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[リバイバル3] スピーカーの歴史 _ 何故、過去に遡る程 スピーカーもアンプも音が良くなるのか? 中川隆
78. 2020年8月17日 05:54:55 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[1]

「音楽&オーディオ」の小部屋
アルテックを使わない理由 2017年12月02日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fde597cb035944ec68b14cc724b4adb6

先日、次のようなメールをいただいた。

「当方は、アメリカのSPを中心にいろいろ使用してきましたが、いつの間にかJBLばかりになってしまいました。しかし、1950年代前半の「ジムランシング」時代のユニットと1970年代以降のユニットは全く性格が違うような印象を受けます。まずは、日ごろの感謝と自己紹介まで。」

内容的にはボクシングでいえば軽くジャブ程度ということだろうか(笑)。すぐに返信した。

「拙いブログを読んでいただき恐縮です。昔のJBLの音は大好きです。細身の音の中に何とも言えない色気がありますよね。今のところアルテックがちょっと気になる存在になっています。もしアルテックを使わない理由がありましたらご教示ください。」

これもジャブ程度のお返しだったが(笑)、すると実に興味深い内容のご返信をいただいた。

「当方の周辺のオーディオの先輩・仲間の多くが、ALTECやタンノイを使用されております。なぜかJBLは「冷遇」されております。そんな中で、なぜJBLなのか?なぜALTECでないのか?本当に不思議です。

強いて言えば、次のことが理由かと思いますが・・・。

@ALTECはユニット・ネットワークの種類が限られており、組み合わせが極めて限定される。

AALTECは初期タイプ、特に最初期タイプのユニットに絶対的優位性がある。

ちなみに、当方も過去A7もどき、A5もどきを使用しました。その経験から、上のようなことを感じましたし、結局マニア 内での「最初期ユニットの取り合い」になってしまいそうな予感もしました。

この春にビンテージオーディオを始めたばかりの知人に請われ、所有していたALTECオリジナルの最初期エンクロージャーをお譲りした次第です。

最近、ALTEC 604E2(604−8Gのチューンアップ版のようです)というユニットとエンクロージャーを譲っていただきました。

結線したばかりで、これから調整を楽しみます。同軸SPを本格的に使った経験がなく、さてどうなることやら。当方はアナログ中心で、プリ・パワーとも管球式です。

「フルレンジSP」の記事は、かなり取り上げられましたね。「同軸SP」、機会があればぜひ取り上げてください。」

以上のような内容だったが「アルテックは初期のアルニコマグネット・タイプに限る。」と、耳にタコができるほど聞かされてきたが、やはりそういうことだった。

実はアルテックに限らず、SPユニットのうちフェライト(マグネット)タイプが、アルニコタイプを上回った例を知らない。

そもそもなぜアルテックを話題に載せたかというと、我が家のウェストミンスターのエンクロージャーにアルテックの同軸2ウェイ(口径38センチ)を放り込んだらどういう音がするんだろうと、ずっと気になっているから。

現状のJBL「D130」+「AXIOM80」(クロスオーヴァー500ヘルツ)にまったく不満はないものの、もともと同軸2ウェイ用のエンクロージャーなので回帰志向は常に頭の片隅にある。

それならオリジナルのタンノイ同軸ユニットを使えばいいじゃないかとご指摘を受けそうだが、この音がどうも・・・。

タンノイさんのファンは世に多いので、これ以上深入りしてあれこれ言うと差し障りがありそうなので止めておこう(笑)。

メールでご提案があった同軸SPについては口径38センチの分は惜しいことに前述のアルテックとタンノイさんぐらいで品薄なのが現状だが、30センチクラスとなるとグッドマンの「TRIAXIOM」(トライアクショム)シリーズが思い浮かぶ。

      

20年近くオークションと‟にらめっこ”してきたがいまだにお目にかかったことがない逸品だが、万一、ゲットする機会があればぜひ試してみたいところ。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/fde597cb035944ec68b14cc724b4adb6


▲△▽▼


アルテックの世界
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1070.html  

絶対に買ってはいけない アルテック VOICE OF THE THEATER A5・A7
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1071.html

史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/858.html#c78

[リバイバル3] 管球アンプのブーンと云うノイズについて 中川隆
24. 中川隆[-11814] koaQ7Jey 2020年8月17日 06:04:33 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[2]

Mr.トレイルのオーディオ回り道
電源ケーブルをグレードアップすると・・・ 2020年08月12日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d08940aff9351a6d897a2c402ebcd660


SONY TA-2000(1968年製)の電源インレット化及びRCAソケットの交換が終わったので、早速ケーブル類のグレードアップをしました。

プリアンプとパワーアンプの組み合わせは隣通しにしています。下段のTA-2000F+TA-3120の電源ケーブルはNo2グレード、ラインケーブルはNo1グレードにしてJBL#4425をドライブしています。ここに自宅用のNo1グレードのラインケーブルを使ったので、自宅用に新規に先日作成し交換しました。

上段のTA-2000+TA-3120Aの組み合わせでは、従来直出し電源と一般クラスの電源ケーブルを使っていました。それをどちらもNo2グレードの電源ケーブルとラインケーブルにグレードアップしました。グレードアップすると直ぐに「音質アップ」すると捉えられがちですが、「トラブル」が発生します。「活性化」の途中の症状が出て来ます。

1)ノイズの発生(ブーンと云うノイズが突然出始め大きくなります。3日経って漸くかすかなレベルになりました)

2)左右の音量バランスが狂いました。・・・聴いているとLchの音が大きく、ヴォーカルも中央に定位しません。結局バランスボリュームで調整(3時の方向)・・・3日経ってやっとノーマルな位置に戻りました。


電源ケーブルのグレードアップをすると色々な不具合な症状が出て来ます。この不具合を乗り越えて初めて「活性化」の入り口に立ちます。同じく自宅の高域用パワーアンプにもNo1グレードに上げましたので、音が途切れたり、ガッ・ジジッとノイズに近い音が出ています。しばらくは鳴らし込まないと不具合は無くなりません。

私のケーブルの場合、グレードアップをすると「音量アップ」をします。電源ケーブルにしろラインケーブルにしろ同じ様に音量アップします。それと共にSN比がアップします。より静寂感が増して来ます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d08940aff9351a6d897a2c402ebcd660


Mr.トレイルのオーディオ回り道
TA-2000のノイズが強くなった 2020年08月13日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d0485e999193c76310249250bb82e5d5


昨日の記事で「3日でノイズが小さくなった」と書きましたが、依然「大きなノイズ」に悩まされています。TA-2000Fの場合も、約1ヶ月程かかっていますので、TA-2000でも同じ様に1ヶ月くらいは覚悟しなければなりません。当分は音楽を楽しむ所ではないでしょう。

右側のTA-N86に接続しても同じ様な「ノイズ」が出ていますので、プリアンプが原因である事は間違いない。昨日は1日中鳴らし込んでいましたが、前日の様に夕方になっても小さくはなりませんでした。このままでは「やばいかな?」と思い、一般の電源ケーブルに切り替えました。それでも「ノイズ」は収まっていません。いきなり大きな負荷をかけるとやばいので、少しづつ時間をかけて「活性化」させて行きます。少なくとも来年の今頃には「ヌケた」サウンドがしているだろうと思います。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/d0485e999193c76310249250bb82e5d5


Mr.トレイルのオーディオ回り道
電源ケーブルのグレードを変えると音のグレードも変わる 2020年08月14日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7ff33cf4338af2a76ed5eacbaedb2332

TA-2000の電源インレット交換で直出し配線から任意の配線(ケーブル)の交換出来るようになりました。取り合えずNo2グレードの電源ケーブルをあてがいましたが、「ノイズ」がひどくて、「ちょっとこれは危ない?」と思って、直出し配線の約2倍くらいの直径の一般の電源ケーブルに交換しました。当然音数や質感がガクンと落ちます。

TA-2000のラインではD208システムをドライブしていますが、それまでは#4425ラインのサウンドを質感で越えていましたが、現在は逆転しています。「電源ケーブルで機器の性能・音質が決まる」事が余り知られていません。私が「電源のインレット化」にこだわる理由がここにあります。

現在、修理に出しているアキュフェーズのチューナーT1000と2台目のTA-4300Fチャンデバの修理及び改造が完了したとの事なので、この暑い中、往復4時間かけて受け取りに行って来ます。明日にはチューナーでFMエアーチェックが出来る様になっている事でしょう。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/7ff33cf4338af2a76ed5eacbaedb2332


Mr.トレイルのオーディオ回り道
相変わらず「ノイズ」に悩まされ・・・ 2020年08月16日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8326066b9fa7953472a32dd69f71561d

毎回毎回、アンプを購入しては、「インレット化」をして電源ケーブルを交換すると「ノイズ」に悩まされる。LUXMAN M-06αやエクスクルーシブC3+M4の時も半年以上「ノイズ」に悩まさせられた。今回はTA-2000で「苦行」を強いられている。「キーン」と云うノイズと「ブーン」と云うノイズの2つが組み合わさっている。その分聴きづらい。

チャンネルデバイダーのTA-4300F(2号機)もリアパネルのRCAソケット交換を終えて帰ってきたが、まだ使えずにいる。(インレットは既に交換済)

ノイズがなくなってくれないと先に進める気持ちにならない。連日午前中からパワーSWを入れ「鳴らし込み」を続けている。現在は一般の電源ケーブルであるがノイズは変わらない。下段のTA-2000FとTA-3120でJBL#4425のラインはノイズレスで使えている。最低でも1ヶ月はかかるだろうと思っている。ひたすら鳴らし込みを続けるしかない。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/8326066b9fa7953472a32dd69f71561d


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ソニー プリアンプ TA-2000・TA-2000F
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1066.html

パイオニア プリアンプ EXCLUSIVE C7・C7A
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1067.html

パイオニア Exclusive M5
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1064.html

http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/770.html#c24

[近代史4] 「日本人は生産性が低い」という都市伝説に騙されるな 中川隆
3. 2020年8月17日 06:21:36 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[3]

2020年08月16日
日本人は時間の管理ができないから生産性が低い

外国で残業は契約違反の犯罪です


日本人は時間の管理ができない

日本人は世界一の働き者を自負しているが、実際にはそうではないというデータが出ている。

世界各国の労働時間調査調査では1位はメキシコの2,255時間、日本は22位の1,713時間でした。(OECD)

韓国は3位の2100時間くらいなので日本人より20%近くも長時間働いています。


労働時間は一般的に後進国ほど長く先進国は短いので、欧州の主要先進国は日本より短い国が多い。

ところがこれは全労働者の平均なので、パートのおばさんなども含まれています。

日本ではパートタイムの平均労働時間は約1000時間、フルタイム労働者の平均は約2000時間でした。


日本の男性のフルタイム労働者に限定すると375分(6時間15分)で、これは休日を含めた労働時間です。

年間では2281時間になりメキシコ平均を上回り、おそらく世界でもかなり上位に入っている。

日曜と祝日が休みとしても1日あたり8時間未満だが、これに時間外労働が加わる。


求人では週休2日、有給休暇などと書いていても、それ以外に無給の長時間労働をさせるのが日本企業です。

日本企業のやり方は入社前に実態を一切知らせず、入社後はサービス残業や休日労働を当たり前の事として要求する。

外国人の間では日本企業は詐欺同然と考えられていて、「8時間労働で残業はありません」と言っていてもそれは全て嘘なのです。

この事が日本企業が外国企業に負ける原因になっているのだが、やらせている経営者や管理者は「良い事をしている」と思っている。

日本人は約束を守らない

生産性という言葉があり日本は先進国最低で全世界でも最低レベルになりつつあります。

生産性にはいろいろあるが、一般的には1時間当たりに生産した価値、1時間に稼いだり作り出したお金という事になる。

欧米人が8時間で生産した価値が、日本人が12時間で生産した価値と同じだったら、欧米人は日本人より1.5倍生産性が高い。

サービス残業や休日労働(当然無給)をさせればさせるほど日本企業の生産性は低くなり競争力が低下していきます。

例えば自分が優秀なitエンジニアで、欧米企業では8時間労働で休日120日、日本企業は同じ給料で実質休日なしの毎日4時間残業だったらどっちで働くでしょうか?

欧米では一部の管理職を除いて休日は会社の電話に出ないし、そもそも掛けないが、日本では休日なのに仕事で呼びつけたりします。


こんなのは休日ではないので日本企業は実質年間休日ゼロ、経営者はそれを当たり前だと思っているので優秀な人材は絶対に日本企業には来ません。


アメリカのドキュメント番組を見ると「子供の送り迎え」などで平気で会社を半日休み、「家族と一緒に過ごす」などの用件で休みではない日に休暇を取っている。

周りはそれを普通に受け止めているようで「お前は人間のクズだ!責任感のカケラもない!」などと怒鳴る人は登場しない。


テレビだからいい所を見せているのかも知れないが、欧米全体でこういう傾向があるのは事実でしょう。

少し前にネットで「日本人は遅刻したら怒るのに残業させるのをなんとも思わない」という外国人労働者の苦情が話題になりました。

3分遅刻しただけで鬼の首を取ったように怒るのに、予定通り仕事が終わらず残業させても謝罪すらせず残業手当も払わない。


これでは日本企業で働きたい人はいないだろうし、日本人は約束を守らないウソつきと思われています。
http://www.thutmosev.com/archives/83662476.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/748.html#c3

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
5. 2020年8月17日 07:20:19 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[4]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTECの同軸ユニットは素晴らしいと思う 2010年05月09日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23cd12723ee3e22d1be611780edaf43f

30年以上前のALTECの同軸ユニットは見ていても「見事な造形美」があり機能的で惚れ惚れしてしまう。

同軸ユニットで有名なのは「タンノイ」も有名だけど、私は「ALTEC」の方が好きです。


比較的新しい同軸ユニットはフェライト化され、マンタレーホーンになってしまって、「コストダウン」に走られてしまって残念な気分ですが、604-8G以前のユニット、特に「ALTECグリーン」のユニットは大好きです。

605a

このユニットを使って#612Aを完成させようとしています。SP箱内配線とユニットへの「音質対策」を施しますとJBLの#375を使ったシステムと同等くらいの音質になります。すべて配線材は「ルシファー」にしますので「音数」がオリジナルとはケタ違いのサウンドになります。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/23cd12723ee3e22d1be611780edaf43f
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c5

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
6. 中川隆[-11813] koaQ7Jey 2020年8月17日 07:23:28 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[5]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTECの同軸ユニットに別途ツィーターの効果 2010年05月31日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/80643c41e01eefba04308efaf64378c8

上の写真は昨日の朝の状態です。612Aの上にフィリップスのツィーターを追加しています。追加する事でどうやら4つの音質改善効果が出る様です。フィリップスのツィーターは1300Hz〜22000Hzまでカバーしていますので完全にALTEC604・605の高域と重なります。

612a2

612Aで試して良かったものですから#614箱でも試して見ましたら実に良いサウンドになりました。ツィーターを追加したサウンドを聴かなければそれで済んでいたのかも知れませんが、追加する事で @周波数レンジの拡大 Aサウンドバランスがよりウェルバランスになる B音の密度が上がり滑らかさと音数が増加する。 Cツィーターの設置場所の関係かもしれませんが空間再現性が更に上がります。音の拡散が柔らかくなり非常に聴き易いサウンドになります。大音量でも小音量でも十分楽しめます。

昨日は#614のオーナー様がSPを引き取りに見えられて、ツィーター追加の効果を確認していただいた所「もう後には戻れない」との事で、ツィーターも一緒に引き取られて行きました。

612a

今朝の612Aの状況ですが、ツィーターがなくなって淋しい事ですが、また作れば良い事なのでユニットを探してまた作りたいと考えています。

先日ネットワーク内配線を「ブルースーナー」にした効果がやはり出ています。低域のボン付きもなくなり音数の増加、音のキレ・ヌケがかなり改善されています。一番判り易いのが「耳に優しくなった事」で大音量にしても「音のキツサ」がなくなり、小音量でも「音痩せ」がなくなりました。内部配線を「ルシファー」にしますと更に大きな改善が出来そうです。今週予定しています。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/80643c41e01eefba04308efaf64378c8
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c6

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
7. 中川隆[-11812] koaQ7Jey 2020年8月17日 07:26:13 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[6]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
高能率SPユニットを選ぶ理由 2010年05月25日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41247cfe36fbb3dd7dd6461c1ded9db5


若い頃は「重低音」が欲しくて「重いコーン紙」のユニットを使ったSPを使っていました。現在D130やALTEC#604、605系のSPを使う様になって「高能率SPユニット」でないと使えなくなっています。

その理由は「スピード感」です。音楽は「時間の芸術」です。経過する一瞬の時間に音が連ならないといけません。「重いコーン紙のユニット」では「ろれつが回らない」のです。この「ろれつが回らない」サウンドでは必要な音が出てこないのです。実際に自宅のJBL:D130で出ているのに有るお客様の所ではJBL:2215Aで音が出てこないのです。マッキンのMC2500でドライブして有りましたがJAZZならスイングしないのです。早いパッセージを再生できないと欲求不満になります。

時間の経過とともにその一瞬に出るべき音が出ないと云う事は「音楽」がぶった切られている訳で、「音変換ロス」と私が読んでいる現象です。重低音を得る代わりに「音楽」を捨てている様に思えます。

「伝送ロス」対策はとどまる所が有りませんがやればやるほど「音数」と「鮮度」が出て来ます。しかし「音変換ロス」はSPユニットの選択で決まります。100db/Wクラスのユニットにどうしても目が行ってしまいます。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/41247cfe36fbb3dd7dd6461c1ded9db5
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c7

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
8. 中川隆[-11811] koaQ7Jey 2020年8月17日 07:38:12 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[7]
ALTEC #612A箱


Mr.トレイルのオーディオ回り道
また回り道をしてしまいました。2010年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9b14e41a1d971540c6006f0722a53e6d


また回り道をしてしまいました。現状で必要なのは「RCA箱システム」のアンプなのですが、先々手元に欲しいと思っていた「SP箱」を購入してしまいました。

612a1

ALTEC #612A箱です。箱の傷やネットの張替えをしないといけないようですが「612A銀箱」がかなり以前から気になっていました。

612a2

604系のユニットを使うシステムですが、以前620Aや614箱を鳴らしていたことが有ります。すべて嫁に出して現在はUREI813しか残っていません。

612a3

これから外装を再塗装し、ネットを張替え、ユニットを購入、専用トレールを作成してシステムを作っていく事になります。また「音質改善パーツ」を購入と色々と出費を覚悟する事になります。ゆっくりと自分用のSPを造って行きたいと思います。

スタジオモニターとしてJBLの4343や4333、4331、EC-138システムと使ってきましたが、ALTECの612Aはずっと気になっていたSPでした。このSPを「Trail仕様」にして使ったらどんなに素晴らしいサウンドが出てくれるだろうか?と想像をたくましくしています。予想では「音の切れ・ヌケが良く、ハイスピードで反応の良いSP」になると考えています。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9b14e41a1d971540c6006f0722a53e6d
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c8

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
9. 中川隆[-11810] koaQ7Jey 2020年8月17日 07:45:06 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[8]
Trail仕様 ALTEC#612A

Mr.トレイルのオーディオ回り道
昨夜は定例のオフ会 2010年05月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e2c521b47d8299abc82dd7d9c3e568


昨夜は30年来のオーディオ仲間の例会を私の事務所で行いました。出来たばかりのTrail仕様ALTEC#612Aのお披露目を致しました。

612a1

仲間の方の印象はすこぶる「好印象」だったようで皆さん興味津々だった様です。以前612Cを使われた方もいらっしゃいますので「ALTECでこんなサウンドも出るのか?」と驚かれていました。また初めてALTECのサウンドも聴かれた方も「ALTECとはこんな音も出せるのか!!」と驚いていらっしゃいました。

612a2

軽く反応する低音とキラ星の様な輝きと艶の有る高音のサウンドが出ますので、他のシステムを聴かせても612Aに戻してくれとの要望で、612Aオンリーのオフ会になりました。チョッと今までにない反応で皆さん#612Aにクギ付けになられた様でした。

小音量から大音量まで楽々とこなしてくれます。クラシックの弦楽合奏も聴いていただきましたがタンノイのサウンドを軽く超えています。音の粒立ちや音数の多さ、艶やかな質感等タンノイでは出せていない弦楽器のしなやかさまで出して来ます。Trail仕様ですので小音量にしてもほとんど「音痩せ」が有りませんので安心して使えます。いつになく「ALTEC談義」まで出て来ました。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e2c521b47d8299abc82dd7d9c3e568
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c9

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
10. 中川隆[-11809] koaQ7Jey 2020年8月17日 07:56:42 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[9]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC#614 と#612Aの聴き比べ 2010年05月29日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ddd50928d8fb56101e166c1893079704


今日は朝から#614と612Aとの聴き比べをしています。#614には604-8G、#612Aには605Bが入っています。604-8Gには純正ネットワーク、#605BにはN1201-8Aの内部配線を「ブルースーナー」にしたネットワークを組み合わせています。

612_6141

聴き比べて直ぐに感じるのは「エネルギー感」の違い。断然604-8Gが良い。音のち密さ、反応の速さ、音数・・・とユニットについてはほとんどの項目で604-8Gに軍配を上げます。

#614箱と612A箱では大きさが違いますので「音のゆったり感」は違います。箱が大きい分だけ612Aの方がサウンドの完成度は高い様に思います。

ユニットの重量が604-8Gでは15.6Kg/個に対し605Bは12.5Kgと3.1Kgの差が有ります。この辺に磁石の強さの差が有る様に思います。

#612Aに早く604系のユニットを付けたくなります。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ddd50928d8fb56101e166c1893079704
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c10

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
11. 中川隆[-11808] koaQ7Jey 2020年8月17日 08:01:59 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[10]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
マイッタなあー!!ALTEC#612システム 2010年05月12日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9494813680892653c57adb6775aa4166


自宅のSP-707Jシステムは3年かけて作り上げてきました。ウーハーにD130の16Ω仕様とテレフンケンを使い、中域に#375+ゴールドウィング+ハイルドライバー(amt1)、高域に175DLH+2405+デッカリボン+ビクターリボンとSPユニットだけで8個も使ったシステムと本日完成したALTEC#612A(#605B)のシステムのサウンドが非常に似ているのです。当然「音楽表現力」も近似の感じです。

まず「漂うような音の出方」が似ています。612AはSPセッティングも正確なポイントを抑えていませんし、SPケーブルもWE 14GAとはるかに格下のものを使っているのに707Jシステムに近いサウンドを出してくるのです。これが凄いと思わずには居られません。ユニットは同軸2ウェイとは言え「一発」なのです。

「軽い低音と反応の速さと深み」も予想を超えて近似な感じです。612Aの箱とユニットのバランスが良いのでしょう。

中域は自宅の707Jの方が分厚い感じはしますが612Aの方も遜色ないように思います。#375のエネルギー感には及ばない事は判っていますがなかなかどうして聴き応えが有ります。

高域は707Jが100KHzまで出せるようにしているのに対し22KHzまでとかなり低いところまでしか出ませんが、可聴帯域はカバーしていますので不足感は感じません。

「空間再現性」も612Aは良い感じです。仮セッティングでも十分に感じれますので専用トレールにセットさえすれば前後左右への音の広がりが更に出てきますので「ステージ」を意識できそうです。

「Trail仕様化」して初めてサウンドを確認して見て本当に驚いています。これをすべて「オールルシファー」のケーブルで接続し、専用アンプでドライブし、専用トレールでSPセッティングをしたならどんなサウンドを出してくれるか楽しみです。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/9494813680892653c57adb6775aa4166
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c11

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
12. 中川隆[-11807] koaQ7Jey 2020年8月17日 08:08:13 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[11]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC 612Aでクラシック音楽を聴いて見る 2010年05月15日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c


#612Aがほぼ完成し、テストCDとして澤野工房のJAZZCDをメインに今まで聴いて来ました。今朝は初めてクラシックの「弦楽合奏」を聴いています。

612a2

ALTECのSPでは「クラシックは聴けない」、「弦楽器のゴーイングが不得手」とか雑誌では書かれていますが「Trail仕様のALTEC」ではその様な事は有りません。瑞々しく艶やかな音色で鳴ってくれます。イタリア合奏団の「コレルリ:弦楽合奏協奏曲」をかけていますが音のヌケやキレが素晴らしい上に艶やかな弦楽器に響きを出しています。

クラシックはタンノイ、弦楽器の再現はタンノイが良いと云われていますが、私はタンノイのSPは避ける様にしています。ALTECの同軸とタンノイの同軸は双璧の様に云われていますが、個人的にタンノイも使って来ましたが「潜在能力を引き出す」と云う点ではALTECに軍配を上げます。タンノイのユニットはコーン紙をホーンの延長に使っていますので「コーン紙の強度」がネックとなって来る点(コーン裏面にリブを取り付けている点)で大音量再生しますと「モタツキ」や不要共振を発生する構造になっている事が私の選択から外れます。またユニットへの接続で4Pソケットを使っている事やネットワーク基板の強度のない事も興味の対象から外れます。タンノイはイニシャル時点でそれなりのグレードで聴かせてくれますが私の望む音質には届かないユニットなのです。

その点アルテックの同軸ユニットは低域と高域が完全に分離していますし、SP端子も別個に有り、高域のダイアフラムにも手を入れる事が出来ます。30年前の販売時点で無かった技術をALTEC同軸のユニットに手を入れますとその「潜在能力の高さ」に驚かされます。

個人的には「最強のフルレンジユニット」だと思っています。とにかくヌケ切ってなっているサウンドにご機嫌で幸せな気分になれます。

https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c12

[近代史02] LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡 中川隆
144. 中川隆[-11806] koaQ7Jey 2020年8月17日 08:18:23 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[12]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
ALTEC 612Aでクラシック音楽を聴いて見る 2010年05月15日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c

#612Aがほぼ完成し、テストCDとして澤野工房のJAZZCDをメインに今まで聴いて来ました。今朝は初めてクラシックの「弦楽合奏」を聴いています。

612a2

ALTECのSPでは「クラシックは聴けない」、「弦楽器のゴーイングが不得手」とか雑誌では書かれていますが「Trail仕様のALTEC」ではその様な事は有りません。瑞々しく艶やかな音色で鳴ってくれます。イタリア合奏団の「コレルリ:弦楽合奏協奏曲」をかけていますが音のヌケやキレが素晴らしい上に艶やかな弦楽器に響きを出しています。

クラシックはタンノイ、弦楽器の再現はタンノイが良いと云われていますが、私はタンノイのSPは避ける様にしています。ALTECの同軸とタンノイの同軸は双璧の様に云われていますが、個人的にタンノイも使って来ましたが「潜在能力を引き出す」と云う点ではALTECに軍配を上げます。タンノイのユニットはコーン紙をホーンの延長に使っていますので「コーン紙の強度」がネックとなって来る点(コーン裏面にリブを取り付けている点)で大音量再生しますと「モタツキ」や不要共振を発生する構造になっている事が私の選択から外れます。またユニットへの接続で4Pソケットを使っている事やネットワーク基板の強度のない事も興味の対象から外れます。タンノイはイニシャル時点でそれなりのグレードで聴かせてくれますが私の望む音質には届かないユニットなのです。

その点アルテックの同軸ユニットは低域と高域が完全に分離していますし、SP端子も別個に有り、高域のダイアフラムにも手を入れる事が出来ます。30年前の販売時点で無かった技術をALTEC同軸のユニットに手を入れますとその「潜在能力の高さ」に驚かされます。

個人的には「最強のフルレンジユニット」だと思っています。とにかくヌケ切ってなっているサウンドにご機嫌で幸せな気分になれます。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/b8170394b2b1cb1f426cc6bac6cb027c

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史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱)
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c144

[近代史02] LPの音をSPの音に変える魔法のスピーカ タンノイ オートグラフ _ 2流オケの音もウイーン・フィルの響きに変える奇跡 中川隆
145. 中川隆[-11805] koaQ7Jey 2020年8月17日 08:21:43 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[13]
Trail仕様 ALTEC#612A
Mr.トレイルのオーディオ回り道
昨夜は定例のオフ会 2010年05月23日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e2c521b47d8299abc82dd7d9c3e568


昨夜は30年来のオーディオ仲間の例会を私の事務所で行いました。出来たばかりのTrail仕様ALTEC#612Aのお披露目を致しました。

612a1

仲間の方の印象はすこぶる「好印象」だったようで皆さん興味津々だった様です。以前612Cを使われた方もいらっしゃいますので「ALTECでこんなサウンドも出るのか?」と驚かれていました。また初めてALTECのサウンドも聴かれた方も「ALTECとはこんな音も出せるのか!!」と驚いていらっしゃいました。

612a2

軽く反応する低音とキラ星の様な輝きと艶の有る高音のサウンドが出ますので、他のシステムを聴かせても612Aに戻してくれとの要望で、612Aオンリーのオフ会になりました。チョッと今までにない反応で皆さん#612Aにクギ付けになられた様でした。

小音量から大音量まで楽々とこなしてくれます。クラシックの弦楽合奏も聴いていただきましたがタンノイのサウンドを軽く超えています。

音の粒立ちや音数の多さ、艶やかな質感等タンノイでは出せていない弦楽器のしなやかさまで出して来ます。

Trail仕様ですので小音量にしてもほとんど「音痩せ」が有りませんので安心して使えます。いつになく「ALTEC談義」まで出て来ました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/97e2c521b47d8299abc82dd7d9c3e568
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/494.html#c145

[近代史4] 日中のGDPのいい加減さ 中川隆
13. 2020年8月17日 09:13:58 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[14]

2020年08月17日
中国高速鉄道200兆円かけて7万キロ建設、だが全路線が赤字

全路線で黒字は北京上海線のみ、しかも建設費は含めない

画像引用:中国、大学教師が製作した「全国高速鉄道路線図」が話題--人民網日本語版--人民日報

土木超大国中国

国鉄にあたる中国国家鉄路集団は2035年に高速鉄道の総延長を、2035年に約7万キロメートルとする目標を発表した。

これは2019年の2倍にあたり、総投資額は少なくとも4兆5500億元(約70兆円)を超える見通し。

中国国家鉄路集団では、2035年までに人口50万人以上のすべての都市に高速鉄道を通すとしている。

日本の新幹線の路線距離は2,765 kmで、ミニ新幹線区間などが270キロほどあり合計約3000キロです。

将来リニアが大阪開業して整備新幹線が開通しても、20年後くらいにやっと4000キロという所です。

日本の鉄道建設が止まっているのは国鉄債務や新幹線の赤字が原因で、北海道新幹線は赤字、北陸はトントンとも言われている。


中国の高速鉄道はと見ると黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。

建設費を含めると全路線が赤字なので、いったいどれだけの債務を隠しているのか分からない。

日本の新幹線の建設費は東海道やミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。


中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、3万5千キロ建設には175兆円かかり、とても70兆円では収まりません。

しかも中国の物価上昇率は日本より高いので、3万5千キロ建設に200兆円以上かかるでしょう。

200兆円かけて建設しても、建設費を除いて赤字なので、丸々200兆円が政府債務になります。


こんなバカな事を20年以上続けて経済成長したのが「中国の奇跡」でした。

中国鉄道の驚異の赤字

中国が年15%も経済成長していた頃は、GDPに匹敵する費用で鉄道建設をしても表面化しませんでした。

中国は高速鉄道開通した2000年代から、毎年日本の鉄道総延長に相当する鉄道建設を続けています。

高速鉄道も毎年日本の新幹線合計に相当する距離を建設し、空港や高速道路やダムなど公共事業すべてでこうなっています。


中国は毎年「日本をひとつ作る」ほどの公共事業を行い、この巨額投資によって経済成長しています。

政府が公共事業などで支出すると民間も同額程度を投資するので、GDPが増えて国の経済が大きくなります。

だが公共事業による成長は、国が小さいほど効果が高く、先進国になると効果が低くなります。


1980年代の中国は後進国だったので土木工事をすると投資した以上の経済効果がありました。

今もその気分でいるのだが、現在の中国では投資した2割以下の経済成長しか望めません。

200兆円で高速鉄道を建設してGDPの増加は20兆円から30兆円、200兆円は丸ごと借金で残るイメージです。


旅客収入だけでは運行費用にすら足りていないので、建設費は「誰も払わない」のです
http://www.thutmosev.com/archives/83662864.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/714.html#c13

[近代史3] 社会主義マジック _ 中共が GDP 世界第二位の超大国になれた理由 中川隆
44. 中川隆[-11804] koaQ7Jey 2020年8月17日 09:14:52 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[15]
2020年08月17日
中国高速鉄道200兆円かけて7万キロ建設、だが全路線が赤字
全路線で黒字は北京上海線のみ、しかも建設費は含めない

画像引用:中国、大学教師が製作した「全国高速鉄道路線図」が話題--人民網日本語版--人民日報

土木超大国中国

国鉄にあたる中国国家鉄路集団は2035年に高速鉄道の総延長を、2035年に約7万キロメートルとする目標を発表した。

これは2019年の2倍にあたり、総投資額は少なくとも4兆5500億元(約70兆円)を超える見通し。

中国国家鉄路集団では、2035年までに人口50万人以上のすべての都市に高速鉄道を通すとしている。

日本の新幹線の路線距離は2,765 kmで、ミニ新幹線区間などが270キロほどあり合計約3000キロです。

将来リニアが大阪開業して整備新幹線が開通しても、20年後くらいにやっと4000キロという所です。

日本の鉄道建設が止まっているのは国鉄債務や新幹線の赤字が原因で、北海道新幹線は赤字、北陸はトントンとも言われている。


中国の高速鉄道はと見ると黒字は北京=上海線だけで他は全て赤字、しかもこれは鉄道建設費を含んでいない。

建設費を含めると全路線が赤字なので、いったいどれだけの債務を隠しているのか分からない。

日本の新幹線の建設費は東海道やミニ新幹線は1キロあたり約6億円、だがフル規格の北陸や九州はキロ50億円以上かかっています。


中国の高速鉄道建設費も日本とあまり変わらないので、3万5千キロ建設には175兆円かかり、とても70兆円では収まりません。

しかも中国の物価上昇率は日本より高いので、3万5千キロ建設に200兆円以上かかるでしょう。

200兆円かけて建設しても、建設費を除いて赤字なので、丸々200兆円が政府債務になります。


こんなバカな事を20年以上続けて経済成長したのが「中国の奇跡」でした。

中国鉄道の驚異の赤字

中国が年15%も経済成長していた頃は、GDPに匹敵する費用で鉄道建設をしても表面化しませんでした。

中国は高速鉄道開通した2000年代から、毎年日本の鉄道総延長に相当する鉄道建設を続けています。

高速鉄道も毎年日本の新幹線合計に相当する距離を建設し、空港や高速道路やダムなど公共事業すべてでこうなっています。


中国は毎年「日本をひとつ作る」ほどの公共事業を行い、この巨額投資によって経済成長しています。

政府が公共事業などで支出すると民間も同額程度を投資するので、GDPが増えて国の経済が大きくなります。

だが公共事業による成長は、国が小さいほど効果が高く、先進国になると効果が低くなります。


1980年代の中国は後進国だったので土木工事をすると投資した以上の経済効果がありました。

今もその気分でいるのだが、現在の中国では投資した2割以下の経済成長しか望めません。

200兆円で高速鉄道を建設してGDPの増加は20兆円から30兆円、200兆円は丸ごと借金で残るイメージです。


旅客収入だけでは運行費用にすら足りていないので、建設費は「誰も払わない」のです
http://www.thutmosev.com/archives/83662864.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/203.html#c44

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
13. 中川隆[-11803] koaQ7Jey 2020年8月17日 09:35:24 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[16]
Mr.トレイルのオーディオ回り道
残して置きたかったスピーカー ALTEC #620A 2016年03月13日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ca8bbc5e2cb3759b358d12281286e254


置き場所がなくなる事が予想できた為に、泣く泣く手放してしまったスピーカーが有った。ALTEC #620A(16Ω仕様)。上述の写真のスピーカー。

ALTECの家庭用で使えるSPの中で最高の出来栄えのSPだと思う。販売当時はJBLの「43シリーズ」スタジオモニターに押されて、目立つような事がなくあまり知られないで消えていった。

ALTECの604系の同軸ユニットは「芸術的」な造形をしていた。その中でも「604E」と「604-8G」は最高の出来だと思う。今でもユニットの写真を見るとワクワクする。その後出て来た620Bや604-8H以降は「コストダウン」化されて、604の名前を冠しているけど別物ぐらいにレベルダウンしていた。その後会社自体が消滅してしまった。

上述写真の620Aは、「自分が使う事」を前提に、内部配線やネットワークに手を入れていた。出て来たサウンドはALTECオリジナルの状態の時に比べて、再生帯域が上下に広がり、音数が別物ぐらいに増えて、非常に良いバランスで鳴っていた。612A(604E)も使った事が有るが、この620Aには到底及ばなかった。(低域の再現性が違い過ぎた)クラシックもJAZZも「眼前で演奏している」雰囲気が有った。JBL#4343では到達できなかったグレードでした。

以下に「音質対策」した内容を記します。

上の写真はALTECオリジナルの「内部配線」。JBLもあまり変わらない。日本のメーカーのSPはもっと性能の低い内部配線が多い。

交換した「当方オリジナルの配線」。材質も太さ(断面積)も格段のグレードです。(ALTECオリジナル配線も比較の為)

オリジナルのSP端子。JBLのSP端子は片穴ですが、ALTECは貫通しています。どちらが良いか?・・・言わずもがな・・・ALTECに軍配。ケーブルの固定化力が違います。

当方が採用したSP端子。「伝送ロス」に拘ったフルテック製のロジウムメッキ仕様のしっかりしたSP端子です。セットで軽く1万円は超えます。

他にも「伝送ロス対策」を出来る所はすべて対策しています。見た目は殆ど変わりません。オリジナルの状態を出来るだけ残して「さりげなく高音質」を目指していました。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/ca8bbc5e2cb3759b358d12281286e254
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c13

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
14. 中川隆[-11802] koaQ7Jey 2020年8月17日 09:47:27 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[17]
Mr.トレイルのオーディオ回り道

モニタースピーカーと音楽を楽しむスピーカーとは? 2016年03月10日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/fb87edffe1c2019b5c1c0e8afbeac402

1960年代のレコード制作スタジオにはALTEC #612A(604E)が殆ど設置されていました。#612Aを爆音に近い音量でモニタリングされていたそうです。私が思うに、低音が出難い箱なので、低域を出そうとしてして音量が上がっていたのではないだろうか?

1970年代はJBLの#43シリーズが#612Aに取って代わる様な普及を始めます。#4311のコンパクトモニターや#4320、4331、4333、4343,4345,4350等の非常に大きなバリエーションンが出来ました。”612Aとの大きな違いは、「低域側への周波数帯域の拡大」(より低音が出るようになる)だと思います。その分SPユニットの能率が100dbから90db代に下がりました。

1980年代には、ウーレイモニターやATC等、モニターSP全盛時代になり、各社モニターSPを出して来ます。YAMAHAのNS-1000Mやリファレンスコントロール3A等の小型のSPも出て来ました。

モニタースピーカーは「プロ用」で有る事が、「耐久性・音質」等で優秀だと勘違いされて一般ユーザーに浸透して行った様に思う。1970年代の国産SP達は、チョッと入力を入れすぎると「ツィーターが飛ぶ」故障が多かった。その為「故障しない」丈夫なSPが優秀なのだと勘違いしていた処が有った様に今思うと感じる。実際。自分もその頃は「壊れないSP」としてJBLのL-100を選択した。

「丈夫で壊れなく、高音質」であるとして「モニターSP」礼讃の風潮が出来た様に感じる。しかし、モニターSPにアレルギーを起こすベテランのマニアがいたことも事実である。自分もこの年(60歳以上)になって、「モニターSP」はもう要らないと思う様になった。それよりも「音楽を楽しませてくれる」SPの方が良いと思う様になって来た。

つづく。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/fb87edffe1c2019b5c1c0e8afbeac402


モニタースピーカーと音楽を楽しむスピーカーとは?(つづき)2016年03月11日
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/01d370a4ae4875e5166d5ac7340d2510

4年前までは、事務所を開いていたので38pウーハーを使ったシステムを常時5セット程置いていた。小型・中型SPも合わせると10セットくらいは置いていた。現在事情が有って、現在の「音楽部屋」のお守(庭の草取り・立木の選定等)をしなければならなくなったので、JBL3大ホーンシステム以外は処分した。(現在でも3セット所有)

私は長い間(27年間)JBL#4343Aを自宅のメインすシステムとして使ってきた。云わずと知れた「モニターSP」である。その前がタンノイアーデン、その前がJBL L-100で有り、アーデンやL-100に比べれば#4343の低域の下の方の伸びが「ドスン」と響き渡る広帯域型になった。その低域の響きのおかげで「音楽表現の幅」が広がったのを実感していた。

JBL#4343とほぼ同時期に発売されていたALTEC#620Aは、当時のJBLブームで殆ど選択肢に入らなかったが、常に気にかかる存在だったので、自分で鳴らして見たくて購入した。この時感じたのは、「しまった!!!・・・」(雑誌の影響を受けすぎた)と云う事。最初からこちらの620Aを選択しておれば、アンプ代も安く済んだし、第一「鳴り」が違う。実に音楽的になってくれるのだ。#4343を鳴らすのに苦労していたのが馬鹿らしくなる。同軸2ウェイのSPなので「触る処がない」状態で非常にまともな音がする。誰だ、JBLやALTECはJAZZ向きだなんて固定観念を植え付けたのは・・・。クラシックのオーケストラも室内楽もケーブルやアンプを選べば、何でもこなしてくれる。

本題に戻って、「聴く人がモニターSPだと思えばどんなSPでもモニターSPになれる」と云う事。カラヤンやマイルス・デイビスがAR#3Aを自宅で使っていたとか・・・。

上の写真は自分が使っていたスペンドールBC−Uだが、耐入力が低いので大音量は望めないが、実に音楽的な表現をする。自分の場合「SP内部配線交換」をして使っていたが、このBC-Uを販売されていた完実電気の福岡営業所長さんが来られてこのSPの音を聴いて、「これがBC-Uの音ですか? 音の質感・ヌケやキレ・ノビが大幅に改善されて別物のSPに聴こえる」と云われました。現在は手放したが、嫁入り先に「貸出」をしましたら、「音楽が聴ける」との事でえらく喜んでいただき帰って来ませんでした

こちらはハーベスのマークV。こちらも「SP箱内配線交換」したモノですが、クラシックはもちろんJAZZも楽しく聴けるシステムになりました。これくらいのサイズのSPで音楽を楽しく聴く事が出来ます。こちらも試聴していただき嫁入りしました。

モニタースピーカーは仕事で使うために「コンパクト」な作りになっている事が要求される。ただ使う場所や設置場所によりどんなSPでもモニターSPになれる。だた、自分は、このメーカー作り付けのユニットやユニット配置、数ですべてが片付くとは考えていない。

今までのオーディオの「固定観念」は雑誌が意図的に作り上げた節が有る。根本的な処に疑問が有る。自分の求める音や音楽表現の為には、自分でアセンブリーして「自分専用」(世界に一つ)のSPを作り出す事が必要ではないかと思う。
https://blog.goo.ne.jp/nishikido2840/e/01d370a4ae4875e5166d5ac7340d2510
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c14

[リバイバル3] 史上最高のモニタースピーカー アルテック 612A(銀箱) 中川隆
15. 中川隆[-11801] koaQ7Jey 2020年8月17日 10:04:17 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[18]
 トレイル仕様 SP カタログ 
http://soundtrail.co.jp/p04.html


 トレイル仕様 SP の紹介

  1. トレイル仕様(Trail仕様) SPとは?

     「伝送ロスの極小化」を具現化したスピーカーです。

     基本となるスピーカーは既存のメーカー製を使っていますが、
     その潜在能力を引き出す為に「伝送ロスの極小化対策」を施しています。

  2、具体的にはどんな事を対策して有るのか?

     1)内部配線材の交換・・・SPによって使える線材が変わります。
                     @シリウス ブルー配線
                     Aシリウス 化け物配線
                     Bシリウス ルシファー配線
                     Cシリウス シルバースター配線
                     Dシリウス ゴールドスター配線

                     数字が大きくなるほどより高音質になります。
                      ルシファー配線が最高級です。

     2)ネットワーク・・・基本的に回路はそのままで触りません。
                 内部配線が交換可能なら上述@〜Bまでの配線で交換します。

     3)SPユニット・・・基本的にユニットへの改造はしません。(復元可能な対策)
                @ウーハーのモール線とSPターミナル間の半田の入れ替え
                Aコンプレッションドライバーのダイアフラムへの配線交換

  3、どんな音質になるのか?

     1)伝送ロスを極小化させると「音数の増大」、「SN比の向上」、「周波数帯域の拡大」等の改善
     2)小音量でも「音痩せ」のないサウンドになり、大音量でも「うるささ・きつさ」の少ないサウンドに変化します。
     3)結果的にオリジナルSPの持っている音質・音色の延長線上で最高クラスの音質を獲得。
     4)市販されているメーカー製のSPのサウンドとは一線を画す高音質になります。

  4.トレイル仕様のスピーカーはいつでも有るのか?

      基本的に「店主の趣味」で作っているので、「一品モノ」になります。
      売れ切れましたら次のSPは何になるか判りません。
      当社に来ていただいて「試聴」していただく事をお勧めします。


  5、特注仕様でお手持ちのスピーカーを「トレイル仕様」にする事が出来る場合が有ります。
      トレイル仕様に出来るSPと出来ないSPがございます。
      基本的に「リアバッフル」が開くSPはトレイル仕様に出来ます。

      トレイル仕様のスピーカーへの改造依頼の場合の金額目安は?

      1)小型シングルコーンSP・・・¥5万円/セット・・・B4サイズぐらいまで
      2)中型シングルコーンSP・・・¥10万円/セット・・・SP-LE8Tクラス
      3)中型マルチウェイSP・・・・¥15万円/セット・・・ハーベスHL クラス
      4)大型同軸ユニットSP・・・¥20万円/セット・・・ALTEC#620Aクラス・・・・タンノイは不可。
      5)大型3ウェイSP・・・・・・・¥25万円/セット・・・JBL#4333クラス
      6)上述クラスに該当しない場合は価格はご相談で決めます。

       (料金のほとんどがケーブル代です)


…………………・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 【商品の案内】


  【A】 ALTEC#620AモニターSP スペシャル仕様

    【基本ユニットの説明】
 
            1)エンクロージャー・・・ALTEC純正箱
            2)ユニット・・・・・・・・・・ALTEC#604-8Gを604E仕様に変更。
                          ウーハーコーン紙・・・・・・604E用(16Ω仕様)に張替済
                          中高音用ダイアフラム・・・604E用(16Ω仕様)に交換済み
                          ネットワーク・・・・・・・・・・604E用ネットワークに換装済(16Ω仕様)
            3)サランネット・・・・・・張替をしています。

    【仕様説明】

           内部配線は「ゴールドスター仕様」になります。
           ダイアフラム内の配線もシルバースターになります。
           SP端子もフルテック製の最高級仕様に交換済み。
           現在有るスキルの最高峰を注ぎ込んで作成しました。

           長年JBL#4343を使って来ましたが、このSPの前では「単なる音が出ている」ぐらいにしか
           感じる事が出来なくなり処分しました。

           「音楽性の高さ」をご体験ください。

          ※ALTEC#620Aをはじめ604系のユニットを使ったTrail仕様のSPの作成は
            今回で6セット目です。
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http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1072.html#c15

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
4. 2020年8月17日 10:42:06 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[19]
雑記帳 2019年06月02日
日本列島の言語
https://sicambre.at.webry.info/201906/article_4.html

 日本語起源論など日本列島の主要な言語の起源論・形成論についての勉強はまったく進んでいないのですが、当ブログの関連記事を一度整理しておきます。日本列島の主要な言語としては、日本語・琉球語・アイヌ語があります。過去にはこれらと大きく異なる系統の話者数の多い言語が存在した可能性もありますが、今となってはほぼ検証不可能です。このうち、日本語と琉球語は同系統で、これらを同系統の別言語あるいは方言のどちらの関係にあると考えるかは、かなりのところ政治的判断に依拠していると言えるでしょう。今回は、どちらが妥当なのか、判断を保留します。アイヌ語は、これら2言語とは大きく異なる系統です。

 琉球語は、おそらく紀元後11〜12世紀に始まるグスク時代に九州から渡来してきた集団によりもたらされた日本語と、それ以前の日本語とは大きく異なる系統の言語との融合により形成されたのではないか、と考えられます(関連記事)。日本語の起源について大別すると、縄文時代に祖語があり、漢字文化圏の影響を受けつつ形成されてきた、とする見解と、弥生時代にユーラシア東部から日本列島に渡来した人々の言語が祖語になっている、とする見解があるように思います。日本語系統(日本語および琉球語)は「系統不明」とされています。日本語系統と近縁な言語はかつてユーラシア東部に少なからず存在したかもしれませんが、それらが絶滅してしまったため、日本語は「系統不明」とされているのでしょう(関連記事)。これは、同じく「系統不明」とされているアイヌ語にも当てはまるのでしょう。

 日本語の起源・形成論は、アイヌ語との関連で考えるのがよさそうです。日本語祖語がすでに縄文時代より日本列島に存在したとすると、日本語とは別系統のアイヌ語はどこに起源があるのか、という問題が生じます。日本語祖語を縄文時代の日本列島中間部(九州・四国・本州)集団に求める見解では、アイヌ語はサハリン経由で北海道へ流入した細石刃文化集団に起源がある、と想定されています(関連記事)。アイヌ文化の母胎は、南下してきたシベリア系北方文化と、日本列島中間部を経て北上してきた縄文文化との融合にある、というわけです。

 縄文文化は北海道全域に広がったわけではありませんが、おおむね北海道から九州まで分布し、「縄文人」の形態に関しては、細かな地域差・時期差が指摘されているとはいえ、地域では北海道から九州まで、年代では早期から晩期前半まで、ほとんど同一とされています(関連記事)。そのため、「縄文人」は比較的孤立した集団と考えられていますが、北海道では、たとえば九州と比較して地域内の差異が比較的大きい、とも指摘されています(関連記事)。

 これが「縄文人」の地域差の要因だとすると、同じく「縄文人」とまとめられているとはいっても、東北の北部および北海道とそれ以南とでは、言語が大きく異なっていた可能性も考えられます。そうすると、日本語もアイヌ語も縄文時代の日本列島の集団の言語に起源がある、と想定できます。一方、日本語は縄文時代の日本列島の集団の言語に起源があり、アイヌ語はオホーツク文化集団に起源がある可能性も考えられます。現代日本人における「縄文人」の遺伝的影響は高く見積もっても30%程度かもしれませんが(関連記事)、仮に現代というか飛鳥時代以降の日本列島の住民に最も大きな遺伝的影響を残しているのが、弥生時代〜古墳時代にユーラシア東部から日本列島に渡来した集団だとしても、「縄文人」の言語が基本的に継承された可能性はじゅうぶん想定できると思います(関連記事)。

 『三国志』からは、日本語祖語が3世紀前半までに少なくとも西日本で話されていた可能性は高いように思います。したがって、日本語祖語が「縄文人」に由来しないのだとすれば、弥生時代にユーラシア東部から日本列島へと農耕をもたらした集団に起源があると考えられます。この場合、アイヌ語系の地名の南限が東北地方であることから、「縄文人」が広範にアイヌ語祖語を話していたというよりは、「縄文人」の言語は地域により大きな違いがあったか、アイヌ語祖語とも日本語祖語とも異なる系統の言語だった可能性が高そうです。

 もう一つ別の可能性として考えられるのは、弥生時代に先駆けて縄文時代後期〜晩期に、ユーラシア東部から日本列島に渡来してきた「海の民」もしくは園耕民が、日本語祖語を日本列島にもたらした、という想定です(関連記事)。この「海の民」もしくは園耕民は、弥生時代以降に日本列島に到来したユーラシア東部集団と遺伝的に近い、と推測されています。日本語の起源が解明される可能性は低そうですが、考古学と遺伝学の研究の進展により、今よりも精度の高い推測が可能になるのではないか、と期待されます。

https://sicambre.at.webry.info/201906/article_4.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c4

[近代史5] 日本語の起源 中川隆
5. 2020年8月17日 10:43:26 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[20]
雑記帳 2020年08月17日
分断・孤立と交雑・融合の人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html

 人類史に限らず広く生物史において、地理的障壁の形成などにより分類群が分断され、生殖隔離が生じた後に地理的障壁が消滅もしくは緩和し、比較的近い世代で祖先を同じくする異なる分類群同士が交雑する、ということは一般的であるように思います。2007年の時点で現生人類(Homo sapiens)と非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)との交雑を指摘した研究は、これを「孤立・交雑モデル」と把握しています(関連記事)。人類以外の具体例としてはヒヒ属があり、分岐と交雑と融合を含むその複雑な進化史が推測されており、その中には分岐した2系統が遺伝的にほぼ同じ影響を残して形成された新たな系統も含まれます(関連記事)。

 こうした分断・孤立による生殖隔離は、もちろん地理的障壁のみが原因で生じるわけではないものの、地理的障壁が大きな要因になっていることも間違いないでしょう。人類史に即して言えば、概して穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようで、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5・3の頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました(関連記事)。このような場合、他地域との「回廊」が開き、分断・孤立した分類群同士の再会の機会が訪れます。

 詳しくデータを提示できるほど勉強は進んでいませんが、人類史においては、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とが交互に訪れたのではないか、と思います。これは他の生物も同様ですが、生物としては生息域がかなり広範な部類に入るだろう人類にとっては、重要な意味を有する、と私は考えています。すでにホモ属出現前に人類はアフリカ東部と南部に拡散しており、古代型ホモ属はアフリカからユーラシアへと拡散し、西はイベリア半島、東はアジア東部および南東部にまで分布していました。それだけに、気候変動による環境変化に伴う地理的障壁の形成の結果として、分断されて孤立していき生殖隔離が生じるとともに、その後の気候変動による地理的障壁の消滅・緩和により、再会して交雑・融合することも起きやすかったというか、その影響を受けやすかったように思います。もちろん、各地域が一様に変化していくわけではなく、分断・孤立が大勢の時代にも交雑・融合が進んだ地域はあったでしょうし、逆に交雑・融合が大勢の時代にも孤立した集団が存在したことはあったでしょうが、大きな傾向として、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とに区分できるでしょう。


●人類進化のモデル

 こうした孤立・分断と交雑・融合の時代が相互に訪れていたことを前提とすると、人類進化のモデルとして注目されるのは、現生人類の起源に関する複雑な仮説です(関連記事)。この仮説では、メタ個体群(対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループ)モデルにおける、分裂・融合・遺伝子流動・地域的絶滅の継続的過程としての、進化的系統内の構造と接続性の重要性が強調されます。これは構造化メタ個体群モデルと呼ばれます。気候変動による地理的障壁の形成・強化などに伴う分裂・分断と、地理的障壁の消滅・緩和によるメタ個体群間の融合により、現生人類は形成されていった、というわけです。また、メタ個体群はある地域にずっと存続し続けるのではなく、環境変化を招来する気候変動や他のメタ個体群からの圧力などにより、移動することも珍しくない、という視点も重要になるでしょう。

 構造化メタ個体群モデルは、現生人類を特徴づける派生的な身体的形質が1地域で漸進的に現れたわけではない、という化石記録と整合的です。もちろん、メタ個体群の中には、現代人に大きな影響を残しているものも、ほぼ絶滅と言ってよいくらい現代に遺伝的影響が残っていないものもあるでしょう。その意味で、ひじょうに複雑な仮説であり、その確証は容易ではないでしょうが、今後の人類進化研究において重視されるべきモデルである、と私は考えています。

 分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しとは、異質化と均質化の繰り返しとも言えます。異質化とは、多様性の増加でもあります。ここで重要なのは、川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』が指摘するように、多様性は分断・孤立に起因するところが多分にある、ということです(関連記事)。同書はアジア南東部を対象としており、中期〜後期更新世における人類の多様化を指摘しますが、アフリカでも、中期更新世後期でもなお、現生人類とは大きく異なる系統だろうホモ・ナレディ(Homo naledi)が存在していました(関連記事)。

 また同書が指摘するように、現在では多様性が善と考えられています。しかし、それが多分に分断や孤立に起因するとなると、手放しで賞賛することはできません。一方で、現在では交流もまた善と考えられていますが、これが均質化・多様性の喪失を招来している側面も否定できません。現生人類のこれまでの行動から、もはや均質化の流れは止められないだろう、と同書は予測しています。深刻な矛盾をもたらしかねない「崇高な」諸々の価値観をどう共存させていくのか、現代社会の重要な問題になると思います。


●初期ホモ属の進化

 上記の構造化メタ個体群モデルは現生人類の起源を対象としていますが、ホモ属の起源にも当てはまるかもしれません。首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万〜180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されています。これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。

 これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。南アフリカ共和国では、ホモ属的な特徴を有する200万年前頃の人類遺骸群が発見されていますが、これはアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)に分類されています(関連記事)。一方、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。

 ホモ・ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)が出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。またエチオピアでは、ホモ属的特徴を有する280万〜275万年前頃の人類遺骸も発見されています(関連記事)。

 300万〜200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は判然としませんが、ホモ属的な派生的特徴が300万〜200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により「真の」ホモ属が形成されていった、との構造化メタ個体群モデルの想定には、少なくとも一定以上の説得力があるように思います。ホモ属の出現に関して、現時点ではアフリカ東部の化石記録が多いと言えるでしょうが、最古のホモ・エレクトスとも主張されている204万〜195万年前頃の化石が南アフリカ共和国で発見されており(関連記事)、アフリカ北部では240万年前頃(関連記事)、レヴァントでは248万年前頃(関連記事)の石器が発見されているので、あるいはアフリカ全域とレヴァントまで含めて、ホモ属の形成を検証する必要があるかもしれません。


●ネアンデルタール人の進化

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の進化に関しても、当然現生人類とは異なる側面が多分にあるとしても、構造化メタ個体群モデルが一定以上有効かもしれません。中期更新世のヨーロッパには、異なる系統のホモ属が共存していた可能性が高そうです。ポルトガルの40万年前頃のホモ属遺骸にはネアンデルタール人的特徴が見られない一方で(関連記事)、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)ネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが混在しており、フランスの24万〜19万年前頃のホモ属遺骸でもネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが確認され(関連記事)、イタリアの45万年前頃のホモ属の歯にもネアンデルタール人的特徴が見られます(関連記事)。

 こうした形態学からの中期更新世のヨーロッパにおける異なる系統のホモ属の共存の可能性は、考古学的記録とも整合的と言えそうです(関連記事)。遺伝学でも、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸とネアンデルタール人との類似性が指摘されており、さらには、中期更新世にアフリカから新技術を有して新たに拡散してきた人類集団が、ネアンデルタール人の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されています(関連記事)。形態学・考古学・遺伝学の観点からは、ネアンデルタール人的な派生的特徴が中期更新世のヨーロッパ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりネアンデルタール人が形成された、と考えるのが現時点では節約的なように思います。

 じっさい、ネアンデルタール人が気候変動などにより移動していた証拠も得られています。おそらく、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返しており、寒冷期に人口が減少し、温暖期に人口が増加したのでしょう。ドイツの中部旧石器時代の遺跡の検証から、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返していたのではないか、と推測されています(関連記事)。当然この過程で、時には集団(メタ個体群)が絶滅することもあったでしょう。じっさい、西方の後期ネアンデルタール人集団の間では、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。


●ネアンデルタール人とデニソワ人の関係

 ネアンデルタール人とその近縁系統となる種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関係でも、孤立・分断と交雑・融合の繰り返しが示唆されます。ネアンデルタール人とデニソワ人の推定分岐年代には幅がありますが、現時点では70万〜50万年前頃の間と想定しておくのが無難でしょうか(関連記事)。この分岐は孤立・分断の結果なのでしょうが、ネアンデルタール人遺骸の主要な発見地がヨーロッパとアジア南西部および中央部で、デニソワ人遺骸の発見地が現時点では南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡とチベットに限定されていることから、両者の主要な生息域は一部重なりつつも大きく異なっていた可能性が高く、地理的障壁の結果と考えるのが妥当でしょう。

 デニソワ人の現代人への遺伝的影響はアジア東部でも見られますが、パプア人やオーストラリア先住民にはそれよりもずっと強い影響が残っており(関連記事)、アジア東部から南東部にかけて分布していた、と考えられます。デニソワ洞窟における人類の痕跡は断続的なので(関連記事)、デニソワ人の主要な生息域はアジア東部および南部で、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。ネアンデルタール人はヨーロッパからユーラシア草原地帯を西進してアルタイ地域に到達し、異なる遺伝的系統のネアンデルタール人個体がアルタイ地域で確認されていることから(関連記事)、デニソワ人と同じく、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。

 大まかには、ネアンデルタール人はユーラシア西部、デニソワ人はユーラシア東部を主要な生息域として、時に両者の生息域の端(辺境)である南シベリア(ネアンデルタール人にとっては東端、デニソワ人にとっては西端)で遭遇していた、と言えそうです。気候変動による環境変化により、両者が接触しなかった期間は短くなかったと考えられ、それ故に分岐していったのでしょうが、おそらく気候が温暖な時期には、ネアンデルタール人による(何世代を要したのか不明ですが)ユーラシア草原地帯の長距離移動もあったのでしょう。

 アルタイ地域では、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑は一般的と推測されており、交雑による遺伝的不適合の強い証拠が見られない、と指摘されています(関連記事)。ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先系統が現生人類系統と分岐した後にネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐したため、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑では、現生人類との交雑の場合よりも遺伝的不適合が生じない可能性は高いだろう、と思います。

 上述のヒヒ属の事例からは、遺伝的不適合度の低そうなネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が同じくらいの遺伝的影響を有する融合集団の存在も想定されます。じっさい、そうした融合系統(ネアンデルタール人よりもややデニソワ人の方の影響が大きい、と推定されます)が、アジア東部および南部・パプア・オーストラリア先住民の共通祖先集団と交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。それでもネアンデルタール人とデニソワ人が完全に融合せず、別系統として存続し続けてきたのは、両者の遭遇自体が一般的ではなく(遭遇した場合の交雑は一般的ですが)、基本的には地理的障壁によりそれぞれ分断・孤立していたからなのでしょう。


●ユーラシアの現生人類における分断と融合

 出アフリカ後のユーラシアにおける現生人類の動向も、分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しにより解釈することが必要なように思います。最終氷期の終わりには、ユーラシア東西で複数のひじょうに分化した集団が存在しており、これらの集団は他集団を置換したのではなく、混合していった、と指摘されています(関連記事)。ユーラシア西部では、現代のヨーロッパ集団とアジア東部集団との遺伝的違い(平均FST=0.10)と同じくらいの、遺伝的に異なる少なくとも4集団が存在し、新石器時代に混合して異質性は低下していき(平均FST=0.03)、青銅器時代と鉄器時代には現代のような低水準の分化(平均FST=0.01)に至りました。ユーラシア東部では、アムール川流域集団と新石器時代黄河流域農耕民と台湾鉄器時代集団との間で、比較的高い遺伝的違い(平均FST=0.06)が存在したものの、現在では低くなっています(平均FST=0.01〜0.02)。こうした完新世における遺伝的均質化の動因としては、農耕の採用やウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などといった生業面での優位性が大きかったように思います、

 これらユーラシア現生人類集団は、元々単一の(7万〜5万年前頃の)出アフリカ集団に主要な遺伝的起源があると推測されますが(関連記事)、末期更新世には多様化していたのでしょう。しかし末期更新世と比較すると、現代ユーラシアでは東西ともに遺伝的には均質化が進んでおり、完新世を交雑・融合傾向の強い時代と把握できそうです。5万年前頃には比較的均質だった出アフリカ現生人類集団が、末期更新世の頃までには多様化していき、完新世において遺伝的均質化が進展した、という大まかな見通しを提示できるでしょう。ただ、完新世の人類集団は更新世と比較して一般的に大規模なので、これは均質化への抵抗要因として作用する、とも考えられます。

 こうしたユーラシア現生人類集団における末期更新世までの遺伝的多様化は、拡大により相互の接触が困難になった、という事情もあるものの、その後でユーラシア東西ともに遺伝的均質化が進展したことを考えると、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)によりユーラシア各地域の現生人類集団は分断・孤立していき、遺伝的違いが大きくなった、と考えられます。LGMをやや幅広く設定すると(関連記事)、33000〜15000年前頃です。これは、遺伝的にだけではなく、文化的にも違いをもたらすのに充分な時間です。語彙を基本に系統証明を試みる比較言語学的手法が有効なのは過去8000年、もしくはせいぜい1万年にすぎない、と指摘されています(関連記事)。

 LGMを含む前後の15000〜20000年間ほどが分断・孤立傾向の強い時代だとしたら、5万〜4万年前頃には類似した言語を有していた集団間で、異なる語族が形成されても不思議ではありません。おそらく、末期更新世にはユーラシアにおいて多様な言語が存在しており、それらが消滅・吸収されていった結果、現代ユーラシアのような言語状況が形成されたのでしょう。それでも、ヨーロッパのバスク語やアジア東部の日本語・アイヌ語・朝鮮語のように、孤立的な言語が今でも存続しています。この問題に関しては、アメリカ大陸の事例も考えねばならないのですが、私の知見があまりにも不足しているので、今回は取り上げません。


●日本人とチベット人の遺伝的構造の類似性と言語の違い

 集団の遺伝的構造と言語は相関していることも多いものの、違うこともあります。日本人とチベット人はその典型かもしれません。ここでは、「日本人」でもおもに本州・四国・九州を中心とする「本土」集団が対象です。上述のように、ユーラシア東部の人類集団は末期更新世には遺伝的に多様でしたが、完新世には均質化していき、アジア東部に限定しても同様です。アジア東部の広範な地域を対象とした古代DNA研究(関連記事)では、アジア東部現代人集団は複雑な分岐と融合を経て形成された、と示されます。まず、出アフリカ現生人類はユーラシア東西系統に分岐します。ユーラシア東部系統は南北に分岐し、ユーラシア東部北方系からアジア東部北方系とアジア東部南方系が分岐します。現時点のデータでは、ユーラシア東部南方系と、ユーラシア東部北方系に由来するアジア東部北方系およびアジア東部南方系の複雑な融合により、アジア東部現代人の各地域集団が形成された、とモデル化されます。アジア東部北方系とアジア東部南方系の分岐は、おそらくLGMによる分断・孤立を反映しているのでしょう。

 この見解を前提とすると、日本人とチベット人は、類似した遺伝的構造の形成過程を示します(関連記事)。それは、おもに狩猟採集に依拠していた古層としての在来集団と、後に到来したアジア東部北方新石器時代集団との混合により形成され、遺伝的には後者の影響の方がずっと高い、ということです。古層としての在来集団は、チベット人の場合はユーラシア東部南方系で、アンダマン諸島現代人集団や後期更新世〜完新世にかけてのアジア南東部狩猟採集民であるホアビン文化(Hòabìnhian)集団が含まれます。古層としての在来集団は、日本人の場合は「縄文人」で、ユーラシア東部南方系統とユーラシア東部北方系から派生したアジア東部南方系統との混合だった、と推測されます。現代日本人と現代チベット人において高頻度で見られる、現代世界では珍しいY染色体ハプログループ(YHg)Dは、おそらくユーラシア東部南方系に由来するのでしょう。

 アジア東部北方系は、仰韶(Yangshao)文化や龍山(Longshan)文化といった黄河中流および下流域農耕集団に代表されます。言語学では、チベット・ビルマ語族が含まれるシナ・チベット語族の起源は7200年前頃で(関連記事)、シナ・チベット語族の拡散・多様化は5900年前頃に始まった(関連記事)、との見解が提示されています。チベット人に関しては、集団の遺伝構造と言語との間に強い相関がある、と言えそうです。もちろん、新石器時代においてすでにアジア東部北方系とアジア東部南方系との混合が推測されているように(関連記事)、集団の遺伝的構造と言語とをあまりにも単純に相関させることは危険で、現代の中国語(漢語)にしても、アジア東部北方系のシナ・チベット語族と、おそらくはアジア東部南方系の先オーストロネシア語族などとの混合により形成されていったのでしょう。

 一方、日本人に関しては、アジア東部北方系の言語をシナ・チベット語族系統と想定すると、集団の遺伝的構造と言語とが相関しません。これは朝鮮人に関しても同様と言えるでしょう。日本語も朝鮮語も、おそらくはLGMによる分断・孤立でユーラシア東部において形成された多様な言語群の一つだったのでしょうが、完新世において同系統の言語群が消滅・吸収され、現在は孤立言語のようになったのでしょう。日本語の形成に関しては、アイヌ語との関係も含めて以前短くまとめましたが(関連記事)、その後も勉強が進んでおらず、確たることはとても言えません。

 単純化すると、集団の遺伝的構造と言語とは相関しないこともある、と言って終えられます。まあ、これでは何も言っていないのに等しいので、もう少し考えると、アジア東部北方系の言語が基本的にはシナ・チベット語族系統のみだったとすると、バヌアツの事例(関連記事)が参考になるかもしれません。これは以前に、日本語の形成過程で参考になるかもしれない事例として取り上げました(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。

 日本語の形成過程にたとえると、オーストロネシア系集団が「縄文人」、パプア系集団がアジア東部北方系の影響のひじょうに強い、おそらくは弥生時代以降に日本列島に到来した集団に相当します。アジア東部北方系集団の日本列島への到来が短期間に多数の人々によりなされたのではなく、長期にわたる緩やかなもので、その後の人口増加率の違いにより現代日本人のような遺伝的構成が形成されたとすると、交易などの必要性から先住民集団である「縄文人」の言語が大きな影響力を維持した、とも考えられます。

 一方、アイヌ語と日本語とが大きく違うことを考えると、「縄文人」の言語は地域的な違いがあれども基本的にはアイヌ語系統で、上記のような日本語が選択された過程は日本列島ではなく遼河地域から朝鮮半島のどこかで起き、そこから日本列島にもたらされた、とも考えられます。しかし、現時点では東日本に限定されているものの、「縄文人」は時空間的にかなり異なる集団でも遺伝的に均質ですから(関連記事)、更新世に日本列島に到来した(4万年前頃以降)集団が、外部とはさほど遺伝的交流なしに進化した、とも考えられます。

 北海道「縄文人」の祖先集団と他地域の「縄文人」の祖先集団とが、LGMによる分断・孤立で分岐していったとすると、日本語とアイヌ語がとても同系統と確認できないくらいに分化していっても不思議ではありません。「縄文人」の言語は、北海道もしくは東北地方か関東か東日本までと、西日本とで大きく異なっており、日本語は西日本の「縄文人」の(一部集団の)言語に起源がある、というわけです。ただこの場合、「縄文人」の遺伝的多様性がもっと高くてもよさそうにも思いますが、あるいは、今後西日本の「縄文人」のゲノムが解析されれば、東日本「縄文人」との一定以上の違いが明らかになるのでしょうか。

 もう一つ想定されるのは、アジア東部北方系の言語は、後にはシナ・チベット語族に一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、というものです。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、LGMによる分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語祖語も朝鮮語祖語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 結局のところ、自分の勉強不足のため日本語の形成過程はよく分からず、単に複数の想定を列挙しただけで、しかもこれらの想定以外に「正解」がある可能性も低くないので、何ともまとまりのない文章になってしまいました。日本語の起源はたいへん難しい問題ですが、おそらくはアイヌ語とともに、LGMによる分断・孤立で多様化した言語が、現代では孤立した言語として生き残っている事例で、バスク語と同様なのでしょう。現代世界でも言語の喪失は大きな問題となっていますが、LGMの後から現代までに、現代人がもう永久に知ることのできない、少なからぬ喪失言語があったのでしょう。

https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/254.html#c5

[近代史3] 人類進化史 中川隆
52. 中川隆[-11800] koaQ7Jey 2020年8月17日 10:44:44 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[21]
雑記帳 2020年08月17日
分断・孤立と交雑・融合の人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html

 人類史に限らず広く生物史において、地理的障壁の形成などにより分類群が分断され、生殖隔離が生じた後に地理的障壁が消滅もしくは緩和し、比較的近い世代で祖先を同じくする異なる分類群同士が交雑する、ということは一般的であるように思います。2007年の時点で現生人類(Homo sapiens)と非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)との交雑を指摘した研究は、これを「孤立・交雑モデル」と把握しています(関連記事)。人類以外の具体例としてはヒヒ属があり、分岐と交雑と融合を含むその複雑な進化史が推測されており、その中には分岐した2系統が遺伝的にほぼ同じ影響を残して形成された新たな系統も含まれます(関連記事)。

 こうした分断・孤立による生殖隔離は、もちろん地理的障壁のみが原因で生じるわけではないものの、地理的障壁が大きな要因になっていることも間違いないでしょう。人類史に即して言えば、概して穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようで、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5・3の頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました(関連記事)。このような場合、他地域との「回廊」が開き、分断・孤立した分類群同士の再会の機会が訪れます。

 詳しくデータを提示できるほど勉強は進んでいませんが、人類史においては、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とが交互に訪れたのではないか、と思います。これは他の生物も同様ですが、生物としては生息域がかなり広範な部類に入るだろう人類にとっては、重要な意味を有する、と私は考えています。すでにホモ属出現前に人類はアフリカ東部と南部に拡散しており、古代型ホモ属はアフリカからユーラシアへと拡散し、西はイベリア半島、東はアジア東部および南東部にまで分布していました。それだけに、気候変動による環境変化に伴う地理的障壁の形成の結果として、分断されて孤立していき生殖隔離が生じるとともに、その後の気候変動による地理的障壁の消滅・緩和により、再会して交雑・融合することも起きやすかったというか、その影響を受けやすかったように思います。もちろん、各地域が一様に変化していくわけではなく、分断・孤立が大勢の時代にも交雑・融合が進んだ地域はあったでしょうし、逆に交雑・融合が大勢の時代にも孤立した集団が存在したことはあったでしょうが、大きな傾向として、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とに区分できるでしょう。


●人類進化のモデル

 こうした孤立・分断と交雑・融合の時代が相互に訪れていたことを前提とすると、人類進化のモデルとして注目されるのは、現生人類の起源に関する複雑な仮説です(関連記事)。この仮説では、メタ個体群(対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループ)モデルにおける、分裂・融合・遺伝子流動・地域的絶滅の継続的過程としての、進化的系統内の構造と接続性の重要性が強調されます。これは構造化メタ個体群モデルと呼ばれます。気候変動による地理的障壁の形成・強化などに伴う分裂・分断と、地理的障壁の消滅・緩和によるメタ個体群間の融合により、現生人類は形成されていった、というわけです。また、メタ個体群はある地域にずっと存続し続けるのではなく、環境変化を招来する気候変動や他のメタ個体群からの圧力などにより、移動することも珍しくない、という視点も重要になるでしょう。

 構造化メタ個体群モデルは、現生人類を特徴づける派生的な身体的形質が1地域で漸進的に現れたわけではない、という化石記録と整合的です。もちろん、メタ個体群の中には、現代人に大きな影響を残しているものも、ほぼ絶滅と言ってよいくらい現代に遺伝的影響が残っていないものもあるでしょう。その意味で、ひじょうに複雑な仮説であり、その確証は容易ではないでしょうが、今後の人類進化研究において重視されるべきモデルである、と私は考えています。

 分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しとは、異質化と均質化の繰り返しとも言えます。異質化とは、多様性の増加でもあります。ここで重要なのは、川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』が指摘するように、多様性は分断・孤立に起因するところが多分にある、ということです(関連記事)。同書はアジア南東部を対象としており、中期〜後期更新世における人類の多様化を指摘しますが、アフリカでも、中期更新世後期でもなお、現生人類とは大きく異なる系統だろうホモ・ナレディ(Homo naledi)が存在していました(関連記事)。

 また同書が指摘するように、現在では多様性が善と考えられています。しかし、それが多分に分断や孤立に起因するとなると、手放しで賞賛することはできません。一方で、現在では交流もまた善と考えられていますが、これが均質化・多様性の喪失を招来している側面も否定できません。現生人類のこれまでの行動から、もはや均質化の流れは止められないだろう、と同書は予測しています。深刻な矛盾をもたらしかねない「崇高な」諸々の価値観をどう共存させていくのか、現代社会の重要な問題になると思います。


●初期ホモ属の進化

 上記の構造化メタ個体群モデルは現生人類の起源を対象としていますが、ホモ属の起源にも当てはまるかもしれません。首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万〜180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されています。これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。

 これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。南アフリカ共和国では、ホモ属的な特徴を有する200万年前頃の人類遺骸群が発見されていますが、これはアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)に分類されています(関連記事)。一方、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。

 ホモ・ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)が出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。またエチオピアでは、ホモ属的特徴を有する280万〜275万年前頃の人類遺骸も発見されています(関連記事)。

 300万〜200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は判然としませんが、ホモ属的な派生的特徴が300万〜200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により「真の」ホモ属が形成されていった、との構造化メタ個体群モデルの想定には、少なくとも一定以上の説得力があるように思います。ホモ属の出現に関して、現時点ではアフリカ東部の化石記録が多いと言えるでしょうが、最古のホモ・エレクトスとも主張されている204万〜195万年前頃の化石が南アフリカ共和国で発見されており(関連記事)、アフリカ北部では240万年前頃(関連記事)、レヴァントでは248万年前頃(関連記事)の石器が発見されているので、あるいはアフリカ全域とレヴァントまで含めて、ホモ属の形成を検証する必要があるかもしれません。


●ネアンデルタール人の進化

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の進化に関しても、当然現生人類とは異なる側面が多分にあるとしても、構造化メタ個体群モデルが一定以上有効かもしれません。中期更新世のヨーロッパには、異なる系統のホモ属が共存していた可能性が高そうです。ポルトガルの40万年前頃のホモ属遺骸にはネアンデルタール人的特徴が見られない一方で(関連記事)、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)ネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが混在しており、フランスの24万〜19万年前頃のホモ属遺骸でもネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが確認され(関連記事)、イタリアの45万年前頃のホモ属の歯にもネアンデルタール人的特徴が見られます(関連記事)。

 こうした形態学からの中期更新世のヨーロッパにおける異なる系統のホモ属の共存の可能性は、考古学的記録とも整合的と言えそうです(関連記事)。遺伝学でも、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸とネアンデルタール人との類似性が指摘されており、さらには、中期更新世にアフリカから新技術を有して新たに拡散してきた人類集団が、ネアンデルタール人の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されています(関連記事)。形態学・考古学・遺伝学の観点からは、ネアンデルタール人的な派生的特徴が中期更新世のヨーロッパ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりネアンデルタール人が形成された、と考えるのが現時点では節約的なように思います。

 じっさい、ネアンデルタール人が気候変動などにより移動していた証拠も得られています。おそらく、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返しており、寒冷期に人口が減少し、温暖期に人口が増加したのでしょう。ドイツの中部旧石器時代の遺跡の検証から、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返していたのではないか、と推測されています(関連記事)。当然この過程で、時には集団(メタ個体群)が絶滅することもあったでしょう。じっさい、西方の後期ネアンデルタール人集団の間では、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。


●ネアンデルタール人とデニソワ人の関係

 ネアンデルタール人とその近縁系統となる種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関係でも、孤立・分断と交雑・融合の繰り返しが示唆されます。ネアンデルタール人とデニソワ人の推定分岐年代には幅がありますが、現時点では70万〜50万年前頃の間と想定しておくのが無難でしょうか(関連記事)。この分岐は孤立・分断の結果なのでしょうが、ネアンデルタール人遺骸の主要な発見地がヨーロッパとアジア南西部および中央部で、デニソワ人遺骸の発見地が現時点では南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡とチベットに限定されていることから、両者の主要な生息域は一部重なりつつも大きく異なっていた可能性が高く、地理的障壁の結果と考えるのが妥当でしょう。

 デニソワ人の現代人への遺伝的影響はアジア東部でも見られますが、パプア人やオーストラリア先住民にはそれよりもずっと強い影響が残っており(関連記事)、アジア東部から南東部にかけて分布していた、と考えられます。デニソワ洞窟における人類の痕跡は断続的なので(関連記事)、デニソワ人の主要な生息域はアジア東部および南部で、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。ネアンデルタール人はヨーロッパからユーラシア草原地帯を西進してアルタイ地域に到達し、異なる遺伝的系統のネアンデルタール人個体がアルタイ地域で確認されていることから(関連記事)、デニソワ人と同じく、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。

 大まかには、ネアンデルタール人はユーラシア西部、デニソワ人はユーラシア東部を主要な生息域として、時に両者の生息域の端(辺境)である南シベリア(ネアンデルタール人にとっては東端、デニソワ人にとっては西端)で遭遇していた、と言えそうです。気候変動による環境変化により、両者が接触しなかった期間は短くなかったと考えられ、それ故に分岐していったのでしょうが、おそらく気候が温暖な時期には、ネアンデルタール人による(何世代を要したのか不明ですが)ユーラシア草原地帯の長距離移動もあったのでしょう。

 アルタイ地域では、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑は一般的と推測されており、交雑による遺伝的不適合の強い証拠が見られない、と指摘されています(関連記事)。ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先系統が現生人類系統と分岐した後にネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐したため、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑では、現生人類との交雑の場合よりも遺伝的不適合が生じない可能性は高いだろう、と思います。

 上述のヒヒ属の事例からは、遺伝的不適合度の低そうなネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が同じくらいの遺伝的影響を有する融合集団の存在も想定されます。じっさい、そうした融合系統(ネアンデルタール人よりもややデニソワ人の方の影響が大きい、と推定されます)が、アジア東部および南部・パプア・オーストラリア先住民の共通祖先集団と交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。それでもネアンデルタール人とデニソワ人が完全に融合せず、別系統として存続し続けてきたのは、両者の遭遇自体が一般的ではなく(遭遇した場合の交雑は一般的ですが)、基本的には地理的障壁によりそれぞれ分断・孤立していたからなのでしょう。


●ユーラシアの現生人類における分断と融合

 出アフリカ後のユーラシアにおける現生人類の動向も、分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しにより解釈することが必要なように思います。最終氷期の終わりには、ユーラシア東西で複数のひじょうに分化した集団が存在しており、これらの集団は他集団を置換したのではなく、混合していった、と指摘されています(関連記事)。ユーラシア西部では、現代のヨーロッパ集団とアジア東部集団との遺伝的違い(平均FST=0.10)と同じくらいの、遺伝的に異なる少なくとも4集団が存在し、新石器時代に混合して異質性は低下していき(平均FST=0.03)、青銅器時代と鉄器時代には現代のような低水準の分化(平均FST=0.01)に至りました。ユーラシア東部では、アムール川流域集団と新石器時代黄河流域農耕民と台湾鉄器時代集団との間で、比較的高い遺伝的違い(平均FST=0.06)が存在したものの、現在では低くなっています(平均FST=0.01〜0.02)。こうした完新世における遺伝的均質化の動因としては、農耕の採用やウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などといった生業面での優位性が大きかったように思います、

 これらユーラシア現生人類集団は、元々単一の(7万〜5万年前頃の)出アフリカ集団に主要な遺伝的起源があると推測されますが(関連記事)、末期更新世には多様化していたのでしょう。しかし末期更新世と比較すると、現代ユーラシアでは東西ともに遺伝的には均質化が進んでおり、完新世を交雑・融合傾向の強い時代と把握できそうです。5万年前頃には比較的均質だった出アフリカ現生人類集団が、末期更新世の頃までには多様化していき、完新世において遺伝的均質化が進展した、という大まかな見通しを提示できるでしょう。ただ、完新世の人類集団は更新世と比較して一般的に大規模なので、これは均質化への抵抗要因として作用する、とも考えられます。

 こうしたユーラシア現生人類集団における末期更新世までの遺伝的多様化は、拡大により相互の接触が困難になった、という事情もあるものの、その後でユーラシア東西ともに遺伝的均質化が進展したことを考えると、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)によりユーラシア各地域の現生人類集団は分断・孤立していき、遺伝的違いが大きくなった、と考えられます。LGMをやや幅広く設定すると(関連記事)、33000〜15000年前頃です。これは、遺伝的にだけではなく、文化的にも違いをもたらすのに充分な時間です。語彙を基本に系統証明を試みる比較言語学的手法が有効なのは過去8000年、もしくはせいぜい1万年にすぎない、と指摘されています(関連記事)。

 LGMを含む前後の15000〜20000年間ほどが分断・孤立傾向の強い時代だとしたら、5万〜4万年前頃には類似した言語を有していた集団間で、異なる語族が形成されても不思議ではありません。おそらく、末期更新世にはユーラシアにおいて多様な言語が存在しており、それらが消滅・吸収されていった結果、現代ユーラシアのような言語状況が形成されたのでしょう。それでも、ヨーロッパのバスク語やアジア東部の日本語・アイヌ語・朝鮮語のように、孤立的な言語が今でも存続しています。この問題に関しては、アメリカ大陸の事例も考えねばならないのですが、私の知見があまりにも不足しているので、今回は取り上げません。


●日本人とチベット人の遺伝的構造の類似性と言語の違い

 集団の遺伝的構造と言語は相関していることも多いものの、違うこともあります。日本人とチベット人はその典型かもしれません。ここでは、「日本人」でもおもに本州・四国・九州を中心とする「本土」集団が対象です。上述のように、ユーラシア東部の人類集団は末期更新世には遺伝的に多様でしたが、完新世には均質化していき、アジア東部に限定しても同様です。アジア東部の広範な地域を対象とした古代DNA研究(関連記事)では、アジア東部現代人集団は複雑な分岐と融合を経て形成された、と示されます。まず、出アフリカ現生人類はユーラシア東西系統に分岐します。ユーラシア東部系統は南北に分岐し、ユーラシア東部北方系からアジア東部北方系とアジア東部南方系が分岐します。現時点のデータでは、ユーラシア東部南方系と、ユーラシア東部北方系に由来するアジア東部北方系およびアジア東部南方系の複雑な融合により、アジア東部現代人の各地域集団が形成された、とモデル化されます。アジア東部北方系とアジア東部南方系の分岐は、おそらくLGMによる分断・孤立を反映しているのでしょう。

 この見解を前提とすると、日本人とチベット人は、類似した遺伝的構造の形成過程を示します(関連記事)。それは、おもに狩猟採集に依拠していた古層としての在来集団と、後に到来したアジア東部北方新石器時代集団との混合により形成され、遺伝的には後者の影響の方がずっと高い、ということです。古層としての在来集団は、チベット人の場合はユーラシア東部南方系で、アンダマン諸島現代人集団や後期更新世〜完新世にかけてのアジア南東部狩猟採集民であるホアビン文化(Hòabìnhian)集団が含まれます。古層としての在来集団は、日本人の場合は「縄文人」で、ユーラシア東部南方系統とユーラシア東部北方系から派生したアジア東部南方系統との混合だった、と推測されます。現代日本人と現代チベット人において高頻度で見られる、現代世界では珍しいY染色体ハプログループ(YHg)Dは、おそらくユーラシア東部南方系に由来するのでしょう。

 アジア東部北方系は、仰韶(Yangshao)文化や龍山(Longshan)文化といった黄河中流および下流域農耕集団に代表されます。言語学では、チベット・ビルマ語族が含まれるシナ・チベット語族の起源は7200年前頃で(関連記事)、シナ・チベット語族の拡散・多様化は5900年前頃に始まった(関連記事)、との見解が提示されています。チベット人に関しては、集団の遺伝構造と言語との間に強い相関がある、と言えそうです。もちろん、新石器時代においてすでにアジア東部北方系とアジア東部南方系との混合が推測されているように(関連記事)、集団の遺伝的構造と言語とをあまりにも単純に相関させることは危険で、現代の中国語(漢語)にしても、アジア東部北方系のシナ・チベット語族と、おそらくはアジア東部南方系の先オーストロネシア語族などとの混合により形成されていったのでしょう。

 一方、日本人に関しては、アジア東部北方系の言語をシナ・チベット語族系統と想定すると、集団の遺伝的構造と言語とが相関しません。これは朝鮮人に関しても同様と言えるでしょう。日本語も朝鮮語も、おそらくはLGMによる分断・孤立でユーラシア東部において形成された多様な言語群の一つだったのでしょうが、完新世において同系統の言語群が消滅・吸収され、現在は孤立言語のようになったのでしょう。日本語の形成に関しては、アイヌ語との関係も含めて以前短くまとめましたが(関連記事)、その後も勉強が進んでおらず、確たることはとても言えません。

 単純化すると、集団の遺伝的構造と言語とは相関しないこともある、と言って終えられます。まあ、これでは何も言っていないのに等しいので、もう少し考えると、アジア東部北方系の言語が基本的にはシナ・チベット語族系統のみだったとすると、バヌアツの事例(関連記事)が参考になるかもしれません。これは以前に、日本語の形成過程で参考になるかもしれない事例として取り上げました(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。

 日本語の形成過程にたとえると、オーストロネシア系集団が「縄文人」、パプア系集団がアジア東部北方系の影響のひじょうに強い、おそらくは弥生時代以降に日本列島に到来した集団に相当します。アジア東部北方系集団の日本列島への到来が短期間に多数の人々によりなされたのではなく、長期にわたる緩やかなもので、その後の人口増加率の違いにより現代日本人のような遺伝的構成が形成されたとすると、交易などの必要性から先住民集団である「縄文人」の言語が大きな影響力を維持した、とも考えられます。

 一方、アイヌ語と日本語とが大きく違うことを考えると、「縄文人」の言語は地域的な違いがあれども基本的にはアイヌ語系統で、上記のような日本語が選択された過程は日本列島ではなく遼河地域から朝鮮半島のどこかで起き、そこから日本列島にもたらされた、とも考えられます。しかし、現時点では東日本に限定されているものの、「縄文人」は時空間的にかなり異なる集団でも遺伝的に均質ですから(関連記事)、更新世に日本列島に到来した(4万年前頃以降)集団が、外部とはさほど遺伝的交流なしに進化した、とも考えられます。

 北海道「縄文人」の祖先集団と他地域の「縄文人」の祖先集団とが、LGMによる分断・孤立で分岐していったとすると、日本語とアイヌ語がとても同系統と確認できないくらいに分化していっても不思議ではありません。「縄文人」の言語は、北海道もしくは東北地方か関東か東日本までと、西日本とで大きく異なっており、日本語は西日本の「縄文人」の(一部集団の)言語に起源がある、というわけです。ただこの場合、「縄文人」の遺伝的多様性がもっと高くてもよさそうにも思いますが、あるいは、今後西日本の「縄文人」のゲノムが解析されれば、東日本「縄文人」との一定以上の違いが明らかになるのでしょうか。

 もう一つ想定されるのは、アジア東部北方系の言語は、後にはシナ・チベット語族に一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、というものです。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、LGMによる分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語祖語も朝鮮語祖語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 結局のところ、自分の勉強不足のため日本語の形成過程はよく分からず、単に複数の想定を列挙しただけで、しかもこれらの想定以外に「正解」がある可能性も低くないので、何ともまとまりのない文章になってしまいました。日本語の起源はたいへん難しい問題ですが、おそらくはアイヌ語とともに、LGMによる分断・孤立で多様化した言語が、現代では孤立した言語として生き残っている事例で、バスク語と同様なのでしょう。現代世界でも言語の喪失は大きな問題となっていますが、LGMの後から現代までに、現代人がもう永久に知ることのできない、少なからぬ喪失言語があったのでしょう。

https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html#c52

[近代史3] アジア東部集団の形成過程 中川隆
9. 中川隆[-11799] koaQ7Jey 2020年8月17日 10:45:24 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[22]
雑記帳 2020年08月17日
分断・孤立と交雑・融合の人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html

 人類史に限らず広く生物史において、地理的障壁の形成などにより分類群が分断され、生殖隔離が生じた後に地理的障壁が消滅もしくは緩和し、比較的近い世代で祖先を同じくする異なる分類群同士が交雑する、ということは一般的であるように思います。2007年の時点で現生人類(Homo sapiens)と非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)との交雑を指摘した研究は、これを「孤立・交雑モデル」と把握しています(関連記事)。人類以外の具体例としてはヒヒ属があり、分岐と交雑と融合を含むその複雑な進化史が推測されており、その中には分岐した2系統が遺伝的にほぼ同じ影響を残して形成された新たな系統も含まれます(関連記事)。

 こうした分断・孤立による生殖隔離は、もちろん地理的障壁のみが原因で生じるわけではないものの、地理的障壁が大きな要因になっていることも間違いないでしょう。人類史に即して言えば、概して穏やかな間氷期には人類の居住範囲は拡大したようで、サハラ砂漠やアラビア砂漠のような居住に適さない地域も、海洋酸素同位体ステージ(MIS)5・3の頃には、モンスーン活動の増加により植物が繁茂したこともありました(関連記事)。このような場合、他地域との「回廊」が開き、分断・孤立した分類群同士の再会の機会が訪れます。

 詳しくデータを提示できるほど勉強は進んでいませんが、人類史においては、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とが交互に訪れたのではないか、と思います。これは他の生物も同様ですが、生物としては生息域がかなり広範な部類に入るだろう人類にとっては、重要な意味を有する、と私は考えています。すでにホモ属出現前に人類はアフリカ東部と南部に拡散しており、古代型ホモ属はアフリカからユーラシアへと拡散し、西はイベリア半島、東はアジア東部および南東部にまで分布していました。それだけに、気候変動による環境変化に伴う地理的障壁の形成の結果として、分断されて孤立していき生殖隔離が生じるとともに、その後の気候変動による地理的障壁の消滅・緩和により、再会して交雑・融合することも起きやすかったというか、その影響を受けやすかったように思います。もちろん、各地域が一様に変化していくわけではなく、分断・孤立が大勢の時代にも交雑・融合が進んだ地域はあったでしょうし、逆に交雑・融合が大勢の時代にも孤立した集団が存在したことはあったでしょうが、大きな傾向として、孤立・分断による分岐を促進する時代と、交雑・融合を促進する時代とに区分できるでしょう。


●人類進化のモデル

 こうした孤立・分断と交雑・融合の時代が相互に訪れていたことを前提とすると、人類進化のモデルとして注目されるのは、現生人類の起源に関する複雑な仮説です(関連記事)。この仮説では、メタ個体群(対立遺伝子の交換といった、あるレベルで相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群のグループ)モデルにおける、分裂・融合・遺伝子流動・地域的絶滅の継続的過程としての、進化的系統内の構造と接続性の重要性が強調されます。これは構造化メタ個体群モデルと呼ばれます。気候変動による地理的障壁の形成・強化などに伴う分裂・分断と、地理的障壁の消滅・緩和によるメタ個体群間の融合により、現生人類は形成されていった、というわけです。また、メタ個体群はある地域にずっと存続し続けるのではなく、環境変化を招来する気候変動や他のメタ個体群からの圧力などにより、移動することも珍しくない、という視点も重要になるでしょう。

 構造化メタ個体群モデルは、現生人類を特徴づける派生的な身体的形質が1地域で漸進的に現れたわけではない、という化石記録と整合的です。もちろん、メタ個体群の中には、現代人に大きな影響を残しているものも、ほぼ絶滅と言ってよいくらい現代に遺伝的影響が残っていないものもあるでしょう。その意味で、ひじょうに複雑な仮説であり、その確証は容易ではないでしょうが、今後の人類進化研究において重視されるべきモデルである、と私は考えています。

 分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しとは、異質化と均質化の繰り返しとも言えます。異質化とは、多様性の増加でもあります。ここで重要なのは、川端裕人『我々はなぜ我々だけなのか アジアから消えた多様な「人類」たち』が指摘するように、多様性は分断・孤立に起因するところが多分にある、ということです(関連記事)。同書はアジア南東部を対象としており、中期〜後期更新世における人類の多様化を指摘しますが、アフリカでも、中期更新世後期でもなお、現生人類とは大きく異なる系統だろうホモ・ナレディ(Homo naledi)が存在していました(関連記事)。

 また同書が指摘するように、現在では多様性が善と考えられています。しかし、それが多分に分断や孤立に起因するとなると、手放しで賞賛することはできません。一方で、現在では交流もまた善と考えられていますが、これが均質化・多様性の喪失を招来している側面も否定できません。現生人類のこれまでの行動から、もはや均質化の流れは止められないだろう、と同書は予測しています。深刻な矛盾をもたらしかねない「崇高な」諸々の価値観をどう共存させていくのか、現代社会の重要な問題になると思います。


●初期ホモ属の進化

 上記の構造化メタ個体群モデルは現生人類の起源を対象としていますが、ホモ属の起源にも当てはまるかもしれません。首から下がほとんど現代人と変わらないような「真の」ホモ属が出現したのは200万〜180万年前頃のアフリカだと思われますが、それ以前、さらにはそれ以降も、ホモ属的な特徴とアウストラロピテクス属的な特徴の混在する人類遺骸が発見されています。これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。

 これらの人類遺骸は、アウストラロピテクス属ともホモ属とも分類されています。南アフリカ共和国では、ホモ属的な特徴を有する200万年前頃の人類遺骸群が発見されていますが、これはアウストラロピテクス・セディバ(Australopithecus sediba)に分類されています(関連記事)。一方、分類に関して議論が続いているものの(関連記事)、アウストラロピテクス属的特徴も有するホモ属として、ハビリス(Homo habilis)という種区分が設定されています。

 ホモ・ハビリスは240万年前頃から存在していたとされていますが、ホモ・エレクトス(Homo erectus)が出現してからずっと後の144万年前頃までケニアで存在していた可能性も指摘されています(関連記事)。233万年前頃のハビリスと分類されている人類遺骸からは、ホモ属が当初より多様化していった可能性も指摘されています(関連記事)。またエチオピアでは、ホモ属的特徴を有する280万〜275万年前頃の人類遺骸も発見されています(関連記事)。

 300万〜200万年前頃の人類遺骸は少ないので、ホモ属の初期の進化状況は判然としませんが、ホモ属的な派生的特徴が300万〜200万年前頃のアフリカ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流により「真の」ホモ属が形成されていった、との構造化メタ個体群モデルの想定には、少なくとも一定以上の説得力があるように思います。ホモ属の出現に関して、現時点ではアフリカ東部の化石記録が多いと言えるでしょうが、最古のホモ・エレクトスとも主張されている204万〜195万年前頃の化石が南アフリカ共和国で発見されており(関連記事)、アフリカ北部では240万年前頃(関連記事)、レヴァントでは248万年前頃(関連記事)の石器が発見されているので、あるいはアフリカ全域とレヴァントまで含めて、ホモ属の形成を検証する必要があるかもしれません。


●ネアンデルタール人の進化

 ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)の進化に関しても、当然現生人類とは異なる側面が多分にあるとしても、構造化メタ個体群モデルが一定以上有効かもしれません。中期更新世のヨーロッパには、異なる系統のホモ属が共存していた可能性が高そうです。ポルトガルの40万年前頃のホモ属遺骸にはネアンデルタール人的特徴が見られない一方で(関連記事)、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸には、頭蓋でも(関連記事)頭蓋以外でも(関連記事)ネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが混在しており、フランスの24万〜19万年前頃のホモ属遺骸でもネアンデルタール人的な派生的特徴と祖先的特徴とが確認され(関連記事)、イタリアの45万年前頃のホモ属の歯にもネアンデルタール人的特徴が見られます(関連記事)。

 こうした形態学からの中期更新世のヨーロッパにおける異なる系統のホモ属の共存の可能性は、考古学的記録とも整合的と言えそうです(関連記事)。遺伝学でも、43万年前頃のスペイン北部のホモ属遺骸とネアンデルタール人との類似性が指摘されており、さらには、中期更新世にアフリカから新技術を有して新たに拡散してきた人類集団が、ネアンデルタール人の形成に影響を及ぼした可能性も指摘されています(関連記事)。形態学・考古学・遺伝学の観点からは、ネアンデルタール人的な派生的特徴が中期更新世のヨーロッパ各地で異なる年代・場所・集団(メタ個体群)に出現し、比較的孤立していた複数集団間の交雑も含まれる複雑な移住・交流によりネアンデルタール人が形成された、と考えるのが現時点では節約的なように思います。

 じっさい、ネアンデルタール人が気候変動などにより移動していた証拠も得られています。おそらく、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返しており、寒冷期に人口が減少し、温暖期に人口が増加したのでしょう。ドイツの中部旧石器時代の遺跡の検証から、ネアンデルタール人は移住・撤退・再移住といった過程を繰り返していたのではないか、と推測されています(関連記事)。当然この過程で、時には集団(メタ個体群)が絶滅することもあったでしょう。じっさい、西方の後期ネアンデルタール人集団の間では、相互に移動・置換があったのではないか、と推測されています(関連記事)。


●ネアンデルタール人とデニソワ人の関係

 ネアンデルタール人とその近縁系統となる種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)との関係でも、孤立・分断と交雑・融合の繰り返しが示唆されます。ネアンデルタール人とデニソワ人の推定分岐年代には幅がありますが、現時点では70万〜50万年前頃の間と想定しておくのが無難でしょうか(関連記事)。この分岐は孤立・分断の結果なのでしょうが、ネアンデルタール人遺骸の主要な発見地がヨーロッパとアジア南西部および中央部で、デニソワ人遺骸の発見地が現時点では南シベリアのアルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)遺跡とチベットに限定されていることから、両者の主要な生息域は一部重なりつつも大きく異なっていた可能性が高く、地理的障壁の結果と考えるのが妥当でしょう。

 デニソワ人の現代人への遺伝的影響はアジア東部でも見られますが、パプア人やオーストラリア先住民にはそれよりもずっと強い影響が残っており(関連記事)、アジア東部から南東部にかけて分布していた、と考えられます。デニソワ洞窟における人類の痕跡は断続的なので(関連記事)、デニソワ人の主要な生息域はアジア東部および南部で、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。ネアンデルタール人はヨーロッパからユーラシア草原地帯を西進してアルタイ地域に到達し、異なる遺伝的系統のネアンデルタール人個体がアルタイ地域で確認されていることから(関連記事)、デニソワ人と同じく、シベリアには時に拡散して気候変動などにより絶滅・撤退していた、と推測されます。

 大まかには、ネアンデルタール人はユーラシア西部、デニソワ人はユーラシア東部を主要な生息域として、時に両者の生息域の端(辺境)である南シベリア(ネアンデルタール人にとっては東端、デニソワ人にとっては西端)で遭遇していた、と言えそうです。気候変動による環境変化により、両者が接触しなかった期間は短くなかったと考えられ、それ故に分岐していったのでしょうが、おそらく気候が温暖な時期には、ネアンデルタール人による(何世代を要したのか不明ですが)ユーラシア草原地帯の長距離移動もあったのでしょう。

 アルタイ地域では、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑は一般的と推測されており、交雑による遺伝的不適合の強い証拠が見られない、と指摘されています(関連記事)。ネアンデルタール人とデニソワ人の共通祖先系統が現生人類系統と分岐した後にネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が分岐したため、ネアンデルタール人とデニソワ人との交雑では、現生人類との交雑の場合よりも遺伝的不適合が生じない可能性は高いだろう、と思います。

 上述のヒヒ属の事例からは、遺伝的不適合度の低そうなネアンデルタール人系統とデニソワ人系統が同じくらいの遺伝的影響を有する融合集団の存在も想定されます。じっさい、そうした融合系統(ネアンデルタール人よりもややデニソワ人の方の影響が大きい、と推定されます)が、アジア東部および南部・パプア・オーストラリア先住民の共通祖先集団と交雑した、との見解も提示されています(関連記事)。それでもネアンデルタール人とデニソワ人が完全に融合せず、別系統として存続し続けてきたのは、両者の遭遇自体が一般的ではなく(遭遇した場合の交雑は一般的ですが)、基本的には地理的障壁によりそれぞれ分断・孤立していたからなのでしょう。


●ユーラシアの現生人類における分断と融合

 出アフリカ後のユーラシアにおける現生人類の動向も、分断・孤立と交雑・融合の複雑な繰り返しにより解釈することが必要なように思います。最終氷期の終わりには、ユーラシア東西で複数のひじょうに分化した集団が存在しており、これらの集団は他集団を置換したのではなく、混合していった、と指摘されています(関連記事)。ユーラシア西部では、現代のヨーロッパ集団とアジア東部集団との遺伝的違い(平均FST=0.10)と同じくらいの、遺伝的に異なる少なくとも4集団が存在し、新石器時代に混合して異質性は低下していき(平均FST=0.03)、青銅器時代と鉄器時代には現代のような低水準の分化(平均FST=0.01)に至りました。ユーラシア東部では、アムール川流域集団と新石器時代黄河流域農耕民と台湾鉄器時代集団との間で、比較的高い遺伝的違い(平均FST=0.06)が存在したものの、現在では低くなっています(平均FST=0.01〜0.02)。こうした完新世における遺伝的均質化の動因としては、農耕の採用やウマの家畜化や車輪つき乗り物の開発などといった生業面での優位性が大きかったように思います、

 これらユーラシア現生人類集団は、元々単一の(7万〜5万年前頃の)出アフリカ集団に主要な遺伝的起源があると推測されますが(関連記事)、末期更新世には多様化していたのでしょう。しかし末期更新世と比較すると、現代ユーラシアでは東西ともに遺伝的には均質化が進んでおり、完新世を交雑・融合傾向の強い時代と把握できそうです。5万年前頃には比較的均質だった出アフリカ現生人類集団が、末期更新世の頃までには多様化していき、完新世において遺伝的均質化が進展した、という大まかな見通しを提示できるでしょう。ただ、完新世の人類集団は更新世と比較して一般的に大規模なので、これは均質化への抵抗要因として作用する、とも考えられます。

 こうしたユーラシア現生人類集団における末期更新世までの遺伝的多様化は、拡大により相互の接触が困難になった、という事情もあるものの、その後でユーラシア東西ともに遺伝的均質化が進展したことを考えると、最終氷期極大期(Last Glacial Maximum、略してLGM)によりユーラシア各地域の現生人類集団は分断・孤立していき、遺伝的違いが大きくなった、と考えられます。LGMをやや幅広く設定すると(関連記事)、33000〜15000年前頃です。これは、遺伝的にだけではなく、文化的にも違いをもたらすのに充分な時間です。語彙を基本に系統証明を試みる比較言語学的手法が有効なのは過去8000年、もしくはせいぜい1万年にすぎない、と指摘されています(関連記事)。

 LGMを含む前後の15000〜20000年間ほどが分断・孤立傾向の強い時代だとしたら、5万〜4万年前頃には類似した言語を有していた集団間で、異なる語族が形成されても不思議ではありません。おそらく、末期更新世にはユーラシアにおいて多様な言語が存在しており、それらが消滅・吸収されていった結果、現代ユーラシアのような言語状況が形成されたのでしょう。それでも、ヨーロッパのバスク語やアジア東部の日本語・アイヌ語・朝鮮語のように、孤立的な言語が今でも存続しています。この問題に関しては、アメリカ大陸の事例も考えねばならないのですが、私の知見があまりにも不足しているので、今回は取り上げません。


●日本人とチベット人の遺伝的構造の類似性と言語の違い

 集団の遺伝的構造と言語は相関していることも多いものの、違うこともあります。日本人とチベット人はその典型かもしれません。ここでは、「日本人」でもおもに本州・四国・九州を中心とする「本土」集団が対象です。上述のように、ユーラシア東部の人類集団は末期更新世には遺伝的に多様でしたが、完新世には均質化していき、アジア東部に限定しても同様です。アジア東部の広範な地域を対象とした古代DNA研究(関連記事)では、アジア東部現代人集団は複雑な分岐と融合を経て形成された、と示されます。まず、出アフリカ現生人類はユーラシア東西系統に分岐します。ユーラシア東部系統は南北に分岐し、ユーラシア東部北方系からアジア東部北方系とアジア東部南方系が分岐します。現時点のデータでは、ユーラシア東部南方系と、ユーラシア東部北方系に由来するアジア東部北方系およびアジア東部南方系の複雑な融合により、アジア東部現代人の各地域集団が形成された、とモデル化されます。アジア東部北方系とアジア東部南方系の分岐は、おそらくLGMによる分断・孤立を反映しているのでしょう。

 この見解を前提とすると、日本人とチベット人は、類似した遺伝的構造の形成過程を示します(関連記事)。それは、おもに狩猟採集に依拠していた古層としての在来集団と、後に到来したアジア東部北方新石器時代集団との混合により形成され、遺伝的には後者の影響の方がずっと高い、ということです。古層としての在来集団は、チベット人の場合はユーラシア東部南方系で、アンダマン諸島現代人集団や後期更新世〜完新世にかけてのアジア南東部狩猟採集民であるホアビン文化(Hòabìnhian)集団が含まれます。古層としての在来集団は、日本人の場合は「縄文人」で、ユーラシア東部南方系統とユーラシア東部北方系から派生したアジア東部南方系統との混合だった、と推測されます。現代日本人と現代チベット人において高頻度で見られる、現代世界では珍しいY染色体ハプログループ(YHg)Dは、おそらくユーラシア東部南方系に由来するのでしょう。

 アジア東部北方系は、仰韶(Yangshao)文化や龍山(Longshan)文化といった黄河中流および下流域農耕集団に代表されます。言語学では、チベット・ビルマ語族が含まれるシナ・チベット語族の起源は7200年前頃で(関連記事)、シナ・チベット語族の拡散・多様化は5900年前頃に始まった(関連記事)、との見解が提示されています。チベット人に関しては、集団の遺伝構造と言語との間に強い相関がある、と言えそうです。もちろん、新石器時代においてすでにアジア東部北方系とアジア東部南方系との混合が推測されているように(関連記事)、集団の遺伝的構造と言語とをあまりにも単純に相関させることは危険で、現代の中国語(漢語)にしても、アジア東部北方系のシナ・チベット語族と、おそらくはアジア東部南方系の先オーストロネシア語族などとの混合により形成されていったのでしょう。

 一方、日本人に関しては、アジア東部北方系の言語をシナ・チベット語族系統と想定すると、集団の遺伝的構造と言語とが相関しません。これは朝鮮人に関しても同様と言えるでしょう。日本語も朝鮮語も、おそらくはLGMによる分断・孤立でユーラシア東部において形成された多様な言語群の一つだったのでしょうが、完新世において同系統の言語群が消滅・吸収され、現在は孤立言語のようになったのでしょう。日本語の形成に関しては、アイヌ語との関係も含めて以前短くまとめましたが(関連記事)、その後も勉強が進んでおらず、確たることはとても言えません。

 単純化すると、集団の遺伝的構造と言語とは相関しないこともある、と言って終えられます。まあ、これでは何も言っていないのに等しいので、もう少し考えると、アジア東部北方系の言語が基本的にはシナ・チベット語族系統のみだったとすると、バヌアツの事例(関連記事)が参考になるかもしれません。これは以前に、日本語の形成過程で参考になるかもしれない事例として取り上げました(関連記事)。遺伝的には、バヌアツの最初期の住民はオーストロネシア系集団でしたが、現代バヌアツ人はパプア系集団の影響力がたいへん大きくなっています。しかし、現代バヌアツ人の言語は、パプア諸語ではなくオーストロネシア諸語のままです。

 日本語の形成過程にたとえると、オーストロネシア系集団が「縄文人」、パプア系集団がアジア東部北方系の影響のひじょうに強い、おそらくは弥生時代以降に日本列島に到来した集団に相当します。アジア東部北方系集団の日本列島への到来が短期間に多数の人々によりなされたのではなく、長期にわたる緩やかなもので、その後の人口増加率の違いにより現代日本人のような遺伝的構成が形成されたとすると、交易などの必要性から先住民集団である「縄文人」の言語が大きな影響力を維持した、とも考えられます。

 一方、アイヌ語と日本語とが大きく違うことを考えると、「縄文人」の言語は地域的な違いがあれども基本的にはアイヌ語系統で、上記のような日本語が選択された過程は日本列島ではなく遼河地域から朝鮮半島のどこかで起き、そこから日本列島にもたらされた、とも考えられます。しかし、現時点では東日本に限定されているものの、「縄文人」は時空間的にかなり異なる集団でも遺伝的に均質ですから(関連記事)、更新世に日本列島に到来した(4万年前頃以降)集団が、外部とはさほど遺伝的交流なしに進化した、とも考えられます。

 北海道「縄文人」の祖先集団と他地域の「縄文人」の祖先集団とが、LGMによる分断・孤立で分岐していったとすると、日本語とアイヌ語がとても同系統と確認できないくらいに分化していっても不思議ではありません。「縄文人」の言語は、北海道もしくは東北地方か関東か東日本までと、西日本とで大きく異なっており、日本語は西日本の「縄文人」の(一部集団の)言語に起源がある、というわけです。ただこの場合、「縄文人」の遺伝的多様性がもっと高くてもよさそうにも思いますが、あるいは、今後西日本の「縄文人」のゲノムが解析されれば、東日本「縄文人」との一定以上の違いが明らかになるのでしょうか。

 もう一つ想定されるのは、アジア東部北方系の言語は、後にはシナ・チベット語族に一元化されたものの、新石器時代のある時点までは多様だった、というものです。集団の遺伝的構造と言語が相関しているとは限りませんから、LGMによる分断・孤立で言語が多様化していき、その後の融合過程で遺伝的にはアジア東部北方系が成立したものの、その言語は均質ではなく、日本語祖語も朝鮮語祖語も含まれていた、という想定です。チベットに拡散したアジア東部北方系集団の言語はシナ・チベット語族で、朝鮮半島やさらに日本列島に向かった集団の言語は大きく異なっていた、というわけです。

 結局のところ、自分の勉強不足のため日本語の形成過程はよく分からず、単に複数の想定を列挙しただけで、しかもこれらの想定以外に「正解」がある可能性も低くないので、何ともまとまりのない文章になってしまいました。日本語の起源はたいへん難しい問題ですが、おそらくはアイヌ語とともに、LGMによる分断・孤立で多様化した言語が、現代では孤立した言語として生き残っている事例で、バスク語と同様なのでしょう。現代世界でも言語の喪失は大きな問題となっていますが、LGMの後から現代までに、現代人がもう永久に知ることのできない、少なからぬ喪失言語があったのでしょう。

https://sicambre.at.webry.info/202008/article_23.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/739.html#c9

[番外地8] 17世紀にはまだ下北半島や津軽半島にアイヌのコタンが残っていて、現在の津軽半島の住民の遺伝子もアイヌ人と変わらない 中川隆
1. 中川隆[-11798] koaQ7Jey 2020年8月17日 12:19:38 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[23]
17世紀にはまだ下北半島や津軽半島にアイヌのコタンが残っていて、現在の津軽半島の住民の遺伝子もアイヌ人と変わらないのですね:

アイヌ文化の広がり
https://www.hkd.mlit.go.jp/ob/tisui/kds/pamphlet/tabi/ctll1r00000045zc-att/ctll1r000000cypw.pdf

東北北部にはアイヌ語地名が無数にあるし、マタギの言葉はアイヌ語だし、恐山のイタコはアイヌのシャーマンと同じだし、古墳時代の東北の土器は北海道系の後北式土器だし、

古墳時代・奈良時代・平安時代の蝦夷がアイヌ系だというのは間違いないです。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/211.html#c1

[近代史3] 昔のテレビ・ドラマは面白かった _ 藤木直人・上戸彩 高校教师 (TBS 2003年) 中川隆
12. 中川隆[-11797] koaQ7Jey 2020年8月17日 13:12:56 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[24]
ドラマ 新 高校ヘ師신 고교교사 第11話終



http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1001.html#c12
[近代史4] 中川隆 _ キリスト教関係投稿リンク 中川隆
6. 2020年8月17日 17:13:48 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[25]

歴史上、もっとも残酷かつ醜悪だったキリスト教(カトリック)
2020年08月17日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1220.html


 フランシスコ・ザビエルが日本に渡航し、キリスト教を布教したのは1549年である。
 種子島に漂着したポルトガル船から鉄砲が伝えられたのは1543年だから、わずか5年の間に、スペイン・ポルトガルによる南蛮船交易は、もの凄い勢いで拡大していた。

 ザビエルが渡航してから6年後に、信玄と謙信による川中島の戦いがあり、それから5年後の1560年に、桶狭間の戦いがあった。
 1575年には歴史的な鉄砲戦の端緒を開いた長篠の戦いが起きて、日本中が煙硝の臭いに包まれていった。
 火縄銃が伝来してから、わずか30年余で、戦国の戦いの主役は弓と槍に代わって鉄砲戦になっていた。

 なぜ、日本で鉄砲が圧倒的な勢いで普及したかといえば、私は、日本の鍛冶技術が世界的レベルに達していたことと、日本中の厠で煙硝が入手できたからと考えている。
 火山国である日本では、硫黄も至るところにあり、木炭も普及していた。つまり、実に容易に黒色火薬を製造することができた。

 あとは鉛があればよい。方鉛鉱の産地は日本中にある。わざわざ南蛮船から高価な鉛を買う必要もなかった。
 戦国以降、煙硝生産に有利な白川郷の合掌家屋は、鉄砲火薬原料の一大生産地となった。これを取り仕切ったのは加賀藩だった。
 しかしながら、南蛮船は、厠で時間をかけて製造するより、はるかに容易に火薬を作れる硝石を持参しており、戦国大名たちは、これを争って求めた。

 ザビエルらキリスト教宣教師たちは、日本に上陸し、権力者と結びついてキリスト教の布教を行ったが、同時に行った業務として、奴隷売買が知られている。
 ちょうど今の統一教会と同じで、キリスト教に洗脳された婦女子を連れ出し、海外に奴隷として叩き売ったのだ。
 その総数は、秀吉や家康がキリスト教布教師追放令を出すまでの数十年で、実に50万人の日本人女性が奴隷として宣教師の手によって海外に連れ出され売られたといわれる。

 「日本人奴隷は神の恩寵」秀吉の逆鱗に触れたイエズス会の解釈
 https://ironna.jp/article/11884

 以下一部引用

 奴隷商人が関与していたのは疑いなく、秀吉によって人身売買は固く禁止された。実は、人身売買に関与していたのは、日本人の奴隷商人だけでなく、ポルトガル商人の姿もあったのである。

 そのような事情を受けて、秀吉は強い決意をもって、人身売買の問題に取り組んだ。天正15年4月、島津氏を降伏に追い込んだ秀吉は、意気揚々と博多に凱旋した。そこで、ついに問題が発生する。

 翌天正16年6月、秀吉とイエズス会の日本支部準管区長を務めるガスパール・コエリョは、日本人奴隷の売買をめぐって口論になったのである(『イエズス会日本年報』下)。次に、お互いの主張を挙げておこう。

 秀吉「ポルトガル人が多数の日本人を買い、その国(ポルトガル)に連れて行くのは何故であるか」

 コエリョ「ポルトガル人が日本人を買うのは、日本人が売るからであって、パードレ(司祭職にある者)たちはこれを大いに悲しみ、防止するためにできるだけ尽力したが、力が及ばなかった。各地の領主その他の異教徒がこれを売るので、殿下(秀吉)が望まれるならば、領主に日本人を売ることを止めるように命じ、これに背く者を重刑に処すならば容易に停止することができるであろう」

 秀吉が見たのは、日本人が奴隷としてポルトガル商人に買われ、次々と船に載せられる光景であった。驚いた秀吉は、早速コエリョを詰問したのである。コエリョが実際にどう思ったのかは分からないが、答えは苦し紛れのものであった。

 しかも、奴隷売買の原因を異教徒の日本人に求めており、自分たちは悪くないとした上で、あくまで売る者が悪いと主張しているのである。もちろんキリスト教を信仰する日本人は、奴隷売買に関与しなかったということになろう。

 日本人が売られる様子を生々しく記しているのが、秀吉の右筆、大村由己の手になる『九州御動座記』の次の記述である。

 日本人数百人男女を問わず南蛮船が買い取り、手足に鎖を付けて船底に追い入れた。地獄の呵責よりもひどい。そのうえ牛馬を買い取り、生きながら皮を剥ぎ、坊主も弟子も手を使って食し、親子兄弟も無礼の儀、畜生道の様子が眼前に広がっている。近くの日本人はいずれもその様子を学び、子を売り親を売り妻女を売るとのことを耳にした。キリスト教を許容すれば、たちまち日本が外道の法になってしまうことを心配する。

 この前段において、秀吉はキリスト教が広まっていく様子や南蛮貿易の隆盛について感想を述べている。そして、人身売買の様相に危惧しているのである。秀吉は日本人が奴隷としてポルトガル商人により売買され、家畜のように扱われていることに激怒した。奴隷たちは、まったく人間扱いされていなかったのである。

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 引用以上

 ユダヤ28〜ザビエルと日本人女性の奴隷売買
 https://blog.goo.ne.jp/khosogoo_2005/e/fb5671d14a8186352752f36f1e076892

 以下一部引用

 アルメイダは、日本に火薬を売り込み、交換に日本女性を奴隷船に連れこんで海外で売りさばいた。徳富蘇峰は、『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録を載せた。「キリシタン大名、小名、豪族たちが、火薬がほしいばかりに女たちを南蛮船に運び、獣のごとく縛って船内に押し込むゆえに、女たちが泣き叫ぴ、わめくさま地獄のごとし」と書いている。

 キリシタン大名が送ったローマ法王のもとに派遣した天正少年使節団は、次のように報告している。「行く先々で日本女性がどこまでいっても沢山目につく。ヨーロッパ各地で50万という。肌白くみめよき日本の娘たちが秘所まるだしにつながれ、もてあそばれ、奴隷らの国にまで転売されていくのを正視できない」と。火薬1樽で50人の娘が売られたと伝えられる。

 豊臣秀吉は宣教師の活動の危険性をいち早く見抜き、主君の織田信長に注意を促した。秀吉は準管区長コエリヨに対して、「ポルトガル人が多数の日本人を奴隷として購入し、彼らの国に連行しているが、これは許しがたい行為である。従って伴天遠はインドその他の遠隔地に売られて行ったすぺての日本人を日本に連れ戻せ」と命じた。

 徳川幕府は、キリスト教の宣教を防ぐため、いわゆる鎖国政策を取った。清の他にオランダだけと交易したのは、オランダはプロテスタント国家であり、キリスト教の布教を行わずに経済的利益を求めたからである。

 数千万人の黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれ、数百万人の原住民が殺され、数十万人の日本娘が世界中に売られた。この歴史的蛮行は、白人キリスト教徒が行っただけでなく、改宗ユダヤ人が加わっていたのである。
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 引用以上

 日本人奴隷売買問題の研究者たちによれば、「日本人女性50名が、火薬1樽と引き換えに売られた」と書かれていることから、どうやら、戦国大名たちが鉄砲火薬欲しさに日本人女性を売り飛ばした可能性が小さくない。

 当時、名前の知られたキリシタン大名といえば、大友義鎮(宗麟)・有馬晴信・畠山高政・六角義賢・大村純忠・高山右近・結城忠正・小西行長・蒲生氏郷・内藤如安・黒田孝高・筒井定次・織田秀信らである。

 いずれも、戦国もののテレビドラマに出てくる有名人ばかりだが、これらの大名のうち、相当部分が、火薬と引き換えに日本人女性をザビエルらに奴隷として叩き売った可能性がある。
 小西行長や高山右近はドラマでは、人格者であるかのように描かれているが、もし奴隷売買に関わっていたなら、その評価は一変し、戦国ドラマの脚本を書き直さねばならなくなる。

 上にリンクしたように、海外に売られる場合、手っ取り早く国際貿易港で売られる場合が多いので、海外に向かった日本人、天正少年使節団は、奴隷として残酷に使役され、人権を蹂躙されていた日本人女性を各地の港で目撃して心を痛めている。
 おそらく山田長政や、支倉常長らも目撃しただろう。
  https://ironna.jp/article/12051

 この当時のキリスト教といえば、もちろんローマカトリックであり、ザビエルもローマ教皇の権威を背景に海外進出していた。
 しかしながら、カトリックは権威主義に傾倒し、マルチン・ルターらによる宗教改革の抗議運動も進行していた。
 ザビエルら宣教師の多くは、キリスト教の権威と布教の洗脳力を利用して、交易による利益を追求していた。布教目当てというより金と新領土目当てと言った方が正解だっただろう。

 カトリックが、キリスト教の美しい物語を利用して、背後でどんな恐ろしい悪事を働いてきたかについて、私は繰り返し告発してきた。
 つまり、カトリックの非人間的悪事は、ザビエル時代以前から現代に至るまで連綿と続いている。

 カトリック聖職者の性的虐待 2018年09月14日
  http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-date-20180914.html

 カトリック聖職者による性的ハラスメント、あるいは暴行問題 2019年11月22日
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-942.html

 カトリックは、「キリストの愛」という口先だけの真っ赤な嘘で信者を欺しながら、基本的人権や、ときには子供たちの性や命までも平気で蹂躙する勢力である。
 統一教会も、カトリックから派生したインチキキリスト教で、文鮮明が日本人女性を欺して「合同結婚式」に参加させ、意図的に韓国の貧村の嫁の来てのないDV男に送り込んで「これによって、戦前の報復をなす」と発言しているのだから、カトリックニセ宗教らしいともいえる。
 https://xn--u9j9e9gvb768yqnbn90c.com/%E7%B5%B1%E4%B8%80%E6%95%99%E4%BC%9A%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E8%8A%B1%E5%AB%81%E6%95%B0%E5%8D%83%E4%BA%BA%E3%81%8C%E9%9F%93%E5%9B%BD%E8%BE%B2%E6%B0%91%E3%81%AB%E5%AE%9B%E3%82%8F%E3%82%8C/

 キリストも、とんでもないインチキ勢力ばかりに利用されたものだ。

 まったく、フランシスコ教皇の言葉も、白々しい嘘に満ちている。
 https://president.jp/articles/-/31119?cx_referrertype=yahoo&yhref=20200814-00037798-president-pol

 50年間続いてきたカトリック教会「性的児童虐待」の深い闇
 https://gendai.ismedia.jp/articles/-/57629

 50年じゃない、500年以上だ!
 カトリック司祭の8割がユダヤ人だといわれるが、資料を探しても出てこない。
 ユダヤ人がカトリックを乗っ取り、実質ユダヤ教徒にしてしまう手口が、世界の多くで使われてきた。
 統一教会も、アメリカ最大のプロテスタント福音派も、モルモン教も、エホバも、その中身はみんなユダヤ教ではないかと私は見ている。
 ユダヤ教徒は、人を欺して正体を隠し、実質を乗っ取るのが大好きなのだ。

 「血の中傷」といわれたユダヤ教徒に対する迫害、そして欧州を席巻したボグロムも、私は、根拠のない作り話ではありえないと思っている。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A1%80%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%82%B7


http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1220.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/218.html#c6

[番外地8] 年寄りは早く死ぬというだけで、若い人も死ぬ事に変わりはないです 中川隆
1. 中川隆[-11796] koaQ7Jey 2020年8月17日 18:24:20 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[26]
年寄りはすぐに死ぬというだけで、若い軽症者も死ぬ事に変わりはないです:

コロナウイルス肺炎に罹患すると、若い人でも完治せず予後5年で窒息死する
「新型コロナウイルス肺炎は間質性肺炎」岐阜大学 犬房春彦 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QIKeQ_JQlfc&feature=emb_title

▲△▽▼

新型コロナウイルスは

・突発性間質性肺炎、肺線維症となり一生後遺症(在宅人工呼吸器)
・精巣にダメージ、不妊化
・脳、神経への影響
・サイトカインストームによりショック・播種性血管内凝固症候群(DIC)・多臓器不全
「ほぼ全員に肺に後遺症が残る」という論文が世界中の医師から出ている

▲△▽▼

特発性間質性肺炎 
肺は肺胞というブドウの房状の小さな袋がたくさん集まってできています。間質性肺炎は、肺胞の壁に炎症や損傷が起こり、壁が厚く硬くなるため(線維化)、酸素を取り込みにくくなる病気です。間質性肺炎の原因は様々ですが、原因不明のものを特発性間質性肺炎(IIPs)と総称します。

【予後】
 IPFは一般的には徐々に肺の線維化が進行していく病気で、平均生存期間は欧米の報告では診断確定から28〜52ヶ月、わが国の報告では初診時から61〜69ヶ月とされていますが、病状の経過は患者さんによって様々です。特発性非特異性間質性肺炎や特発性器質化肺炎は一般に治療がよく効きますが、中には徐々に悪化していく場合もあります。
https://www.jrs.or.jp/modules/citizen/index.php?content_id=20

▲△▽▼

コロナ陰性後も続く“後遺症” 実態調査へ 日本呼吸器学会 2020年7月2日 17時35分

新型コロナウイルスに感染し陰性になって退院したあとも続く発熱や息苦しさなどの症状。こうした症状を訴える人が相次ぐ中、日本呼吸器学会は肺機能の低下を中心に陰性後も続くさまざまな症状について実態調査を進めることになりました。


新型コロナウイルスの感染者をめぐっては、陰性になって退院したあとも、数か月にわたって発熱やけん怠感が続いたり、呼吸機能や運動能力の低下で日常生活に支障が出たりする人が多くいることが国内外で明らかになっています。

また、新型コロナウイルス感染症は国の指定感染症になっているため、入院などでかかる医療費は全額、公費で負担されますが、陰性になり退院したあとの医療費の一部は自己負担となっていて、後遺症とみられる症状への理解や支援を求める声も相次いでいます。


新型コロナウイルス

感染したら、治っても肺が線維化し長くは生きられない事が判明
肺の繊維化は治療不可能、完治不可
感染した瞬間終わりな模様
キャバ&ホストで死人続出!!!
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/122.html#c1

[番外地8] 新型コロナウイスは血管の内皮細胞に感染する能力が有る 中川隆
2. 中川隆[-11795] koaQ7Jey 2020年8月17日 18:45:56 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[27]
パニックが起きると困るから本当の事は言えないだけだよ:
■ 新型コロナウイスは血管の内皮細胞に感染する能力が有る ■
高齢者の重症化原因? 新型コロナは全身の血管に感染することが判明

新型コロナウイルスは初期には新型肺炎と呼ばれており、呼吸器系に感染するウイルスだと思われていました。

ですが増加する死亡者の検死解剖を行った結果、死者の多くに、複数の臓器にまたがる甚大な損壊が生じていることが明らかになってきました。
そこでスイスの研究者は、原因を探るために、ウイルスにより亡くなった患者の臓器の詳細な観察を行いました。

その結果、コロナウイルスは肺だけでなく、全身の血管に感染する能力をもっていることがわかりました。死んだ患者の血管内皮に、ウイルス粒子がビッシリとこびりついていたのです。

そのため死者の臓器では末梢の血管が崩壊しており、血液の流出を引き起こし、臓器の壊死を引き起こしていました。

また追加の分析で、高齢者や糖尿病や高血圧、心疾患などにより、既に身体中の血管にダメージを受けている患者ほど、ウイルスによる血管への感染に脆弱であることがわかりました。

新型コロナウイルスは全身の血管内皮に感染できる

新型コロナウイルスは全身の血管内皮に感染する力がある

新型コロナウイルスは、表面にあるスパイクと呼ばれる構造を、人間の細胞表面に存在するアンジオテンシン変換酵素2(ACE2)に結合することで感染します。
今回の研究により、ウイルスは肺に存在するACE2にだけ感染するのではなく、体全体の血管内皮に存在するACE2にも感染することが判明しました。

上の画像では、ウイルスが腎臓の血管内皮に入り込んでいる様子が示されています。

ウイルスが感染した血管内皮は炎症を引き起こすだけでなく、ウイルスが細胞を喰い破る物理的な破壊を受けて体内で出血を引き起こします。

高齢者や血管系にかかわる生活習慣病などの持病がある人は既に血管が弱っているため、ウイルスによる感染と破壊に血管が耐えきれず、症状が重篤化すると考えられます。

今回の研究成果により、新型コロナウイルスの正体はただの肺炎ではなく「全身性血管炎症」であることがわかりました。  

▲△▽▼


高齢者の重症化原因? 新型コロナは全身の血管に感染することが判明
MEDICAL2020/04/23
https://nazology.net/archives/57616
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/183.html#c2

[番外地8] 「集団免疫戦略 真似しないで」 スウェーデンの医師・科学者が意見投稿 中川隆
1. 中川隆[-11794] koaQ7Jey 2020年8月17日 19:20:56 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[28]

「集団免疫戦略 真似しないで」 スウェーデンの医師・科学者が意見投稿 2020年8月8日
 スウェーデンの医師・科学者ら25人が連名で、「スウェーデンは集団免疫に期待したが、効果はなかった。私たちのマネをしてはなりません」と題する意見投稿を、米紙『USAトゥデイ』(7月21日)に掲載した。「スウェーデンのCOVID-19へのアプローチは、死と悲しみと苦しみをもたらした」「集団免疫までの犠牲が高すぎる。私たちは世界に感染病で何をしてはいけないかの手本を示しただけだ」と訴えている。

 スウェーデンの新型コロナ感染対策は、唯一「集団免疫戦略」をとるモデルとして日本のメディアでも報道されてきた。一度感染した者は回復すると免疫を持つが、そのような免疫保持者が一定割合をこえると、その後の感染拡大が自然に封じられる。スウェーデン当局は、新型コロナウイルスの場合、40%の感染でこの水準に達すると試算し、他のヨーロッパ諸国がやったような都市封鎖を実施しなかった。

 この共同意見は初めに、アメリカ国民に訴える動機に関連して、「スウェーデンは、難民の受け入れや地球温暖化対策などの分野で光の道標とされ、世界的な人道問題に関しては、しばしばリーダー的な存在とされてきた。COVID-19のパンデミックにおいても、スウェーデンは独自の“ソフト”なアプローチを採用し、ロックダウンをせず、おもに自主的な制限を導入し、マスクの使用を控えることで、世界の関心を集めている」とのべている。

 「(アメリカではこのような対策が)リベラルなものとして認識されており、米国の抗議行動では“スウェーデンのようにやろう”の書き文字や掛け声が見られる。しかし、対策が緩やかなところでは死亡率がピークに達している。アメリカでは、早期にロックダウンから抜け出した地域が苦しんでいるが、他の国でも同じことが起きている」

 意見は続けて、スウェーデンの公衆衛生当局が当初同じ戦略をとっていた国が方向転換していくなかでもこの方向を突き進んだことにふれ、「幼い子どもたちへの教育義務を掲げて、検査の重要性は長い間無視されてきた。加えて当局の目標は、感染を最小限に抑えることではなく、むしろそれを遅らせることで、医療崩壊を招かないようにすることだった」とのべている。

 さらに、「スウェーデン人の抗体を持っている割合は10%未満だと推定されている。それなのにスウェーデンの死亡率は危惧される状況にある。スウェーデンの人口100万人当りの死亡者数は556人だが、それは米国の425人を上回るものとなっている(7月20日現在)。また、スウェーデンの死亡者数は他の北欧4カ国を合わせた死亡者数の4・5倍以上、人口100万人当りの死亡者数の7倍以上にもなっている」ことを明らかにしている。

 メディアが伝えるところでも、スウェーデン当局は個人の「自己責任」を基本に、体調が悪い時には自宅で過ごし、公共の場では社会距離を保つよう国民に推奨するだけで、ほとんどの就業が通常通りにおこなわれ、レストランやバー、学校が閉鎖されることはなかった。また、PCR検査の件数が少ないことから、無症状のまま未検査の感染者が多いことが隠されてきたことが問題になっている。

 その一方で、感染の犠牲が高齢者に集中したことが、この国の「高度社会福祉政策」の実態を浮き彫りにすることになった。スウェーデン政府が「医療崩壊を防ぐ」と称して、「高齢患者をむやみに病院に連れて行かない」とのガイドラインを現場に通達していたことに批判が集中している。

 スウェーデンの人口は約1000万人だが7月末時点で、死者が約6000人に上っている。その9割は70歳以上の高齢者で、その半数以上が介護施設・老人ホームで息をひきとっていることも明らかとなっている。保健当局によると集中治療室(ICU)に運ばれた患者のうち70歳以上は約22%、80歳以上は3・5%のみだった。

 このため、「高齢者は集中治療室に入れてもらえない。命の選別だ」との批判が全国的に高まった。また、「集団免疫戦略」が経済的にもダメージを与えたことも露呈し、4月には、スウェーデンの科学者2000人以上が公開書簡に署名し、政府に対して都市封鎖の再検討など感染対策の転換を求めるまでになっていた。

 OECD(経済協力開発機構)は6月、スウェーデンの今年のGDP伸び率について、第二波の感染が来ない場合でも6・7%減と、アメリカ並みに落ち込むと見込んでいる。米紙への投稿意見に名を連ねたルンド大学のマーカス・カールソン上級講師(数学)は「文化や人口密度、気候が似た他の北欧諸国の10倍の人が死に、経済的利益もない。まったくの惨劇だ」と指摘。「集団免疫には5万人の死者が必要だろう。これはあまりにむごい実験だ」と批判している。

 ところで、スウェーデンにおけるPCR検査数は100万人当り約8万件(世界第50位)だが、驚くべきことに日本の検査数はそれを大きく下回る約6000件(世界第158位)でしかない。スウェーデンの医師・科学者らの訴えは、隠された形で同じ危険な道を歩んできた日本の新型コロナ対策への警鐘となっている。

_________

集団免疫獲得の試み、膨大な死者を出す恐れ ファウチ
氏が警鐘
2020.08.15 Sat posted at 09:45 JST

新型コロナの集団免疫獲得を目指すリスクについて、フ
ァウチ所長が警鐘を鳴らした

(CNN) 米国立アレルギー感染症研究所のファウチ
所長は15日までに、集団免疫を獲得するために新型コ
ロナウイルスの感染拡大を許容する試みについて、高リ
スク者を中心に膨大な死者を出すだろうと警鐘を鳴らし
た。

ファウチ氏はインスタグラムで行われたライブ会合で、
「もしあらゆる人が感染する事態となれば、無症状者が
比較的多かったとしても、多くの死者が出るだろう」と
述べた。

米ジョンズ・ホプキンス大の14日の報告によると、米
国の新型コロナウイルスによる死者は少なくとも16万
7298人に上る。

ファウチ氏は今回、米国では肥満や高血圧、糖尿病の患
者が多いことに言及。「もしあらゆる国民が感染すれ
ば、死者数は膨大で全く受け入れられない水準になる」
と指摘した。

集団免疫が達成されるのは、人口の7〜9割程度が感染
からの回復またはワクチン接種を通じ免疫を獲得したと
きだ。その場合、ウイルスの保有者自体が少なくなるた
め、免疫のない人に感染が広がる可能性も減る。

新型コロナの生存者が免疫を有するかどうかは不明だ
が、一部ではいまだ、感染拡大を放置することで、より
早く集団免疫に到達する助けになる可能性があるという
声が根強い。だが、そうなれば病院は大惨事に見舞われ
るだろう。医師の対応能力は限界に達し、コロナ以外の
感染症による死者も増えるとみられる。

米国は13日、18日連続で1000人以上の死者を記
録。ジョンズ・ホプキンス大によれば、この日は5万1
000人の新規感染者も報告された。カリフォルニア州
では、米国の州で初めて累計感染者が60万人を超え
た。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/182.html#c1

[近代史4] 中川隆 _ テレビ・ドラマ関係投稿リンク 中川隆
10. 2020年8月17日 19:52:13 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[29]

つげ義春ワールド「散歩の日々」(テレビ東京 1998)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1002.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/195.html#c10
[番外地8] 「集団免疫戦略 真似しないで」 スウェーデンの医師・科学者が意見投稿 中川隆
2. 2020年8月17日 21:27:38 : UukSvsLRRY : UC9xWVR5VDVyMkU=[30]

中国は公共事業に毎年何百兆円も使っているだろ
日本もそれ位の金をばら撒いて、経済活動を停止すればいいのさ。
http://www.asyura2.com/20/ban8/msg/182.html#c2

   

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