3. 2023年7月02日 17:19:38 : 89WuYp91jk : TG5jL2tBdC95RFk=[1]
世界を概要として大体の理屈に圧し込めることができるとした時点で、それらはすべて仮説で作りあげた世界です、と自ら言うに等しいものです。それはそれで、そこに作り上げるドラマが「体験したい願望」と一致したものであるなら結構なこととは言えますが、いま多くのことに気づきを得ている人たちからすれば、それはただこれまで観察が足りてないなかったことによる「単なる我慢ポイント」でしかなかったとはっきりと言える訳ですね。
我慢することを前提として、それが強いられ、今ある材料で何かをすることが正しい事だと刷り込まれてきたのがこれまでの世界への捉え方ですから、このよらば大樹の陰、その大樹となる社会性をこれからはより知恵ある者たちとの結束で、全体性のために一から作り上げようとする、そこまで考え方が進歩してきたと言える訳です。
そこに多くの可能性を見出すことが出来たのだとすると、何故に過去の世界観に甘んじたままで良いとするのかは疑問となるはずです。何故いつわりの権威にいつまでも縋り、しがみつき、臆病に無思考に、いつまでも口を閉ざす必要があるでしょうかね。
知識の解放とは、まずはそうしてこれ迄閉じ込められるに過ぎなかった直感や自然観の再確認であって、自己への信任の再確認によって一気に個人や集団の可能性が底上げされたことによって実現されるものです。そうした期待に推進されているのがいま生存を勝ち取った人々の意識であり気概であると思いますが。
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