21. 2021年11月14日 09:19:35 : btU5ccuFCY : UGlxeWJhUm0vVzI=[1]
植草先生>「枝野幸男氏の「こうもり対応」がもたらした比例大惨敗だった」
新撰組人気の源泉は、美学あるからだ。命がけでやる、代わりにヘタ打ったら責任とる、潔ぎよい、出処進退誤らない。新撰組禁令には先ず”一、士道ニ背キ間敷事”とある。局中法度ちゅんは子母澤寛の創作で、実際は新撰組禁令だが、素早く判断し、責任とる、ドジッたら皺腹だ。枝豆は、小物で器の小さい典型だが、大将の器量なんざ全くなかった。配下の軍勢をバラバラにするようなこつ平気で言う。野党共闘と言ったことねえとか、オレらの分派だけで内閣作るとか、末端で汗かく共産勢なんかに当て擦りもええとこじゃった。大将がこいじゃあ、全国からの援軍も気勢を削がれ、なめくじに塩化していった。
責任取らない風潮はいつころか、空き缶や野田豚プーのポンスケ野郎なんかも、口を拭ってのうのうと居座わり、最高顧問とかに就けるほうもどうかしてる。ゲリゾウときたら、これに責任あるんはワイだとか何十回と言いながら、いつも口先で終わりだ。野党第一党の代表は誰になるか、やるんだった命かけてやれ。国民の支持得られなかったら、潔く責任とる、士の覚悟でやれ。口先はもう聞き飽きた、見飽きた。
エエよ。