442. アラジン2[2046] g0GDiYNXg5My 2022年3月01日 05:04:52 : hp2rJB4GQQ : UFRtWktDanY3bVU=[1]
頑張れプーチン!頑張れロシア!
櫻井ジャーナルさんの記事です。
欧米(国際金融資本)とナチスの関係は深い。
ウクライナのネオ・ナチを養成したのはアメリカです。
■ロシアとウクライナが交渉を始めたが、
米英を後ろ盾とするネオ・ナチは健在 (2022/3/1)
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202202280002/
ロシアとウクライナの代表による交渉が2月28日に始まったが、戦闘の終結に向かうかどうかは不明だ。ボロディミル・ゼレンスキー大統領が軍や親衛隊を掌握できていない可能性もあり、交渉の期間を利用してアメリカ/NATOを後ろ盾とするネオ・ナチが戦闘体制を整えることも考えられる。
アメリカのジョー・バイデン大統領が昨年1月、大統領に就任した。それ以来、ロシアの「縄張り」とも言うべき黒海へ軍艦を入れ、軍用機を飛行させて恫喝、あるいは挑発してきた。国境近くに数万人規模の部隊を集結させたこともある。
2009年1月から17年1月にかけてバイデンはバラク・オバマ政権の副大統領を務めたが、その時もロシアとの関係を悪化させる政策を推進していた。オバマ、バイデン、あるいはヒラリー・クリントンの背後にいる勢力の意向だろう。
1980年代のアメリカは旧保守と新保守が対立していたが、1991年12月にソ連が消滅してから新保守の影響力が強まり、2001年9月11日の出来事で新保守が主導権を完全に握ったように見える。2001年1月から大統領はジョージ・W・ブッシュだ。
ネオコンに担がれていたブッシュ大統領は国内をファシズム化する一方、正規軍を使って他国を侵略、殺害、破壊、略奪を繰り返すことになるが、これは新保守が1992年2月に立てた計画に沿っていた。
アフガニスタンやイラクは正規軍で攻め込んだが、思惑通りに進まず、オバマ時代の2010年頃からズビグネフ・ブレジンスキーが考え出したジハード傭兵を使った侵略に切り替えた。今でもジハード傭兵はアメリカの手先として活動しているが、ウクライナではネオ・ナチ(ステファン・バンデラ派)が使われている。
バンデラは1920年代からOUN(ウクライナ民族主義者機構)の幹部だった人物。リーダーのイェブヘーン・コノバーレツィが1938年に暗殺されると、OUN内で反ロシア感情の強いメンバーがバンデラの周辺に集まり、41年3月に分裂、バンデラ派はOUN-Bと呼ばれるようになる。そして1941年6月にバルバロッサ作戦が始まった。
このOUN・Bをイギリスの情報機関MI6のフィンランド支局長だったハリー・カーが雇う一方、ドイツが資金を提供し、バンデラの側近だったミコラ・レベジはクラクフにあったゲシュタポ(国家秘密警察)の訓練学校へ入った。
アメリカやイギリスの金融資本はナチスを資金面から支えていたことが明らかになっている。例えばディロン・リード、ブラウン・ブラザース・ハリマン、ユニオン・バンキングなどの金融機関がそうした資金を流すパイプだった。
その経営陣にはジョージ・ハーバート・ウォーカー、その義理の息子であるプレスコット・ブッシュ、ブッシュと同じエール大学のスカル・アンド・ボーンズに入っていたW・アベレル・ハリマンも含まれている。
プレスコットが働いていたウォール街にはアレン・ダレスという弁護士もいて、
(★私注・アレン・ダレスは戦後CIA長官となると、対ソ諜報網を構築していた
ナチスのゲーレン機関の人間やゲシュタポ長官のハインリッヒ・ミュラーなどを
バチカン経由でCIAに引き入れ、V1ロケット製造に携わっていた科学者たちを
NASAに引き入れた。★)
ふたりは親しくなる。プレスコットの息子、ジョージ・H・W・ブッシュは1976年1月
から77年1月にかけてCIA長官を務めることになるが、偶然ではないだろう。
ブラウン・ブラザース・ハリマンやユニオン・バンキングでプレスコットはW・アベレル・ハリマンと重役仲間だったが、このふたりはエール大学で学生結社のスカル・アンド・ボーンズに入っていた。ハリマンの弟子にあたる人物がジョー・バイデンである。
JPモルガンをはじめとするウォール街の住人たちとファシズムとの関係が明確になったのは1933年から34年にかけて計画されたクーデターだ。←★★★
ニューディール派を率いるフランクリン・ルーズベルトが1932年の大統領選挙で勝利、それに危機感を抱いたウォール街がニューディール派の排除を目論んだのである。
ウォール街のクーデター派はドイツのナチスやイタリアのファシスト党、中でもフランスのクロワ・ド・フ(火の十字軍)の戦術を参考にしていた。彼らのシナリオによると、新聞を利用して大統領への信頼感を失わせるようなプロパガンダを展開、50万名規模の組織を編成して恫喝して大統領をすげ替えることにしていたという。
計画の中心的な存在だったJPモルガンは司令官としてダグラス・マッカーサーを考えていたが、人望があり、軍の内部への影響力が大きいスメドリー・バトラーを取り込まないとクーデターは無理だという意見が通り、バトラーに働きかけた。
しかし、バトラーは憲法を遵守する考えの持ち主。そこで計画を聞き出した上でカウンタークーデターを宣言、議会で詳細を明らかにしている。
バトラーから話を聞いたジャーナリストのポール・コムリー・フレンチはクーデター派を取材、「コミュニズムから国家を守るため、ファシスト政府が必要だ」という発言を引き出している。
金融資本は親ファシズム。第2次世界大戦の終盤から ←★★★
アメリカの情報機関などはナチスの高官や協力者を保護、逃亡させ、 ←★★★
雇い入れているが、これは必然だった。 ←★★★
もし、ルーズベルトが大統領を続けていたなら、大戦後にウォール街とナチスとの関係にメスが入った可能性が高いが、ドイツが降伏する前の月、つまり1945年4月に急死してしまった。そして、戦後に始まるのは反ファシスト派の弾圧、いわゆる「赤狩り」だ。
巨大金融資本とナチスとの関係は一貫している。ウクライナでネオ・ナチが影響力を持っている理由はそこにあると言えるだろう。ロシア人がウクライナのネオ・ナチに神経を使ってきたのはそのためだ。
ナチス時代のドイツはバルバロッサ作戦で1941年6月にソ連侵攻を開始している。「バルバロッサ作戦」だ。西側には約90万人だけを残し、310万人を投入するという非常識なものだったが、これはアドルフ・ヒトラーの命令。
(★私注・巨大金融資本がナチスを支援したのはソ連を潰すのが目的)
西側から攻めてこないことを知っていたかのようだ。
ドイツ軍は7月にレニングラードを包囲、9月にはモスクワまで80キロメートルの地点に到達した。10月の段階でドイツだけでなくイギリスもモスクワの陥落は近いと考えていたのだが、12月にソ連軍が反撃を開始、年明け直後にドイツ軍はモスクワで敗北してしまう。
ドイツ軍は1942年8月にスターリングラード市内へ突入するが、ここでもソ連軍に敗北、1943年1月に降伏。この段階でドイツの敗北は決定的になった。
1991年にソ連が消滅して以降、NATOは東へ支配地を拡大させてきたが、これは時間をかけたバルバロッサ作戦にも見える。その最終局面でネオ・ナチが出てきたわけである。