8. 前河[6353] kU@JzQ 2021年7月23日 02:23:56 : Ajw8lsgb5M : U0lCSzZuc2tKV3M=[1]
>「「ユダヤ人大量惨殺ごっこ」をやろうって言ったとき」
倫理に反するのは当然だが、それ以前になぜこれをコントのネタとして成立させようとしたのかが理解できない。
何一つ面白くない最低のネタ。センスの欠片もない。
小山田もそうだが、コイツらは感性がおかしい。感性が歪んでいる。
倫理に反する事をネタにする内容で有名なのは「赤信号、皆で渡れば怖くない」というのがある。
今となっては誰も笑わないつまらないネタだ。しかし、当時はウケた。なぜウケたのか?いや、ウケたというより、「たけし、よく言ってくれた!」という共感を呼んだのだろう。
なぜ共感されたのか?
赤信号は守らなければならない。しかし、 車も走っていない交差点で赤信号を守る事に理不尽さを感じイラついていた人々が大勢いただろう。
これを芸人が笑いのネタにして突っ込み皮肉った事で、イラついていた人々のうっぷんを晴らした。
つまり、決まりや規則は時に現実社会において、生きにくい要素となり市民のストレスを溜める。
これを芸人が笑いとして指摘する事で、庶民が共感し喜びストレスが解消される。
道徳・規則・常識は絶対的なものではない、と。
当時はそういう手法で笑わす芸人が少なかった(言いたい不満は我慢していた)ので斬新で受け入れられた。
その後は、誰でも平気で言いたい事を言うようになって行ったので、赤信号くらいでは笑えるネタではなくなったのだろう。
関係ないが、ラジオで10時の時報時に「今から10時になりますが、10時だからなんやねん?」とかまいたちが言うネタもこぢんまりしているが、この発散系のボケだろう。
倫理に反する発言は、良くない側面はあるが、それを躊躇なく言い切ってしまう事は、時に魅力を感じさせる事がある。
例えばヤクザ映画、暴力映画などにもそういう要素があるだろう。
しかし、そこには人間のうっぷん晴らしやガス抜き効果などを期待して作られていたり、規則や形式よりも優先させるべきものはあるのではないか?というテーマが含まれている場合もあるだろう。
しかし、小山田の自慢話や小林の笑いネタには、そういう要素がない。人が共感する様なテーマがないのだよ。
倫理観さえ打ち破ればそれだけで魅力があるのではないか?という錯覚や思い込みが無意識の中にこびりついている。
そこに浅はかさ、短絡さとセンスの無さを感じる。
倫理観を破壊するだけで、ひたすら人に不快感のみを与える方向に突っ走る。そこがわからない感性の鈍さを本人が自覚しない所に最大の問題があるのだろう。
人間は感性の生き物。感性が悪いと何かしらの問題を生じさせる。
コイツらのセンスの無さは、ヘイトクライム問題と根は一緒だろう。他人の気持ちがわからないという。