連結先である場合には、その最終指定親会社につき、流動性に係る規制に関し、法令により定められた水準を満たすこと。
ハ.申出者が外国金融商品取引業者である場合において、当該申出者につき、その母国の法令により流動性に係る規制の適用を受けるときは、ロ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.申出者が外国連結親会社を有する場合において、当該外国連結親会社につき、その母国の法令により流動性に係る規制の適用を受けるときは、ロ.およびハ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ホ.ロ.からニ.までにおいて、法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、ロ.、ハ.またはニ.に定める要件を満たすものとみなす。


(3)総損失吸収力および資本再構築力に係る健全性

イ.申出者につき、法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受ける場合には、当該規制に関して、法令により定められた水準を満たすこと。
ロ.申出者が最終指定親会社を有する場合において、当該最終指定親会社につき、法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受けるときは、イ.に加え、当該規制に関して、法令により定められた水準を満たすこと。
ハ.申出者が外国金融商品取引業者である場合において、当該申出者につき、その母国の法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受けるときは、イ.およびロ.に加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ニ.申出者が外国連結親会社を有する場合において、当該外国連結親会社につき、その母国の法令により総損失吸収力および資本再構築力に関する規制の適用を受けるときは、イ.からハ.までに加え、当該規制に関して、母国の法令により定められた水準を満たすこと。
ホ.イ.からニ.までにおいて、法令により定められた水準を満たさない場合であっても、その水準を満たすよう着実に改善すると認められるときは、イ.、ロ.、ハ.またはニ.に定める要件を満たすものとみなす。
ヘ.イ.、ロ.、ハ.またはニ.の要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により総損失吸収力および資本再構築力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他総損失吸収力および資本再構築力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。


(4)市場における取引規模

イ.申出が営業開始日の1年3ヶ月後の日の属する月以降(当該月を含む。)に行われた場合
申出者が当座預金取引開始を日本銀行に対し申請した日の属する月(以下「申請月」という。)の前々月から起算した過去1年間の月平均公社債売買額(先物、オプション、現先取引および金銭を担保とする債券貸借取引によるものを含む。以下同じ。)が、既存の当座預金取引先である金融商品取引業者につき同じ方法により算出した公社債売買額の下位20社の平均値(億円未満四捨五入。以下「平均値」という。)を上回ること。ただし、申出者がこの要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるときは、要件を満たすものとして取扱わない。
ロ.申出が営業開始日の3ヶ月後の日の属する月以降(当該月を含む。)1年2ヶ月後の日の属する月以前に行われた場合
営業開始日の属する月の翌月から、申請月の前々月までの間の月平均公社債売買額、および申請月の前月から営業開始月の1年後に相当する月までの間の月平均公社債売買額の見込み計数の加重平均が、平均値を上回ること。ただし、申出者がこの要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるときまたは当該見込み計数が確実でないと認められるときは、要件を満たすものとして取扱わない。
ハ.申出者が新たに営業を開始しようとする場合または申出が営業開始日の2ヶ月後の日の属する月以前に行われた場合
営業開始日の属する月の翌月から1年間の月平均公社債売買額の見込み計数が、平均値を上回ること。ただし、申出者がこの要件を充足している場合であっても、当該見込み計数が確実でないと認められるときは、要件を満たすものとして取扱わない。

4.申出者が資金清算機関および金融商品取引清算機関である場合

(1)自己資本の充実
申出者がその業務を健全に遂行するに十分な水準の自己資本を有していると認められること。ただし、申出者がこの要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により信用力に問題が生じているとき、見込み計数が確実でないと認められるときその他信用力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。

(2)流動性に係る健全性
申出者につき、流動性リスク管理が適切でないと認められる特段の事情がないこと。

(3)集中決済制度の安定性および効率性
次の条件が全て満たされること。

イ.申出者の運営する集中決済制度の決済の全部または一部が日本銀行に開設する当座預金口座を介して行われること。
ロ.申出者の運営する集中決済制度の決済の全部または一部を、申出者が日本銀行に開設する当座預金口座を介して行うことが、金融機関の間で行われる資金決済の安定化および効率化に資すると日本銀行が認めること。


5.申出者が銀行協会である場合

(1)自己資本の充実
申出者につき、資産の総額から負債の総額を控除した金額が正であること。ただし、申出者がこの要件を充足している場合であっても、その水準が一時的なものであると認められるとき、直前の決算期末以降の状況変化により信用力に問題が生じているときその他信用力に問題があると認められる特段の事情があるときは、要件を満たすものとして取扱わない。

(2)流動性に係る健全性
申出者につき、流動性リスク管理が適切でないと認められる特段の事情がないこと。

(3)集中決済制度の安定性および効率性
次の条件が全て満たされること。

イ.申出者の運営する集中決済制度の参加者であって他の参加者に自己の債権および債務の決済を委託していないものの全てが、日本銀行と当座預金取引を行っていること。
ロ.申出者の運営する集中決済制度の決済を、申出者が日本銀行に開設する当座預金口座を介して行うことが、金融機関の間で行われる資金決済の安定化および効率化に資すると日本銀行が認めること。


https://www.boj.or.jp/paym/torihiki/touyo01.htm/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c12

[近代史4] 日本銀行当座預金 中川隆
13. 2022年1月23日 12:59:39 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[13]

質問
日本銀行には誰が預金口座を開設していますか?


回答
日本銀行に預金口座を開設している先は、主として金融機関等です。このほか、国、外国の中央銀行や国際機関などが預金口座を開設していますが、個人や一般企業からの預金は受け入れていません。

これは、日本銀行の預り金業務の主な目的が、わが国の中央銀行として、銀行その他の金融機関の間で行われる決済の円滑の確保を図ることにあるからです。

当座預金取引の相手方の範囲
日本銀行の当座預金取引の相手方は、日本銀行が選定します。その範囲は次のとおりです。

(1)資金決済の主要な担い手(銀行、信用金庫、外国銀行支店、協同組織金融機関の中央機関、資金清算機関、銀行協会など)
(2)証券決済の主要な担い手(金融商品取引業者<証券会社、外国証券会社>、証券金融会社、金融商品取引清算機関)
(3)短期金融市場取引の主要な仲介者(短資会社)
なお、現在、個別の信用協同組合、労働金庫、農業協同組合などは日本銀行の当座預金取引の相手方となっていません。ちなみに、これらの金融機関は会員のための組織という性格が強く、主要な資金決済手段である為替取引が、業法上、任意事業と位置付けられています。日本銀行は、現在、それぞれの中央機関と当座預金取引を行っています。

https://www.boj.or.jp/announcements/education/oshiete/kess/i08.htm/
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1604.html#c13

[近代史5] 金利が上昇すると特に成長株の株価が下がる 中川隆
1. 2022年1月23日 15:51:52 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[14]
持ち株が下がっている方必見!成長株投資の真髄を伝授します!
2022/01/07


http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1451.html#c1
[近代史4] フランツ・シャルク (1863 – 1931) 中川隆
1. 2022年1月23日 19:17:59 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[15]
クレデンザ1926×78rpmの邂逅 #80〜フランツ・シャルク/ウィーン・フィルハーモニー ベートーヴェン『交響曲第5番 ハ短調 作品67』(1929)
2021年6月23日
https://note.com/bach_kantaten/n/na9d331bb2054



5月29日の「note」に「今日はフランツ・シャルクの誕生日」と言いながらも、同じ日が命日であったピアニスト、エゴン・ペトリのべートーヴェン『ピアノ・ソナタ第14番≪月光≫の78rpmを紹介した。


何故、シャルクではなくペトリの方にしたかと言えば、前日が皆既月食であったから・・・。同じベートーヴェンでもシャルクの『運命』ではなく、ペトリの『月光』と相成ったわけである。

しかし、やはりシャルクの『運命』そして『田園』は、音盤史上初めて電気的録音された一連のウィーン・フィルの演奏という点、そしてウィーンのオペラ界にその足跡を確実に残しながらも、同時期の指揮者と比較して録音が少なかったり、師ブルックナーの交響曲を兄でピアニストのヨーゼフと共に「改竄」したという悪評だけが残ってしまった感のあるフランツ・シャルクの音楽性の高さを聴くことができる音盤である。


目次
シャルクの師 ブルックナー
G.マーラー〜F.ワインガルトナー〜F.シャルク〜C.クラウス
【ターンテーブル動画】
シャルクの師 ブルックナー
ブルックナーの件について話し始めると、長くなりそうだが掻い摘まんで・・・。
シャルク兄弟がブルックナーの楽譜に勝手に手を入れ、ブルックナーの音楽様式を歪めた、というが、それは現代の視点から見た知見であって、その視点だけで2人を悪者扱いすることは、バランスが大きく傾いた考え方であり、賢明、適正な判断ではない。
ブラームスと彼を表看板として音楽美学、評論を披瀝した学者兼評論のハンスリックが席巻していた当時の音楽首都ウィーン。
そんな町で彼らとは全く異なった音楽美学を信条として、活動していたのがブルックナーである。
彼の音楽家としての活動、それは単に作曲するだけでダメで、作品をコンサートに上げる、つまり演奏されることが絶対的に必要である、ということをシャルク兄弟が重んじたが故に、気弱で臆病なブルックナーに代わって「演奏されやすく」するために楽譜を書き換えた、という言い方でなければ真実として伝わらない。
ブルックー自身にとっても「自分の交響曲がとにかく演奏されること」という欲望を払拭することなどできなかったのだ。
誤解を恐れず言うならば、「音楽は再生芸術」という観点から、演奏されなければその音楽の意味、価値はない。ましてや、作曲者自らが自作を指揮できるほど、彼らの作品(オーケストレーション)は単純なものではなくりつつあった時代が到来、いわゆる「職業指揮者」の存在なくしては、「良く演奏されない」時代となったのだ。
ハンス・フォン・ビューロー、ハンス・リヒター、そしてアルトゥール・ニキシュ。彼らの手により取り上げられた作品は輝きは放つようになった。それはブラームスであっても同じことだ。
敢えて言うなら例外は2人だけ。グスタフ・マーラーとリヒャルト・シュトラウスのみだ。
そんなことは以前こんな文章で皆様とシェアしている。


さて、そういう意味ではフランツ・シャルク(Franz Schalk, 1863年5月27日 - 1931年9月3日)は、先に挙げた3人の指揮者の系統に連なるウィーンの歴史的指揮者だ。

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G.マーラー〜F.ワインガルトナー〜F.シャルク〜C.クラウス
1918年から29年まで、途中(19年〜24年)、R.シュトラウスとの双頭体制時代も含めウィーン国立歌劇場(途中まではウィーン宮廷歌劇場)総監督の地位にあったシャルク。
彼の先代はフェリックス・ワインガルトナーであり、さらにその前はマーラーがその任にあったのだ。
マーラーがこのオペラハウスで徹底的に行ったオペラ上演改革(改善)は、劇場関係者、オーケストラ、歌手たちにあまりに厳しかったこともあり、彼が総監督を辞任したのを受けその地位に就いたワインガルトナーは、マーラーの改革から逆行し、復古主義的体制、「事勿れ主義」に徹した。
ワインガルトナーの指揮を「エレガント」とか「古典的」などと言い、「ベートーヴェン交響曲全集を完成させた史上初の指揮者」などと持ち上げる人がいるが、個人的には無個性な音楽を作る人で、音楽的充実の観点からは、決して歴史に名を連ねる存在ではない、と思っている。
更にブルックナー・オタの立場で物申せば、ブルックナーの『交響曲第8番』を初演することを作曲者に約束したにもかかわらず、のらりくらりとした態度で、結果的にはそこから降りたワインガルトナーには、時代の変わり目、潮目で大きく変わろうとしている音楽の姿を認識する力がなかった、と断じていいように思うが、いかがだろうか?
まぁ、彼が断わったことで、ブルックナーの最大最高傑作はH.リヒターの手によりウィーン・フィルにより初演されたので、結果オーライと言えばそうなのだが・・・。

閑話休題。
その点ではシャルクはマーラーの時代へとまた舞い戻るかのように、歌手や若手のオーケストラ団員の育成に力を注ぎ、熱血指導したと言われているし、証言も多い。
その音楽性は同僚でもあった(反りが合わなかったという専らの話)シュトラウスの新古典主義的なものとは異なり、19世紀のロマン的解釈を色濃く残したものであるが、今聴いてもそれが古めかしいというイメージはあまりない。
むしろその面よりも品格の高さ、香りの豊かさに耳がくぎ付けになる。
その文脈で語るならば、シャルクが総監督を辞任して、代わりにそこに座った若き天才、この「note」でもおなじみのクレメンス・クラウスや、そのクラウスの影響をもろに受けたヘルベルト・フォン・カラヤンには、シャルクの遺産が確実にに受け継がれている。

【ターンテーブル動画】
さて、そんなフランツ・シャルクが1929年にウィーン・フィルと録音したベートーヴェンの『交響曲第5番 ハ短調 作品67』の78rpmをクレデンザ蓄音機で。
この音盤の話題が出る時、必ずと言っていいほど添えられるのが、最初の♪ダダダダーン♪の3連符が4連符に聴こえる、ということ。
実際、オーケストラのアインザッツが不揃いで4つの音に聴こえる。当時はそれを録音し直すなどという発想はなかったのであろう。
微妙なテンポの動きはあるものの、作為的でもうねりを伴ったものではなく、先ほども言ったように気品があり、美しい大理石の彫刻を眺めている時に感じるような風情がある。

なお、私が最初に手にしたこの78rpmは、英オリジナルHMV盤であったが、ある時高さ10センチ未満のところから、このセットの2枚目(第2楽章)に誤ってコップを落としてしまい、塩ビではなくシェラックから出来ていて、柔軟性など全くない78rpmは見事に真っ二つに割れた。
皆さんが想像するほどのお値段ではなく、至って常識的でむしろ「こんなんでいいんですか?」と尋ねたくなるような値段で購入した盤なので、経済的損失は思ったほどではなかったが、全曲通して聴くことは叶わなくなった。市場にもなかなか姿を見せないシロモノになっていた。
それからだいぶたって、オークションで日本ビクター盤でありながら、しかも2枚目と3枚目のみの「半端もの」状態でこのシャルクの『運命』を見つけ、難なく落札した。

名称未設定のデザイン (51)を拡大表示

もちろん厳密に言えば、イギリス盤と日本盤では音質が異なるが、鑑賞には十分耐えられるし、思ったほど日本盤」のコンディションも悪くなかった。
というわけで、今回は第2楽章のみ日本ビクター、あとの3枚はHMV盤でお届けする。




因みに1931年9月3日にシャルクは帰らぬ人となったが、最後の言葉は「私のウィーン・フィルハーモニーの人たちをよろしく」だったという。
https://note.com/bach_kantaten/n/na9d331bb2054

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/684.html#c1
[近代史4] 神田沙也加さん妊娠していた!?悲しい真相。 中川隆
6. 2022年1月23日 19:55:30 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[16]
【ゆっくりニュース】神田沙也加さん、前山剛久の馴れ初めから三角関係・活動休止までまとめました【ゆっくり解説】
2022/01/23


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1740.html#c6
[近代史4] なかにし礼の世界 中川隆
32. 2022年1月23日 20:23:44 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[17]
2022.01.23
業界騒然! 謎の歌手・森田童子の父親が「なかにし礼の兄だった」事実が意味すること
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91686


なかにし礼『血の歌』と『兄弟』をめぐって

作詩家なかにし礼とシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを明らかにしたことで、『血の歌』(毎日新聞出版)が話題を集めている。同時にこの作品は、短篇ではあるが、なかにしのヒット作『兄弟』(1998年、文藝春秋)と表裏をなす重い内実をたたえている。

『兄弟』は作詩家から小説家になったなかにしの初めての本格的長篇。特攻隊の生き残りで、事業の失敗や弟名義での借金でなかにしを破滅にまで追いこむ常軌を逸した兄(話題となったテレビドラマではビートたけしが演じた)となかにしの愛憎と葛藤を描いた小説で、「兄さん、死んでくれてありがとう」と主人公が独白する結末が当時、大きな反響を呼んだ。そのモデルである兄の娘(次女)が、何と森田童子だったのだ。

映画の中のなかにし礼と森田童子
音楽史において、大衆の心に響く歌謡曲の作詩家であるなかにしと、孤高のシンガーソングライターの森田は対極的な存在であるが、映画史においては、この叔父と姪は踵を接し、1978年にともにスクリーンデビューしている。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


この年に公開された大森一樹監督の『オレンジロード急行』で、森田童子のメジャーデビュー作『さよなら ぼくの ともだち』が初めて映画の挿入歌として使われ、同年に公開された『時には娼婦のように』(小沼勝監督)はなかにし礼の同名曲の大ヒットを当てこんで製作されたからだ。

『時には娼婦のように』は、《当時、(兄が作った─引用者註)借金に追われている時期で、好条件を提示されたこともあり、原案、脚本、音楽、さらには主演までこなした》(『わが人生に悔いなし─時代の証言者として』、河出書房新社)となかにしが語るロマンポルノであるが、なかにし礼のバイオグラフィにおいてはきわめて重要な作品である。

この映画に現れる心臓発作と性への耽溺、兄の借財を背負わされる弟、複数の女性との同棲、なかにしが第二の故郷と呼ぶ青森への郷愁といったなかにしの人生に欠くべからざる光景が、なかにしがのちに書く『翔べ!わが想いよ』('89年、東京新聞出版局、新潮文庫、文春文庫)から『夜の歌』(2016年、毎日新聞出版、講談社文庫)にいたる自伝小説のプロトタイプ(試作品)になっているからだ。


なぜこの原稿が書かれたのか
この作品を起点として、なかにしを「戦争と歌謡曲を交響楽(シンフォニー)のように、硝煙とエロスをカットバックで描いた作家」と評した、私の『夜の歌』講談社文庫版('20年)の解説を読んだなかにしは、私を西麻布「キャンティ」に招いてくれた。だが、交遊が始まってまもなく、2020年12月になかにしは突然他界した。死後に机の引き出しから発見された未発表原稿をなかにしの子息で音楽プロデューサーの中西康夫が刊行したのが、『血の歌』である。


『血の歌』は作家の死後に刊行された未発表原稿の常として、多くの謎につつまれている。

どうして作者がこの原稿を書いたか、が第一の謎である。後記で中西康夫が『血の歌』は1995年に執筆されたと推測しているように、『血の歌』は'96年に小説のモデルである兄(中西正一)が死去する1年前に、『兄弟』の習作として書かれたものと思われる。

『血の歌』は、兄が語り部に近い立場で書かれていることから、仮借なく兄を描いた『兄弟』よりも兄へのシンパシーが宿る。また、『血の歌』において戦時中に兄が操縦する戦闘機を失墜させる場面は、ほぼそのまま『兄弟』の完成稿に使われている。『血の歌』でなかにしは、兄の視点から娘(森田童子)を描き、同時に娘を小説の「狂言回し」に使えないかと模索していたと憶測できる。


では、なかにしはなぜ封印したのか
しかし、'95年の執筆当時、森田童子は音楽活動を停止中だったとはいえ、'93年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマの『高校教師』の主題歌として使われたことから再ブレイク中だった。なかにしや正一との関係が世間に知られれば、彼女のプライバシーや作品評価に差し障ると考え、なかにしは森田童子をモデルとする『血の歌』を封印したのだろう。

『兄弟』を担当した元文藝春秋の編集者・鈴木文彦は述懐する。

「『兄弟』執筆の前、お兄さんが亡くなられる以前に、かなり感情移入の激しい習作を読んだ覚えがおぼろ気にあります。当時、お兄さんをモチーフにしたいわゆる“兄モノ”の習作がいくつかあって、その一つが『血の歌』だったのではないでしょうか。森田童子については、兄の娘だとなかにしさんから直接うかがったことがあります。『血の歌』はモデル小説の引きの強さがありますが、森田童子が存命だった執筆時点では、彼女のプライバシーにも配慮していたので、発表には至らなかったのではないかと思います。結果として、お兄さんの死を待って長篇仕立てで『兄弟』に結実し、なかにしさんの代表作になっていきます」

『兄弟』という大作に濃密に関わった編集者ならではの見方と言えるだろう。

Photo by GettyImagesPhoto by GettyImages


父から見た娘、また娘から見た兄という視点が削られ、弟から見た兄という視点で小説を一貫させたことで、『兄弟』の構成は堅牢になり、作品は直木賞候補になるなど大きな評価を得た。『血の歌』は『兄弟』のいわば試作品であったのだ。

そのようにいったんボツにした草稿をなかにしはなぜ残していたのか、が第二の謎である。後記で中西康夫が書くように、なかにしはつねに原本(草稿)を廃棄していたという。彼が『血の歌』だけを残しておいたのは、将来何らか形での発表を意図していたと考えるのが自然だろう。

次に湧き上がる謎は、なかにし礼が森田童子の音楽的才能をどのように捉えていたかという点である。その謎を解き明かしてくれたのが、『血の歌』では「お貞さん」、『兄弟』では「藤原慶子」と呼ばれて作中に登場する辣腕音楽プロデューサーの松村慶子である。彼女は'64年に『知りたくないの』(菅原洋一)で作詩家・なかにし礼を、'74年に『さよならぼくのともだち』で森田童子を、ともにメジャーデビューさせた。

松村は「礼ちゃんは童子を『手に負えない才能だ』と高く評価していて、本当は応援したかった」と証言した。しかし、森田童子は「叔父の七光りで世に出たくない」と反発し、松村も「メジャー過ぎて、どこか体制的な匂いがする礼ちゃんの姪ということはマイナスで、童子を反体制、非体制で売りたい」と戦略を立て、「森田童子との関係をずっと隠し通すこと」をなかにしに提案、なかにしがその約束を死ぬまで守り続けてくれたことを感謝する。


小説『時には娼婦のように』を構想していた
森田童子の音楽が、なかにし兄弟が育った満州牡丹江の裕福な家庭にあった音楽的な環境に胚胎していることは疑いがないだろう。しかし、森田は叔父の後ろ盾なしで自らの音楽世界を築き、父親の戦争中の失墜と戦後の堕落に対して全共闘世代の挫折感を対置させ、先行世代への鎮魂歌を歌いつづけた。彼女は中西家の「虚無という血」を引き継いだ、と私には思える。

「『血の歌』が出たとき、さすが礼ちゃんと感心したわね。童子と自分が死んだあと、すべてを明らかにする。礼ちゃんらしい見事な自己演出だと思った」と語る松村は、なかにしが『血の歌』の原稿を意図的に家族の目に付きやすい場所に置き、自分の死後の出版を暗に望んでいたと考える。中西康夫もそれが父の遺志だと信じている。なかにしとの共同作業で数々のヒット曲を生み出した辣腕プロデューサーと、なかにしと最も身近に接してきた子息の見解には、確かに説得力がある。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


しかし私は、『血の歌』を読んで、一つの別な想像をめぐらせた。

私がなかにし礼と最後に会ったのは、なかにしが亡くなるちょうど2年前、'19年の12月だった。「キャンティ」で私と話すうちになかにしは、『時には娼婦のように』というタイトルで、'70年代の懶惰な日々を小説にしたいと思い立った。7人の女性が住み、彼女らの世話をする年配のマダムがいる一軒家。なかにしにはそこを訪ねて遊んだ日々があった。特権的な時間であったとは思うが、平和ボケの極みのような退廃と乱倫のなかに、なかにし独自の共生と気づかいの哲学を再発見しようとしたのかもしれない。なかにしはその時代を描きたいと切実な調子で言い始めたのだ。

その後、なかにしはその小説の構想を河出書房新社の担当編集者に持ちかけたと聞いたが、それが実現しないまま終命の時を迎えた。ここから先は私の憶測だが、なかにしはこの作品に、'74年の森田童子の歌手デビューを絡め、当時の音楽状況をふくめて回想しようと目論み、その時のために、いつか作品の形を与えようと思っていた草稿を机の引き出しに入れておいたのではあるまいか──。

こんなふうに『血の歌』は、さまざまな空想を喚起し、なかにし礼の死が創作活動を無残にも途絶させたことを、悲しみとともにあらためて思い起こさせる掌編なのである。

http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html#c32

[近代史4] なかにし礼の世界 中川隆
33. 2022年1月23日 20:26:34 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[18]
2022.01.01
「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91082


なかにし礼の未発表作品に書かれたこと

作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。

テレビドラマ『高校教師』のあの歌声

かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認知された。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


森田童子の存在をはじめて知ったのはいつのことだろう。70年代の終わりに、わたしより一回り以上も若い青年たちが「一度聞いて欲しい」と録音テープを届けにきた。聞いてみて、「いやにセンチメンタルな歌だなあ」とそのときは思った。


突然の電話
従来、わたしは音楽にほとんど関心を持たなかった。クラシックも、ジャズも、ロックも聞いたことがない。戦前・戦後の歌謡曲のいくつかと、森進一や八代亜紀の2、3の歌を好んだ。

1970年以降のフォークソングにも馴染めなかった。森田童子の歌も私的な生活を言葉にしたフォークとさほど違いはないものとわたしは思い込んだ。

ただ、若い友人たちのこだわりが尋常ではなかった。森田童子のコンサートにしばしば出かけていたようだ。「ぼくたちの歌」と捉えているふしがうかがえた。この場合の「ぼくたち」とは1960年代後半の「反乱の季節」における高校生世代を意味する。たぶん、森田童子の歌のなかに自らを重ね合わせていたのだろう。その心情を理解できなくはなかったが、「青春の甘酸っぱさ」は願い下げたかった。

そんなある日、森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだ。

わたしは1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春さんを担当した。その縁で、辞めてからもつげさんの取次役のようなことをやっていた。つげさんに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげさんから了解を得た。

森田童子がつげ義春の愛読者であることを知って、わたしは新たに格別の興味を抱いた。それでも、もっと歌を聞いてみたいとまではならなかった。

森田はなぜつげ義春に執着したか
ところがである。「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、わたしが営む小さな文具店のガラス戸を開けた。「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわててわたしも返した。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だ。

挨拶の言葉ひとつ交わすこともなかったが、感じのいい出会いだった。

同じころ、住まいに近い渋谷道玄坂裏の円山町のラブホテル街の電柱に「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」とかのステッカーを見かけた。『夜行』は、つげ義春の新作を掲載した本だ。どれほど彼女がつげ義春に執着しているかを想った。いや、つげ義春だけではない。下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いた実弟のつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せて、彼女は「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明した。

以後、森田童子との接点は途絶えたままになった。歌うことをやめ、東京を離れたと風のうわさが流れた。気になりだしてCDを購入し、ときどき聞いた。いくつもの歌詞から森田童子の立ち位置が想起され「ああそうだったのか」との思いに襲われた。つれ合いが森田童子の歌を聞きながら、台所でふと手を休め、「いい歌よね」と言う。そして「正しい歌だわ」と続けた。冗談じゃない、歌に正しいも正しくないもあるものか、と言い返そうとして、思いとどまった。

なかにし礼の『血の歌』が明かす森田童子の過去
森田童子より2歳年上のつれ合いは、森田童子の頑なな意思と、ときどきの危機意識を瞬時に受け止めたのかもしれなかったからだ。その「正しさ」とは「理念を持っている」ということではないだろうか。森田童子の歌は「闘い」の歌ではないかもしれないが、「抵抗」の意思を示す歌ではあるだろう。「正しさ」とは「抵抗」の謂いでもあるのだろうか。

「反乱の季節」を若者たちとともに闘おうとした作家・高橋和己の「孤立無援の思想」をモチーフとした歌もあった。つげ義春の「海辺の叙景」をイメージした作品もある。

いったい、森田童子とは何者なのか、と疑問を抱いた。しかし、わたしにはどのような情報も届かなかった。森田童子は謎に包まれたままの存在となった。それから20年が経ち、30年が経ち、予期しないときに訃報が飛び込んできた。わたしはつれ合いの遺影のある小さな部屋で、森田童子の歌を流した。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


そして、いまになって、なかにし礼の未発表小説『血の歌』(毎日新聞出版)によって、森田童子の過去が明らかにされた(作品のなかでは「美納子」「森谷王子」となっている)。森田童子は、なかにし礼の姪だったのだ。なかにし礼の代表作である『兄弟』のモデルだった、「特攻帰り」で、戦後、放埒に生きたという実兄の娘だったのである。そのあまりに衝撃的な人間関係に驚きを禁じ得ないが、しかし、それらはある意味、充分に納得のいく事柄であった。

荒廃した父親を通して「戦後」を感知し続けた
《堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた。墜落を恐れながら、みずからさらなる墜落を求める父。あるいは美納子は中西よりも、いや中西の背中越しに、戦争の興奮を見てしまったのかもしれない。そして、興奮から遅れてやってくる、傷と孤独。それは美納子にとって、時代の儚さであり、自分の命の悲哀であったのではないか》(『血の歌』より)

森田童子の歌から感受される途方もない「暗さ」は、たんに父親という存在の個性に求められるべきではないだろう。青春期に戦争を体験した、いわれるところの純粋戦中派にとって、敗戦後をどのように過ごしたかは、ひとりの個人の問題に還元されるべきことがらではない。つげ忠男がいくつものマンガで描き続けた「特攻帰りのサブ」の生き死には、B29撃墜の戦闘機パイロットであった父親像とみごとにオーバーラップする。いわば、敗戦後における父親の自堕落な姿は、下町で虚勢を張る与太者の「サブ」と寸分の違いもない。

つげ忠男は、工場街の裏町で目撃した実像の与太者を通して「戦後」を凝視した。森田童子は、父親の荒廃した実像を通して「戦後」を触知した。つげ忠男の一連の作品が戦後の「正しさ」を描き留めたように、森田童子も「戦後」のなかで自らの「正しさ」を追い求めた。

『血の歌』は、森田童子の秘密に触れると同時に、戦争体験を経た「戦後」という時間の秘密をも物語る。森田童子の歌が存在する限り、つげ忠男の作品が存在するかぎり、「戦後」は終わらないのである。


http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html#c33

[近代史4] なかにし礼の世界 中川隆
34. 2022年1月23日 20:27:44 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[19]
血の歌 Kindle版
なかにし 礼 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09NQVTK1R/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B09NQVTK1R&linkCode=as2&tag=asyuracom-22&linkId=fcb312468f0c633b2dc696aa2dce0968


痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1234.html#c34

[近代史3] 森田童子 ぼくたちの失敗 中川隆
115. 中川隆[-14090] koaQ7Jey 2022年1月23日 20:29:13 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[20]
2022.01.23
業界騒然! 謎の歌手・森田童子の父親が「なかにし礼の兄だった」事実が意味すること
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91686

なかにし礼『血の歌』と『兄弟』をめぐって

作詩家なかにし礼とシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを明らかにしたことで、『血の歌』(毎日新聞出版)が話題を集めている。同時にこの作品は、短篇ではあるが、なかにしのヒット作『兄弟』(1998年、文藝春秋)と表裏をなす重い内実をたたえている。

『兄弟』は作詩家から小説家になったなかにしの初めての本格的長篇。特攻隊の生き残りで、事業の失敗や弟名義での借金でなかにしを破滅にまで追いこむ常軌を逸した兄(話題となったテレビドラマではビートたけしが演じた)となかにしの愛憎と葛藤を描いた小説で、「兄さん、死んでくれてありがとう」と主人公が独白する結末が当時、大きな反響を呼んだ。そのモデルである兄の娘(次女)が、何と森田童子だったのだ。

映画の中のなかにし礼と森田童子
音楽史において、大衆の心に響く歌謡曲の作詩家であるなかにしと、孤高のシンガーソングライターの森田は対極的な存在であるが、映画史においては、この叔父と姪は踵を接し、1978年にともにスクリーンデビューしている。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


この年に公開された大森一樹監督の『オレンジロード急行』で、森田童子のメジャーデビュー作『さよなら ぼくの ともだち』が初めて映画の挿入歌として使われ、同年に公開された『時には娼婦のように』(小沼勝監督)はなかにし礼の同名曲の大ヒットを当てこんで製作されたからだ。

『時には娼婦のように』は、《当時、(兄が作った─引用者註)借金に追われている時期で、好条件を提示されたこともあり、原案、脚本、音楽、さらには主演までこなした》(『わが人生に悔いなし─時代の証言者として』、河出書房新社)となかにしが語るロマンポルノであるが、なかにし礼のバイオグラフィにおいてはきわめて重要な作品である。

この映画に現れる心臓発作と性への耽溺、兄の借財を背負わされる弟、複数の女性との同棲、なかにしが第二の故郷と呼ぶ青森への郷愁といったなかにしの人生に欠くべからざる光景が、なかにしがのちに書く『翔べ!わが想いよ』('89年、東京新聞出版局、新潮文庫、文春文庫)から『夜の歌』(2016年、毎日新聞出版、講談社文庫)にいたる自伝小説のプロトタイプ(試作品)になっているからだ。


なぜこの原稿が書かれたのか
この作品を起点として、なかにしを「戦争と歌謡曲を交響楽(シンフォニー)のように、硝煙とエロスをカットバックで描いた作家」と評した、私の『夜の歌』講談社文庫版('20年)の解説を読んだなかにしは、私を西麻布「キャンティ」に招いてくれた。だが、交遊が始まってまもなく、2020年12月になかにしは突然他界した。死後に机の引き出しから発見された未発表原稿をなかにしの子息で音楽プロデューサーの中西康夫が刊行したのが、『血の歌』である。


『血の歌』は作家の死後に刊行された未発表原稿の常として、多くの謎につつまれている。

どうして作者がこの原稿を書いたか、が第一の謎である。後記で中西康夫が『血の歌』は1995年に執筆されたと推測しているように、『血の歌』は'96年に小説のモデルである兄(中西正一)が死去する1年前に、『兄弟』の習作として書かれたものと思われる。

『血の歌』は、兄が語り部に近い立場で書かれていることから、仮借なく兄を描いた『兄弟』よりも兄へのシンパシーが宿る。また、『血の歌』において戦時中に兄が操縦する戦闘機を失墜させる場面は、ほぼそのまま『兄弟』の完成稿に使われている。『血の歌』でなかにしは、兄の視点から娘(森田童子)を描き、同時に娘を小説の「狂言回し」に使えないかと模索していたと憶測できる。


では、なかにしはなぜ封印したのか
しかし、'95年の執筆当時、森田童子は音楽活動を停止中だったとはいえ、'93年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマの『高校教師』の主題歌として使われたことから再ブレイク中だった。なかにしや正一との関係が世間に知られれば、彼女のプライバシーや作品評価に差し障ると考え、なかにしは森田童子をモデルとする『血の歌』を封印したのだろう。

『兄弟』を担当した元文藝春秋の編集者・鈴木文彦は述懐する。

「『兄弟』執筆の前、お兄さんが亡くなられる以前に、かなり感情移入の激しい習作を読んだ覚えがおぼろ気にあります。当時、お兄さんをモチーフにしたいわゆる“兄モノ”の習作がいくつかあって、その一つが『血の歌』だったのではないでしょうか。森田童子については、兄の娘だとなかにしさんから直接うかがったことがあります。『血の歌』はモデル小説の引きの強さがありますが、森田童子が存命だった執筆時点では、彼女のプライバシーにも配慮していたので、発表には至らなかったのではないかと思います。結果として、お兄さんの死を待って長篇仕立てで『兄弟』に結実し、なかにしさんの代表作になっていきます」

『兄弟』という大作に濃密に関わった編集者ならではの見方と言えるだろう。

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父から見た娘、また娘から見た兄という視点が削られ、弟から見た兄という視点で小説を一貫させたことで、『兄弟』の構成は堅牢になり、作品は直木賞候補になるなど大きな評価を得た。『血の歌』は『兄弟』のいわば試作品であったのだ。

そのようにいったんボツにした草稿をなかにしはなぜ残していたのか、が第二の謎である。後記で中西康夫が書くように、なかにしはつねに原本(草稿)を廃棄していたという。彼が『血の歌』だけを残しておいたのは、将来何らか形での発表を意図していたと考えるのが自然だろう。

次に湧き上がる謎は、なかにし礼が森田童子の音楽的才能をどのように捉えていたかという点である。その謎を解き明かしてくれたのが、『血の歌』では「お貞さん」、『兄弟』では「藤原慶子」と呼ばれて作中に登場する辣腕音楽プロデューサーの松村慶子である。彼女は'64年に『知りたくないの』(菅原洋一)で作詩家・なかにし礼を、'74年に『さよならぼくのともだち』で森田童子を、ともにメジャーデビューさせた。

松村は「礼ちゃんは童子を『手に負えない才能だ』と高く評価していて、本当は応援したかった」と証言した。しかし、森田童子は「叔父の七光りで世に出たくない」と反発し、松村も「メジャー過ぎて、どこか体制的な匂いがする礼ちゃんの姪ということはマイナスで、童子を反体制、非体制で売りたい」と戦略を立て、「森田童子との関係をずっと隠し通すこと」をなかにしに提案、なかにしがその約束を死ぬまで守り続けてくれたことを感謝する。


小説『時には娼婦のように』を構想していた
森田童子の音楽が、なかにし兄弟が育った満州牡丹江の裕福な家庭にあった音楽的な環境に胚胎していることは疑いがないだろう。しかし、森田は叔父の後ろ盾なしで自らの音楽世界を築き、父親の戦争中の失墜と戦後の堕落に対して全共闘世代の挫折感を対置させ、先行世代への鎮魂歌を歌いつづけた。彼女は中西家の「虚無という血」を引き継いだ、と私には思える。

「『血の歌』が出たとき、さすが礼ちゃんと感心したわね。童子と自分が死んだあと、すべてを明らかにする。礼ちゃんらしい見事な自己演出だと思った」と語る松村は、なかにしが『血の歌』の原稿を意図的に家族の目に付きやすい場所に置き、自分の死後の出版を暗に望んでいたと考える。中西康夫もそれが父の遺志だと信じている。なかにしとの共同作業で数々のヒット曲を生み出した辣腕プロデューサーと、なかにしと最も身近に接してきた子息の見解には、確かに説得力がある。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


しかし私は、『血の歌』を読んで、一つの別な想像をめぐらせた。

私がなかにし礼と最後に会ったのは、なかにしが亡くなるちょうど2年前、'19年の12月だった。「キャンティ」で私と話すうちになかにしは、『時には娼婦のように』というタイトルで、'70年代の懶惰な日々を小説にしたいと思い立った。7人の女性が住み、彼女らの世話をする年配のマダムがいる一軒家。なかにしにはそこを訪ねて遊んだ日々があった。特権的な時間であったとは思うが、平和ボケの極みのような退廃と乱倫のなかに、なかにし独自の共生と気づかいの哲学を再発見しようとしたのかもしれない。なかにしはその時代を描きたいと切実な調子で言い始めたのだ。

その後、なかにしはその小説の構想を河出書房新社の担当編集者に持ちかけたと聞いたが、それが実現しないまま終命の時を迎えた。ここから先は私の憶測だが、なかにしはこの作品に、'74年の森田童子の歌手デビューを絡め、当時の音楽状況をふくめて回想しようと目論み、その時のために、いつか作品の形を与えようと思っていた草稿を机の引き出しに入れておいたのではあるまいか──。

こんなふうに『血の歌』は、さまざまな空想を喚起し、なかにし礼の死が創作活動を無残にも途絶させたことを、悲しみとともにあらためて思い起こさせる掌編なのである。


▲△▽▼


2022.01.01
「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91082

なかにし礼の未発表作品に書かれたこと

作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。

テレビドラマ『高校教師』のあの歌声

かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認知された。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


森田童子の存在をはじめて知ったのはいつのことだろう。70年代の終わりに、わたしより一回り以上も若い青年たちが「一度聞いて欲しい」と録音テープを届けにきた。聞いてみて、「いやにセンチメンタルな歌だなあ」とそのときは思った。


突然の電話
従来、わたしは音楽にほとんど関心を持たなかった。クラシックも、ジャズも、ロックも聞いたことがない。戦前・戦後の歌謡曲のいくつかと、森進一や八代亜紀の2、3の歌を好んだ。

1970年以降のフォークソングにも馴染めなかった。森田童子の歌も私的な生活を言葉にしたフォークとさほど違いはないものとわたしは思い込んだ。

ただ、若い友人たちのこだわりが尋常ではなかった。森田童子のコンサートにしばしば出かけていたようだ。「ぼくたちの歌」と捉えているふしがうかがえた。この場合の「ぼくたち」とは1960年代後半の「反乱の季節」における高校生世代を意味する。たぶん、森田童子の歌のなかに自らを重ね合わせていたのだろう。その心情を理解できなくはなかったが、「青春の甘酸っぱさ」は願い下げたかった。

そんなある日、森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだ。

わたしは1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春さんを担当した。その縁で、辞めてからもつげさんの取次役のようなことをやっていた。つげさんに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげさんから了解を得た。

森田童子がつげ義春の愛読者であることを知って、わたしは新たに格別の興味を抱いた。それでも、もっと歌を聞いてみたいとまではならなかった。

森田はなぜつげ義春に執着したか
ところがである。「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、わたしが営む小さな文具店のガラス戸を開けた。「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわててわたしも返した。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だ。

挨拶の言葉ひとつ交わすこともなかったが、感じのいい出会いだった。

同じころ、住まいに近い渋谷道玄坂裏の円山町のラブホテル街の電柱に「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」とかのステッカーを見かけた。『夜行』は、つげ義春の新作を掲載した本だ。どれほど彼女がつげ義春に執着しているかを想った。いや、つげ義春だけではない。下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いた実弟のつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せて、彼女は「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明した。

以後、森田童子との接点は途絶えたままになった。歌うことをやめ、東京を離れたと風のうわさが流れた。気になりだしてCDを購入し、ときどき聞いた。いくつもの歌詞から森田童子の立ち位置が想起され「ああそうだったのか」との思いに襲われた。つれ合いが森田童子の歌を聞きながら、台所でふと手を休め、「いい歌よね」と言う。そして「正しい歌だわ」と続けた。冗談じゃない、歌に正しいも正しくないもあるものか、と言い返そうとして、思いとどまった。

なかにし礼の『血の歌』が明かす森田童子の過去
森田童子より2歳年上のつれ合いは、森田童子の頑なな意思と、ときどきの危機意識を瞬時に受け止めたのかもしれなかったからだ。その「正しさ」とは「理念を持っている」ということではないだろうか。森田童子の歌は「闘い」の歌ではないかもしれないが、「抵抗」の意思を示す歌ではあるだろう。「正しさ」とは「抵抗」の謂いでもあるのだろうか。

「反乱の季節」を若者たちとともに闘おうとした作家・高橋和己の「孤立無援の思想」をモチーフとした歌もあった。つげ義春の「海辺の叙景」をイメージした作品もある。

いったい、森田童子とは何者なのか、と疑問を抱いた。しかし、わたしにはどのような情報も届かなかった。森田童子は謎に包まれたままの存在となった。それから20年が経ち、30年が経ち、予期しないときに訃報が飛び込んできた。わたしはつれ合いの遺影のある小さな部屋で、森田童子の歌を流した。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


そして、いまになって、なかにし礼の未発表小説『血の歌』(毎日新聞出版)によって、森田童子の過去が明らかにされた(作品のなかでは「美納子」「森谷王子」となっている)。森田童子は、なかにし礼の姪だったのだ。なかにし礼の代表作である『兄弟』のモデルだった、「特攻帰り」で、戦後、放埒に生きたという実兄の娘だったのである。そのあまりに衝撃的な人間関係に驚きを禁じ得ないが、しかし、それらはある意味、充分に納得のいく事柄であった。

荒廃した父親を通して「戦後」を感知し続けた
《堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた。墜落を恐れながら、みずからさらなる墜落を求める父。あるいは美納子は中西よりも、いや中西の背中越しに、戦争の興奮を見てしまったのかもしれない。そして、興奮から遅れてやってくる、傷と孤独。それは美納子にとって、時代の儚さであり、自分の命の悲哀であったのではないか》(『血の歌』より)

森田童子の歌から感受される途方もない「暗さ」は、たんに父親という存在の個性に求められるべきではないだろう。青春期に戦争を体験した、いわれるところの純粋戦中派にとって、敗戦後をどのように過ごしたかは、ひとりの個人の問題に還元されるべきことがらではない。つげ忠男がいくつものマンガで描き続けた「特攻帰りのサブ」の生き死には、B29撃墜の戦闘機パイロットであった父親像とみごとにオーバーラップする。いわば、敗戦後における父親の自堕落な姿は、下町で虚勢を張る与太者の「サブ」と寸分の違いもない。

つげ忠男は、工場街の裏町で目撃した実像の与太者を通して「戦後」を凝視した。森田童子は、父親の荒廃した実像を通して「戦後」を触知した。つげ忠男の一連の作品が戦後の「正しさ」を描き留めたように、森田童子も「戦後」のなかで自らの「正しさ」を追い求めた。

『血の歌』は、森田童子の秘密に触れると同時に、戦争体験を経た「戦後」という時間の秘密をも物語る。森田童子の歌が存在する限り、つげ忠男の作品が存在するかぎり、「戦後」は終わらないのである。


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血の歌 Kindle版
なかにし 礼 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09NQVTK1R/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B09NQVTK1R&linkCode=as2&tag=asyuracom-22&linkId=fcb312468f0c633b2dc696aa2dce0968

痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1009.html#c115

[近代史7] 森田童子 中川隆
3. 中川隆[-14089] koaQ7Jey 2022年1月23日 20:30:10 : SqaUv9RCQ6 : UGxERWhFLnBXOUE=[21]
2022.01.23
業界騒然! 謎の歌手・森田童子の父親が「なかにし礼の兄だった」事実が意味すること
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91686

なかにし礼『血の歌』と『兄弟』をめぐって

作詩家なかにし礼とシンガーソングライター森田童子が叔父と姪の関係であることを明らかにしたことで、『血の歌』(毎日新聞出版)が話題を集めている。同時にこの作品は、短篇ではあるが、なかにしのヒット作『兄弟』(1998年、文藝春秋)と表裏をなす重い内実をたたえている。

『兄弟』は作詩家から小説家になったなかにしの初めての本格的長篇。特攻隊の生き残りで、事業の失敗や弟名義での借金でなかにしを破滅にまで追いこむ常軌を逸した兄(話題となったテレビドラマではビートたけしが演じた)となかにしの愛憎と葛藤を描いた小説で、「兄さん、死んでくれてありがとう」と主人公が独白する結末が当時、大きな反響を呼んだ。そのモデルである兄の娘(次女)が、何と森田童子だったのだ。

映画の中のなかにし礼と森田童子
音楽史において、大衆の心に響く歌謡曲の作詩家であるなかにしと、孤高のシンガーソングライターの森田は対極的な存在であるが、映画史においては、この叔父と姪は踵を接し、1978年にともにスクリーンデビューしている。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


この年に公開された大森一樹監督の『オレンジロード急行』で、森田童子のメジャーデビュー作『さよなら ぼくの ともだち』が初めて映画の挿入歌として使われ、同年に公開された『時には娼婦のように』(小沼勝監督)はなかにし礼の同名曲の大ヒットを当てこんで製作されたからだ。

『時には娼婦のように』は、《当時、(兄が作った─引用者註)借金に追われている時期で、好条件を提示されたこともあり、原案、脚本、音楽、さらには主演までこなした》(『わが人生に悔いなし─時代の証言者として』、河出書房新社)となかにしが語るロマンポルノであるが、なかにし礼のバイオグラフィにおいてはきわめて重要な作品である。

この映画に現れる心臓発作と性への耽溺、兄の借財を背負わされる弟、複数の女性との同棲、なかにしが第二の故郷と呼ぶ青森への郷愁といったなかにしの人生に欠くべからざる光景が、なかにしがのちに書く『翔べ!わが想いよ』('89年、東京新聞出版局、新潮文庫、文春文庫)から『夜の歌』(2016年、毎日新聞出版、講談社文庫)にいたる自伝小説のプロトタイプ(試作品)になっているからだ。


なぜこの原稿が書かれたのか
この作品を起点として、なかにしを「戦争と歌謡曲を交響楽(シンフォニー)のように、硝煙とエロスをカットバックで描いた作家」と評した、私の『夜の歌』講談社文庫版('20年)の解説を読んだなかにしは、私を西麻布「キャンティ」に招いてくれた。だが、交遊が始まってまもなく、2020年12月になかにしは突然他界した。死後に机の引き出しから発見された未発表原稿をなかにしの子息で音楽プロデューサーの中西康夫が刊行したのが、『血の歌』である。


『血の歌』は作家の死後に刊行された未発表原稿の常として、多くの謎につつまれている。

どうして作者がこの原稿を書いたか、が第一の謎である。後記で中西康夫が『血の歌』は1995年に執筆されたと推測しているように、『血の歌』は'96年に小説のモデルである兄(中西正一)が死去する1年前に、『兄弟』の習作として書かれたものと思われる。

『血の歌』は、兄が語り部に近い立場で書かれていることから、仮借なく兄を描いた『兄弟』よりも兄へのシンパシーが宿る。また、『血の歌』において戦時中に兄が操縦する戦闘機を失墜させる場面は、ほぼそのまま『兄弟』の完成稿に使われている。『血の歌』でなかにしは、兄の視点から娘(森田童子)を描き、同時に娘を小説の「狂言回し」に使えないかと模索していたと憶測できる。


では、なかにしはなぜ封印したのか
しかし、'95年の執筆当時、森田童子は音楽活動を停止中だったとはいえ、'93年に『ぼくたちの失敗』がテレビドラマの『高校教師』の主題歌として使われたことから再ブレイク中だった。なかにしや正一との関係が世間に知られれば、彼女のプライバシーや作品評価に差し障ると考え、なかにしは森田童子をモデルとする『血の歌』を封印したのだろう。

『兄弟』を担当した元文藝春秋の編集者・鈴木文彦は述懐する。

「『兄弟』執筆の前、お兄さんが亡くなられる以前に、かなり感情移入の激しい習作を読んだ覚えがおぼろ気にあります。当時、お兄さんをモチーフにしたいわゆる“兄モノ”の習作がいくつかあって、その一つが『血の歌』だったのではないでしょうか。森田童子については、兄の娘だとなかにしさんから直接うかがったことがあります。『血の歌』はモデル小説の引きの強さがありますが、森田童子が存命だった執筆時点では、彼女のプライバシーにも配慮していたので、発表には至らなかったのではないかと思います。結果として、お兄さんの死を待って長篇仕立てで『兄弟』に結実し、なかにしさんの代表作になっていきます」

『兄弟』という大作に濃密に関わった編集者ならではの見方と言えるだろう。

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父から見た娘、また娘から見た兄という視点が削られ、弟から見た兄という視点で小説を一貫させたことで、『兄弟』の構成は堅牢になり、作品は直木賞候補になるなど大きな評価を得た。『血の歌』は『兄弟』のいわば試作品であったのだ。

そのようにいったんボツにした草稿をなかにしはなぜ残していたのか、が第二の謎である。後記で中西康夫が書くように、なかにしはつねに原本(草稿)を廃棄していたという。彼が『血の歌』だけを残しておいたのは、将来何らか形での発表を意図していたと考えるのが自然だろう。

次に湧き上がる謎は、なかにし礼が森田童子の音楽的才能をどのように捉えていたかという点である。その謎を解き明かしてくれたのが、『血の歌』では「お貞さん」、『兄弟』では「藤原慶子」と呼ばれて作中に登場する辣腕音楽プロデューサーの松村慶子である。彼女は'64年に『知りたくないの』(菅原洋一)で作詩家・なかにし礼を、'74年に『さよならぼくのともだち』で森田童子を、ともにメジャーデビューさせた。

松村は「礼ちゃんは童子を『手に負えない才能だ』と高く評価していて、本当は応援したかった」と証言した。しかし、森田童子は「叔父の七光りで世に出たくない」と反発し、松村も「メジャー過ぎて、どこか体制的な匂いがする礼ちゃんの姪ということはマイナスで、童子を反体制、非体制で売りたい」と戦略を立て、「森田童子との関係をずっと隠し通すこと」をなかにしに提案、なかにしがその約束を死ぬまで守り続けてくれたことを感謝する。


小説『時には娼婦のように』を構想していた
森田童子の音楽が、なかにし兄弟が育った満州牡丹江の裕福な家庭にあった音楽的な環境に胚胎していることは疑いがないだろう。しかし、森田は叔父の後ろ盾なしで自らの音楽世界を築き、父親の戦争中の失墜と戦後の堕落に対して全共闘世代の挫折感を対置させ、先行世代への鎮魂歌を歌いつづけた。彼女は中西家の「虚無という血」を引き継いだ、と私には思える。

「『血の歌』が出たとき、さすが礼ちゃんと感心したわね。童子と自分が死んだあと、すべてを明らかにする。礼ちゃんらしい見事な自己演出だと思った」と語る松村は、なかにしが『血の歌』の原稿を意図的に家族の目に付きやすい場所に置き、自分の死後の出版を暗に望んでいたと考える。中西康夫もそれが父の遺志だと信じている。なかにしとの共同作業で数々のヒット曲を生み出した辣腕プロデューサーと、なかにしと最も身近に接してきた子息の見解には、確かに説得力がある。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


しかし私は、『血の歌』を読んで、一つの別な想像をめぐらせた。

私がなかにし礼と最後に会ったのは、なかにしが亡くなるちょうど2年前、'19年の12月だった。「キャンティ」で私と話すうちになかにしは、『時には娼婦のように』というタイトルで、'70年代の懶惰な日々を小説にしたいと思い立った。7人の女性が住み、彼女らの世話をする年配のマダムがいる一軒家。なかにしにはそこを訪ねて遊んだ日々があった。特権的な時間であったとは思うが、平和ボケの極みのような退廃と乱倫のなかに、なかにし独自の共生と気づかいの哲学を再発見しようとしたのかもしれない。なかにしはその時代を描きたいと切実な調子で言い始めたのだ。

その後、なかにしはその小説の構想を河出書房新社の担当編集者に持ちかけたと聞いたが、それが実現しないまま終命の時を迎えた。ここから先は私の憶測だが、なかにしはこの作品に、'74年の森田童子の歌手デビューを絡め、当時の音楽状況をふくめて回想しようと目論み、その時のために、いつか作品の形を与えようと思っていた草稿を机の引き出しに入れておいたのではあるまいか──。

こんなふうに『血の歌』は、さまざまな空想を喚起し、なかにし礼の死が創作活動を無残にも途絶させたことを、悲しみとともにあらためて思い起こさせる掌編なのである。


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2022.01.01
「僕たちの失敗」の森田童子の父親は、なんとあの人だった
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/91082

なかにし礼の未発表作品に書かれたこと

作詩家であり、作家のなかにし礼が亡くなって1年が経つ。それにあわせ、死後に自宅から発見された未発表作品『血の歌』(毎日新聞出版)が刊行された。そこに書かれていた主題が、一部で波紋を呼んでいる。なかにしの代表作『兄弟』で描かれたあの破滅的な兄。その娘こそ、一世を風靡した森田童子であったのだ。つまり、森田は、なかにしの姪にあたる。なぜ、なかにしは森田との関係をここで明かすことになったのか。森田と交流もあった元『ガロ』編集長の高野慎三が記す。

テレビドラマ『高校教師』のあの歌声

かつて森田童子という類まれなシンガーソングライターが存在した。一部で熱狂的に支持されたようだ。その後1990年代前半に、テレビドラマ『高校教師』のバックに流れる「ぼくたちの失敗」で一般的に知られるようになった。そのときの語りかけるような音律と透き通る細い歌声が聞く者の心をとらえた。そして、「暗く悲しい歌」の歌い手として認知された。

森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』森田童子のファースト・アルバム『GOOD BYE グッドバイ』


森田童子の存在をはじめて知ったのはいつのことだろう。70年代の終わりに、わたしより一回り以上も若い青年たちが「一度聞いて欲しい」と録音テープを届けにきた。聞いてみて、「いやにセンチメンタルな歌だなあ」とそのときは思った。


突然の電話
従来、わたしは音楽にほとんど関心を持たなかった。クラシックも、ジャズも、ロックも聞いたことがない。戦前・戦後の歌謡曲のいくつかと、森進一や八代亜紀の2、3の歌を好んだ。

1970年以降のフォークソングにも馴染めなかった。森田童子の歌も私的な生活を言葉にしたフォークとさほど違いはないものとわたしは思い込んだ。

ただ、若い友人たちのこだわりが尋常ではなかった。森田童子のコンサートにしばしば出かけていたようだ。「ぼくたちの歌」と捉えているふしがうかがえた。この場合の「ぼくたち」とは1960年代後半の「反乱の季節」における高校生世代を意味する。たぶん、森田童子の歌のなかに自らを重ね合わせていたのだろう。その心情を理解できなくはなかったが、「青春の甘酸っぱさ」は願い下げたかった。

そんなある日、森田童子の関係者から突然の電話がある。用件は、「つげ義春さんの作品を使用したいのですが」との問い合わせだ。

わたしは1967年から71年までマンガ雑誌『ガロ』の編集長を務め、つげ義春さんを担当した。その縁で、辞めてからもつげさんの取次役のようなことをやっていた。つげさんに連絡を取ると即時に承諾。「使用料は考えないで」との言葉も伝えた。また別の日に「作品のタイトルをコンサート名にしてもいいですか?」と問われ、これもつげさんから了解を得た。

森田童子がつげ義春の愛読者であることを知って、わたしは新たに格別の興味を抱いた。それでも、もっと歌を聞いてみたいとまではならなかった。

森田はなぜつげ義春に執着したか
ところがである。「これから森田とお邪魔します」と、また電話があった。1時間ほどして、杉板づくりの大きなリンゴ箱を肩に担いだ男性が、わたしが営む小さな文具店のガラス戸を開けた。「森田がいろいろお世話になりました」と言うと、表通りの歩道をふり返った。帽子を深くかぶったサングラス姿の彼女が深々とお辞儀をした。あわててわたしも返した。パートナーと思われる男性は「これからつげさんにもお届けします」と急いで車に戻った。森田童子と接したのはこのときが最初であり、最後だ。

挨拶の言葉ひとつ交わすこともなかったが、感じのいい出会いだった。

同じころ、住まいに近い渋谷道玄坂裏の円山町のラブホテル街の電柱に「森田童子コンサート・夜行1」とか「大場電気鍍金工業所コンサート」とかのステッカーを見かけた。『夜行』は、つげ義春の新作を掲載した本だ。どれほど彼女がつげ義春に執着しているかを想った。いや、つげ義春だけではない。下町葛飾の労働者たちの60年安保闘争を描いた実弟のつげ忠男のマンガ集『懐かしのメロディ』に寄せて、彼女は「絶望と孤独の風景」と綴り、つげ忠男への限りない愛惜を表明した。

以後、森田童子との接点は途絶えたままになった。歌うことをやめ、東京を離れたと風のうわさが流れた。気になりだしてCDを購入し、ときどき聞いた。いくつもの歌詞から森田童子の立ち位置が想起され「ああそうだったのか」との思いに襲われた。つれ合いが森田童子の歌を聞きながら、台所でふと手を休め、「いい歌よね」と言う。そして「正しい歌だわ」と続けた。冗談じゃない、歌に正しいも正しくないもあるものか、と言い返そうとして、思いとどまった。

なかにし礼の『血の歌』が明かす森田童子の過去
森田童子より2歳年上のつれ合いは、森田童子の頑なな意思と、ときどきの危機意識を瞬時に受け止めたのかもしれなかったからだ。その「正しさ」とは「理念を持っている」ということではないだろうか。森田童子の歌は「闘い」の歌ではないかもしれないが、「抵抗」の意思を示す歌ではあるだろう。「正しさ」とは「抵抗」の謂いでもあるのだろうか。

「反乱の季節」を若者たちとともに闘おうとした作家・高橋和己の「孤立無援の思想」をモチーフとした歌もあった。つげ義春の「海辺の叙景」をイメージした作品もある。

いったい、森田童子とは何者なのか、と疑問を抱いた。しかし、わたしにはどのような情報も届かなかった。森田童子は謎に包まれたままの存在となった。それから20年が経ち、30年が経ち、予期しないときに訃報が飛び込んできた。わたしはつれ合いの遺影のある小さな部屋で、森田童子の歌を流した。

森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット森田童子『ラスト・ワルツ』ジャケット


そして、いまになって、なかにし礼の未発表小説『血の歌』(毎日新聞出版)によって、森田童子の過去が明らかにされた(作品のなかでは「美納子」「森谷王子」となっている)。森田童子は、なかにし礼の姪だったのだ。なかにし礼の代表作である『兄弟』のモデルだった、「特攻帰り」で、戦後、放埒に生きたという実兄の娘だったのである。そのあまりに衝撃的な人間関係に驚きを禁じ得ないが、しかし、それらはある意味、充分に納得のいく事柄であった。

荒廃した父親を通して「戦後」を感知し続けた
《堕ちていくばかりの父親と、それに振り回される家族がいた。墜落を恐れながら、みずからさらなる墜落を求める父。あるいは美納子は中西よりも、いや中西の背中越しに、戦争の興奮を見てしまったのかもしれない。そして、興奮から遅れてやってくる、傷と孤独。それは美納子にとって、時代の儚さであり、自分の命の悲哀であったのではないか》(『血の歌』より)

森田童子の歌から感受される途方もない「暗さ」は、たんに父親という存在の個性に求められるべきではないだろう。青春期に戦争を体験した、いわれるところの純粋戦中派にとって、敗戦後をどのように過ごしたかは、ひとりの個人の問題に還元されるべきことがらではない。つげ忠男がいくつものマンガで描き続けた「特攻帰りのサブ」の生き死には、B29撃墜の戦闘機パイロットであった父親像とみごとにオーバーラップする。いわば、敗戦後における父親の自堕落な姿は、下町で虚勢を張る与太者の「サブ」と寸分の違いもない。

つげ忠男は、工場街の裏町で目撃した実像の与太者を通して「戦後」を凝視した。森田童子は、父親の荒廃した実像を通して「戦後」を触知した。つげ忠男の一連の作品が戦後の「正しさ」を描き留めたように、森田童子も「戦後」のなかで自らの「正しさ」を追い求めた。

『血の歌』は、森田童子の秘密に触れると同時に、戦争体験を経た「戦後」という時間の秘密をも物語る。森田童子の歌が存在する限り、つげ忠男の作品が存在するかぎり、「戦後」は終わらないのである。


▲△▽▼


血の歌 Kindle版
なかにし 礼 (著)
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B09NQVTK1R/ref=as_li_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B09NQVTK1R&linkCode=as2&tag=asyuracom-22&linkId=fcb312468f0c633b2dc696aa2dce0968

痛ましい歌声が、俺の胸を血まみれにする。
戦争の昂揚と絶望、そして戦後の果てない堕落。兄の人生を見つめたその娘は、「謎の歌手」に生まれ変わった。
代表作『兄弟』の原型にして、いまに鮮烈な未発表作品、なかにし礼の死後1年目に衝撃の単行本化!
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/644.html#c3

   

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