20. 2022年9月03日 14:30:01 : EH1Iv8x4es : TFIyY28xeGRYUFU=[1]
やはり安倍は国葬すべきではないか。
国民の資産を外国に横流ししてきた団体と緊密に行動し、税金として吸い上げた国富も外国に毎年毎年バラマいてきた。
更に、違法な手法で多くの行政現場を歪め、立法府である国会では100回以上の嘘でその機能を妨害してきた。国権の最高機関への冒涜であり、既に万死に値するものだった。
こういう類稀なる元総理大臣が不慮の死を遂げたとき、我々国民は手をこまねいて、家族葬ごときの平穏な葬儀を見過ごすべきではないだろう。
彼こそ戦後民主主義と平和主義を破壊してきた張本人として、この国に二度と現れては成らない「⚫もの」なのである。
そしてそういった国民常識や国民正義の心をより掘り下げれば、今後の日本国民に向けてせめて我々のなすべき事は彼の国葬である。
誤解なきよう、肝心な点を附言する。
この国葬において我々国民が祈るのは、「二度とこのような⚫ものがこの国に現れる事が無いことを、みんなで願い奉り、その為の努力を誓いうこと」である。
そして、その意志をあの世を差配する何者か(神?)に伝達し、その何者か(神?)の力もお借りしてこの世とあの世の協同の魂鎮め(魂縛り)をすることである。
そして最も肝要な事は、その儀式において、この⚫ものに纏わる一切の悪徳の手法や命の痕跡が復活したり引き継がれないよう、遺影に紙を被せて五寸釘一千本にて打ち付けるという儀式である。これは内閣総理大臣と衆議院議長参議院議長、そして最高裁判所長官によってなされなければ成らない。
更に遺影や遺骨の上には、二度と
( この部分伏せ字 )
が葬儀中核に行われるべきであろう。
最後に国民代表の「⚫ものを封じる誓い」と来賓弔事、子供代表の誓いによって厳かに且つ簡素に行われるべきであろう。
以上のような趣旨と手法において必ず国葬は行われるべきである。その事がこの国の復活においてはどうしても成さねばならない重要な、国民にとっての心の区切りなのである。