1. 中川隆[-13202] koaQ7Jey 2020年4月18日 09:11:14 : rg4H6flUlY : TXlYZGwuUFM0Wms=[1]
近親相姦を受け入れる姉妹に喜ぶ父、罪の意識なき残虐殺人事件
2012.01.05
今回のオカルト事件簿 【ハラルド&フランク・アレクサンダー事件】
1970年12月22日、人気リゾート地であるスペイン領カナリア諸島テネリフェ島のヘスス・ナサレン通り37番のアパートメントで、身の毛もよだつような残虐殺人事件が起きた。殺害されたのは、39歳になる一家の母親と15歳と18歳の娘たち。3人は滅多打ちにされ、血しぶきは壁や天井にまで飛び散っていた。全裸になった遺体からは、乳房と女性器が切り取られ、壁に釘で打ちつけられていた。
ベテラン鑑識医も息を飲むほどの殺害事件を起こしたのは、一家の16歳になる息子。妻と娘たちを殺害された父親は現場に居合わせており、「殺人のバックグランド・ミュージックに」とオルガンを弾いていた。乳房と性器を切り取る作業は、息子と父親が共同で行ったことも明らかになった。
逮捕された息子と父親は恍惚とした表情を浮かべ、嬉しそうに殺害の詳細を明かし、世界中を震撼させた。だが、一家を知る者たちは「やっぱり」と思ったそうだ。なぜなら、この一家はマイナーな新興宗教「ローバー・ソサエティ」の熱狂的な信者であり、息子を「預言者」として崇め、宗教を理由に近親相姦まで行っていたからである。
この一家は、どのようにして狂気的なカルトに染まり、また、なぜ猟奇殺人を犯したのだろうか。
■預言者の言うことは絶対である
一家の父親、ハラルド・アレクサンダーは、ドイツ連邦共和国ザクセン州の州都ドレスデンに生まれ、後にハンブルグに移り住み、同い年のダグマルと結婚。このハンブルグでハラルドは、ジョージ・リールという病床の老人の世話をするようになった。ジョージは、ドイツ神秘主義者ヤコブ・ロルバー(1800〜1864年)の崇拝者であり、新興宗教ローバー・ソサエティのリーダーであった。ローバー・ソサエティは19世紀初めに設立された厳格なスピリチュアル組織であり、信者以外は悪だという教えを説いていた。全盛期でも信者数は数百人ほどで、小さなカルト集団であったが、大変危険だとして認知されていたという。そして、30年代に入信したジョージは、「神の言葉を聞く預言者」だと信者たちから崇められていたのだ。
ジョージの最期をみとったハラルドは、妻のダグマルに、自分がローバー・ソサエティのマントルを継承したと伝えた。宗教集会で奏でられる持ち運び可能なオルガンも受け継いだ彼は、意気揚々としており、ダグマルは夫のひたむきな信仰心を大切に育もうと決意。息子・フランクが誕生した時、ハラルドが「この子こそが神の預言者だ!」と宣言した際も夫の言葉を信じ、何の疑問も持たずに受け入れたのである。
フランクを「神の預言者」だと宣言したハラルドは、「彼の言うこと、望むことは、どんなことでもすべて従わねばならない」というルールを家族に強いた。2歳年上の長女マリア、1歳年下の双子の次女と三女ペトラとサビーネも、両親同様、フランクに仕えた。フランクは王のように彼らを支配し、年を重ねるごとに独裁者のように振舞うようになった。10代になると、「信者以外の女の身体に触れると汚れる」と言い出し、父親に「母と性交を行う」と宣言。間もなくして姉とも交わるようになった。父親はこの状況を歓迎し、家中、ところかまわずセックスをするようになった。「預言者のため」だと教えられていた双子の妹たちは、この状況を喜ばしいことだと思い学校で自慢。近親相姦のうわさはたちまち街中に広がった。警察の訪問も受けるようになった一家は、ドイツを離れることを決断。スペイン領カナリア諸島テネリフェ島に移住したのである。
■殺人ではなく聖なる儀式
テネリフェ島での一家は人との接触を避けていたが、音程の外れた大音量のオルガンと、その音楽に合わせて賛美歌を歌う家族の大きな歌声が、次第に付近住民の注目を集めるようになった。10カ月間、一家は問題を起こさず静かにしていたが、この頃には双子の妹たちもフランクと性行為をするようになっていた。なお、生計は娘たちが女中をして得た金で立てていたという。
事件があった日、ハラルドとフランクはサビーネが働くウォルター・トレンクラー医師の自宅を訪問し、サビーネに伝えたいことがあると言った。快くサビーネを呼んだウォルターは、ハラルドの「サビーネよ。我々はフランクがお前の母親と姉たちを殺さねばならなくなってしまったことを伝えるために、ここに来たのだよ」という言葉に仰天。しかし、サビーネはまったく驚くことなく、父親の手を取り頬に当てて「必要なことをなさったのだと信じています」と言った。衝撃を受けるウォルターにハラルドは「あぁ、お聞きになりましたか。我々はわが妻と娘たちを殺しました。殺害の時が来たのです」と落ち着いた口調で伝えた。ウォルターはハラルドとフランクの顔や手、服に血糊がべっとりとついていることに気がつき、あわてて警察に連絡。警察は近隣住民から「地獄のような叫び声が聞こえる」との通報を受け、すでに現場に到着し、畜殺場のようなアパート内の様子を目の当たりにしていた。
嬉々とした様子で警察の調書を受けたフランクは、殺害の経緯をこう述べた。
「部屋に入ってきた母が、私のことを淫らな眼差しで見たと感じたんです。許されないことだったので、クローゼットから(木製の)ハンガーを取り出し、母の頭を繰り返し殴ったら意識を失い倒れました。父はリビングに行きオルガンを弾き始めたので、私もリビングへ行き、マリア、ペトラの順に殺しました。そして汚れた部分を切り離す儀式に入った時、父はオルガンを弾く手を止め手伝ってくれたのです」
ハラルドも同じ証言をした上で、「うちの女たちは、いつかこの時が来ることを知っていた」「聖なる時のことを、我々はよく話し合っていた。女たちは生贄になることを喜んで受け入れていた」と発言。3人とも抵抗したあとがまったくなかった理由が明らかになった。
フランクもハラルドも罪の意識はまったくなく、汚れた3人を清めたことにより天国に行くことができたと喜んでいた。オルガンを弾いたのも祝うためであり、2人は残虐殺人を終えた後、交互にオルガンを弾き賛美歌を歌ったという。精神科医は彼らを診察し「裁判を受ける精神状態ではない」「能力なし」と診断。犯罪的に精神異常である者たちが収容される施設に入れられた。しかし、どんな治療も2人には効かず、次第に「我々は、宗教から迫害された殉教者である」と思い込むようになった。また、ハラルドはフランクのことを「預言者」だと呼び続けているのだという。
最後に、唯一難を逃れたサビーネだが、父や兄と同じ施設に入ることを熱望したが許されず、厳重な修道院に収容された。彼女は「不純」で「悪魔の手下」である他人と話すことを嫌い、殻に閉じこもり続けていたそうだ。その後、修道院を出ることを許されたサビーネだが、頼れる者は誰もおらず、いまなお修道院に留まっていると伝えられている。
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