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1. 中川隆[-13069] koaQ7Jey 2020年4月05日 19:09:04 : Xn5SZlss5A : TlhXc1FmV3I5ZFU=[1]
宇野正美 - YouTube動画
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【宇野正美】世界支配の為の3ステップ(ユダヤ問題)2020/04/02
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227. 中川隆[-13068] koaQ7Jey 2020年4月05日 22:31:58 : Xn5SZlss5A : TlhXc1FmV3I5ZFU=[2]
1945年8月15日は昭和天皇の終戦の詔書がラジオ放送された日で、日本が連合軍に降伏した事になった。
終戦の詔書は8月14日に内閣が作成し、同日天皇が裁可し発布され、翌15日正午にNHKでラジオ放送された。
内容はポツダム宣言を受諾する事と、日本軍への停戦命令で、大本営は14日には全軍に積極的な戦闘停止を命令し、米軍側にも翌日の降伏を知らせた。
米軍は15日になっても、おかまいなしに本土空襲を実施し犠牲を出したが、この日を境に戦争は収束に向った。
これが当たり前だと多くの人は考えているが、天皇の命令で戦争が終わるのは、世界的に考えて例外と言っていい。
ドイツは降伏を許されず「本土決戦」のうえ全滅し、イタリアは大混乱の末に政府が転覆して軍が降伏した。
いずれにしろ、降伏する側の元首の都合で「今日で戦争やめる」と言い出したからといって、勝つのが分かっている戦勝側は同意しない。
ローマとカルタゴの戦争でカルタゴは廃墟にされたし、負ける側の都合など、勝つ側は少しも配慮してくれない。
ポツダム宣言で日本に降伏を勧告していたといっても、勝つ側は約束など守る必要がない。
戦争に負けた側は約束を破ったら罰せられるが、勝った側を罰する者など誰も居ないからです。
朝鮮総督府の最後
何故米軍が天皇の命令で戦争を辞めたのかは、一つには米国内でもソ連の脅威に備えて対日戦は終戦にしたいという意見が存在した。
終戦に積極的だったのは米国務省で、ルーズベルトやトルーマン大統領も、早期に終戦したいと考えていたようです。
米国は戦勝が決まっていたといっても、4年間の戦争でかなりの犠牲を出し、兵士や国民にも終戦への期待が高まっていた。
そしてソ連の脅威は現実になりつつあり、欧州の半分を占領し朝鮮半島や北太平洋にも進出していた。
アメリカ側にも「そろそろ終戦にしたい理由」があったから8月15日で戦争が終わったが、そうでなければ中東戦争のようにずっと続いたでしょう。
日本の外務省は中立国スイスで米側代表と交渉し、日本が提示した降伏条件を概ね受け入れるという言質を得ていた。
8月15日に戦争を終結させると決めた日本帝国は、日本が占領していた領土の保存に取り掛かった。
戦争が終われば日本軍は本土に撤退するが、その前に帝国から独立させて、日本の影響力を残したいと考えた。
まずタイは日本の同盟国だったのだが、日本軍が無理やり戦争に巻き込んだ事にして、急遽戦勝国にしてしまった。
朝鮮半島の北側はソ連が占領したが、南側は関東軍(日本軍)が守っていたので、これも独立させる事にした。
8月15日に朝鮮総督府は独立準備委員会をつくるよう独立運動家に命令し、タイのように独立させるつもりだった。
8月17日に独立運動家に施政権を名目上引き渡したが、米国側が拒否したので、翌18日に再び朝鮮総督府を復活させた。
アメリカは米軍が到着するまで、日本軍と総督府が統治するのを望み、その後は米国が信託統治するつもりだった。
http://www.thutmosev.com/archives/66414398.html
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